後の世。北欧神代最後の民の安住の地を求めた謎多きピクト族の長、老王マナガルムは捕虜とした円卓の騎士に述懐した。
老いてなお若々しさを失わぬマナガルムは、自らをヘルモーズの子だと称した上で、過去に一度だけ父へと挑んだことがあるという。
マナガルムという最大の外敵が、伝説の
老王の脅威をブリテン王国は骨の髄まで思い知っていた。故にマナガルム以上に強大な存在を想像できなかったのかもしれない。だが騎士の問いにマナガルムは苦い貌をして嘆いた。
――勝てなかった。たった一度の、父からの
未熟だった当時も、そして今に至っても、まるで勝てる気がしないのだと。懺悔するように、本物の後悔を滲ませて
勝ちたかった、勝ってやりたかった。
寂しそうに表情を消した邪悪な獣が、強くなったなと頭を一度だけ撫でてくれたのがとても辛く、悔しく、そして誇りとなって今も残っている。故に、赤髪の青年は誓ったのだと語る。
――
老王は騎士を解放した。
ピクト族の戦士が騎士を殺そうとするのを咎め、身代金も取らずに自由にしたのだ。
なぜ強敵を捕らえたのに無償で解放したのか。なぜ出生を明かして対談したのか。その思惑を判じかねたまま騎士は帰還していく。
彼らはまだ理解していなかったのだ。
恐るべき暴力を担う戦士達を、老王がそれ以上の暴力で支配し、そして類稀な叡智で差配して真の目的を果たす為に邁進しているのだと。
虜とした騎士を解放したのも目的を達する為の一手に過ぎない。戦略家、戦術家としても史上に冠たる器を持つ、親譲りの武力と制圧力を持つ不老の王に迷いはなかった。
せめて
父の成した偉業と比すれば余りに矮小。
母の成した破壊と比べれば余りに卑小。
だが彼が敵としたのは人理である。神代の民の死滅を推進する理だ。
父母より遺伝した力と智慧、器と視野を用いた彼でなければ勝てない戦である。
そうして彼はアーサー王伝説にその名を刻む。古王ウーサーをして軍神の如しと恐れた威名を。
父と同じく強大な敵として。アーサー王に倒されるべき悪役として。ただの悪として終わるのか、敵として記されるだけで終わるのか――あるいは、父の軌跡を再現するに至るのか。
再現したのなら、彼は勝利する。勝利とは征服でも、破壊でも、殺害でもない。ブリテンを滅ぼすことが勝利の味ではないのだ。目的を達することで、彼は自らに対して言えるのである。
父に並んだ、と。そして有り得ない二度目の挑戦権を手に入れた、と。
人理との戦いなど、彼にとって前座に過ぎないのだ。
世界樹が燃え尽き、北欧神代が終わり、人理の定着した地表に放り出された者達を待っていたのは、想像以上に過酷な日々だった。
彼らは神秘渦巻く世界の住人である。ただの村人ですら、人理の世の人間と比較すると、超人並に優れた身体能力を持っているのだ。もちろん物理法則が支配する世界の人間にも、神代の人間を上回る
故に平然と物理法則に反する彼らの存在は、人理にとって一枚の敷布を汚す目障りな
だが、人理は性急に掃除屋を送る真似はしない。
なぜなら滅んだ神代の生き残り達の中に、ヘルモーズがいたからだ。彼が生きている内に迂闊な手を打てば、一方的に痛い目を見るだけだと静観させられた。
だから真綿で首を絞めるかのように、じわじわとヘルモーズに関係しないように責め立てる。
ある日を境に北欧の民は体の不調を訴え出した。体が重い、空気が薄い。戦乙女はすぐに原因を察する。神秘が当たり前に満ちた世界の民にとって、物理法則とは常に全身を押さえつける重石を背負わされたようなものだ。かつてはヘルモーズですら違和感を覚えていた。彼は耐えられていたし、慣れてからは気にもしていなかったが、ヘルモーズは参考にならないし、してはいけない。
ただちに心身へ深刻な害が出るわけではない、だが放置はできないだろう。魔術知識に明るい戦乙女達は人理という理を認知しており、このまま何も手を打たずにいたのでは、やがて民達は病を得て失墜し、北欧神代の民は絶えてしまうと想像できた。
故に、彼らは遠征に出ることになる。
斯くしてピクト族を私設兵団として従えたヘルモーズは、北欧神代最後の生き残り達を守護するべく遠征を開始した。部族は拠点を各地へ移動させ続け、安寧の地を探し求めたのだ。
向かう先々に敵はいなかった。個々の力では恐るべき大蛮族たるフン族に勝るピクト族が、何者よりも強大な暴力を持つヘルモーズを頭領の座へ据え、戦乙女の指揮に従って暴れるのである。最も被害を受けたのはローマ帝国で、ヘルモーズという伝説的個人災害の再来を知った当時のローマ帝国の上層部、皇帝、および全魔術師の間に激震が走ったという。
ただちに討伐隊が編成され、ピクト族やその首魁の討滅に一部の魔術師すら積極的に協力したが、何者も彼らの進撃を阻めなかった。蝗害の如く大陸を流離った彼らは、少しでも神秘の残る秘境に居を構え続け、その度に定住しようとした地から神秘が失われた。
放浪する民は嘆いた。この世界に自分達の居場所はないのか、と。
ヘルモーズはこの時ようやく本気になった。彼が嘗て庇護し、守護した姫が体調を崩したのだ。
このままでは急激に変化した
姫から死の匂いを嗅ぎ取ったヘルモーズは、ピクト族の後方に控え督戦していたのをやめ、自らが先頭に立ち行く手を阻む者達を悉く粉砕していく。
そうして彼らは流れ着いた。数多の悪名、伝説的悪夢を各地に残しながら、神秘の終の地たるブリテン島の最北端、ローマ帝国の支配していたカレドニア――スコットランド地方に。
八年の時を放浪した末に、
ひとまずの安住の地を得たことで、その地の守護の為に――姫が快復したのでやる気を失くしたのが真相だが――ヘルモーズは外敵を打ち払うのみで、集落から離れようとはしなかった。ピクト族を放し飼いにしていれば充分だとばかりに、先住民やローマ帝国からの刺客を無視したのである。斯くしてブリテン島に定着した神代の民達は安堵して、その地に根を張ることになる。
遠征は終わった。人理に追い立てられるように流れ着いた先で、老いた獣は星を見上げていた。
「……父さんは、弱くなったな」
手頃な岩に腰掛けた巨漢を、少し離れた所から眺めながら少年は呟く。
父は弱くなった。獣が人になったと人は言う。
しかし成長したマナガルムには分かっていた。叡智を受け継いだ特異な少年は、父から
欲がなくなって当たり前だ。欲とは生きている証、生命を生かすエネルギーの源泉。弱くなり丸くなるのは当然だ、なぜなら父は強大な敵と戦い続けている。寿命という、抗えないはずの敵と。
父は弱くなった。嘗ての終末戦争を経て、蓄えた力が全て失われたのだとマナガルムは知っている。なぜなら全てを見て、見届けていた。戦う父の背を見続けて、父の全てを知っていたのだ。
父は今も死という敵と戦っている。
少年となったマナガルムは、すっかり戦場に出なくなった父の代わりに、番犬代わりのピクト人がやり過ぎないよう手綱を握るべく、進んで戦へ出るようになっていた。
敵を殺した。言うことを聞かないピクト人も。
特に思うところはない。敵は殺すべき存在だという認識が、凶悪無比な父母を持つマナガルムには根付いている。だが殺し過ぎてもならないし、殺戮は好みではない。戦いは面白くない。
――死と戦い続け、弱くなった父をマナガルムは寂寥と共に見る。
父が寿命に抗っている理由が、この身の為なのだと自惚れではなく理解していたから。父は月に眠る亡き母との約束の為に、
己は未熟なままでいい。このまま独り立ちできずともいい。そうであれば、ヘルモーズはずっと生きている。マナガルムは愚かにもそう信じていた。煌めく頭脳が示す答えから目を逸らして。
此の世に残る唯一の肉親に、マナガルムは執着していたのだ。親離れができない。したくない。まるで母の未練までも受け継いだかの如く、ヘルモーズとの離別を彼は心の底から拒んでいた。
最低最悪の父親だろう。悪逆無道の化身である。それでも――マナガルムにとっては父親だ。どれだけの悪名を背負っていようと、自らを気にかけてくれる父は特別な存在なのだ。
「………」
昔、マナガルムは月をよく見上げていた。繋がりがあるのだろう、彼には月に何があるかを生まれた時から識っていた。月を見上げると母と話せたのだ。母からあの決闘に至る経緯を聞いたから、最初は母を殺した父を憎んでいたのに赦せたし、父を父として想えた。
現在、ヘルモーズの方が月見を好んでいる。
今のヘルモーズに特別な力はない。神代の頂点に立つ英雄の力はない。故に月を見ても何も視えないし聞こえないはずだ。だというのに、ヘルモーズは月を好んだ。自らに寄り添う戦乙女達と、そして育ての母に近い――歳の離れた姉でもあったアスラウグと共に、月見酒を楽しんでいる光景を頻繁に目にできる。近頃……ヘルモーズの様子がおかしいと、マナガルムは肌で感じた。
三人の戦乙女と、アスラウグ、ヘルモーズの間に言葉はなかった。何も語らわず月光を浴び、静かに酒を酌み交わしてばかりいる。
まるで過去を懐かしむ年寄りのように。まるで、離別の前の儀式のように。
マナガルムは戦場に出た。本能的に――否、宝石よりもなお煌めく頭脳が弾き出す答えから逃げるように。とにかく自分達の集落から出て、ピクト人を率いての遠征を繰り返した。
マナガルムはもう帰らない、あの集落に帰りはしない。
月見に興じる父達を見たくなかったのだ。問題をとにかく先延ばしにしようと、一年、二年、三年も戦い通した。海を渡って大陸につき、ローマ帝国への逆撃を食らわせ、集落を守る為だと自分に言い訳して、スコットランドに大陸からの刺客が向かわないよう防波堤の役割を己に課したりもする。奪ったものを蓄え、集落に送るのも帰らない理由作りの言い訳であった。
だがマナガルムは失念していた。いや……なんだかんだで己に甘い父に、どこかで甘えていたから知らなかっただけかもしれない。
ヘルモーズは、自分勝手な男である。マナガルムにもその傾向はあるが、それに数十倍するほどに自分本位な親だった。
ある日、ローマ帝国からの使節団と交渉し、スコットランド地方の占有、帝国からの賠償金を得た帰り道で、マナガルムは襲撃を受けたのだ。他ならぬ己の父、ヘルモーズに。
「ゥあッ……!?」
マナガルムは反応できなかった。突然やってきて、お祭り騒ぎで挑むピクト人の戦士達を一撃で昏倒させつつ天幕に入るなり、目を見開いて固まるマナガルムの胸ぐらを掴むと外に引き摺り出し地面へ放り投げたのだ。咄嗟に跳ね起きた時、マナガルムは涙する。
父からの死臭が、酷い。もう一日とせずに死ぬのが直感的に分かった。
弱い……嘗て漲っていた力の波動が、見る影もないほどに弱まっている。だからピクト人の戦士達は挑んだのだ。今なら勝てるのではないか? という姑息さ、もう二度と挑めなくなるのではという焦燥。尊敬する暴虐の戦士との最後の交わりの如くに挑んだのである。
はらはらと落涙するマナガルムに、ヘルモーズは手招いた。かかってこい、と。相変わらず万の言葉に勝る雄弁な沈黙だ、胸に詰まる激情に突き動かされてマナガルムは叫ぶ。何が約束を果たすぞ、だ。何が挑戦を受けてやるだ。そんなに弱くなった父に勝っても嬉しくない! 叫ばずにはいられなかった。
「やめてくれ、父さん! 貴方はもう
言葉尻が、細くなる。相対したこの瞬間――ヘルモーズから温かな戦意を浴びせられた瞬間、彼は愕然とさせられたのである。
弱い、だと。誰が、誰より? 充実する力、張りのある肌、隆起する筋肉。筋骨隆々とはまさにこれであろう、父の姿が天を衝く巨体だと幻視するほどの威圧感。たじろいで、後退る。圧倒される感覚に父の全盛期を思い出し――
「ぁ、ぁああ……」
腰が抜けそうになる。恐怖だった、拭い難い畏怖の念だ。勝てない、勝てる気がしない。マナガルムは己の不明と不覚を自覚し痛切に後悔した。
なぜ逃げた? なんで鍛えなかった? 父さんが弱くなっただって? そんなのは有りえないことぐらい少し考えたら分かっただろう。未熟なままでいたら生きていてくれる? そんな生温いことを赦してくれる父ではないのは、今までの父を知っていれば自明だろう。
戦場に逃げた。だが、人を相手にして、希薄な神秘しか使わない人の魔術師を相手にして鍛えられる力などが、父に通じるわけがない。宝具とされる宝剣、名剣、聖剣や魔剣は幾らか見た。そんなものに脅威は感じない、父の力を思い出せば玩具にしか見えなかったから。
父の許にいて、死に物狂いに鍛えてさえいれば――こんなに情けなく怯える無様は――
――来い。
「あ」
気づく。
父の目……。
そこに、殺意や殺気が、ない。
恥入る。殺されると、恐怖した己を。
確かに殺されるかもしれない。父に限って確証はない。
だが……踏み潰し、踏み躙り、破壊するのではない。
ただ、試そうとしている。己を、マナガルムという息子の力を。
過去に結んだ約束。一度だけ父として挑戦を受けると、父の想いを受けた。
なら恐れる必要はなかった。なかったのだ。
己が賢しらな小僧でしかなかったことを再び知る。何もかもを見通した気になっていた青二才だと、ようやく認められた。
「ああ」
戦斧を地に突き立て、無手でゆっくり向かってくる父に、マナガルムは天を仰ぐ。
愚かだった。馬鹿だった。これが、最後なのに。
父が記憶する最後のマナガルムの姿が、腑抜けた雑魚のものになるところだった。
「――――」
透明になっていく。恐れ、畏れ、怯え――――弱いガキの自分が解れ、千切れ、溶けていく。
成人式だ。父は己の独り立ちを祝福してくれている。
マナガルムもまた帯びていた武具防具を全て捨て、真っ向から父に向かう。
全力で父を殴った。顔面を拳打した。今まで出したこともない力で。
小揺るぎもしない。まるで一つの世界を殴ったような錯覚――実感。
父の目は完全に己の拳打を見切り、それでも受けた。何度も叩きつけられる豪打は、地面を捲り上がらせ砂塵を巻き上げる破壊兵器そのもの。しかし父はピクリともしない。
戯れに繰り出された拳が必殺の威力を宿している。紙一重で、なんとか、必死に躱す。カウンターを叩き込んでも全く効いた気がしない。逆に己の拳の方が破壊される不条理に笑うしかない。
なんで。
なんで今が強い。昔の力を捨てた今の父の方がなぜ強い。
疑問に、答えは一つ。ヘルモーズだから。答えはたった一つのシンプルなもの。それだけで全てに納得できる。理屈などない、理由などない、ただただヘルモーズだからというだけで納得した。
この人が、こんな怪物が、父親なのだ。
この父親の血が自分にも流れているのだ。
なら……なら、自分だって! オレだって! マナガルムは遮二無二に、我武者羅に拳を振るった。蹴りつけ、組み付き、何度も何度も何度も殴る。その度に威力は上がった。限界を、全力を出す度に眠っていた潜在能力が解き放たれていく。悔しかった、もっと前から本気で鍛えていれば――殴る。殴った。引き出される力の遅さに焦れ、見て覚えたものや教えられた原初のルーンを用い己を強化する。力だ、もっと力が要る!
悉くが着弾する。一つの都市を更地にしているであろう拳撃の嵐を、父は躱しもせず、防ぎもしない。全てを受け止め、マナガルムの力を確かめている。
やがて、父は寂しそうに微笑んだ。あんまりにも似合わない、虚しそうな貌――やめろ。そんな貌をしないでくれ。いや、させて堪るか!
超えるから。今すぐに超えるから。貴方を超えて、安心させてやるから。
マナガルムは血を吐くほどに吼えた。母さん、父さん、力を! オレは貴方達の息子だ! なら貴方達に負けない力がオレにはあるはずなんだ!
振り絞る。もう何もかも失ってもいい、父を失望させたくない。出せるものを全て出せ。出せないなら限界を超えろ。嘗て父がそうしたように――限界を超えた父の姿をなんの為に見てきた。
超えた。一つの壁が破壊されたのを実感する。朝日が登り、日が傾き、夜になる刹那の前。一瞬も止まらずひたすらに強くなり続け、父を殴り続けた。
やがて、父が動く。
もういい、もう……休め。そう言われた気がした。誰が休むか。まだやれる……まだまだオレはやれるんだ! そう叫ぼうとした刹那、父の姿が消えた。反応できない。父が儀式の終わりを示すように、振るった。平手だった。頬を張られて吹き飛ばされ――ない。
吹き飛ぶ前に脚を掴まれていた。引っ張られ、平手で貌を圧され、地面に叩きつけられる。
ぐわんぐわんとマナガルムの脳が振動した。何をされたのか、霞む意識の中で分析する。
ただ、父は早く動いただけ。殴るだけのマナガルムは隙だらけで、技は持たなくとも呼吸は読める父は意識の間隙を正面から突いてきただけだ。
たった一撃、いや、一発。全力でもなんでもない、ただのビンタ。それだけで昏倒し掛け、意識が曖昧になる己の不甲斐なさに泣きたくなる。
意地だった。離れた父を追い掛けるように、意識がほとんどなくても意地がマナガルムを立ち上がらせる。ちらりとこちらを見た父は、嘆息した。もういい、もういいんだ、そう言うように。
よくない。まだ、全部は出していない。出せていない。マナガルムは疲れたように溜め息を吐く老人へ生気を送り込むように、若々しくも青い、青い故に熱い拳を叩き込んだ。
手応えが、少し、ほんの少し、違った。
再びビンタされる。吹き飛びもしない、だが体の芯を打ち砕くような強い平手。
腰が砕け、マナガルムは崩れ落ちる。立てない、立ちたいのに。
父は己を見下ろしていた。そして趣の異なる笑みを浮かべ、満足げに頷く。
跪く赤髪の偉丈夫の前に片膝をつけ、目線の高さを合わせた父が、我が子の頭に手を置いた。
――強くなったな。
違う。強くなっていない。もともと持っていたものを出しただけだ。強くなるのはこれからだ、これからなんだ、強くなるところを、強くなった己を見てくれ。
だから、いかないで。いかないで、父さん――
倒れ伏したマナガルムの顔の横に、父は戦斧を突き立てた。餞別だとでも言うように、独り立ちする祝の品のように、父は戦斧を置いて去っていく。
待て。待って。お願いだ……お願い、だ……死な……な……い……で……。
声は届かない。ただ、意識が深い闇の中に堕ちていく。
余人のない森の中、開けた空間まで歩き、俺は不意に両脚をガクガクと震えさせた。
危うく膝をつき掛ける。
効いた……最後の一発は、効いた。諦めていたところで、気が抜けていたというのはあるが、確かに効いたのだ。俺はニィ、と笑う。強くなった、俺のガキは、強くなった。
超えてはくれなかったが……及第点だろう。赤点ギリギリで、まだまだ雑魚だが、光るものはある。大目に見て一人前と言っていい。
「遅い」
待ち構えていたように女が現れる。容色の衰えがない白銀の女、アスラウグだ。
「私達もいます」
「やっほー」
「………」
なんでいる。まさか俺の来るところが分かっていたのか。
……まあ、解るんだろうな。習性というか、思考パターンというか、そういうものを完璧に理解されてしまっているのだ。思わず溜め息を吐く。
「一人で逝かせません。私達も、最後までお供します」
オルトリンデが何かを言った。女達に囲まれる。振り払うのは簡単だが、無意味だろう。
また、嘆息。
さっさと帰れ、マナガルムを一人にする気か? 母代わりのアスラウグがいなくなると悲しいはずだ。アイツは甘ちゃんだからな、先生でもあった叔母が揃っていなくなったら寂しがる。
「本当に、分かりやすい男だ」
「マナガルムは独り立ちしました」
「なら、あたし達がいなくても大丈夫だよ」
「それに私達はヘルモーズ様に仕えるワルキューレです」
一斉に喋っても何言ってるか分からん。だが意思が固いのは解る。
無理矢理帰らせても意味はない。順序が前後するだけで、俺の後を追うのは変わらんか。
物好きな奴らだ。なんだってコイツらは、俺に付き合おうとする。
今までも、これからも。理解できんが、悪くない。悪くない気分だ。
「フゥ……ハァ……」
深呼吸をする。覚悟を決める。
俺は、明日死ぬ。だがそれは寿命でだ。
寿命などに、決められたものに、殺されてやるものか。
俺は一息に手刀を己の胸に突き刺す。
激痛。
構わず手を奥に刺し入れて、中から脈打つものを引き摺り出す。
ブチブチと血管が千切れる。痛みが揮発し、死の闇が意識を蝕む感触を心地好く迎え入れた。
辺りが炎に包まれる。夜の闇が追い払われる。
目映くなった炎の中、ちらりと見ると女達のルーンが周囲に刻まれていた。
準備万端じゃねぇかよ。苦笑して、心臓を天に捧げて握り潰す。
俺の体が腐ると思うか?
「腐らないな」
燃えると思うか?
「燃えないでしょう」
相槌を打つな、独り言だ。ん……独り言、じゃない。独り念?
頭を振る。
火葬は無意味だろう。なら、必要なものがある。
「これ?」
薄い赤髪の乙女が得意げに、一振りの剣を取り出す。
アルテラの剣だ。アルテラが死んだ後、取っておいたもの。
なんでお前が持っている。俺が此処に隠して……もういい。
「どうぞ、お使いください」
掴んだ剣をしげしげと見ていると、オルトリンデが何かを言う。
促されているのは解るが、使い方が分からん。分からんから、記憶を掘り起こした。
嘗て妙な智慧があった頃、この剣を見た時、元々の持ち主の赫怒と殺意を感じた。
それなら……返してやる。軍神だったか? コイツを返してやる、取りに来い。
そう思い剣を掲げると、次元の壁を貫いて光が堕ちてきた。
全力で破壊しに来ている。だが、感謝の念が伝わってきて笑った。
灼かれる。焼かれていく。女達が寄り添ってきて、光の中で笑っている。
……佳いものだ。
最期の時に、佳い女達が傍にいる。
本当に、佳いものだ――
光に呑まれて、消えていく。細胞の一片も残さずに。跡形もなく。
最期に、呟いた。
「アイシテル」
たどたどしい片言。馬鹿馬鹿しくて、軽薄で、あんまりにも虚しい。
寒々しい言葉というもので――女達が晒した間抜けな貌が、ほんのりと記憶に刻まれた。
あとがき(反省)
本作は万人受けを狙った作品ではない。というかそんなの狙っても無理。
けど反省点はいくつかある。
北欧神話のテクスチャから出たのは無茶だったな、とか。言葉理解しないはずなのに、叡智得てからどうしても完全無理解を通せなくなってたな、とか。
言い訳はある。原典でもジークフリートの奥様のところにアッティラ来てたしアッティラ居たら出られるやろとか(ブリテン異聞帯見る限りそれも厳しそうな印象はある。汎人類史なら出来なくはなさそうだが)。叡智得ちゃったし話作るのムズいし少しは意訳が通じてもええやろとか。他にも二つぐらい。
やっぱり人気出たの嬉しいからって一発ネタを引っ張るもんじゃない。なんにも考えないでやると破綻してるところが目立つ。オリ主なしで、せっかく蓄えた世界観とか設定とか無視せず真面目にやってみたいなとは思いましたハイ。やるならの話ですが。
本作はここで完結。原作パートはやる可能性はなくもないが、やるにしても今まで通りの高速更新はない。
本命(?)のオリジナル作品に帰ります。