邪竜を殺してからというもの、筋肉の躍動が止まらない。
活力が漲り、丹田から熱が巡り、火照った体は筋肉が唄う国歌に酔い痴れていた。
最高潮に達したテンションに身を任せ、貪っただけのつもりであったが、あの邪竜は最高のタンパク源だったのだと後から理解させられる。筋肉に、だ。
俺の脳は筋肉だ。つまり筋肉が求めるものが俺を動かす。筋肉は邪竜のこってりとした血を求め、心臓の溢れんばかりの瑞々しさを欲し、最高の肉を、脳髄という濃厚なデザートを欲した。
筋肉の求めるタンパク質は喰らうに限る。邪竜はプロテインだったのか? 邪竜を喰ってからは筋繊維の一本一本がより強靭になり、以前より数割増でパワーの出力が上がり、持久力や耐久力も自覚できるほど劇的に向上していた。筋肉のキレに磨きが掛かり、岩石が宝石へと様変わりしたかのようで。心臓に後付けのエンジンを搭載したように馬力が数倍増し。体皮は異常に堅い。
どうやら俺の筋肉はファンタジー認定されたらしい。確かにこんなにも素晴らしい天の恵みは、プロテインと称する他にないのは間違いない。異世界ファンタジーのプロテインの効力は目を瞠るものがある。邪竜が最高級品だというのは分かるし、滅多に手に入らない貴重なものだというのも分かるから、妥協して安いプロテインでも欲しくなるというものだ。
そんなわけで俺の日々のルーチンの中に、モンスターハントが加わるのは自明というものである。
こんな原始時代だとプロテインなんか手に入らない。今までそう諦めていたが、『モンスターを喰えばプロテイン代わりになるのでは』という発想は、まさしく筋肉のブレイクスルーになった。
来る日も来る日もモンスターハントに明け暮れた。全ては俺の筋肉の為である。だが安物は安物でしかない……無いよりはマシだが、俺の大斧という無機物にすら筋肉を与えた
そういえば、俺としては些事なので忘れかけていたが、大斧に筋肉が出来ていた。
邪竜との戦いの末に両刃だったのが片刃になり、残った刃も罅が入っている半壊状態だった。今まで愛用してきただけあって、俺としては珍しいことにほんの少し愛着があった為、鍛冶仕事をしてる奴に直すことを要求しようとしていたわけだが。なんとコイツ、持ち主の俺に似たのかプロテインを吸収していやがった。具体的に言うと邪竜の血が浸透していたのだ。
だからどうした。前の俺ならそう一蹴していたが、
今まで腕で届かん所の奴を殴る為に使っていただけの大斧が、この時やっと俺の武器になった。
――呆れました。ヘルモーズ様の体は半分が竜になっています。
――ね、すっごいよ。血は全部竜血だし、心臓とそれ以外の内臓とか脳も竜になってるじゃん。
――叡智が宿ったはずなのに相変わらず言葉は理解してくれません……。
――理解する気がないだけよ、きっと。
女どもが何事かを囀ってるが理解しない。
俺は今までの経験則で悟ったのだ。
裏切りを誘発する最大の要因は言葉である、と。
言葉があるから人は分かり合う。だが積もりに積もった言葉は誤解を生み、すれ違い、直截な理解を失い、果てに互いに向けあった心を傷つけ消え去る。言葉がなければそれはなくなる。
言葉は便利だ。喋れた方がずっといい。俺の悟った答えは偏見しかないのは自覚しているし、一方的な価値観でしかないが、俺の場合は他人とは違う。俺は喋れなくていい。言葉がなくていい。身振りで伝える努力はしている、相手の意思を理解しようと考えもする。考えが正しいか観察もする。伝わらないなら仕方ないと諦める。伝わったなら――
俺はこれでいい。今のままでいい。俺は俺を理解し、俺が理解した奴だけ傍に置くし、傍に寄る。
言葉があるせいであのバカは疑心暗鬼になった。言葉が足りないせいであの女はシグルドを殺した。言葉が周りにあるせいでシグルドは他人の思惑に絡め取られた。俺は白痴だと思われていい。言葉は要らないと、あのバカが教えてくれた。
俺は強くなった。筋肉が強くなった。なんか老いるのが異様に遅くなった。
半人半竜。十年の時を掛けて、邪竜の遺骸を残さず喰ったら後天的にそんな存在になったらしい。
そのせいでアスラウグの魔剣、シグルドの遺品で殴られるとちょっと痛いと感じるようになったが誤差のレベルだろう。俺の筋肉はファンタジー的相性なんかに後れは取らん。
ハッハ。もはや俺はブッチギリで強くなったぞ。シグルドとブリュンヒルデがコンビできても殺してやれるはず――ああ、いや、なんでもない。忘れる。永遠に確かめられんことなんか忘れた。
そうしてモンスターハントして邪竜プロテインを節約しながら過ごし、遂に完食した頃だ。シグルドのいた国の偉い奴が俺に頭を下げに来た。なんだなんだ何事だ。俺を国に居座る邪竜扱いで、遠巻きにして何もしないでくれと祈ってきてた奴がなんの用だ?
近頃の俺は、ヴァイキングっぽい奴らとか、戦士を荒っぽくしたような奴らに訪ねられ、握手を求められたり崇められたり献上品をもらったりしていたが……蛮族は分かりやすくて好きだし、アイツらを殺せと言われても手は貸さんぞ。握手してやった奴なんか泣いて喜んでたしな。歳食って心の余裕ができたのか、慕ってくる奴はあんまり邪険にする気になれんのだ。
付いてきて欲しい? 身振りで察する。……まあ、暇だしいいか。ハッハ、俺はやはり丸くなった。昔ならウルセェって言って殴り殺していたぞ。良かったな、俺が穏やかになって。
――とか、呑気に思っていたわけだが。
どうやら俺はまだ蛮族だったらしい。蛮族から文明人に進化することが出来ないぐらい、野蛮人の血が骨の髄まで染み込んでいたようだ。
鍛えてる大の大人が、小さいガキの未熟な筋肉と張り合うことはない。それと同じで張り合える相手がいない故に、相対的に穏やかになったように見えていただけのようだ。
それを自覚する。
ついて行ってやった王宮で巡り会った奴を見て――股間が、いきり勃った。
「――マルス?」
褐色の肌の、小柄な女。俺にとっては大概の人間は小柄だが、その女は華奢に見える。
色素の抜けた白髪は俺に似ていない。どちらかというと、ブリュンヒルデのそれに似ている。
女が被っているヴェール越しに目が合った。
全身に鳥肌が立つ。総毛立つ。今まで見たことのない、感じたことのない戦慄――この華奢な女の後ろに、何か途方もなく強大で奇怪で悍しく恐ろしい、白亜の巨人を幻視した。
女は俺を見て目を見開いている。マルス、と呟いた。だが小さく頭を横に振る。
「アレス」
――いいやマルスではない。お前は、アレスに似ている。
女が言ったことが、はっきり理解できた。初対面なのに、だ。
機械のようなのに人間で、人間のようなのに機械のようで。俺の背後で三人娘と小娘が固まり、褐色肌に白髪の女を見詰めている。
マルス? アレス? 誰だそれは知らんぞどうでもいい。俺はそんな名前ではない。
「ヘルモーズ」
名を告げる。ふるふると総身が震え、欲望の矛先を見つけたように犬歯を剥く。
殺したい。戦いたい。コイツは、強い。きっと強い。絶対強い。
戦いたい。殺したい。犯したい。打ち倒し犯し抜き辱め殺してやる。十年ぶりの血の沸騰。心臓が強く脈打ち全身へと熱い血が駆け巡る。
止められない。止まらない。うんざりせず、動揺せず、機械的に対応するように、女は変なカラーリングの剣を抜き放った。
周りが五月蝿い。外野が喚いている。俺を止めようとしている。うるせぇ、知るか。こんな、こんな極上の獲物を前にして、今更止まれる訳ねぇだろう。
「私はアッティラ。フン族の王だ。アレスの如き戦士よ、私に挑むのか?」
女は無感動に――だが俺を通して、憧れの何かを見るような目をして――名を告げる。
アッティラ。アッティラか。覚えたぞ。
だがな。だがなぁ……今すぐ、その不愉快な目をやめろ。
お前は誰を見ていやがる。アレスとかいう奴か? いいやマルスとかいう奴だな。お前の前にいるのはマルスじゃねぇ、俺だ。ヘルモーズだ。あのバカが信じ誇ったヘルモーズという名の俺だ!
俺を見ろ! 見ないならすぐ殺しちまうぞ!
「アッティラァァァアアア!!」
雄叫びを上げて床を蹴り突撃した。予想以上の速さだったのか――それとも雑魚しか相手にしたことがないのか――アッティラは咄嗟に妙な剣を構えて俺の大斧を防ぐのが精一杯だった。
渾身の力で振り抜く。手加減はしなかった。アッティラの姿が掻き消え、壁を貫通して遥か彼方へと吹き飛んでいき、城の外にある山に激突して止まる。悲鳴が聞こえる。外野の悲鳴。
雑音として遮断した。
アッティラを追って穴の空いた壁から飛び出す。一足飛びに山に埋まっていたアッティラまで迫り、一瞬で距離を零にした俺は、咆哮しながら拳を綺麗な面に叩きつけようとした。だが寸前で俺の脚に絡みつく、赤と青と緑の刀身。鞭のように撓ったそれが俺を持ち上げ、無造作に地面へと叩きつけた。ダメージは零。何度も地面に叩きつけられる。全く効かん。
投げ飛ばされた。大斧を地面に突き刺し強引に止まる。
アッティラが辺りの土を蹴散らし山の中から出てきた。こちらも、無傷。俺の一撃を受けていながら堪えた様子がない。歓喜が湧き出て――
「……ヘルモーズか。いい名だ。記憶しよう、お前という
――ヘルモーズと、名を呼ばれた瞬間、狂喜が爆発した。
「アッティラぁ……!」
嗚呼。俺を見たな。俺を呼んだな。いいぞ。それでいい。アッティラ、俺はお前を必ず――
跳んだ。大斧を振りかぶり、全身の筋肉を隆起させ、渾身を超えた全身全霊を込める。出し惜しみはしないし周りも気にしない。何もかも、お前との戦いに比べたら価値がない。
「ヘルモーズ!」
一握りの理性が戻る。アスラウグが叫んでいた。チッ……アイツらも雑魚ではねぇし、巻き込まれて死ぬようなことはないだろうが……一応は余波がそっちにいかねぇように気をつけてやる。
それだけ頭の片隅に置いてアッティラに意識を向け直した。
すまん、待たせた。今からお前しか見ねぇ。だから勘弁してくれ。
「ふふ……ん? 笑った……のか、私は……これは、なんだ……?」
アッティラは微かに相好を崩し、やや困惑して、それを振り払うように三色の剣を構える。
柄を手元に引き寄せ、剣の切っ先が俺を睨んだ。
旋風が起こる。嵐がゆったりと刀身を包む。螺旋の三色光が巻き起こり、フン族の大王は、慣れていないような殺気を滲み出した。
「フォトン・レイ」
神の鞭が見舞う文明を無に帰す破壊の光。突貫する神剣の刺突。正面から受けて立った無双の戦士の体皮を削り微かな血が流れ蒸発する。
真っ向から両手で受け止めながら後退させられる戦士。押し切らんとする神の災い。異名とする大進撃の名が伊達ではないと示す破壊の余波と、直撃を受け掌と全身を削られる戦士は鬩ぎ合う。
雄叫び。無言の気勢。地震が平らにする破滅の光が、遂に浅い裂傷を総身に刻まれながらも戦士が止めた。所詮は皮一枚、すぐに治癒する。今度はこちらの番だとばかりに三色の刀身を握ったまま大斧が振るわれ、あべこべに大進撃を弾き飛ばした。
だが吹き飛んだ大進撃は地面へ綺麗に着地すると跳ね返ったように戦士に襲い掛かり、先程の破滅の光は児戯であったと言わんばかりに数倍する破壊を齎す。抑え込んだ戦士が血を流す。はじめての防御を行いながら反撃の拳が大進撃の額を捉えた。華奢な体が浮く。戦士が地に膝をつく。大進撃は着地した、しかし額から血を流している。戦士の傷の治りが遅い、昔なら死んでいた。
ニィ、と戦士が笑った。会心の笑みだ。
唇を歪めた。大進撃は不慣れながら、不思議な心境をなんとか表現した。
激突する。正面から、小細工抜きで、戦うために戦う。強烈な欲望と幼い闘争心が、筋骨隆々の大男と華奢な女が、一介の戦士と大国の大王が、蛮神の如き野蛮人と機械的な大蛮族の長が。
何度も、何度でも、激突する。
白銀の戦斧が純白の波動を刻み、大地が噴火したように竜の息吹を吹き上げる。歪な軍神の剣が照準を合わせ、異なる次元から軍神の一撃を誘導し衝突させる。全身全霊全力全開。両雄はもはや互いのことしか見ていなかった。後先のことなど考えもしなかった。
「マルス。……アレス。いいや――ヘルモーズ。私と、共に来てくれ!」
日が暮れるまでぶつかり合った末に、満身創痍のアッティラは、まるで幼児がはじめての友達を家に誘うように、来てくれるか不安がるように、手を差し伸べて幼い欲を示した。
「………」
ヘルモーズは何を思ったのか、土手っ腹に空いた風穴がたちどころに修復され、完全に治癒した状態で仁王立ち、嘆息すると小さな手を握り返す。
アッティラの顔が華やいだ。不安がなくなった。気が抜けて崩れ落ちる体をヘルモーズは支える。
一度で終わるのは勿体ない、また戦おう――と思ったのではない。
勝てなかった。が、個人的に負けたとも思わない。
はじめて、引き分けという言葉を認識した。
勝ったのでも負けたのでもないなら、殺せない。犯せない。次は勝てると確信しつつ、相手も勝てると踏んだかなとぼんやり思って。
翌日、ヘルモーズはアッティラに連れられ国を出た。
アッティラ(アルテラ)
ヘルモーズの連れていた三姉妹を妹と認識。アスラウグは姪。
突然襲い掛かられるも、アッティラは見事に応戦して激戦を繰り広げる。
何を思ってかヘルモーズを気に入り国から連れ出した。
ヘルモーズは史実でアッティラの親友、または伴侶と語られる。
ヘルモーズ
性欲の強さは男版キアラ。弾切れになったことは今のところ一度もない。
この世界線における北欧神話の一部「ヴォルスンガ・サガ」が初出。
シグルドの宿敵で、王の仇を討ち行方を晦ませた後、シグルドの死後に再登場。
他には「ウルヴール・サガ」の主役として登場。これはシグルド死後の話。
ヴォルスンガはヴォルスンガ家の物語という意味。シグルドはヴォルスンガ家の人間。
ウルヴールは狼という意味。狼の物語が、狼をシンボルとするヘルモーズの物語。
悪役に焦点を当てた世界的に珍しい神話物語の一つ。
ウルヴール・サガ序盤だとヘルモーズは英雄然とし、邪竜や魔物を数多く討ち取る。
しかし中盤で最悪のやらかしをしでかした。
滞在していた国の王と交渉中だったアッティラに襲い掛かったのだ。
国の王の思惑は、強大な勢力の王にヘルモーズを見せナメられないようにしよう、というもの。
交渉はご破算。アッティラと戦った後、ヘルモーズはアッティラについて国外に出た。
アッティラと共にローマをひどい目に遭わせたりする予定。
なお史実に記されるのは二つの記述。ヘルモーズは「アッティラ唯一の友」となった。
または「伴侶」となった。
歴史家は頭を抱えた。ヘルモーズは女だったのか? アッティラが女だったのか?
はたまたどちらも男で男色家だったのか?
それとも伴侶というのは誤字か何かなのか?
夫婦のように仲がいい親友という意味であってくれ。
なおどちらが女なのか論争で有力なのはアッティラが女というもの。
だってヘルモーズは筋トレの創始者なのだ。
彼の家を訪問したヴァイキングが筋トレを見て学び広めているのが根拠。
なおウルヴール・サガ中盤はここまで。国外に出てしまったので終盤に続く。