仮面ライダーブリランテ   作:マフ30

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ちょっとした設定変更をお伝えします。
ブリランテのライダーキックの名称ですが以下のように変更・修正させていただきました。よろしくお願いします。

シューティングバレットスター→シューティングハープスター


中編 命の使い道

 

 朝が来るのが怖かった。

 あの眩しい光に自分の全てが否定されているような気がして。

 そう感じていたのはいつまでだったろうか?

 

 物心がつく頃にはボクはもう薄汚いドブネズミみたいな人生をこれが普通のことなんだと受け入れて生きていた。

 盗品家業を生業にしている父親らしき男と娼婦もどきの母親の三人家族でろくでもないことで日々の糧を得て、ろくでもない明日へと繋げる毎日。

 クリスマスの夕暮れに同じ年頃の女の子が両親にプレゼントされた可愛いぬいぐるみを抱いて温かな家に帰る裏側でボクは安っぽいナイフを片手に父と共謀で名も知らぬ誰かから財布を脅し奪っていたのが常だった。

 

 誰かからプレゼントされたモノなんて何も無かった。

 名前一つ、与えられやしなかった。

 ただ都合の良い小間使いになるからある程度の歳になるまで生かされていただけ。

 だから、生きるために必要なものは自分の意思で覚え、盗み、奪って手に入れた。

 

 けれど、そんな毎日はある朝、突然に終わりを迎えた。

 父らしき男と酒に酔った母親が些細なことで喧嘩してあばら家同然の我が家は不幸にも火事になり、逃げ遅れた二人はそのまま焼け死んだ。

 驚きはしたが悲しみはそこまでだった。

 むしろ、これからどうやって生きていこうかと不安ばかりが先立つものがあった。

 

 一人ぼっちになってから半年ぐらいは経っただろうか。

 野良猫と残飯を奪い合い、ホームレスの顔見知りの数を増やしながら、どうにかこうにか生きてはきた。だけどやっぱり冬の厳しさは耐え難くて、雨風凌げる場所に身を置ければ十分だと奇特な趣味を持っている殿方専門の娼婦にでもなろうかと思いついた日のことだ。

 

 小汚いままではいけないから、自分を売り込むためにも奮発して着飾ることから始めようと適当な一般人から軍資金を調達すべく、ボクは偶然視界に入ったご婦人に狙いをつけた。

 おばさんとおばあちゃんのちょうど中間ぐらいの見た目をした背の高い人だった。

 やんちゃな子供を装って、高い所に引っ掛かったおもちゃを取って欲しいと適当な理由で人気の少ない路地裏に誘い出し、あとはナイフで脅してお財布を拝借する。

 無害そうな子供(ボク)にだからこそ許された常套手段――のはずだった。

 ボクはナイフをチラつかせる前に蹴り飛ばされて、物の見事に返り討ちにされてしまったのだ。

 

「見え透いた手だね。もっと凝った恐喝を期待していたのに拍子抜けだよ、お嬢ちゃん」

 

 ご婦人は物足りないといった様子で溜息一つ。そして、懐から鈍く光る拳銃を取り出すと何の躊躇も無くボクの眉間に突きつけてきた。

 

「喧嘩と恐喝は相手を選んでおやり。今回の授業料はおまけしといてやるから、とっとと帰りな」

「……帰るところなんて、ない」

 

 いっそこのまま撃ち殺しておくれよと、疲れきった声で言った気がする。

 するとご婦人はしばらくボクの顔をまじまじと見つめてから――。

 

「あんた、名前は?」

「ない。そんなもの、親はくれなかった」

「そうかい。なら、今日からあんたは■■■■■■■さ」

「は?」

「お前さんみたいな逞しい眼をしたやつを野垂れ死にさせたんじゃ世の中が面白くない。ウチにおいで」

「■■■■■■■ってなに?」

「あんたの名前に決まっているだろう? 今日からあんたは生まれ変わるのさ!」

 

 なんという運命の分かれ道。

 こうしてボクはその人――先生が働いている教会の孤児院に引き取られることになったのだ。

 そこでボクはようやく、人間らしく生きていけるようになった。

 あの日、ボクの10歳の誕生日までは。

 

 

 

 

 

「っ……ふわぁ……んん」

 

 柔らかな暗闇の中で目が覚めた。

 何だか随分と懐かしい夢を見ていた気がする。

 枕元にあるラッキーライラック(愛銃)の位置を確認してから、時計に目をやると時刻は真夜中の深夜二時を少し過ぎたところ。

 

「妙な夢を見たおかげで簡単に二度寝できそうにないや……全く、勘弁してよね先生」

 

 ゴロゴロと寝返りを打ってから、ふてくされるように枕に顔を埋めてみるがしばらくしても眠気ではなく虚しさだけがやってくる。

 むくりと身を起こし、慣れ親しんでいるはずの夜の寒さに肩を震わせ、どうしたものかと少しだけ、ほんの少しだけ考えて。

 

「……遊びにいこうか」

 

 

 

 

「ん……くぁー……もう朝か……」

 

 カーテンから差し込んでくる朝陽を感じてユキトは目を覚ました。

 色んな事が起きすぎて昨日は疲労困憊で泥のように惰眠を貪った甲斐もあって体調はすこぶる良い気がする。

 

「うん? んんん!?」

 

 今日も忙しくなるだろう。

 微睡への未練をきっぱりと断ち切って身支度を整えようとベッドから出ようとしたところでユキトは恐るべき違和感に気付いた。自分以外の何かがベッドの中にいる。

 

「くー……すー……」

 

 そこにはユキトの胸板に華奢な体を寄り添わせて規則正しい寝息を立てるキッドがいた。

 悪魔を相手に大立ち回りを演じる勇ましい掃除屋としての姿が嘘のようにあどけない寝顔を頭が真っ白な状態のユキトが見つめていると彼女の瞼もゆっくりと開かれた。

 

「ふあぁ……あ、おはよう」

「ちょっと待て! なんで! ここに! いるんだ!?」

 

 気ままな野良猫のように他人のベッド(それも昨日今日知り合った男の)で寝ているキッドにユキトは驚きが振り切れたのか、それとも彼女という人間に慣れてきたのか思いの外冷静に、されど迫真の剣幕で詰め寄った。

 

「いやぁ、変な時間に目が覚めちゃってねえ。どうにも落ち着かなくて人肌を求めて遊びに来ちゃったよ。お陰さまでよく寝れた」

「こっちは心臓が止まるかと思ったよ!」

「安心しなよ。ユキトの心臓はロックバンドのドラムみたいに元気いっぱいだ。知っているかい? 心音は人間にとって心をすごく穏やかにする音の一つらしいよ」

 

 ユキトの言葉などお構いなしといった様子でキッドは彼の胸元に耳を当てて、心地よさそうにまどろみを堪能している。

 

「一応聞くけど、男女の区別って知ってる!?」

「ごめん、ごめん。掃除屋って基本まだまだ男社会だし、ボクもこんなんだからあんまり女扱いされたこと無くってさ」

 

 なんてことの無い様子で朝の挨拶をするキッドにユキトはもっともな抗議の声を上げた。

 

「あのなあ、いくら強くてベテランの掃除屋かもしれないけどもう少し慎みを持ってくれないと……その、俺も一応は男なんだし」

「そうか、ボクが軽率だったよ。つまりユキトは……ムラムラしたんだね? ボクに?」

「ドキドキはしたよ! いきなり口の中に拳銃を突っ込まれるタイプのドキドキをね! ちょっとそこ座りなキッド、いくらなんでもこの先の君が心配だからあれこれ言わせてもらうけどね!!」

 

 相変わらず掴みどころがなく神妙になったと思えば、軽薄におどけてみせるキッドだったがこれには流石にやりすぎてしまいベッドの上で正座をさせられ母親のような口調のユキトに厳しくお説教を受けることになった。

 

「あーうー……足が痺れてきたぁ。ごめんって、この通り反省したからそろそろ許しておくれよぉ」

「分かってくれたなら、嬉しいよ。キッドの流儀(スタイル)に口出しする気はないけど、君は命の恩人だ。その恩人が自分のことを大事にしていなように見えるのは良い気分しない」

「……そ、そう」

 

 正座による痺れに悶えて、ベッドの上で身を捩じらせているキッドをやれやれと見ながらユキトは我がことのように寂しそうに呟く。本人は無自覚だったのかもしれないがほんの少し前まで妹を持つ兄であった彼には若年ながら荒っぽい世界に身を置くキッドのことを案じずにはいられなかった。

 

「うん? 何か変なこと言ったかな俺?」

「そうじゃないさ。そうじゃないけど、ボクのことをそんな風に心配してくれるような人は久しぶりだったから……その、なんていうか、調子狂うな」

 

 まだ善良な一般市民の価値観を色濃く残すユキトの真摯な言葉にキッドは鳩が豆鉄砲を食らったように驚いた。しばらく呆然としていた彼女は首を傾げるユキトの言葉に対して、なんともいえない照れ臭さがこみ上げてくる。体の芯から広がってくる気恥ずかしさからくる熱をなんとか誤魔化して、彼女は身軽にベッドから降りた。

 

「なにが?」

「なんでも! それよりもしっかり寝て起きたんなら、お次は今日を始める番だ。昨日の約束を果たしてもらうためにほら、出掛けるよ! ユキトも早く着替えて!」

「分かった! 分かったから君はここで脱ぐな!」

「ハハ、ごめんよ。だけど、もう畳んでしまったお店の味を堪能できるなんて心が躍るってものだろう? ブルーヘイブンに暮らしている人たちだって叶わないことなんだからさ」

 

 こうして二人の朝は騒がしく始まった。

 キッドが眼を輝かせる約束とは昨日の夕食後まで遡る。

 ホテルへ帰る道中でユキトが家族と営んでいた食堂の話題となり、その流れからキッドが店で出していた料理を食べてみたいと言い出したのだ。

 最初は渋ってあれこれ理由を並べて断っていたユキトだったのだが彼女の熱意に押されてついには首を縦に振ってしまったという訳だ。

 

「さあ、ユキト準備は出来たかい? ボクは出来ている!」

「いま行くから……って、キッドその恰好どうしたの?」

 

 遊園地へ行く子供のように大はしゃぎなキッドに僅かに遅れること支度を整えて部屋から出てきたユキトは彼女の服装に目を丸くした。

 なにせいまのキッドの格好は白いブラウスに紺のベストとネクタイ、下はチェック柄のスカートと黒タイツとどこから見ても女子学生の制服姿だったからだ。

 

「コスプレ?」

「失敬な。れっきとした本物だよ、どこの学校のものかは知らないけど。そういえば昨日は外套を脱がなかったからユキトが驚くのも無理も無いか……よほどの寒冷地や僻地じゃない限りはいつも下に学生服(これ)着ているんだよね」

「なんでまた?」

「いろいろと便利なのさ。大丈夫、外を歩く時はちゃんと外套を羽織るから胸を張ってボクの隣を歩きたまえ」

「俺が未成年と火遊びしているヤバい奴みたいだろ、その表現だと!?」

「あれ? 違ったっけ?」

「……まあ、似たようなもんか」

 

 わざとらしく小首を傾げてからかうキッドに頭を抱えつつ、どこか楽しげに返す余裕が生まれ始めたユキト。二人は足取り軽やかに玄関のドアを開いた。

 

 

 

 

「ところで捜査の状況はどんな感じ?」

 

 昨夜の間に市内のスーパーマーケットで購入して、ホテルから持ち出した食材が入ったレジ袋を片手に隣を歩くキッドにユキトが尋ねた。

 

「やな感じってとこ。昨日の騒ぎで何かしらの状況変化を期待したつもりだけど……上手くはいかないねえ」

「ブルーヘイブンの一住人としては上級悪魔を退治してもらっただけでも感謝しきれないことだけど難題だな。そういえばキッドのあの姿……SNSとかで騒ぎになってるんじゃないの? 大丈夫?」

 

 浮かない顔でヒラヒラと手を振り空振りのサインを出すキッドにユキトはふと思い浮かんだ懸念を述べた。

 あまりにも突然の悪魔の襲撃だったから無理のない話だが昨日キッドは大勢の人たちがいた往来でブリランテなる仮面の戦士に変身して大立ち回りを演じたのだ。こうして堂々と出歩いては図らずも騒がれてしまわないだろうかと心配するのは当然だった。

 

「みんな命惜しさに大パニックだったから心配ないよ。それに仮に動画や写真を撮ろうだなんて思いつく暇人がいたとしても変身中は特殊な電磁波を出してジャミングしているから無理な話さ」

「なら安心だ。にしても便利なものだね」

「それぐらいのアフターケアぐらいは万全にしておいてもらわないとやってられないよ。他人様の平和を悪魔相手に守らなきゃいけないのに、人間に足を引っ張られたんじゃねえ」

 

 小さな不安の種が取り越し苦労だったことでユキトは密かに安堵した。

 余裕が生まれたおかげか話のついでに彼はふと昨日の戦闘について、気になっていた疑問を投げかける。

 

「素人質問かもだけど、上級悪魔ってあんなにも正々堂々と人前に出現するものなのかい?」

「まさか。大抵は下級と一緒で闇に紛れて悪さをする。昨日のあいつはよっぽどの目立ちたがり屋だったんじゃないの?」

「そうか……いや、俺の気にし過ぎなのかもしれないけどあの悪魔、口振り的に最初からキッドを狙って現れたような感じに思えて。ほら、デモンハートをいくつも持っていることも知っていたみたいだし」

 

 ユキトの言葉にキッドは未だに換金する当てが見つからず、持ち歩きっぱなしのデモンハートのことを思い出し、生返事をした。

 

「悪魔の事情はよく知らないけど、加工前の心臓なら感知するんじゃないの?」

「そういうものなのかい?」

「さあね? ボクら掃除屋にとってデモンハートは臨時報酬になるレアドロップアイテムぐらいの認識だから考えたこともなかったよ」

 

 あっけらかんと答えるキッドの大雑把さにユキトも苦笑いするしかなかった。

 

「あー……確かに組合とか引き取ってくれる施設でもすぐにエネルギーとして使用できるように処理するみたいな話は前にどこかで聞いたことあったかな」

「じゃあ、もしもアビゲイルさんがデモンハートを引き取っていたら、ホワイトスレイズの夜明けに上級悪魔が現れていたかもしれなかった!?」

「ふーむ……可能性はゼロじゃなかったかもだね。まあ、そういう最悪の事態は起きなかったんだから良しとしようじゃないか」

「ああ、そうだな。ところでキッド、年長者として歩きスマホは感心しないと思うんだけど」

 

肝が冷えそうな話をする間もスマホの操作をしていたキッドにユキトは微かに唇を尖らせる。けれど彼女は他の歩行者とぶつかるどころか自分に近づく僅かな音や気配を察知して、段差や背後からくる自転車も難なくかわして歩くのだから質が悪い。まるで額に第三の目がついているのか体内に高性能のレーダーでも積んでいるかのようだ。

 

「おっと、失礼。まあ、なに何事もポジティブにいこう。何かとトラブルの種になりがちなSNSだけど、ここはボクの依頼早期達成へ向けて存分に働いてもらおうじゃないか」

「え? なに? アカウント持っているの?」

「いま作った。ブルーヘイブンで消息を絶った掃除屋の写真をいくつか送ってもらえたから、それをSNSで拡散して情報を募ろうと思ってね」

「幸運を祈るよ。それにしてもここまで情報が無さ過ぎるのもおかしな話だ」

「本当だよ。死体の欠片一つ見つからないなんて……よっぽど口の大きな悪魔が丸呑みしているのかな?」

「それはそれで恐ろしいな。っと、お待たせ……ついたよ」

 

 二人の会話が一区切りしたところでちょうど彼らは目的地に到着した。

 目の前には随分と年季の入った一棟の五階建てのアパートが建っていた。

 ここは家族を喪って以降、実家兼仕事場だった食堂を売り払ったユキトの現在の自宅だ。

 料理を作ろうにもそのためだけにデイリーマンションの類を借りるわけにもいかなかった彼は少々の葛藤を経てキッドをここに招くことにしたのだ。

 

「ようこそ我が家へ。汚くはないと思うけど、面白いものもないからな」

「お邪魔しまー……す」

 

 家主が言い終えるよりも速く、秘密基地でも探検するかのように顔を輝かせて部屋に上がり込んだキッドだったがその機体はあっさりと裏切られた。

 ユキト本人が前振りしていた通りに彼の部屋は殺風景の見本のような簡素なものだった。

 

「ユキト……キミ、ボクに出会う前は随分と精神衛生上よろしくない生活を送ってみたいだね」

「ほっとけ。俺の身の上話を聞いたらこれぐらい予想はついただろう?」

 

 家具は必要最低限。衣服の類は引越しの時のダンボールをそのまま衣装ケースに流用し、趣向品の類はゼロ。精々あるのは掃除屋関連の書籍と厳重に施錠されたロッカーに保管された武器弾薬ぐらいだ。

 

「さっそく作っていくけど、それなりに時間はかかるからな?」

 

 何か言いたそうなキッドを待たずにユキトはそそくさと料理の準備に入っていく。

 

「問題ないさ。寧ろ折角のユキトとご家族の大切な味だ……空っき腹で存分にごちそうになるよ」

「……大丈夫、ブランチには間に合わせるよ」

「そうかい? じゃあ、遠慮なく美味しいものを注文するよ、大将」

 

 正直なところユキトとしては平和で満たされていたかつての日々を思い出してしまうとキッドのお願いには複雑な気持ちだった。彼女への恩や信頼を差し引いても可能ならば拒否したいと。

 だけど、狭いながらもキッチンにフライパンや鍋を準備して、食材を並べてしまったら体に染みついた(スイッチ)が入ってしまう。

 おまけにどこでそんな言い回しを覚えたのか腹を空かしたキッド(お客)の声を聞いてしまったらユキトの心には欝屈とした気持ちはいつしか抜け始めていた。

 

「やるぞ……!」

 

 長らく使っていなかったエプロンを身につけて、ユキトはしっかりと洗った手を強く握り締めた。

 

 

 

 

「ちなみにユキトの店ではどんな料理を出してたの? やっぱり極東料理?」

「まあ、メインはそうだけど洋食とかお客のリクエストに応えて節操なしに色々と作ってたよ。ブルーヘイブンに移住してきたのは爺さんの代で親父も俺も生まれはこっちだし」

 

 外套を脱いで自分のベッドで気ままに寛いでいるキッドの問いに返事をしながら段取り良く調理を進めていく。

 まずは(ライス)だ。

 辛うじて手元に残しておいた圧力鍋のおかげで炊飯は簡単に出来る。

 研いだ米と慎重に計ったミネラルウォーターを鍋に入れて火を点ける。タイマーのセットを忘れずに。

 

「お釜とかいう専用ツールで炊くんじゃないんだね」

「江戸時代じゃないんだから」

 

 ボクの飯盒(メスティン)の出番はなかったか。とちょっと残念そうにぼやいているキッドに愛想笑いをしながら、次の料理に取り掛かろう。

 昨夜、彼女にせがまれてからあれこれと考えてブルーヘイブンの郷土料理とかも考えてはみたがやはり献立はかつての自分の店でよく出していたものにしようと決めていた。つまりは極東料理。それも料亭や三ツ星ホテルで出されるものじゃなくて、ごくありふれた家庭の味路線だ。

 

「先に聞いておくけど、キッドってピクルスって嫌いだったりする?」

「ほどほどに好き」

「ん。ありがとう」

「腐ってないなら、よっぽど嫌いな食べ物はないから安心しておくれ」

 

 そう言ってもらえると心強い。

 今度は漬物だ。

 ぬか床を作ってじっくりと漬け込むというわけにはいかないから、今回は浅漬けでいく。

 ざっくり切ったキュウリとナスを適当な容器に白だしと水を半々で割った液を注ぎ、輪切りにしたトウガラシを少々加えて冷蔵庫で冷やしておく。

 

 お次は汁物だ。

 ブルーヘイブンの立地を考えて海鮮汁とどっちにするか迷ったけど、ここは王道。

 インスタント食品や輸入食材専門店の台頭もあって、ミソ・スープは西洋欧州や北米でも珍味というわけではなくなったけど、丁寧に作った本場の美味しさをキッドに教えてあげたい。

 

 煮干しと乾燥昆布を弱火で少し煮て、出汁を取る。

 未知の――けれど、いい香りが部屋に漂い始めると簡素なベッドに寝転がって料理が出来るのを待っていたキッドもビクッと飛び起きた。まるで新鮮な魚を見つけた猫だ。

 

「すごくおいしそうな匂いがしてきたぞ! そろそろかい、そろそろなのかい!?」

「もうちょっとだから、どっしり構えて待っていてくれよ」

 

 音もなく近づいて来て、脇からにゅっと顔を出して鍋を覗く彼女を宥めてから、味噌汁に入れる具を切っていく。今回は大根とほうれん草だ。大根はしっかりと面取りをして、いちょう切りに、ほうれん草も下茹でを忘れないように済ませて鍋へと投入。

 そして、お待ちかねの味噌の出番だ。

 おたまに掬った塊を菜箸で少しずつ優しく溶かしながら、かき混ぜれば完成だ。

 

「よし、正念場だな」

 

 言いつけ通りにテーブルに座って、とても姿勢良く座っているキッドのためにも可能な限り素早く、それでいて丹念に作らなければと気合を入れる。

 取り掛かるのは本日の主菜と決めた舌平目の煮付けだ。

 食べ盛りの彼女のことを考えるとボリュームのある肉料理の方が喜ぶかなと思ったがやはりブルーヘイブンならば新鮮な海の幸を活かさない手はないとこのチョイス。

 お店のサービスで三枚に卸してもらっているので調理がやりやすい。

 お湯を沸かしたスキレットの火を消してから肉厚の切り身を少し漬け入れて、すぐに上げて、氷水で冷やすことで身を引き締める。

 充分に冷めたらここで残った鱗やぬめりをごしごしと取り除く。

 

「キッドー、生きてる?」

「ひもじいよー、ユキトつまみ食いしちゃダメなのかい?」

「ダメです。あと少し我慢してくれ」

 

 

 よし、彼女の空腹はまだ余裕がありそうだ。

 醤油とみりん、酒と砂糖と水を混ぜた合わせ調味料をスキレットに投入して煮立たせてから、改めてヒラメの切り身を入れる。そこに落とし蓋をして中火で煮込んでいく。

 途中で何度か蓋を開けて、煮汁をスプーンで掬って切り身にまぶしていく。同時に細かく切った生姜の皮を加えて、ぐつぐつと数分煮込めば出来上がりだ。

 

「キッド、洗面所で手を洗っておいで」

「ということは!?」

「お待ちどうさまです、ってね」

 

 

 

 

「おぉ~!!」

 

 テーブルに並べられた和定食にキッドは目を輝かせた。

 煮魚と味噌汁、キュウリの浅漬けと決して若者ウケする献立ではないが好奇心をくすぐる極東料理というフレーズがそれに勝った。

 炊きたての白米はお椀に盛らずにチョップスティックは不慣れであろうキッドのためにおにぎりにしてあるユキトの心遣いがいじらしい。

 

「久しぶりにちゃんと料理をしたわけだけど、半端な仕事はしてないつもりだ。どうぞ、召し上がれ」

「ありがとう! そして、いただきます!」

 

 照れ臭そうに対面に座ったユキトに深く礼をして、キッドは遠慮なく料理にかぶりついた。

 自信が無いわけではないがそれでもやはり喜んでもらえる品を作れたのか心配だったユキトの不安はニヤニヤしながら何度も力強く頷いては料理を食べる手が止らないキッドの姿で杞憂へと変わった。

 

「美味しい! ホントに美味しいよユキト!」

「よかった。安心したよ」

「なんて言えばいいんだろう……どの料理も食べたことのない味付けなんだけど、すごく舌に馴染むって言うか、そう……柔らかくて優しい味で! これを毎日食べることだって出来ていたブルーヘイブンの人たちが羨ましいよ!」

 

 右手に食べかけのおにぎりを、左手には味噌汁の入ったお椀を持ったまま力説するキッド。煮魚と浅漬けは既に綺麗に完食済みだ。

 幻の秘宝を探し当てたトレジャーハンターのように大喜びで自分の作った食事をぱくつくキッドの姿にユキトも久しく忘れていた達成感のようなものを感じていた。

 

「魚ってこんなにプリプリな触感になるんだね! それにこのライスボール! 型もないのにどうやったらこんなにも綺麗な三角形になるんだ!? さてはこれが東洋の神秘!?」

「気に入ってもらえたみたいで良かったよ」

 さっきは謙遜した言い回しをしたが実のところ、ブランクを差し引いても店で出していたモノよりもずっと上等な品を出せたと思っている。

 なにせ、両親と店を切り盛りしていた頃は毎日、たくさんの注文との格闘だった。

 昼飯時なんてまさしく戦場。来る日も来る日も忙しなくコンロの熱気に晒されながら、鍋を振るい続ける毎日だった。

 大変だったけど、あの頃は大好きな時間がいつも流れていた。

 

「俺の方こそ、こんなに喜んでもらえたら……幸せ、だよ」

「ユキト?」

「……なんでもない。いや、本当にありがとう」

 

 ユキトは確かに感じていた。

 自分の作った料理で誰かに喜んでもらえる満足感を。

 家族を悪魔に殺される前に、何度も、毎日だって感じていた何気ない幸せ。

 それを自覚した瞬間に彼の中では心が砕けてしまうような怒号と悲鳴が響くようだった。

 

(なんで、俺一人で……幸せなんて感じているんだ? 俺一人だけであの頃みたいな真似ごとをして、悦に浸ってるんだよ?)

 

 気取られないように、なんとか嘘の表情を取りつくろう裏側でユキトは自分自身に愕然としていた。実家を売り払い、家族を奪われた怒りと悪魔への憎しみを糧にして、掃除屋としてのスタート地点までどうにかこうにか辿りついて、修羅の道を進み出した気でいたのに――いま、自分は幸せだった過去(思い出)に逃げ込んでいた。

 

(なにやっているんだよ俺は……父さんたちの死体を見せられたあの日に、決めたんじゃなかったのか? もう、自分の幸せなんていらないって……俺みたいなのを増やさないために機械みたいに悪魔を退治し続けてやるって……それなのに、どうして)

 

 捨てたつもりだった生業で満足感に喜ぶ自分がいた。

 決別を済ませたはずの過去に縋る自分がいた。

 優しい思い出に溺れている自分がいた。

 あまりにも愚かで浅ましい半端者の自分がいた。

 死んでしまった家族たちを差し置いて、幸福感を感じてしまった。

 父も母も妹も、もう何も感じることが出来ないのに――生き残ってしまった自分だけがのうのうと幸せな気持ちを感じてしまっていた。

 

 こうして、極東料理に舌鼓を打って幸せ一色なキッドの対面でユキトは自責と自虐の念で押し潰されそうな内心でブランチの時間を終えるのだった。

 

 

 

 

 ブランチを終えて、大満足した様子でブルーヘイブンの通りを進むキッドの少し後ろをどこか力なさ気にユキトは歩いていた。

 食事をしている間も残念ながらSNS方面からも事件の謎に繋がる情報は入ってこなかったので二人は昨日出来なかった病院への聞き込みに向かう道中だった。

 

「……あ」

 

 ユキトの借りている安アパートから一番近い診療所へと移動する途中で二人は一軒の空き家の横を通りかかった。立ち入り禁止のテープが張られて、売り地という看板が建てられた飲食店の空き家だ。

 

「どうしたのユキト? まさか」

「ああ、俺の元・実家。そんなに悪くない立地だとは思うんだけど……手放した理由が縁起悪いのかまだ売れないや」

 

 キッドに気を使わせないようにユキトはぎこちなく肩をすくめて軽口を叩いて見せる。誰がどう見ても無理をしていて、辛そうな顔をしているのをユキト自身は気付いていなかった。

 

「なら、ボクが買っちゃおうかな? 自分専用の食堂があるなんてのも結構ロマンある話だろ?」

 

 苦しそうな顔をする彼に、キッドは特に何かすることはしなかった。

 何もしない代わりに、何も変わらずいつもの調子でおどけて返した。

 

「んなぁ!? おい、お前キッドだろ!!」

 

 そんな時だった。

 行き交う人の波の向こう側から粗野な口調の男の声が聞こえた。

 

「やっぱりお前かよ! なんだってこんな所に居やがるんだ!?」

「なぁんだギュスターヴじゃないか。元気してたー?」

 

ズカズカと車道を越え、他の通行人たちを越えて二人の前に駆け寄ってきたのは黒いツナギの作業服を着た荒っぽそうな若い男だ。首にヘッドホンを掛けて、背中まで伸ばした炎のような赤毛を一つに纏めて、腰には二振りのマチェーテを帯びた姿はどことなく荒っぽいサムライを思わせる。

 

「あのキッド……この人は?」

「親愛なる同業者の一人かな? 珍しいところで出会ったねギュスくん」

「馴れ馴れしくヘンテコなあだ名で呼ぶんじゃねえ! こちとらギュスターヴ・コメリーって立派な名前があるんだよ!」

 

 吼えかかる野犬のような口調でキッドに接するギュスターヴという男。この短いやり取りでユキトは何となくだが二人の間柄がどんなものなのか察しがついた。

 

「全く、相変わらず血の気が多いな。ボクはマードッグに頼まれてこの町で相次いでいる掃除屋の失踪事件の調査を頼まれたのさ」

「ハン。そうかい」

「で、ギュスターヴの方はなんでまたこんな遠方に? 自分だけだんまりだなんて、みみっちい真似しないよね?」

「ケッ……ホワイトスレイブだかスレイズの夜明けって慈善団体が羽振りの良い報酬で依頼を出してたからよ、荒稼ぎしにきてやったんだよ。下級悪魔がよく湧いて出てくる北西の工業エリアを警備してくれってな」

「え……あんなところを?」

 

 プライド高い性格なのか、筋は通す性分なのかは定かではないがキッドに指摘されたギュスターヴは渋々ながらブルーヘイブンへの来訪の理由を二人に教えた。

 

「相変わらず年功序列の欠片もねえガキだな。で、オマケみたいにくっついてるそこの奴は何なんだよ?」

「え、俺? 俺はなんていうか……」

「彼は月島ユキト。まだまだ駆け出しだけどボクらの同業者(お仲間)さ。この土地出身なものだからガイドとしてコンビを組んでもらっているんだ。仲良くしてやってくれよ」

「なぁにがコンビだよ。お笑いだぜ」

 

 キッドと居合わせて不機嫌なのを隠そうとしないギュスターヴの興味の対象が自分へと移ったことに戸惑うユキトをフォローするようにキッドは得意げにユキトのことを紹介した。すると少なからずユキトがキッドに振り回されているであろうことを見抜いたギュスターヴは斜に構えて二人のことを鼻で笑う。

 

「何も知らねえド素人を上手いこと騙して抱え込むたぁ随分やり手になったじゃねえか継ぎ接ぎ野郎(パッチワーカー)。気を付けろよ新人。ウッカリしているとコイツに腕なり足なり盗られるぞ」

「は? 騙す?」

「ギュスターヴ、待て――」

 

 唐突な、けれどからかっている様子ではないギュスターヴの言葉にユキトは意味が分からなかった。困惑するユキトに彼は更にキッドについての思いもよらない秘密を喋り始める。

 

「お前を雇ったそこのガキはよぉ、更にガキだった頃に悪魔に襲われて文字通りバラバラにされたそうだ。けど、一緒に殺されたお友達の使える手足(パーツ)をくっつけて一人だけ生き延びたんだとよ」

「……ったく、この単細胞はベラベラと……だから恋人の一人も出来ないんだ」

 

 まるでハンマーで後頭部をいきなり殴られたような衝撃だった。

 驚きの声を上げようにも口を開けないぐらいの衝撃的事実。そして、それが真実だということは帽子で顔を隠して狼狽している彼女本人の反応が無情にも裏付けをしている。

 

「ユキトだったか? だからよ、お前も精々スペアパーツにならないように用心することだな。尤もいまのこのガキにはサイズが合わねえから問題ないか。それよか、適当な娼婦の死体からでけー乳でもくっつけた方が有意義だわな!」

 

 他の通行人など眼中にないような傍若無人な態度でゲラゲラと笑うギュスターヴ。そんな姿にキッドは特に言い返すこともなく呆れた様子で溜息を吐いていた。

 というのもある程度の修羅場を潜り抜けた掃除屋たちにとってはこれぐらいの毒舌と侮蔑の応酬は刺して珍しい光景ではないから。けれど――。

 

「……黙ってくれないか」

「あ?」

 

 ずっと立ち尽くしていたユキトの腕は動いたかと思えば迷うことなくギュスターヴの胸倉を掴んでいた。そして、静かな怒りを宿した眼で彼のことを睨みつけた。

 

「あんたとキッドが不仲なのかどうかは知らないし、口を挟む気もない。だけど、彼女はいまの俺の雇い主で相棒だ。それをバカにされるのは見過ごせない。いますぐにキッドに謝れよ、ニワトリ頭」

「テメエ……!」

 

 見るからに頼りなさそうな男が自分に盾ついてきた。

 それも新人の掃除屋だというのなら礼儀を教えなければいけないとギュスターヴは考えるよりも先に体を動かして自分の胸倉を掴むユキトの手を振り解こうとした。

 しかし、ユキトの手は硬く握り締められてビクともしなかった。

 

「チッ……調子に乗ってんじゃねえぞ! 悪魔一匹殺したことのないような軟な手でよお!」

 

 なのでギュスターヴは行動を切り変えて、容赦なくユキトの顔面を殴りつけた。

 彼は歴戦の掃除屋だ。その拳は並みの成人男性など一発で沈めることが出来る。

 

「……キッドに、謝ってもらえるか?」

 

 ユキトは倒れなかった。

 まるで全身が石になってしまったのかというぐらいに足を踏ん張って、血が滲む口元から見え隠れする歯を砕けそうになるぐらい食いしばって、耐えた。

 

「人を殴るよりも先にやることがアンタにはあるだろう?」

 

 過去に何があろうと自分が知っているキッドは目の前にいるキッドだけだ。

 ならば、ユキトがやることは彼女を信じて、可能な限り支えることだ。

 もう、半端なことはしない。

 つい先ほど、自身の生き方の優柔不断さに愕然として言葉にできない自責の念に駆られていたユキトに対して、ギュスターヴがしたことは悪手に尽きた。

 

「上等じゃねえかこのド新人が……!」

「ユキト、もういい。ありがとう。あとはボクがやる」

 

 頑強な意地を見せて立ち塞がるユキトに苛立ちを爆発させて更に拳を振りかぶるギュスターヴを遮るようにキッドが二人の間に割って入った。

 悪魔と対峙する時のような冷淡で据わった眼差しのキッドは帽子と外套を脱いで下がらせたユキトに預けると臨戦態勢の構えを見せ――いきなり、走り出すとギュスターヴを通り過ぎていく。

 

「ハアッ!? おい、コラ!?」

「キッド!?」

 

 理解不能な彼女の行動にギュスターヴはおろかユキトまでが素っ頓狂な声を上げて驚いた。慌ててキッドの走っていった方向へ視線を向けたところで二人は彼女の意図を察して、一人は絶句し、もう一人は吹き出した。

 

「助けてください! あの作業着の人が急に私たちに怒鳴り込んできて、連れが私を庇って殴られたんです」

「なんだって、本当かい! ちょっと、そこの君のことだね! 両手を上げて壁際に寄りなさい!」

 

 明後日の方向に走り出したキッドが話しかけていたのは青い制服を着た警邏中の警察官だった。殆ど何も間違っていない事実と怯えた様子で助けを求める学生服姿のキッドの要素が加わって警察官の動きは迅速だった。

 

「お前!? そりゃあ、ズルいだろ……だあああ! チクショー!」

「おい! こら、逃げるな!」

 

 掃除屋といえども何をやっても許される特権階級ではない。

 自分を標的に定めて猛然と駆け寄ってくる警察官にギュスターヴは捨て台詞を残して脱兎の如くその場から逃走してしまった。

 その情けない姿を同じく隙をついてユキトを連れて、その場から立ち去って行ったキッドは目尻に涙を溜めながら大爆笑していたという。

 

 

 

 

 ギュスターヴとのひと悶着をやり過ごした二人は静かな住宅エリアの一角にぽつりとある小さな公園で一息ついていた。

 

「殴られたところは平気かい?」

「大丈夫。俺……結構やればできるんだな。知らなかったよ」

「ありがとう、ボクのために怒ってくれて」

 

 ちょっと興奮気味に似合わない冗談を口にするユキトにキッドは殴られた頬を冷やすようにと濡らしたハンカチを手渡した。

 

「あのさ、キッド……さっきの話は本当なのかい?」

「大体はね。ちょっと長くなるけど構わない?」

 

 しばしの沈黙を挟んでユキトの方から切り出した。

 あんな話を聞いてしまって、何も無かったかのように流してしまえば余計に彼女との関係がぎくしゃくしてしまうと深く思案しての決断だった。

 

「小さい頃に親と死に別れて、三年ぐらい孤児院のお世話になってた時期があってね。それまでの生活を考えたら夢みたいな時間だった」

 

 そう口火を切って、キッドは先生によって孤児院に招かれた後の思い出をユキトに話し始めた。裕福ではないけど、衣食住に困らない毎日と厳しくも愛情深く接してくれる宣誓を始めとした大人たち。

 学校には通えなかったけど、孤児院と教会で文字の読み書きから、必要な限りの教育も受けることが出来た。

 何よりも友達が出来た。

 一緒に遊び、時には喧嘩もして笑い合い、悲しみ合い、慰め合い、励まし合い――たくさんの何かを共有できる家族が出来た。

 

「だけどね、十歳の誕生日に孤児院があった街の一帯が悪魔に襲われ。ボクたちを守ろうと先生は真っ先に大きな爪で引き裂かれて、血の雨を浴びながらみんな殺されちゃった」

「キッドは……?」

「自分ではよく覚えていないけど、下級悪魔数匹に襲われて首を残してバラバラになってたんだってさ。右腕と左足は引き裂かれ、左手は食い千切られ、右足は崩れた瓦礫に押し潰されて……おまけに右脇腹からへその辺りまでバッサリと裂けていたんだったかな? 治してもらってから写真見たけど、芋虫みたいになっててさぁ! 流石にトイレで吐いたよ」

 

 遠くを見つめながらあの地獄の日を回顧するキッドの隣でユキトはその状況を想像するだけで堪らず吐き気がこみ上げて口元を押さえていた。

 

「君はどうやって助かったんだ? ギュスターヴの言っていたことが本当だとしても子供がそんな瀕死の重傷を負っていたんじゃ普通は助かるはずがない」

「運が良いのか悪いのか……その状態で買われたんだよ、ボク」

「はい?」

「そんなに有名じゃないけど悪魔の研究をしている団体があってね。結社って名乗ってる人たちが生き残った孤児院の大人からボクのことを買い取ったんだってさ。まあ、分かりやすく言えば実験素材(モルモット)ってやつ?」

 

 孤児院と大人としては神にも祈る気持ちでただキッドのことを助けたい善意だったのだろう。四肢を失い、死にゆくばかりのキッドの身体は結社と呼ばれる団体のあるプロジェクトの被検体として再生手術を受けたという。それが死んでしまった他の孤児院の子供たちの部位から使えるものを選定して、義手や義足の代わりに移植するという当然ながら違法のものだった。

 

「それからは一応結社に育てられたって言ってもいいのかな? 掃除屋になるようにあれこれ仕込まれていまに至るって感じ。どう、信じてくれる?」

「キッドの過去に何があったかは理解できたよ。だけど……俺には一つだけ分からないことがあるよキッド」

 

 簡単に、だけど濃密な昔話をキッドから聞かされたユキトは重い足取りで立ち上がり、彼女の対面へと歩くと項垂れるように膝をつく。彼女と視線を合わせるためだ。キッドと決して目を逸らさずに問わなければいけないことがあった。出来てしまっていた。

 

「なんで……なんでそんな辛い過去を! 君は笑って話せるんだ? 解らないよキッド」

 

 ずっと、ずっと彼女は笑っていた。

 自分の過去を語る間ずっと、懐かしい友人に再会したような安らかな笑顔でいたのだ。

 彼女の心はその肉体が八つ裂きにされた時に一緒に壊れてしまったのだろうか?

 どんなに救いのない答えが待っていようとユキトは確かめなければならなかった。

 彼女の相棒でいる間は半端なことをしてはならないと決めたから。

 

「簡単だよ。ボクはみんなの分まで満ち足りた人生を送らなきゃいけないからさ。いっぱい笑って、いっぱい楽しんで……満足のいく人生をしっかり生きるんだ」

「なんだよ、それ?」

「だってそうだろう? ボクを生かすために手足をくれたみんなはもう死んじゃって、泣くことも笑うことも出来ない。だったらボクが代わりにやらなきゃだろう」

 

 空色の大きな瞳が怖いほど真っ直ぐにユキトを見つめてそう告げた。

 それは願いか、贖罪か、責務か――あるいはその全てか。

 一片の迷いのない声でキッドはユキトの問いにそう答えたのだ。

 

「そういうユキトはどうなんだい? ブランチを食べている途中で酷い顔していたよ。亡くなったご家族に申し訳なくなったのかい?」

「なっ……!」

 

 まだ若く幼い少女が秘めた恐ろしいまでの決意に絶句していたユキトにあべこべに突き刺さった問いかけの切っ先。彼は背筋が凍るような気持ちに陥っていた。

 

「手厳しいことを言うけどね……たぶん、ユキトは掃除屋向いていないよ。料理人さんやっている方がずっと似合っていると思う」

「……うるさい」

「だって、昼前にボクのためにご飯を作っている君の顔はとっても眩しかった」

「……うるさいってば」

 

 それ以上言わないでくれとユキトは無意識に両手で耳を塞いだ。

 薄々自覚していた現実を突きつけられて、漏らす否定の声はとても小さく掠れている。

 嘘でも気休めでもいいから、彼女には良い掃除屋になれると言って欲しかった。

 

「俺には出来ないよ。キッドみたく、そんな風に生きられるほど……強くない」

 

 反抗の怒声一つも返せない惨めな自分を痛感しながら、ぽつりと弱々しい呟きが零れた。

 

「強い弱いの話じゃないと思うよ。やるか、やらないかだ……それにボクだって、いつだって悪戦苦闘の連続さ。現にいまだって依頼達成の糸口が全く見つけられなくてドツボにハマっている」

「だけど、俺にはキッドがすごく強くて輝いて見える。それは誰にでもできることじゃない」

「そりゃそうだとも、そう見えるように必死になって強がっているんだからさ」

「え……」

「気付かなかったのかい? やったね」

 

 弾むような声とは裏腹に苦しそうな瞳がユキトのことを見ていた。

 虚飾という名の仮面を少しだけ外してみせた■■■■■■■(キッド)の素顔はどうしようもなく普通の少女のようだった。

 

「ねえ、ユキト……知っているかい? 笑って楽しく生きていくことって、案外ずっと難しいものなんだぜ?」

「あ……」

 

 過去なんて気にしないで、いまの彼女を信じることばかりでユキトは見落としていた。

 辛く苦しい過去を乗り越えてきたからこそ、いまの眩しく逞しい彼女が在るのだと。

 少なくともユキトは子供の頃から今日明日の食事に困るような日を送ったことはなかった。けれど、彼女は違う。昔話を聞いていたのにそんな初歩的なことになかなか気付けていなかった。

 

「十字架を背負って歩く人間が笑っちゃダメだなんてルールはないはずだ。ボクはそう思って生きている。ユキト、君はどうしたい?」

「キッド……ごめん、俺にはまだ分からない。ただ……ちょっとだけ、自分を許せるようになった気はするよ」

「良かった。いまのユキトにしては上出来だ」

 

 ギュスターヴに同意する気はないが確かに歳の上下やヒエラルキーに縛られないふてぶてしさすら感じるキッドの飄々とした態度に舌を巻きながら、ユキトはその奔放で折れない弾丸のような在り方に心に沈澱していた鬱憤を吹っ飛ばされた心地だった。

 

 

 

 

 夜が深まった北西の工業エリアは廃墟一歩手前な寂れた場所だ。

 かつてはブルーヘイブンでも隆盛を極めていた場所であったが不慮の事故で経営者が亡くなってからは衰退の一途を辿り、いまでは在りし日の面影を感じられるものはない。

 そんな場所なので警備の必要性があるのか甚だ疑問が残るが悪魔が出現するのなら片付けるのが掃除屋の仕事だ。

 

「うらぁあ! こんなものかよ雑魚が!」

 

 二振りのマチェーテが気持ちよく闇夜に羽音を立てて飛び交う下級悪魔を切り裂いていく。その動きは確かな実力と経験が培われた一級の冴えだ。

 ギュスターヴ・コメリーの得物は近接武器に偏っている。それもサムライソードや槍など本格的な武器ではない。マチェーテを筆頭に大型ナイフやハンマー、更にはチェーンや巨大モンキーレンチと本来は工具として用いられるような物が殆どだ。

 

「ホームセンターの売り物で死ぬ気分はどうだ悪魔ども! 嬉しいか!」

 

 ギュスターヴが雄叫びを上げて武器を振るたびに下級悪魔の首が飛ぶか潰れて、亡骸が次々に塵となって霧散していく。

 父を早くに亡くし、母や下の弟妹たちを養うために彼が掃除屋としての装備をホームセンターで調達して倹約に努めていることを知るものは少ない。

 

「今日はムシャクシャしてんだ! 悪いがストレス発散も兼ねて死ねや!」

 

 ギュスターヴは子供が嫌いだ。

 正確には子供らしくない子供が嫌いだ。

 具体的にいうとキッドのようなタイプだ。

 

掃除屋稼業(こんなもん)をガキのうちからバンバンやってたらロクな大人になるかってんだよ。全くムカつくぜ……金はあるんだから、適当な家の養子にでもなってガキはガキらしく学校行けや」

 

 バールの先端で地上に引きずり降ろした悪魔の頭部をハンマーで叩き潰しながら、あの小憎たらしい同業者の顔を思い出して毒づく。

 彼女の実力は認めている。だけど、人柄や生き方を賛同する気にはなれない。

 子供は子供らしく学校に行って勉強に限らず友情や青春といった豊かな経験を学校の教育を通じて培うべきだ。

 遅すぎるということはない。

 母子家庭でささくれた少年時代を学校生活に支えられた実体験で知る彼からしてみたらキッドの生き方は不健全もいいところだ。

 

「クソ! やめだやめだ! なんたって、俺がここまであいつのことを気にかけにゃならんのだ! 稼ぐことに集中しろギュスターヴ! ここでバカ儲けしてチビ共の大学までの学費を一気にゲットだ!」

 

 何度も掃除屋を辞めさせようとパワハラすれすれの荒っぽい接し方をしてもどこ吹く風で受け流す可愛げのない小娘の存在を振り払うとギュスターヴは残った下級悪魔たちの殲滅に集中する。

 

「切り札を使うまでもねえ。楽な仕事だ! もっと来いや!」

 

 彼にとっては容易い仕事だった。

 彼が戦うすぐ傍で汚泥のような漆黒が不気味に地面に広がって泡立ち始めるまでは。

 

 

 

 

「はぁ~……そんなに動き回ったわけでもないのになんだか疲れたな」

 

 ホテルに戻ったキッドは一人ぼやきながら、服を脱ぎ捨てて浴室へと足を運んだ。

 昨日まで一緒にいたユキトは自分のアパートに帰った。

 依頼が片付いてからのことを少し一人で考えたいと。

 

「ふぅー……生き返る」

 

 熱いシャワーを浴びて、大きく伸びをして恍惚とした吐息を漏らす。

 心地の良い熱さのお湯がキッドの肢体を濡らして、疲れを癒していく。

 曇った鏡がぼんやりと生まれたままの姿のキッドを映す。

 お世辞にも胸は豊満ではないが白くすべすべした肌とくびれのある腰に丸みと張りのあるお尻は上等なものだと自負している。

 何よりもしなやかな肢体のあちこちにある縫合傷の跡がキッドという少女の裸体に魔性と形容すべき不思議な色気を醸し出している。

 

「あれで正解だったのかな……ねえ、みんなはどう思う?」

 

 勢い良く流れ落ちる熱い湯に身を委ねたままキッドは昼間の行動を振り返った。

 誠実でお人よしな善い人だからこそ、迷い苦しんでいたユキトの助けに少しでもなればいいと話したくなかった自分の過去を明かして言葉を送ってみたものの、それが吉だったのかは自信がない。

 

「ユキトは優しすぎなんだよ。バケモノって気味悪がられることだって覚悟しておいたつもりだったのに……ホント、調子が狂う」

 

 苦笑しながら、静かに両手の指を動かす。指の次は足の爪先を上げ下げして、生きていることを噛みしめる。友達であり、家族だった大切な人たちから託された手足が自分のものとしてちゃんと繋がっていることに喜びと感謝を抱く。

 

「フフン……バカな男たちはいつだって、お尻もおっぱいもデカければいいだなんて浅はかなことを言う。この宝物(からだ)の良さに気付かない節穴め」

 

 シャワーの水音に負けない意思を込めた強い呟き。

 この身体の秘密を知って、怯えた人がいた。拒絶した人がいた。憤った人がいた。憐れんだ人がいた。そんな身勝手で押しつけがましい視線を全部笑い飛ばして生きてきた。

 

「ユキトはまだボクの裸を綺麗だって思ってくれるかな?」

 

 それでも例外というものはある物だ。

 そんな例外について、らしくないことを言ってしまう日もある。

 

「さて、そろそろバスタブに浸かってのんびりしよ……ッ!?」

 

 艶やかに濡れた黒髪をわしゃわしゃと掻いて簡単に水気を飛ばしていたときだ。

 チクリと刺すような胸騒ぎがキッドに走った。

 

「……ちぇ。今日はなんかツいてないや」

 

 愛しのバスタイムに不本意ながら別れを告げるとキッドは大慌てて服に袖を通してホテルを飛び出した。そして、愛機クイックワンダーを走らせながらユキトに連絡を取る。

 

「もしもしユキト、いま大丈夫!?」

『どうしたんだい?』

「上級悪魔が出たかもしれない」

『なんだって!? どこに!?』

「考えられるのは昼間にギュスターヴが言っていた場所かな? ボクの現在地を送るから近道をナビしてくれないか? 急がないと流石にギュスでも上級相手にソロはキツイ」

『ええ!? あいつのこと助けるの!?』

「まあ、見殺しにするほど恨んでるわけじゃないし、普段悪魔を殺しまくっているんだから助けられる命は助けるに越したことはないさ」

『……わかった!』 

「ありがとう、ユキト。なぁに、アイツは口が悪いけどそこまで嫌な奴じゃないよ」

 

 スマホの向こう側で思わぬ言葉に半信半疑になりながらも自分を信じてサポートの用意をしてくれるユキトにキッドは口元を緩ませて、機嫌よく愛機のスピードを加速させる。

 

『お待たせ! ちょっと入り組んだ曲道も走ってもらうことになるけどイケそうか?』

「問題ないね! クイックワンダーの真髄を見せてあげられないのが残念なぐらいだよ」

『どういうこと?』

「こういうこと! ギャロップモード・オン!」

 

 得意げにコンソールを操作すると唸りを上げてクイックワンダーは大型二輪の形状から鋼鉄の騎馬へと驚きの変形を遂げていく。

 左右のグリップを引っ張って連結することで出来た手綱を引くと搭載されたAIが完全に起動してエンジンが嘶きのようにブルーヘイブンの街に鳴り響く。

 

「さあ! 張り切っていこうか!」

 

 こうしてキッドが手綱を引くクイックワンダーはユキトのナビゲートを受けて、最速最短のルートを突っ走り目的地へと急行した。

 

 

 

 

「ぬうおおおおおおお!?」

 

 暗闇にギュスターヴの絶叫が響いていた。

 下級悪魔を掃討し終わった時に生じた僅かな隙を突かれて地面から伸びてきた謎の触手に捕まった彼は適当に痛めつけられた後にどこかに連れ攫われようとしていたのだ。

 

「は、放せこの……っぎゃああああ!」

 

 懸命に抵抗を続けていると急激に自身をがんじがらめに拘束する触手の締りが強まり、ボキリという痛々しい音が鳴った。ギュスターヴの片腕が折られたのである。

 

「くっそおおおお!」

「見つけた! 間一髪セーフ!」

「な、に!?」

 

 謎の触手は地を這い工業エリアを抜けると鬱蒼と生い茂った雑木林に入り込んでいた。

 ギュスターヴが死を覚悟しかけた時、メタリックブルーの鋼の馬体が軽快なエンジン音と力強い蹄音を轟かせて駆けつけてきた。無論、それは他でもないキッドが操るクイックワンダーだった。

 

「お前なんでこんなところにいるんだ!?」

「ちょっと夜の散歩をね。助けてやるからちょっとジッとしてなよ!」

 

 とんだサプライズゲストの登場に驚くギュスターヴを尻目にキッドは右太腿のホルスターからラッキーライラックを抜くと迷うことなくトリガーを弾いた。

 正確無比な射撃から繰り出される弾丸は的確にギュスターヴを拘束する触手に直撃してその締めつけを緩ませる。

 

「いまだ!」

 

 触手が怯んだ瞬間を見逃さずにキッドは恐れ知らずにクイックワンダーでの体当たりを敢行する。凄まじい衝撃音が鳴り響いて、ついに触手はギュスターヴを手放して林の奥へと逃げていく。

 

「ギュスターヴはそこで休んでな」

「おいちょっと待て、これは俺の仕事だぞ」

「知ってるよ。けど、死んだら君の家族が路頭に迷う……そういうバッドエンドはボクも嫌いだ」

「……くそ、好きにしろ」

「サンキュ♪」

 

 その場に座り込んでこちらの言い分に従う姿勢をみせてくれたギュスターヴに小粋に親指を立てるとキッドは顔つきを引き締めて触手の跡を追った。

 

 

 

 

 ラッキーライラックを両手でしっかりと構えて用心深く進んでいるとありがたいことにターゲットは向こうの方からキッドのことを待ち構えていた。

 

『随分と乱暴者なのね貴女。とっても痛かったわぁ』

「ホント? じゃあ、もっと鉛玉をごちそうしてあげるべきだったね、ごめんよ」

 

 そこにいたのは異様なほどに真っ白で華奢な少女のような人型だった。

 人間に見えるようなだけで断じて本当の少女ではない。

 全裸のように衣服はおろか目も鼻も口もない人型があろうことか僅かに浮遊しているのだ。

 

『貴女の気配、知っているわ。仲間がお世話になったわね』

「それって昨日のカニのこと?」

『本当に不敬なことね……でも、そういう娘が圧倒的な力に屈して泣きじゃくるのを見るのは好きよ?』

「奇遇だね。ボクもそう言うの嫌いじゃないんだ。こんな風にね」

 

【Start up! Heart's Cry!】

 

 上級悪魔を見つけて、仲良く談話に興じるだけのつもりはない。

 可愛らしい悪魔が放つ殺気に負けない戦意を向けながらキッドはハーツドライバーを装着して、シリンダーにブリランテバレットを装填する。

 

「――変身!」

 

 シリンダーを一撫でして叫ぶ。

バックル中央の歯車が回転を始めて燦然な光を生み出し、彼女の姿を仮面の銃士へと変えていく。

 

『準備はOK? お片づけの時間だよ!』

 

 漆黒の夜闇に翡翠色の複眼を輝かせてブリランテは先手必勝とラッキーライラックでの射撃を行う。

 

『あっはっはっは! そんなもの、可愛らしい戯れね』

 

激しい銃声が森の静寂を破り、弾丸が上級悪魔へと突き進んでいくがその全てはターゲットに届くことなく森のあちこちから振るわれた触手に弾かれてしまう。

 相変わらず不気味に浮遊したままの少女型の上級悪魔は指一つ動かしてはいない。伏兵か新手の存在を危惧して、周囲に注意を配るブリランテを今度は真正面から伸びてきた触手が突き飛ばした。

 

『ぐわっ!? なんの!』

 

 強い衝撃に襲われて宙を舞うブリランテは追撃を防ぐために咄嗟にベルトのホルダーに携行してある散弾銃用の閃光弾を放り投げるとハンドガンで射抜いて起動される。

 

『キャッ……眩しっ!?』

『なるほど、そういうトリックか』

 

 目が眩むような強い光が上級悪魔を怯ませる。

 そして、閃光によって晒された本体を視認してブリランテはあたかも周囲に複数の敵がいるような全方位からの攻撃のカラクリを理解した。

 

『あら、バレちゃったかしら? いいわ、冥途の土産に私の高貴な玉体を見る栄誉を貴女に与えてあげるわ』

 

 仮にその姿を見た者がいれば美しさと同居した淫猥な少女の形はいわば疑似餌だった。夜の暗さとカメレオンのように周囲の木々に擬態していたことで気付かなかったその本体はさらに巨大でグロテスクなものだった。

 

『一つ、二つ……貴女、八つも私たちの心臓を持ち歩いているだなんて、すごく欲張りさんね』

『別に好きで持ち歩いているわけじゃ何だけどなぁ。高値で買ってくれるのなら譲ってあげても良いよ?』

 

 少女の頭上に乗せられた大きく膨らんだ王冠のような物体こそが本来の顔であり、肉体だ。気味の悪い大きな一つの目玉がゆっくりと開眼する。更にはそこからウエディングベールのように無数に伸びて蠢くぬめりのある触手たち。

 

『譲られるのは趣味じゃないわね。貴女のことを蹂躙して、玩弄して、遊び尽くした後で気が向いたら奪ってあげるわ!』

 

 ずっと巨大で、ずっと醜い異形を有する上級悪魔オクトパスデモンはその醜悪な見た目に釣り合った悪辣で傲慢な本性を露わにしてブリランテに容赦のない触手の洗礼を浴びせる。

 

『遠慮しておくよ!』

 

 まるで数え切れない大蛇が一声に襲い掛かってくるように迫りくる触手の群れをブリランテは常人離れした早撃ちで迎撃する。

 

しかし、肉厚で弾力性に富むオクトパスデモンの触手はラッキーライラックのパルスビームの弾丸を受けても跳ね返してしまう。ただの銃撃では太刀打ちできないと判断して距離を取ろうと後ろへ飛んだブリランテだったが伸びてくる触手の勢いは想像以上に激しく、かわし切れなかった触手の一本に鞭打たれてしまう。

 

『うっ、あああ!?』

『キャハハ! 意外と可愛らしい声で鳴くのね。もっともっと聞かせなさいな!』

 

 苦悶の声を上げて太くそそり立つ樹木に叩きつけられたブリランテを恍惚とした表情で眺めるオクトパスデモンはサディスティックな情念を燃やして追撃を仕掛ける。

 

『ヤだよ! 悪魔の言いなりになるほど安い奴じゃないんでね!』

 

 仮面の奥で不敵な笑みを浮かべつつ、ブリランテは素早く転がって触手を回避すると精神を研ぎ澄ませて一心不乱にラッキーライラックのトリガーを引き続ける。ただの銃撃で効かないのなら、効く撃ち方をすればいい。彼女の心に迷いはない。

 

『こういうのはどうかな!』

『無駄なことを! え……なに? えぇっ!?』

 

 銃口から絶えず瞬くマズルフラッシュで獲物の居場所を見定めたオクトパスデモンの触手がずるりと粘性の飛沫を散らしながらブリランテへと伸びていく。だが、すぐに我が身の触手に起こった異変にデモンは戸惑う。何かが弾力性に優れた触手を貫いていく感覚が走っていた。

 

『ボクの妙技に溺れてみなよ? こんな風に!』

 

 勝ちな挑発と共にブリランテがダメ押しの一発を発砲すると石柱のようなぶっ太い触手が爆ぜるように千切れた。

 

『イギャアア!? なんで、私の触手が千切れ――!?』

 

 金切り声を上げて痛みに苦しむオクトパスデモンは千切れ飛んだ触手の断面に残った一直線の軌跡を見つけてブリランテが何をしたのか理解して、小癪な人間の高度な技術に思わず絶句した。

 ブリランテはこの暗闇の中で寸分の狂いもなく同じ場所に弾丸を当てて、無理やりに肉厚な触手を貫通させて見せたのだ。

 

『どうだい。クセになるだろう?』

『キィイイイ! 誰がなるかァアアア!』

 

 してやったりとラッキーライラックを洒落た手つきでガンスピンして構え直すブリランテに激昂したオクトパスデモンが執念深く触手を槍のように突き伸ばす。

 一度成功させればコツは掴んだと再度一点突破で発砲するブリランテだったがなんと今度の触手は蕾が花開くように細い五本の触手のように枝分かれして襲ってきた。

 

『ウソッ!? ぬわぁ!? くっ、ぅぅ……!?』

 

 回避が間に合わず触手がブリランテの四肢に絡まり纏わりつく。

 必死にもがいて脱出を試みるが彼女が身を捩れば捩るほどオクトパスデモンの触手はブリランテの肉体に巻きついて締めつけが増していった。

 

『がっ!? うぅ、あ……ああ』

『アッハッハッハ! 無様ねえ……その滑稽で浅ましい姿よく似合っているわよ?』

 

 左足以外の自由を奪われて、足掻き苦しむブリランテをオクトパスデモンは面白がって振り回したり、地面に叩きつけて痛めつける。更には手すきの触手を女性ならば敏感な部分に這わせて上擦った声を強制的に出させて玩具のように弄んだ。

 

『うーん……想像以上に愉快な反応をしてくれるのだけれど、やっぱりその仮面でお顔が見えないのは味気ないわね。どうやれば元に戻るのかしら?』

『くわぁ!? 力づくで剝ぎ取ればいいだろう? それしか芸がないみたいだしね……うぅ!?』

 

 好き放題にいたぶられて疲弊するブリランテだが戦意に陰りはなく、気丈に強がりを吐いて見せる。だが、その態度がオクトパスデモンの不興を買ったのか乱暴に逆さづりのような格好にさせられて高々と持ち上げられてしまう。

 

『気安く喋っていいだなんて誰が許したのかしら? 立場を弁えていないようね。貴女にあるのは隷属か屈服かの二つだけよ』

『ぐあ……あぁ!? ハァ……ハア……くっ、それってどっちも同じ気がするけど?』

『大きく違うわ。貴女が自ら私の奴隷としてその身を委ねるか、私が貴女のあらゆる尊厳を破壊して自分のものにするかのね。どっちがいいかしら? 発言を許可するわ』

 

 全身を触手に這いまわされて宙吊り状態で追い詰められたブリランテ。

 唯一自由な左足をバタつかせて反抗して見せたもののそれだけでは状況は打破できずに苦し気で熱っぽい吐息を漏らして悶える彼女にオクトパスデモンは完全に自分の勝ちを確信した。

 

『なら、一言言っても?』

『よくってよ。その瞬間に言葉通りの幸せを賜ってあげるから』

『そう、じゃあ……リフレクター・オン!』

『――!?』

 

 意味が分からない単語にオクトパスデモンが首を傾げる視線の先でブリランテの左手から放たれた青い光の球が彼女の左足へと届く。次の瞬間にオーバーヘッドキックの要領で蹴りつけられたソレは六角形の障壁へと変化してオクトパスデモンの単眼に飛来するとすさまじい音を立ててぶち当たった。

 

『うぎゃああああああああああああ!?』

『悪趣味なお嬢さんにとっておきのプレゼントをあげようか!』

 

 触手で目玉を押さえながらその場に転げ回って悶え苦しむオクトパスデモンに自由になったブリランテはベルトの背部に携行していた中折れ式の小型散弾銃ヴィクトワールピサを抜いて、青いスラッグ弾を装填すると間髪入れずに発砲した。

 

『ヒッ……なによこれ! いやぁあああああ!?』

『気に入ってくれたかな? 特別製の液体窒素をたっぷりと詰め込んだフロストバレットのお味はさ』

 

 着弾した瞬間にオクトパスデモンの触手の周囲は極寒の冷気に包まれてあっという間に凍結していくではないか。自分の身に起きている現象が理解できずに狼狽えるオクトパスデモンに種明かしをしながら次弾を撃ち出した。

 

 

『やめろ! やめ、ろおおおおおおお!!』

 

 オクトパスデモンの絶叫が響く中で自慢の触手が次々に凍り付いていく。

 けれど、ブリランテの攻勢はまだ勢いを緩めない。

 むしろ、この冷凍弾のフルコースも本命への布石にしか過ぎなかった。

 

『いいや、もっとだ! 実は今日は特別にもう一つ、飛び切りのプレゼントを紹介しようと思ってね』

 

 ブリランテは悟られずに呼び寄せていたクイックワンダーに装備されたリアボックスに収納されたアタッシュケースのようなガジェットを取り出すと手馴れた様子で変形・展開させていく。

 ガジェットはあっという間に青地に黄色と黒のギザギザ模様がペイントされた槍を思わせるロングバレルのライフルへと変わっていた。

 

『紹介するよ。電磁式カスタムライフル・カネヒキリだ……受け取ってくれるよね?』

 

 まるで小粋にステッキを扱う英国紳士のようにくるりと回して角ばったフォルムのライフルを構えたブリランテはゆらりと銃口をオクトパスデモンに定めた。

 

『――食らえ』

 

 ブリランテが引き金を弾いた瞬間に稲妻が吠えて、悪魔を砕いた。

 轟く銃声は雷鳴。銃口からは紫電が薄ら笑いを残し、放たれた弾丸は雷神の加護を受けたが如く音より早く飛び出して凍り付いたオクトパスデモンの触手を纏めて数本ぶち抜き破壊して見せた。

 

『あああああああああああ!?』

『思っていた以上に汚い声を上げるんだねえ。まあいいや……雷の精(カネヒキリ)が奏でる音色でせいぜい踊って見せろよ!』

 

 立て続けに鳴り響く遠雷のような銃声三発。

 砕け散る触手は九を超えていた。

 情け容赦のないライフルによる凄絶な銃撃で頼みの綱の触手の殆どを失ったオクトパスデモンは恥も醜聞も忘れて逃走を開始した。

 

『おっと、誰が帰っていいって言ったんだい? 折角だもんね、一緒に踊ろうよ?』

『く、来るな!? あがっ!?』

 

 しかし、ブリランテがそれを許すはずがない。

 一足飛びでオクトパスデモンの懐まで潜り込むと遠距離射撃の利を捨てることもなんのその、カネヒキリをロッドに見立てて舞踊にも似た動きから繰り出す我流の棒術に足技も加えて打ちのめす。

 

『一つ聞くけど、このブルーヘイブンで何か変なことを企んでるのかい?』

『な、なにを……!?』

『上級悪魔がポンポンと現れるなんて滅多に見ないケースだからさ。お前らは下級みたいに本能のまま暴れるだなんて品のない振る舞いはやらないからね』

 

 カネヒキリの銃身で右に左に容赦なく打ち据えて、呻くオクトパスデモンをラフな勢いで踏みつけるように蹴り倒すとブリランテはそう詰め寄った。

 

『で、どうなの? 君が真犯人? それとも他に仲間か黒幕がいるのかな?』

『……』

『そうか、お答えいただきありがとう。じゃあ、さよならといこう』

 

 ブリランテの追及にオクトパスデモンが返したのは沈黙であった。

 つまり、これで終わりではないことを察したブリランテは冷淡にこの戦いに幕を引く算段に入った。

 

【Boost up! Just a Way!】

 

 せり出したシリンダーに白銀の弾丸を装填して、必殺の一撃を放つ準備を整える。

 電子音声が鳴り響き、ドライバーの歯車の動きが激しさを増すと膨大なエネルギーがブリランテの全身に満ち溢れていく。

 

 

『ボクという弾丸から逃げれるものなら逃げてみな?』

 

 

 オクトパスデモンに終焉を告げると額のホーンアンテナがガシャンと音を鳴らして降下する。複眼の双眸は覆い隠され、ブリランテの仮面は苛烈な騎士のように面構えを一変させる。

 

 

『ハアッ!』

 

 指鉄砲をオクトパスデモンに向けて手首をスナップして、ブリランテは大地を蹴ると空高く跳躍する。錐揉み回転を経てさながらマグナム弾のような強烈な勢いで飛び蹴りを繰り出す。

 

 

『ファイア――!!』

 

 必殺の一撃。シューティングハープスターがオクトパスデモンに炸裂する。

 銃声のような衝突音が夜闇に溶け消えた頃には悪魔の肉体に大きな風穴が出来ていた。

 

 

『いやあぁぁぁぁぁぁぁ!?』

 

 絶望の坩堝に叩き落されたような断末魔を上げてオクトパスデモンは爆発四散した。

 こうして真夜中の戦いは辛くもブリランテの勝利で決着がついた。

 

 

 

 

「せっかくお風呂に入ったのにまぁた汗かいちゃったよ」

「かぁ~……痛てえなチクショー! 終わったのか?」

 

 一瞬ヒヤリとする場面もあった難敵をどうにか退けてキッドが一息ついていると怪我の身を押して様子を見に来たギュスターヴが茂みを踏み越えて姿を見せた。

 

「まあね」

「上級悪魔が出てくるなんて聞いてねえぞあのシスターの姉ちゃん! 違約金分捕ってやる!」

「うわーお手本のような金の亡者だ。いや、ちょっと待てギュスターヴ。君、昨日このブルーヘイブンに上級悪魔が現れたこと知らないで依頼受けたのかい?」

「なんだそりゃ? 初耳だぞ!?」

 

 戦い終わって安心したのも束の間、ギュスターヴとの何気ない会話の中で発覚した不可解な情報と認識の食い違い。不吉な胸騒ぎを覚えているキッドを突如として、何かが空の彼方から急襲した。

 

『GRAAAAAAAA―――!!』

「なぁっ!?」

 

 ミサイルのように突っ込んできた黒い影は大きな口を開いてキッドを咥えるようにして捕らえると再び急上昇。

 あっという間に夜空の闇へと消えていく。

 それは鳥でもなく、翼を持つ下級悪魔でもない。

 流線型のフォルムと左右と背中に特徴的なヒレを持ったそれは紛れもなく鮫だ。

 異様に巨大でおぞましい鮫が空を飛んでキッドを連れ去ったのだ。

 

「おおい! キッドォオオ!?」

「ぐっ……ボクは大丈夫だ! それよりもユキトにこのことを伝えてくれ! それから、信じてるってね!」

 

 キッドの言葉が辛うじてギュスターヴが聞き取った頃には彼女を襲い拉致した謎の鮫は闇の彼方へと追跡が叶わないほどの速度で飛び去ってしまっていた。 

 未だに真意が見えてこない悪意が唐突に、けれど計算深くついに彼女の首筋に牙を食い込み始めていた。

 長い夜が始まった。

 朝の光はまだ遥かに遠い。 

 

 

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