飛べよ個性~異世界転生したら空も飛べるはず~ 作:桜子道 晴幸
『来るか!? 来るぞ! 栄冠は誰の手にぃ!!!』
ゴールテープを越したのは若き星、ライトだった。次いでレジェンドと赤い彗星が順にゴールテープを切った。会場は歓声に包まれ、頭を抱えて吠える者など様々だった。俺は大興奮のままライトの姿を目で追った。しかし、ゴールゲートの真上を通過したライトの様子がおかしかった。なんと、姿勢が崩れ始めたのだ。俺も周りも危ない、そう思った瞬間だった。ライトは姿勢を直しきれずそのまま地面へと落ちてしまった。会場が一斉にどよめき、救助員が急いで近づく。俺も慌ててその近くに駆け寄る。ライトは地面の土煙の中でうつ伏せの状態だった。俺はぞっとしながら見ていることしかできなかった。
『ライト選手大丈夫かっ?!』
解説員も心配そうにライトの安否を窺っている。俺も勝負の行く末と同じくらい固唾を飲んで見守っていると、土煙からグローブを付けた手がグッドサインを出しているのに気が付いた。そう、ライトは生きていたのだ。
「「「おおおおお!!!」」」
会場が再び歓声に包まれ、拍手が巻き起こる。俺もつられて拍手を送ると、救助員に両肩を支えられながら立ち上がるライト少年が出て来た。俺はホッとして胸を撫で下ろす。俺はそんなアクシデントにも屈さない若き空を飛ぼうとした少年に興味が湧き出てしまった。自分が未だ手を着けられていないことに、既に着手しているその先進性を彼は持ち合わせている。これは彼と関係を持つしかない。俺はそう考えていると、それを察したクリスの注意が入る。
「坊ちゃま、先ほどのアクシデントいい、やはり空を飛ぶことは危険かと」
「クリス、俺がこの世界に生を受けて初めて思ったことは何だと思う?」
俺がそう言うとクリスは困った顔をしてしまう。いくらクリスの頼みでも空を飛ぶことを諦めることは出来ない。こればかりは譲れやしない、俺の本能ともいうべき目標であり、夢なのだ。俺が解説員の表彰式の言葉を今かと待っていると、クリスはそんな俺を悲しそうな顔をして見つめていた。そして、そんな不安をかき消すように解説員が表彰式を執り行おうとする。
『先ほどのレースの結果を審議しましたところ、一着はライト選手ではありましたが・・・・・・ゴールゲートを通過していない為、結果は無効となりました。よって、優勝はレジェンド、ウィリアム選手ぅ!!!』
会場は一気に湧きかえり、先ほどまで賭け事をして頭を抱えていた者が歓喜の雄たけびを上げていた。俺はまさかの出来事に脳の処理が追い付いていなかった。あまりの理不尽に俺は口をパクパクとさせてクリスを見ると、クリスは首を振って結果が覆らないことを示唆する。俺は本当の優勝者であるライトを見る。ライトはその場で立ち尽くし、優勝台で賞金とトロフィーを受け取るウィリアムを眺めていた。その顔は表彰台に向けられていたため見ることは叶わないが、俺はライトが悲しんでいるだけの表情であるはずがないことを確信していた。しかし、そんなライトを差し置いて、会場はレジェンドのウィリアムを称える賞賛一色である。俺はあまりの出来事に怒りを堪えきれなかった。
「どうして・・・・・・」
「坊ちゃま、ご理解ください」
クリスの冷たく非情な声音が、俺には我慢できなかった。どうしてこんな理不尽がまかり通ってしまうのだろうか。誰も本当に今の勝負の結果が本当だと信じることができているのだろうか。ライトはどう思っているのだろうか。俺はそればかりが逡巡していた。クリスが優しく俺の背中に手を置いてくれたが、今の俺に同情はいらない。向けるべき焦点は空を飛ぼうとした、勝負をしたライトであるはずなのだ。俺はライトの顔が見たくなった。ライトは今、項垂れているのか。否、彼は上を見つめていた。そこには青く、広い空があり。そこに自由に翼を広げて飛ぶ鳥の姿があった。
「彼には翼が必要だ」
「坊ちゃま?」
俺はクリスの目を見て硬い決意を伝える。クリスにはもう分かっているのだろう。俺のこれから行う行動が。クリスはそんな俺に驚きこそしないが、表情を強張らせて俺を引き留める。それはもうクリスにしては珍しいほどの切実な請願だった。
「いけません坊ちゃま! きっと後悔します! きっと悲しい思いをされます!」
「するかどうかも分からない後悔なんてもうこりごりだ! 悲しい思いなんてしてる暇があれば、俺は挑戦する!」
俺の言葉にクリスはたじろぐ。これまで俺と過ごしてきたからこそ分かる、不退転の決意を前に討つ手を考えあぐねているようだった。だが俺も刹那的な感情でこんな我儘を通そうとしているわけではない。俺は前世では何もしてこなかった。一度の失敗から恐怖し、諦めて後悔したのだ。それがどういうわけか異世界に転生する機会を得た。だからこそ、俺がやりたいことをしない理由は一つとしてないのである。
「俺は空を飛ぶことが俺の、延いてはこの世界の希望になることを確信している。人は決して実現不可能に思える困難を、艱難辛苦を乗り越えて今の繁栄を手に入れて来た。ならば、この世に不可能なんてことはないんだ、ないはずなんだよ」
俺は未来を見ている。それは前世で見て来た航空産業の発展と、空の知識が当時の人類の生活を豊かにしてきた。確かに人は空を飛ぶことを始めたのはたった百年程度だ。だが、百年で人類は空を、宇宙を見て来たのだ。人の弛まぬ努力と、空を飛びたいと言う欲求が人々を空に駆り立てたように、空は平等に人の上に広がっているのだ。大地が分かれようと、大海が隔たろうと、大山が横たわろうと、空だけは万人を繋ぐのだ。三次元の壁を突破した時、人類はどんな景色をみたのか、それを考えるだけで俺は身を焦がし、恋焦がれる少女のように悶えてしまう。俺はクリスにもう一度訴える。
「彼は挑戦した。負け戦だろうと、失敗を喫しようと上を見続けて諦めない。彼は今悲しんでいるだろうか。真に悲しんでいると俺は思えない。既に次の成功に向けて考えているんだ。そこには不可能なんて言葉は絶対にないはずだ。他人がどう思うと勝手だが、不可能を押し付けるな。不可能をたたき売りされたところで、俺のこの情熱の薪にしかならないぞ!」
一気にまくし立てる俺の言葉と言うにはあまりにもな論調に、クリスは翻弄されまくりだった。この世界で空気が当たり前に吸えるように、俺が空を飛ぶ決意も既に当たり前なのだ。議論の余地がないことを悟ったクリスは、屈んで俺に目線を合わせると、憎々し気に自分の素直な気持ちを伝えてくれる。
「メイドの分際で不敬をお許しください・・・・・・私は坊ちゃまには空に関わってほしくありません。それどころか、先ほどの彼の結果の無効に歓喜したほどです」
正直な告白をクリスは堂々としてくれる。それはそれで嬉しいことなのだが、俺にとっては好ましくない思想でもある。この世界のでの一般通説がクリスのような意見であることは理解できるし、空を飛ぶことは嫌悪されるべきことなのだろう。しかしである、ならばどうしてこの世界に俺が呼ばれたのか。あの自称神のおじさんは俺の夢を聞いてこの世界に俺を転生させたのだ。もちろんクリスには意味の分からない話だろうが、俺の夢はこの世界にとって役に立つから送られたのだと、そう俺は認識している。ならば、ならばこそ俺はクリスの心配をも無視しなければならないのだ。
「俺も周りの人間のように、彼を笑えと?」
「い、いえ・・・・・・私はそのようなことは」
「クリスが俺を心配してくれているのは嬉しい。だが・・・・・・俺はみんなが無理だと言うその先に、みんなの笑顔があると知りながらそれをしないのは意地悪だと思う」
ここでライトという空を飛ぶことを夢見る少年を、周囲の人間同様に笑うことができるだろうか。俺は限りなく彼と同じ夢の持ち主だし、応援している。ここで俺が周りに合わせて口を閉ざして手を差し伸べなければ、俺は周りの人間と同罪になってしまう。そんなことができるはずがない。俺はそんな罪を被りたくなんてないのだ。俺はクリスの目を真っ直ぐに見つめ、再度自分の意思の固さを見せる。今までの口論と言い、俺のあまりの頑固さからクリスは完全に固まってしまったようだ。しかし、クリスはついに折れることになる。
「・・・・・・分かり、ました」
「よかった、ありがとう。クリ・・・・・・」
「ただし! 諦めることは許しませんよ?」
にこりとようやく微笑んでくれるクリスの許可に、俺の心は歓喜する。俺はクリスにもう一度感謝を述べると、今しがた控室に向かうライトの下へ駆けていくのだった。それを見送るクリスは駆けていく俺の背中にこう呟いた。
「全ては、あなたの夢のために・・・・・・私は」
最後の言葉はクリス自身にも呟けすらしなかった。風のように夢に向かって走る主の背中は、子どもながらに大きく、そして愛おしかった。
俺は急いでライトの下へ駆け寄る。トボトボと誰もいない歓声の遠ざかる場所へと向かうライトの背中に声が向けられる。突風が吹くような俺の声はライトを振り向かせた。
「空を飛びたいか?!」
俺の言葉を聞き、ライトは振り返る。そこには小さな体を精一杯に上下させて息をする輝きがあった。俺は肩で息をしながらゆっくりとライトに近寄る。ライトは俺の言葉から一歩も動こうとしない。不思議そうな顔をして固まっているのだ。俺は同じ夢を持つ同志に目を輝かせて話しかける。
「もう一度聞く! 空を飛びたいか?」
「・・・・・・あんた誰だよ」
ライトの声を初めて聴いたが、まだ声変わりの途中と言ったあどけなさが残る声音だった。飛行帽にゴーグルを掛けた少年は、俺と言う初対面でズカズカと近寄る不思議な少年に怯えているようだった。だが、俺はそんなこともお構いなしにライトに話の先を促すため自己紹介をする。
「俺はフェルディナンド王国から来たビスマルク。今君のレースを見て感動した者だ。俺も空を飛ぶことを夢見る者だ!」
ライトは俺の言葉に戸惑っているようだった。それもそうだろう。今しがた理不尽な現実に打ちひしがれたばかりの自分に、共感してくれる人物が都合よく現れたら怪しむのも無理はない。だが、人は困難に打ちひしがれた時ほど付け込まれやすいのだ。もちろん俺は悪いことしようとなんてしてないよ。宗教勧誘とかしてないからね。
「フェルディナンド王国・・・・・・夢って、あんた子どもじゃないか」
「子どもでも夢を観ちゃ悪いか?」
「・・・・・・」
俺の歯に衣着せぬ物言いにライトはさらに戸惑っているようだ。会話の主導権は貰ったも同然だ。俺はここが詰場所であると一気に畳みかける、いや俺の興奮具合をライトにぶつけたのだ。
「俺は空を飛びたい。でも、空を飛びたいと言う同志を見たことがなかった。だが、今君を見た。君は空を飛びたいんだろ?」
「僕は・・・・・・」
先ほどのレースで自信を失ってしまったのか、ライトは何かを我慢しているようだった。しかし、先ほどの空を見上げるライトの顔は見なくとも分かる。空を飛びという、この世界では異端な行為に思いを馳せる数少ない同志の俺からすれば痛いほどよくわかってしまうのだ。ライトは諦めてなんかいやしない。ただ、少し躊躇しているだけなのだ。だからこそ、俺は彼と共に歩みたい。ライトの目は俺の一挙手一投足を怯える子どものように見つめていた。
「なるほどね・・・・・・君は、翼はあるのに勇気はないのか」
「っ!?」
「俺には勇気があるが翼はない・・・・・・これって素晴らしいことだとは思わないか?」
にやりと俺は挑発的な笑みを浮かべてライトと見つめ合う。自分より一回り小さな子供に言われているのだ。ライトは手をギュッと握りしめ、口を真一文字に結んでまだ耐えている。俺はこれ以上の挑発は必要ないと、勝ち誇ったように彼に全てを任せることにする。
「俺はあと数週間はこの国にいるよ。もし、君さえよければ一緒に・・・・・・ああ、君に言っても仕方がないか。まあ、俺が空を飛べたら空から笑ってあげるよ」
「くっ!」
俺は振り返りはせずに後ろ手に手を振りライトの下を離れる。臆病者に空は似合わない。あとはライト次第なのだが、これを決めるのは神でなければ実はライトでもない。なぜなら既に俺が決めたからだ。傲慢に見えるだろうけど、空を飛びたい者に傲慢じゃない者なんかいるはずがない。同じ志を持つ者ならこんなチャンスを棒に振るはずがないのだから、答えはとっくに決まっている。俺はそんな悪魔との取引を終えて姿を消そうとすると、後ろから叫び声が聞こえる。
「僕は! 行かないぞ! 行ってやるもんか! 僕は・・・・・・っ!」
そんな台詞聞きたかないね。もちろん来てもらえないとそれはそれで俺が悲しくなるが。それでも彼なりの気持ちが聞けたことは収穫であったと、俺はそのままクリスの下に戻る。外は快晴で、今しがたレース優勝の宴会が始まろうとしていた。歓声の中に埋もれる少年の雄たけびは静かに木霊する。俺だけに聞こえる慟哭は小さく、まだ滑走路に立っただけなのだ。
空を、飛びたいっ!自分の願望を抑えられなくなってきましたね