その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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プロローグ:二対の風神少女

 

 

 何年前の話だろうか。幻想郷の人里でとある噂が立った。

 

 

 吉凶の白い翼を持つ鴉天狗。その鴉天狗に出会うことができたなら、その者は『決められた死を先送りにする』ことができるだろうと。よくある伝承だ。やれ、不老長寿の果実やら不老不死の妙薬やらの話は未だにこの幻想郷では事欠かない。何せ、この幻想郷は妖怪が闊歩している土地なのだ。

 大抵の妖怪から見れば、人間なんてモノは食事の対象。良くて格下の生物。その生き死に関心があるはずもない。そんな存在である妖怪が自分と出会った人間の寿命を伸ばしてくれるなど、おとぎ話も良いところだ。人里で暮らす殆どの人々は、白い鴉天狗の噂など全く信じていなかった。少なくともつい最近までは。

 

 

 

 夕暮れ時のある民家にて。うつらうつら、と家主の老婆が一人で居眠りをしていた頃。

 バサリ、と外から聴こえてきた翼の羽ばたく音に老婆は目を覚ます。ギシギシと軋む床板を踏みしめて何者かが家に入って来る。常人なら盗人の侵入を疑うところだろう。しかしその訪問者の顔を見た老婆は朗らかに笑った。

 

 

「おおっ、おみゃあさんかい。おかげさまで風邪も治ったよ。ありがとうなぁ」

「別に仕事だから助けただけよ。ほら、治ったなら早くお代を渡しなさい」

 

 

 ヒラリと一枚の白い羽が畳に落ちる。

 そこにいたのは妖怪だった。ただの妖怪ではない、幻想郷で最速の称号を誇る空の支配者『鴉天狗』。麻で拵えられた白い法衣に、頭巾(ときん)と呼ばれる多角形の小さな赤い帽子を頭に被る。その背中にはカラスの象徴たる黒い翼―――ではなく真っ白な翼をした少女が不機嫌そうに突っ立っていた。

 

 

「はいはい、お代だよ。そうだ刑香(けいか)ちゃん。ご飯食べて行かないかい? 沢山作り過ぎちゃってねぇ、婆やだけじゃ食べきれんのよ」

 

 

 人里のお金の入った巾着袋を手渡しながら、老婆は天狗の少女にそんな話をする。天狗の少女はピクリ、と眉を動かしたがそれ以外は無表情を決め込んでいる。ほほほ、と老婆が微笑む。

 

 

「じゃあ用意するからそこに座って待っててねぇ。今日は楽しい夕飯になりそうだよ」

「ちょっと、まだ私は食べていくなんて一言も………わかったわよ、世話になるわ。何をすればいいのか指示をちょうだい、手伝うから」

「あれま良い子だねぇ。ウチの孫の嫁に来ないかい?」

 

 

 老婆の戯れ言を聞き流し、鴉天狗の少女――刑香(けいか)は戸棚から出した皿をちゃぶ台に並べる。そして自身も包丁を持って台所に立つのだった。にんまりと微笑む老婆を鬱陶しそうに横目で睨みながら、流れる手捌きで食材を調理していった。

 こうして夕飯にありついた後、刑香は老婆の家を跡にする。立つ鳥後を濁さず、との諺(ことわざ)そのままに茶碗や湯飲みを洗ってから夕闇の中へ白い翼で飛び去っていった。

 

 その姿を老婆が見送った。急速に小さくなっていく白い姿を、目を細めながら見つめていた。

 

 

「今日は素敵な一日だったねえ。刑香ちゃんから貰った『あと一年』、こんな日が続くように有意義に使わないといけないねぇ。冥土の土産はステキな思い出がいっぱいあれば言うことなしさ」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 白桃橋(はくとうばし)刑香(けいか)。

 それが白い翼を持つ鴉天狗の名前。十代中頃に見える背丈に白い山伏の衣装、セミロングに伸ばした髪の毛も雪のような白。そして、つり目が若干鋭い印象を与える少女だった。そんな刑香は白い翼を羽ばたかせ、隼よりも速く幻想郷の夕闇を飛ぶ。雲を切り裂き、風を置き去りにするハイスピード。別に急いで帰る用事があるわけではない、オンボロ小屋に帰ってすることなど掃除か寝るだけだ。それでも刑香はできるだけ速く空を駆ける。何かから逃げるように。その理由は、すぐにやってきた。

 

 

「あやややや、これはこれは刑香。お久しぶりですね、元気にしていましたか?」

 

 

 突然、風に乗って聞こえてきた声。緊張した刑香が振り向くとそこには自分と同じ山伏のような格好をした鴉天狗が飛んでいた。翼は闇夜の漆黒、滑らかな黒髪が風に揺れる。その姿を見た刑香は安心したように胸を撫で下ろす。そして黒い鴉天狗の少女はヒラヒラと手を振って刑香の隣を飛び始めた。規律を重んじる鴉天狗の組織にあってどこか飄々とした態度、刑香にとって心を許せる数少ない天狗であると同時にある意味で油断のならない相手。

 

 

「文(あや)じゃない、何の用? 見ての通りに私は急いでいるんだけど哨戒の途中なら早く任務に戻ったらどうなの?」

「あやや、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。今の私は哨戒任務の途中ですけど、他の天狗はいません。それに私とあなたの仲なんですから少しくらい立ち話をしたってバチは当たりませんよ」

「それなら別にいいけど。山を追放された私なんかと口をきいていたら、あんたも上から睨まれるわよ。そんなに新聞のネタが欲しいの?」

 

 

 それはもう、と懐から取り出したネタ帳を構える姿は特ダネを求める記者そのものだ。この天狗の名前は射命丸(しゃめいまる)文(あや)、自作新聞『文文。新聞』の執筆に魂の一部を懸けているらしい鴉天狗。刑香は逞しい記者魂を見せるかつての同僚に脱力感を覚えた。仕方なく、今日の人里で仕入れた情報を提供することにする。文は細かいところまで言及してくるので正直なところ面倒くさいが、自分を見つけたのが文で良かったとも思う。

 

 他の生真面目な天狗だったら厄介事になっていたかもしれない。

 

 鴉天狗の組織は脱退者や追放された者に対して容赦がない。こんな縄張りの近くを飛行したと知られたら、下手をしなくても袋叩きにされていたかもしれない。刑香の自慢である飛行スピードをもってしても同族の鴉天狗から逃げ切るのは骨だ。特に目の前のブン屋からは逃げ切れる想像自体ができない。

 

 

「とある男が角生えた寺子屋教師に愛の告白をして頭突きされたとか、スキマ妖怪の式神が化け猫をマタタビを餌にして自分の式に勧誘してるだとか、博麗の死にかけ巫女がそろそろ代替わりしそうだとか色々聞いたけど?」

「相変わらず薮蛇っぽいネタが多いですねぇ………。とりあえず一番目のやつを尋ねていいですか?」

「いいわよ、ただし私も人づてだから過信しないでよ。えっとね」

 

 

 刑香はあまり他人と会話することが得意ではない。無愛想だし言葉づかいだって丁寧とはいえない自分と話をしたところで相手が楽しいこともないだろうと考えている。それに幼い頃から仲間内で冷遇されていた立場ゆえ、他人と接すること自体が不得手なのだ。

 

 ではなぜ、射命丸文の質問には答えているのか。

 その答えは簡単で、単に彼女の方が刑香よりも速く飛べるからに違いない。『風を操る程度の能力』。この力のお陰で文はこの幻想郷で最速の存在だ。ただですら韋駄天のごとき速さを誇る鴉天狗に『風を操る力』という補助ブースターが追加されているのだから最早どうしようもない。並の妖怪では視界にすら映らないだろう、それほどの超速度。障害物のない上空で彼女から無事に逃げ切るのは不可能に近い。そして総合的な戦闘力も同族である天狗内にあって文は頭一つ抜けている、彼女は強力な妖怪なのだ。

 

 まさか断ったところで戦闘になることは無いだろうが、元同僚かつ親友でもある文の頼みの一つや二つ聞いてやった方が無難だ。実は真剣に自分の話を聞いてくれる文と話している時間が好き、だとは口が裂けても伝えるつもりはない。

 

 

「―――ところで、相変わらずですね。まだ人里で医者の真似事を続けているんですか?」

「これしか稼ぐ方法がないのよ。妖怪相手に医者の真似事をしても代価を踏み倒されるのがオチよ。代価を払ってくれそうなプライドの高い上級妖怪はそもそも病気になんてならないし。今さらだけど、定期的に給与が払われてた組織のありがたみが身に染みるわ」

「ふーむ、しかし人里で暮らしているわけではないんですね。刑香の『能力』の有用性ならば人間を丸め込むのも楽勝でしょうに」

「うっさいわね。所詮、人間とは持ちつ持たれつの関係よ。だいたい自分たちの村に妖怪がいたら安心なんてできないでしょうが。私とアイツらはねぇ………」

「さっきまでは仲良く食事していたじゃないですか、ほらほら証拠の写真です」

「あっ、ちょっ、いつの間に!」

 

 

 先程の老婆と仲良くちゃぶ台を挟んで食事をする光景、それが写真にしっかりと写っていた。いつの間に撮影したのか、まさかとは思うが最初から後をつけられていたのかもしれない。だからコイツは油断ならないのよっ、と内心で叫びながらほんのりと赤い顔で刑香は文の手から写真を奪おうと手を伸ばす。しかし全て避けられてしまった。更に追いかけ回す刑香を余裕であしらいながら、ニヤニヤと文が笑う。

 

 

「無愛想な表情の一枚ですねえ、食事くらい楽しそうにすればいいでしょうに。おや、頬っぺたに御飯粒ついてますね」

「余計なお世話よっ。それを渡しなさい!」

「おお怖い怖い、鬼さんこちら~」

「ぜえぜえ、ふざけるなぁ………渡しなさいよぉ」

「相変わらず致命的なまでに体力ないですねぇ」

 

 

 数十秒の短い鬼ごっこは文の勝利に終わったようだ。肩で息をしている刑香を文は呆れた様子で『風』を起こして支えてやる。天狗のくせに、この体力の無さは雑魚妖怪並だ。よくもまあ、今まで生き残ってこれたものである。それも刑香の『能力』があったからこそ可能であったわけなのだが。涙目になっている友人に写真を手渡しながら、文は少しだけ真剣な顔で問いかける。

 

 

「あの人間、寿命はどのくらい残されているんですか?」

「ちょうど一年くらいよ。それ以上は『伸ばせない』。もう身体が限界ね、他にも似たような患者は多いけど」

「気に病んではいないようですね。うんうん、安心しました。刑香はすぐに鬱になりますから。はたての奴も心配してましたし、もちろん私も」

「別にあんた達がどう思おうと私には関係ないわよ。………今度、手紙書くからはたてに渡してくれる?」

「あやや、もちろんですよ。ところで私にはないんですか?」

「あんたとは今、話をしてるでしょうが」

 

 

 プイッと顔を背けてしまった刑香を風で支えながら、文はこっそりと苦笑する。素直でない友人が山を追放されてから五年。妖怪からすれば短くも長くもない時間、お互いに相変わらずのようだ。文は天狗としての任務と自作の新聞記者としての仕事をこなし、刑香は普通の医者が治せない病を抱える人間相手の医者をしている。住処こそ離れてしまったが心の距離は変わらない、それはきっと良いことなのだろう。

 

 

 しばらくして二羽の鴉天狗は別々の方向へと羽ばたいていった。

 

 黒い翼は鴉天狗の寝床である妖怪の山へ。

 白い翼はそこではない何処かへ。

 燃える夕日が煌々と明るく二人の翼を照らしていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 さて、物語はここから始まる。

 時は未だ幻想郷に『弾幕ごっこ』なるルールのない時代、弱肉強食とも呼べる時代。紅魔館が移転してきていない時代、永遠亭が夢幻であった時代、守矢神社の二神が外界で信仰集めをしていた時代、先代巫女が現役であった時代。

 

 

 主人公は博麗の巫女ではなく、白黒の魔法使いでもなく、一羽の白い鴉天狗。その容姿から仲間たちに疎まれ、その能力から故郷である妖怪の山を追放され、それでも死にたくない故に生きる妖怪の少女。

 

 『死を遠ざける程度の能力』を持つ吉凶の白い翼。

 

 そんな白桃橋(はくとうばし)刑香(けいか)の物語はここから始まる。

 

 

 

 

 


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