その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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戦闘描写があります。
苦手な方はご注意ください。


第八話:月華の舞踏会

 

 

 ―――もう百年近くになるんですか、この屋敷の門番となってから。

 

 

 夜の帳が降りきった暗闇にて、紅魔館の門番は護るべき門を背にして佇んでいた。腰まで伸ばした見事な赤いストレートヘアに、落ち着いた深緑の華人服、そして同じ色の帽子には『龍』の文字が刻まれたエンブレム。その外見から如何にも大陸出身といった様子の人妖、紅美鈴(メイリン)は襲い来る眠気と戦いながら今夜に来るらしい来客に備えていた。「らしい」というのは一方的に主人が予言しているのであって、別にゲスト側からのアポイントがあったわけではない。主人、レミリアは稀にこういった『運命』の先読みとでもいうべき指示を出してくるのだ。そして大抵の場合、それは信頼に足る。だからこそ、今日は一睡もせずに美鈴は門前にて突っ立っている。

 

 それにしても自分が紅魔館の門番となってからもう少しで百年になる。その節目をまさか異国、いや異世界と表現してもよい場所で迎える羽目になるとは思わなかった。長き生涯、何があるのかわからないものである。美鈴としては愉快痛烈な生き方は嫌いではないので、これはこれで楽しませてもらっている。

 

 

「でもさすがに、一晩ずっと気を張っているのは疲れますねぇ。妖精メイドたちがもう少し使い物になってくれれば居眠りの一つもできるんですけど………望み薄ですよね」

 

 

 そもそも妖精たちは勝手気ままで仕事もお粗末なものだ。掃除はサボる、炊事は気分次第、そのため彼女たちの穴埋めに美鈴が駆り出されることも少なくない。これでは実質的に自分一人で紅魔館のメイド長と門番を兼任しているようなものである。体力自慢の自分とはいえ、よくもこんな忙しい生活を百年近くも続けられたものだと感心する。

 

 

「ふぁぁ、どこかに戦闘とメイド仕事を同時にこなせるメイドさんでも落ちてないですかねぇ。幻想郷に来てから門番としての仕事も増えてるし、このままだと身が持ちませんよ」

 

 

 紅魔館が幻想郷へと移転してから半月。

 主人であるレミリアたちは幻想郷を色々と掻き乱しているらしく、彼女らを討とうとする者が大幅に増えている。ある時は縄張りを追われた妖怪、その次は妖怪退治を生業とする特殊な人間。紅魔館へと攻め込もうとする者は後を絶たない。だが、誰一人としてレミリアに謁見できた者はいない、その全てを美鈴が打ち倒している。ある妖怪は牙を蹴り砕き、人間は腕をへし折ってお引き取り願った。命までは奪わない、その必要もない。自分はあくまでも門番であり、殺し屋とは違うのだから。

 

 

「たまには夜にぐっすり眠りたいなぁ。でも昼間に偵察に来ている妖怪がいたから今夜も手荒な来客があるか。まあ、仕事だからやりますけど」

 

 

 それに勘だが、偵察に飛んでいた妖怪は今までの侵入者とは格が違うような感じがした。姿自体は見えなかったし、妖気を計れたわけでもない。しかし武闘家として鍛えた勘だ、恐らく外れてはいまい。そこそこの強敵出現か、と期待する。格下相手と戦って、命を奪わない程度に手加減するのにも飽き飽きしていたところだ。まあ、もしかすれば自分の手に負えない怪物が現れるかもしれないが、それでも紅美鈴は自分のできることをすればそれでいい。外壁に背を預けていた美鈴は、ゆっくりと一歩踏み出した。

 

 

「出てきてもらえますか?」

「あらまあ、私のスキマの気配を感じ取っていたのかしら?」

 

 

 突然、目の前の空間にできた裂け目。

 不気味な眼が浮かび上がる穴の中は紫色に歪み、外とは異なる気に溢れている。そこから強大な妖力を発する存在が堂々と、しかし同時に貴婦人のように優雅な雰囲気を纏って現れた。どうやら化け物の方が現れたらしい、圧倒的な気配に美鈴が身を硬くする。

 

 

「こんばんは。失礼ですが招待状はおありで? 当方はアポイントのない方の敷地内への立ち入りをお断りしています」

「いやですわ、そんなものを持っている妖怪がこの幻想郷にいるわけがないでしょう? ―――そこをどきなさい、門番」

「慎んでお断りします。侵入者を素通りさせたとなっては門番をクビになっちゃいますから。それに私はお嬢様たちに危害を加えようとする者を、どんな理由があろうとも通すつもりはありません。これは私にとって絶対の誓いです」

「そう、外界からの新参者ふぜいがよく吠えたものね。ならこちらも幻想郷への侵入者には手厳しく対処することにしましょう。来なさい藍、刑香」

 

 

 スキマの妖怪が呼び掛けた瞬間、新たにできた空間の裂け目から二人の妖怪が現れた。二人はそれぞれがスキマ妖怪の左右へと降り立ち、主人を護るように美鈴へと向かい合った。一人は九本の尻尾を持つ狐妖怪、もう一人は真っ白な羽を持つ鳥の妖怪。いずれも今までの相手とは妖怪としての格が違う。これは参ったな、と内心で焦りを覚えた美鈴。すると、白い鳥の妖怪が口を開いた。

 

 

「そのカッコつけた台詞はどうかと思うわよ、まるで私まで紫の式みたいじゃないの」

「そういうな、紫様にも賢者としての体裁があるのだ。特にこういった場面では必要以上に威厳を示すことが重要だからな。ちなみに我々の配置も紫様の考案だ」

「藍~、余計なことを言わないの」

「はっ、申し訳ございません」

 

 

 微妙に空気が緩んだ。如何にも従者然として現れた二人だったが、身構えた美鈴の覚悟に反して何やら軽いやり取りを行っている。この三人の自然体は一体何なんだろう、仮にも敵の本拠地に踏み込む直前にも関わらずコレである。自分の実力を軽視しているわけでもなさそうな様子に美鈴が疑問符を浮かべた。

 

 

「だいたいね、何で不意討ちで門番を倒さないのよ。あんたのスキマなら屋敷内には入れないまでも、背後からあいつを消し炭にする隙くらいは作れたでしょうが」

「無理よ。だってあの中華妖怪が私の気配に反応してたもの。不意を討とうとしたら、逆にこっちの胴体に穴ができたかもしれないわ」

「あんたを貫通できる攻撃ってかなりの大技だと思うけど。溜め無しで放てるものかしら?」

「うふふ、乙女の柔肌だから傷つきやすいのよ」

「霊夢の攻撃でびくともしない肌のどこが柔肌なのよ、どこが」

「白桃橋、その辺りにしておけ。今は敵前だぞ」

 

 

 どんどん緩んでいく空気の中でも美鈴の集中力は高まっていた。それというのも後から現れた二人が要因だ。元々東洋の出身である美鈴は二人の正体を即座に見破っていたからだ、ほどよい緊張を感じて拳に力が入る。身体的特徴から従者たちは九尾の妖狐と鴉天狗に違いない。いずれも一流の妖怪、いや九尾に至っては伝説級の妖怪だ。二人の主らしきスキマ妖怪については種族が不明だが、従者のレベルからしても生易しい相手ではあるまい。中華風の服を着ているが、彼女も大陸出身なのだろうか。

 一対三、状況は不利。そしていつ戦いが始まってもおかしくない。ならば先手必勝あるのみ。美鈴は自身の『能力』を開放する。

 

 

「―――っ! 紫、藍、行きなさいっ!」

「させませんよ!」

 

 

 美鈴の『気』を敏感に感じ取ったらしい鴉天狗の少女が叫ぶ。それを合図に残りの二人が屋敷へと飛んだ。そうはさせじと美鈴は両手に集めた『気』を放つ。

 『気を操る程度の能力』、それが紅美鈴の持つ力だ。循環する気により身体を強化することに始まり、相手の気を読むことによるサーチ、果ては気を収束させての遠距離攻撃まで可能とする応用性の高い能力。

 

 虹色をした『気』の弾丸が二人の妖怪へと追いすがる。かなりの速度で飛んでいるが、それでも気弾の方が速い。すると鴉天狗の少女は翼を広げ美鈴の視界から消えていた。瞬間、周囲に響いた炸裂音。

 

 

「これはまた、厄介そうなスピードですね」

 

 

 鴉天狗の少女は二十を越える弾丸を全て先回りし、錫杖で叩き落としていた。ほぼ同じタイミングで破壊された気弾を察知した美鈴は僅かに驚きの反応を示した。中々の速度だ、レミリアと互角以上の勝負ができるかもしれない。

 

 

「どうやら先にあなたを倒さない限りは侵入者を追いかけることは儘ならないようですね」

「まあそうね。でも私の目的はあんたへの時間稼ぎなのよ、だから私と二人で夜のダンスパーティーとでも洒落込んでみない?」

「あはは、すみません。ダンスは苦手なんです。代わりに舞踊は得意なのでそれで手を打ってくれませんか、白い鴉天狗さん?」

「それは面白そうね、喜んで付き合うわ。ただし私は私らしくやらせてもらうけど。それと、私の名前は刑香よ。あんたの名前は?」

「私の名前は美鈴です。それでは時間も限られていますので刑香さん、いざ」

 

 

 お互いに名乗り合っての尋常の戦い。

 門番としての職務を考えるならば美鈴は一刻も早く二人を追わなければならない。これは幻想郷に来てからの初めての失態なのだ。しかし目の前にいる少女はいままでの木っ端な妖怪とは少しばかり格が違う。下手な隙を見せることは危険だ、と美鈴は判断した。ならばここで確実に潰すべきだ。美鈴は静かに『気』を高めていく。血液のように身体の隅々まで巡らせ、特に眼を重点的に身体能力を強化する。視力を強化したのは、まずはあの速さをどうにかするのが先決だからだ。刑香の翼が風を纏った。

 

 

「行くわよっ!」

「―――おおっ危ない!?」

 

 

 瞬きの間に刑香は美鈴の懐に入り込んでいた。まさに疾風のごとく、鴉天狗の速力は自分の予想を遥かに上回っていた。そのまま刑香から放たれた蹴りを上体を捻って回避する。反撃に移ろうとした時には既に刑香は美鈴の拳の届く範囲から飛び去っていた。「どこに行った?」と視界から消えた刑香を探す。

 

 

「ぐあっ!?」

 

 

 肩を切り裂かれた痛み。それを感じた瞬間、今度は脇腹を錫杖でぶん殴られ宙を舞っていた。その間も刑香は反撃を許さない、白い翼は上空へと離脱する。それを眼で追いながら、美鈴は背中から地面に叩きつけられた。明らかに刑香の速さに自分の身体がついていっていない。ここまで速い妖怪と戦うのは久しぶりで感覚を身体が取り戻せていないのだろう。拳が鈍っている。

 

 

 ―――でも、この眼は彼女を捉えている。

 

 

 不敵な笑みを浮かべる美鈴。

 確かに、今の美鈴は刑香の動きに対処が遅れている。だが美鈴の眼は音速に近い鴉天狗の姿をしっかりと捉えつつあった。ならば大丈夫、充分に勝機はあると美鈴は自分を落ち着かせる。『鴉天狗』は自分にとっては格上の妖怪だ。しかし妖怪としての格の違いを能力と鍛練にて凌駕する。それが紅美鈴の戦い方だ。鴉天狗の生まれ持った速さとて、乗り越えるべき壁の一つでしかない。ゆっくりと起き上がった美鈴に対して、刑香は錫杖を構えて次の攻撃に移ろうとしていた。次は一撃を入れて見せる、と美鈴が呼吸を整える。刑香が地面を蹴った。風を切り裂き、美鈴へと真っ直ぐに飛翔する鴉天狗。普通に対応していたのでは間に合わない。

 

 

 ―――正面、斜め上。今の私が負わされたダメージと錫杖のリーチを考えるなら!

 

 

 美鈴の磨き上げた武闘家としての勘が攻撃の位置を予測する。『気』を感知する能力がその移動の軌跡を頭に流し込んでくる。導かれるように美鈴は拳をその場所に打ち出した。

 ゴギィッ、骨を砕く音が暗闇を震わせた。美鈴の放ったカウンター気味の一撃は完璧なタイミングだった。刑香の攻撃の軌跡も、その速度も全てを見切った上で放たれた最高の一撃。美鈴の瞼には、刑香が血塗れになって地に転がる映像が流れていた。

 しかし―――。

 

 

「―――――!?」

 

 

 美鈴の拳が空を切った。それに驚愕を感じる前に二発、攻撃を受ける。一撃目、激痛が美鈴の右腕を襲った。ぐにゃりと腕が半端な位置から折れ曲がる、骨をへし折られた。二撃目、頭に被っていた龍の紋章がついた帽子が飛ばされた。軽い脳震盪に、ぐらりと傾く身体を気力で奮い立たせる。

 

 

「…………あれ、おかしいな?」

 

 

 「何をされた?」と美鈴は残った左腕で臨戦体制を維持しながら思考を回転させる。しかし答えなど決まっている、攻撃を受けたのだ。それも拳に手応えがないことから、こちらの攻撃は回避されてカウンターにカウンターを合わせられたことになる。だが妙だ、今の自分の攻撃は完全に決まったはずだった。美鈴の拳は、確かに白い鴉天狗の頭蓋を一撃の元に破壊したはずだったのだ。見切られたわけではない、直前までの刑香の行動から推測するに美鈴の動きを察知し反撃できたとは思えない。ならば美鈴の拳は偶然外れた、いや必然的に外されたのだ。油断なく構えを崩さない美鈴に、離れた位置まで引いていた刑香は腕を押さえながら口を開いた。

 

 

「参ったわ、今ので決める予定だったのに。あんた、どんだけ頑丈なのよ。こっちの腕が痺れたわ」

「私の能力は『気』を操って身体強化を行うことが一番得意ですからね。気弾を撃ち出す力、気配を読む力。いずれも自信がありますが、やはり頑丈さはそれ以上の長所です。………あなたの『能力』も厄介そうですね」

「ちょっと、そんな簡単に自分の能力の正体をバラしていいの?」

 

 

 いきなり妖怪にとっての生命線ともいえる『程度の能力』を公開した美鈴に刑香が不思議そうな顔をした。疑問符を浮かべる刑香を美鈴はじっと見つめる。その瞳には先程までの人懐っこい光はない、宿るのは武闘家としての真っ直ぐな眼差しだけだ。しばらく呆けていた刑香だったが、やがて事情を察したようで「お人好しに見えて、結構やり手みたいね」とため息をついた。どうやら思ったより門番は厄介な相手らしい。それは単純な戦闘力のことについてだけとは限らない。ならば仕方ない、とばかりに刑香は解説を始める。

 

 

「『死を遠ざける程度の能力』、それが私の力よ。この能力を使っている間は、私の命に関わるような攻撃は私に当たらなくなる。私に『死』をもたらす攻撃も存在も、私には触れられない。…………普段は人里で医者もどきをしてるけど、本来の使い方はこっちなのよね」

「なるほど、だから私の拳は空を切ったわけですか。納得しました。それにしてもアッサリと教えてくれましたね?」

「あんたが勝手にペラペラと自分の能力を解説して、次はあなたの番だ、みたいな顔をしてるからでしょ。まったく………でも悪いけどこの勝負は私の勝ちよ?」

「いやいや、まだ左腕が残ってます。勝負はこれからです」

 

 

 美鈴が右腕を失った時点で、勝負の流れは刑香へと完全に傾いていた。武闘家たる美鈴が片腕を失ったのだ、戦闘能力を大きく減退させられることは避けられない。只でさえ刑香のスピードに翻弄され、有効な攻撃方法が少なかったというのに片腕になったことで更に選択肢が狭まってしまったのだから。

 

 

「まさか、この程度の負傷で敗北を認めるほど私が弱い妖怪だと思いましたか?」

「………まだ勝利を宣言するような状況じゃないか。謝るわ、さっきの言葉は取り消す」

 

 

 ぐっと残った拳に力を入れ直す。美鈴は諦めていなかった。何故なら、よく目を凝らすと刑香の頬に薄い切り傷がついていたからだ。あれは自分の攻撃がかすっていた証拠だろう。恐らく『死を遠ざける力』も完全な回避性能を持つものではないのだ。ならば希望を紡ぐには充分過ぎる。そしてもう一つ。カウンターにカウンターを合わせるという、必殺のタイミングにも関わらず刑香が美鈴に与えたダメージは右腕一本と軽い脳震盪だけ。

 これがもし美鈴が攻撃側であったならば確実に相手の息の根を止めていただろう。例えその敵がレミリアクラスの怪物だったとしても身体を右腕ごと両断してみせたはずだ。つまり、刑香の攻撃には決定的に『重み』が足りていないのだ。いくら速さで勝られようとも早々に致命的な傷をもらうことはないと美鈴は判断した。ならば、希望どころか勝機も充分にあるはずだ。敵の攻撃を耐え抜いての勝利など、武闘家としての血がたぎるではないか。

 

 

「正直、幻想郷に来てから退屈していたのですが、貴女のような妖怪と出会えて良かった。手加減ばかりしていたら腕が鈍って仕方ない。だから、ここからが本番です」

「強い相手と戦いたいのなら、心当たりを何人か紹介するわよ。どいつもこいつも常識を欠落したみたいな強さだけどね」

「それは楽しみです。でもまずは」

 

 

 まずはこの勝負を制するとしよう。

 美鈴は構えを解いて左腕を身体の前に突き出した、本来なら両腕で行うのだが右腕は折られたので仕方ない。左手の拳を握り胸の前で――この地でいう『合掌』に似た――ポーズを取り、そのまま一礼する。それは美鈴の出身である大陸に伝わる挨拶、対等と認めた相手に行う礼儀の一つ。その意味を察した刑香が錫杖を地面へと突き刺し、空いた両手を合わせて美鈴と同じポーズを取った。刑香は大陸出身というわけではないが、ここは相手の示してくれた敬意に従うべきだ。

 

 

「紅魔館門番、紅美鈴です」

「鴉天狗の白桃橋刑香よ。本当は時間稼ぎだけで良かったんだけどあんたとの戦い、白黒つけるまで付き合ってあげる。ここからは私も全力でいく」

 

 

 再び名乗りを上げた両者。

 先程とは違うのは、目の前の妖怪を全力で持って倒すべき相手と見定めたこと。お互いが好敵手となり得るかは未だにわからない、どちらかはここで力尽きるかもしれない。しかしある程度の敬意を携えて戦うべき敵であることに違いはない。武器と拳を構え直した刑香と美鈴は油断なく相手を見据える。

 雲が去り、赤々とした月から漏れ出た光が静寂な湖畔を鮮血の滲んだような色へと染めていく。二人の妖怪から立ち昇る清廉とした妖気に吹かれて周囲の木々が枝葉を揺らす。時は満ちた、ここからが妖怪の戦いだ。

 

 

「それでは、いざ正々堂々」

「手加減無用の真剣勝負と」

「「いきましょうか!!」」

 

 

 同時に大地を蹴った二人。刑香は翼を広げ上空へと、美鈴は回避された拳を握り締め空へと退避した刑香を撃ち落とさんと気弾を放つ。再び戦いへと臨んだ両者。ここから先に行われるのは単なる命の奪い合いではない。刑香と美鈴、お互いの妖怪としての誇りを賭けた『決闘』が始まった。

 

 そしてまったく同じ頃。大図書館では藍とパチュリーが、紅魔館上空では紫とレミリアがそれぞれ戦闘を開始していた。半月続いた吸血鬼異変は今夜、一気に解決へと動いていくことになる。

 

 

 

 

「キヒヒッ、お姉様たち楽しそう」

 

 

 ギシリと、円満なる月の夜を奈落の底へと傾ける。

 たった一つの狂気を孕んで。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ここは幻想郷の何処か。

 八雲紫のスキマを抜けた先に八雲邸は存在する。そこは幾重もの山々と結界に囲まれた、八雲紫と八雲藍のみが知る僻地。この幻想郷の全てを見下ろす、と豪語している天狗たちにすら見つからない秘境。

 この国に伝わる純建築で造られた外観なれど、屋敷内には八雲紫が世界中から気まぐれに集めた調度品が並べられている。南の果ての民族から貰ったらしい儀式用の長い鼻を持つ木製の仮面、アンデスの山々に伝わる民族衣装、手染めのタペストリー、琴に似た砂漠地帯の弦楽器などなど。全ては単なる趣味である。混沌を好む八雲紫らしい、様々な異国文化が混ざり合い、世界中の大地と風の匂いを感じる不思議な場所。

 

 『幻想郷は全てを受け入れる』、その理念を体現する彼女に相応しい屋敷なのかもしれない。そんな八雲紫の屋敷の居候、幼い巫女は縁側に座っていた。うつらうつら、と霊夢は眠そうに身体を前後へと揺らしていた。すると小さな足音が自分へと向かって来るのを感じて、そちらへ視線を移す。

 

 

「ねむれないんですか、巫女さま?」

「そうね」

 

 

 そこにいたのは小柄な猫の妖怪、橙(ちぇん)。

 フリル付きの赤いワンピース、頭にもこれまたフリル付きの緑色の帽子。彼女は八雲藍の式神、つまり『八雲紫の式の式』という少し特殊な立場の少女である。

 

 

「紫様たちのことが心配なんですか?」

「そうよ」

 

 

 二人のいる縁側の前に広がるのは枯山水の美しい庭園。毎日欠かさずに、藍が描き直す小石と白砂のキャンバスには、今宵は代わりに月光が波打っている。しかし風流な庭へ降り注ぐのは紅い月の光、それが『魔』を表すと言い伝えられているのを霊夢は知っている。嫌な予感がしていた、取り返しのつかない何かが起こりそうな予感に心がざわめく。そんな自分の不安を感じ取ったのか、ピョコピョコと橙の尻尾が振られていた。橙は恥ずかしそうに頬を染める。

 

 

「実は橙もです。紫様や藍様、刑香さんが負けるはずがないとわかっているのに不安で堪らないです」

「それにしては、さっきまで幸せそうな顔して眠ってたじゃない」

「三人を信じているから橙は今日、ぐっすり眠るんです。それで明日、帰ってきた三人に『おはようございます、お疲れさまでした』って言ってあげるんですよ」

 

 

 えっへん、とペタンコの胸を張る橙。彼女は八雲邸に住んでいるわけではない。今日だけは霊夢の話し相手としてここで寝泊まりしている。こう見えて単純な年齢だけなら霊夢より数倍は上なのだから、妖怪はわからないものだ。

 

 

「そう、でも私はこのまま起きているわ。悪い夢を見てしまいそうで寝るのが億劫なの」

「うーん、それなら巫女様。橙と一緒に、おはじきで朝まで遊びましょうよ。夜更かしは藍様に怒られちゃうけど、今日は特別です」

「いや私は…………まあいっか、やりましょう」

 

 

 バラバラと畳の上にばら蒔かれたガラス製のおはじき。以前、藍が計算の練習をさせるために人里で購入したモノだ。初めて主人から貰ったプレゼントということで、橙はそれをとても大切にしている。そんな宝物を出して来てくれたのだ、多少は彼女の心遣いの世話になろう。刑香だって、きっとそうするはずだ。そう思って、霊夢は橙とおはじきに興じることにした。

 

 

「えいっ!」

「あわわっ、巫女様お上手です!」

 

 

 霊夢の人差し指が弾いたおはじきが、別のおはじきを飛ばす。狙い、距離、力加減もバッチリだ。あっという間に二、三個を手中に納める。すると橙も負けじと奮闘するが、やはり人間の遊びでは霊夢の方が上手だ。じわじわと差をつけられていく。

 

 

「むむむ、どうしよう。ここから弾けばいけるかなぁ…………あれ、巫女様。それは刑香さんの羽?」

 

 

 ふと、橙は霊夢が白い羽を大事そうに持っているのに気がついた。お守り代わりに懐へと忍ばせていたのかもしれない。真っ白な羽から感じる微弱な妖力は間違いなく刑香のものだった。霊夢は橙の指摘に嬉しそうに話し出す。

 

 

「うん、貰ったの。この前、刑香の背中に抱きついた時にね、勢い余って翼を掴んじゃったの。その時にプチって」

「む、毟ったんですか。鳥の妖怪は羽にプライドがあるから、そんなことしちゃ駄目なんですよ!」

「仕方ないじゃない、わざとじゃないし。刑香だって謝ったら許してくれたわよ。涙目だったけど」

「泣かしてるじゃないですか」

 

 

 自分の主人か、そのまた主人が同じことをすれば、しばらくは口を利いてもらえない程度には刑香は怒るだろう。そんなことを考える橙を横目に、霊夢は自分の掌の上にある白い羽を見つめていた。この羽を本に挟む栞にしようか、それとも綺麗な石と合わせてアクセサリーにしようか。何に使うかはまだ決めていない。紫に相談すると「たくさん集めて枕」と言われたので、もう少し数を集めるべきかもしれない。再びおはじきに集中し始めた橙を見つめる霊夢に、先ほどまでの胸騒ぎはなくなっていた。なので、ゆっくりと紅い月へと視線をやった時だった。頭の中に、何者かの笑い声が響いたのは。

 

 

『キヒヒッ』

「――――何!?」

「ふぇ、巫女様どうしたんですか?」

 

 

 その瞬間、霊夢の才能の一つである『直感』が最大音量で警告を発していた。突然立ち上がった霊夢に驚いた顔をした橙には答えず、そのまま素足で庭へと降り立った。心臓の音がうるさい。

 

 

「ど、どうしたんですか?」

「…………すごく嫌な予感がする。これは、藍と刑香?」

「っ、巫女様、顔が真っ青です!」

 

 

 慌てふためく橙を手で制して霊夢はお札を取り出した。内側からなら、紫のスキマに干渉できる。ここから結界を繋げて脱出できる。どうせ今回の異変に関して置いてきぼりにされることは読んでいた、だから紫の術を解析しておいたのだ。

 

 

「ちょっと散歩に出かけてくるわ」

 

 

 幼い巫女は縁側から降り、暗闇へと踏み出した。

 

 

 

 


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