その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

11 / 84
戦闘描写があります。
苦手な方はご注意ください。


第九話:世界の全ては少女の掌の中にある

 

 

 月光を浴びて、薄ぼんやりと輝く大図書館。

 ここではパチュリーと小悪魔が藍を迎え撃ち、つい先ほどまで激しい戦いが繰り広げられていた。獄炎が踊り、雷撃が走り、暴風が吹き荒れる。たった二人の戦いはまるで近代兵器の入り乱れる戦争のごとく、徹底的に辺り一面を破壊していた。図書館の本棚には自動再生の魔法を掛けてあるので暴れても問題はないとはいえ、あまりにも容赦がない。

 その戦場で、戦いの余波にて発生した埃まみれの空気を吸い込んだ図書館の主、パチュリーが苦しそうに咳き込んでいた。そんな彼女を助手である小悪魔が涙目で介抱している。

 

 

「げほっげほっ、さすがに限界、かも」

「ぱ、パチュリー様ぁ………」

 

 

 パチュリーの誇る七曜の魔法の威力は絶大だった。それは並の妖怪であるならば即座に蒸発、上級妖怪であっても一分と持たずに四肢を失わせるほど圧倒的なもの。どんな敵であったとしてもパチュリーならば最悪、火力に任せて焼き払うこともできたはずだ。流石はレミリア・スカーレットの親友といえるだろう。しかし今回ばかりは相手が悪かった。

 

 

「魔法使いにしては大したものだ、まさに人の身のままでは辿り着けぬ極致といったところだな。加えて東洋魔術を組み込んだ西洋術式にはこちらの想定を超えて苦戦させられた。…………だがここまでだ、もう私には通用しない」

「ごほごほっ………何でこんなのがスキマ妖怪とやらの式神をやっているのかしらね。それこそ国を滅ぼすレベルの化物じゃない」

「は、反則ですよぅ。こんな化け狐なんて………!」

 

 

 大魔法使いに対するは、七色の中にあって最も聡明ともいわれる『藍』をその名に与えられた九尾の妖狐。幻想郷の守護者たる八雲紫が使役する唯一無二の式、八雲藍。

 その扱う妖術はまさに複雑怪奇に過ぎた。呪術、妖術を初めとする東洋世界に伝わる魔法の大半に精通した藍。彼女により構築された術式はパチュリーのほぼ全ての魔法攻撃を押さえ込んでいた。術の速度、出力、どちらにおいても藍はパチュリーを上回っている。その証拠に藍は服の所々に血が滲む程度のダメージを受けてはいるものの、いずれの傷も戦闘続行に差し障りはない。

 

 一方のパチュリーも消費した魔力自体は多くない、そのため戦闘続行は可能に見えた。しかし先月の屋敷丸ごとの転移や、外にあるスキマ妖怪対策の結界維持のせいで蓄積された疲労が大きい。ただですら病弱なパチェリーの体調は最初からベッド直行の一歩手前まで悪化していた。気を抜けば今にもぶっ倒れそうだ。レミリアと違って、今夜はパチュリーにとって最悪のタイミングだったのだ。

 

 

「美鈴さんは何をやってるんですかぁ! パチュリー様はもう限界です、リミットブレイクですっ。ヘルプミーー!!」

「ずいぶんと賑やかな使い魔だな」

 

 

 小悪魔が悲鳴に似た声で門番に助けを求める。しかし距離の離れた図書館からでは、その嘆願は物理的に届かない。第一、今の美鈴に他人を助ける余裕はない。彼女は刑香との真剣勝負の真っ最中なのだから。

 

 

「こ、こうなったら私が相手です!」

「ほう、お前が私と戦うのか?」

 

 

 小さな黒翼を目一杯広げて小悪魔がパチュリーと藍の間に立ち塞がる。叶わぬと知りながら自分の主を震える身体で庇っている様子に、藍は式として共感を覚えていた。東洋も西洋も主人と従者の絆に違いはないようだと。しかし、だからといって戦いに情けは不要。藍は二人の意識を奪ってから拘束しようと考え、妖術を唱えながら近づいていく。カツコツと、藍の靴音が響く。

 

 

「どうした、来ないのか?」

「ち、チャンスを探っているだけです!」

 

 

 一歩一歩と進む藍に合わせて小悪魔は後退りを繰り返す、勝ち目なんてあるはずがない。主人が敵わない相手に、どうして雑用係の使い魔たる己が勝てるというのか。それでも小悪魔はこぼれ落ちそうになる涙を何とか耐えていた。全ては主であるパチュリーを信じているからだ、もう少しで『逆転の布石』が完成するはずなのだ。小悪魔の影で古びた魔導書を開き、消え去りそうな声で呪文を唱えるパチュリーのためにここは耐える。

 

 そして手を伸ばせば小悪魔の顔に触れることのできる距離にまで藍が接近した瞬間、遂にそれは完成した。藍の歩みが強制的に止められる。

 

 

「むっ、これは?」

「貴女の見立ての通り、私は東洋魔術にも精通しているの。そしてここは世界中の魔導書が集積された大図書館、私はその主。ならば、あなたみたいな妖獣に対抗する手段の一つや二つは思いつくわ!」

「なるほど陰陽道の呪術結界か。確かにこれは私とは相性が悪いな、身体が思うように動かない」

 

 

 藍を囲むように呪術札の結界が足元へと出現していた。丁寧に編み上げた呪術結界が青い光を放ちながら藍の動きを封じ込める。鎖のように藍の身体へと巻き付く封印札たち。これは東洋妖怪との戦いを意識して用意しておいた封印術、パチュリー自身の評価もまずまずの逸品だ。しかし、強力な呪詛が渦巻く中でも涼しい顔をしている藍にパチュリーが舌打ちをする。

 

 

「くっ、封じ切れない!?」

「生憎、この手の陰陽術は受け慣れているのでな。長く捕まっているつもりはない」

 

 

 呪術札が見る見るうちに黒ずんでいき、結界は悲鳴のような軋みを上げていく。霊夢の巫女修行を担当している藍にとって、この類いの封印術は見慣れたものだ。千年以上前に散々、腕利きの陰陽師と戦った経験もある。おまけに藍の妖力はパチュリーの想定より高すぎた。大した密度の術式ではあるのが、この程度では大妖怪たる藍を封じることはできない。それでも自分の動きを一時的にでも妨害したパチュリーに藍は心のなかで称賛を送った。大した奴だ、と。

 

 

「このぉっ! パチュリー様直伝の魔法を喰らえっ、ロイヤルフレアーー!」

「む?」

 

 

 小悪魔の両手から眩い炎が溢れ出す。こうなれば破れかぶれだと、パチュリーが扱う魔法とは威力が随分と下がるソレを藍へ向けて小悪魔は放った。妖精程度なら焼き払える程度の威力であるソレは、残念なことに藍に命中したところで大したダメージはないだろう、その程度の威力だ。

 しかしどうにも『あの娘』は心配性のようだ。やれやれと、藍は動けないながらも器用に肩を竦める。その耳には翼の羽ばたきが聴こえていた。

 

 藍の頭上を白い翼が駆け抜けた。そして白い鴉天狗は瞬く間に藍を護るように立ち塞がると、小悪魔の放った炎を手に持っていた錫杖で叩き落とす。小さな炎は簡単に薙ぎ払われて鎮火してしまった。やはり当たったところで大した威力はなかったようだ。そうこうしている内に結界を完全に解除した藍へと、刑香が振り返った。

 

 

「一応聞くけど、もしかしてピンチだった?」

「とりあえず感謝はしておくが、あの程度の炎で私が手傷を負うわけがないだろう。それよりも随分と合流が早いな、あの門番との戦いは時間稼ぎで良いはずだったんだが」

「もちろん最初はそのつもりだったんだけど、色々あってね。お互いに本気で戦うことになったの」

 

 

 美鈴との勝負を制してきた刑香は、河童製の錫杖を肩に担いで藍へと振り向いた。その姿に藍は僅かに驚く、刑香は頬にかすり傷を負っているだけではなかった。まずは、その両足から天狗のトレードマークの一つである一本歯下駄が無くなっていた。そして血の匂いが漂っている、その原因を見つけた藍が顔をしかめた。どうやら、美鈴との戦いは決して楽な決着を迎えなかったようだ。

 

 

「何よ、そんなに非難するような目付きをしなくていいじゃない。別にこれくらいなら一週間もあれば治るわ」

「日数の問題ではないだろう、白桃橋。やはりお前は無茶をする天狗だな」

 

 

 ひょこひょこと器用に右足だけでバランスを取っている刑香。その左足は流れ出す血で真っ赤に染まっていた。何とか美鈴との戦いには勝ったようだが、これは浅い傷ではないだろう。骨を折られたのか、肉を抉られたのかは不明だがとても痛々しい。一切の無駄がなく、しなやかで白磁のようだった足はボロボロになっていた。後にこれを見ることになる霊夢の悲しむ顔が藍の頭に浮かぶ。

 

 

「大方、門番の誘いに乗って『決闘』形式での戦いに応じたのだろう? 全力で戦うことがお前なりの相手への敬意の表し方だと私は知っている。しかし、あまり無茶はしてくれるな」

「私の身体のことは私が一番良く把握してるから大丈夫よ。こんな程度では死なないわ」

「なるほどな。…………なら、これより私と共に異変の首謀者のところへ行こう。異変の主と戦っている紫様に我々が加勢すれば敵は降伏するしかない、それで異変は終結だ。その後で、その足は医者に診てもらうんだぞ」

「あんたは私の保護者か。それで、その二人はどうするの?」

 

 

 刑香が振り向いた先には観念した様子の魔法使いと青い顔の小悪魔。

 小悪魔は自分のとっておきが刑香に防がれた時点でパチュリーの元へ逃げ帰っていた。パチュリーの影でぷるぷると震えている。そしてパチュリーはすでに魔導書を閉じて、降参とばかりに両手を上げていた。

 

 

「けほけほっ、参ったわ。最後にとっておいた結界も大した効果を及ぼせないみたいだし、その上で美鈴を倒した妖怪に合流されたら消耗した私と小悪魔に勝ち目なんてない」

「ほう、まだ魔力には余裕があるのだろう?」

「これ以上は身体の方が持たないわ。長く生きる魔法使いは引き際をわきまえているの」

「パチュリー様っ、これお薬です!」

 

 

 パチュリーから完全に敵意が無くなった。どうやらここでの戦いはここまでのようだ。すると小悪魔がいつの間に持ってきたのか、喘息の薬と水の入ったコップをパチュリーに手渡していた。仲の良い主従だ。それを横目に見ながら藍は刑香へと話しかける。

 

 

「その左足、お前の能力で癒せないのか?」

「『死を遠ざける程度の能力』は、死の可能性を回避するための力だからね。重傷で死にかけている身体を延命させるならともかく、本質的には治癒能力が備わってないのよ」

「ふむ、思ったより効果範囲は限定的なのか。なら仕方ない、この異変を終わらせてからゆっくり治療してもらうしかないな。それと飛行には問題ないか?」

「大丈夫よ。例え両足をもがれても、この翼があれば飛行には支障はないわ。妖怪としての私にもね」

「そういえばその翼がお前の誇りだったな」

 

 

 刑香は自慢げに翼を広げた。

 穢れ一つ寄せ付けぬ純白の翼は、漆黒の翼を持つ鴉天狗の中においての異質。数百年に一羽が生まれ、虚弱な身体故に例外なく幼少期に命を落とすとされる白い雛鳥。しかし約千年前、何の因果か死を回避する能力を持つ者が生まれ落ちた。それが白桃橋刑香だ。刑香にとって、この白い翼は自身を迫害に追い込んだ元凶にして、文やはたて達と友人になるきっかけをくれたもの。現在の刑香を形作る全てであり、鴉天狗の誰よりも美しいと自信を持てる誇りなのだ。

 

 

「ふふふ、触らせてあげようか? あんたの尻尾モフモフと引き換えでいいわよ」

「残念だがそんな暇はないな。だがまあ、帰ってからなら考えてやらんこともないぞ?」

「冗談のつもりだったんだけど意外に乗ってくるのね」

「安心しろ、こちらも冗談のつもりだ」

 

 

 しっぽモフモフはまたの機会にお預けか、と刑香は正直に頼めなくて内心落ち込んだ。しかし翼は自分にとって弱点のようなものだ。この間だって霊夢によって散々に触られたせいで力が抜けて、そのまま小さな子供である霊夢に押し倒されたのだ。やはり駄目だ。いくら藍の尻尾を触るためでも代償が大き過ぎる。だが、あの尻尾の誘惑も負けず劣らず大きい。

 

 

「ち、ちょっとー! 何をするんですかぁ!」

 

 

 自分の世界に没頭していた刑香は小悪魔の悲鳴でようやく我に帰った。見ると紫が使うのと同じようなスキマを藍が空間に作り出して、そこにパチュリーと小悪魔をぐいぐいと押し込んでいた。パチュリーはスキマに危険性がないことを見抜いているようで大人しくしているが、小悪魔はバタバタと暴れていた。

 

 

「いやー止めてくださいー! どうか命だけはぁ!」

「大人しくしろ、異変が終わるまでお前たちを閉じ込めておくだけだ。おそらくは数時間で解放することになる」

「あら、レミィをそんな短時間で倒せると思うなんて、おめでたい程の自信家ね。今回の異変の中で『ビショップ』に過ぎない私に勝った程度で………まあ、どうでもいいか。小悪魔、この狐の言う通りにしなさい。私たちは負けたのだから」

「は、はい。パチュリー様」

 

 

 そのままパチュリーと小悪魔を飲み込んでスキマは消失した。藍の言ったことに嘘はない、二人は翌朝には解放されるだろう。逆にいえば、それまで二人は戦闘に復帰することはない。これで敵の二人は無力化されたということになる。美鈴もここに押し込んでおいた方がいいだろうか、とスキマを目撃した刑香は考えていた。しかしすぐに「まあ、いいや」と忘れることにした。美鈴は性格的に放っておいても大丈夫だろう。

 

 

「よし、あとは異変の元凶を成敗するだけね。でも紫のことだからもう終わってるんじゃないかしら。のんびり飛んで行ってもいい気がするわ」

「確かに紫様なら問題ないと思うが、私たちが合流して異変の主が降伏する方が双方の受ける損害も少なくて済む。そうすれば事後処理の手間が省けるんだ、主に私のだが」

「あんたの手間が減るのね、どんだけ雑用を押し付けられてんのよ。藍が生真面目すぎるから、紫が次々と厄介事を任せてくるんじゃないの?」

 

 

 主従共々、信じがたい程に強いのだからもう少し余裕を持ってもいいと刑香は思う。まあ、紫の方はいつもムカつく程に余裕たっぷりなのだが。その顔をいつの日にか驚愕で歪めてやるのが刑香の野望の一つである。そして、藍との練習試合で既にそれを達成していたことを刑香が知ることはもう少し先のことだ。

 

 

「そもそも怪我を負ったのなら、先に離脱しても良かったんだぞ?」

「一度関わったんだから最後まで力になるわよ。途中で投げ出すなんて天狗としての矜持が傷つくような気がするし」

「そういうものか」

「多分、そういうものよ」

 

 

 いつも通りに軽い会話を交わす二人。

 この時、敵の主力である紅美鈴とパチュリー・ノーレッジを撃破した刑香と藍は気がつかなかった。お互いに自分に割り振られた相手を倒し、味方と合流したという何一つ不利なことのない現状が油断を招いていた。それが命取りになるとは知らずに。

 

 

 

「キヒヒッ」

 

 

 その時、小さな影が二人の背後にある本棚の後ろにいた。フリルつきの真紅の上着とミニスカート、目映い金髪の髪はサイドテールで纏めている可愛らしい少女。しかしその顔には隠しきれない狂気の笑みが浮かんでいた。そんな少女はこっそりと、友達にイタズラをする童女のごとく無邪気に『能力』を発動する準備を始める。

 

 

「えへへ、狐さんと鳥さん。すぐに壊れちゃいそうだなぁ、とっても楽しみっ」

 

 

 少女は静かに本棚から身を乗り出すと、その華奢に見える両腕を二人へ向けて突き出した。その掌は虚空を掴む。当然だ、そこには何もないのだから。しかし少女の赤く輝く瞳は二つの新しい玩具を、怪しい光と共に映し込んでいた。歪んだ笑顔が頬を染め、口からは可愛らしい牙が覗く。ゆっくりと狙いを定めて、自らの掌の中の『目(モノ)』を握り潰そうと少女は能力(チカラ)を込める。まだ、二人は気づいていない。かくれんぼは得意だ。

 

 

「………きゅっとして」

「「――――何!?」」

 

 

 その瞬間、異様な気配が広がった。

 思わず身震いする程の異常な気を感じた刑香と藍。二人の持つ妖怪としての本能が信じがたい程の寒気に侵食していく。「何かがいる」と、その感覚そのままに異常の元凶を探そうと周辺を見回した二人はすぐに一人の少女を見つけ出す。七色の宝石を羽にぶら下げた金髪の少女、吸血鬼の幼子を。その無邪気な笑みを目撃した二人を、ぞっとする感覚が包み込む。あまりにも異常な気配に総毛立った刑香が叫ぶ。

 

 

「―――藍っ、私の後ろに隠れて!」

 

 

 刑香は、その少女の『能力』から藍を庇うように飛び出した。両手と白い翼を広げて少女の視界に立ち塞がる。だが、全てはもう手遅れだ。一度、それが発動に漕ぎ着けてしまえば防ぐ手立てはない。西方世界にだって、そんな方法は存在しなかった。

 それに少女が握っている『目(モノ)』は一つではないのだ。例え一方の獲物が何らかの手段で仲間を護ろうとしても、その守護者ごと潰してしまえばいい。ニヤリと笑った吸血鬼の少女は二人に向けた『両手で』何かを握り潰すように掌を閉じた。

 

 

「…………ドカーーンッ!」

 

 

 『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』。

 それは悪魔の妹、フランドール・スカーレットが誇る絶対の力。少女の在り方を歪めた全ての元凶にして、西方世界に君臨していた最強の力。『命』を握りつぶす悪夢の欠片であり、レミリアがフランドールを『クイーン』と定めた理由。

 

 その破滅の言霊が、二人に向けて紡がれた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「いやぁ、負けちゃいましたね」

 

 

 紅魔館の門番、紅美鈴は地面に倒れ伏していた。

 目立つ外傷は右腕と腹部の損傷くらいだが身体は動かない。その両手両足は巫女のお札で縛り上げられているのだ。刑香から受けた傷自体は既に立ち上がれる程度には回復しているとはいえ、お札のせいで美鈴の身体はピクリとも動かない。

 

 

「まさかこんなモノを持っているとは思わなかったな。というより、何でこんなものを持っていたんだろ。刑香さんには巫女の知り合いでもいたんですかね?」

 

 

 刑香の繰り出した最後の攻撃は、美鈴の目から評価しても素晴らしいモノだった。まさか致命傷を回避する能力を利用して『捨て身の一撃』を繰り出してくるとは思わなかった。遥かな上空から加速を付けた、カウンター覚悟の突進攻撃。それは上級の妖怪同士の戦いでは自滅にも等しき愚行のはずだった。しかし必死の行動も白桃橋刑香に限っては、必殺の一撃でしかない。自らの強さ、弱さを正しく理解した上での戦術。それは決して強い種族としては生まれなかった美鈴と、同じ所に根差した考えだ。ならば悪くない、清々しい敗北だった。ああいった決着は美鈴も好むところだ。そして次は負けない、そう美鈴は決意した。

 

 

「痛たたたたっ、動くと痺れる!?」

 

 

 美鈴の身体を縛るお札がビリビリと霊力を放つ。どうやらお札を作成した術者はかなり力の持ち主らしい。何とか解こうとしているのだが、まだ刑香から受けたダメージが残っている美鈴ではびくともしない。しばらく脱出を試みた後、「もう寝ていようかな」と芋虫状態で逞しいことを考え始めた美鈴。一見、呑気なように見えるが、それはレミリア達を信頼しているからこそである。しかし、何かが近づいて来る気配を感じて気を引き締め直した。

 ガサリ、と草むらが揺れる。

 

 

「これはこれは、人間の子供がこんなところへ何の用ですか?」

「あんた、この屋敷の妖怪よね。そこに落ちていた一本歯下駄が血濡れなのも、あんたの仕業なの?」

 

 

 草むらから出てきたのは紅白の黒髪巫女。

 少女は砕けた天狗の一本歯下駄を抱えていた。それは美鈴が最後の一撃で刑香の左足をへし折った際に粉砕したものだ。彼女の左足はしばらく使い物にならないだろう。自分も右腕を折られたので、これでおあいこだ。この子供は彼女の知己だろうか。幼い巫女から感じるのは、敵意をむき出しにした鋭い眼差し。それを受け流して美鈴はにっこりと柔らかい笑顔で問いかける。

 

 

「確かに刑香さんと戦ったのは私です、負けましたけどね。それで何の用ですか、小さな巫女さん?」

「じゃあ、私が感じた嫌な予感はあんたじゃないのか。そりゃそうか、あんたからは『狂気』を感じないし…………私はみんなを助けに来たの、ここを通してもらうわよ」

「ちょっと待ってください」

 

 

 呼び掛けに霊夢が立ち止まる。地面に転がりながら言うのは少しばかり情けないが、動けないのだから仕方ない。美鈴は霊夢に、ある取引を持ちかける。

 

 

「この拘束を解いてくれたら、通ってもいいですよ」

「はぁ? 縄を解いたら私や紫たちを追いかけて来るんでしょ、何でそんなことをしなくちゃいけないのよ」

「大丈夫、もう私は負けた存在ですから手出しはしません。ただ、このまま朝まで過ごすのが億劫なので解いて欲しいんです。代わりに刑香さんが向かった場所を教えてあげますよ」

 

 

 紅魔館は広い。手当たり次第に人物を探し回っていたのでは、それこそ日が昇ってしまう。霊夢は少し考える素振りを見せた後、美鈴へと近寄った。解除の呪文を唱えながら、そっと身体に触れる。

 

 

「…………はい、これでいいわ」

「おおっ、ありがとうございます」

 

 

 主である霊夢の命令。お札は仄かな光を放ち、ボロボロと紙切れに変わってしまった。ようやく自由になった身体で美鈴は伸びをする。のんびりとした様子の美鈴に対して、霊夢は最大限の警戒を覗かせている。当然だ、霊夢と美鈴は敵同士なのだから。いつでも反撃できるように身構えながら、早く刑香たちの居場所を教えろと霊夢は無言で要求している。

 

 

「刑香さんは大図書館へ向かいました。まだ一刻も経過してはいません。もしパチュリー様と戦っているなら、すぐに追い付けるはずです」

「………あんたはこれからどうすんの?」

「私は門番なので、ここにいますよ。すでに敗北した私がこれ以上、刑香さんや九尾様に挑むべきではありません。それが決闘のルールですから。まあ、それ以外の侵入者とは戦うかもしれませんけど。………気をつけてね、小さな巫女ちゃん」

「私の名前は霊夢よ、覚えておきなさい」

 

 

 それだけ言い残すと霊夢は門を乗り越えて、飛んで行ってしまった。その後ろ姿を見送りながら「間に合えばいいけど」と美鈴は呟いた。『気』で強化した聴力は、大図書館での戦いが決着したことを告げていた。もう戦闘音は殆ど聴こえてこない。きっと幼い巫女が到着する頃には全てが終わっているだろう。願わくば彼女の仲間たちが無事であることを祈ろう。むろん、その上でのパチュリーたちの勝利も。

 

 さわさわ、と目の前に広がる湖を風が渡ってくる。

 晩秋の涼しげな夜風が美鈴の赤髪を優しくなびかせた。それは戦闘で高ぶった心を落ち着かせてくれるようだった。落ちていた帽子を拾い上げる。夜空に浮かぶ月は美しく、ここは神秘の力が満ちている。人ならざる者たちにとって、幻想郷はまさに最後に残された楽園だった。

 良いところに来たものだ、と感慨深く思いながらも美鈴は自らに気合いを入れ直す。さあ、門番としての仕事を再開するとしよう。

 

 

「出てきなさい、あなたたちが昼間から紅魔館を見張っていたのは分かっています。私が感じた妖気も、お嬢様が目撃した姿も、刑香さんではなかった。なら、その正体はあなたたちですね?」

 

 

 美鈴は堂々とした態度で暗闇へと呼び掛ける。そして一瞬の間を置いて、その鼓膜を羽音が震わせた。暗闇に紛れてこちらを伺っていた存在が二羽、地面へと降り立った。それは黒い翼を持った妖怪たちだった。刑香と同じ装束に身を包み、妖刀と葉団扇を腰に下げた者たち。その瞳に友好の色はなく、霊夢から向けられたモノとは桁外れの強い敵意が宿っていた。

 二羽の『鴉天狗』たちは、無言で紅美鈴を睨んでいる。

 

 

「刑香さんは中々に面白い方でしたよ、翼の色はあなた方と違いますがね。彼女は妖怪としては少し珍しいくらい真っ直ぐな方でした。…………さて、同族であろうあなた達は紅魔館にどういった御用ですか?」

 

 

 

 黒い翼の鴉天狗たちに『ナイト』の駒、紅美鈴は穏やかに告げた。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。