その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第1.5章『幻想晩秋宴』
第十四話:楽園の幼き魔法使い


 

 

 木枯らしの気配を感じる秋晴れの幻想郷。

 人里離れた森の中では地面に積もり積もった落ち葉から湿った匂いが立ち込め、吹き抜ける風は冷たく渇いていた。冬の足音が近づいてきている。秋神の姉妹からバトンを受け取った冬の妖怪が活動を始めたのかもしれない、そろそろ冬眠の準備をする生物や妖怪が現れるだろう。

 そんな森の中を一人の人間の少女が走っていた。息を乱しながら、自慢の金髪に引っ掛かる枝を乱暴に払い除けて少女は紅葉が色褪せた森を駆け抜ける。

 

 

「はぁはぁっ、くそっ…………しつこい奴だぜ」

 

 

 一旦、木の影に隠れながら珠のような汗を拭うのは五、六歳の女の子。勝ち気そうな瞳に男勝りな口調、そんな少女にはおてんば娘という言葉がよく似合う。

 

 

「ちっ、もう追いついて来たのか!」

 

 

 舌打ちをする少女、どうやら相手はこちらの正確な位置を嗅ぎ付けているらしい。ガサガサと森を踏み荒らす足音を耳にした少女は音の方向とは逆へと走っていく。

 

 どうして少女は逃げているのか、それを説明するためには少し時間を遡る。始まりはいつものように少女が箒で空を散歩していた時だった。その時に突然、真下から悲鳴が聴こえてきたために見てみると人里の大人たちが『とある妖怪』に襲われていた。そこへ少女が正義の味方よろしく助けに入ったのだ。結果として大人たちを逃がすことに成功したのだが、今度は自分が代わりに妖怪から追われる羽目になった。

 

 

「やっぱり、考えなしの人助けなんてやめておけば良かったぜ…………箒も無くすし最悪だ。何なんだよ、あんな見た目で空も飛べるなんて反則だろ」

 

 

 泣き言が口から零れ、後悔が胸を焦がす。走り過ぎて心臓が張り裂けそうだ、こんなことならやめておけば良かったかもしれない。しかしあの状況で大人たちを見捨てることは少女にはできなかった。普段は周りから「お調子者」だの「ひねくれている」だの言われているが、胸の奥底に確かな正義感と真っ直ぐな心を幼い少女は持っていた。

 

 

「あれ、ずいぶん開けた所に出たな。って、ひょっとして失敗したか!?」

 

 

 鬱蒼とした藪を抜けたら広場のような場所に出てしまった。子供の遊び場としては適しているだろう。しかし、ここには身を隠す障害物がない、逃げる側には不利でしかない。簡単に追跡側から見つかってしまうから。

 そして―――。

 

 

「キチキチキチキチキチキチ」

 

 

 即座に「引き返そう」と決断した少女の鼓膜を震わせたのは『声』ではなく不快な『音』。恐る恐る広場の反対側に目をやると、アイツが待ち受けていた。子供ながらに聡明である少女は気づいた、自分がうまく狩場に誘い込まれたことに。少女の視線の先では無数の脚を持った気味の悪い妖怪がとぐろを巻いていた。

 

 

「キチキチキチキチキチキチ」

「と、ともかく感動の再会ってやつじゃないのは確かだな。ちくしょう、虫のくせして利口じゃないか」

 

 

 少女のひきつった顔。

 少女から少し離れた場所にいたのは巨大なムカデの妖怪だった。ぐねぐねと動く触角と黒色に赤みが混ざった不気味な胴体、そこから蠢くのは千を越える足。興奮状態なのか、口からは毒液が溢れ出している。そんなグロテスク極まる妖怪が少女の視線の先にいた。

 

 

「あ、ははっ。参ったなぁ………」

 

 

 ゆっくりと這いずり近づいてくる大ムカデに、思わず乾いた笑みが少女から漏れる。あの妖怪は間違いなく自分を喰らうつもりなのだろう。そうでなくともアイツに何発か魔法で攻撃した自分を無傷で帰してくれるはずはない。もう、逃げ切れない。

 

 

「い、言っとくけど私の父親は結構スゴい人なんだからな。人里でみんなに慕われてて………私に何かあったら、こーりんだって黙ってないんだからな!」

 

 

 こうなれば助かる可能性のあるものは何でも利用してやると決意した少女、以前に盗賊を怯ませた言葉を投げかける。しかし人の言葉が通じるだけの知能は大ムカデにはない。それ以前に妖怪相手に『人』の権威は通用しないのだ、牽制を意に介せず自分を見下ろす位置にまで大ムカデはたどり着いてしまった。

 

 「もう駄目だ、喰われる」、そう思うと恐怖に身体がすくみ、カチカチと奥歯が鳴った。抵抗しようにも箒は無くし魔力も尽きている、これは年貢の納め時というやつなのかもしれない。じわりと涙で視界が滲み、震える唇から悲鳴のような声が押し出される。

 

 

「く、来るなよっ。来ないでよっ………お父さん、助け「そこのムカデ、私の縄張りで人間を襲うなんていい度胸してるじゃない」………え?」

 

 

 突如として響いた声に、大ムカデの動きが止まった。

 不気味な虫は、ぐるりと声の方へと濁った眼球を動かす。言葉を理解しているわけではない、ただ本能的に生物の出した音に反応しただけだ。自分から目を離したムカデ妖怪に安堵して、少女も声の主を探す。すると自分とムカデを挟んだちょうど反対側に白い翼の妖怪が立っていた。白い翼の妖怪はチラリと、こちらを一瞥してから大ムカデと向かい合う。

 

 

「異変に乗じて人里を襲っていた奴らの一匹ね。その様子だと人間だけじゃなく、この周辺の妖怪を喰らって力を蓄えたか………この数日で藍と一緒に何匹か倒したけど、まだ残ってたのね」

「キチキチキチキチキチキ」

「うるさいわよ」

 

 

 恐ろしげな大ムカデの歯音にも一切怯まない白い翼の少女は器用に右足一本でバランスを取っている。どうやら左足を負傷しているらしい。

 

 余談になるが妖怪が力を付ける一番の近道は、自分より強い妖怪を喰らうことである。しかしながら妖怪の力関係は非情であり、多くの場合には下位の妖怪は上位の妖怪と戦ったところで手も足も出ない。ならば弱者の取れる方法は奇襲、もしくは対象が負傷して弱ったところを狙うに限られる。事実として大ムカデもそうして力を付けてきた。だからこそ片足と片翼に包帯を巻いている『鴉天狗』を見た大ムカデは歓喜した。

 

 

「キチキチキチッ!!」

 

 

 人間の存在を忘れてしまったかのように触角をくねらせ、獲物を狙う低い姿勢で大ムカデが鴉天狗へと這いずり進む。普段ならば自らの全てが通用しない相手、幻想郷における上位妖怪の一種たる鴉天狗。その片翼と片足に手傷を負い、妖力を消耗しているであろう個体が目の前にいる。それは数十年に一度あるかないかの好機だった、アレを喰らえば妖力どころか言葉すら手に入れることができるだろう。空を飛べないのなら毒液で弱らせてから丸呑みにしてやれる。

 威勢良く向かってくるムカデ妖怪を冷めた視線で眺める鴉天狗の少女はため息をつく。うんざりとした表情だった。

 

 

「やっぱり私は甘く見られることが多いのか。………いよいよ文とはたてに効果的な威嚇の仕方でも教えてもらった方がいいかもしれないわね」

「お、おいっ。あんた、大丈夫なのか!?」

「また人間の子供に心配されてるし…………霊夢といい、何で人間が妖怪の身を案じるのよ。普通は逆でしょうに」

 

 

 しかし、ある意味で仕方がない。

 その真っ白な肌も、見るからに華奢な身体も、内側から穏やかに波打つ妖力すらも、彼女が簡単に壊れてしまいそうな印象を周りに与えるのだ。だから金髪の少女からも、ムカデ妖怪からも白い鴉天狗は強い妖怪には見えなかった。少なくとも一般的な妖怪の範疇からは、強い存在だとは判断されなかった。

 

 しかし何事にも例外はある。生まれもった種族差を武術と能力にて覆す紅美鈴しかり、絶対的な力を持ちながらも更に修行を重ねて陰陽術まで身につけた八雲藍しかり、上位の妖怪たちにとって体格や妖力の優位性はあくまでも一つの目安に過ぎない。

 それは白い鴉天狗にも当てはまる。夏空の碧眼は何一つ焦りを感じさせずに、迫り来る大ムカデをその瞳に映していた。

 

 

「キチキチキチ…………ブッ!!」

「うげっ、毒液か!?」

 

 

 鴉天狗に接近した大ムカデは先手必勝とばかりに毒液を放った。透明ながらも毒々しい液体は妖精程度ならば跡形もなく溶かしてしまうであろう溶解液、それを不意をつくタイミングで鴉天狗へと吹きかけた。距離的に避けられない、思わず人間の少女は目を閉じた。じゅわり、と草木の溶ける音が人間の少女の鼓膜を揺らす。固く閉じた瞳でもって少女は目の前の凄惨な光景を拒絶していた。きっと大ムカデは白い妖怪を喰らっているに違いないと思っていた。

 しかし―――。

 

 

 

「………それで、ここからどうするつもり?」

「キチキチ、キチ?」

 

 

 恐る恐る目を開けた少女の視界に映ったのは『葉団扇』を構えた鴉天狗。毒液は一滴たりとも彼女には届いていおらず、周囲の草花を枯らすのみに留まっていた。何が起こったのか少女にはわからない、しかし道具屋の娘としての勘が白い妖怪の持つ団扇を強力なアイテムであると告げていた。大ムカデが目に見えて怯んでいる。

 

 

「まあ、あんた相手くらいなら必要ないんだけど。せっかく観客もいることだし派手にいきましょうか」

 

 

 天に掲げられたのは八ツ手の葉団扇だった。

 持ち主の妖力を吸収して嵐へと変換する『風神』の証にして大天狗に認められた誉れ高き天狗の象徴。それは白い鴉天狗が「吸血鬼の屋敷で無くしたことにします」と大胆にも言い放った親友から譲り受けた山の秘宝の一つ。葉団扇は風を呼び、鴉天狗の少女を中心にして大気が渦巻く。この風陣が毒液ごときを通すわけがない。

 

 大ムカデは白い少女に追撃を仕掛けることはしなかった、それどころか無数の脚をくねらせ逃亡を始める。虫は鳥には勝てない、木っ端妖怪は天狗には勝てない。何よりも自分はあの白い鴉天狗に勝てないことを本能的に悟ったから。

 

 

「紫からの命令なの、悪いけど人を襲った妖怪をこのまま逃がすつもりはないわ。手加減してあげるから、雲路切り裂く風神の声に散りなさい」

 

 

 荒ぶる風が鴉天狗の白い髪を揺らす。

 彼女によって導かれる大気の脈動を金髪の少女、霧雨魔理沙は肌で感じていた。研ぎ澄まされた妖気に当てられて鼓動が早まっていく。そして振り下ろされた葉団扇、その嵐に木の葉のごとく吹き飛ばされる大ムカデの姿を魔理沙は目に焼き付ける。

 

 胸の中に感じた確かな熱、それは純粋な『力』への渇望だった。

 

 

◇◇◇

 

 

 

「まったく紫の奴め、私を式神か何かと勘違いしてるんじゃないかしら。人の子を助けながら幻想郷を回るなんて、私は慧音じゃないのに」

 

 

 森を突き抜けた竜巻が消え、泡を吹いて倒れてる大ムカデ。少なくない妖力の消耗に刑香は気だるさを覚えたが、まだ余裕はある。葉団扇を腰に下げ直して、懐から呪符を取り出すとムカデへ近づいた。

 

 現在、藍や刑香は吸血鬼異変を利用して暴れていた妖怪たちの鎮圧に動いている。つまりレミリアの起こした混乱に紛れて人里を襲っていた妖怪の討伐だ。しかも今回は紫からの頼みではなく『命令』である。いつの間にやら刑香は『八雲』の勢力の一員に数えられていたらしく回復しきっていない身体を押してまで幻想郷を見回っている。何故、はぐれ天狗である自分がそんな立ち位置になっているのか刑香には理解ができないが「なるようになるしかない」と諦めている。それがある意味で紫への信頼の裏返しでもあることに刑香は気がついていない。

 

 刑香は気を失っているムカデ妖怪を霊夢製のお札で丁寧に縛りあげていく。とりあえずは動きを封じてから後々に紫へと連絡して回収してもらう。面倒な作業であるが、命のやり取りをするよりは良い。最初からひび割れていたムカデの甲殻に怪訝な顔をしながら刑香はお札を貼っていく。

 

 

「よいしょっと、こんな感じでいいかしらね。あとは紫の判断に任せましょうか。…………それにしても大ムカデの甲殻に亀裂を入れる妖術を使うなんて、あんたは何者なの?」

「へ、私かよ?」

 

 

 ムカデを縛り終えた自分へ恐る恐るといった様子で近寄ってきた少女に刑香は話しかける。金髪の少女は白黒の魔女服に魔女帽子を被った姿という変わった格好だった。大ムカデから匂う魔力の残り香から判断して、この甲殻を叩き割ったのはこの娘に違いない。

 

 

「この硬度の殻をここまでにするなんて、そこらの妖怪にだってできることじゃない………その格好、もしかしてあんたは魔法使いなの?」

「おおっ、わかるのかよ! ………何だか嬉しいな、人里の連中は誰もこの格好の意味すら知らなかったんだ。さすがに妖怪は物知りだな」

 

 

 刑香は知識としてではなく、記憶として彼女たちを知っている。数百年前、大名たちが争う戦国の世で出会ったことがある。教会から海を越えて逃げてきた西洋魔法使いたち。彼女らは箒に乗り空を飛び、妙な妖術を使う連中だった。後々にこの島国にたどり着いた教会勢力に追われた彼女らは散り散りになって姿を消してしまったはずだ。

 目の前の少女は彼女らの子孫なのだろうか、と刑香は懐かしい記憶を手繰り寄せていた。残念ながらその予想は大きく外れているのだが刑香には知る由もない。

 

 

「ところでさ、私は帰る手段を無くしちゃってさ。だから、その、人里まで送ってくれないか?」

 

 

 もじもじと恥ずかしそうにエプロンのような布を掴む魔理沙、ふわふわした金髪と金色の瞳と合わさってその姿はとても可愛らしい。しかし、助けてもらった相手とはいえ初対面の妖怪を帰りの駕籠(かご)として頼りにするとは、外見とは裏腹にかなり肝の座った童女のようだ。

 

 

「元々そのつもりではあったんだけど、まさか先に言われるとは思わなかったわ。ずいぶんと度胸があるわね、天狗を前にして怖くないの?」

「怖いって、あんたのことを?」

「…………もう、いいわ」

 

 

 疑問符を浮かべる魔理沙から刑香は不機嫌そうに視線を外した。妖怪は人間から恐れられてこそ妖怪なのだ、そのため魔理沙の反応に少しだけショックを受けたらしい。

 ちなみに魔理沙が言い出さなくとも刑香は彼女を人里まで送るつもりだった。もう日が暮れる時間だ、人間の子供がこの辺りを彷徨いていては危ない。そんな刑香の了承を聞いた魔理沙は安心したようで、その場にポテンと座り込む。

 

 

「いやー、良かった良かった。ここから人里までは結構距離があるから断られたらどうしようかと思ったぜ」

「もし私が断ってたらどうしてたのよ?」

「そしたら代わりに箒を探すのを手伝ってもらうように可愛らしく頼むつもりだったよ」

「そんなことをしたら悪い妖怪に食べられるわよ?」

「大丈夫、私の目の前には白い翼のお人好しそうな妖怪しかいないからな」

 

 

 堂々としたやり取りを行う魔理沙に刑香は感心していた。少しばかり瞳には不安や怯えが残っているものの、まだ刑香のことをよく知らない人間がここまで堂々とした態度で交渉するとは大したものだ。

 おまけに魔理沙の手には大ムカデの毒液が入った試験管が握られている、おそらく魔法薬の研究に使うために採取したのだろう。さっきまで逃げ回っていたのに、転んでもタダで起きないとはこのことだ。刑香は魔理沙と視線の高さを合わせるために、その場でしゃがみこむ。

 

 

「ふふっ、やっぱり人の子は面白いわね。私は鴉天狗の白桃橋刑香、あんたの名前は何ていうの?」

「うん………じゃない。おうっ、私の名前は魔理沙、霧雨魔理沙だ。一応、これでも普通の魔法使いなんだぜ」

「その年であの甲殻をひび割れさせておいて、『普通の魔法使い』ね。今はそういうことにしておくわ。さて、それじゃあ早めに人里に向かうとしましょうか」

 

 

 そう言うと刑香は魔理沙を持ち上げる。霊夢にするのと同じ要領で幼い魔法使いを苦しくならないように優しく両腕でお腹のあたりから抱きしめた。ビクッと魔理沙がくすぐったそうに震えた。

 

 

「わわっ、なにするんだ!?」

「何って、のんきに歩いて向かったら日が完全に沈むじゃない。人間が夜に出歩くのは危険なんだし急がないとね、私も今夜は予定があるし」

「まさか、飛ぶのかよっ? 片方の翼はケガしてるんじゃないのか!?」

「片翼を失ったくらいで鴉天狗が飛べなくなるとでも思ってるの?」

 

 

 挑戦的な笑みと涼やかな声。ふわり、と宣言通りに片翼だけの力で魔理沙の両足は地面を離れた。

 元より幻想に生きる妖怪たちの翼は特殊だ。人間が誇らしげに自慢する『科学』などでは解析できない原理。妖力や妖術、妖怪としての特性に支えられた彼女らにとって、片翼であっても飛ぶことに長けた種族ならば飛行すること自体は決して不可能なことではない。スピード、バランス、飛行継続距離など様々な力が落ち込む代償は伴うが充分に可能なことである。

 

 

「おおっ、速い速いっ!」

 

 

 あっという間に遠ざかっていく下界の森。

 そのままオレンジ色の夕空へと二人は飛び込んだ。刑香に抱えられた魔理沙の瞳には燃えるような夕日が映り込み、金色を鮮やかなハチミツ色に染めている。キラキラした眼差しで魔理沙は次々と通りすぎていく雲や鳥を見つめては歓声をあげる。その姿は物静かな霊夢とは正反対で、騒がしく賑やかだった。

 

 

「いいなぁ、私も箒でこれくらい速く飛べるようになりたいぜ。箒にジェットエンジンってヤツを付けてくれるように父さんに頼んでみようかな。あれ? それは何なんだ?」

「ああ、これは昔の上司………じゃなくて、知り合いから貰ったお酒よ。今夜の催し物にちょうどいいと思ってね」

 

 

 好奇心が旺盛らしい魔理沙は刑香が腰に下げていた酒瓶に興味を持ったようだった。酒瓶には『華扇より』『茨木ノ枡薬酒』と書かれているのが見えた。おそらく刑香の言った知り合いの名前と酒銘だろう、と魔理沙は推測する。

 

 

「今夜、博麗神社で酒宴があるの。異変でぶつかった両陣営の仲直りのための宴がね。私も異変に参加した妖怪だから参加しないといけないのよ」

「異変って、西方から攻めてきた妖怪を『博麗の巫女』と幻想郷の妖怪たちの連合軍が倒したってやつか? って、刑香はそんなのに参戦してたのかよ!?」

「参戦よりも巻き込まれたっていう方が正確かもね。でも門番に左足を折られるし、やんちゃな吸血鬼には翼をメチャクチャにされるし災難だったわ。………化け物ばっかりだったから仕方ないけど」

「片翼片足に重傷を負って、それを災難の一言で済ませる刑香も別の意味でスゴいと思うんだけど。…………巫女は数日前まで敵同士だった奴らと酒盛りをするのか?」

 

 

 魔理沙は巫女が中心となって異変を解決したと思っているようだった。巫女が力ある妖怪たちと協力して異変を解決したという法螺話が人里で出回っているからだ。もちろん巫女とは霊夢のことではなく、当代巫女のことだ。

 

 『吸血鬼異変』は八雲紫の手によってそういった結末へと改変されて人里へ伝えられている。『彼女』の解決した最期の異変として、『彼女』が浮き世を去る理由として、八雲紫が用意したのだ。博麗の巫女は寿命ではなく、人々を護り代償として力尽きたという美談を残すために、そして更なる信仰を集めるために。

 それは幻想郷のために尽くしてきた彼女への餞別であり、彼女の跡を継ぐ霊夢への祝儀でもある。霊夢のためであるならば刑香としても異存はなかった。だから今ここで魔理沙の間違いを正すことはしない。

 

 

「私たち妖怪は長い時を生きなきゃならないから、いちいち恨みつらみを溜め込むわけにはいかないの。だから戦いの後には敵味方を隔てない酒宴が設けられて、それで一応の区切りにするのよ。決して記憶は忘れないまでも表面上は和解しましょうね、という感じでね」

「へえ、妖怪も色々とあるんだな。水に流すんじゃなくて、酒に流して仲直りするのか」

「あくまでも一部の慣習よ。私たち天狗は酒好きの『鬼』の支配下にあったから、そういう傾向が強いけど」

 

 

 魔理沙は興味津々といった様子で聞いている。

 たまに小さな足をパタつかせ、本心から刑香の話を楽しんでいた。表情が豊かで相槌も的確、魔理沙は話していて自分も相手も楽しくなるような女の子だった。そんな魔理沙の反応に刑香もうまく乗せられたのか、珍しく饒舌に色々な話を続けている。

 

 地平線へと真っ赤な夕日が沈んでいく。

 その色は燃え尽きんとしている『彼女』の命か、それとも彼岸の花の色なのか、はたまた幻想郷に訪れた代替わりの時を表しているのか。おそらく、その全てなのだろう。その光景に刑香はポツリと呟いた。

 

 

「いつの世も人の子はせわしないわね。その生き方も在り方も、寿命でさえ刹那的すぎる………もう少しのんびり生きられればいいのに」

「あれ、何の話だよ?」

「何でもないわ、それより次は何を話して欲しい?」

「じゃあ、さっき言ってた『オニ』って何なのか教えてくれよ」

「現代の人里には鬼の名前が残ってないのか。ずいぶんと幻想郷も変わったわね…………いいわよ鬼の危険性について詳しく教えてあげる、鬼っていうのはね」

 

 

 他愛もない話をしながら、一羽と一人の影は夕焼けの光の満ちる空を人里へと飛んでいった。まもなく日は寝静まり、月の微笑む夜が訪れる。月下に設けられたのは酒の席、集うは八雲と紅魔の軍勢、場所は幻想郷の境界たる博麗神社。

 

 一癖も二癖もありそうな妖怪たちによる宴会が始まろうとしていた。願わくば『彼女』にとっての最後の一夜が幸福なものであるように、と心の片隅で祈る鴉天狗の想いを乗せて夜の帳は降りてくる。

 

 晴れ渡った空に、きっと今夜は欠けた月がよく見えるだろう。

 

 

 

 


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