その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第十六話:無何有の彼岸より

 

 

 夜の闇を抜けて月と星空の明かりが博麗神社の影を震わせる。八雲紫の目の前で咲き誇るのは一輪の真っ赤な曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。

 そんな彼女を取り巻くのはヒヤリとした冥府の風、八雲紫の視界に入り込むのは彼岸の花に似る鮮やかな髪と瞳の色。そして星の光を受けて煌めくは魂を焦がす魔鎌の刃。

 

 これが小野塚小町、これが『彼岸の使者』。くるくると器用に大鎌を弄びながら、死神は特に気負いする様子もなくスキマ妖怪の正面へと立っていた。

 

 

「まさか私の引いた境界を乗り越えて現れるなんて、驚いたわ。いつから死神はそんな器用なマネが出来るようになったのかしら?」

「あー、あれは私じゃなくて『あの方』の能力だよ。知ってるだろ、四季様には曖昧な存在や境界の類いの一切は通用しやしない。『白黒はっきりつける程度の能力』はアンタにとっては天敵そのものなんだろう?」

 

 

 四季映姫・ヤマザナドゥ。

 地獄の裁判長の一人にして、この幻想郷を担当する閻魔王。絶対的な善悪を持って死者を裁く彼女のやり方には、地獄の上役たる十王であろうとも異を唱えることは不可能であると噂されている。

 生前における善悪から、魂の貴賤に至るまでの一切を見通す彼女の前には『真実』以外の全ては存在しない。そんな彼女の持つ『白黒はっきりつける程度の能力』は、曖昧な境界を操る能力を持つ八雲紫には最悪の相性だ。

 

 それ故に四季映姫の部下である死神にも紫は強い警戒心を抱いていた。しかし肝心の死神は何を隠すでもなく、当たり前のように事実を語る。その姿はどこまでも自然体、その上で彼女から感じるのは微かな微かな『死』の気配。やはり単なる妖怪や人間とは一線を画する雰囲気を彼女たちは纏っているようだ。

 

 

「さぁて、手短にして帰ろうかな、あの娘に手を出されたら厄介だし。…………しかし意外だったね、あの娘の力を借りれば巫女の寿命を更に延ばせたはずだろう?」

「その代わりに巫女は人間ではなくなっていたでしょう? 友人である巫女に哀れな大天狗たちと同じ末路を辿らせるなんてありえないわ」

「そうだね、許された寿命を越えて『死を遠ざける程度の能力』を使われた者は輪廻から外れて魂を宿しただけの人形に成り果てる。…………それでも、日々の話相手くらいにはなるんじゃないかい?」

「なおさら論外よ。そんな下らないことのために彼女の魂を現世に留めるなんて、彼女への侮辱に等しい。そんなことは私自身が許さない」

 

 

 壊れ物を扱うように、巫女の亡骸を縁側へと寝かせた紫。巫女へと注がれる暖かな眼差しとは反対に、小町へと向けられている瞳は刃のごとくに鋭い。それは滅多なことでは他者に感情を悟らせぬ八雲紫らしくない姿だった。親友の死によって、他でもない自らの心に隙間が生まれているのだろう。

 

 

「…………それに、能力の発動を強制すれば刑香の心を踏みにじることになる。ただでさえ、大天狗たちへの後悔に苛まれているであろうあの娘にこれ以上の負担は掛けたくないの」

 

 

 吸血鬼異変にて大天狗たちのことを尋ねられた刑香は何かに怯える様子だったと、紫は藍から聞いている。それが大天狗たちを生ける屍へと追いやったことへの『罪』の意識なのか、それとも組織から能力発動を強制された過去への『恐怖』なのか。

 刑香の抱える傷がどちらにしろ、紫はそれを抉るつもりはない。すると、それまで黙って聞いていた小町が口を開いた。

 

 

「今回は、だろ? あんたが最優先するのは幻想郷の安定と発展、それを成し遂げるためならどんな犠牲も厭わない妖怪が八雲紫だろう」

「それが、どうかしたのかしら?」

「そのままの意味さ。計算高いあんたにとっては白い鴉天狗も、自身の式神も、その巫女の命さえも替えの利く『捨て駒』でしかないんじゃないのかい? 彼女たちの最期すら目的への『通過点』に過ぎないんじゃないのかい?」

 

 

「黙りなさい、一介の死神ごときが」

「----!?」

 

 

 

 その一瞬、スキマで区切られたこの空間が揺れた、足元が崩れ落ちたかのような幻覚に囚われて、たまらずに小町が膝をつく。それはかつて紫が刑香に向けたモノとは格の違う本物の怒りだった。不思議な輝きを放つ紫水晶のような瞳の中で見え隠れしているのは、冷静沈着な妖怪である八雲紫らしくない激情の炎。ぞっとする程に鋭利な妖気を浴びせられた死神がわずかに震える。

 

 

「お説教は貴女たち主従の得意分野でしょうけど、少しおしゃべりが過ぎるのではなくて? この八雲紫の心中を死神風情に答える必要はない、だから口を慎みなさいな」

「…………っ!!!」

 

 

 地獄の鬼族を遥かに上回る威圧感、骨の軋む錯覚すら覚える圧倒的な力。それを真正面から受けた小町の背中を氷のように冷たい汗が伝う。一度だけ本気で上司を怒らせたことがあるが、その時と同じくらいの恐怖を小町は感じていた。流石は『妖怪の賢者』の一人といえるだろう。

 しかし死神である己がいつまでも跪いてはいられない、ぐっと両脚に力を入れて小町は立ち上がる。

 

 

「…………さっきの発言は取り消すよ、すまないね。どうにも四季様の影響で説教くさくなっているみたいだ。あたいらしくもない」

「…………ふぅ、私こそごめんなさい、少しばかり頭に血が上がっていたみたい。でも、あなたも友人を失ったばかりのか弱い乙女にあんまり辛辣な言葉を突き刺すのは感心しないわね」

 

 

 うふふ、と微笑んで扇を広げる八雲紫。すでに殺気は霧散しているものの目は笑っていない。未だに油断すると頭から喰われそうな雰囲気を纏っている、しかし小町は胸を撫で下ろした、この程度の殺気ならば不機嫌な上司から浴びせられるものと大差ないので慣れている。それはそれで問題があるのだが。

 

 

「あんたが乙女なのかは判断できないけど、ともかくゴメンよ。刑(しおき)があんたの配下になったって小耳に挟んだからさ、少し気になってたんだ。よかったら教えて欲しい、あんたにとって刑は単なる駒なのかい?」

「あら、刑香のことを気に入っているのは本心よ。少なくとも式の式にしたいと思っているくらいにはね。それにしても天魔と同じく、あなたも刑香のことを刑(しおき)と呼ぶのかしら?」

「うん? そりゃあ、その名前を付けたのは…………いや何でもない。知らなくてもいい話さ」

 

 

 ふらりと死神が視線を送った先は神社の表、そこには鴉天狗の少女がいるだろう。「まあ、いずれはね」と呟いた小町、優しさと苦悩が入り混ざったような眼差しがそこにあった。その様子を眺めていた紫の脳裏に一つの可能性が芽生える。

 

 

「もしかして、刑香のもう一人の名付け親は………」

「おっと、勘違いしないでおくれよ。どういう事情があろうとあの鴉天狗を特別扱いするつもりはないんだ、あくまでも少しだけ気になっているだけさ。ああ、そろそろ巫女の魂を彼岸にお連れしないとね」

 

 

 フヨフヨと半透明の霊魂が小町の肩のあたりを漂っていた。紫へと別れを告げるように上下している彼女の魂、それは亡霊の友人に仕えている半人半霊の庭師とその孫娘の半霊にそっくりだった。

 ほとんどの魂はあのような形をしているのかもしれない。ひんやりとする魂を紫は名残惜しそうに両腕で抱きしめる、いよいよお別れだ。そうしていると、「うーん」と可愛らしく伸びをした小町が紫へと呼びかけた。

 

 

「さてと、そろそろ逝くよ。…………四季様の裁判が終結して、もし巫女が地獄行きでないなら白玉楼で一度だけ再会できるチャンスがあるかもしれない。あそこなら死者も元の姿でいられるから会話だってできる、頃合いをみて訪れてみなよ」

「…………あなたも大概なお人好しね。『全ての死者と生者に平等たれ』を規律としている彼岸の者らしくないわ」

「あははっ、これがあたいの性分なんだ。だから四季様にはお説教をされてばっかりさ、改めるつもりはないんだけどね」

 

 

 からからと朗らかに笑う小町、彼女は本当にお喋りで人間くさい死神だった。自分の信じる道を貫く姿はとても清々しく、接する者に裏表を感じさせない。だからこそ人里では少なくない人間たちが「三途の川を渡る時には彼女の舟に」と希望しているのだろう。紫としても少しだけ彼女のことを気に入ったので、さっきの礼にと酒瓶を小町へと手渡した。

 

 

「冥土への土産にこれを持って行きなさいな、あの閻魔でも酔い潰せる代物だから」

「おっ、悪いね。帰ったら四季様と一緒に飲ませてもらうよ。なになに…………『小鬼殺し』?」

 

 

 不思議そうな顔をしながらも酒瓶を受け取った小町。鬼でも天狗でも酔い潰せるであろう純度の酒、もう半分程度しか残っていないが死神と閻魔を二日酔いに悩ませるには十分だろう。

 なぜなら年中酔っ払っている鬼の酒を模倣して造られているのだから。ニヤニヤと愉快そうに笑う紫の内心までは死神にもわからない。「まあ、いっか」と不吉な酒銘についての考察を諦め、小町は嬉しそうにしてソレを仕舞い込んだ。

 

 

「じゃあ帰るよ、スキマの妖怪様。何なら今度はこっちに遊びに来なよ。四季様もあんたと『お話』をしたくていたくて堪らないらしいからね。あんたからの贈り物の酒は怪しむだろうけど」

「それならその酒は天狗からの贈り物だと伝えなさいな………あらら、せっかちな死神ね」

 

 

 どうやら『能力』を発動させたようだ。小野塚小町の姿は彼女が最初の一歩を踏み出した瞬間には消えていた。距離を無くして移動したのなら、今頃は妖怪の山の周辺にたどり着いているのかもしれない。まあ、紫の言葉は聴こえていたはずなので、二日酔いに苦しむであろう閻魔からの恨み事を天魔と分担することには成功した。天魔には悪いが、四季映姫に自分だけが目を付けられるのは面倒だったのだ。

 

 とはいえ、あの老天狗なら閻魔を酒で潰したことなど愉快な出来事として笑い飛ばすに違いない。あの男の本質は八雲紫と同じなのだから。

 

 

「もう冬なのね」

 

 

 見上げた空からは粉雪が降り注いでいる、吐いた息は煙のように白い。それは紫にとって最も厄介な季節が到来した証だった。急ぎ足で紫は巫女のいる縁側へと歩み寄る、こんな寒空の下に彼女を放り出してはおけない。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「初雪、か」

 

 

 チロチロと降り始めた雪へと刑香は手を伸ばす。

 鴉天狗の少女に捕まるのを避けるように舞い落ち、みぞれ混じりの初雪は刑香の持つ盃へと身を沈めた。雪が溶けていく様子をぼんやりと眺めてから刑香は透明な盃を飲み干した。何とも風流な姿だった。

 そんな刑香の隣では酔い潰れた美鈴が気持ちよさそうに眠っている。そして彼女を膝枕しながら、介抱しているのは幼いメイドの少女。どうやら二人は仲が良いらしい、羨ましいと刑香は思う。

 

 

「…………文、はたて、あんたたちは今何をしてるの?」

 

 

 刑香の口から零れたのは同族である二人の名前。そこにはこの宴会で親友たちに会えなかったことへの寂しさが滲んでいた。「異変の関係者は参加するように」という八雲紫の呼び掛けにも関わらず、射命丸文と姫海棠はたての二人は結局のところ姿を現さなかった。

 やはり組織から許しが出なかったのだろう。予想はしていたのだが、やはり刑香にとっての落胆は大きい。だからなのか、酔いが回って鈍くなった頭をよぎるのは数日前に文から掛けられた言葉だった。

 

 

『昔みたいに三人で暮らしませんか?』

 

 

 数日前に首を縦に振っていたのなら、きっと二人は自分と一緒にいてくれたはずだ。だが、刑香は親友たちのためにその申し出を断った。親友たちは山にいた方が幸せに暮らせると思っていたからこそ刑香に後悔はなかった、少なくともそれは普段の刑香らしい応答だった。

 

 だから今、「頷いておけば良かった」などと考えているのは酒で頭が緩んでいるからに違いない。きゅっと唇を噛み締める、しかしその碧眼にはうっすらと涙が滲んでいた。こんなことを考えるなんて本当に情けないと自分を責める刑香、そんな鴉天狗の少女に近づく小さな影が一つ。ピクリと、白い髪から見える耳が反応する。

 

 

「―――これが泣き上戸ってやつかしら?」

「別に、あくびが出ただけよ。…………何か用かしら、紅魔館のご当主様?」

「れ、レミリアお嬢様!?」

「構わないわ、咲夜。そのままでいい」

 

 

 突然とした主人の来訪に咲夜が慌てて立ち上がろうとする。それを手で制しながらレミリアは刑香を見下ろしていた。座り込んだままで刑香はその碧眼をレミリアの紅眼へと向ける。

 

 

「咲夜は美鈴に取られちゃったし、パチェと小悪魔は九尾と盛り上がってる、おまけにフランはいない。私一人で飲むのは退屈なのよ。だから付き合いなさい、鴉天狗」

「私は私で一人酒を楽しんでいたのだけど、あんたは他の連中と違って随分と横暴ね。友達無くすわよ、吸血鬼」

「おあいにく様、私の親友と部下は変わり者の集まりなの。私のワガママなんて何とも思わないわ。………隣、座るわよ?」

 

 

 レミリアは莚(むしろ)の上にちょこんと座る。藁を編んで作られた莚に、フリルの付いた洋服を着こなした吸血鬼が腰を下ろす姿は何か妙な感じがした。そして微かに漂う血の匂いに刑香は怪訝な顔をする。

 

 

「初めはあなたのことをスキマ妖怪の式だと思っていたのだけれど、単なる協力者だったのね。正直なところ意外だったわ、あのスキマは滅多なことじゃ他者を信頼しない妖怪に見えたから」

「さあ、どうでしょうね。まだ一年そこらしか一緒にいない私に紫の性格なんて計れないわよ。それと確かに『式の式』になってみないか、なんて誘われたこともあるけど今の自由を手放すつもりはないわ。…………しがらみはゴメンだもの」

「くくっ、同感ね。そんなものは十字架に括り付けて湖の底にでも沈めてしまえばいい。実際、下らない繋がりを断ち切って幻想郷に来てから私たちは自由に過ごせているし、本当にここに紅魔館を移転して良かったと思っているわ」

 

 

 スカーレット家の現当主。西方世界の行く末を左右する程の力と格式を持つ種族に生まれ落ちたレミリア、その華奢に見える双肩に掛かる重圧は相当なものだったのかもしれない。その重荷から解き放たれた今、レミリアを縛るものは何もない。幼い吸血鬼は優雅にワイングラスを傾けていた。

 

 月光を受けて艶めく肌は不思議な光沢を放ち、紅い宝石のような瞳は沈んだ闇夜にあって異質な存在感を秘めている。そして背中に生える蝙蝠に似た羽は、ビスクドールのごとく繊細な造りの外見と相まってレミリアに『夜の支配者』としての不思議な威厳を与えている。彼女ほど月が似合う化生はこの地上には存在しまいと刑香は思った。

 

 

「…………鴉天狗、翼の具合はどうなの?」

「だいたい九割方は治ったわ、この通りに」

 

 

 ばさりと刑香が真っ白な翼を広げる。包帯こそ巻いてあるものの、負傷した片翼に後遺症は見られない。異変以前と変わらない、美しい純白の羽がそこにあった。じっくりと眺めた後でレミリアは安心したように溜め息をついた。その様子から、刑香は自分から『あの娘』の話を切り出すことに決めた。すなわち刑香の翼をへし折った相手についてである。おそらくレミリアが自分を訪ねてきた理由はそれなのだろう。

 

 

「フランドールはどうしてるの?」

「あの娘は以前より見違えるほどに自分を制御できるようになったわ。幻想郷に来る前までは満月のたびに何かを壊さないと止まらなかった、けれど今は自制が利くようになったの。これなら、あと十年もすればお外に出してあげられそうよ」

「そう、良かったじゃない」

「随分とあっさりしてるわね…………ねえ、もしかしてあなたはフランのことを恨んでないの?」

 

 

 刑香の反応にレミリアが疑問を持った。誇りであるはずの翼を折られ、命を奪われかけて尚、フランドールに対しての暗い感情が刑香からは感じられなかったからだ。もしこれがレミリアだったのならば、誇りを汚した相手を生かしてはおかない。次の満月が輝く夜までには確実に始末しているだろう。

 

 

「そうね、今だって私はフランドールに対して怒りを感じてる。この翼は私にとって本当に大事なものなんだから…………でも恨みはしないわよ。だって異変の中での戦いの結果なんだし、私だってあの娘を錫杖で殴ったもの。お互い様よ」

「…………本気なの? フランの最後の攻撃を防いだ後、あなたは意識を失った。美鈴の能力で治療したから持ち直したけど、あなたは軽く死にかけたのよ?」

「それこそ死んでないんだから問題ないわ。だいたいね、私が鬼に喧嘩売った時なんて…………やめとく、思い出したくないし」

「いやいや、何があったのよ…………?」

 

 

 古き時代に神と讃えられ、時には災いだと罵られ、そうして妖怪たちは生きてきた。向けて向けられる恐れも恨みも全ては通り過ぎた道である。

 その争いの中で一時の怒りはあれど、そこに怨恨は残すべきではないことを彼ら、彼女らは理解している。重ねる年月に埋もれていくままに、人ならざる者たちはその出来事を幻とする。

 それは永い時を生きるが故の知恵であり、人間には計れない達観した考え方である。そして本来ならそれは洋の東西を問わない。

 

 

「ふーん、東方では考え方が違うのかしら。それとも貴族である私と土着の妖怪との差か…………まあいいか。とりあえず仲直りっていうことで宜しく頼むわよ、ケイカ。ところで『オニ』って何なの?」

「あんたも鬼を知らないのね。…………鬼がこの地上からいなくなって何百年も経つから仕方ないのかな。いや正確には『あの方』だけは残ってるけど」

 

 

 ちらりと刑香は酒瓶を見下ろす。視線の先にあるのは『茨木ノ枡薬酒』、その回復効果は素晴らしくお陰で刑香の身体は急速に回復できた。ならば後日、送り主へとお礼に行かなければならないだろう。

あの人物は鬼とは思えないほどに常識的な相手なのだが、鬼は鬼なので天狗が緊張するのは免れない。今から心労が溜まりそうだ。

 そんな刑香の心中など露も気にかけないレミリアは、機嫌が良さそうにワインを刑香へと進めてきた。

 

 

「それじゃあ、和解の第一歩としてワインはどうかしら。私のコレクションの一本を思いきって開けたモノなの、天狗の口に合うかはわからないけど」

「ありがと、そういうことなら喜んでいただくわ」

 

 

 仲間内では酒に強くないといっても流石は天狗、美鈴が潰れる量の酒を飲んだ後だというのに刑香はほとんど普段通りの様子でレミリアからグラスを受け取った。ちなみに刑香と美鈴の周りには空になった一升瓶がゴロゴロと転がっている、二時間近く休まず飲んでいたらしい。これで刑香は「あまり強くない部類」というのだから、平均レベルの天狗がどれ程の酒豪であるのか想像することすら恐ろしい。

 すると、レミリアから受け取ったワインを飲んだ刑香が激しくむせた。

 

 

「んぐっ!? げほっげほっ。この葡萄酒、血が混じってるじゃない!」

「………ぷっ、あははっ。引っ掛かったわね!」

 

 

 吸血鬼の好む血液入りのワインを飲まされたらしく、刑香が咳き込んだ。天狗全般としてはそうでもないのだが、刑香は血の味が苦手だ。一方のレミリアはイタズラの成功した童女のような笑顔を見せていた。先程までの威厳に満ちた様子が嘘であったかのような、まるで人間の子供のような姿で笑い転げている。

 

 

「…………レミリア、あんたねぇ」

「ようやく私の名前を呼んだわね、ケイカ」

「何? それが目的だったなら素直に言いなさい。わざわざ妙なモノを飲ませるんじゃないわよ、まったく」

「い、や、よ。こんなにも面白い反応が見れたんだから、こっちの運命の方がいいに決まってるじゃない」

 

 

 にっこりと柔らかに微笑む吸血鬼の少女。どうやら刑香に自分の名前を呼ばせたかったらしい。まるで別人のように感じる魔族のカリスマと見た目相応の純粋さ、レミリアの持つそれらは決して二重人格などではない。彼女にとってはどちらも表で、裏はない。それがレミリア・スカーレットという吸血鬼なのだろう。

 

 無邪気なレミリアに毒気を抜かれて、刑香は「今回だけは許してあげる」と苦笑した。何となくだが、美鈴や咲夜がレミリアに忠誠を誓っている理由がわかった気がした。この吸血鬼には上手く言い表せないが、人と妖怪を問わずに惹きつける『カリスマ性』がある。

 

 

 

 

「あらあら、刑香とレミリアは随分と仲良くなったみたいねぇ。嫉妬しちゃうわ」

「…………あんたもいきなり出てこないでよ。心臓が持たないわ、紫。だいたい私とレミリアの何に嫉妬するのよ、何に」

「スキマじゃない、何処行ってたの?」

 

 

 いつものように、いつの間にか隣に座っていた紫に刑香とレミリアは大して驚きもしない。八雲紫はそういう妖怪なのだと既に理解しているからだ。その冷静な対応に少しだけ紫はつまらなそうに扇を広げた。

そして主の合流に気がついた藍がパチュリーたちを引き連れて近づいて来る。酒樽を妖術で浮かして運んで来ているということは、どうやら皆で飲み直すつもりらしい。

 

 

「あちらの御用は済んだのですね、紫様。…………まだまだ御酒はあります故、彼女への弔いとして今夜は飲み明かすとしましょう。それを巫女も願っているはずです」

「そういうことだからレミィ、あんたも一緒に飲みなさいよ」

「パチュリー様たちと一緒にコレクションのワイン飲んじゃいましたっ、お嬢様ごめんなさぃぃ!」

「はいはい、別にいいからパチェと一緒にこっちに座りなさい」

 

 

 藍、パチュリー、小悪魔が思い思いの言葉と共に合流した。足取りがおぼつかないパチュリーを支えている小悪魔はレミリアに青い顔で謝罪している。

 結局、レミリア秘蔵のワインを一番消費したのは彼女だったらしい。もっとも、パチュリーたちがコレクションを持ち出したのはレミリアにはお見通しのことだったので特に罰則はなかったりする。

 そして大勢が集まってきた気配を感じて美鈴も目を覚ました。瞼を擦りながら咲夜の膝から頭を上げる。かなりの量を飲んでいたのだが、やはり妖怪だけあって復活は早い。

 

 

「………ふぁぁぁっ。あれ、ひょっとして私眠ってましたか?」

「そうよ、ようやく起きたのね。お嬢様のお世話を私に押しつけたくせにお酒を飲んで熟睡なんて、いいご身分じゃない」

「ああ、すみません。それと咲夜ちゃん。膝枕ありがとうございます」

「…………どういたしまして」

「ふふふ、咲夜ちゃんは優しいですねぇ」

 

 

 カチューシャを付けた銀髪を微笑みながら撫でる美鈴、完全な子供扱いに咲夜は不満そうだが仕方ない。如何に彼女とて妖怪と並ぶには少しばかり年月が足りていないのだから。

 

 刑香にレミリア、美鈴と咲夜、そしてパチュリーに小悪魔、最後に紫と藍。今回の宴会に参加している者たちの殆どが集結していた。再び始まる酒盛りの賑やかさに釣られて、境内をところ狭しと遊び回っていた二人組も興味を惹かれたようで近づいてくる。というよりは魔理沙が霊夢の手を握って引っ張っているようだった。

 

 

「おーい、刑香っ。ひょっとして二次会か?」

「ちょっと魔理沙、引っ張らないでよ。あと、さっき貸してあげた刑香の羽を返しなさい」

「えー、霊夢は刑香と仲良んだから頼んでもう一枚貰えばいいじゃないか。私なんて、ここに来るまでの間に何回も頼んだのにくれなかったんだぜ?」

「知らないわよ、ほら返しなさい」

 

 

 ガヤガヤと騒がしくなった境内。少人数とはいえ、人間と妖怪が集まる宴をぼんやりと眺めて刑香は盃を口へ運んでいた。ちらりと隣のスキマ妖怪へと視線を移す。

 

 

「こんなに賑やかな夜は初めてかも。…………ありがと、紫」

「あら、何か言った?」

「別に。あんたと出会ったせいで色々と巻き込まれる羽目になったことを愚痴っただけよ」

「本当にそれだけかしら、気になるわねぇ………」

 

 

 冬の訪れを告げる粉雪の舞う中で、白い鴉天狗の言葉は闇に溶けていく。その小さな感謝の言葉は紫には聞こえていなかった、しかし刑香の様子から何となく内容を察した紫は扇で表情を隠しつつ微笑んだ。それを見た刑香は耳まで真っ赤にしてしまい、霊夢と魔理沙のいる方へと逃げて行ってしまう。本当に見ていて飽きない娘だと紫はもう一度心から微笑んだ。

 

 

「霊夢に魔理沙っ、私と鬼遊びをして勝ったなら羽の一枚や二枚ぐらいだったらあげる。さあ、どうするの?」

「えっ、本当に? やるやる刑香、私やるわ!」

「もちろん私もやるぜっ。部屋に飾る以外でも、妖怪の羽なら魔法薬の研究にだって使えそうだしな!」

 

 

 どうやら紫への気恥ずかしさを誤魔化すために、刑香は霊夢たちと戯れることを決めたらしい。刑香は真っ白な翼を広げて上空へと飛翔する。そんな鴉天狗の少女を追いかける人の子が二人、新しい箒にまたがった魔理沙と能力で空を飛べる霊夢が同時に地面を蹴った。

 

 さて、翼が治ったとはいえ酒に酔った鴉天狗の少女が幼い巫女と魔法使いの二人組から無事に逃げ切ることができたのか。それとも捕まって羽を毟られて泣かされたのかは後日に語られることになるだろう。そして、もう一つ。

 

 

 

「ありがとう、か。私にはあなたからその言葉を貰う資格はあるのかしらね、刑香。…………でも今回の死神の態度ではっきりした。やはり彼岸は刑香と関わりがある。ならば調べてみる価値がある、あの四季映姫がどうして『死を遠ざける程度の能力』を持つ刑香を野放しにしているのかを」

 

 

 空へと舞い上がる三人の姿を見上げ、紫は誰にも聴こえない程度の音量で呟いた。

 

 

 

 

 


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