その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第一話:死を遠ざける程度の能力

 

 

 その子供は死にかけていた。

 昼は寺子屋と畑仕事に精を出し、夜は両親の内職を手伝った。自分を寺子屋に通わせてくれる両親に少しでも恩返しをしようと頑張ったのだ。それは生まれて初めて男として見せた意地でもあった。しかし、勤労な子供は流行り病に倒れてしまう。そして疲労の貯まっていた身体は大した抵抗もできずに衰弱していった。

 

 彼は高熱にうなされる。

 息が苦しい、手足が震える。もう駄目かもしれないと、熱に浮かされた頭でぼんやりと考えていた時だった。白い翼が視界に入ったのは。

 

 

「―――白いカ、ラス?」

 

 

 子供が寝ている布団の横に白い鴉がいた。お迎えだろうか、と混濁していく意識の中で覚悟する。どこかの国では死者を白いゾウが迎えに来るという話を先生から聞いたことがある、きっとそれと同じ類いに違いないと子供は両親と寺子屋の恩師に「さよなら」と心の中で別れを告げた。しかし―――。

 

 

 そっと真っ白な指が頬に触れた。

 ひんやりとした指が子供の熱を少しだけ和らげる。ぼんやりとお迎えの使者へと視線を移した子供が見たのは鴉ではなく、不機嫌そうな表情で自分を見下ろしている鴉天狗の少女だった。しかし寺子屋で先生から教わった烏天狗の姿とは幾分違う。黒い翼を羽ばたかせる幻想郷最速の妖怪。荒々しくも優雅な飛行を見せる大空の覇者として少年が想像していた姿とは違っていた。

 

 目の前で座っている鴉天狗の特徴は、一言で言うならば妖怪の持つ力強さとは真逆の存在だった。

 

 色素が抜け落ちたアルビノの白い肌、自分の頬に触れているのは白魚のように細い指。肩も華奢そのもので憂鬱そうな表情に猛る妖怪特有の熱はない。何というか、全体的に生命力が足りない。ただ―――。

 両目の碧眼、それだけは夏空の力強い青色だった。

 

 

「あんたはまだ死に追い付かれるには早いわ」

 

 

 指先から伝わってきたのは温かな波動。

 ゆっくりと押し寄せる波のように少年の身体に滲み込む妖気が、身体から『何か』を追い返していく。それに伴ってぼんやりとしていた少年の頭が冴えてくる、熱が下がってきたようだ。生命力を取り戻した身体がドクンドクンと脈を打つ。

 

 恐ろしい速さで回復していく体調。その様子を見守りながら鴉天狗の少女は、子供に触れた手のひらから妖気を出し続けていた。綺麗な妖怪だった、少年は鴉天狗を見つめる。しかし少年と目が合うとプイッと鴉天狗は目線を反らせてしまった。その対応に少しショックを受けた少年だったが、この言葉だけは伝えようと口を開いた。

 

 

「―――ありがとう」

 

「ふん、慧音の頼みを聞いてやっただけよ。後でお代も貰うし………だからお礼の言葉なんていらないわ。もう少し休んでなさい。私の能力じゃ病を完全に治すなんてできないんだから、また死にかけられたら迷惑だわ。ほら、そろそろぶり返してくるわよ」

 

 

 子供からのお礼に冷たく答えた鴉天狗。

 しかし、その態度とは裏腹に声色には気づかいが滲んでいた。そして鴉天狗の隣に心配そうな顔で座っている寺子屋の先生の存在に気がついた子供は安心して眠りに着いた。自分を救ってくれた白い烏天狗の姿を忘れることは生涯ないだろう、忘れたくない。そう、再び熱に浮かされてきた頭で思いながら。

 

 

 白い翼から抜けた羽が一枚、子供の枕元にヒラリと舞い落ちる。治療の終了を鴉天狗の少女が告げたのは、それから数秒後のことだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「これでいいわ、後は本人の回復力次第。だいたい一週間以内に治れば問題ないはずよ。長引いたらもう一度私を呼びなさい。お代はそうね………野菜と味噌でいいわ。人里のお金なんてあんまり集めても意味ないし」

「すまない刑香。私の生徒が世話になった。本当にありがとう………ここまで体調を崩していたことに気がつかなかったなんてな。教師、失格かもしれないな」

 

 

 生徒への心配のあまりに情けない顔をしていたのは半獣半人。ハクタクなどという歴史ある妖怪の血筋であるくせに、やたらと人間と仲が良い彼女はお人好しの妖怪だ。そんな上白沢(かみしらさわ)慧音(けいね)は、人里の寺子屋教師だった。

 

 

「私たちだって妖怪の端くれよ? 脆弱な人間の体調変化に気づくなんて難しいわ。そんなに責任を感じる必要ないでしょ、何よりあんたが私を呼んだおかげで子供が助かったのだから、むしろ胸を張るべきよ」

「―――そうだな。まずはこの子が助かったことを喜ぶべきか、ありがとう刑香。ところでお代なのだが、味噌の代わりに醤油でもいいだろうか? 味噌は切らしていてな、すまない」

「こいつの治療費、あんたが払うの? こいつの親に請求するつもりだったんだけど」

「この子の母親は脚が不自由で働けない。だから家族自体が貧しくてね、そもそも人間の医者を呼ぶ余裕はなかった。もちろん私にもない。そこで近頃、人里で有名になった鴉天狗に頼らせてもらおうと思った訳なんだ」

「………まあ、別にいいけどね。あんたからの醤油でいいから寄越しなさい。こんな夜中に呼び出されて眠いのよ、さっさと家に帰るわ」

 

 慧音から野菜と醤油が入った包みを渡された後、足早に家を跡にして村の出口へと向かう。

 すぐに飛ばなかったのは人里で未だに刑香に対して不信感を持っている村人を刺激しないためだ。面倒くさい話だが、人間というのは弱いからこそ用心深く狡猾な連中が多い。この村にも妖怪である慧音や刑香をよく思わない者も少数だが存在している。まして余所者である自分は下手にそういった連中を刺激するのは避けた方が良いと刑香は考えていた。とはいえ昼間なら普通に飛んでいくので、微妙過ぎる配慮ということには二人とも気がつかなかった。

 

 

「でも人間相手に自分の知っていることを教えて生活費を稼げるなんてね。私も医者もどきと両立して寺子屋の教師にでもなろうかしら?」

「それはいいな、歓迎するよ。ならまずは私の助手をやってみないか?」

「冗談よ。私が人間相手に講釈を垂れるなんて笑えるわ」

「私は半分くらい本気だぞ。刑香には幻想郷の歴史についての知識もあるし、人間にも優しいからね、適正はある」

「私が優しいって、冗談でも笑えないわ。あんたなら分かってるでしょうに………私は優しくなんてない」

 

 

 他愛もない話をしながら暗くなった道を歩いていく二人。半年ほど前に出会ったばかりではあるが、人里ですれ違ったら挨拶をする程度には二人の関係は良好になっていた。人里に出入りし、尚且つ人間と対等に接する妖怪は珍しい。二人が仲良くなるのは予定調和のようなものだったのだろう。

 

 そして程なくして二人は村の外れに辿り着いた。

 じゃあね、と短い言葉だけ残して刑香は翼を広げて地面を蹴った。小さな砂塵が舞い、白い鴉天狗は瞬く間に夜空に溶け込んでいった。その姿を地面から見送った慧音はポツリと呟いた。

 

 

「優しくない、か。刑香、お前の他者への気づかいは冷遇され続けた組織の中でお前が身につけた処世術だろう。そんなことは私もお前自身も理解している。だがな」

 

 

 貧困な者からはお金ではなく別の物で支払いを許している刑香のソレは、優しさの一つだと思うのだ。まさに今日がそうであったように。

 それにしても、よく人里で買い物をしているくせに「人里のお金をあまり集めても意味がない」とは説得力のない話だ。まったく嘘が下手だな、と慧音は苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――とある森の中にある寂れた神社。

 神社とは本来は妖怪を払う力を持つ場所だ。しかし人々に忘れられ信仰を集めることができなくなった神はその力を失い、神社は妖怪の入り込める所となる。刑香は妖怪の山を追われてから、この古い神社に寝泊まりしていた。渡り鳥が仮の住まいを作るような古い木造屋に、僅かな私物を持ち込んで暮らしている。

 

 帰宅した刑香は抱えていた荷物を放り出す。今日は疲れた。自慢の翼もヘロヘロで撓(しな)りがない。後で手入れをしようと思う。

 

 並みの鴉天狗より脆弱な自分の身体に多くの劣等感を持っている刑香だが、この翼だけは別だ。

 日月の光に美しく輝き、夕日に映える自慢の翼。他の鴉天狗は決して持ち得ない純白の羽。妖怪としての戦闘能力では敵わないが、この翼だけは文にさえ負けていないと思うのだ。

 

 

「………眠い、もう限界かも」

 

 

 しかし今は『能力』の余剰が磨り減ってヘトヘトだ、気分が悪い。翼の手入れは明日にしようと決めた。

 うん、頑張った。何せ今日一日で十人も治療したのだ。そのおかげで人里のお金と野菜、調味料だって手に入れた。しばらくは生活には困らないはずだ。真っ白な鈴懸(すずかけ)と赤い頭巾を脱ぎ捨てて、直接身に着けている肌着だけになる。刑香の色素の薄い肌が暗闇に浮かんだ。まだ未熟なはずの身体はどこか妖艶だった。

 そうこうしている内に、グラリと視界が傾く。

 

 

「『能力』が限界、今日は本当に疲れたわ………」

 

 

 敷かれた布団へ横になる。気をつけないと、自分が『死』に追い付かれてしまう。鴉天狗としては欠陥を持って生まれてしまった自分を支える力、それを他者に使い過ぎては余剰が無くなってしまう。その先には、まだ逝きたくない。死神の世話になるのは千年後くらいがいい、奴が自分を彼岸に連れていけるのかは知らないが。

 

 瞼(まぶた)が鉛のように重い、今夜はもうゆっくり休もう。深夜ということもあり、小さく空腹を訴える胃袋。それを無視して刑香はそっと目を閉じた。

 

 

 

 

 

「ようやく帰ってきたと思ったらもう眠るのかしら?」

「――――っ!?」

 

 

 瞬間、耳元に掛けられた声に跳ね起きる。そのまま総毛立つ感覚に従って、その場から飛び退いた。何者っ、と武器である錫杖を構えて翼を広げる。即座に臨戦体制を整えた刑香を、声の主は嘲笑う。まるで子供のやんちゃを微笑ましく見守る親のごとく穏やかに。

 

 

「あらら、そんなに警戒しちゃって。人里で噂されている烏天狗とは随分と違うみたいねぇ。もっとふてぶてしい娘を想像していたわ」

「いったい何処から、あんた何者?」

「こほん、では名乗りましょうか。私は八雲紫(ゆかり)、この幻想郷で賢者をやっている者よ」

「賢者ですって? なら、あんたがスキマ妖怪か。私の名前は「白桃橋刑香でしょう、名乗りはいらないわ。あなたに用があってきたんですもの」………そう、光栄だわ」

 

 

 今の今まで侵入者の気配はなかった。ここまで巨大な妖気を鴉天狗たる自分が感知しそこねるはずもない。会話をしながら刑香は八雲紫と名乗った妖怪を観察していた。

 

 ひしひしと感じる膨大な妖気の主。

 八雲紫は流れるような金髪を持ち、紫色のフリルドレスとふわふわしたリボン付き帽子を身につけた妖怪だった。上半身のみを何やら目玉模様が浮かび上がる裂け目から出して、こちらと会話している。恐らくは、これがスキマ妖怪の能力。先程はこの能力で突如として出現したのだろう。ならば気配など感知できるはずもない、八雲紫はまさにあの瞬間に初めて現れたのだから。激しく動悸する心臓の音を悟られぬように、刑香は堂々とした様子で口を開く。

 

 

「どういう噂があるのか知らないけど、百聞は一見にしかずってことね。―――そして、ここは私の縄張りよ。八雲紫、速やかに立ち去ってもらいましょうか。こんな深夜に訪ねてくるなんて礼儀がない。用があるなら明日に出直しなさい、さもなくば鴉天狗の力をその身に刻むことになるわよ」

 

 

 肌を針で刺す痛みを覚える莫大な妖気を全身で受けながら、刑香は錫杖を八雲紫へと突きつける。妖力からして遥か格上の存在なのは間違いないが、いざとなれば逃げ切る自信はある。何よりもこちらの都合も伺わずに深夜に訪ねてくるような妖怪相手へ下手に出るのは御免だ。そういう扱いは妖怪の山で飽き飽きしている。今の自分は組織に属さぬ自由の身なのだ。

 すると八雲紫は、どこからか扇子を取り出し広げていた。口元を隠しつつ、刑香の言葉に目を細める。

 

 

「まあ、血気盛んな妖怪がまだ幻想郷にいたのは嬉しいんだけど、小鳥のさえずりも時には耳障りねぇ。…………一匹天狗ごときが身の程を知りなさい。お前ごときに私が伺いを立てるなど必要ないわ」

「………っ!!」

 

 

 殺気一つに込められた妖力で骨が軋む錯覚すら覚える。何て妖怪だ、これは文でも相手をするのは難しいだろう。錫杖を取り落としそうになりながらも、刑香は圧力に耐えた。攻撃してきた瞬間に『能力』を発動して逃げる、縄張りと住居はまた見つければいい、そう決意して顔を上げる。すると何故か、八雲紫はニヤニヤと隠しきれない笑みを浮かべていた。殺気はすでに霧散していた、その様子を不気味に思いながらも刑香は言葉を紡ぐことにする。

 

 

「………何が可笑しいのよ。私を鳥鍋にする想像でもしているのかしら? 言っとくけど私は痩せているし、病弱だから美味くないわよ」

「安心しなさい、鴉料理は好きじゃないの。そうじゃなくて、あなたが想像よりも信頼が置けそうな鴉天狗だったから嬉しい誤算に喜んでいるの」

 

 

 何がだ、と刑香は頭を捻る。

 とりあえずこの妖怪は自分を鳥鍋にしに来たわけではないらしい。妖怪が妖怪を襲う理由など、縄張り争いか食料目当てかのどちらかだ。喰われる可能性は低くなった、それだけでも安心した。そして八雲紫は刑香に告げる。

 

 

「合格よ、したたかな天狗の連中は信用ならないから試してみたのだけど。あなたは普通の鴉天狗とはタイプが違うみたい。………あなたになら任せられる。明日、博麗神社に来なさい。あなたにやってもらうことがあるの」

 

 

 それだけ伝えると、八雲紫は目玉が浮かび上がる不気味な空間の隙間へと消えていった。大妖怪の気配が消失し、静寂を取り戻した夜の闇。緊張の糸が切れた刑香はドサリと畳へとうつ伏せに倒れ込んだ。

 

 

「何なのあの妖怪? 私を試したとか、何のために? それに博麗神社に来いってどういうことよ、あそこには妖怪退治の巫女がいるんでしょうが」

 

 

 博麗神社といえば、この幻想郷で唯一運営している神社だ。そこに住んでいるのは代々妖怪退治を生業とする『博麗の巫女』。血が繋がっているのかは不明だが世襲性で、妖怪を退治する力はとても強く、人里をむやみに襲う妖怪を討伐するプロフェッショナルらしいというのが刑香の持っている情報だ。

 

 何故そんなところに妖怪である自分に行けというのか、意味がわからない。というより行きたくない。

 

 しかし「来なければ殺す」、八雲紫には暗にそう言われた気がした。やはり断ったら鳥鍋にでもされるのだろうか、と本気で心配する。しかし真正直に行ったところで巫女に討伐されて鳥鍋にされる可能性もある。ものすごく嫌だ。

 

 

「どうしろって言うのよ」

 

 

 順風満帆だと思った日、それは一匹の大妖怪の介入により水泡に帰してしまったようだ。とりあえず現実から目をそらすために刑香は眠りについた。

 

 


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