その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第二十一話:秘めた夜の守歌

 

 

 古明地こいしがフランドール・スカーレットと出会ったのは単なる『偶然』だった。

 ある月夜、ふらりと立ち寄った湖の畔。そこには真紅の屋敷があり、自分を手招きしているように無人の門は開かれていた。そして誘い込まれるまま地下への階段を降りた先、分厚いトビラの向こう側にいたのは自分と同じくらいの背丈の女の子。気がついたら「こんばんは」と挨拶をしていた。たいそう驚いた表情をしていた彼女の顔を未だによく覚えている。

 

 それが古明地こいしとフランドール・スカーレットの『偶然』の出会いのはずだ。

 

 

 

 

「うーん、本当に偶然だったのかな、私とフランが出会ったのは…………誰かに謀られたような感じがするんだよねぇ」

「なら私は『運命』だと思うことにするわ、だってその方が素敵じゃない。あ、紅茶が切れちゃった。美鈴まだ戻って来ないのかなぁ………」

 

 

 空っぽになったティーポットを揺らして残念そうな顔をするフラン。ここにいない美鈴にはこいしの分のお茶とお菓子を持ってきてもらっている。彼女が階段を上がってからもう数十分は経ったはずなのだが、まだ帰ってくる気配はない。ひょっとしたら何か夜食を作ってくれているのかもしれない。

 

 

「ごめんね、せっかく来てくれたのにもてなしも出来なくて。こいしはお腹空いてない?」

「大丈夫、そんな気遣いは要らないよ。私はここにいるだけで満足だから」

 

 

 ころんとベットに寝転がる、こいしにとってフランの部屋は落ち着く空間だった。地下室の空気がどこか地底と似ているからなのか、それとも微かに匂う『狂気』のせいなのか。ともかく自分はフランへと無意識な親しみを感じていた。

 

 そんなことを考えながら、こいしは優雅に椅子へと腰掛けているフランを何ともなしに眺めていた。幼いながらもスラリと伸びた手足から始まる、精巧に形作られた外見は可愛らしさと美しさがまさに両立している。人を魅力し惹き付け、その血液を食事とする吸血鬼らしい姿だった。

 

 

「ほへぇ、本当にキレイだねぇ」

「なにが?」

「フランが」

「…………あ、ありがと。でもこいしも可愛いと思うわ」

「可愛いとキレイは別なんだって、お姉ちゃんが言ってた」

 

 

 真っ赤になるフランをじっと見つめる。何かに執着することのない自分が何度もここに足を運んでいるのは、きっとフランのことが好きだからだろう。

 もしかしたらフランの内に燃えたぎる『破壊』の力に惹かれたのかもしれない。『無意識』にすら恐怖を植え付けかねない絶対的な能力に、こいしの心が吸い寄せられたのかもしれない。こんなにも自分の心を惹き付ける相手など、今までは姉しかいなかったというのに。

 

 

「そういえば、フランにもお姉ちゃんがいるんだよね?」

「お、お姉ちゃん? …………ふふっお姉様、レミリアお姉様と呼ばないとダメよ。だってお姉様はとっても凄いんだから。西方に居た時も『スカーレット・デビル』なんて恐れられてたし、今だって幻想郷の賢者たちと対等にお話ができるくらい重要な地位にいるの」

 

 

 うっとりとフランは姉のことを自慢気に語る。

 それはまるで「私のお姉様が世界で一番なの」と言わんばかりの口調であった。こいしからすれば、それは黙っていられない話である。自分には『無意識を操る程度の能力』でも断ち切れなかった唯一の絆、世界で一番古明地こいしを大切に思ってくれている最愛の姉がいるのだ。例えフランの姉にだって負けたくはない。

 

 

「むー、私のお姉ちゃんだってエライもん。えーきに頼まれて地霊殿を立てたし、幻想郷で最強の妖怪と共存すらやってのけたの。それに私の能力を払い除けるくらい強い精神力を持っているんだから、フランのお姉ちゃんにも負けないわ」

「…………レミリアお姉様よりスゴい姉様なんているわけないわ、よく考えれば理解できることだもん」

「ううん、さとりお姉ちゃんの方がカンペキだよ」

 

 

 そこまで言うと二人は「うぅー」と小動物のように唸りながら顔を付き合わせる。お互いにとって心の拠り所となっている姉の名誉を守るためにも譲れない。ピンク色のクッションを抱えながら向かい合う様子は幼い少女そのものだった。

 

 

「だからレミリアお姉様の方がスゴいの!!」

「だってさとりお姉ちゃんだって負けてないもん!!」

 

 

 負けじと張り合う妹達。しかし当のレミリアは子供からの評価など気にも止めないだろうし、さとりは自身への外聞そのものに興味がない。つまりこの言い争いに意味はなく、どこまで行ってもフランとこいしだけの小さな喧嘩なのだ。そこに幼い二人は気がつかない。

 

 

「………要するに、こいしのお姉ちゃんは話し合いが得意なんでしょ。ならやっぱりレミリアお姉様の勝ちだわ。お姉様は交渉事にだって強いし、いざというときの戦闘に関する実力だって一流なんだから」

「ふふん、それこそ無理だよ。さとりお姉ちゃんに勝てるのは私だけだもん、心を読めるお姉ちゃんは他の誰にも倒せない。フランのお姉様だって勝てるわけないよ」

 

 

 心を読むことが『覚妖怪』に共通する能力である。

 相手の考えを見通すことによって、戦闘においては常に一歩先を制することができる。強大な妖怪同士の戦いにおいて、このアドバンテージはあまりにも大きい。こちらの攻撃は全て空振りに終わり、あちらの攻撃は全て防御をすり抜けてくることさえある。

 

 

「どうかな、お姉ちゃんには手の内が全部バレバレなんだから勝てないでしょ」

「…………言いたいことはそれだけかしら?」

 

 

 それでも勝ち誇ったようにフランは笑った。レミリアにはあの『能力』がある、たがらその程度でフランが敗北を認める理由にはならないのだ。

 

 

「心を読めるくらいが何よ、お姉様は『運命』を操れるの。たかが一歩先を読もうとも、お姉様はその先の先まで掌握している。一手先を読める程度の妖怪なんて指先一つで倒しちゃうんだから」

「そ、そんなことないもん。さとりお姉ちゃんなら心の奥に干渉して、相手の作戦を丸ごと見通せるはずだから………」

 

 

 空っぽの心に『熱』が戻ってくる。サードアイを閉じたことにより心を読む能力を失い、こいしは自分の心を閉ざしてしまった。だから今のこいしに残った感情は希薄であるはずなのだ。

 しかし何事にも例外がある、さとりの話題に対してだけは声にわずかな感情が甦った。唯一残った感情の回路、姉への想いがこいしに熱を一時的に取り戻させているのだろう。ギシリ、とサードアイが痛みを発した。

 

 

「フランの分からず屋っ!」

「どっちがよ、こいしの頑固者! …………あ、だったら私たちで決着付けてみようか。私たちが戦って勝利した方の姉が優秀っていうのはどう?」

「いいね、それ。わかりやすくてグッドだね、フラン」

 

 

 こいしはフランとお互いの手を取り合った。じわじわと漏れ出す心の痛み、じっくりとフランの瞳を見つめていると『心』の奥から何かが滲み出してくるのを感じた。キシキシと歯車が軋み始める音がするのは気のせいではないだろう。そして、それはフランも同じだ。

 

 

「きゅっとする鬼ごっこはどう?」

「永遠に見つからないかくれんぼがいいかも?」

 

「「それなら両方しようよ」」

 

 

 『狂気』が部屋を埋め尽くす。

 レミリアが判断したように、フランの精神を完全に安定させるにはあと十年近くが必要になる。異変の時よりも心の安定を取り戻したとはいえ、まだ早すぎたのだ。こいしの秘めた狂気に当てられてフランの狂気は再び顔を出してしまった。

 

 

「きひひ、楽しみだね」

「あはは、私もだよ」

 

 

 薪を放り込まれた暖炉のようにフランの精神が熱を帯びていく。感情の昂りに合わせて瞳は虹色の色彩を浮かび上がらせ、ぐつぐつと空気を脈動させる。そして灼熱の『狂気』が顔を覗かせた。

 一方のこいしも表情こそ相変わらずだが、その身からはフランと真逆の冷たい妖気が発せられていた。零度の『狂気』が部屋を深海のような静寂へと沈めていく。

 『動』と『静』、形こそ違えど強大な実力と狂気をその身に抱えた少女たち。そこに先程までの穏やかな雰囲気はない、微妙なバランスの上に成り立っていたソレは崩れてしまった。

 

 チリチリとした魔力と妖力が空気を焦がす。幻想郷においてもトップクラスであろうほどに凶悪な能力を持っている二人である。こんな所で暴れれば紅魔館そのものを傾けてしまうかもしれない。そんな事実も今の彼女たちには届かない。フランが宝石の羽を広げ、こいしが宙へと浮かび上がる。

 

 階段を急いで駆け降りてくる音が聞こえ、ドアが乱暴に開かれたのはまさにその時だった。

 

 

 

 

「私がちょっと留守にしていた間に何をしてるんですか、落ち着いてください二人とも!!」

 

 

 

 あわや大惨事が引き起こされる寸前、そんな空気に割って入ることのできる人物は一人だけ。紅美鈴は茶器とお茶菓子の乗った銀のトレイを掲げながら、こいしとフランの間に身体を滑り込ませていた。

 

 

「あっ、美鈴おそーい!」

「美味しそうな匂い、もしかして揚げ菓子?」

「そ、そうなんですよ。作るのに少々時間が掛かってしまいまして…………ふぅ、危なかった。本当に危なかったです」

 

 

 どうやら間に合ったらしい。お茶とお菓子の到着によって、あっという間に殺気を霧散させた二人に美鈴はほっと胸を撫で下ろした。

 正直なところ、今のは寿命が縮んだ。美鈴としてはフランが友達を得て楽しそうにしているのは歓迎すべきことだ。なのだが、いかんせん二人とも心にアンバランスな面がある上に、お互いの抱える狂気を増幅し合うので油断ができない。美鈴は思わずため息をついた。

 

 

「もう、気をつけてください。私がいなかったら、もう三度は決闘になっているんですよ。おまけにレミリアお嬢様にはお友達のことを秘密にしているんですよね、フラン様?」

「うぅ、お姉様の話題になったらつい熱が入っちゃったの。ごめんなさい、美鈴。だからお姉様には秘密にしてて………って、こいしも謝ってよ!」

「ふぇ?」

 

 

 正気を取り戻したフランが美鈴に謝っている間に、こいしはモゴモゴとお菓子を頬張っていた。まるで空に浮かぶ風船のように勝手気ままな友人の行動にフランは頬を膨らませる。

 

 

「もうっ、先に食べ始めてるし。私だって美鈴のお菓子は大好きなのにズルいわ!」

「ごめんごめん、美味しそうな匂いだったから無意識に手が伸びちゃったの」

「とりあえず『無意識』って言えば、何でも誤魔化せると思ってるでしょ。まあいいけど…………これ本当に美味しそう、何て名前のお菓子なの?」

 

 

 トレイに乗っていたのは、クッキーをグルグルとねじってから焼き上げたような独特の形をした揚げ菓子だった。こいしの言った通りに香ばしい風味と、表面に塗られたハチミツが口の中に広がり心地よい。美鈴は小さな急須からお茶を湯飲みに注ぎながら、フランへその料理について説明した。

 

 

「これは大陸の揚げ菓子、麻花(マーホア)です。簡単に説明するなら小麦粉をよくこねて、ねじって形を整えた後に油でカリカリに揚げたモノですね。今回はハチミツを使った蜜麻花を作ってみましたが、お口に合ったようで安心しました」

「へぇ、珍しいお菓子を作れるなんて門番さんはスゴいんだね」

「美鈴は大陸の文化に詳しいの、たまに変なカンポーを調合してパチェを怒らせたりするけど」

「カンポーって何?」

 

 

 美鈴から湯飲みを受け取りながら、こいしは首をひねる。カンポーではなく漢方薬のことなのだが、薬学に詳しくない二人にはわからない。ちなみに湯飲みの中に注がれていたのは青茶(チンチャア)、この国では烏龍茶と呼ばれるモノであった。上等なためか花の香りがする青茶を二人は揚げ菓子をお供にして飲み干していく。

 

 

「ねえねえフラン。私ね、天狗の集落に忍び込んだんだけど、その時のお話聞きたい?」

「天狗の集落に…………き、聞きたいっ!」

「ふっふっふっ、ならば教えてしんぜよう」

「なんかエラそう」

「えへへ、一度だけ言ってみたかったんだ」

 

 

 それは少女たちの秘密の夜会、甘い香りと楽しげな声が絶えないひと時がそこにはあった。美鈴も「ずっとこういう雰囲気だったらなぁ」と思いながら、優しい表情で彼女たちを見守っている。この様子ならもう今夜は暴走することはないだろう。しかしながら、楽しい時間というのは長く続かないものである。

 

 

「あっ、そうだ。フランに伝えなきゃいけないことがあったの忘れてたよ」

「え、なになに?」

 

 

 まさにその時だった。楽しげな雰囲気の中で、こいしが『そのこと』を何気なくフランに告げたのは。

 

 

 

「私、そろそろお家に帰ろうと思うの。だからもうフランと会えなくなると思うよ」

 

「………………え?」

 

 

 

 無意識の少女は何でもないことのように、空っぽの心で吸血鬼の友人に別れを告げた。呆然とするフランとは対称的に、こいしは今まで通りの笑顔で次のお菓子へと手を伸ばす。

 

 心を閉じた覚妖怪が『寂しさ』の感情を理解するのは困難だ、それは本当にとても難しいことだったのだ。友人の抱える闇を、フランは知ることになる。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 太古の時代から朝廷(にんげん)と争い続け、この国では『鬼』と並んで恐れられた古の妖怪。各地に残された風土記にて語られる伝説からは、人の姿をした妖怪とも妖の姿をした人間とも語り継がれている。後世にてその多くが武将たちに討ち取られてしまったが、少数の土蜘蛛たちは命を繋ぎ止め、今も幻想郷の地で生き続けている。

 

 鬼の顔と虎の胴体、そして蜘蛛の手足を持つ姿にて描かれた大妖怪。かつては名高い源氏の武将たちと戦を繰り返し、毒々しい呪いと病により多くの命を奪ったほどの化生である。

 

 

「かつて私たちは人の村々、広がる裾野を駆け抜け、八束の風土にて誰よりも畏れられていた。ニンゲンから大いに忌み嫌われていた。…………でも、それは今や昔の話」

 

 

 少女は囁くように自らの種族を語る。

 遥かな昔、土蜘蛛はニンゲンに敗北し妖怪になった。その恨みから人間を襲っていたが幻想郷に取り込まれ地底に幽閉されてからは変わってしまった。未だに好戦的な者たちは多けれど、かつてのような荒々しい気性や能力は鳴りを潜めてしまっている。きっと幻想郷に引き寄せられた時に土蜘蛛としての何かが変化してしまったのだろう。

 

 

「まあ、それはいいんだけど。私たちにはもう以前のような強さはない。どんな手段を使ってでも外敵を滅ぼしてきた、あの頃のような非情さは無くなってしまったわけなの」

「そーなんだね」

「それ自体に後悔はないんだけどね。ただ、こういう時は今の自分たちが恨めしくなっちゃうかな。ケンカじゃなくて戦いなのに、みんな勝手なことばっかりしてるし」

 

 

 ついさっき、巣に降り立ったのは『八雲』と『天魔』からの使命を帯びた鴉天狗たち。対して「地上から来る妖怪に茶々を入れたかった」だけの土蜘蛛たち。両陣営は戦闘に対する気構えが違いすぎた。鴉天狗たちは連携しながら戦っているというのに、土蜘蛛たちは各々バラバラに立ち向かっているだけなのだ。

 

 

「あーあ、ボッコボコだよ。よりにもよって地上から来たのが、組織行動の得意な鴉天狗じゃ仕方ないけど」

 

 

 次々と気絶させられていく『同胞』たちを見下ろす土蜘蛛の少女、黒谷ヤマメは退屈そうに呟いた。この少女は戦闘に加わっていない、こっそりと岩壁の窪みに身体を隠しているだけだ。そうでないと今頃は、鴉天狗のうちの誰かに気絶させられていたかもしれない。最初に巣を切り裂いた白狼天狗を見て待避していたのだが、どうやら正解だったらしい。

 

 

 

「天狗っていい思い出がないんだよね。怖い怖い、くわばらくわばら。…………あはは、土蜘蛛の私が厄除けのおまじないを唱えるなんて可笑しな話だね」

「そーだね。ぷぷっ、年寄りくさい…………わひゃぁぁっ、揺らさないでぇ!?」

 

 

 横にぶら下がっていた桶の中からバカにする声が聞こえたので、とりあえず上下に揺さぶっておいた。大きな木製の桶に入っているのは『釣瓶落とし』のキスメ、鬼火を操る妖怪の少女である。ヤマメとは仲の良い友人関係で、よくつるんでは暇を潰し合うのが日課である、

 

 

「うぅ、ひどいよー!」

「先に仕掛けたのはキスメでしょうが、まったくもう失礼するよ。私はまだまだうら若き乙女なんだから」

「とりあえずごめんなさい」

「よし、許す」

 

 

 そうしているとまた一匹、今度は少女たちの連携によって同胞が討ち取られているのが見えた。ヤマメが見下ろす先では、黒髪の鴉天狗の起こした突風に巻き上げられる男の姿があった。

 

 

「頼みましたよ、はたて!!」

「でりゃあぁぁ!!」

「―――ガ、アァァ!?」

 

 

 強烈な峰打ちが男に突き刺さる。黒髪の鴉天狗の持つ葉団扇から放たれた暴風に煽られ、バランスを崩した土蜘蛛への容赦ない一撃。抜刀していないのだから手加減はしているのだろうが、あれは並の妖怪なら真っ二つになる。ちなみに、気を失って落ちていく同胞はこれで六人目だ。

 

 

「…………うん、とっても強い。現代(いま)の私たちじゃ勝てないな、悔しいけど格上ってやつだ」

「勝てないのは悲しい?」

「ううん、悔しいけどこれが現実なんだから仕方ない。もう昔とは違う、天狗は手ぶらで戦って勝てる相手じゃなくなったわけだ。いや、連中は昔から強かったんだけどね。特に親玉が」

 

「ふーん、天狗の頭領なんて見たことないや。ところで目ん玉妖怪からの命令、守れそうもないけど怒られるかな?」

「どうだろ、アイツにとっては想定の範囲内かもね。地上からの侵入者を撃退しろなんて言ってたけど、私たちがバカ騒ぎしたいだけだってことも読んでるだろうし」

 

 

 さとりからの命令で自分たちはここに集結した。そして、この状況を見るに地上からの『脅威』がどの程度であるのかを測るための当て馬、それが今回の自分たちに与えられた役割だったらしい。それでも土蜘蛛たちは「酒と喧嘩は地底の華」と思ったからこそ、地上の妖怪にケンカを吹っ掛けに来た。勝ち負けには拘っていないのだ。

 

 

「まあ、利用されるのを知りながら喧嘩を楽しみに来た土蜘蛛の考えなんて、さとり妖怪には見透かされているに決まってるよ」

「たぶんそうだろうね、アイツにかかれば地底の全ては意のままだもん」

 

 

 心理戦を繰り広げて、古明地さとりに勝つことのできる者は地底に存在しない。当たり前だ、心を掌握する妖怪と対峙して万が一にも勝ち目があるわけもない。ならばこそ地底の妖怪たちは星熊勇儀よりも古明地さとりを恐れ、忌み嫌うのだ。

 そこでヤマメは思考を一旦打ち切った。戦闘中なのに今ここにいない人物のことを考えても仕方ないからだ。だからこそ仲間たちが押されている戦況を観察しているたのだが、そこで一つの発見があった。

 

 

「あ、特に厄介なのはアイツだ。とびっきりの厄除けの匂いがする。きっと私たちの『能力』が通じないのもあの白い奴のせいだよ。やっぱり天狗衆は層が厚いね、あんな奴もいるなんて」

「何だか楽しそうだね?」

「まあ、どうせなら楽しまないと勿体ないよ」

 

 

 ヤマメが面白そうに眺めているのは白い鴉天狗。

 戦闘力自体は他の二羽と比較するなら大したことはない。だが不快な気配がした、土蜘蛛の持つ『病気を操る程度の能力』を払いのける刑香の『能力』をヤマメは本能的に感じ取る。

 だからなのかその純白を地に墜としたいと土蜘蛛の牙が疼き出す。久方ぶりに沸き上がるそんな感情が堪らなく愉快だった。

 

 

「文っ、はたてっ!」

「げっ、もう時間切れですか!?」

「そろそろ見抜かれるわよ、気をつけて刑香!」

 

 

 三羽の鴉天狗たちが一旦集結する、そして白い鴉天狗に触れると直ぐにまた散開していった。先ほどから繰り返される、その行動に何かしらの意味があるのは明白だろう。恐らくは能力の一時的な譲渡か何か、それによって病を退けている。

 その『能力』が無ければ、致死性の感染症の一つや二つくらいはお見舞いできたというのが非常に残念だ。ヤマメがうんうんと納得していると、キスメが「でも」と首をひねる。

 

 

「でも、ヤマメや私が気付いたってことは他のみんなも勘づくんじゃない?」

「それはそうだろうね、ほら白い奴を狙い始めたよ」

 

 

 キスメの予想は当たっていたようで、残っていた土蜘蛛たちは一斉に白い鴉天狗へと牙を向いた。彼らの口から灰色の糸が吐き出される。能力を使用した影響からか、速度の鈍っていた少女の細身に糸が絡み付く。

 

 

「く、しまった!?」

「捕まえたぞっ、さらに動きを止めろ!」

 

 

 それと同時に二匹の土蜘蛛から灰色の糸が白い鴉天狗の腕と首に巻き付いていく。『病を防ぐ術』さえ潰してしまえば、鴉天狗たちに一矢報いることができるだろう。強靭なクモ糸が華奢な身体を逃すまいと締め付ける。ジタバタともがく少女だが、あれではもう逃げられない。そして、これは絶好のチャンスだ。

 

 

「~~~っ、はな、しなさい!」

「そりゃ無理な相談だ、誰がこの状況で解放するんだ、よっと!」

「っ、くぅ…………ぁ」

 

 

 ギシリと首に巻き付く糸を引き締める。白い少女は気丈に男たちを睨んでいるが、全身を絡めとる糸にはどうしようもない。そうしている間にも少女を窒息させようと男たちは糸を締め上げる。

 

 

「ねえ、キスメ」

「はいはい、ヤマメも行ってきなよ。蜘蛛の巣にかかった獲物はみんなで分けるんでしょ、私は待ってるからさ」

 

 

 「今なら狩れる」とヤマメは口元を歪ませた。残りの鴉天狗たちが救援に駆けつけようとしているのが見える。それでも頭上に陣取っている自分ならば白い鴉天狗の不意を突ける、その首に毒牙を突き刺せるはずだ。この絶好の好機を利用すれば、全体の流れを変えられるかもしれない。土蜘蛛の少女は初めて妖怪らしい笑みを浮かべて、ぐっと両足に力を巡らせ―――

 

 

「それじゃあ、ちょっと行ってく…………ぅわ!?」

 

 

 ―――ようとした瞬間だった。

 地上から迫ってくるモノの気配を察知できたのは幸運に過ぎなかった。それを回避するために身をよじったと同時に、透明な刃がヤマメの顔を掠めるように通り過ぎる。空気の振動に眼球が揺らされたのをはっきりとヤマメは感じ取った。

 

 

「あ、あぶなっ!?」

 

 

 咄嗟に身を引いたヤマメの目前を大きく駆け降りていったのは風神の刃。膨大な妖力を押し固めて放たれる鴉天狗たちの奥義の一つ。それは白い少女のいる側面まで接近すると直角に折れ曲がり、横から土蜘蛛の男たちを呑み込んだ。

 

 

「ガ、ガァァアアァァ……………ッ…!!?」

 

 

 男たちを取り込んだ竜巻から流れ出したのは悲鳴だった。さながら罪人の処刑を行うがごとく、鮮血をも巻き上げて深紅に染まった竜巻が舞う。程なくして血まみれで同胞たちが吐き出されるのをヤマメは呆然と見送った。

 ズタズタにされた男たちと、微塵に切り刻まれた土蜘蛛の糸が地の底へと墜ちていく。男たちは一切の抵抗を許されず意識を刈り取られ、鋼鉄をも凌駕する糸は完膚なきまでに断ち切られていた。それはあまりにも刹那的で、衝撃的な出来事だった。さすがのヤマメも顔を青くする。

 

 

「え、何が起こったのヤマメ?」

「っ、今のはここの鴉天狗たちじゃない。まさか別の誰かが『地上』から攻撃してきたっていうの!?」

 

 

 あり得ないとヤマメは可能性を否定する。

 ここから地上までどれだけの距離があると思っているのだ。数千年を生き抜いた大妖怪ならいざ知らず、そこいらの妖怪の攻撃が届くはずもない。だからこそ地上への空間を見上げた時、ヤマメの瞳は凍りついたように動きを止めた。

 

 

「う、そ」

 

 

 見上げた瞳に映ったのは黒い翼。遥かな地上の空にて、月の光を背負い佇んでいたのは、葉団扇を手にした一羽の鴉天狗だった。その猛禽の瞳は一切の闇を許さず、この地底の全てを見通すがごとくに輝きを放ち、深い紫色の羽織りは誇らしげに夜風に靡く。それはヤマメにとって見覚えのある姿でもある。

 

 

「お前、は……くっ………とっ…………ぅっ!?」

 

 

 鴉天狗を視認した瞬間からヤマメに襲いかかったのは息が詰まるような重圧。老いた風神の眼はじっとヤマメを見つめている、たったそれだけで周囲の空気が根こそぎ奪い取られたように呼吸ができない。

 

 

『手を出すな、土蜘蛛の小娘』

「は、ぇ?」

 

 

 豪雨のごとく降り注ぐ殺気に肺までもが凍りついていく、何か聞こえた気がしたが空耳に気をやっている余裕はない。そうしている間にも頭の中で警鐘が鳴り響き「あいつは駄目だ」と告げてくる。少しずつ視界が真っ白に染められていくのを感じて、ヤマメは全身から力が抜けるのを自覚した。

 

 

「…………ヤマメッ、ヤマメッ…………一体どうしたのっ、ヤマメッ!!」

「っ、ぶはぁっ!!」

「わひゃっ…………ほ、本当にどうしたの!?」

 

 

 意識を手放しかけたヤマメを救いだしたのは、キスメの声だった。ようやく途切れた緊張、それを合図にして肺一杯に空気を取り込む。一体いつから自分は息をしていなかったのだろう。そしてもう一度、おそるおそる地上を見上げると既に鴉天狗の姿は無くなっていた。

 

 

「いきなり固まっちゃったから、びっくりしたよ。何かあったの、ヤマメ?」

「…………き、キスメは何ともないの?」

「ん、何が?」

「う、ううん。キスメが無事でよかったよ」

 

 

 あれほどの殺気にも関わらず、キスメは異常を感じていなかったらしい。ならば今のは幻だったのだろうか、いやそんなはずはない。あの大妖怪の気配は本物だった、あの殺気に貫かれていた間に感じた精神の痛みは現実だった。カチカチと奥歯が震える。

 

 

 

「刑香っ、無事ですか!?」

「文のおかげで助かったわ、いつもありがと」

「へっ、何がですか?」

 

 

 糸から解放された白い鴉天狗が仲間に礼を言っている。さっきの攻撃は文という鴉天狗からの援護に見えるように、調節されて放たれていたからだろう。そうでなければ風刃を『直角に曲げて』横から叩きつける必要はない。それはあり得ない領域にまで研ぎ澄まされた風の支配力、大気の掌握である。それを理解したヤマメはあの光景が幻想でなかったことを確信する。

 しかし、その顔にあるのはすでに恐怖ではない。場違いなほどに明るい色がヤマメの表情を染めている。

 

 

「こんなの久しぶりかも…………ふ、ふふっ」

「何が嬉しいのか知らないけど、このままじゃあ不味いんじゃない?」

 

 

 芯まで冷たくなった身体を抱きしめて押し黙るヤマメに、桶の中からキスメが話しかける。こうしている間にも土蜘蛛たちがどんどん数を減らしているからだ。白い鴉天狗を潰す機会を失った彼らには、もはや勝ち目はない。

 

 

「これじゃ押し切られるのに時間は掛からないよ、どーするの?」

 

 

 のんきな声を上げるキスメを横目にしながらヤマメは考えを巡らせる。さとりからの命令は「地上からの侵入者の見極め」だった。それはもう十分だろう、鴉天狗たちはわざわざ土蜘蛛たちを峰打ちで倒しているのだ。少なくとも冷徹な侵略者ではない、この分だと本当に話し合いに来ただけかもしれない。

 

 

「それでも久しぶりに楽しくなりそうだよ、まさか天狗の長老が顔を出すなんて。…………日和見主義の天狗衆が私たちに直接絡んでくるなんてこの数百年で初めてなんだから」

 

 

 冷えきっていた身体の芯が発熱していく、心臓が力強い鼓動を刻み肉体を再び温めていく。「面白そうなことを見つけた」と、それだけでヤマメは、いや地底の妖怪たちは笑うことができるのだ。

 

 

「さぁて、この吉報をアイツらにも知らせに行こうかな。キスメ、あっちは頼んでもいい?」

「任された。パルスィに知らせるんだよね、全部オッケーだよ!」

 

 

 バイバイと手を振ってから、地の底へと桶と共に落下していくキスメ。もし落ちている間で戦闘に巻き込まれてたとしても彼女なら平気だろう、意外とあの桶は硬い。そしてヤマメは明るい笑顔を振り撒いた。

 

 

「楽園の裏側へようこそ、地上からの使者様たち。私たち一同を挙げて歓迎するよ。君たちがこの地底をどこまで掻き乱してくれるのか、楽しみにしているね」

 

 

 彼女たちの来訪はとても面白いことになるかもしれないし、ならないかもしれない。彼女たちがかつての上司相手にどこまでできるのかは不明だし、上司たちも彼女たちにどういう対応をするのかも予想できない。しかし、その出合い自体が数百年の退屈を紛らわせる。そういう期待が胸を膨らませるのだ。もう一度だけ鴉天狗たちを見下ろして、そっと抜け道からヤマメは脱出する。

 

 

 

 その向かう先には『鬼の都』があった。

 

 

 

 


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