その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第二十七話:語られる怪力乱神、語られぬ片腕有角

 

 

 天狗の縄張りである妖怪の山。

 雄々しい木々に囲まれた中腹あたりには『とある方術』が施された場所がある。訪れる者をことごとく迷わせる樹海は、深い霧と木々の迷路によって天狗たちの目すらも欺き通す。ここは高名な隠者の砦、そして大天狗たちが黙認せざるを得ない『とある存在』が居を構える魔境である。

 

 

「くかかっ、ここで初めて貴女と再会した時は胆を潰したものだ。貴女が姿を眩ませて幾星霜、まさか我ら天狗の目と鼻の先に屋敷を構えておられるとは思いますまい。そうであろう、茨木華扇殿?」

「…………私をどなたかと勘違いしておられませんか、天狗の長老様?」

 

 

 曇りなき夜空に浮かぶ月の下、薄ぼんやりと照らされていたのは一軒の民家であった。天狗の縄張りから空間を隔絶した先にある、そこは『茨華仙(いばらかせん)』と名乗る人物が住まう場所であった。本人の真面目な性格を反映したように整頓された和室では、二人の人物が向かい合っている。

 

 黒い鴉の羽を持つ老天狗、ここを訪れた客人である天魔の前に座しているのは一人の少女。鮮やかな桃色の髪と大きめのシニョンキャップ、そして右腕全体に巻かれた包帯が特徴的な女仙人であった。以前から彼女を知っている天魔から言わせれば、その身には本来なら『無いはずの右腕』があり『頭にあるはずのモノ』がない妙な出で立ちである。

 

 

「つまらぬ話は控えましょうぞ。今宵のワシは単身であり、護衛は一羽とておりませぬ。ここでの会話が漏れることはない」

「ふう、それなら初めから言いなさい。何を企んでいるのか、昔からお前はわかりづらいんです。こんな夜分に訪れるのも含めて、お前は相変わらず私たちを心から敬っているわけじゃないみたいね。―――ほら、出がらしだけどお茶をどうぞ」

「たまには安い茶も悪くないですのぅ…………冗談です」

 

 

 出された湯飲みを天狗の長は恭しく受けとる。夜ということもあり、薄く煮出された緑茶がほのかな香りを放っているのに顔を綻ばせる。「彼女は昔からこの茶葉を好んでいたな」と懐かしく思いながらゆっくりと口を付けた。その様子を静かに見つめていた華仙は口を開く。

 

 

「…………大天狗たちは逝きましたか」

「ええ、西行寺の娘に送らせました。『死を遠ざける程度の能力』をはね除けるのには苦労したようですがの、流石は八雲の旧友なだけはある。『死を操る程度の能力』とは誠に恐ろしき力よ」

「ともかくこれで天狗の上役は天魔、お前だけになったということね。天狗組織の動揺は聴こえているわよ。こんなに山が騒がしいのは『月の戦い』で多くの精鋭を失って以来になるのかしら?」

「そうですな、あの時は多くの精鋭を失ったために我らは屋台骨から揺れておりました。あれから組織を建て直すのに千年、ようやく山は次世代に託せるまで落ち着きを取り戻したのです」

 

 

 開け放たれた円窓から差し込む月明かり、それは湯飲みの水面に映り込んでいた。憎々しげに夜空の欠片を見下ろした天魔は残った茶を飲み干す。あれから千年経った、されど息子を奪った月の民への怒りは収まるはずもない。まったくもって不愉快な光だ、特に満月が出る夜には酒を呑まずにはいられない。

 

 

「我が友、大天狗たちは己に課せられた役目を果たしました。その身を屍と化してまで組織を建て直すだけの時間を稼いでくれた、本当にようやってくれた。アヤツらにはいくら感謝しても足りませぬ」

 

 

 上役の会合には最早、天魔以外には誰もいない。たった一人でこの老天狗は組織を支えるために日々を奔走しているのだ。疲れた表情を隠しもしない天魔へと、しかし華仙は不満げに言葉を紡ぐ。

 

 

「…………もう一人への想いはどうなのよ。もう組織が落ち着いたのに、お前が犠牲にしてきた『あの娘』には真実を話してあげないのかしら?」

「アレは籠の外へと逃がしました、これからは何を知ることもなく生きるでしょう。あの子は二度とワシの元には戻らず、自由に幻想郷の空を行くのです。…………それで良い、せめて残りの時間をあの子にとって好きなように過ごさせてやりたい、それだけでワシに未練はありませぬ」

 

 

 かつて万里を焼き尽くすほどに強大であった、何者にも劣らぬ神格を誇っていた。そんな本来の力は見る影もない、一体この男の力は全盛期の何割にまで落ち込んでしまったのだろうか。そして妖怪や神が精神的な存在である以上、ここまで天魔を追い詰めた原因に『あの娘』が関係しているのは想像に難しくない。妖怪の弱点は精神的な傷であるのだから。

 

 その姿に華仙は怒りすら滲ませる。

 

 

「悪いことは言わないから手元を見つめ直しなさい。あの娘に全てを打ち明けなさい。さもなくばお前は自分自身を赦せない、その想いこそが自らを滅ぼしかけていると何故わからない」

「これはまた手厳しい。されど心配は無用、この程度で死を迎えるほど脆弱ではありませぬ。傷とはいずれ癒えるもの、我が力もやがては回復するはずです」

「お前のためではなく、あの娘のために言っている。もうお前たちに残された『時間』はそう多くないのよ、彼岸に招かれる前にあの娘に償いなさい。このままお前の独りよがりで永久(とわ)の離別に逃げ込むことは許さない」

「くかかっ、閻魔にも同じことを説法されたことがありますわい。あの者から『このままでは地獄行き』であると脅されました。しかしこれは我らの問題、たとえ貴女方の忠言とて易々と受け入れる謂れはない。…………さて、そろそろ御暇しましょうかの」

「………………分からず屋め、きっと後悔するわよ」

 

 

 華仙へと送られた言葉は拒絶の一色であった。

 大天狗たちの末路は確かに伝えた、ここを訪れた目的は果たせたと老天狗は立ち上がる。これ以上話し合ったところでお互いの主張はきっと平行線のままだろう。まだ何か言いたそうな仙人に心のなかで苦笑しながら、天魔は背後の扉へと手をかけた。ふと、真っ黒な翼が揺れる。

 

 

「そもそもワシなどの元に生まれたのが、アレにとって最大の不運だったのです。いっそ人の子として生まれていれば相応の愛情を受けて過ごすことができたでしょうに」

 

 

 心底バカバカしい考えだ、このような「仮」の話をして何になるというのか。普段の天魔なら決して声に出さぬ戯れ言であった。どうやら久しぶりにあの娘の姿を見ることができて心が緩んでいるらしい。雲の隙間からとはいえ、本当に久しぶりだったのだから。

 

 

「…………あの娘は自らを不幸などと本気で考えてはいないわ。確かに様々な苦難はあったけど、そう思わないだけのモノを彼女は得てきた。『人の子として生まれていれば』など、あの娘が歩んできた時間への侮辱でしかない。だから取り消しておきなさい」

「これは本当に手厳しいわい………………こりゃ本当に、手厳しい」

 

 

 華仙から返されたのは辛辣な言葉であった。

 妖怪は妖怪として生まれて死んでいく、それはレミリアにすら逃れられぬ運命である。そしてその宿命に抗って『仙人』となった華扇からの一言は精神に深く深く刺さるものだった。それに比べて、おのれの何と浅ましきことかと天魔は自らを恥じる。かすかに水滴で歪んだ視界に目を細め、老天狗はかつての上司へと一礼してから屋敷の外へと歩み出した。屋外にて身体を突き抜ける夜風はどこまでも冷たい。

 

 いつから自分たちの運命は狂ってしまったのだろうか。息子を亡くした時か、それともあの娘を一度失った時か、いや恐らくは『月の戦い』に赴いた瞬間が別れ目であったのだろう。そしてあの戦いに天狗を引き入れた張本人は――――。

 

 

「今更だ、こんなものは詮なき話であろうよ」

 

 

 老天狗は吐き捨てるように呟いた。たとえ全ての始まりが『あの妖怪』であったとしても、その後にあの娘を待ち受けていた苦難を紡いだのは間違いなく天魔である。それでも己の運命を狂わせた元凶が傍にいることをあの娘はきっと知らない、それで良いのだ。

 

 

「やれやれ、ワシも本格的に焼きが回ったか。神格の大部分を失って久しいが、ここまで老いを感じたのは初めてだ。つまらぬ昔話を思いだし、あまつさえ童子様相手に心情を吐露するなど愚かな話よ」

 

 

 一説によれば『童子』とは鬼神を表す言霊である。それを送られる対象は幻想郷といえど極少数、まして天狗の長老に敬意を払わされる存在など更に限られている。

 

 ―――大江の山を拠点に暴れまわった『伊吹の百鬼夜行』、その副首領格たる大妖怪に『茨木童子』という鬼がいた。

 

 もはや鬼そのものが忘れ去られた幻想郷において、語られることのない鬼の御大将。人間から鬼となった伝承を持つ妖怪と『茨華仙』には如何なる繋がりがあるのか、その真実を知る者は少ない。しばらく天魔は仙人の屋敷を見上げていたが、やがて深紫色の羽織を翻して歩き出そうとした。

 

 

「さて、帰路につくとするか………………何者だ?」

 

 

 風に乗って流れる甘い香り、それを感じた天魔は立ち止まる。『茨華仙』の屋敷は正しい順路で森を抜けなければ決して辿り着けない場所にある、華仙の施した方術が侵入者を拒絶しているのだ。そしてその道筋を知っているのは本人と、そのペットたちを除ければ天魔と白い少女のみである。故にここで自分たち以外の気配を感じるなどあってはならないことであった、本来ならば。

 

 

「…………まあ良いか、大したことでもあるまい」

 

 

 何気ない様子で天魔は『三人分』の足跡を見逃した。ついでに視界へと映っていた一団に老天狗は気づかぬふりをする。異常なレベルの認識阻害は天魔でさえ、風の流れを読まなければ対処ができなかったであろうが種さえわかっていれば何とかなる。

 

 

「さて、今宵は酒を呑んで寝るとしようか。伊吹の小鬼めを酔い潰すための酒があったはずじゃからな。…………それにしても小ガラスどもは無事に古明地さとりに会えるであろうか、彼の地には恐ろしい妖怪もいることじゃからなぁ。もしや救援が必要やもしれんのぅ」

 

 

 わざとらしく独り言を呟いてやると、小さな影たちは一目散に地底への入り口へ向かって飛んでいった。「やれやれ」と周辺を見回してみると施された方術は強引に『破壊』された上、どうやら自分が彼女らによって『無意識』に追跡されていたことを知って溜め息をつく。

 

 

「まったく、レミリア嬢も小酔な真似をしてくれる」

 

 

 願わくば届いてくれるなと祈った、伝わるはずのなかった想いは思わぬところで拾い上げられたらしい。しかし不思議と彼女らを止める気にはならなかった。やはり今夜は調子が悪い。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「――――頼むから人の子みたいに逃げ出してくれるなよ。人間との鬼遊びならまだしも、天狗を地上まで追いかけ回すなんて滑稽にも程があるからねぇ」

 

「いいぞ大将ぉ!」

「綺麗所が三人か、これは良い肴になりそうだな」

「馬鹿野郎、大将を入れるから四人だろうが」

「アタイも混ざりたいねぇ、せいぜい頑張りなよ天狗ども!」

 

 

 手下たちの歓声を受けて二本歯下駄の音が響く。

 朱塗りの渡り橋を闊歩して、妖力のみで板を軋ませながら星熊勇儀は迫り来る。かつて感じた『鬼の四天王』と同格である覇気に、白い少女は後退しそうになる自らの身体を叱咤した。奥歯を噛み締めて何とか恐怖を押し留める、しかしそれ以上の行動ができない。話し合いのために少しでも時間を稼ぐ必要があるというのに身体がピクリとも動かない。

 

 

「な、何であんたが出て来てんよっ。さとりにコイツらの迎撃を任されていたのは土蜘蛛と私だけのはずでしょ!?」

 

 

 代わりに怒声を発したのはパルスィだった。はたてを後ろに庇いながら橋姫の少女は震えながら問いかける。地底の番人たる彼女も、鬼の集団と向かい合った経験はないのだろう。そんなパルスィの姿を真っ赤な瞳が捉えると、鬼の大将は親しい友に会ったかのように陽気な笑みを浮かべた。

 

 

「なんだ、誰かと思えばパルスィじゃないか。まあ確かに、私はさとりの奴に頼まれたわけじゃない。ヤマメから話を聞いて、楽しそうな喧嘩をみすみす逃すのは御免だから駆けつけただけさ」

「ヤマメめ、後で絞めてやる。…………何にせよここは私の縄張りよ、鬼であっても好き勝手にはさせないわ。あんた達はとっとと旧都に引っ込みなさい、この天狗たちは私が責任を持って地霊殿に送り届けるから」

「そうはいかないねぇ。初めはさとりの指示があるまで大人しくするつもりだったんだが、『萃香と戦って生き残った天狗が来ている』なんて聞いたからには黙っていられるわけもない。そこをどきな、パルスィ」

 

 

 鬼の歩みは止まらなかった、その変わらない速度を見てパルスィが悔しそうに押し黙る。もはや言葉で勇儀を止めることは不可能なのだと察したからだ。だが鬼とは元来こういうものである。何もかもを荒らし尽くす狼藉者であり、その傲慢さを貫き通す『力』を持った王者なのだ。その性質は一つの場所を護り続ける『橋姫』とは相容れない。

 

 そして誰もが言葉を無くして立ちすくむ中で、動いたのはたった一人だけ。ようやく緊張を解き、わずかに一歩だけ踏み込んだ刑香は勇儀へと向かい合う。空色の青と灼熱の赤、正反対の色を持つ瞳が交差した。

 

 

「つまり、あんたの目的は私一人ってわけ?」

「そういうことになる、強いていうなら私が戦ってみたいのはお前一人だよ。あの萃香とやり合って五体満足で生き残った妖怪なんて同じ四天王以外にはいなかったからねぇ、味見をしてみたくなったわけだ」

「…………それなら話は早い。いいわよ、少しの間だけ相手をしてあげる。だから残りの連中には手を出さないで、私が一人であんたと戦う」

「おいおい、ダチを庇うために単身で引き受けるってのかい。何とも気持ちのいい台詞を吐いてくれるじゃないか。随分と懐かしいよ、大昔の人間が聞かせてくれた言葉とそっくりだ」

 

 

 橋の真ん中で勇儀の歩みが止まり、笑った口から愉快そうに牙が覗く。萃香から受けた恐怖がよみがえるが、それでも眼差しだけは真っ直ぐに鬼を見据えてやる。強い意思を感じさせる空色の眼光にますます勇儀の笑みが深くなっていく。

 

 

「いいねぇ、中々どうして見てくれも中身も悪くない。もっとも萃香があんな自慢げに語っていた天狗なんだ、これくらいは当然かもしれないね」

「萃香さまのご友人にそう言ってもらえるなら嬉しいわ。さて、そういうことだからあんた達は先に行きなさい。ここは私が引き受けるから」

 

 

 振り返らずに刑香は文たちに告げた。

 この鬼が出てきた原因が自分にあるのなら、この相手は自分一人で対処する。それにフランドールに敗北を喫した紅魔館と違って屋外ならば、たとえ鬼が相手であっても易々と敗れることはないはずだ。

 自分が時間を稼いでいる間に文とはたてが旧都に到着して書状を届けるならそれで良し、万一敗れても鬼は決して約束を破らない。だから親友たちに危害を加えられることはない、その代わりとして自分は助からないだろうが仕方ない。

 

 

「こらっ、なーに勝手に決めてるんですか」

「あいたっ!?」

 

 

 覚悟を決めて妖刀を引き抜いたところで、コツンと頭を叩かれた。白い髪から真っ赤な頭巾がずり落ちそうになるのを押さえて背後へと振り向くと、不機嫌そうな表情をした文がいた。表面上はいつも通りの人懐っこそうな笑みを張り付けているが、目だけが笑っていない。これは本気で怒っている時の顔である。

 

 

「あ、文、一体なんで怒ってるの?」

「それは本気で言ってるんですか? …………はぁ、私たち三人のリーダーが射命丸文だと決めたのは刑香、あなたでしょう。ならばリーダーの指示に従いなさい」

「っ、ここに誰かが残って鬼と戦わないと先には進めない、もし逃げたりしたらアイツは地上まで追ってくるかもしれない。ならここは私が…………」

「あややや、刑香は私とはたてのことになると自分を蔑ろにしますからね。嬉しいことなのですが、時に危なっかしくて見てられないんですよ…………はたて、これをお願いします」

 

 

 言うが早いか、文は二組の書状をはたてへと放り投げた。その片方の巻物が見慣れたものだったので刑香が慌てて懐を探ると、いつの間に盗られたのか藍から預かった書状が無くなっていた。はたては八雲と天狗の両方の巻物を受けとると真っ黒な翼を広げる。

 

 

「ん、任された。それで私はさとりって奴にコレを届ければいいのね?」

「ええ、できれば地底のトップをそのまま引きずって来てください。この馬鹿げた喧嘩の仲裁を押し付けますので」

「りょーかいよ、それじゃあ文は刑香のお守りを頑張ってね。まあ慣れてるだろうけどさ」

 

「…………文、まさかここに残るつもり?」

「もちろん私も残りますよ、刑香一人では木っ端微塵にされるのがオチでしょうから。まあ、はたてがお使いを済ませてくるまでの時間稼ぎをするだけですけど」

 

 

 どうやら文もここに残ることに決めたらしい。はたてを先に行かせるのは、単純に自分の方が戦闘に長けているからだろう。本気になった射命丸文の実力は刑香やはたてより頭一つ抜けている。そっと肩を並べるように隣に来てくれた親友のおかげで、何だか心が軽くなった気持ちを刑香は感じていた。

 そして何かを考える素振りを見せていたパルスィがはたての傍へと歩み寄ったのはそんな時だった。

 

 

「待って、地霊殿なら私も付いて行くわ。さとりを説得するのを手伝ってあげる」

「へっ、何でそんなことしてくれるのよ?」

「それはほら…………気づかせてくれたお礼よお礼。あんた達を眺めているのもわりと楽しかったし、とっても妬ましいけど」

「ふーん何だかわからないけど、せっかくだしお願いしようかな。よし掴まりなさい、パルスィ!」

「ちょ、抱えるなぁ!?」

 

 

 まさに風のように、はたてはパルスィを抱えて飛び立った。垂直飛行で一気に高空へと駆け上がり、勇儀の頭上を遥かに越えて行く彼女に他の鬼たちも手を出さない。あっという間に旧都の方角へ消えていく少女たちを見送った、その後に残されたのは刑香と文の二人だけである。ちなみにキスメはいつの間にやら対岸のヤマメのところへと向かっていた。周囲を見回してから、溜め息混じりに白い少女は黒い少女へと視線を送った。

 

 

「…………結局、文は行かないのね」

「ええ、花一匁(はないちもんめ)は好きじゃないんです。誰か一人を売り渡して逃れる選択肢は最初からありませんよ。逆の立場なら刑香も同じことをするでしょう?」

「まあ、そうだけど。せっかく私が一人で引き受けるつもりだったのにきっと後悔するわよ。鬼の四天王はあんたより強いんだから」

「それでも友人を見捨てるよりはマシですよ。また見過ごして、萃香様の時みたいな結末を迎えるのはもう御免です」

「…………やっぱり文はお人好しすぎるわ」

「あなた達に対してだけですよ、刑香」

 

 

 白と黒の鴉天狗が並び立つ。片や組織から追放されたはぐれ者、片や上層部からの覚えも良い精鋭である。しかし羽の色も性格も、経歴も何一つ似通うところのない彼女たちは『友』であった。そんな会話に鬼の大将は黙って耳を傾けていた、少女たちの動作の一つ一つを眩しいものでも見るように目を細めて眺めている。

 

 

「で、結果的にはお前たち二人で私に挑むということでいいのかい?」

「不本意ながらそうです、せいぜい適当にあしらって地上へ帰るとしますよ。こんな喧嘩は一銭の得にもなりませんからねぇ」

「この私を『あしらう』か。そいつは大した自信なのか挑発か、どちらでも構わんが勝算はあるのかい。そこいらの天狗よりは楽しめそうだが、この星熊勇儀を相手取るにはちいとばかし足りないね」

 

 

 橋の真ん中で立ち止まっている勇儀との距離はそれなりにある。しかし嫌になるほど濃密な妖力は熱のごとくに大気を歪め、ただそこに立っているだけで威圧感が精神を削り取ってくる。こちらは二人、相手は一人、それは奇しくもフランドールとの戦いと同じ配置だと言うのに状況はまるで異なっていた。絶対的な能力を持ちながらも本人が振り回されていた幼子と、絶大な力を誇り正しく運用する歴戦の豪傑では比べ物にならないのは仕方ない。

 

 

「文、まずは私が先手を打つから援護を頼むわ」

「気を付けないと今度は翼をへし折られるだけでは済みませんよ?」

「縁起でもないことを思い出させないでよっ。もう、それであの方の『能力』は何なのよ」

「勇儀様の誇る力は『怪力乱神を持つ程度の能力』。鬼族の中でも最高の身体能力こそが能力の全てです、本当に一撃でも貰えば命に関わりますから回避は慎重にお願いします」

「了解、せいぜい気をつけるとしましょうか」

 

 

 コンコンと刑香は一本歯下駄を地面で鳴らす。

 元より悲観的な考えはない。パワー型ならスピードで翻弄してやればいいだけで、それは刑香にとっていつも通りの戦いなのだ。少なくとも萃香よりは随分楽に戦えるはずだ。何しろ彼女の能力は変幻自在、天地を我が物とするチカラだったのだから、

 

 

 

 

「相談は終わったのかい?」

「「――――!?」」

 

 

 だからこそ『力』のみで四天王の座に君臨する星熊勇儀の異常性に早くも気づかされることになった。

 髪を揺らした声へと、文と刑香は反射的に刀を振り抜いていた。血飛沫が上がった後、そこにいたのは腕を浅く斬られた勇儀である。いつの間に移動したというのか。一瞬で間合いを詰められたことに驚き、身体が硬直したところを二人して首を鷲掴みにされて持ち上げられる。

 

 

「い、いつの間に…………がぁ!?」

「…………あ、文っ、ぐぅっ!?」

「なんだ、もう始めてよかったのか?」

 

 

 まるで踏ん張りが効かなかった。刑香と文の抵抗など無かったかのように鬼は少女たちの身体を吊り上げる。じたばたと暴れるが鋼のような肉体は多少の蹴りではびくともしない。血の引いた表情で刑香は思い出した、伊吹萃香が見せた鬼の理不尽な強さを。

 

 かつて理性では説明のつかないものを人間たちは『怪力乱神を語らず』という言葉にて封じ込めた。ならば自らそれを名乗る鬼はそういった『怪異の権化』であることに刑香は気づく。ただ身体能力のみで伊吹萃香と同格の存在、それがどれだけ異常なことか。そして怪力が腕力のみであるとは限らない、速度を生み出す脚力もまた怪力の一部に他ならないのだ。

 

 「ああ、これは駄目かもしれない」と刑香は悟る。こうしているだけでも感じる妖怪としての格は先程の青鬼とは比べ物にならない。これは伊吹萃香と同じモノ、戦いを挑んではならない災いそのものだ。二人の少女を掴み上げた体勢そのままに、怪物は口を開いた。

 

 

「お前たち天狗には必要ないだろうが、やり合う前に改めて名乗っておこうかね。私は『山の四天王』の星熊勇儀、同族からは『力の勇儀』と渾名されているよ」

「っ、それは、どうも。私の名前は白桃橋刑香、伊吹萃香様から名を頂いた鴉天狗よ。とりあえずこの手を放しなさいっ!」

「私の方は射命丸文、特に名前に秘められた由縁は…………ぐぅっ、ありませんね」

 

 

 刑香は脚をバタつかせ、何度も鬼を蹴りつけるが鋼鉄のような身体は微塵も揺るがない。文もまた抵抗しているが抜け出せる気配はない、刑香とは違い並の妖怪を蹴り砕く一撃も鬼には効果が薄い。しかし文と一緒なら必ず勝機を掴めるはずだ。刑香は何とか文の身体に手を伸ばし『能力』を発動させる。その瞬間にぐんっと身体を引き寄せられた。

 

 

「さて、ここからが本格的な喧嘩の幕開けとしようじゃないか。せいぜい楽しませてくれよ、お前たち!!」

「ちょっと何を!?」

「するんですかぁ!?」

 

 

 凄まじい剛力を持って勇儀が成したのは、二人の少女たちを川に向かって投擲するという蛮行だった。風を撒き散らし、白と黒の影が闇夜を流れ落ちる。そして大砲の玉が着弾したかのような轟音が響いた後、朱色の大橋が水面へとバラバラに崩れ落ちていく。

 

 

 宣言通り、派手に打ち上げられたのは開戦を告げる狼煙代わりの一撃。ますます高くなる鬼たちの歓声を背景にして、空高く上がる二つの水柱が天狗と鬼の戦いの始まりを宣告した。

 

 

 

 


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