その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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戦闘シーン及び残酷な描写があります。
苦手な方はご注意ください。


第二十八話:風神乱舞

 

 

 まさかいきなり水没させられるとは夢にも思わなかった。

 

 

 天狗装束がゆらゆらと膨らみ、服の下へと侵入してくる水は凍てつく寒さだった。おまけに橋へとぶつけられた衝撃で身体中が痛い、そして待ち受けている相手が堪らなく怖い。いっそのこと、このまま沈んでいってやろうかと思うほどに刑香の心はしぼんだ風船のように委縮していた。

 

 

 ――――いくら藍の頼みとはいえ、安請け合いするべきではなかった。寄りにもよって萃香さまと同格の四天王が出てくるなんて聞いてないわよ。

 

 

 もちろん本気で思っているわけではない。

 自分とて千年を生きる妖怪なのだから、このお役目に媚びりついた『危険』の香りには気づいていた。敵わない妖怪がいるかもしれない、それでも自分を対等に見てくれる彼女に良い格好をしたくて無理をしたのだ。しかし結果はこの様である、これでは勝負にすらなっていない。

 魂まで凍えてしまいそうな地底の川の中で、気がつけば刑香は水面から注ぐ光へと手を伸ばしていた。こんな自分の帰りを待ってくれているあの子供へと指先を伸ばしていた。しばらくそうしていると唐突にその手を掴まれる。

 

 

 ――――いつまでも何をしてるんですか、あなたは!

 

 

 ぼんやりと頭を動かすと何かを口走っている文と目線が合う。言葉は泡になって消えていくが、自分を叱っていることは何となく理解できた。唇を動かして「ごめん」とだけ伝える、するとコツンと額を叩かれた。しっかりしろと言っているらしい。なので今度は「ありがと」と刑香は口にした、こんなところで心折れている場合ではないことを親友は思い出させてくれたのだ。空色の瞳に光が戻る。

 

 幸いにしてスキマ妖怪ではなく鬼が相手なら『有効打』は一つだけある。かつて名付け親の片目を潰した戦い方ならば勝機はある。とはいえアレは中々に危険な賭けだ、果たして自分は地上まで生きて帰れるのだろうか。それだけが不安だったが、まあ今回は文も一緒なのだから何とかなるだろう。

 

 文がわざと刑香にも見えるように葉団扇を構える。どうやら脱出するつもりらしい、もう少し息は続くのだが仕方ない。カラスの行水は早いと相場が決まっているのだから、手早くここから抜け出すとしよう。水中で起こされた竜巻は渦潮を逆再生したかのごとくに二人の身体を上へ上へと押し上げる。激しいはずなのに優しく自分を包んでくれる波に刑香は少しだけ微笑んだ。やはり友の作り出す流れは水であろうとも気持ちが良い。

 

 

 

 

「おおっ、待ってたよ!!」

 

「できれば帰ってて欲しかったけどね」

「まったくもって同感です」

 

 

 水面から立ち昇った竜巻は少女たちを川から弾き出す、白と黒の翼を広げて大空へと舞い戻った二人。そんな彼女たちを待ち受けていたのは喜色満面、たくましい両腕を広げた勇儀であった。美しい紫染めの着物を靡かせた鬼の大将は好戦的な笑みで二人を見上げている。

 すると突如として勇儀のいる周辺が暗くなった。ギシギシと何かの軋む音、そして小さな木片が幾つも空中から零れ落ちてくる。それは黒い鴉天狗がついでに水中から引き揚げた物体が作り出した影であった。

 

 

「挨拶代わりの品としては悪くない、寄越しな」

「お気に召したようで何よりです」

 

 

 『風を操る程度の能力』で文が持ち上げたのは巨大な橋の残骸だった。立派な朱塗りの手摺から橋板、支柱に至るまでを根こそぎ引き抜いた、ついさっきまで橋姫の縄張りだった大橋である。大量の水と一体になった材木たちは博麗神社くらいなら余裕で押し潰せる質量を持っていた。

 容赦なく文は葉団扇を降り下ろし、その塊を勇儀へと投げつける。川から共に吸い上げられた水は豪雨として、鮮やかな橋の残骸は槍として鬼へと降り注いだ。

 

 

「オオオオオォォォァアア!!!」

 

 

 それを勇儀は右腕の一撃で木っ端微塵にうち砕く。ただの一撃で雨は霧散し風は止み、橋姫の呪いのかかった橋の姿は藻屑と消えた。そして遅れてやってきた轟音が空気を揺らす、わずかに残った水しぶきを鬼の大将は気持ち良さそうに受け止めた。濡れた金髪をかき揚げてまたもや獰猛に笑う。

 

 しかしこの程度では鬼に通じないことは天狗にとって百も承知の事実だ。今の攻防の隙間を縫って、本命である刑香は鬼の背後へと回り込んでいた。橋姫には悪いと思うが文の作戦である、彼女の縄張りを完膚無きまでに破壊してしまったことに謝罪しながらも「今ならいける」と刑香は地表スレスレを駆ける。

 秒にも満たない世界で、急速に鬼の背中が迫ってくる。その交差の刹那、刑香は妖刀を振り抜いた。上がった血飛沫は二つ、すれ違った瞬間に大きく体制を崩した刑香が半ば強引に身体を起こして高度を確保する。

 

 

「ぐっ、随分と深く持っていかれたわね…………」

 

 

 鋭い刃物で抉られたように肩から走る傷を刑香は押さえていた。反射的に勇儀が出した指先に触れてしまったのだ、それだけで皮膚を裂かれてしまった事実に胸が冷たくなる。おまけに刀を持つ腕も痺れていた、鋼鉄を撫でたような感覚が走り抜けては刑香の腕を麻痺させる。

 鬼の身体は土蜘蛛の糸よりも頑強らしい、思わず刑香は舌打ちをする。やはり真正面から挑んでいたのでは負ける、一癖ある戦法を取るしかない。

 

 

「準備は整いました、行きますよ刑香!」

「頼んだわよ、文!」

 

 

 この空域を支配下に治めた文が葉団扇を振るう。次の瞬間には竜巻を横倒しにしたような、自然界ではありえない風が渦巻き始めた。乾いた地表から舞い上がった砂塵は勇儀の姿を覆い隠し、逆にあちらからは二人の姿を完全に遮断する。

 だが刑香と文は勇儀のいる正確な位置がわかっていた。『風神』としての側面を持つ鴉天狗として、如何なる嵐の中であろうとも標的を感知できないなど有り得ない。

 ゆえに白と黒の少女は気負うことなく、荒れ狂う地表を見下ろしていた。

 

 

「はたてが帰って来るまで、このまま渦の中に閉じ込めておきませんか?」

「それまであの方が大人しくしていると思う?」

「いやー、とても想像できません。飽きたらすぐに竜巻を引き千切って出てくるでしょうね」

「だったら私たちがやることは一つじゃないのかしら」

「…………まあ、どのみちある程度の戦闘は必要ですね」

 

 

 傷口に包帯をきつく巻きつけた刑香は鋭い眼差しで親友を見つめ、それに応えるように文も纏う空気を一変させる。天が高く地が低い、それは古より覆せぬ理である。されど自分たちは天狗である、地に這いつくばるなど性に合わない。ならば頭上に君臨する存在があるなら爪を立てて引きずり下ろすのも一興か。若き鴉天狗の少女たちは刃を振りかざす。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「なんだったんだろうねぇ。刑香に斬られた後、少し手足の動きが鈍くなったような気がするが…………こいつぁ、刃に毒でも塗ってあったのかね?」

 

 

 やれやれと痺れの抜けてきた肩を回して佇む勇儀、その周囲を分厚い風の層が取り囲んでいた。

 吹き荒れる砂塵は目と耳を同時に潰し、鴉天狗たちの姿は欠片ほどもわからない。並の妖怪なら引き千切られるであろう殺伐とした暴風の中にあっても鬼の身体はびくともしない。この程度の攻撃では傷一つとて負わせられるものかと鋼の肉体はせせら笑うが、その一方で勇儀の精神は弾んでいた。

 

 

「大したもんだ、これほどの風を操っていた天狗は天魔の爺以外にはとんと知らないねぇ。まあ、アイツの風刃は更に格上だろうが…………しかし射命丸とかいったか、あの若さでこれならいずれ天魔にまで届くかもしれんな」

 

 

 いつしか三人の喧嘩を眺めている鬼たちは活気づいていた。酒を傾ける手は止まり、鴉天狗の少女たちの姿を捉える瞳には熱が満ちている。そこにはもう勝負を茶化すような様子はない。そんな変化を感じとりながら、勇儀は満足そうに頷いた。取り敢えずは酒宴を切り上げて喧嘩を吹っ掛けにきた価値はあったらしい。

 

 そして迫り来る白い鴉天狗の気配を察知して剛脚に力を込める。姿は見えない音は聴こえない、されど鍛え上げた直感が告げている。高度の全てをスピードへと昇華させたであろう相手に対して、判断に費やせる時間はまさに一瞬だった。

 獲物を仕留めんとする猛禽類のように、闇夜を往く流星のように、遥かな上空より降下してきたであろう刑香の一撃を勇儀は紙一重で避けきった。しかし同時に突き出した拳は何もない宙を切る。

 

 

「はははっ、この砂塵で私の視覚と聴覚を封じた上での一撃離脱か! なかなか良い戦法を取るじゃないか、お前たち!!」

 

 

 突き出した剛の拳は空気を破裂されたが、白い鴉天狗には掠りもしなかった。破壊のチカラが凝縮された大砲じみた強打、どんなに軽くても当たれば一撃で仕留められる危険性がある。それを理解しているからこそ天狗たちは一撃離脱を選択したのだろう。実に賢い選択だと勇儀は彼女たちを褒めた。

 

 白い翼が巧みな軌道を描き砂塵へと消えていく、そして黒い翼が操る風は視界と聴覚を容赦なく潰してくる。少しばかり物足りないが、これは見事な連携であった。おまけに加速力ではなく、刑香のトップスピードは勇儀が今まで目にしてきた妖怪の中でも恐らく最速の部類に属している。如何に鬼が瞬発力に優れていようとも一度空へと逃がしてしまえば、易々と捕まる速さではない。『並』の鬼ならば。

 

 

「上々、悪くないがこの勇儀には少々足りんなぁ!!」

 

 

 大股の一歩、渾身の力で地面を踏み鳴らす。

 瞬間、辺りを蹂躙していた竜巻はひしゃげたように形を変えた。蜘蛛の巣のごとく砕け散った大地から伝わる余波、それだけで天狗の風が払い除けられる。一時的に晴れ渡った空、されど標的を捉えるには十分過ぎる時間である。鬼の大将は再び急降下を仕掛けていた刑香の姿を確かに視認した。そのまま驚異的な脚力で上空へと跳ぶ。

 

 

「よう」

「え…………な、んで!?」

 

 

 白い少女が勇儀を認識したのは、すでに鬼が殴打の動作に入っていた時であった。かつて四天王にやられた恐怖からか身をすくませた少女は避けられない、回避が間に合わない。剛腕から繰り出された鬼の拳が刑香の腹に突き刺さった。

 

 

「―――っが!!?」

 

 

 何かを叩き潰した感覚が勇儀へと伝わってきた。少女の口から吹き出した大量の血液が顔にかかったのを、鬼は舌で舐めとりながら追撃に入る。萃香のお気に入りということて手加減はしてやるが、それ以上の気を使ってやるつもりはない。この程度で壊れてしまうならそれまでの天狗であったまで、友の目利きが誤っていただけだ。

 

 腹にめり込んだ拳でそのまま装束を掴んで白い鴉天狗を引き寄せる。血に染められて今にも死にそうな表情をした刑香は、せめてもの抵抗として鬼の腕へと妖刀を突き刺すがまるで効いていない。たった一撃で死に体である、友の片目を潰せたのは偶然だったのだろうか。非力な少女へとつまらなさそうに勇儀は拳を降り下ろそうとした。

 

 だがトドメになるはずの拳は繰り出されなかった。腕が痺れて動かないのだ、この戦いが始まってから勇儀は初めて眉を潜める。どういうことだ、と刑香を掴みつつ考えるがわからない。そうしていると今度は背中から痛みを感じた、もう一人の存在を忘れていたらしい。

 

 

「刑香を離してもらいましょうか、いや今すぐ離しなさい!!」

「なんだ、お前の方がこいつより強いのか。この私が目で追えない天狗なんて久しい…………おお?」

 

 

 妖刀を鬼の背中に突き刺した文、そちらへと勇儀が意識を取られた間に装束を破いて刑香が脱出する。身体を折り曲げて腹部を押さえながら、どうにか真っ白な翼を広げて滞空する。口から喉につかえていた血塊を吐き捨てて刑香は勇儀を睨み付けた。

 

 

「加減なんて厄介なことしてくれてんじゃないわよ、おかげで能力が上手く働かなかったわ。鬼なら考えもなしに拳を振るいなさい」

「いやいや、すまないね。お前は萃香のお気に入りだ。壊さないように喧嘩しようと思ったんだが、そこまで脆いとは予想外だった。私の力じゃあ、どんなに優しく小突いても壊してしまうらしい」

「…………っ、本当にね。吸血鬼の蹴りより数倍エグいわ」

 

 

 悪態をついた白い少女はどこから取り出したのか古びた瓢箪に唇をつける。そして何度も咳き込みながら透明な液体を喉の奥へと流し込んでいく。間もなくいくらか傷の癒えた刑香は空になった瓢箪を投げ捨てた。

 

 

「そいつは『茨木の百薬枡』で出来た酒かい? まさか萃香だけじゃなく華扇の奴とも繋がりがあるとは、つくづく鬼と縁のある天狗らしい」

「そのたびに死にかけてるからまったく嬉しくないけどね。ちなみに四天王に会ったのはあんたで三人目よ、このまま四人全員と関係を築いてみようかしら…………けほっ」

 

 

 白い少女は軽く咳き込む。

 あの酒は量を飲まなければ完全に傷を癒すことはできない。瓢箪に詰まっている程度の量では内臓の損壊までは治せない。それにも関わらず平然としているのは単なる演技だろう、確実にダメージは刻まれている。震える指先と異常な汗の量がここからでも感じられた。

 

 もう一発入れてみるか、と勇儀は拳を握り直す。すると竜巻が己の周りを取り囲んだ。自然ではありえない風向きと重量を持った風に視界を塞がれながらも、勇儀は「またそれか」と呆れ果てた。ならば何度でもこの自慢の拳で打ち破ってやろう、そう思い地面へと降り立った。大地を踏みしめる時にこそ鬼の剛腕は最大の威力を発揮する。

 

 

「やれやれ、まどろっこしい砂塵に隠れながらの一撃離脱はもう通じないことが理解できないか。――仲間の負傷で焦りでも生じたのなら、そろそろ潮時かね」

 

 

 既に攻撃のタイミングは掴んだ。おまけに負傷したことで白い少女はスピードが落ちているだろう、満身創痍の鴉天狗を捉えることなど造作もない。次に彼女が砂塵の向こうから仕掛けてきたなら全てが終わる。もしそうなら残念だ。

 

 思った通りに楽しめたが、期待以上のモノはない喧嘩だった。当たり前のように勇儀が勝ち、誰もが予想したように鴉天狗の少女たちは大敗する。やはり萃香は遊び半分に相手をして、不意を突かれて片目を潰されたに違いない。

 

 空気を震わせる風の音を聞き取った勇儀が拳を構える。先程までと同じ高度、速度と軌道で繰り出される鴉天狗の一撃へと鬼は適切なパワーを込めた迎撃砲を用意していた。もはや回避の必要性はない、大樹のように大地に根差した体勢から繰り出すのは訣別の一撃に他ならない。寄りにもよって真正面から突っ込んでくる刑香に失望を覚えながら、勇儀は砂塵に踏み込みをかけた。

 

 

「残念だよ、あの萃香が名をくれてやった天狗がどんなもんかと思ったがこの程度………………ごっ!?」

 

 

 命を刈り取る『死』の一撃が届く前、勇儀の頭に渾身の膝蹴りが打ち込まれた。真正面の刑香に対して真横から叩き込まれたそれは、恐ろしい程の速度が上乗せされたことで鬼のそれにも匹敵する威力だった。ここにきて初めて勇儀の口から赤い液体が飛ぶ。

 

 そのまま―――鬼の隙を突いた射命丸文は―――勇儀に密着するように身体を滑り込ませ、葉団扇を全力で発動させた。足下から吹き上げる爆風が強大な鬼の肉体を地面から引き剥がし上空へと叩き上げる。

 

 

「ぐっ、お前たち最初からこれを狙ってたのかい?」

 

 

 黒い方の鴉天狗は竜巻の操作に集中せねばならぬと勘違いしていた、大気を掌握しながらこの娘は別の行動ができたのだ。乱回転する視界の中で上下左右を鬼は一時的に見失う。天下無双の鬼の大将が竜巻の中でバランスを保てず、今この瞬間だけは守りが崩れていた。

 初めからあの二人は勇儀を無防備な状態で空中へと巻き上げることを狙っていたのだ。わざと刑香を『囮』にして攻撃のタイミングを測らせ、本命たる文の奇襲で流れを掌握する。それが彼女たちの作戦であった。

 

 

「脚の一本でも斬り払って大人しくしててもらいましょうか!!」

 

 

 勇儀を吹き上げた場所から直線的に黒い少女が迫っていた。だが甘い、反撃のしづらい足下から振りかぶられた妖刀を二本歯下駄で受け止める。そのまま焦った表情をした少女の背中へと蹴りを打ち込んだ。

 大した威力は出なかったが十分だったらしく、黒い羽を散らした鴉天狗がきりもみして地面に叩きつけられ粉塵を上げた。そして白い少女を見失っていたことに気づいた勇儀は、直感に従って後ろへと拳を振り抜いた。

 

 

「~~~っ、ケモノ並の勘をしてるじゃない。でももらったわ!」

 

 

 翼を掠めた拳が白い羽を数本散らす。それでも刑香に直撃しなかったのは恐らく『能力』のおかげだろう。ともかく刑香は鬼の攻撃をかわし、その懐に入り込んでいた。両の拳は防御に間に合わず蹴りを繰り出すには体勢が悪い。これが最後の好機だろう、刑香は勇儀の首を両断せんと妖刀を一閃させた。

 

 しかしそこは理不尽の権化たる鬼、ガチンと音がしてその刃は止められた。腕ではなく、脚でもない、凄まじい力で白い少女の得物は押し返される。この喧嘩が始まって何度目になるのか刑香が驚愕する、四肢の使えない勇儀が取ったのは『歯』で刃を受け止めることだった。

 

 それだけではなく鬼の牙が、あろうことか妖刀の刃へと食い込んでいた。ガラスのように広がっていくひび割れは儚い希望を表すようで、人の技術が生み、天狗が鍛えた名刀が鬼の牙によって粉々に噛み砕かれた。こんな理不尽さえ通してしまうのが鬼の力であるのだ。

 

 

「今度こそ終わりになるかい、刑香」

「あ、そ、そんな…………」

 

 

 武器を失い呆然とする少女へと勇儀が告げた。そのまま抵抗を許さずに刑香の身体を抱き寄せる、がっちりと腰を抑え込まれては少女に逃れる術はない。もうこの少女の『壊しかた』は覚えた、勇儀は決して愚鈍な妖怪ではない。ここまで戦えば刑香の能力が何であるかの推測くらいはできる。

 恐らくは『致命傷を避ける能力』なのだろう、死ぬ攻撃が当たらないならギリギリの力に抑えてゆっくり壊していけばいい。能力の正体が割れてしまえばそこまでだ、華奢な身体を折らない程度に締め上げる。

 

 

「……か………はぁ…………ぁ」

「さてと、じゃあ眠っときな。もし生き残ったなら応急処置くらいは手下にさせておくからさ」

 

 

 加減しているというのに折ってしまいそうな脆い身体、これで鬼と戦っていたとは少しばかり驚きだ。それに最後の一撃は思ったより楽しめた、これなら萃香が戻ってきた時に面白い話ができそうだと勇儀は満足していた。鬼とそれ以外の存在との差、それを考えるならこの結果は上等だ。

 白い少女の傷痕と口から真っ赤な液体が溢れ出す、それはまるで体内に残った血を絞り出すようだった。激痛に涙を浮かべる少女へとある種の愛おしさを込めて、勇儀は両腕の力を増していく。

 

 

 

「おーおー、どうやら決着らしい」

「大将相手になかなか頑張ったじゃねえか」

「アタイならもう少し戦えた、かもしれないけどね」

「よくやったぞ、嬢ちゃんよぅ!」

 

「アイツらも気が早いな、だがまあ間違っちゃあいない。これで喧嘩は終わりだろうよ」

「…………それは、本当に気が早い、んじゃな……ぃ……の?」

「そうだったらいいねぇ」

「ぁ、あぁぁぁぁっ!!?」

 

 

 今回ばかりは刑香の悲鳴は本物だった、これ以上のダメージは本当に耐えられない。『能力』がある限り死なないかもしれないが体感的にはもはや自分の身体は限界だった。痛覚すら薄れていく『死』の気配が自分を覆っていくのを感じる。だがそれでも刑香は諦めていなかった、来るとわかっていたからだ。もっとも信頼する友の『風』が。

 

 その瞬間、鋭く研がれた旋風が鬼の腕を斬り刻んだ。骨にまで届こうかという深手により血が噴水のように迸る。ただの風にしてはあまりにも過ぎた威力だった、不可解なくらいの切れ味に勇儀が眉を潜めて攻撃の出所を探ろうとする。いや視線を移そうとして首が動かないことに気がついた。

 

 

「んぁ…………っ、なんだぃコレはぁ?」

「ようやく、効いてきたみたい、ね。抱きついてくれた、から萃香様の時より……も早かったわ、星熊の………大将さま?」

「ど、いぅこ、だ?」

 

 

 全身へと回る痺れが舌の動きすら固めてしまう。これは明らかな『毒』だった、それも星熊勇儀の身体をガチガチに封じ込めてしまうなど相当なものに間違いない。かつて人間の武将たちに仕組まれた毒薬が脳裏をよぎったが、あれは易々と手に入らない霊薬である。そうしていると、力の抜け落ちた勇儀の腕から白い少女がひらりと抜け出した。

 

 

「っ…………私の力は『死を遠ざける程度の能力』。本来はせいぜい回避に使うのが精一杯だけど、相手が『特定』の存在ならこのチカラは攻撃に転じさせることができる。そう、あんた達みたいに『死』を源流に持つ妖怪にはね」

 

 

 古い説によるなら鬼とは元来『この世ならざるもの』であり『生と死の境界に存在するもの』とされる。だから鬼のチカラを封じたというのか、そんな『能力』などありえるのか、今度は勇儀の顔が驚きに染められた。

 そして刑香の手には砕かれた妖刀ではなく、錫杖が握られていた。腕を斬り刻んだ風に乗せて黒い少女が送り届けたのだろう。

 白かった天狗装束は血で真っ赤に染められ、自らの白髪さえも赤く濡らした少女。そんな彼女から放たれた錫杖が勇儀の視界を半分奪い去る、遅れてやってくる痛みによって『片目』を潰されたことに勇儀は気づいた。

 

 

「ぁ、――――ガァァァァァアアアア!!!」

 

 

 眼球を串刺した錫杖を握り締め、言葉を紡げない勇儀が吼える。鬼の雄叫びは地底の空を、橋姫の川を、大地を揺るがし旧都へと伝わるほどであった。それは動きを封じられた鬼の大将が繰り出せる唯一の攻撃であった。押し寄せる大気の津波はそれだけで城を抉る威力がある。

 

 破滅的な音波の収まった先には何もない空が残った、そこにある何もかもを吹き飛ばすはずの鬼声はしかし鴉天狗を仕留めるには至らなかった。当たらなければ、あらゆる攻撃は意味を成さない。すでに間合いから離脱し、遥かな上空から少女たちは鬼を見下ろしていた。

 

 

「「墜ち(てください)なさい!!」」

 

 

 八ツ手の葉団扇は風神のふいご。

 上空に陣取っていた黒と白の鴉天狗たちから落とされたのは爆発的な嵐の塊。踏ん張りが効かない空中で、まして身体に痺れが回った状態で耐えられるわけがない。

 そういえばヤマメも「とびっきりの厄除けの匂いがする」と言っていたことを勇儀は思い出す。極一部の妖怪や彼岸の連中にとってはまさに天敵たる『能力』だ。

 

 

『この目は若い天狗にくれてやったのさ。…………いや嘘は良くないね。実のところ見事にしてやられたんだよ』

『お前さんが本気で片目を潰されたってのかい?』

『そうさ、その褒美に名を付けてやったんだ。天狗だけどアイツは面白いヤツだったよ、アイツを心配して駆けつけた二羽もいい奴らだった。新しい風ってのはいつも気持ちがいい、お前も喧嘩してみればわかるさ』

 

「…………なるほどお前さんが不覚を取った理由がようやくわかった。だが確かにこれは悪くない気分だよ、萃香」

 

 

 古来より『説明のつかない災害』を人ならざる怪異の仕業として人々は恐れ続けてきた。そういった神仏への畏怖が形を成した妖怪、それが『天狗』である。お互いを支えるように並び立つ少女たちの姿を見送りながら勇儀が思い出したのは、懐かしい友と交わした会話の一場面であった。

 

 


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