その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第二十九話:あの夜の結末がここにある

 

 

 強度を失った鬼の身体が大地へと叩きつけられ、空中と地面を何度もバウンドする。

 鴉天狗二羽から振るわれた圧倒的な風量は『死を遠ざける程度の能力』によって弱体化した勇儀へ多大なダメージを与えていた。呻き声一つ漏らさずに大の字で倒れ伏す鬼の御大将。

 対岸から観戦していた彼女の部下たちは凍りついたように動かない。幻想郷にて最強を誇る種族『鬼』、その大将が敗北した。あってはならない事態に大半の鬼たちは固まっていた。

 

 

 

 そして、その戦いの全てを遠い地上から観戦していた者たちがいる。

 埃っぽい闇の中で揺れるのは小さなランプの光。迷宮のように入り組んだ本棚の中央で四人の少女たちがテーブルを囲んでいた。そして目の前に映し出される映像に赤い眼差しを送るのは幼い姿の吸血鬼、青みがかった銀髪の少女はミュージカルを観賞した後のように優雅な様子で役者たちを褒め称える。

 

 

「パーフェクトよ、刑香。射命丸の助けが大きかったとはいえ、まさか鬼神相手に勝ち星を上げるなんて想像できなかった。私ですらも届かない『運命』をお前は手繰りよせたのよ。最高の戯曲だったと誉めてあげる」

 

 

 アンティークチェアに腰掛けて、レミリア・スカーレットは白い鴉天狗へと拍手を送る。

 その一方でテーブルに置かれた紅茶はすっかり冷えていた、あまりにも戦いを観賞するのに夢中になっていたからだ。レミリアらしくないミスである。しかしそんなモノが気にならない程に幼い吸血鬼は上機嫌だった。

 わずかに紅潮した頬を隠しもせず、興奮から床に届かない足をぶらつかせる。見た目相応の子供のような振る舞いを見て、向かい側に座っていたパチュリーが溜め息をついた。

 

 

「レミィ、少しは落ち着いたらどう?」

「ふふん、これが冷静でいられるもんか。前々から怪しいと思っていたけど今回ので確信したわ。刑香の持つ『死を遠ざける程度の能力』は私の能力と根っ子の部分が少し似ている、そんな素晴らしい運命(じじつ)を見つけたの!」

「それは良かったわね」

 

 

 興味なさそうにパチュリーは再び手元の本へと視線を落とした。ノリの悪い友人にレミリアは不満そうだったが、このことを知るのにパチュリーに色々と負担をかけたのだから文句も言いづらい。

 レミリアはテーブルの上に展開されている光魔法を眺めた。まるで外の世界の電子機器のごとく鮮明に、パチュリーの魔法は刑香たちの様子を映し出している。もし外の人間がいたなら驚くだろう、テーブルの上に置かれているのは画面のないテレビジョンなのだ。

 

 高価なテーブルに惜し気もなく刻まれた魔法陣は、禁じられた地底の光景をかすめ取っていた。パチュリーが読書を続けながら、片手間に行っているのは大魔法使いの名に恥じぬ術式であった。かつて八雲藍には敗北を晒したが、そもそも彼女は戦闘特化の魔法使いではない。圧倒的なまでの応用力こそが彼女の真価であり、レミリアが親友と認める理由なのだ。

 

 

「むー、つまらないわ。私だけ盛り上がってバカみたい、パチェは感情の起伏が足りないわ。もっと美鈴みたいに泣き笑いを激しくしなさい、そして私を楽しませなさいよ」

「別にレミィはピエロが欲しくて私を手元に置いているわけじゃないでしょう。退屈でけっこうよ、聞き分けなさい」

「う、うー、パチェが冷たい…………」

 

 

 八雲紫や刑香たちに見せていた威厳は何処へやら、レミリアはしょんぼりと項垂れてしまった。図書館に暗い沈黙が訪れる。あまりにも静かになってしまった親友が気になって、パチュリーはのっそりと本から顔を上げる。すると子供らしからぬ妖艶な笑みがそこにあった。テーブルから乗り出したレミリアが可愛らしい牙を見せて笑っている。

 

 

「あら、心配してくれたのかしら?」

「ばかじゃないの」

「そういうところが好きよ、魔法使い様」

「私は苦手よ、吸血鬼様」

 

「……………………」

「……………………」

 

 

 微笑ましいやり取りをする二人。

 その背後には咲夜と小悪魔がそれぞれ仕えていた。本館の一切を取り仕切るメイド長と、そして図書館の膨大な蔵書を管理する使い魔。そんな彼女たちは、自らの主人の会話に対して不動と無言を貫いている。忠実であるからこそ主の会話には許可なく立ち入らない。

 しばらくパチュリーをからかっていたレミリア、すると何かに気づいたように映像へと視線を戻した。そして咲夜に指示を出して新しい紅茶と菓子をパチュリーの分も用意させる。どうしたのかとパチュリーが尋ねようとすると、レミリアはそのまま手で制した。まるで芝居を観に来た劇場内で「静かにしろ」と注意するような仕草だった。

 

 

「ああ、最高の舞台だったわ。だけど残念ね刑香、役者に許されたインターバルは短いの。貴女たちは立ち上がらなければならない。だってもう第二幕が始まってしまうもの」

「レミィ、あなたは何を言ってるの…………まさか!?」

 

 

 レミリアの言葉を受け、驚いた表情で映像へと目をやるパチュリー。その視線の先には、ひび割れた大地に手をついてゆっくりと立ち上がる鬼の姿があった。

 

 

 まだこの運命は終わらない。

 

 

◇◇◇

 

 

「大丈夫ですか、刑香?」

「これが無事に見えるなら医者に行くことをオススメするわ。その時はついでに私も連れて行ってくれるとありがたいわね」

「あやや、それだけ話せれば十分です。死にかけていると思いましたが意外と元気そうですね。薬酒のおかげでしょうか?」

「…………そうね。そうかも、しれないわ」

 

 

 文は刑香の肩を支えながら、ゆっくりと地面へと降下する。そして大地に足が付くと身体に負荷をかけないように慎重に座らせる。鬼の拳を受け、身体を締め上げられていたので心配していたが、どうやら思ったより刑香は大丈夫らしい。しっかりした受け答えを返してくるので安心した。

 

 ちらりと後方を振り返ると、手足を投げ出し倒れ伏している勇儀が見える。それを確認して文は「信じられない」と漏らしそうになった言葉を飲み込んだ。まさか勝てるとは思わなかった、はたてが帰ってくるまで動きを封じられたなら御の字だったのだ。

 しかし刑香の能力によって鬼の耐久力を弱めたところを、二人がかりの最大風量で叩き潰すという策略が上手く決まった。いや決まってしまった。一介の天狗風情が鬼の四天王を打倒するなど信じがたい偉業である。

 

 

「私とあんたが一緒だったんだから当然よ。私だけでも萃香様から生き残れたんだから、二人なら勝つ希望くらいあったわよ。…………あんた、まさか翼を怪我したの?」

「ええ、あと内臓も数ヶ所やられてます。刑香ほどではないでしょうが、これ以上の戦闘は結構厳しいですね。おー、いてて…………」

 

 

 勇儀から受けた蹴りは幻想郷最速である文の片翼を損傷させていた。まだ飛べないわけではないが、これ以上勇儀の攻撃をかわすのは困難になっていただろう。踏ん張りの効かない空中で蹴られたというのに恐ろしい威力だった。そんな翼を刑香が優しく撫でる。

 

 

「ここから帰ったらちゃんと直しなさいよ。私の翼なんかより綺麗なんだから。本当に、キレイな漆黒なんだからさ…………!?」

「ありがとうございます、でも刑香の羽もキレイですから自信を持って…………あやや、どうしました?」

 

 

「―――そんな、バカな、ありえない、わよ」

 

 

 空色の瞳が恐怖に染まる。

 震える刑香の呟きが他愛もない会話を終わらせた。己の背後へと視線を送ったまま瞳を凍りつかせた刑香、それにつられて文が振り向いた。白い友人が『何』を見たのか、文は嫌な予感を覚えながらも確認するしかない。何が起こったのかは、わかっていた。

 

 土を踏みしめる音が鼓膜に刻まれる。金色の髪が視界に映り込む。赤い一本角から血を滴らせながらも、しっかりとした足取りで彼女は起き上がった。着ていた深紫の着物はボロボロで、破れた袖部分を折れた二本歯下駄と共に投げ捨てる。

 

 

「…………この私が天狗にしてやられたのは天魔のジジイ以来だよ。お前たちの攻撃は随分と効いた。うん、大したもんだ。もう少し威力があったなら、このまましばらく寝ていたかもしれないね」

「っ、やはりこの程度では倒せませんか」

「そんな、萃香様にやったよりも強力に叩き込んだのに立ち上がるなんて」

 

 

 星熊勇儀は立ち上がってしまった。

 ふらついた様子もなく、堂々とした立ち振舞いは戦いが始まる前と何一つ変わっていない。にわかに鬼たちの声援が大きくなった。誰もが「やはり星熊勇儀の敗北などあり得ない」と自分たちの大将への絶対的な信頼を再燃させる。

 

 もしかしたら『怪力乱神』を持つ勇儀には、刑香の能力は相性が良くなかったのかもしれない。その証拠に、すでに勇儀は鬼としてのチカラを取り戻しているように感じられた。大気に満ちる妖気は幾分か弱まっているが、致命的な弱体化とは思えない。ちらりと旧都の方へと文は目をやった。はたてが帰ってくる気配はしない。ならば時間稼ぎを続けるしかない。勇儀を倒せないまでも、もう少しだけ戦いを引き伸ばす。

 

 

「仕方ない、もう少しだけ時間を稼ぎますよ。ツラいでしょうがあなたも立ってください。さあ、刑香…………刑香?」

 

 

 フラフラであろう刑香が立ち上がるのを手伝おうと腕を引っ張るが、友人は動かない。どうしたのだろうと文は首を傾げるが、刑香の姿を確認してその理由をすぐに察することになる。足元にドス黒い血溜まりが広がっていたのだ。

 

 

「ごめん、口と喉は華扇様のお酒のおかげで動かせるけど手足がもう動かせないの。…………身体の中もぐちゃぐちゃで、まともな場所の方が少ないわ。本当に、ごめん」

「ぁ、ぁあ、刑香…………もうあなたは」

 

 

 もう立ち上がる余力すら刑香には残っていなかったのだ。土蜘蛛、はたて、そして勇儀との連戦は確実に少女の身を削り取っていた。もともと持久力に優れない彼女がここまで持っただけでも奇跡なのだ。そして今までは勇儀を倒せたと思ったからこそ、文に余計な心配をかけないように平気な顔をしていたのだろう。

 

 そして手傷を負わせたとはいえ、勇儀は荷物を抱えて戦える相手ではない。まして動けない友人を護りながら戦うなんて不可能だ。いや、それどころか一刻も早く治療をしなければ刑香は手遅れになるかもしれない深手だ。吸血鬼異変で受けた傷を越えてしまっている。だが、地底のどこに傷の手当てのできる妖怪がいるのか。近づいてくる鬼の足音、思わず刑香を守ろうと冷たい身体を抱きしめた。

 

 

「こうなったのは私の力不足よ。だからあんただけでも逃げなさい、文」

「また、そんな馬鹿なことを」

「バカって何よ」

「あなたは本当に、馬鹿です」

 

 

 先ほどから文の天狗として冷静な部分が刑香を「切り捨てろ」と訴えている。それを察した刑香が文に逃げろと告げたのだろう。作戦の要であった刑香の能力が役目を果たせなかったのだ、その責任を取るのは当然だと言わんばかりに「見捨てろ」と口にする。

 

 勝手な理屈ではない、『組織』としては妥当な判断だ。助かりそうもない一人を捨てて、もう一人が助かる確率を上げる。しかし刑香の身体から震えが伝わってくる、これでは逃げ出せるわけがない。千年分の友情はそんなに安くはない、見捨てるなどあり得ない。「置いていくものか」と意思を込めて、鉄の匂いのする赤く染まった白髪を優しく撫でる。するとピクリと反応した刑香が弱々しく言葉を漏らした。

 

 

「ごめん。やっぱり一緒にいてくれると助かる、かも…………本当にごめんなさい。ごめんなさい、文ねえ」

「バカですねぇ。今さら見捨てられる仲なら、吸血鬼異変であなたを助けるために命令違反はしませんよ。私はこっそり八雲紫にあなたを頼むと伝えたりもしてたんですよ。嫌だ、と言われても離れませんから安心してください」

 

 

 寄り添うように座り込む白と黒の鴉天狗たち。彼女たちに近づいていく鬼の歩みは、まるで死神の足音に似ていた。二人の少女たちは立ち上がることもできずに、鬼へと視線を向けることもできない。もう手段が尽きたのだ。

 

 

 

 それは、やはり絶望的な状況だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「さて、このままでは敗北は必至ね。万策尽きた者は紅に沈み、その想いと全ては勝者の蹂躙の下に晒される。戦いとはそんなものよ、あなたが翼を折られた『あの夜』と同じように」

 

 

 レミリアは温かい紅茶を口に含む。

 ほんのりと柑橘類の香りがするアールグレイは最近のお気に入りである。新しい従者もお茶を淹れるのが上手くなったとレミリアは満足に頷いた。咲夜は西方から取り寄せた上質なベルガモットの特徴を良く活かしている。

 

 そして紅茶を楽しんだ後、空になったカップをレミリアは手放した。代わりとして掌に浮かばせたのは真紅色の魔力。そこから伸びる無数の糸はお互いに絡み合い、丸い渦を巻いていく。小さな星の群れにも見えるそれは『運命』を調律する魔力の塊、レミリア・スカーレットの誇る『能力』そのものだった。

 

 

「だが、ここで終幕というのは風情がない。当たり前のように強者が勝ち、弱者が負けるのは見せ物として成り立たない。それに私はお前たちに借りがある、フランを名無しの誰か(イクスレスク)から救い出してくれた恩がある」

 

 

 指揮棒を振るうがごとく、レミリアが指を動かすと紅い運命の糸がわずかに方向性を変えていく。大きな流れを読み取り小さな改編を繰り返し、最後に思い描いたものに近い結末を手にする。それが『運命を操る程度の能力』の一つの形である。

 

 今宵のために布石は打ってきた。

 美鈴をフランの付き人とすることで紅魔館の門を開け放ち、わざと『侵入者』を見逃し続けた。

 地底の者と接触させることにより、フランに外の世界へ踏み出すきっかけを与えた。

 天狗の長を尾行させて白い少女の真実を盗み聞きさせることにも成功した。

 

 

 ――――まあ、何かあれば協力してあげるから元気出しなさいな、藍。それで肝心の使者は誰にするの?

 

 

 あの会談で藍にしてやった約束をここで果たす。全てはレミリア・スカーレットが思い描いた未来を手にするために。最後の仕上げとして全魔力をかけて、この『偶然』を確約された必然へと昇華させる。

 

 

「―――鬼も天狗も、今宵だけは我が手の上にて舞い踊れ。レミリア・スカーレットの名の元に、お前たちの運命を統括する。ぐっ…………、精一杯の援護はしてあげるから状況をひっくり返してみせなさい!!」

 

 

 八雲の任務を利用せんとするのは天狗だけではない、この吸血鬼の少女もまた今回の騒動に便乗しようと時を伺っていたのだ。残っていた魔力の大半を叩き込み、レミリアは運命を組み換える。紅い魔光が図書館を照らし出し、紅魔館の外まで輝きが放たれた。

 

 光が収まると、脱力したようにレミリアは椅子へと身体を預けた。彼女を気遣ってパチュリーが毛布をかけると彼女へ微笑みかける。そして「せいぜい頑張りなさい」とレミリアは映像に向けて呟いて、テーブルへと視線を下ろした。やれることはやった、あとは本人たち次第だろう。

 

 

 映像の映し出されるテーブルに置かれていたのはクイーンとナイトの駒、そして造形のされていない『のっぺらぼう』の駒であった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 砂に染み込んでいく赤い水溜まりは脈打ち、ぼろぼろに破れた着物の隙間からは熱気が立ち昇っていた。だが、チカラの何割かは既に取り戻している。燃え上がる己の双眸の先にいるのは、満身創痍の鴉天狗たち。

 

 

「信じてたぜ、大将ォォ!」

「大将、負けないでくれぇ!!」

「アタイたちの存在意義をっ、アタイたちの誇りを守ってくれ!!」

 

「あー、わかってるよ。まったく五月蝿いねぇ…………だが悪くないよ、お前たち」

 

 

 割れんばかりの歓声を上げる部下に半分呆れながら、星熊勇儀は一歩また一歩と足を進めていく。その心中には少なくない後悔があった。さっきまでの戦いで、もう少しで少女たちを死なせるところだったのだ。これは喧嘩であったはずなのに命のやり取りをしてしまった。

 本当に鬼というものは抑制が効かないと苦笑する、少し熱せられただけで喧嘩を『決闘』にしてしまった。そしてもう一つ厄介なことがある。

 

 

「ここで私が戦いを止めちまったら、星熊勇儀は負けたことになりそうだねぇ。こいつらは死なせたくないが、『そいつ』は頂けない、私に今さら敗北は許されない」

 

 

 刑香と文が持っていた唯一の勝ち目を潰した今、勇儀の勝利は揺るがない。瀕死の刑香と負傷した文には抵抗する力がほとんどない。しかし喧嘩を終わらせられるか、と問われればそれは否である。

 

 二人は勇儀に一矢報いてしまった、それが事態を複雑にしている。ここで「天晴れ見事」とでも言ってしまえば勇儀が『勝ちを譲った』ではなく『敗北を認めた』という形になってしまう、かもしれない。それが勇儀には許されない。

 

 

「大将ーーー!」

「必ず立つって信じてましたぜぇぇ!!」

「アタイら鬼の力を見せてやってよ、大将ォ!!」

 

 

 別に自分の名に傷が付くのは構わない、そんなものには今さら何の価値も感じない。かつて鬼の首を取って手柄を挙げたがる人間を惹き付けるのには、役立ったが今の時代では無用の長物だ。

 

 そうではなく勇儀を突き動かしているのはもっと単純な理由である。星熊勇儀は鬼の大将として、配下の者たちの信頼を裏切れないのだ。人間に失望した己に従ってこんな地底にまで付いてきた馬鹿者たち、その根底にあるのは常に鬼らしく存在する勇儀への信頼と羨望である。彼ら彼女らのためにも、こんな形での幕引きなど出来るはずがない。

 

 

「ちょっと待ってくれよ、大将!!」

「そこをどきな、魁青(かいせい)

 

 

 そんな勇儀の歩みを止めたのは青鬼の青年であった。

 三羽鴉によって川に放り込まれていたが、どうやらヤマメに引き揚げられたらしい。ずぶ濡れの着物と腕には土蜘蛛の糸が付着していた。

 

 

「あの嬢ちゃんたちの様子が見えねえのかよっ。これ以上は死んじまう、喧嘩はここまでだろ!!」

「そういうわけにはいかないのさ。私たちにもメンツがある、ここまで格下の妖怪に怪我させられたのなら最後までやり通す義務ってやつがあるのさ」

 

 

 やはりこの青鬼は優しすぎる。

 傷ついた天狗たちを守ろうとする、鬼らしくない青年に勇儀は心の奥底で苦笑した。地底の住民にも好かれているお人好し、だからこそ側近として重用している。だがこの場において彼の優しさは邪魔な代物でしかない。

 

 

「っ、本気で言ってんのかよ。勇儀の姐さん」

「ああ、本気も本気、大真面目さ。ここに来て日の浅いお前さんには理解しがたいだろうが、私たちにも退けない時があるんだよ。―――いってぇな」

「お、おいっ、大丈夫なのか!?」

 

 

 目を串刺していた錫杖を力任せに引き抜く。

 当然だが左目はまったく見えなくなっていた。それだけではなく頭に染み渡った『避死』の力が勇儀の身体をまだ痺れさせる。これほどまでの毒は大江山を離れるきっかけになった事件で盛られたモノ以来である。

 どうやらあの白い鴉天狗は特定の相手に対しては、極めて有効なジョーカーになる素質を持っているらしい。どうして伊吹萃香が天狗の一羽ごときに目玉を潰されたのか、よくわかった。

 

 

「すまないね、魁青」

「なにを…………ごがぁ!!?」

 

 

 尚も何か言いたそうな青鬼を殴り飛ばす。

 軽い裏拳にも関わらず青年は川へと弾き落とされた。大きな水柱を上げる橋姫の水面へ視線も移さずに勇儀は進む。まだこの喧嘩の落とし所を見出だせない、手下たちの声援に押し出された身体は止まらずに少女たちを間合いに捉えてしまった。

 血まみれの白い少女を抱きしめる黒い少女、文は勇儀の姿を見てどこか諦めた表情をしていた。勇儀は残念そうに顔を歪める。せめて旧都まで逃げてくれれば、この喧嘩が収まる可能性があるというのに儘ならないものだ。あの少女ならば、きっとこの喧嘩を収める知恵を持っている。

 

 

「…………悪いね。こいつは紛れもなく私の失態さ。熱が入り過ぎて加減を誤ったことも、お前さん達の反撃で手傷を負って喧嘩を続けなけりゃならないのも。だから私を恨んでくれて構わない。私からは、せめてもの手向けとして派手に逝かせてやることにするよ」

 

 

 これは『とっておき』だ。

 今まで同族以外に放ったことはないし、気安く使ってはならないものだ。しかし自分はこの鴉天狗たちを気に入った、この少女たちへの決別になら惜しくはない。これは全て自分の勝手な感情である、ここにきて勇儀は初めて『技』の構えを見せた。『三歩』の下にあらゆる敵を必ず葬り去るという、その必殺の一撃の名は、

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――焼き払え、レーヴァテイン」

 

 

 大地を灼熱の炎が走った。

 鈴を転がしたような声が響き、紅蓮の壁が天狗と鬼を分断するように燃え上がる。かつてこの地を覆っていた地獄の息吹きにも似た猛炎は蛇のような巧みさで、勇儀の身体を押し戻す。これは勇儀の『奥義』ではない。その場にいる鬼たちは「何事だ」と少し驚いた様子で火元を探す。天を焦がす熱量は自然発生するようなものではないのだ。元凶は、すぐに見つかった。

 

 

「変わった羽の嬢ちゃんだね。この私が見たことない妖怪なんて、お前さんは何者だい?」

 

 

 勇儀が見上げた先に、この戦場を一望できる空中にいたのは三つの影。その中心にいる少女が手にするのは真紅のレーザーを押し固めたように輝く炎の魔剣、『宝石の羽』を広げた少女は強い決意を秘めた瞳で鬼を見下ろしていた。

 

 

「あ、あんたは…………!?」

「あ、あややや、これはこれは…………」

 

 

 遅れてその姿を確認した刑香は驚きで言葉も出ない。かつて自分に絶望を与えた宝石の輝き、なぜ彼女がここにいるというのか、なぜ自分たちを護ったのか理解が及ばない。宝石羽の少女はそんな白い鴉天狗にニコリと微笑んだ、まるで待ち望んだ再会を喜ぶように。

 

 

「久しぶりだね白い鳥さん。そしてそのお友達の黒い鳥さん。あなた達といっぱいお話して、たくさん謝りたいと思ってたのよ。伝えたいこともあるし…………でも、まずは――――!」

 

 

 かつて吸血鬼異変では白い鴉天狗を助けようと、幼い巫女と二羽の鴉天狗たちが駆けつけた。それは少女たちの確かな絆が成した運命であった、たった一度の奇跡であったはずだった。故にこれから繰り広げられる全ては吸血鬼異変の焼き回し、場所を変えて役者を変えて『あの瞬間』は再現される。

 

 

「みんなを助けに来たよ!」

 

 

 フランドール・スカーレットはここに参戦する。

 決して独りではない。少女の傍らには初めて出来た友と心優しき従者、古明地こいしと紅美鈴が共にいる。くるくると愉快そうに回るこいしと、苦笑いしながらフランに立ち並ぶ美鈴はそれぞれの想いを胸に鬼へと向かい合う。

 

 

「あははっ、鬼と戦おうなんてフランは面白いね!」

「まさか幻想郷に鬼の生き残りがいたとは凄まじい。ですがフラン様が命ずるのなら、必ずや打ち砕いてみせましょう」

 

 

 レミリアの幻想郷への移住は、その大部分がフランドールのためであった。

 それを考えるなら、紅魔館により引き起こされた『吸血鬼異変』。あの異変の中心にいたのは姉ではなく妹の方だったのかもしれない。姉の祈りは愛する妹を囲む世界の壁を壊し、フランドールに『外』への関心を呼び覚ます。

 

 そして今夜、再び姉に背中を押された少女は勇気を持って地底の底へと小さな冒険を果たした。その先にいたのは再会を待ち望んでいた鴉天狗たち、傷つき倒れた彼女らを救えるのは自分しかいない。

 きっと全てはこの時のためだったのだろう。何もかもを『壊す側』から大切なものを『守る側』へと、フランドールは一歩を踏み出したのだ。

 

 

 

 今ここに、吸血鬼異変は本当の終わりを迎える。

 

 

 

 


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