その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第三十話:風姿は応として見えず

 

 

 時は数ヶ月前にさかのぼる。

 その始まりは満月の笑う夜、どしゃ降りの雨が降る日だった。レミリアの起こした吸血鬼異変からしばらくした後、フランドールは相変わらず湿った地下室で過ごしていた。染み一つない清潔なシーツの上でパチュリーに借りた書物を読み漁るのが最近の日課である。

 お気に入りの物語のページをめくっては、そこに書かれた一説を自分の言葉と交えて口にする。

 

 

「キラキラ光るのはコウモリの羽、私の羽は違うけどキラキラするのは同じはず。一体私は何してる? 銀製トレイの隣で横になる、空を飛ぶ夢にも飽きちゃった…………なーんちゃって」

 

 

 小さな詩人はため息を一つ、甘い香りの吐息は浮かんで消える。宝石の羽をバタつかせて、不機嫌そうに女の子はお盆に乗ったクッキーをひとかじり。ぽふぽふとシーツを蹴っては退屈な眼差しを宙に泳がせた。

 

 

「うー、暇だわ。お姉様はチェスをしてくれないし、パチェはいつもの通りに本の虫、美鈴はお菓子を作りに行っている。狂気に身を任せない退屈がこんなに苦痛だなんて思ってもみなかったなぁ。…………でも、これはステキ」

 

 

 伸ばした腕の先、ちっちゃな手のひらには三枚の羽。天井に吊るされたシャンデリアの光へと、宝物を晒してみる。優しく握られた三枚の羽は『三羽鴉』たちのものだった。真っ黒な羽は闇夜のごとく、少し茶色の混じった羽は暖炉のように。そして光の当て具合によっては、仄かに『金色』が透ける白い羽。

 

 これらは自分を狂気から解放してくれた恩人たちのモノ、彼女たちの絆はフランに大切なモノを想い出させてくれた。また会いたい、でもそれ以上に『彼女たちのような友達』が欲しいとフランは今日も夢見ていた。

 そうしていると地下室の分厚い扉が開く。

 

 

「あ、美鈴おそいよぉ…………」

『えへへ、こんばんは。ちょっとだけ雨宿りさせてね』

「…………あ、れ?」

 

 

 唐突に迷い込んできたのは、可愛らしい濡れ鼠。お気に入りの物語になぞらえるなら、時計を抱えたウサギ。

 てっきり美鈴が帰ってきたと思っていたフランドールはしばし固まる。侵入者はびしょびしょの鴉羽色の帽子を放り投げ、遠慮もなく翡翠の髪をベッドシーツで拭き始めた。雨水と泥まみれにされていく自分の寝具。あまりにも堂々とした少女の蛮行にフランは驚きつつ、だがレミリアに見習った優雅さを忘れないように問いかける。

 

 

「誰なの、あなた?」

『あれれ、あなたには私のことが見えてるの? 私の声が聞こえてるの?』

「何言ってるの、当たり前でしょ。うーん、何だか面倒な『能力』を使ってるね。ぼんやりして姿が薄れてるや」

 

 

 その少女に対して違和感はあった。

 何というか存在が希薄なのだ。認識を妨げるというよりは、自らへの干渉そのものを無効化する『能力』だろうか。

 だが普通では見えない『目』を見切り破壊するフランには、『瞳』を閉じて得たこいしの能力は通じにくかった。意識で捉えられないなら、能力での照準で捉えればいいのだ。少しでも気を抜けば見失いそうだが。クスクスと笑みを漏らした少女、古明地こいしの姿が鮮明になっていく。

 

 

「…………うん、地上に来てから初めてだよ。あなたみたいな存在に出会ったのは。少し驚いちゃった、私を見つけられる妖怪がお姉ちゃん以外にもいるんだってね」

「あなたにもお姉様がいるの?」

「いるよ、とってもステキなお姉ちゃんがね」

 

 

 

 

 これが二人の出会い。

 優秀な姉たちに心配されて、閉じ籠って生きてきた少女たち。鏡に映ったかのように正反対なようでいて、そっくりで困った妹たち。美鈴をフランが説き伏せたことで、こいしは頻繁に訪ねてくるようになる。二人が仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。

 

 

「あっ、そのヨーカンは私のだよ!?」

「ふふん、早い者勝ちだもん。フランが遅いから悪いんだよ、べーっ」

「こいしのバカーーー!」

「あっ、ちょっとフラン様っ。能力使うのはダメですよ!!?」

 

 

 そうして繰り返される秘密のティータイム。

 狂った帽子の少女、うたたね好きの門番、ならばフランは三月兎のマーチヘアー。なんて愉快なメンバーだろう、と吸血鬼の少女は心を弾ませた。美鈴の用意してくれる珍しいお菓子も、答えのないなぞなぞも、終わることのないお茶会を彩るデコレーション。

 こいしを通じてフランは『友人』というものを理解し始めることになる、書物や伝え聞いた話ではなく生身の経験として。

 

 

「私、そろそろお家に帰ろうと思うの。だからもうフランと会えなくなると思うよ」

「…………だったら私も行くわ、こいしが来れないなら私が会いに行けばいいんだもん。だからまず、こいしのお家に案内してよ」

「ふ、フラン様、本気ですか!?」

 

 

 そんな矢先、こいしが別れを切り出した。

 ならばとフランは決断する。ため息を飲み込んで了承してくれた美鈴を巻き込んで、フランドールは数百年ぶりに屋敷の外に出た。四百年ぶりの外界、月の光がよく身体に馴染む夜の空。肺一杯に吸い込んだ空気が冷たく染み渡り、気持ちが良かったのを覚えている。

 

 そして道すがら、老天狗から話を盗み聞きして白い鴉天狗のことを知った。とても苦くて、ほんの少しだけ甘い過去の話。伝えなければならないと思った。

 

 

「ふふふっ、ここまで来るのに色々あったなぁ」

 

 

 そこまでの出来事を思い返してフランは瞼を開ける。

 とても気分が良い。物語の中心にいるような感覚に従って、ステップを踏むように心が弾む。しかし内心は浮かれる一方で、判断は姉であるレミリアに習って冷静に下さなければならない。

 

 

「美鈴、まずは二人の治療をお願い。あなたの『気』なら応急処置はできるでしょ、その間に私が時間稼ぎをしてあげる。大丈夫、壊さないように気をつけるから」

 

 

 燃え盛る炎に護られている鴉天狗の少女たち。

 一本歯下駄を履いた両足を投げ出し、文と刑香は動かない。白い少女は重い傷を負って身動きが取れず、黒い少女はそんな友人を抱きしめて座り込んでいた。考えるまでもなく、まずは刑香を回復させなければならない。そのためには美鈴のチカラが必要になる。

 

 

「…………了解、ですが別の意味で気をつけてください。鬼族は天狗すら支配する大妖怪です。正直なところ、そのトップともなればレミリアお嬢様やフラン様でも、勝つのは非常に困難でしょう。私が駆けつけるまでは無理をしないでください」

「うん、ありがとう。いざとなったら美鈴のことも頼りにするよ」

「フラン様が独りで背負う必要はないんです。それだけは胸に刻んでいてくださいね、それでは行って来ます!」

 

 

 フランの返事を聞き届けた美鈴はニコリと笑顔を見せて、空中から飛び降りる。きっと彼女なら大丈夫だろう、必ずや文と刑香を回復させてくれるはずだ。自分は自分の役目を果たせばいいと、フランはレーヴァテインを構え直した。

 

 ストラップシューズの向こう、見下ろす先にいるのは鬼の大将。美しい意匠の着物はボロボロで、紅葉の刺繍がなされた袖はなくなり、あちこちが土まみれだった。その一本角からは黒い血が滴り落ちて地面を濡らす。

 決して浅くない損傷を負いながら、それでもチカラが衰えた印象は感じられない。それは今までフランが目にした存在の中で、最も雄々しい姿であった。勇儀は牙を剥き出しにしてフランへと獰猛に笑う。

 

 

「この戦局で救援とは悪くない、いやむしろ最高のタイミングだ。ありがとよ、お嬢ちゃん」

「えっと、どういたしまして?」

 

 

 鬼から伝えられたのは感謝の言葉。

 拍子抜けのような感覚だったが、きっと彼女にも何か事情があるのだろうと気を引き締める。それにどんな理由があろうとも、お気に入りの鴉天狗たちを傷つけられてフランはご機嫌ナナメである。ぎゅっと華奢な拳をフランは力強く握りしめた。

 

 

「こいしは危ないから離れてて…………って、どこいったのよ!?」

 

 

 こいしはいなくなっていた。風船のように自由な友人だとは思っていたが、風にでも流されたのかと本気で疑いたくなる。別に戦力として期待していたわけではない、それでも友人が一言も掛けずにいなくなったのにショックを受ける。気を取り直すために咳払いをして、フランは勇儀へと向き直った。

 

 あとは勇気を出して挑むとしよう、その先に望んだ運命があると信じて。

 

 

「じゃあ始めるね。鬼さんこちら手の鳴る方へ。三月兎(マーチヘア)のお茶会はもう終わり、冷たいスキマ風はミルクに溶かして、温かい結末を目指しましょう」

「くくっ、ここは不思議の国でもなんでもないよ。忘れ去られたこの世の果てさ。心臓の女王はいやしないが、代わりに鬼がいる。良いとこ育ちの嬢ちゃんが来るところじゃない」

「あははっ、西方(こちら)の物語もご存知なんてステキだね。でもハートのクイーンは私なの、わがままで子供っぽくて何でも自分の思い通りにしないと気がすまない。全部さらってハッピーエンドにしてみせる」

「なら、そのためのチカラがここでは必要さ。嬢ちゃんには、それをやり遂げる覚悟があるのかい?」

 

 

 できるなら相手を壊すのではなく、制する戦いが望ましいと幼い吸血鬼は考える。奇しくも『スペルカードルール』にも似通った形、それは吸血鬼異変で射命丸文が見せつけた結末から少女は学んでいた。

 

 

「『一度やり始めたことは、終わりまでやり続ければいい。そして結果を待てばいい』―――じゃあ、いくよ鬼のお姉様!」

 

 

 大切な記憶は見えずとも心の中に刻まれている。

 三羽の天狗たちの舞った光景、彼女らを羨んだ気持ちは尚も熱く篤く。空の彼方に浮かぶ月はあの日と何一つ変わらずとも、焦がれるような想いは確かにここにある。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 状況は刻一刻と変化していた。

 圧倒的な力を見せつけた鬼の御大将、そんな彼女に一矢報いた鴉天狗の少女たち。されど屈強なる鬼は屈することなく立ち上がり、ここぞというタイミングで紅魔の主は運命の指揮棒を振り下ろした。

 そして参戦したのは三人の強者たち。フランドールに美鈴、こいしは天秤を再び押し戻して均衡させる。どうやら鴉天狗の少女たちは助かったらしい。

 

 口元から流れる血を拭いながら、刑香はぼんやりと燃え盛る空を瞳に映していた。熱っぽい頭と冷えきった身体は異常なまでの眠気を訴えるが、状況が状況なので耐えるしかない。そんな自分をあやすように髪を撫でる文、装束が血で汚れるのも構わないらしく刑香を離さない。

 

 

「なんで逃げなかったのよ。もしフランドールが来なかったら、文まで死んでたかもしれないのに」

「じゃあ、似たような状況で私やはたてが『逃げて』と言ったら刑香は一人で逃げましたか? きっと逃げないでしょう、それと同じことですよ」

「…………バカばっかりね」

「ええ、まったくです。私たち三人は天狗失格の大馬鹿者でしょう、だからこそ親友なんていう面倒な関係を続けているんですよ。………………さてはて本格的に始まりましたね、彼女たちの戦闘が」

 

 

 響き渡るのは戦闘音。

 幼い吸血鬼と百戦錬磨の大鬼、その戦いが始まったようだ。蛇のごとく空中を走る炎を、鬼は拳で打ち砕く。そして吸血鬼の幼子は慎重に、距離を保ちながら迎え撃つ。その戦場は少しずつここから離れるように小さくなっていく。

 どうやら危機は去ったらしい。それでも立ち上がることができず、刑香は文に抱きしめられていた。懐かしい匂いと柔らかな感触、伝わってくる体温がとても心地よい。そろそろ顔が赤くなりそうだ。

 

 

「とりあえず離しなさい」

「あ、ようやく恥ずかしくなってきましたか。ふふふ、可愛いものですねぇ。よしよし、お姉ちゃんがぎゅーとしてあげ…………いたぃ!?」

 

 

 身体の方はまともに動かないので、代わりに寺子屋教師から直伝された頭突きを文へと叩き込む。鼻を目掛けて振りかぶった一発は見事にダメージを与えていた。のけぞった文から解放された刑香は、ぺたんとお尻を地面につけて脱力する。その一方で、涙を浮かべて黒い鴉天狗は顔を押さえている。

 

 

「わ、私も怪我人なのに酷いですよ!?」

「こっちの方が大怪我よっ、メチャクチャ痛いんだから抱きしめないで!」

 

 

 とにかく今は身体中が痛いのだ。そこを抱きしめられたままでは、たまったものではない。幼い頃からの経験上、刑香は痛みそのものには慣れている。しかし殊更に苦痛を与えられて喜ぶような趣味は持っていない。それなのに身体を両腕で包み込んでくる友人には手痛いオシオキをせざるを得ない。

 

 

「どうやら思ったより元気そうですね。ご無事でなにより、刑香さん、射命丸さん」

 

 

 文と刑香の前に誰かが降り立った。

 腰まで伸ばした色鮮やかな紅髪。そして淡い緑色の華人服をなびかせるのは、かつて刑香が戦って激闘を演じた門番である。紅のナイト、紅美鈴は鴉天狗の少女たちへ朗らかに笑った。刑香はそんな彼女へと空色の視線を送る。

 

 

「何であんたが地底にいるのか、なんて野暮な質問よね。こんな都合の良い展開は前回の異変だけで十分。…………どうせレミリアの差し金でしょ?」

「あはは、恐らくそうでしょうねぇ。お嬢様のやることは私には想像がつきませんが、刑香さんの読みは当たっていると思いますよ。だってフラン様が楽しそうにしてますから」

「鬼の総大将との戦いを楽しむなんて、あの娘は相変わらずね。私の翼をへし折った時と同じじゃない」

「…………いいえ、フラン様はお変わりになられましたよ。楽しげに戦っているのは貴女たちの助けになれるからです。まあ、その説明は追々致しましょう。まずは治療を始めないと」

 

 

 そのまま動けない白い少女を横へと寝かし、美鈴はその隣に座り込む。自分の右手を刑香の腹部へ置いて、左手はわずかな膨らみを持った胸へと押し付けた。くすぐったそうにする刑香。

 この二つの箇所は『内丹術(ないたんじゅつ)』における『丹田(たんでん)』の位置である。仙人となることを究極の理想とする道教に伝わる旧き技法の一つ、つまりは『気』が集まるとされる気功である。

 

 

「は、恥ずかしい位置ね。その、左とか」

「あはは、すみません。でも変な意味はありません。それに前回の異変の時にも同じ治療をしているので多目にみてくださいね。―――始めます」

 

 

 そして美鈴は『気をつかう程度の能力』を発動させる。暖炉に薪をくべるように、弱りきった刑香の身体へと『気』を送り込んで活性化させていく。

 内丹術とは純粋な気を循環させることで損耗した心身を逆行させ、回復させる道教の養生術とされる。美鈴の手のひらから溢れ出すのは虹色の気。刑香の蒼白だった肌色に赤みが戻っていくのを見て、文が安心したようにため息をついた。

 

 

「素晴らしい術です、門番さん。前回の異変でも刑香を治療してもらいましたが、まさかまたお世話になるとは思いませんでしたよ。あ、私の翼もいいですか?」

「刑香さんの治療が終わったらいいですよ。この治療法って自分には使いにくいんで、戦闘ではあんまり役に立たないんですよね。使っている間は無防備ですし」

 

 

 気の流れを操り、身体能力を強化する。それだけではなく感知を行うことも、治療すらこなせる万能型。さすがはレミリアが集めた紅魔館の軍勢である、一人一人の能力の応用性が広い。そう分析しながら、文はそっと美鈴の背後へと回り込んでいた。

 文は異変の後に催された宴会には参加していなかった、それゆえに紅魔館の者への信頼は低い。親友の命を預けている以上、怪しげな行動は一つとして見逃せない。そんな用心深い親友を安心さえようと、刑香は苦笑しながら起き上がった。

 

 

「けっこう楽になってきたわ。まだ中身はボロボロだけど何とか動けそうよ、ありがと」

「…………身体の負傷は前回よりも酷いものの、能力の消耗は以前より軽いものでした。刑香さんにとっては、身体の傷よりも能力の消耗の方が致命的ということでしょうか」

「さあね、あんたとフランドールに根こそぎ能力を削り取られたのは事実だけど。それと異変の終盤で私が意識を失った半分はあんたが原因よ?」

「あはは、ほとんど答えじゃないですか。でもアレは良い勝負でした、できればまた再戦を願いたいものです…………あれ、そのお札はあの時のモノとは違いますね」

 

 

 ふと、着崩れた刑香の胸元から見えていた紙切れに美鈴が気がついた。治療を続けつつ器用に指だけ動かして、美鈴はそれをつまみ上げる。その時に少女の膨らみをふにふにと刺激してしまったが、治療に支障はない。「ひゃっ?」と小さな悲鳴が聴こえたような気がするので、とりあえず後で謝ろうと思う。

 

 焼き焦げたように黒ずんでいたのは護符であった。打たれている術式は旧いお守りを改造したもの、それが古い狐文字で記されていた。おそらく八雲藍の作品だろう。この少女は伝説の九尾殿にも心配されているらしい、或いは刑香をここへ送り込んだことへの贖罪の一部なのだろうか。

 

 

「…………情けないわね。それなりに必死で過ごしてきたつもりなのに、私は結局のところ誰かの手を焼かせてるわけよ。非力な私じゃあ、仕方ないんだけれど」

「刑香さん…………」

 

 

 刑香は自笑していた。

 文とはたて、そして藍に霊夢。それぞれの助けのおかげで地底世界まで来ることができた、きっと自分一人では困難だっただろう。別に悔しいと思っているわけではない、そこまで刑香は子供のような考えを持っていない。ただ何一つ彼女らに返してやれない自分の無力さが情けないのだ。

 

 

「そんなことはないですよ、刑香さんが皆さんを結び付けたんです。だから誰もが力を貸してくれるんですよ」

「突然何を言ってんのよ、あんたは。組織から追い出されて何の権限もない、能力は酷使できないし、まして戦闘だってそこまで強くない。こんな私に何ができるってのよ」

「確かにこういうのは、自分では気がつかないものですね。あの巫女ちゃんがいたら大きな声で説明してくれそうですけど」

 

 

 確かに刑香は強大なチカラを持っているわけでも、特別な妖怪というわけでもない。しかし鋭い感性を持った霊夢が心を許した妖怪は、八雲紫や藍を除けば極めて少ない。

 多くの同族から利用され、逃れようもない生涯を歩んできた白い鴉天狗。それ故か流れるままに物事を受け入れる、どこか孤独な香りのする風のような生き方。彼女を囲む者たちはその姿に心を許しているのしれない。大きな魅力で惹き付けるのではなく、どこか一緒にいて安心できる相手。それを言葉で説明するのは難しい。

 

 

「あなたはそのまま生きてください、死に追いつかれる最期の瞬間まで生き抜いてください。それがきっと、あなたを支えてきた方々に対して義理を果たしたことになるでしょうから」

「………………ごめん、話が見えないかも」

「あー、今はわからなくていいんです。むしろ理解できないように言いましたからね。…………えーと、それよりフラン様なんですけど。刑香さんはフラン様を恨んではいないんですよね?」

 

 

 あからさまな話題変更だった。

 じろりと夏空の碧眼が訝しげに細められたが、美鈴は気にしない。場の流れをスルーするのも気を操るものの特技、なのかもしれない。しばらくにらみ合いを続けていたが、やがて諦めたように目線を反らした。

 

 

「最初から恨んでないわよ。宴会でもお互い様だって言ったじゃない、だいたいこんな程度でいちいち根に持つような生き方はしてないわ。そんなことしたら過去から何人を恨まないといけないか。わかったもんじゃないし面倒よ、面倒」

「さらっと暗いこと言いますよね、刑香さんって」

「あやや、事実ですから仕方ないですねぇ。上層部からの扱いは酷いものでしたし…………まあ、たくましい子に育ってくれてお姉ちゃんは嬉しいですよ」

 

 

 あれから数ヶ月、宴にも参加できずにいたフランドール。ようやく刑香との間にあったわだかまりを溶かせるかと美鈴は思ったのだが、最初からそんなものはなかったらしい。遠くの空で燃え盛る紅蓮の炎、フランがもう一度鴉天狗たちと向き合える瞬間は目の前にあった。

 

 

「射命丸さんの翼への処置を終えたら、私はフラン様の助太刀に参ります」

「なら私たちも行くわ、文」

「え、まあ見たところ戦場は旧都へと広がっているようですね。どのみち地霊殿には行かなければなりませんし、少しだけならお付き合いしますよ」

 

 

 次第に旧都へと近づきつつある戦火。

 三人が呟いた声は、風の中へと消えていった。そしていよいよ地底の物語は終盤戦に突入する。

 

 


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