その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第0.5章『四季桃月報』
第三話:楽園の素敵な幼巫女


 

 

 個人新聞の発行。

 それは鴉天狗たちにとって組織内で自分の存在をアピールする手段であり、酒を飲み交わす最高の話の種であり、天狗としてのプライドを賭けた戦いでもある。

 

 末端の天狗たちからトップの大天狗たちに至るまで励む伝統、といえるほどの歴史はあったり無かったりするのだが、とりあえず天狗社会の文化の一つであることは疑いようがない。端的に表すならば、暇を持て余した天狗たちにとっての最大の娯楽、それが新聞作りなのだ。それぞれが自分の才能と技術、天狗によっては能力を使って思い思いの新聞を作成する。そして一年に何度か開かれる審査会での投票で順位が決まる、ということに天狗たちは年がら年中、熱を注いでいる。

 

 やれ『山の神』だの『空の支配者』だのと、ご立派な称号を持つ彼らも人間から見れば、妙なことに熱意を燃やす変わり者の集団であることに違いはない。妖怪と人間という種族の差を考えれば、ある程度の相互不理解は無理からぬ話ではあるが。

 

 

 

 そして、ここにも新聞作りに精を出す鴉天狗が一匹。

 白い鴉天狗、白桃橋刑香は住居である朽ちた神社の狭い部屋一面に広げられた写真とにらめっこをしていた。人里近くの野原から色々な妖怪の縄張りに至るまで様々な場所で撮影した写真たち。そこには親友である二人の鴉天狗と一緒に写ったものや、豊穣と紅葉を司る秋神の姉妹を撮ったもの等が混ざっていた。それらを一枚一枚、刑香は丁寧に吟味していく。

 

 

「うーん、この写真は構図がイマイチよね。でもこっちは迫力が足りない。あえて逆光の写真を使ってみるのも………いやいや、それはないわ」

「これでいいんじゃないかしら?」

「それは今回のテーマに合わないのよ。っていうか、いきなり現れないでよ。びっくりするじゃない、紫」

 

 

 ひょっこりとスキマから身を乗り出すスキマ妖怪、八雲紫。ほんの一瞬前には存在しなかった人物に話しかけられた刑香ではあったが、今回はあまり驚いていなかった。

 

 それもそのはずで、当代巫女の治療から既に三ヶ月が経過しているのだ。あの出来事で刑香を気に入ったらしいスキマ妖怪、そんな彼女は忘れた頃に突然訪ねて来ては刑香を驚かせていた。しかし、流石に何回もやられたら慣れる。相変わらず気配は微塵も感じないのだが、いちいち驚くのは馬鹿馬鹿しいので少なくとも表面上は驚かないようにしていた。

 

 そして、いつものように紫は口元を扇子で隠しながら刑香に話しかける。

 

 

「それにしても巫女の治療をしてもらった対価に、新聞印刷のツテを要求されるとは思ってもみなかったですわ。個人新聞にこだわるなんて刑香も何だかんだで天狗のようね」

「ちっちゃな頃から続けていたからね。鴉天狗にとっての新聞作りは自分の存在意義の一つなのよ。それこそ組織からハブられていた私にとってすら」

「さらりと自虐的ねぇ。まあ、いいのだけれど。それで、結局安定した印刷技術を持っていたのは天狗しかいなかったから私が大天狗にお願いすることになったのよねぇ。追放されている刑香に新聞作りだけは許してやりなさいって。結構苦労したのよ?」

「お願い、ねぇ。そんな穏やかなものじゃなかったような…………まあ、感謝しているわ。あんたのおかげで印刷だけはしてもらえることになったから、こうして新聞作りが再開できた。さすがに新聞大会には参加できないけど、そこまで望むのは贅沢よね」

 

 

 少しだけ残念そうに刑香が呟く。

 それを横目で見ながら紫は刑香が作成している途中の新聞を眺めていた。基本的に天狗の作る新聞は各々の好みによって内容に偏りがある。主にゴシップであったりゴシップであったり、ゴシップであったりと様々(?)だ。他にも記事の編集が上から目線だったり、出鱈目をこれみよがしに書きなぐったり、面白く記事にするために事実をねじ曲げたりするのは日常茶飯事だ。なので幻想郷では、天狗の新聞は信用性が薄いというのは常識とされている。

 

 

「それらに比べたら、あなたの作る新聞はマシな部類に入るわよねぇ。何せ四季の自然をテーマにした記事ばかり、だから『四季桃(しきとう)月報』。私はわりと好きでしてよ?」

「ありがとう紫、素直に嬉しいわ。私の新聞は文と、はたて以外の天狗には読んでもらえないし、かといって他の妖怪との個人的繋がりがあるわけでもない。だから妖怪の貴重な読者であるあんたの意見は参考にさせてもらっているわ」

「人間には好評じゃないの。あなたのお友達の『文々。新聞』と一緒に仲良く人里で読まれているわ。あくまでも天狗の新聞の中ではだけど」

「天狗全体の信頼性、低いわね」

「インパクト重視で書きなぐってたら、そりゃそうなるでしょう。事件が無ければ自分で事件を起こして記事にする傍迷惑な天狗もいるくらいなのだし、記事に信憑性を見出だすのは容易ではないわ。それで、これが今回の記事なのかしら?」

 

 

 『四季桃(しきとう)月報』。

 それが刑香の発行している新聞の名前。内容は季節感あふれる自然についての記事を掲載した月刊紙である。鴉天狗の飛行能力をフルに使って撮られた写真の数々は見る者を唸らせる迫力と美しさがある。他にもお花見スポットだとか草花を使った郷土料理といった情報が載せてあったりする。記事のインパクトや派手さが評価されがちであった天狗の新聞大会においては友人二名と共にランキング外の常連であったが、紫から評価するならば記事自体は良質だ。

 

 現在は人里で治療の仕事を続ける傍ら、患者やその家族に購読を勧めている。そのおかげでゼロスタートから着実に部数は増え続けていた。刑香の目の前にいる八雲紫も巫女の件以来、購読者の一人だ。紫の式神である藍も、新しく自分の式にした(ちぇん)のために購読している。文字に慣れさせるための音読教材にしているらしく、紫が寝ていると時々橙の微笑ましい声が聴こえてくることがあったりする。

 むむむ、と唸っていた刑香が立ち上がった。

 

 

「仕方ない、こうなったら新しい写真を撮りに行くしかないわ。今は秋だから、空から紅葉と滝のセットとかを撮れればいい記事ができそうね。タケノコとか山菜がよく採れる場所も調べて、紙面に載せたら喜ぶ人間もいるだろうし」

「あら、出かけるのならあの娘も連れていってくれないかしら?」

「あの娘って、霊夢のことよね。また私に子守りをさせる気なの? 一応、新聞作りは天狗としての仕事なんだけど」

 

 

 またスキマ妖怪の気まぐれか、と刑香が嫌そうな顔をする。紫はそんな鴉天狗を無視して話を続ける。

 

 

「あの娘、あなたの新聞を読んでから自分もこんな写真を撮りたいって言ってね。だからカメラを河童に作らせてプレゼントしたら凄く喜んでくれたのよ、とっても可愛いかったわ。というわけで取材ついでにカメラの使い方を教えてあげなさいな」

「まさか河童って、にとりの奴じゃないでしょうね。ほどほどにしてやりなさいよ、いい娘なんだから。………まったく紫って本当に勝手な大妖怪様よね。わかったわ、引き受ける。ただし相応の代金は貰うから」

「あらあら、子供の可愛らしいお願いに対価を求めるなんて世知辛い世の中ねぇ」

「霊夢から頼まれたなら無償で聞いてあげるわよ。でもこれは他でもないあんたからの頼みだからね。油断ならないし、タダで引き受けて痛い目に会いたくないのよ………あっ、やめっ、私の翼に触れるなぁ!」

 

 

 ツンツンした態度の鴉天狗。紫はその翼に唐突に指を突っ込んで、櫛を入れるように羽をときはじめた。軽くて艶やかでフワフワした羽は非常に気持ちがいい。最近の紫にとって藍の尻尾と並ぶ癒し道具だった。

 しばらく抵抗していた刑香だったが、やがて諦めたのか紫の好きなように翼を触らせている。時折、真っ赤な顔で「ひぅっ」と小さな悲鳴を上げて身体を震わせる刑香の様子に紫の嗜虐心が疼く。

 

 

「あなたの翼を触っていると羽布団が欲しくなるわ、純白でフカフカの特注品。いいわねぇ、とても寝心地が良さそうで」

「恐ろしいことを言うなぁっ! というか今すぐに私の翼を離せ、そして今後一切私に近づくなぁ!」

「やあねぇ、冗談よ。呑気にあなたの羽を集めていたら、布団にする量が貯まるまで三年くらい掛かりそうだもの。だから作るとしても枕だから安心しなさいな。それと、ここら辺が弱いみたいね」

「まったく安心できない………ひゃあっ!? わ、わかった、わかったから、タダで引き受けるから翼から手を離して!」

「ふふふ、あの子を宜しく頼むわね。刑香と遊ぶのを霊夢は楽しみにしてたのよ。あと、できれば羽毛枕もよろしくね?」

 

 

 自分の頼みが引き受けられたので紫は名残惜しそうに白い翼から手を離す。すると刑香は膝から崩れ落ちた、翼を弄られるのは余程の弱点らしい。そして荒い息づかいの中で刑香は羽毛枕の製作は本気らしい紫に危機感を抱いた。これからは夜道とスキマに注意しようと刑香は胸に誓う。

 

 

「交渉は成立、それじゃあ、あの娘を連れてくるわね。あの娘もきっと喜ぶから目一杯遊んであげなさいな。………あと、最近は色々と思い悩んでいるみたいだから少しだけ話し相手になってあげて」

「はぁ、はぁ…………。わ、わかったわよ。どうせ私に拒否権はないんでしょ。今から準備をするから、のんびり連れて来なさい」

「あら? 荷物なんて刑香の持ち物もカメラぐらいだろうし、今すぐ連れて来ても問題なんてないでしょう?」

「色々とあるのよ、私にも」

「…………ちなみに霊夢が好きなのは梅干しと鮭あたりよ。お弁当を作るならオススメかしらね。霊夢のこと、任せたわよ刑香」

 

 

 それだけ言い残してスキマが閉じる。まったく何であんなに勘が鋭いのか。持っていく弁当を作ろうとしていた心の内を読まれたようだ、刑香がため息を吐いた。

 

 

「まあいいか、あの子が来る前に手早く作ろうかな。それにしても、梅干しはともかく鮭なんてあるわけないし何か代わりのものを具にしないとね」

 

 

 そう呟くと刑香は袖をまくり、霊夢とのピクニックに持っていく弁当に入れるおにぎりを作ろうと小さな台所へと向かっていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 霊夢は博麗神社における次代の巫女だ。

 少女は天才だった。巫女として生まれ持った才能は歴代最高、その力は八雲紫が太鼓判を押すほどであり、いずれは如何なる妖怪をも滅する妖怪退治の専門家となるだろう。まさに妖怪の天敵となるべくして生まれてきた人の子だった。

 

 

 しかし、何の因果か。そんな霊夢は近頃、一匹の妖怪にご執心だった。

 

 

 三ヶ月前、博麗の巫女としての修行を八雲紫の本拠地である境界(スキマ)内の修業場にて行っていた霊夢。その頃の八雲家はドロドロとした空気が川底の汚泥のように漂っていた。普段は鬱陶しいくらいに絡んでくる紫は寝る間も惜しんで何かを調べており、式神の藍も紫以上に多忙な仕事をこなしているようだった。

 

 その原因は博麗の当代巫女にあった。

 妖怪の賢者の予想よりも遥かに早く、巫女が寿命を迎えようとしていたからだ。結界の起点たる巫女がいなくなれば、博麗大結界はいずれ崩壊する。それは幻想郷の終焉を意味していた。しかし、次代の巫女たる霊夢は未だに修行中の身。如何に霊夢が天才であろうとも一人前になるには時間が足りなさ過ぎた。

 

 今までに見たこともない程に取り乱す紫、そんな主を必死にサポートして疲弊する藍。八雲の家は、ほんの数ヶ月だけ殺伐とした雰囲気に包まれていた。

 

 それが消えたのが三ヶ月前。

 霊夢の保護者顔したスキマ妖怪に余裕が戻り、藍が穏やかな表情で紫と霊夢に食事を作ってくれるようになった。霊夢は表情にこそ出さなかったが、あの時はとても安心したものだ。これで前のような生活に戻れる、鬱陶しいながらも優しい紫や、頑固だけど頼れる藍たちと暮らしていけると喜んだ。

 

 しかし、それが一匹の鴉天狗のおかげと知ってから悔しさを感じていたのも事実だった。紫たちのためにと、霊夢はあの数ヶ月必死に修行に打ち込んで一刻も早く一人前になろうとしていたのだ。感謝こそするものの、そんな自分の努力をある意味では無に帰した相手なのだ。

 この時点では、少なくとも霊夢は刑香にあまり良い感情は持っていなかった。

 

 

 しかし後日。

 スキマ妖怪にその鴉天狗と引き合わされた時、その姿を見上げた霊夢は言葉を失った。『死』に関わる能力を持ち、おまけに故郷から追放処分を受けた鴉天狗と紫から聞かされて霊夢は刑香を恐ろしげな風貌で想像していた。そんな霊夢の前に現れた白い鴉天狗の姿はとにかく、幼い霊夢を驚かせるのに余りあった。

 

 

 白桃橋刑香は美しい妖怪だった。

 紫や藍も目を引く美人に違いはないのだが、それとはタイプが違う。色素の抜け落ちた白い肌、雪風を封じ込めたかのような白銀の髪、瞳は澄んだ夏空の碧眼。それは透明な美しさとでもいうのだろうか、刑香は穢れを寄せ付けぬ輝きを持っていた。もし紫や藍の美貌を優美な花鳥風月の美しさに例えるならば、刑香は作り物めいた美しさ。それは美術品の類いに近い気がした。

 呆気に取られる霊夢を見下ろして刑香は口を開く。

 

 

「紫、この小さいのが次代の巫女なの? ………どうやらそのようね、この年齢で霊力は今代以上か。とんでもない後継者を見つけたようね。大したものだわ」

「うふふ、そんなに誉めても何も出ないわよ。さあさあ、お互いに自己紹介といきましょうか」

「何で私が巫女に挨拶なんて………まあいいか。こんにちは、私の名前は白桃橋刑香。種族は鴉天狗、今は人里で医者のようなことをしているわ。よろしく」

 

 

 そして、外見に目を奪われるだけではない。

 どこか冷めた様子の刑香に霊夢は共感を覚えていた。

 

 

「私は、霊夢」

 

 

 八雲紫が思わず苦笑するほど短い自己紹介。

 刑香は「そう」と一言だけ発して膝を折り、霊夢の目線の高さに自分の視線を合わせた。ちょうどお互いの顔が向かい合う。

 

 

「霊夢は何歳なの?」

「六歳だけど、あんたは?」

「九百は越えてると思うわ。一応、文と同い年ってことにしてるから」

「アヤって誰?」

「私の親友、私が認めるスゴい鴉天狗よ。私が認めてるっていうのは本人には内緒だけどね、恥ずかしいし」

「ふーん、あんたは……刑香はなにが好きなの?」

「そうね、私は…………」

 

 

 まるでお見合いのように交互に質問を交わす二人。それは人見知りで、言葉数が少ない霊夢に刑香が合わせているからに他ならない。どうやら霊夢のような子供の相手をするのに刑香は慣れているらしい。個性豊かな生徒が大勢いる寺子屋を訪問する機会が最近は増えているからだ。もちろん、主にお節介な半獣教師の差し金である。

 

 そして八雲紫の狙い通りに二人は段々と仲良くなっていった。

 必要以上はこちらに踏み込んで来ない刑香の性格は、ものぐさな霊夢とは相性が良かったのだ。それだけではなく普通の子供と同じように霊夢に接する刑香の態度も霊夢には心地よかった。それは刑香自身が幼い頃に仲間たちから腫れ物を触るような扱いをされていた経験から来ていたのだが。何はともあれ人里の人間から「次代の巫女様」と特別扱いをされていた霊夢にとって、刑香の隣が居心地の良い場所の一つとなるのに時間は掛からなかった。

 

 

 

 そして今。

 霊夢はスキマを通って刑香と合流していた。ごそごそと出発のための準備をしている刑香の背後から霊夢は、ふんわりと輝く純白の羽に霊夢は手を伸ばす。以前、紫が「あの羽を集めて布団か枕を作りたい」とか言っていたのを思い出して興味を惹かれたのだ。ちなみに式神の藍が虎視眈々と刑香の翼を狙っているのだが刑香は気がついているのだろうかと霊夢は心配する。そういえばこの間、手合わせと称した戦闘を刑香と藍は行っていたような気がする。

 霊夢は小さな手で、ぎゅっと翼を掴んだ。

 

 

「………ふかふか」

「ちょっと霊夢!? あ、やめっ…………っ!」

 

 

 肌触りは相変わらずだった。ふわふわした羽は柔らかく温かい。撫でていると心地よさに身体がむずむずしてくる。頭を突っ込んでみたいな、という普段は思い付かない考えすら霊夢の頭をよぎる。刑香が顔を真っ赤にして震えているが、刑香も気持ちいいのだろうか。それならばと撫で続ける。やはり良い手触りだ。

 

 確かにこれはいいものだ、霊夢は確信する。そして紫の枕が出来たら次は自分の分を作って貰おう、霊夢はそう思った。すると、ぐるりと振り向いた刑香からデコピンをされた、べしっと乾いた音が部屋に響いた。考えが口から漏れていたらしい。手加減はしてくれているので大して痛くない、霊夢はほんのりと赤くなったおでこを撫でる。

 

 

「下らないこと呟いてないで早く出発するわよ。ほら、来なさい霊夢。いつもみたいに抱えて飛ぶわ」

「うん」

 

 

 刑香は霊夢を細身な腕に抱え神社から出た、そのまま軽く合図をしてから真っ白な翼を広げる。ばさり、力強い羽ばたきは霊夢の両足をあっという間に地面から離れさせ遠ざけた。瞬きする間に霊夢は大空へと宙ぶらりんだ。霊夢を落とさないように刑香は、ぎゅっと両腕で霊夢を抱きしめる。刑香の寝床の神社は森の木々に紛れて見えなくなり、目の前には青い青い空がどこまでも広がっている。二人以外は誰もいない天空を抜ける風に霊夢は気持ち良さそうに目を細めた。

 

 

 空を飛ぶこと、それ自体は霊夢も得意だ。何せ、霊夢の能力は『空を飛ぶ程度の能力』なのだ。

 しかし刑香と出掛ける時はいつもこんな感じに抱っこされている。こうする方が速いからだ。それに自分で飛ばなくていいから楽だし、紫と違って刑香は後でからかったりはしない。なので、霊夢は普段なら断固として避けるであろう子供扱いの抱っこを特別に許していた。

 

 ぐんぐんと遠ざかる景色、やはり見渡す限り誰もいない空を二人で飛び続ける。刑香の少女らしい高めの声が霊夢の鼓膜を優しく震わせる。

 

 

「寒くない?」

「大丈夫、あったかいよ」

 

 

 時折、刑香とはそんな会話をするだけ。

 必要最小限の言葉を交わし、あとは流れに任せる。珍しいものを見つければ、刑香は高度を下げて霊夢に視認しやすくしてくれる。向かい風は天狗の妖力で防いでくれる、快適なお出かけだ。

 

 それは霊夢にとって妙に心地良い時間だった。大抵のことは独りでこなす霊夢が、今は逆に全てを刑香に依存している。それが何故か安心できる。幼い霊夢は時々、あることを思うことがある。

 

 

 ―――姉さんがいたら、こんな感じなのかな?

 

 

 それは大袈裟な例えだろう。たかが数ヶ月前に出会った妖怪相手にそんな親しみを持つなど、巫女としても失格かもしれない。しかし紫、藍、そして刑香、妖怪たちに囲まれて過ごす霊夢は、妖怪だから人間だからといった考えには拘らない。

 

 きっと将来はそういう巫女になるだろう。妖怪と人間との対立が和らいだ現代の幻想郷に相応しい、どちらにも平等に接する巫女に。言い換えれば、悪さをした場合にはどちらにも容赦しない巫女なのだが、やはりこの時代には相応しいだろう。しかし同時に『博麗の巫女』、その言葉は未だに幼い霊夢には重荷だった。

 

 

「ねえ、刑香」

「ん、どうしたの?」

「もっと高く飛んで欲しいの。雲より高く幻想郷全部を見渡せるくらいに」

「雲の上からは何も見えないと思うけど。でもいいわ、私の限界高度までできるだけ高く飛んであげる。怖かったら知らせなさいよ!」

 

 

 ぐんっ、と霊夢は重力に逆らう圧力を感じた。それをはね除けて白い翼はどんどんと高度を上げていく。霊夢は足元を見下ろす。そこに広がっているのは真っ白な雲ばかり、人里も妖怪の住む森や野原も見えはしない。

 一面に広がる白い世界で、刑香は滞空していた。

 

 

「まあ、雲の上なんてこんなものよ。どう満足した?」

「うーん、微妙。高い所からなら何でも見えると思ったのに、そうでもないのね。………巫女になってからも気をつけなくちゃ」

「幻想郷の全てを一人で見通すなんて不可能なんだから、普段はぐうたらな守護者でもいいと思うわよ。私が保証してあげる、人里の守護者だからって全てを背負う必要はないわ」

「………刑香は気づいてたんだ。私が、何に悩んでいたのか」

「紫の話から何となくね。大丈夫、あんたは強いわ。あと半年とちょっとで霊夢は博麗霊夢になる。それでも紫や藍、私がいなくなるわけじゃないんだから、堂々としてなさい」

「ありがと、刑香」

「紫にもお礼は言っときなさいよ。素直な言葉を伝えるのは霊夢には恥ずかしいかもしれないけど、きっと紫は喜ぶだろうから頑張りなさい」

「うん、頑張る」

 

 

 どうやら自分の悩みはお見通しだったらしい。

 もう少しだけこんな時間が続けばいいのに、霊夢は刑香から感じるぬくもりに身体を預けて、そう思った。

 

 

 

 

 


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