その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

40 / 84
戦闘描写があります。
苦手な方はご注意ください。


第三十三話:華山に帰し、桃林に放つ

 

 

 ―――思い出しますね、レミリアお嬢様と初めて出会った時のことを。

 

 

 鬼との戦いの最中、美鈴は己が仕える主人のことを考えていた。あれは酷い出会いであった、幼い姿の少女から一方的に「私の下僕になれ」と言われた時は耳を疑ったものだ。当然のごとく断った後、叩きのめされて紅魔館に連行されたことは今では笑い話である。

 運命を操り、こちらの手の内を遥か高みより見透かす絶対的な支配者、レミリア・スカーレット。そんな彼女曰く「美鈴を身内にするのに一番近道だった」ということで叩きのめされたのだから、本当に『理不尽』な経験だった。

 

 何故、そんなことを思い出しているのか。答えは簡単だ、今まさに戦っている相手がレミリアと同じく『理不尽』な存在だからに他ならない。レミリアのような能力は持っておらず、ただ大地に脚をつけて万物を打ち砕く『力』の化身。極められた怪力乱神、これを化け物と呼ばずしてどうするのだ。そう断言できるだけの存在だった。

 

 

 右腕はすでに使い物にならなくなっている。腹部にも二、三発喰らって胃の中身をぶちまけそうだ。ふらつく身体は限界を訴えている、それでも気持ちだけは前へ前へと勇み出た。この『化物』を打ち倒せと、妖怪としての魂が吼えるのだ。

 

 

「覇ッ!!!」

「――――っ、ぐぉぉ!!?」

 

 

 お互いの袖が触れてしまいそうな至近での肉弾戦。

 掌打を幾度となく叩き込んでも鬼は倒れない。一発一発に練り込んだ必殺の『気』が内臓を焼いているはずである。それなのに勇儀は獣のような笑みで戦いを続けている。正気の沙汰とは思えない、いやこの相手に常識は通用しないのだ。折れた右腕を庇いながら左の肘打ちで鬼を衝く。

 

 いくら攻撃しても倒せない怪物に主人の姿を重ねる。大陸を放浪していた美鈴を、素晴らしいくらいの力ずくで紅魔館へ引き入れた張本人。ワガママで、子供っぽくて、それでも魅力に溢れた『運命』を操る吸血鬼。レミリアの場合は再生による無効化だったが、美鈴の攻撃を受けて倒れないという意味では勇儀も変わらない。

 

 

「―――痛っ!?」

「悪いね、こっちも余裕がないんだよ」

 

 

 避けそこなった鬼の爪に脇腹を切り裂かれる。

 拳ではなく爪まで使ったのは、本当に余裕がなくなっている証拠だろう。なりふり構わない攻撃を繰り出したのは追い込まれている証明である。しかし美鈴の背に冷たい汗が流れた。

 傷はあまりにも深く、そして位置が悪かった。わずかに美鈴の動きが鈍くなる。勇儀の爪が抉ったのは身体の内側にある『丹田』だった。偶然なのだとしたら、何という執念だろうか。美鈴は苦々しげに思いながら、勇儀の顔面を殴り飛ばした。

 

 

「貴女の、ような化け物は、お嬢様以来です…………!」

「そいつは、あの金髪の嬢ちゃんのことかい?」

「いいえ、あの方の姉君、紅魔館の当主様……です!!」

 

 

 拳の応酬を繰り返し、わずかな言葉を交わす。

 やはり気の集まる『丹田』を損傷させられては、能力の出力が落ちるのは避けられない。残った左腕からひしゃげた音が聞こえた。今までは技で身体能力の差を誤魔化してきたが、それも限界だ。苦労して維持してきた均衡が崩れ去っていく。

 金属のように重い勇儀の一撃を受け流す、手のひらが削られたが気にしている余裕はない。鋭さを増す猛打によって一歩、また一歩と後ろに押しやられる。これは不味い。

 

 

「っ、本当に、私がどれだけ『技』を磨いても、それを容易く打ち破ってくる。幸運や偶然さえ味方につけて…………貴女たちは本当に、理不尽です。『紅砲』!!」

 

 

 踏み込んでの『気』を込めたショートアッパー、それを勇儀の顎を打ち抜かん速度で叩き入れる。そして脳を揺らされて動きの鈍った勇儀へと連打を叩き込む。一撃、また一撃と『気』による灼熱は鬼の皮膚をすり抜け、骨を通り抜け、中身を焼いているはずだ。どんなに防御の硬い相手であろうとも倒せるはずなのだ。

 それでも両腕を盾にして、美鈴の絶え間ない連撃に耐える勇儀へと「ここで決める」と拳を叩き入れる。

 

 不意に、視界が揺れた。

 

 

「あ、れ…………?」

 

 

 腹の底から沸き上がってくる血塊を抑え込む。ゆっくりと視線を下げると、腹にめり込んだ鬼の脚があった。まさか、あの状態で反撃できるとは思わなかった。それを理解するのに数秒、全身から力が抜け落ちて膝をつくのには更に数秒。歯を食い縛り、何とか立ち上がろうとするが身体はピクリとも動かない。どうやら負けてしまったらしい。

 そんな門番を見下ろす勇儀は手刀を振り上げる、それを遮ろうと乱入してきたのは黒い翼だった。

 

 

「時間稼ぎありがとうございます、門番さん。ふふふ、あとの美味しい所は私に任せてくださいね」

 

 

 頭巾を飛ばされ、血に濡れた黒髪。

 刃の欠けた妖刀で射命丸文は鬼を押し返す。調子の良いことを宣っているが、フランと刑香が脱落した後に彼女もまた勇儀によって殴り飛ばされている。美鈴による応急処置があっても、痛めた翼で全力を出せるわけがない。最大の武器であるスピードを失った彼女では鬼の四天王と渡り合うのは不可能だ。

 風を纏いて地面を駆け、不安定な一本歯下駄から読めない斬撃を繰り返す射命丸。天狗独特の剣術は美しくも、見事なものだった。次々に勇儀に切り傷を与えていく。だが決定打には届かない。立ち上がれない美鈴は悔しそうにその場で拳を握る。

 

 

「あと一歩、あと一手で打ち勝てる。それなのに私たちの手札は尽きたのか…………申し訳ありません、お嬢様」

 

 

 「もしこの場にレミリアがいたなら」と思わずそう考えてしまう。きっと彼女ならば、どんなに細い可能性であろうともこの状況を打倒する結末を導き出したはずだ。あらゆる策を講じ、敵と味方すべての駒を利用して、成し遂げたはずだ。自分が初めて「仕えたい」と思った吸血鬼、レミリア・スカーレットならば。

 バキリ、と刃と希望の砕ける音が響いた。

 

 

「あの子を…………る任務、果たせず、申し訳……天魔さま」

 

 

 折れた妖刀と共に、文が投げ出される。

 ちょうど自分の隣へと倒れた天狗へ美鈴は力無く頭を傾けた。真っ白な装束は半分近くが剥ぎ取られ、大きく肌が露出している文。直接巻かれたサラシの上からは、発育の良い身体のラインがはっきりと分かる。胸を上下させて荒い呼吸をしているので、弱っているのは演技ではないのだろう。

 もう一度視線を戻すと、勇儀がこちらへ向かってくるのが見えた。折れた刃の突き刺さった左足を引きずりながら、怪物は迫り来る。

 

 

「ここまで、ですか」

 

 

 傷の回復に全力を尽くしていた美鈴だったが、到底間に合わないと静かに目を閉じた。地面を踏みしめる音、立ち昇る妖気がピリピリと肌を痺れさせる。それでも敗者は黙って、その結末を受け入れるしかない。

 

 

 

 

 

 

「まだ諦めるには早いわ、美鈴」

 

 

 幼い声が鬼の足音を止める。

 破壊されずに生き残った木造家屋の上で、その吸血鬼は古びた瓦を踏みつけて立っていた。虹色に輝く宝石の羽を広げて、少女は深紅の瞳を瞬かせる。この数ヶ月、レミリアに申し付けられて美鈴が身の回りの世話をしてきた妹君。

 四百年近くを地下室で過ごしたせいで、レミリアよりも更に幼い性質を持つ金髪の吸血鬼。見慣れたはずの姿に、今だけは目を奪われた。そして心に浮かんだ言葉が口からこぼれ落ちる。

 

 

「――――レミリアお嬢様?」

 

 

 飲み干せなかった血液がこぼれて、真っ赤に染まったワンピース。全身からは瑞々しい血の匂い、その瞳は闇夜の紅い月、身に纏う空気は見る者を支配するカリスマの色。フランの姿は美鈴が恐れ憧れた『スカーレット・デビル』に近いものがあった。妙な話ではあるが、紅美鈴はこの時初めてフランがレミリアの妹であった事実を思い知る。

 刑香との間で何かあったのだろうか、この短い時間でフランが変わった理由はそれしかない。

 

 フランの隣に立つ白い鴉天狗へと、美鈴は無言で頭を下げた。残された一手、あとは彼女たちに任せよう。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 我ながら、ひどい状態だと思う。

 骨も、筋肉も、臓腑に至るまで、自分の身体は余すことなく悲鳴を上げている。おまけに隣にいる吸血鬼に血と妖力を吸い取られた後だ、正直なところ布団で横になりたい。そろそろ帰りたいと刑香は溜め息をついた。

 だが、傷つき倒れた親友の姿が目に入っては仕方がない。やはり覚悟を決めて立ち向かわなければならない。眠りに落ちそうな精神を気力で奮い立たせ、肉体の痛みはフランから注入された媚薬の毒で誤魔化した。もう少しだけなら何とか立っていられそうだ。

 

 

「分からないねぇ。どうして今の瞬間に不意を打たなかったんだい。少なくともお前さんの方はもう限界だろう。これ以上私と戦える余力はない、それなのに真正面から来るとは可笑しな奴らだ」

 

 

 鬼の大将は脚に刺さった刃を抜きながら、刑香へと語りかけた。その距離はざっと見積もって七丈(二十メートル)以上あるが、彼女がやろうと思えば即座に詰め寄られる程度である。勇儀はその位置から一歩も動かず、燃え上がる瞳の赤色で刑香たちを捉えていた。その傍では黒い鴉天狗と紅の門番が倒れている。見る限りは重傷ではあるが、どうやら無事ではあるらしい。

 刑香はほっと胸を撫で下ろし、鬼へと返答する。

 

 

「何で不意討ちをしなかったか、なんて簡単なことよ。あんたとの戦いにはっきりと『白黒つける』ために決まってるでしょ。ここまで私たちはボロボロにされたんだから、完璧な勝利で収めないと気が済まない」

「へぇ、言うじゃないか。どうにも説教くさい奴と似たセリフではあるが気に入った。…………せいぜい頑張って私を食い止めてみな。さもなくば、私は能力が発動する前に吸血鬼の嬢ちゃんを潰しちまうよ?」

「言われるまでもないわよ、必ずあんたは私が止める」

 

 

 策は見抜かれているらしい。

 当然といえば当然か、自分たちと勇儀の間にあるのは一直線に伸びた街道なのだ。フランの能力を察している勇儀にとって想像は容易い。鬼の頭目の一人として、千年を越えて生きてきた星熊童子は決して愚鈍な妖怪ではない。つまりフランの能力が発動するまでの時間を刑香が稼げれば刑香たちの勝ちとなり、その逆なら勇儀の勝ちとなる。何とも分かりやすい賭けである。

 

 

「く、くっ、はははっ、いいだろう。喧嘩の締めとしては小気味いい。何より心意気が気に入った。勝負を決める大一番、お前さんが私を止めたらお前たちの勝ちだ。その名に恥じない戦いを見せてみな!!」

「…………私は自分の名前に誇りも情も感じていない、いずれ『裁かれる』なんて意味は足枷でしかないわ。そして私には家族がいない、なら家名にも意味なんてない。だから、萃香さまから貰った『香』の一文字だけを賭けてあげる」

 

 

 刑香は一本歯下駄を脱ぎ捨てた。

 天狗のトレードマークの一つがカランコロンと屋根から転がり落ちていく。それには目もくれず、白い足袋だけで茶色の粘土瓦を踏みしめる。やることは変わらない、いつも通りに最高速で飛び立つだけだ。それで勇儀からフランを守る、少しばかりタイミングが面倒だが何とかするしかない。

 

 

「うー、そろそろ初めてもいい?」

「いいわよ、やっちゃいなさい。鬼は私が何とかしてみせるから頼んだわよ」

「わひゃっ!?」

 

 

 眠たそうに目を擦っていたフランの金髪をワシャワシャと少しだけ乱暴に撫でる。夜明けが訪れたことで睡魔が襲って来ている。日の光が届かない地底なら太陽に焼かれる心配はなくとも、夜の支配者たる身体は活動を緩めているのだろう。だが、もう少しだけ頑張ってもらわなければならない。

 天狗最速の刃でも、紅魔最高の技でも仕留めるには足りなかった妖怪山の四天王。あれを打倒するには刑香だけでは届かず、フランの力が必要不可欠なのだ。

 

 

「じゃあ始めるよ。負けないでね、刑香」

「善処するわ」

 

 

 幼子の掌に真紅の魔力が浮かぶ。

 そこから伸びる無数の糸は、お互いに絡み合いながら丸い球体を形成していく。真っ赤な流れは『運命』に逆らうように中心に向かって渦を巻き、そして開いた黒い闇へと収束する。星空の何もかもを飲み込む底無しの穴がフランの掌で形を成していく。それこそがフランの持つ『破壊』のチカラ、世界の急所たる『目』を吸い寄せて、握り潰すことで隕石すら崩壊させる禁忌の能力。

 

 興味深い光景だが、残念なことに見届けている暇はなさそうだ。刑香は葉団扇へと残りわずかな妖力を注ぎ込む。そして天狗の秘宝は脈動し、そよ風で持ち主を包み込んだ。頼りないほどに弱い風、出力は足りていないが今はこれで限界だ。

 

 やれやれと溜め息をついてから、空色の瞳は鬼の方へと向けられる。文から片足に傷を負わされているにも関わらず、もう鬼との距離はなくなっていた。錫杖を構えて番人のようにフランを守る鴉天狗へと、勇儀は疾風のごとくに跳躍する。

 文と美鈴の元から、わずかに二秒足らずで屋根に着地した勇儀は白い少女へと襲いかかる。その顔は楽しげだったが、大した武器を持っていない刑香を侮っていた。それこそが天狗の策略だと知らずに。

 

 

「…………ああ、勘違いしているようだけど。私は別にあんたを『攻撃』しなくてもいいのよ?」

 

 

 唯一の武器、錫杖を勇儀の目の前で放り出す。

 その瞬間、どう自分を迎え撃つのかと身構えていた勇儀の思考が一瞬止まる。あまりにも無謀な行動に突き出された拳は精細を欠き、それを掻い潜った刑香は正面から身体に抱きついた。驚いた表情の勇儀へとイタズラが成功した子供のように笑う。

 

 

「その顔が見たかったのよ、勇儀さま」

 

 

 葉団扇に込めた妖力を丸ごと解放する。

 気流の全てを足元に叩きつけ、鬼の踏ん張りを粘土瓦から引き剥がす。刑香を殴ろうとする拳は青い光に阻まれ届かない、鬼はなす術なく空中へと押し上げられる。初めから刑香はこれを狙っていた、瀕死の状態なら大抵の攻撃は当たらないのだから。これで最後だと刑香は厄を打ち払う白羽の矢のように鬼を抱え、気流に任せて垂直に飛翔する。

 

 

「―――ああ、こいつは参ったねぇ」

 

 

 間もなく約束の八秒。

 勇儀の穏やかな呟き声が鼓膜を濡らしたのは、フランの能力が完成したのと同時だった。密着した相手から伝わってきた破壊の振動、何かが弾けた音が響いた。顔を上げて確認しなくても分かる、勇儀の身体から力が抜け落ちていく。自分たちは勝ったのだ。

 しかし勝利を感じる間もなく、葉団扇の効果が切れた。ただでさえ妖力が少なかったのに、よくここまで持ったものである。まさか旧都を一望できる高さまで、上がれるとは思わなかった。

 

 これは、予想していなかった。

 

 

「ちょっとヤバい、かも」

 

 

 もう飛ぶ力も残っていない。

 勇儀の身体を手放した刑香は、真っ白な翼を揺らしながら墜ちていく。今回はへし折られていないが、妖力がほとんど残っていない。これでは天下の鴉天狗とて空を飛ぶことなど出来ない。だんだんと速度は加速して止まりそうもない。

 ゴウゴウと吹き続ける大気の風が妙に心地よかった。文や美鈴を護りきれた、それと比べれば落下など些細なことである。まあ、死にはしないだろう。死ぬほど痛いかもしれないが仕方ない、刑香は観念して瞳を閉じた。

 

 

 

 茶色の閃光が駆け抜けたのは、そんな瞬間だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 背中に腕を回し、その降下の速度に合わせつつ衝撃を軽減する。なるべく負担を掛けないように、はたては白い少女を器用に回収した。そしてツインテールを風に揺らしながら空中で静止する。「あー、ありがと」などと安心したように脱力した刑香へと、はたては沸き上がった感情をぶちまける。

 

 

「飛べなくなるまで消耗するなんて、どこまで無茶やらかしてんのよっ。このバカ鴉!!!」

「いや、その、はたて?」

 

 

 第一声は心配ではなく、罵倒の言葉。

 キョトンとした表情の刑香だが、その身体はボロボロだ。血を流し過ぎて装束は大部分が赤に染まり、こうして抱えているだけでも、消え去りそうな妖力が弱々しく伝わってくる。綺麗な白い肌には幾つもの青アザが目立ち、一本歯下駄さえ無くした姿は痛々しい。

 ここまで追い詰められても平気な顔を取り繕っているのだから、なおさら腹が立つ。間に合わなかった自分自身のことも合わせて感情が抑えきれない。さとりに心を抉られたせいなのか、様々な想いが滲み出てくる。はたての瞳から涙が心の欠片と共にこぼれ落ちていった。

 

 

「あ、あんた達のこと、メチャクチャ心配したんだからねっ。ううっ、バカァッ!!」

「ちょっ、合流して突然怒ったり泣いたり、本当にどうしたの!?」

 

 

「…………よければ、その続きは私の目の届かない所でお願いします。嫌いな心情ではありませんが、覗いていてむず痒いのも事実です」

「うにゅ、アレってさとり様のせいじゃないの?」

 

 

 白い親友をお姫様だっこしたまま、はたてはコロコロと感情を変えていく。そんな彼女に混乱した刑香が「どうしたのか?」と問いかけるが、まるで会話にならない。その乱れた雰囲気を一刀両断したのは冷めた声と、間延びした声だった。恥ずかしい場面を見られたと、はたては赤い頬のまま振り返る。

 

 

「もう朝ですね、おはようございます」

「…………何だろう、いらっときたわ」

「それは良かった、心が読み取りやすくて助かります」

 

 

 浮かんでいたのは、古明地さとりだった。両脇をペットのお空に荷物よろしく抱えられた姿は実に子供っぽい。こちらと目が合うと露骨に目線を反らしてくるが、サードアイだけはしっかりと向けてくる。心を覗いているのだろう、油断も隙もない少女である。さとりは咳払いをして会話を再開する。

 

 

「あなた達には驚かされました。まさか、あの星熊勇儀を打ち破ってしまうとは…………この旧都が建てられて以来、彼女が鬼の四天王でない者に敗れるなど初めてのことです」

 

 

 すらりとした指が示す先。

 今度こそ手足を投げ出して倒れているのは一本角の大妖怪。少しずつ高度を下げていると、その姿がはっきりと見えてきた。小さな隕石が落ちたかのように砕けた大地、そこに広がる赤い水溜まり、微動だにしない彼女の様子から、フランの一撃は決定打になったことが分かる。

 死んではいないだろう。そうなるようにフランは手加減をすると言っていた。「大将っ!!」と彼女の元へと駆けつける部下の鬼たちに後は任せても大丈夫のはずだ。さとりは刑香に向き直る。

 

 

「天晴れ見事、勇儀に代わって私からこの言葉を送りましょう。旧都の損害は…………まあ、鬼と土蜘蛛に何とかさせます。あなたたち天狗に吹っ掛けるわけにもいきませんし」

「あんた、誰よ?」

「これは申し遅れました。私は古明地さとり、この旧都つまりは旧灼熱地獄の管理をしています。以後お見知りおきを、白桃橋刑香。…………はぁ、しかし最悪です」

 

 

 刑香への返事もそこそこに、さとりは憂鬱そうな瞳で半壊した旧都を見下ろしている。建物の多くが炎に焼かれ、あるいは怪力と竜巻でひっくり返された。竜でも暴れたのかと思えるほどの惨状である。

 鬼や土蜘蛛を動員すれば再建に時間はかからないだろうが、事の顛末を上司へと報告しなければならない。ここまで被害が出たのだ、あの長いお説教は免れないだろう。はたてに抱えられた刑香の方へと、どんよりとした目を向ける。

 

 

「あなた、迦楼羅(かるら)とあまり似ていませんね」

「…………会話の方向性が掴めないんだけど。それに誰よ、知らない奴と比べられて似てるも似てないも意味が分からないわ」

「ああ、気にしないでください。これは、」

 

 

 気だるげなサードアイは刑香の心を映し込む。

 その記憶を簡単に読み取ったさとりは、やはり溜め息まじりに白い少女を見つめる。イマイチ成り立たない会話をする相手に、刑香は面倒くさそうにしているが別に問題はない。幾つかの言葉をぶつけて、あとは相手の反応を心から読み取ればコミュニケーションは成り立つのだ。それは一方的で、とても身勝手な覚妖怪のやり方である。

 

 

「単なる独り言ですから」

 

 

 これは『厄介』だ。

 さとりは覗き見た心の中身から、そう判断せざるを得なかった。この白い少女は本当に何も知らない、知らないように育てられたのだろう。八雲紫、四季映姫、伊吹萃香、そして迦楼羅。よくもまあ、これだけの厄介者たちに囲まれながら生き延びたものである。

 

 一度、地上に足を運んで情報を集めた方が良さそうだ。薄明かりに包まれる地底の空で、さとりはそんなことを考えていた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。