その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第三十四話:彼岸寄港に声を聞く

 

 

 カラカラと地霊殿の上で、底抜けに明るい声が響く。朝露を乗せた風に吹かれ、血よりも赤い髪が遊ぶように揺れていた。成人男性の背丈にも及ぶ鎌を担ぎ上げ、屋根瓦に腰掛けている存在。静かな色を秘めた青のロングスカートと、腰に巻き付けた三途の川の渡し賃『六道銭』が特徴的な少女は笑う。

 

 

「まったく肝が冷えたよ。あそこまで恐ろしい鬼は地獄にだっていやしないってのに、よくぞ打ち勝った。いやぁ、見事なもんだ」

 

 

 妖怪でも人間でもない者、小野塚小町は見晴らしのよくなった街を眼下に据えていた。だが言葉とは裏腹にその赤い瞳には彼女らしい暖かな光が宿っておらず、複雑そうな表情で緋色の瞳を細めていく。手に持った魔鎌が生き物のように冷たい脈動を繰り返し、魔刃の先が鴉天狗の少女たちを捉えて揺らぐことはない。

 

 

「かなり消耗してるみたいだねぇ。おまけに、いつも邪魔をする射命丸はお疲れの様子で残りは事情を知らない連中ばかり。まあ、一応コイツは絶好のチャンスってわけだ」

 

 

 自然の規律を侵して寿命を伸ばすのは大罪である。この世界に張り巡らされた輪廻の摂理に逆らい、その命だけが生き永らえる。そんな不平等を彼岸の者たちは認めない、認めてはならない。だから小町はここにいる。

 

 

「普段の私たちは一切として、あんたに手を出せない。だけどそこまで弱っているなら話は別さ。確率は五分五分だろうが、今なら魂にだって刃は届くかもしれない」

 

 

 古びた草履は一切の音を立てず、瞬きの一つもなく、世の理から外れた死神は立ち上がる。死を払い除ける少女のチカラ、たかが数年間の寿命を伸ばすなら問題はあまりなかった。

 しかし彼女は罪を犯した、大天狗たちの寿命を摂理を越えて伸ばしてしまった。例えそれが望まぬこと、何者かに強制されたことだとしても、それは後々の裁きで考慮するべき事柄である。一度、その魂を彼岸に連れていくことには変わりない。その未来を見透していたからこそ、あの上司は彼女に『刑』という一文字を送ったのだから。

 

 

「…………くくっ、なーんてね。どのみち何百年も先になるわけでもなし、罪を裁くのは今じゃなくても構わない。またそういうことにしておくよ、(しおき)

 

 

 剣呑とした空気はどこへやら小町は苦笑する。

 そもそも自分は三途の川の橋渡しであり、魂の回収は専門外だ。上司から「様子を見てきなさい」と命令されたから来たものの、実のところ魂の回収は言い渡されていない。いや任務にはしっかり含まれているのだろうが、気づかないふりをしようと思う。クスクスと小町は上司の仏頂面を思い出して笑った。

 

 本当に職務に対して忠実なお方だと思う。こんなにも自分はあの少女に対して非情になり切れないというのに、あの方には迷いがない。ぞっとするほどに鋭利な眼差しで、また魂の回収に失敗した自分を叱るのだろう。せいぜい開き直って面白おかしく、あの子たちの戦いの結末を伝えてやろう。

 

 いつまで見逃してもらえるのか分からないが、まだあの娘にはこちら側に来て欲しくない。八雲紫に語った言葉とは真逆、それが彼女と関わりを持ってしまった小町が持ちえる特別な望みである。それは射命丸や姫海棠の抱くような友情ではない、その想いはまるで――――。

 

 

 

 

「結局手は出さないの、死神さん?」

 

 

 

 

 今回も出さないことにした、そう手を振って小町は『距離を操る程度の能力』を発動させる。最初の一歩を踏み出した瞬間、鎌を担いだ少女の姿は消失していた。残されたのはわずかな花の香り、そして能力のために消費された妖気の気配のみ。立つ鳥よりも、亡霊よりも、死神は足跡を残して逝くことはない。小野塚小町がここにいた事実を知るのは、たった一人の女の子だけ。

 

 

「…………なーんだ。戦うなら首だけ落としてエントランスに飾ろうと思ったのに、つまんないなぁ」

 

 

 友人の戦いを部外者に妨害させないために見張っていた女の子。死神相手に物騒なことを口にしてから、三つの眼を持つ少女は放っていた妖気を引っ込めた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 妖怪の身は砂に似ている。

 はたと気づけば風に散り、跡には灰すら残らない。何故我らは産まれたのか、どうして生きているのか。問いかけども答える者はおらず、ただ人の幻想に満たされ、人の現実に焼かれて消えていく。時が来たなら滅びを受け入れるという、その儚き運命からは彼女たち天狗さえ逃れることはできない。

 

 しかし、時として抗わなければならないこともある。例えば重傷の身体を力一杯、抱きしめられた時などは。

 

 

「刑香、ホントに無事でよかったぁぁぁっ!!」

「――――っ、ぃぃたあっ!!?」

「えぐっ、文のヤツは八つ裂きにしても死なないだろうけどアンタの方は本当に心配だったんだからぁ、あだっ?」

 

 

 またこのパターンか。

 自分を力の限り抱きしめてくるはたてへと、とりあえず刑香は渾身の頭突きをお見舞いした。ガツンとした衝撃で目眩がしたが、内臓がボロボロの身体を抱擁させるよりはマシである。よほど上手く頭突きが決まったらしく、茶髪の鴉天狗は鼻を抑えてうずくまっていた。刑香はため息混じりに問いかける。

 

 

「さとり妖怪にやられた影響だと思うけど、さっきから行動がチグハグじゃない。まったくもう、それでどう少しは落ち着いた?」

「うぐ、ぐ、ありがと刑香。おかげで気持ちの整理ができそう、かも…………頭突きってこんなに強烈なんだっけ?」

「文字通りの先生がいるからね。私も随分と喰らったわ」

 

 

 冗談を交わす刑香だが、その身体には焼けるような痛みが広がっていた。感覚をマヒさせていた媚薬の効果が切れてしまったのだ。火照りも収まってくれたが、今だけはもう少し続いていても良かったと思う。いっそのこと、もう一度吸血されてみようか。しかし美鈴に背負われているフランを見て刑香はそんな考えを改める。

 

 

「ねんねんころりよぉ、おころりよぅ…………この国の子守唄は確かこんな歌詞だったと思いますよ、フラン様」

「うん、いいよ。続けて美鈴……」

 

 

 母にすがる幼子のように門番の優しい背中で丸くなる幼い吸血鬼。だらりと投げ出された手足は細く、そして規則正しい寝息はとても可愛らしい。朝方まで暴れて疲れてしまったのだろう。美鈴が優しげな声色で子守唄を歌っているものだから親子にすら見えてくる。

 

 ふと、あの歌を誰かに歌ってもらったような記憶が頭をよぎる。親無し子であるはずの自分なのに不思議なことだ。きっと思い違いだろう、刑香は寂しそうに空色の視線を姉代わりの天狗へと移すことにした。

 

 

「ん、うぅぅん…………」

「文、あんたまで寝てるのね」

 

 

 壁を背にして文は寝息を立てていた。

 彼女がここまで無防備に眠っている姿は久しぶりに見る。勇儀の相手を一番長くこなしていたのが文なので、無理もない話ではあった。屈んで覗き込んでみると、任務をやり遂げて気の緩んだ顔がそこにあった。だが反対に刑香は顔をしかめていく、その空色の瞳は射命丸文の翼へと向けられていた。

 

 

「何が痛めたよ。折れてるじゃない、あんたの翼。だから途中から飛ばずに戦ってたのね、幻想郷最速の韋駄天もそんな状態じゃあ鬼に勝てるわけないのにさ」

 

 

 勇儀に蹴られた時に痛めた、と言っていた翼は根元から折れ曲がっていた。よくもまあ、この状態で戦いを続けられたものであると感心する。吸血鬼異変にて翼を折られた時点で諦めてしまった白桃橋刑香と、翼を折られて尚立ち向かった射命丸文。

 両者の間に存在するのは埋めようのない力の差ではない。ただ親友の命を背負っていたか、いなかったかの違いだけ。やはり自分たち三人のリーダーは文をおいて他にはいないと刑香は思う。

 起こさないように黒髪を優しく撫でる。手櫛を通してこびりついた血の塊を落として、乱れた一本一本を整えていく。そして飛ばされた頭巾は見つからなかったので、代わりに自分のものを外して付けておいた。

 

 

「これで良しっと。リーダーがみっともない姿だと私たちが馬鹿みたいだから特別にね。うん、今回だけよ」

 

 

 頭巾を譲ってしまい、一本歯下駄も失って、現在天狗らしさが欠けている白い少女。そんな刑香は眠り続ける文の格好を正していく。なんだかんだで憧れている天狗が彼女なのだ、目標とする相手がみすぼらしい姿でいるのは好むところではない。

 いつの間にか立ち直っていた天狗、はたては呆れた表情をしている。

 

 

「あんた達って、やっぱり似てるわ。前回の異変で刑香が倒れた時さ、文も同じように服装整えたり手櫛を髪に通したりしてたもん」

「へぇ、そうなのね」

「そうそう、私が一旦山に帰ってた間もべったり刑香に付いてたんだから。そのあとに包帯代えたり着替えさせたりとかは私と交代でしてたけどね。って、あんた顔が赤いけど照れてる?」

「そ、それよりも鬼から貰ったコレはどうするの。言っとくけど持って帰ると酷いわよ」

 

 

 露骨な話題の変更だった。

 二人の目の前に積み上げられているのは、鬼が集めた財宝たち。大判小判に宝剣宝槍、金色の織物、朱塗りの名器がうんざりする程に輝きを放っていた。これらは全て「大将に勝ったお前さん達に」と鬼が差し出してきたものだ。人間ならば目も眩むばかりの価値を持つ秘宝だらけである。人里に持って帰ったならば城を建て、新しい国の基礎を築けるだけの富をもたらす。それほどの財貨であった。

 

 しかし、刑香たちの反応は思いの外冷ややかなもの。刑香とはたては財宝に興味を持てず、美鈴はそういった物欲がなく、フランはそもそもスカーレット家の令嬢である。ここにいる全員は別に財宝が欲しいから鬼と戦ったわけではなく、まして金に困っているわけでもないのだ。むしろ、これを持って帰れば面倒なことになることに刑香は気づいていた。

 

 

「文とはたてだけならともかく、八雲側の私や紅魔館の二人が関わってるんだから三つの陣営がいざこざを起こすに決まってるわ」

「分け前を巡ってトップ同士が衝突ねぇ。でも『鬼』の宝だから私たちの上が拘るのは理解できるけどさ、八雲紫やレミリアがわざわざ動くの?」

「敵対する相手の嫌がることには積極的になる。組織なんてそんなものよ、レミリアは興味本意で首を突っ込んで来そうだけど」

「あー、お偉いさんにケンカされると私たちにまで火の粉が飛んでくるから面倒ね。それなら今使えるものだけ貰っとこうかなっと」

 

 

 ガチャガチャと財宝の山を掻き分けていく茶髪の天狗。積まれた金貨や銀貨が崩れ落ち、絹の織物が地面で砂まみれになっていく。あとで鬼に返すと言っているのに随分と粗っぽく扱ってくれる。しかし注意する気にもならなかったので、刑香は苦笑いをしつつも好きにさせておくことにした。この上下関係を気にしない性格がこの天狗の魅力であるのだから。そんな刑香の心中を知ってか知らずか、はたては宝探し気分で古びた壺を財宝から掘り出していた。

 

 

「よっと、『河童の秘薬』を見つけたから塗ってあげるわ。天狗製じゃないのはちょっと不安だけど」

「そんなものまで含まれてたってことは、この山は妖怪、人間問わずに鬼が略奪して集めた財宝ってことかしら。それ、呪われてないでしょうね?」

「仮にそうだとしても、あんたに呪いは効果薄いから大丈夫よ。多分」

 

 

 開封された薬壺から漂うのは河童の血と妖力の香り。これは彼女らに頼んだところで譲ってもらえる秘薬ではない、おそらく鬼が略奪した品だろう。そう考えると財宝の中には天狗から強奪した物も含まれているのではないだろうか。ますます危険な代物に見えてくる、刑香は軽い頭痛を感じ始めていた。しかし、はたてに天狗装束を掴まれたことで正気に戻る。何をするつもりだろうか。

 

 

「なんで私の装束を捲り上げてるのよ」

「薬を塗るのに邪魔だからに決まってるでしょ。ほらほら、隠してあげるからグダグタ言わずにさっさと脱ぎなさい」

 

 

 ここは天下の往来である。

 住民は残らず避難して影も形もないが、周りに身を隠すものもない。それに今はさとりの指示を受けて、鬼たちが復興活動の真っ只中なのだ。建物の残骸を一軒丸ごと担いで行く者、未だに炎が残る地帯を素足で鎮火させていく者、早くも家屋を建て直している者までいる。普段は酒と喧嘩しかしない種族とは思えない手際の良さ、残念なことに彼らのほとんどは男性であった。帯をはずしてくる親友の動きを全力で阻止する。

 

 

「せめて建物の中とか、人目のない場所があるはずなのに。なんでこんな見晴らしの良いところで裸にならなきゃ…………ほ、ほんとにやる気なの?」

「無事な家屋がどこにあるのよ、どれも崩れそうな燃え残りばかりじゃない。さっさと処置をしておかないと、あんたは『能力』が削られていく一方でしょうが」

 

 

 シュルシュルと帯を外されて奪われた時、刑香は早々に諦めそうになった。はたては一度言い出したら聞かないところがある。一応は翼を広げて周囲から身を隠してくれるのは助かるが、屋根の上に登って作業している鬼からは丸見えだ。文に助けてもらおうとも考えたが、こんなことのために彼女の眠りを妨げたくはない。それに面白がって向こうに加勢する可能性がある。べったりと両手に塗り薬を付けて詰め寄ってくる友人が、少しだけ鬼に見えた。

 

 

「さあさあ、あんたのためなんだから諦めなさい。それとも脱がせて欲しいわけ?」

「…………いつかやり返してやるから、覚えておきなさいよ。絶対にお返ししてやるから、十年以内くらいには必ず」

 

 

 もう観念した方がよさそうだ。肩から装束をストンと落として、上半身だけを晒すことにした。今はサラシを巻いていないので、申し訳程度に胸だけは腕で隠しておく。周囲から瓦礫を運ぶ音や金槌を打つ音が消えて、代わりにヒソヒソと何かを呟く声が聞こえているのは気のせいだろう。そうに決まっている、刑香は地面を見つめて現実から逃げることにした。

 

 

「へー、刑香はやっぱり綺麗よね。文はあんたのことを可愛い系みたいに言ってるけど、私は綺麗系だと思うかな」

「そんなことないから、はやく終わらせてよ。無闇やたらに肌を見られるのは好きじゃないわ」

 

 

 その真っ白な肌に走るのは赤い切り傷や青い痣。やはり身体が真っ白なだけあって、他の者より怪我が痛々しく目立つ。その傷の上から、はたては念入りに透明な薬を塗り込んでいく。千切れた腕を繋げることすらできる河童の秘薬を使ったなら、外側にある大半の傷はこれで治るはずだ。

 

 

「ところでさ、刑香は自分が産まれた時のことは覚えてる?」

「…………うぅ、また妙な質問をしてくるわね。私は小さい頃のことは覚えてないの、物心ついたら山で暮らしてたから。というより身元がはっきりしてるのって、私たちの中だと文くらいじゃないの?」

「そう言われたらそっか、アイツはカラスから天狗になった部類だもんね。ゴメン、変なこと尋ねたわ。おりゃっ!」

「ぃ、痛ぁぁぁっ!?」

 

 

 また薬をべったりと付けて、それを正面から白い肌に塗り込んでいく。しかし腰のあたりから徐々に上へと手のひらを上げていくと嫌がられたので、そこから先は刑香本人に任せることにする。とはいえサラシがないので、平らな胸を隠すので刑香は精一杯らしい。なので、はたては自分たちを覗いている鬼たちを追い払うことにする。さとりから聞いた話はまた後で文を交えて相談すればいい。薬を塗り込んだ箇所に包帯を巻いたあげた後、茶髪の天狗は葉団扇と妖刀を掴んで大地を蹴った。完全武装で鬼を払う、覗きに容赦は無用だろう。

 

 

「そういえば、私ってどうやって産まれたんだろ…………?」

 

 

 不届きな鬼たちを吹き飛ばしていく親友を見上げながら、刑香はポツリと呟いた。

 

 妖怪には様々なルーツが存在する。元人間だったもの、旧き神が堕ちたもの、自然そのものが形を成したもの。

 それは天狗とて同じである。深山にて神通力を身につけ変じた者、元はカラスや狼であった者、そして天狗から産まれた天狗など、その誕生の道筋は一つではない。ならば自分はどのように生まれ落ちたのか、その問いが刑香の心に疑念を募らせていた。

 

 唯一思い出せるのは耳の奥で、波のように揺れる先程の子守唄。川のせせらぎに紛れては消えていく女性の声、これは誰なのだろう。とても優しい声で自分のために歌ってくれているのは、一体何者なのだろうか。

 

 

 おぼろ気な記憶を辿ろうとした刑香だったが、はたと己の現状を思い出す。まずは服を着ることにしよう、このままでは恥ずかしくて堪ったものではない。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 傍迷惑な喧嘩の幕は閉じた。

 土蜘蛛が焚き付け、鬼の四天王が乗ることで引き起こされた戦い。それは天狗と吸血鬼、そして名もなき門番が打ち勝つという異色の結末を迎えた。

 

 その被害は大きい。

 旧都を一文字に貫く大通りは瓦礫に溢れて、未だに白い煙を上げている箇所もある。こうなると灼熱地獄のフタが開いてしまったのかと思えてくる、それほどにふざけた景色が広がっている。そして壊された建物の中には有力な妖怪たちの持ち家が含まれていた。なので鬼たちが建て直しに奔走する中、パルスィは鬼のような形相で元凶の土蜘蛛を締め上げていた。

 

 

「ヤマメぇっ、私の橋どうしてくれるのよ!!」

「痛い痛い痛いっ、それ痛いからっ!!?」

「しかも私の家までぶっ壊れてるじゃないっ。あんた、私に恨みでもあるの!? 私はありまくりよ、妬むどころか頭から爪先まで呪ってやろうかしらねぇっ!」

「ちょ、待って、何か物凄く頭が熱いんだけど!?」

 

 

 首を鷲掴みにしてヤマメを振り回している姿は冷めたパルスィの性格からは想像もできない。

 しかし、ヤマメはこの喧嘩を引き起こしたある意味の元凶である。そのせいでパルスィの橋は水没したのだから怒りは当然だ。さらに旧都を見回してみると、あろうことか家までぺしゃんこにされていた。勇儀が柱を引っこ抜いて潰れた建物の一つに入っていたのだ。それを見て、パルスィの堪忍袋の緒は派手に切れた。

 

 

「き、キスメッ、助けてよぉ!!」

「ごめん、ちょっと無理」

「うひゃぁぁっ…………おおぉぅっ!?」

 

 

 勇儀に悪気はなかったし、鬼という種族の理不尽さはパルスィも知っている。彼女らに謝罪を求めても無駄である、ならば怒りの全ては大元の土蜘蛛に向かうしかない。よほど頭に来ているのだろう、すでに泣き顔になっているヤマメを壁に追い詰めて何らかの呪詛を呟いている。それでも本気で能力を使っていないあたりは手加減しているとも言えるかもしれない。

 その光景をチラリと見ていたさとりは、ヤマメへの仕置きはパルスィに任せようと決断した。とばっちりを受けては敵わない。

 

 

「随分と、騒がしいねぇ」

「呆れますね、まだ口が利けるのですか。街をこんなにした罰として、できれば彼岸に片足を突っ込んでいて欲しいものです。三途の川までピクニックはいかがですか、鬼の大将さん」

「く、はっ…………笑わせないでくれよ、相変わらず冷たい奴だ。重傷の顔見知りにかける一言目がそれとは、この勇儀よりも鬼らしくて恐れ入る」

 

 

 さとりの眼下には鬼たちによって手当てをされた勇儀が寝転がっていた。腹に溜まった血は全て吐き捨てて、ぽんやりと隻眼で周囲を見つめる鬼の御大将。その刀傷や打撲には薬と包帯が、気と能力によるダメージには別の秘薬が施されている。部下たちの処置は意外にも的確なものであった、おそらく元人間の鬼が混ざっているためだろう。まあ、さとりとしても勇儀に死んで欲しいわけではないので助かった。

 

 

「私が欠片でも仲が良いと見なしているのは、そこで土蜘蛛を振り回している橋姫だけですよ。もっとも彼女が私をどう思っているのか分かりませんが」

「お前が『分からない』とは珍しいねぇ、確かめるのが怖いのか? 友人なんてのは自分がそう思ったら相手がどう考えていようが関係ないもんさ。だからお前とパルスィは友だよ、私が保証して…………ごほっ!!」

 

「だ、大丈夫か大将!?」

「俺は目玉だろうが腕だろうが、大将のためなら惜しくねえぞ!」

「それならアタイは角と内臓をくれてやるさ、だから生きてくれ大将ぉっ!」

 

 

 駆けつけた部下たちが勇儀を介抱する、随分と慕われているものだ。肝心の勇儀には「さっさと作業に戻りな」と追い払われているが。そんな様子を眺めながら地霊殿の主は交わした言葉の意味を考えていた。

 

 こちらが見なせば『友』となる、それは何とも身勝手な話。一方的に喧嘩を売って、傷つけ合い、暴れまわって、そして戦いが収まれば敵意を捨てて相手を友として扱う。そこに他者の意見は必要なく、全ての基準は自分の中にある。サードアイで覗いてみた彼女たちの精神はどこまでも純粋だった。さとりは少しだけ口許を緩ませる。

 

 

「ふ、ふふっ、その論理だと如何なる妖怪や人間とも友達になれるじゃないですか。私でも地底に住む全ての者と友人関係になれそうです。まあ、そんなにいても邪魔ですけど」

「おいおい、最後の一言が余計じゃないかい?」

「うるさいですよ、鬼の頭目さん」

 

 

 きっと今日の喧嘩は語り継がれるだろう。旧都の住人たちの手で脚色され、いずれは地底の歴史となる。星熊勇儀の伝説、その一つとなって光輝くことになる。それは敗北であろうとも関係はない、それもまた彼女の武勇伝となって受け入れられる。そうして鬼はますます住民の恐れと羨望を集めていくのだ。

 その生き方には裏表がなく、いつも華々しく大勢の心を惹き付けて離さない。彼女たちの起こす快活劇の前ではどんな舞台演者も霞んでしまうことだろう、だからこそ無法者だらけの地底で慕われる。

 

 

「さとりの姐さん、こいつは何処に運びましょうか?」

「ああ、その柱たちは一旦あちらの広場に集めてください。あとで別の建物の補修に使います」

「了解ッス」

 

 

 二階分はあるだろう巨大な柱を数本まとめて担いだ魁青が通り過ぎていく。

 彼は勇儀が気を利かせて、さとりの補助役に指名した青鬼の青年。基本的に鬼たちは自分の命令など聞くわけがないのだから助かった。あの青鬼は数少ない、さとりの話が通じる相手である。彼を選んでくれたあたりに、鬼の棟梁としての勇儀の判断力が伺えた。さとりは『再建用』と銘打たれた見取り図と旧都を見比べながら、魁青を通して他の鬼へと指示を広げていく。

 

 

「建て直しに使うための設計図とは、随分と準備がいいねぇ。もしかして今日、地底がこうなる運命だったことを見通していたのかい?」

「正直なところ、いつかやるだろうなと考えていました。それが昨夜とは思いませんでしたけどね、運命なんて上等なものではありませんよ」

「なら見事に私はお前の期待に応えたってことだな。どうだい記念に酒でも呑まないかい…………いっ、傷を蹴るのは反則だろう!?」

「私、けっこう怒ってますよ?」

 

 

 快活に笑おうとした勇儀を爪先で蹴りあげる。

 内臓の半数近くが『破壊』されているという話だったので、脇腹を狙ったのだが見事に痛がってくれた。初めて復讐に成功した気分である、精神が少しだけ晴れやかになったのを感じた。その様子を見て震えだした鬼どもを無視して、さとりは歩き出す。しかし爪先を痛めてしまったらしくその足取りは覚束ない、思わぬ鬼の反撃に涙が出そうだった。

 

 

「まあ、あとは土蜘蛛を加えれば旧都の方はどうにかなりそうですね。さしあたって残りの問題は彼女たちの治療と、地上にいる賢者たちとの会合ですか。後者はとても不愉快ですが、仕方ない」

 

 

 姫海棠はたてとの約束通り、地霊殿の小さな主は地上を訪れるつもりだった。あちらが地底に歩み寄ってきている以上、一度話を聞いてやった方がいい。それから関係を変えるのか、変えないのかを判断するべきだ。

 

 

「明日にでもスペルカードルールについて、これからの幻想郷について冗談混じりに意見を交わすとしましょうか。その間、使者の皆さんには温泉でも堪能してもらえばいいですかね。傷にも効果がありますし」

 

「も、勘弁して……」

「ふ、ふふふ、その表情は悪くないわ。もう少し遊びましょうよ、ヤマメ」

 

 

 ぶつぶつと独り言を呟きながら覚妖怪の少女は、土蜘蛛を追い詰めている橋姫へと近づいていく。お供にパルスィを連れて行こうと思ったのだ。どうやって話しかけようか、不審に思われたりしないだろうか。自分の隣にフワフワと風船のように浮かぶ少女には気づかずに、そんなことを考えていた。

 

 そして鴉羽色の帽子を被った少女は翡翠の瞳を瞬かせ、そっとピンク色の唇を姉の耳元へ近づける。

 

 

「頑張ってね、お姉ちゃん」

 

 

 その声が果たして届いたのかは、また別のお話。

 

 

 

 

 


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