その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第三十六話:千里同風にあらずして

 

 

 遠い遠い祭囃子の音。

 さざ波のように押し寄せては、和太鼓と竹笛が賑やかに旧都を満たす。道行く誰も彼もが、その音色に惹き寄せられていた。そんな華やかな雰囲気の中、白い鴉天狗は喉が焼けるような熱さを秘めた酒を呑み下す。それは傷の痛みを誤魔化すためであった。

 

 

「相変わらずとんでもない度数だけど、慣れたらそれなりに呑めそう。…………そんなわけないか、けほっ」

 

 

 苦しげに咳き込む刑香。

 往来にある店、その縁側に少女は腰掛けていた。このあたりは喧嘩の中心になった街道から、地霊殿を挟んだちょうど反対側に当たる。運の良いことに被害はここまで届かなかったらしく、ほとんどの街並みは無傷であった。

 

 

 ――思ったより復興には時間がかかりそうです。あなたたちは街を歩き回ってヒマを潰してください。ケンカの記念として祭が行われているので、見物にはちょうどいいでしょう。

 

 

 そんなありがたい言葉を送ってきた地霊殿の主。相変わらず眠そうな表情で、古明地さとりは事務的に刑香たちへと『観光』を進めた。正直なところ、復興の指揮を取るのに刑香たちが邪魔だったのだろう。

 

 

「けほっごほっ…………。さ、幸いにして、遊ぶための資金には困ってないから良かったわ。本当に文の悪知恵には助けられたかもね」

 

 

 夏空の瞳に光る雨粒が一つ。

 それを拭った刑香は、落ち着いた鴉羽色の浴衣をそよ風に波立たせていた。袖口には星の刺繍が刻まれ、白を際立たせる『黒』に染められた新品の浴衣。

 

 これは旧都にて買ったモノで、鬼によって血塗れにされた天狗装束の代わりである。上質な絹と高価な金糸の細工は見事で、貧乏天狗の手の届くような一品でないことは明らかだった。では、どうやって入手したのか。

 もちろん鬼の財宝を使ったのだ。あれは結局、文の提案である「地霊殿に丸ごと預ける」が採用されることになった。こうして旧都に置いておけば、地上の賢者たちが関わることは難しくなる。あとは訪れる時にだけ引き出せば、何百年でも遊んで暮らせる額の貯蓄の出来上がりである。

 

 さとりは死ぬほど迷惑そうな顔をしていたが、フランとこいしが押し切った。その一連の流れは子供をたぶらかしたブン屋の策略であることを刑香は知っている。

 

 

「あんなに黒い笑みを浮かべたアイツは久しぶりに見たわ。相変わらず悪知恵とイタズラ心は健在なんだから…………。ねえ、あんたもそう思わない?」

 

 

 何気ない呟き声に「カァ」と返事が被せられる。声の主は白いカラス、それは刑香の使い魔であった。温泉の取材をするため、地上に置いてきたカメラが必要だったので使い魔に知らせて持って来させたのだ。それから任務が終わっても、中々地上に帰ろうとしないのがコイツであった。刑香は呆れた表情で話しかける。

 

 

「あんたも物好きね、こんなところにいても仕方ないでしょうに。まあ、好きにしたらいいけど」

 

 

 のんびりとカラスは地面をつついている。

 そんな姿を横目で眺めながら、カメラを手に取った。すでに地霊殿の温泉についての取材は終えたので、あとは帰って中身を現像するだけである。磨きあげたレンズは氷のように透き通って見え、良い記事が書けそうな予感がした。

 

 

「忘れられた地底の世界、その果てには椿の咲き誇る秘湯があった…………なんてね。あとはタイトルを決めて、使う写真を選べば完成かな」

 

 

 何者をも拒み続けた旧地獄。

 ここへ足を踏み入れることができない読者たちのために、『四季桃月報』は語るのだ。きっと新聞を読んだ人間たちは、一人一人違った反応を見せてくれるだろう。それが楽しみで仕方ない、そう期待しながら一本歯下駄をぶらぶらと揺らす。

 

 地底の淀みを打ち払うような純白を持つ吉凶の鴉天狗。その無垢な色は、どこか浮き世を離れた不吉な気配さえ漂わせていた。少なくない妖怪たちが往来の真ん中で立ち止まり、品定めするように刑香を見つめてくる。しかし寄り付く者は一人もいない。「勇儀の片目を潰した」ことが知られてしまっているらしい。珍しく恐れられるというのは悪くない気分であった。

 

 

「目はヨイチの『半』。こちらに賭けたのは私だけ、ということでまた一人勝ちですね!」

 

「…………美鈴って、あんな特技もあったのね」

 

 

 店の奥から美鈴の声が聞こえてくる。

 そちらに視線を移してみると、花札やサイコロが畳の上に置かれていた。ここは酒と煙草の匂いがする者たちが集う所、要するに賭博場であった。その中にあって、髪を結い上げ、浴衣の袖を捲ってサイコロを振る美鈴。物腰が柔らかいことを除けば、その姿はどう見ても博打打ちの姉御だった。

 

 

「花札も私の勝ちですね。さあさあっ、きっちりと掛け金を回収しますよ。あ、一文無しの方は着ているモノを脱いでくださいね」

 

「ぐおぉっ、マジなのか!?」

「身ぐるみ剥がすたぁ、人の良さそうな見かけによらず容赦がないぜ……」

「も、もう一回だっ。いいだろ、(ホン)の姉ちゃん!」

 

 

 満面の笑みを浮かべる門番に対して、他の者たちは悲鳴に似た叫びをあげている。連戦連勝、美鈴は今まで向かうところ敵無しであった。『気を使う程度の能力』は、その場の気配を読み取ることも可能なのかもしれない。これならレミリアと組めば無敵の勝負師になれるだろう。

 

 

「姉ちゃん、あんた強いなぁ……」

「まだまだですよ。大陸を放浪していた頃の私はこんなものではありませんでした。ようやく勘を取り戻して来たところです」

「げ、マジかよ」

「王朝が滅びては内乱を繰り返す炎の大地、そんなところを何百年も生き抜いてきましたからねぇ。気まぐれにシルクロードを横断した時に、お嬢様に見つけられたわけですが……。(ウェイ)(さあ)、続きといきましょうかっ!」

 

 

 小銭や財布、着物に至るまで美鈴の元に積み上げられていく戦利品。鬼の宝があるというのに、また金銭を増やしてどうするつもりなのだろう。本人が楽しそうなので良しとするかと刑香が苦笑する。すると、こちらの視線に気づいた門番が、子供のように無邪気な笑顔で振り向いた。

 

 

「刑香さーんっ、一緒にやりませんかっ?」

「博打は昔から苦手なのよ。お金にしても羽にしても、(むし)られるのは好きじゃないから遠慮しとくわ」

「えー、私がいるから大丈夫ですよ!」

「あんたに毟られそうなのよ」

 

 

 ヒラヒラと手を振って断る刑香。

 少し残念そうにした門番だが、すぐに地底の妖怪たちへの略奪を再開する。辞めてよかった、紅魔館の連中に賭け事を挑んではいけないと心に刻み込む。

 ちなみに文ははたてと話があるらしく、ここにはいない。おそらく『どこまで知ったのか』を、文がはたてに問い詰めているのだろう。自分に関することだというのに、仲間外れにされるとは皮肉なことだ。それを表すように刑香の唇は不満気に結ばれていた。

 

 

「そもそも私に身内がいたなら、どうして今まで助けてくれなかったのよ。大天狗たちに能力を削り取られた時も、追放された時も出てこなかった。ふざけてるとしか思えないわ。…………って、どうしたの?」

 

 

 不意に白いカラスが頭に飛び乗ってきた。そして、しきりに羽を擦り寄せてくる。頭を撫でて慰めているつもりだろうか。試しに(くちばし)を触ってやると気持ち良さそうに「カァ」と一声だけ鳴いた。何だか気持ちが落ち着いてきた気がする。

 

 

「へぇー、とっても懐かれてるんだ」

 

 

 こちらを眺めていたのは金髪の吸血鬼。

 そちらに視線を移してみると、いつもの赤いワンピースではなく、桃色の浴衣を纏ったフランがいた。それは茶色のウサギが刺繍された、可愛らしい子供用の絹織りであった。七五三を祝われている子供のようにも思える。

 

 

「ああ、それにしたのね。可愛いし似合ってると思うわよ、フラン」

「えへへ、ありがとう。ケイカも素敵だね。白いウサギが暗闇にうっかり迷い込んだように見えるよ」

「それは誉め言葉なのかしら?」

「どうだろ?」

 

 

 くるくると回る幼い吸血鬼。

 服と一緒に買ったらしい二本歯下駄で、危なっかしく跳ねるようにステップを踏む。街を散策するのは初めての経験らしく、フランはかなり浮かれてしまっている。

 保護者である美鈴はまだまだ勝負の真っ最中だ。自分が一緒に回ってもいいが、やはりフランは紅魔館の仲間といた方がいいだろう。そう考えて「少しだけ待ちましょうか」と刑香は自分の隣を指差した。それに素直に従って、金色の吸血鬼がちょこんと座る。

 

 

「茶色の兎なんて、ずいぶんと珍しい絵柄ね。普通は白が多いんじゃないかしら?」

「これは三月兎(マーチヘア)、終わらないお茶会の開催者。まだまだ狂ってる私にはぴったりの模様だから、茶色のウサギにしてみたの」

「狂ったお茶会って、たしか西方の童話に登場するヤツだったかな」

 

 

 不思議の国だったか鏡の国だったか、そんな物語があったはずだ。人間たちがやり取りする舶来品の中に、童話本が混ざっていたのを覚えている。そしてそれを三羽でこっそり盗み出したのも懐かしい思い出だ。そんな刑香へと「やっぱり物知りだね」と、フランは嬉しそうに口を開く。

 

 

「…………時間の止まった庭園で、狂ったお茶会は繰り返される。参加するのは、心の欠けた帽子屋と、眠りこけたネズミ、そして狂った三月兎のマーチヘア」

「あんた達に似てるかもね。こいしが帽子屋、美鈴はネズミ、それにフランは兎に当てはまるでしょ?」

「うん、びっくりするくらいだよ。でも私はハートのクイーンと二役だったりするから単純じゃないけど」

「女王と兎を独り占めしてるのね。別にいいけど欲張りは程々にしなさいよ、お嬢様」

「吸血鬼は欲望に忠実だからいいのっ、そういう苦言はむしろ誉め言葉として受けとっちゃうわ」

 

 

 淡い金髪が風に遊ぶ。

 精巧に作られた人形のごとき美しさを持つ姉妹、将来的には一つ一つの動作が人々を釘付けにしてしまう魔性を手に入れるかもしれない。もちろん未来は誰にも分からないので、確定ではないが未来が楽しみな二人である。

 

 

「ねえねえケイカ。その頭の上に乗ってるカラスはやっぱり使い魔なの?」

「…………そういえば、コイツがいることを忘れてたわ。主人の頭に乗っかるなんていい度胸よね」

 

 

 頭上の真っ白な塊は眠りこけている。

 天狗の鋭い聴覚には、静かに寝息を立てているカラスの音が聞こえていた。叩き起こす気にもならなかったので、そっとしておくことにする。するとフランが縁側に下駄のままで立ち上がり、手を伸ばして羽を触り始めた。

 

 

「うー、あんまり気持ちよくないなぁ。この子は刑香たちとは違って普通のカラスと変わらないや。…………わっ、起きた!?」

「ほどほどにしてやりなさいね、ほどほどに」

「逃げられちゃった。ちょっと臆病だけど、ちゃんと使い魔のお仕事はできてるの?」

 

 

 少し乱暴に感じたのだろう。

 幼い吸血鬼の指をついばみ、白いカラスは主を盾にするように反対側へと飛び降りた。こっそり刑香の影からカラスを覗こうとするフランへと嘴を鳴らして威嚇する。やれやれ、と刑香はため息をついた。

 

 

「私の使い魔はね、私が雛鳥から育てた連中なのよ。ただ羽が白いだけなのに群れを追われた子、他人事とは思えないから拾ってやってるの。あまり仕事をさせていないわね」

「つまり、この子にとってはケイカがお母さんなんだね。だからかなぁ、ぴったりと刑香にくっついてて可愛いよ」

「残念ながら母親の気持ちになったことはないわ、多分ね。それに私はどちらかというと、母親より姉の呼び方が…………何でもない、忘れて」

 

 

 このカラスも、いつか天狗としての『人型』を手に入れるかもしれない。その時は自分と同じ白い翼の鴉天狗になるのだろうか。その時、この子は自分のことを何と呼んでくれるのであろうか。そんな未来を少しだけ見てみたい気もした、きっと暖かな光景がそこにはある。間に合うだろうか、間に合えばいいのにと思う。

 

 どこか寂しそうな様子の刑香につられて、フランは『あの話』を切り出す。

 

 

「聞いてケイカ。ここに来るまでに私が見てきたことを、聞いて欲しいの」

「……何を見たの?」

「刑香のお爺さん、だと思う。全部は聞こえなかったけど、そんな感じの会話だったはずなの」

「そう」

 

 

 それは地底に来る道中にて。

 こいしの『能力』を使ってフランは美鈴と隠れつつ、地底に繋がる大穴を目指していた時のこと。ふいに感じた大きな妖気にフランがつられ、美鈴のおかげもあって、辿り着いたのは仙人の住む家。そこで耳にしたのは、『刑香の身内』に関することだったのだ。それは再会してからずっとフランが伝えたかったことである。記憶のピースを拾い集めながら、幼子は言葉を紡ぎだす。

 

 

「『センニン』っていう人と、お爺さんの天狗が一緒にお茶してたの。それでお爺さんが安い茶葉をからかって、ピンクの人が怒ってて」

「そこまででいいわよ」

「むぐ?」

 

 

 真っ白な指がフランの口をふさいだ。

 まだ話し始めてから数秒しか経っていないが、もういいと刑香は止めさせてしまう。フランが視線で抗議してきたので指を離したが、続きをさせるつもりはない。

 

 

「アイツが『立ち入るな』って、暗に警告してきた程の内容なのよ。知ったところでいきなり斬り倒されることはないだろうけど、私が知るべきことじゃないわ」

「……どうして、聞いてくれないの?」

「どうしてもよ、世の中には知らなくていいこともあるの。でも、ありがとフラン」

 

 

 フランにお礼を言う一方で、「不味いことになった」と刑香は思っていた。頭が高速で回転しているのだ。わずかな情報の欠片を思考の糸で繋ぎとめ、 欠片の間に空いたスキマを幾重もの予測で縫い合わせていた。考えないようにしているのだが、鴉天狗として生まれもった頭脳は勝手に答えへと向かっていて止まらない。

 

 

 センニンは『仙人』のことだろう。

 紅魔館にいたフラン達が地底に来るまでに通り、仙人が暮らしているのは『妖怪の山』をおいて他にはない。

 ならば仙人は『茨華扇』に間違いない。

 そしてあの茨華扇をからかい、対等に話ができる可能性のある老天狗は恐らく、一人だけ。

 

 

 そこまで思考を進めて動きを止める。

 辿り着いた答えは、あまりにバカバカしいモノであった。わずかな雰囲気の変化を感じ取って、心配そうに主人を青い瞳で見上げる使い魔カラス。その頭を撫でながら刑香はフランへと問いかけた。

 

 

「ごめん一つだけ教えて、その天狗はもしかして」

 

 

 文には怒られそうだが、ここまで導き出してしまったなら仕方がない。もはや知らぬ存ぜぬでは通せない、刑香は少しばかりの後悔と共にその事実へと向かい合う。そんな自分を空から見張っていた黒いカラス、あれは文の使い魔ではない。また『連中』に目を付けられてしまったらしい。フランに思うところはないが、面倒事を呼び込んでしまった予感がする。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 地上の空を撫でる春の気配。

 とある甘味屋で大人用の椅子に浅く腰かけている少女。金髪の魔法使いは面白くなさそうに、床へと届かない足をぶらつかせていた。

 目の前には、たっぷりの小豆を甘く煮込んだ善財(ぜんざい)。最近嵌まっている店の定番だ。いつもなら舌鼓の一つでも打ち、さっさと美味しく頂いている。だが今日はそんな気分になれなかった。それは向かい側の席に座っている同い年の少女のせいである。

 

 

「おい、霊夢。せっかく私が奢ってやるんだぜ。だから私のためにも楽しそうに食べるべきだ、そんな不機嫌な顔をするもんじゃない」

「せっかく私は気持ちよく昼寝してたのよ。それをあんたが無理やり連れ出したんでしょうが」

「刑香が地底に行ってから、お前はずっと引きこもってるからな。あのままだとカビが生えそうだったから連れてきてやったんだ」

 

 

 霧雨魔理沙には、一人の友人がいる。

 全てはムカデ妖怪から村人を助け出した時に始まった。そいつが執拗に魔理沙を狙ってきたため箒を失い、もう少しで喰われそうになった。そこを白い鴉天狗に助けられ、その後に出会ったのが博麗霊夢という少女であった。それからというもの、何となくこの巫女と気が合った魔理沙は頻繁に神社を訪れるようになっている。

 

 

「人間からカビが生えるわけないでしょうがっ!」

「言葉のあやだよ。夜は神社でぐっすり、昼は刑香の小屋でぐーたら、そんな生活を続けてたら体にも良くないぜ?」

「……心配なんだから、仕方ないじゃない。他の二人、特に黒いのは何しても死ななさそうだけど刑香は『能力』が切れたら簡単に命を落としちゃうんだし」

「それでも私たち人間よりはずっと頑丈なんだ、心配しても始まらないぜ」

「……それは、そうかもしれないけど」

 

 

 心ここにあらずといった表情の巫女。

 これは重症だなと他人事のように思った魔理沙は小ぶりのレンゲで、甘く煮込まれた小豆を口に運んでいた。今はこんな感じだが、普段の霊夢はもっと只者ではない雰囲気を纏っている。このままでは面白くないので、景気付けにイタズラするとしよう。

 

 

「そういえば、刑香のヤツが求婚されたらしいな」

「だ、誰からよ!!?」

「うわぁぁっ、急に身を乗り出すなよっ!?」

「さっさと教えなさい、吐きなさい!」

 

 

 ここまで反応するとは思わなかった。

 テーブルを土足で踏みつけ、霊夢は魔理沙の襟首をつかみ上げてくる。もうしばらく続けていれば、騒ぎに気づいた店員が飛んでくるだろう。それはこちらも望むところではない。

 

 

「まあまあ、落ち着けって。寺子屋の教師もやたら執拗に求婚されてたじゃないか。それと同じことだよ」

 

 

 妖怪というのは見た目が優れている者、有り体に言ってしまえば可愛らしいか美しい者が多い。人間を浚うには不気味な容姿よりも、向こうから近づいてくるような魅力ある外見の方が便利なのだろう。人外の存在に心を奪われる人の話は古来からよくあるが、それは幻想郷でも変わらない。

 

 

「刑香たちは人里に頻繁に出入りするんだ。そういう話があっても可笑しなことじゃないぜ?」

「ってことは、はたてと文もされてるのよね?」

「いや、私が調べたところによると刑香だけだな。他の二人は『山』に属してるから、迂闊に手を出した奴は神隠しになるかもしれないだろ。それに比べて刑香はフリーだからな、男たちも手を出しやすいんだろうさ」

「な、何よそれ聞いてないわ。帰って来たら、しっかり話してもらわないと……!」

 

 

 どうやら上手くいったらしい。

 まだ気だるげな様子ではあるものの、スイッチは入れ替わった。まずは腹ごしらえとばかりに、幼い巫女は餡蜜を平らげていく。ちなみに先程の話は真っ赤なウソではないが、真実をすべて話したわけではない。

 

 そもそも人間の男からの誘いをあの刑香が受けるわけがない。はぐれ天狗としての生涯を送ってきたにも関わらず、天狗であることに誇りを持つ変わり者。それが彼女なのだ。男たちの方も半ば冗談半分に持ちかけたに過ぎない、ここ幻想郷では『妖怪は人間の敵』なのだから。わなわなと震える霊夢はまだ気づいていない。そんな様子を眺めていた魔理沙だったが、楽しくなってきたのでもう少し遊んでみることにした。

 

 

「そういえば鴉天狗はどっちなんだろうな。カラスだからあっちなのか、それとも人の形をしているからこっちなのか。興味深い話だと思わないか?」

「…………どういう意味?」

「あ、えっと……ぁ、あの」

 

 

 魔理沙の消え去りそうな声。

 昼間からそれを説明するのは恥ずかしい。自分で切り出しておきながら、あたふたと頬を赤くする。態度では大人ぶっているが魔理沙は純真な少女なのだ。

 

 

「わ、分からないなら刑香に聞いてみればいいと思うぜ。なにせ本人が鴉天狗なんだからな。それがいい、絶対そうするべきだと思う!」

 

 

 火照った顔で魔理沙が弾き出した答え。それはここにいない白い鴉天狗にとって実に傍迷惑な一言であった。

 

 

「…………あんた、また何か企んでるわね。まあいいや、刑香に聞いてみれば分かるだろうから今は見逃してあげる。言っとくけど私に恥をかかせたら、魔理沙はお空の星の仲間入りよ」

「こ、怖いこと言うなよ。友達である霊夢に恥ずかしい思いをさせるわけないじゃないか。私は友情に熱い女になりたいと思っているんだぜ?」

 

「思ってるだけ?」

「今はそんなところだ」

「ぷっ、何よそれ」

 

 

 ようやく笑みを漏らし始めた霊夢。

 本調子に戻ったらしい、小さな巫女はいつも通りの雰囲気で魔理沙へと視線を寄越してきた。どこか浮き世離れしているような、不思議な輝きを秘めるのは赤みがかった黒い瞳。それは幼い魔法使いが好きな色だった。

 

 

「でも鴉天狗のことなら、はたてや文に聞いてもいいんじゃないの?」

「そいつらも何度か人里で見たことあるな。うーん、茶色のは大丈夫そうだけど、黒いのは逆にこっちが危なそうだ。やっぱり刑香が一番オススメだと思うぜ」

「オススメの意味が分からないわ。まあいいけどさ」

 

 

 これは面白い反応が見られそうだ。

 白い鴉天狗の慌てふためく姿を想像して、魔理沙は緩みそうになる頬を何とか抑える。勘のよい霊夢にはもう気づかれているかもしれない、その時は上手く誘導してやらなければならないだろう。どちらにしろ面白そうだ。

 

 これは幼き日の二人。

 白い鴉天狗をダシにして巫女を焚き付ける魔理沙と、そんな魔法使いを怪しむ霊夢。後に『妖怪退治の専門家』とまで呼ばれるようになる、そんな二人の何気ない一日である。今日も人里は平和であった。

 

 

 

 


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