その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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戦闘シーンがあります。
苦手な方はご注意ください。


第四話:花鳥風月に舞う

 

 

 秋深き幻想郷。

 とある山奥にて真っ赤に燃える紅葉の森、豪々と流れ落ちる清水の瀑布。耳を澄ませば滝のヒヤリとした音色が鼓膜を揺らし、目を開けば色鮮やかな紅色と黄金色が舞い踊る。

 

 白い鴉天狗と博麗の幼巫女はそんな秋真っ只中の自然の中にいた。霊夢は新品のカメラを両手でおぼつかなく構え、恐る恐るといった様子でカメラを滝に向けている。だが刑香が観察してみると、霊夢はレンズに指がくっついているわ、シャッターの場所がわからなくてオロオロと混乱し、挙げ句に腕もプルプルと震えていた。

 これは酷い、これではまともな写真を撮れるはずがない。どうやら紫はカメラの詳しい使い方までは教えていなかったらしい。まるで玩具を考えなしにプレゼントして孫の喜ぶ顔が見たかった祖母ね、などと紫本人に知られたらタダでは済まないことを刑香は考えていた。

 

 

 ――紫もカメラの使い方を詳しくは知らなかったから、私に霊夢を預けたのかな?

 

 

 だとしたら、面倒なことをしてくれたものである。霊夢と一緒にいる時間は嫌いではないのだが、自分と一緒にいて霊夢が喜んでくれているかがわからない。何せ自分は無愛想な天狗なのである。だからこそ刑香は霊夢や紫が実際として自分をどう思っているのかを考えると不安だし、他者との付き合い自体を面倒だと思うことすらある。しかし、霊夢や紫と一緒にいる時間も嫌いではないと思っている自分がいるのも事実なのだ。だから尚更、面倒くさいのだ。はっきりしない自分の心が刑香は嫌いなのだ。

 しかし今は曲がりなりにも紫に霊夢を任されている。ならば自分の悩みはさておき、頼まれたことを成し遂げるとしよう。それまでは霊夢を離れて見守っていた刑香は一旦、新聞のための撮影を止めてカメラ相手に悪戦苦闘する霊夢の元へ近づいていく。

 

 

「とりあえず私を手本にしなさい、カメラはこう構えるの。わかる?」

「こう?」

「そうよ、あとは足を肩幅くらいに開いて身体を安定させて、人差し指でシャッターを押す。そんな感じでオーケーよ」

 

 

 見よう見まねで刑香を手本にした霊夢がカメラを構え直す。そして、パシャリとフラッシュが焚かれる。どうやら上手くできたようだ。刑香が霊夢の頭を撫でる、パアッと霊夢の顔が明るくなった。

 

 

「上出来よ。初めてなのにやるじゃない、霊夢」

「うん、やっぱり刑香に頼んで良かった。紫ったらね、河童の説明書を藍に読ませて丸投げなんだもん。藍も機械には詳しくないし、色々とグダグダだったのよ」

「藍も苦労してるのね。それに比べてあのスキマは、いつもいつも他人に丸投げを………でも賢者の一人なのよね、あいつは」

 

 

 いい加減なようでいて、いざというときに頼りになる大妖怪。それが八雲紫の魅力なのだろう、少なくとも藍や霊夢にとっては。能ある鷹はなんとやら、なのだろうか。自分には真似できない在り方だと刑香は思った。少なくとも刑香は意図的に手を抜いて生きるなんて器用なことはできない。元より刑香にそんな余裕はない、一生懸命に生きていくので精一杯なのだ。しかし文なら、きっと八雲紫の生き方も理解できるだろうと刑香は思う。あの友は自分などより世渡りが巧いから。

 霊夢がぐいぐいと服の裾を引っ張って来た。どうやら思考に嵌りすぎていたらしい。くるる、と幼い巫女は可愛らしい腹の虫を鳴らしていた。

 

 

「刑香、疲れたから休もうよ。それにお腹すいた、もうお昼なんだからね」

「そうね。おにぎりを持ってきたから一緒に食べる?」

「うん!」

 

 

 

 苔むした手頃な岩を椅子の代わりにして座る二人。刑香が鞄から包みを出す。今朝に握ったおにぎりを包んだものだ。具には野菜の炒めもの、半熟卵、漬物などを入れてみた。幻想郷には海がないので鮭や昆布は手に入り難いのだ。霊夢は気に入ってくれるだろうか、と少しだけ不安な気持ちを織り混ぜながら刑香は包みの中身を開けて霊夢に見せた。

 霊夢は待ちきれないと言った様子だ。

 

 

「わぁ、凄くおいしそう。紫と違って刑香は何でも出来るのね?」

「何でもって、たかが握り飯でしょうに。よっぽど紫のヤツは料理ができないのね、そもそも藍がいる以上は料理する必要がないんでしょうけど。あと大抵のことは紫なら力づくで可能にするわよ」

「どれにしようかな」

「お好きにどうぞ?」

 

 

 自由に選ばせてあげよう、それがいいだろう。「これの具は?」とおにぎりを指差して質問する霊夢に刑香は「秘密」と答えた。中身は実際に食べてからのお楽しみだ、その方が食べる側も作った側も面白い。難しい顔をした霊夢は笹の葉に乗せられたおにぎりとにらめっこをしている。それを見て子供の頃に親友の二人とピクニックに来た記憶を刑香は思い出して苦笑する。

 あの時も刑香が弁当を用意していたのだが、いつの間にか文が妙な刺激物を混入したおにぎりを包みに紛れ込ませていた。そして、はたてと自分は見事にソレを食べて醜態を晒すことになった。その後で文をはたてと二人で追いかけ回したのもいい思い出だ。そんなことを、ぼんやりと思い出して刑香は紅葉舞う秋空を仰ぎ見る。

 

 それにしてもいい天気だ、刑香は秋晴れの澄み渡った空へと手を伸ばす。夏の名残と冬の気配、その両方を感じる季節は華やかながらも何処か寂しい。刑香の伸ばした真っ白な手に燃えるように赤い紅葉が舞い落ちた。それを優しく包み込むように手を閉じる。クシャリと小気味の良い音が掌に響いた。手を開いてみると、クシャクシャになった紅葉たちが花吹雪のように風に舞う。目を細めてそれを見送った刑香、白い髪が風に靡いた。

 

 おにぎりを食べている霊夢を見守りながら、刑香は文字通り自然と戯れていた。しかし、ふと小さな違和感を感じた。秋深き紅葉の中、今まで自分たち以外には誰もいなかったはずの空間に、ピクリと白髪から覗く耳が反応する。不穏な空気を纏う存在が近くにいることを鴉天狗の第六感が告げているのを感じた刑香は、そのまま下ろした手で武器の錫杖を握りしめた。わずかに鋭くなった刑香の眼が木々に隠れた遠方を睨んだ。

 

 

 どうやら自分たちの平穏を乱す馬鹿者がいるらしい。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 カメラの操作に夢中になっていたらお昼になっていたようだ。

 我ながら随分と熱心に励んだものだ、と霊夢はおにぎりを頬張りながら思った。少し小さめのおにぎりは霊夢にも食べやすい。多分、刑香は霊夢に合わせて握ったんだろう。言葉数は少なく不愛想な面もあるが基本的に刑香は気遣いができる妖怪だ。おにぎりに入っている具は、どれも丁寧に調理されたらしくシンプルながらも、とても美味だった。

 笹の葉で包まれたおにぎりをもう一つ刑香から受けとって霊夢はかじりつく。紫や藍が見れば「はしたない」と注意してくるだろうが、今ここには二人はいない。よほどのことでなければ刑香はそういったことには無頓着だ。よってお目付け役不在の霊夢は自由にのんびりと食事を楽しんでいた。ご飯粒のついた手を霊夢はペロペロと綺麗に舐める。

 

 

「刑香は食べないの?」

「ん、私のことは気にしなくていいわ。そもそも少食だから昼食はあんまり食べないの」

「むぐ………体力無いんだから、いっぱい食べなきゃ強くなれないよ?」

「余計なお世話」

 

 

 どうやら気に障ってしまったらしい。プイッと顔を背けられてしまった。刑香に体力がないのを心配したのは本心なのにな、と霊夢は思った。ますます不機嫌にしても酷いので声には出さない。

 しかし紫や藍のような大妖怪と比較するならいざ知れず、場合によっては霊夢より先にバテるほど刑香はスタミナがない。いくら霊夢が普通の人間でないにしろ、人間にすら劣るのでは身体が脆弱にも程がある。強力な種族である鴉天狗には普通ありえない話だ。それというのも刑香は『生まれつき』身体が弱い。スタミナだけではなく、病魔への抵抗力、傷の回復力すら同族とは比べものにならないほど弱い。本人曰く、本来なら雛鳥の段階で死んでいたはずだった。それを『能力』で補いながら刑香は命を繋いで来たらしい。

 

 白く美しい翼は忌子の証。長くは生きられぬ宿命を帯びた悲しき天狗、そんな幼子は大抵の場合には十を数える前に彼岸へと渡ることになる。本来ならそれが白い羽を持って生まれてきた刑香の運命でもあったのだ。しかし何の因果か幸運か、『死を遠ざける程度の能力』を持って生まれたために刑香は今日まで生き長らえている。

 

 

「刑香の能力って凄いね、色んな人を助けられるんだから。でも無理をしたらダメだからね?」

「あんたは私の保護者か。全くどいつもこいつも私を病人みたいに扱うんだから………っと、そろそろ痺れを切らせたか。霊夢、私の側から離れないで」

「え?」

 

 

 白い髪の隙間から見える刑香の耳がピクリと反応する、そして霊夢をふわりと抱き寄せた。一瞬呆けた霊夢だったが、自身の直感もまた危険の到来を告げているのを感じとり懐から妖怪退治用のお札を取り出した。

 何かが、潜んでいるのだ。じわりじわりと粗悪な殺気が二人に近づいてくる。紅葉の木々が揺れた。

 

 

「ヒト、ヒトヒトヒト。旨そう、旨そう、なら喰うべき。オレ間違ってない、オレ間違ってない」

「「―――――!」」

 

 

 紅葉舞い散る中に現れたのは巨大な人型の妖怪だった。薄汚れた泥色の肌と青白い剛爪、紅葉の木々よりも高く大きな巨体。立ち昇る妖気は低級妖怪のソレではない。霊夢の背中を冷たい汗が流れ落ちる。

 勝てない相手ではない。天才と称される霊夢なら勝ち目は十分にある、だてに紫や藍から巫女修行をさせられてはいないのだ。しかし戦える力を持っているのと、実際に妖怪退治を経験したことがない霊夢が満足にこの妖怪と戦えるのかは別の話だ。修行と実戦は違う、命のやり取りを行うなど幼い霊夢には早すぎる。そして巨大な妖怪が片言の人語で自分を喰いたいと言っている。その言葉が何度も頭の中で木霊する、霊夢の身体が僅かに震えた。

 

 

「刑香ぁ…………!」

 

 

 そっと刑香の影に隠れて服の裾を掴んだ。いつもは頼もしい刑香が酷くちっぽけな存在に感じられる。紅葉の木々を楽々と超える巨体を持つ妖怪と、十代半ばの背丈しかない刑香とでは同じ『妖怪』としてのカテゴリーでは計れない差異があるのだ。小鳥と熊が向かい合っているような様子だった。油断なく妖怪と向かい合う刑香は、そっと口を開く。

 

 

「安心して霊夢。大丈夫、私に任せなさい」

「刑香………ッ」

 

 

 刑香は霊夢を安心させるように頭を撫でた。そして霊夢がくすぐったそうにするのを見届けると、霊夢を庇う位置へと一歩踏み出した。自分を護るように広げられた真っ白な翼を目にした霊夢は心が落ち着いていくのを感じていた。大丈夫だ、刑香と一緒なら逃げ切れる。鴉天狗がそこらの妖怪に追い付かれるわけがない。自分を抱えて空へと飛び上がる、それで恐ろしい妖怪とはさよならだ。霊夢はそう思った。

 しかし―――。

 

 

「失せなさい」

 

 

 底冷えするような声が響いた、剣呑とした眼差しは刃のごとく鋭い。ピシリと霊夢の身体が硬直する。刑香が取った行動は霊夢の予想とは違っていた。自らが逃げるのではなく刑香はただ一言妖怪へと告げたのだ。「お前が、この場から去れ」と。

 妖怪が動きを止める。そして脂汗とシワだらけの醜悪な顔面を更に醜く歪めて笑う。小さな体躯で挑戦的な態度を見せる刑香を馬鹿にしたように嘲笑った。

 

 

「いつもヘコヘコしてる、天狗ごときが、生意気。その旨そうな小娘、渡せ。渡さないとお前も、喰う。でも鳥肉、口に合わない。まずい」

 

 

 どうやら威嚇が通じる相手ではないらしい。刑香を小馬鹿にした妖怪は霊夢へと手を伸ばす。そうはさせないと、霊夢を抱いてふわりと距離を取った刑香に妖怪はイラついた様子を見せた。抱えている霊夢が小さく震えているのを感じた刑香は決断する。霊夢とのピクニックを邪魔してくれた相手、よりにもよって刑香の前で『天狗』を侮辱した相手。ならば遠慮は不要だろう。刑香は霊夢を降ろし、武器である錫杖を構えて踏み出した。こうなれば言葉は無意味、妖怪らしく力で白黒つけるしかない、白黒つけなければならない。

 

 

「ちょっと待ってなさい、霊夢。すぐに終わらせるから」

「あっ、刑香だめ!」

 

 

 白い翼をはためかせ悠然と歩みだす刑香の山伏服を霊夢は慌てて掴む。霊夢は刑香がてっきり戦いを避けると思っていたのだ、それなのに刑香は戦いに挑もうといている。体格が違い過ぎる、あの丸太のような腕に殴られたら華奢な刑香の身体はバラバラにされるかもしれない。ならば刑香をこのまま行かせるべきではない、霊夢は刑香を踏み止まらせようとしていた。しかし、霊夢の心配を他所に呆れたように刑香はため息をつく。

 

 

「刑香、こんな奴と戦ったら殺される。おとなしく逃げようよ!」

「殺されるって、本気で言ってるの? あのねぇ、紫や藍相手なら確かに私は焼き鳥にされて喰われるでしょうけど、あの程度の妖怪相手に私がやられるとか。あんたは私を何だと………まあ、いい機会かもしれないわね。しっかり見てなさい私の力を、鴉天狗の力を」

 

 

 霊夢の手を振り払った直後、純白の翼が風を纏う。射命丸文ほどではないにしろ、鴉天狗たちは風を操る力を持っている。渦巻く大気に身を任せ、ぐっと刑香は地面を踏みしめた。そして髪を撫でる微風を霊夢が感じたのと、ほぼ同時に刑香の姿は消えていた。

 その一瞬に霊夢が目を見開くより速く、妖怪のひしゃげた悲鳴が耳に届く。

 

 

「―――――ゴボァァッツ!?」

 

 

 鴉天狗御用達の無駄に頑丈な一本歯下駄。

 そこから繰り出された強烈な蹴りが妖怪の顎に突き刺さっていた、巨体が浮き上がるほどの衝撃。即座に霊夢と妖怪の動体視力を上回るほどに加速した刑香が、自身より遥かに大きな妖怪を蹴り上げたのだ。妖怪の骨の軋む悲鳴が響く、軽いダメージではあるまい。まるで刑香の攻撃が見えなかった事実に、霊夢の心臓が激しく脈を打った。そして気づいた、刑香の戦う姿を霊夢は一度も目にしていなかったことを。練習試合とはいえ、あの藍と戦って大した傷を負わずに刑香は帰って来ていたことを。

 

 

「ごの、生意気だっ」

「遅いのよ」

 

 

 がむしゃらに妖怪が振るう腕は刑香の影すら捕らえられない。そもそも妖怪が蹴られたと認識した瞬間には刑香は妖怪の腕の届く範囲にいない。一発でも直撃を貰えば打たれ弱い刑香の身体は霊夢の想像通りに地に墜ちる、ならば一切の反撃を刑香は許さない。妖怪は鼻血をだくだくと流しながら困惑する。「何だコレは?」と、これがいつも自分との衝突を避けるために下手に出ていた天狗どもの仲間なのかと。

 妖怪の視界が上下に揺れた、また強烈な蹴りが叩き込まれたのだ。妖怪の牙が二、三本纏めて砕け散り、口から血泡と共に空気が押し出される。妖怪には刑香があの細身のどこからこんな攻撃を繰り出しているのか、わからない。何故己が小娘ごときに押されているのか、もっと分からない。

 既に朦朧とし始めた頭でふらついている妖怪を上空から見下ろす影、刑香は無表情で問いかける。

 

 

「何で、天狗たちがお前ごときにヘコヘコしていたと思う?」

「オレが、づよいがらだっ!!」

 

 

 血ヘドを吐きながら答える妖怪に白い鴉天狗は凍りつきそうな眼差しを向ける。そこには紫や霊夢と戯れていた時の緩んだ雰囲気はない。『妖怪』としての気を纏った白桃橋刑香が、そこにいた。どこか悲しそうに刑香は妖怪へと告げる。

 

 

「天狗はね、無駄な争いを避けるのよ。だからお前みたいな雑魚は相手にするだけ無駄だと判断された。始末する労力にすら見合わない妖怪と認識された。だから舌先三寸で丸め込むことにした、それだけよ。あんたは侮蔑されてたの」

「オレガ、ブベツ………ぶ、ぶざげるなぁっ!」

「格の違いもわからない哀れな妖怪。でも安心しなさい、『鬼』に喧嘩を挑んだ私も似たような大馬鹿者よ。だから私はお前を哀れまない。だから私は他の天狗と違って手は抜かない、それなりの本気で潰してやる」

 

 

 もう何度目なのか刑香の姿が消える。いや白い点が空を遠ざかっていくのが霊夢には見えた。妖怪は負傷した顎を守りながら周囲を血走った眼で見回している。あれで攻撃に備えているつもりなのかと、戦いを眺めていた霊夢は妖怪を哀れんだ。

 

 

「………速すぎる。こんなの、普通の妖怪はどうしようもない。私を抱えていた時、刑香は私を気遣ってゆっくり飛んでくれてたんだ」

 

 

 最初は唖然としていた霊夢だったがすでに動揺はない。刑香の強さを目の当たりにして、何故紫が藍を伴わせずに霊夢が刑香とのピクニックに行くことを許したのか理解した。紫や藍とは比べるべくもないが、それでも刑香は強い妖怪だったのだ。

 

 幻想郷で最強種の一つとされる『鬼』。彼らの盟友にして、彼らをして「強い種族」と認める上級妖怪『鴉天狗』。本気で戦って負ければ後がないからという理由で滅多なことでは本気を出さず、相手の顔色を伺いその裏を掻くことに長けた計算高き妖怪。されどその実力は伝承にて「古き山の神」と謳われる姿に相応しきものである。

 

 そんな伝承に反して脆弱な身体を持って生まれた刑香。しかし翼だけは、速さだけは鴉天狗の中でも射命丸文に次いで上位に名前を刻み込むだけの力がある。そのたった一つの輝きを最大限に活かして戦う、それが刑香の戦闘スタイルだ。天才と称される霊夢とは真逆、とはいかないまでも少ない手札にて相手を圧倒する戦い方は霊夢にとって目を引くものがあった。

 そこまで理解した上で霊夢は目の前の妖怪――未だに諦めずに拳を虚空に振るっている――を「馬鹿な奴」と再び哀れんだ。遥か上空から白い点がクルリと向きを変えて下降してきているのを霊夢は他人事のように見送る、決着の時だ。

 

 

「どごだあっ! どごに逃げやがっだが出でぎやがーーーー?!!」

 

 

 爆音が響き、滝壺が間欠泉のような飛沫を上げる。

 同時に霊夢の目の前から妖怪の姿は掻き消えていた。たった今、滝壺に叩き込まれた妖怪には何が起こったのか理解できなかったことだろう。

 

 しかし霊夢には見えていた。

 それは急降下からの加速を目一杯上乗せした、音速に近い速さからの破壊的な一撃。どうやら刑香は途中で速度をわざと落としたようだが、恐ろしい威力だった。吹き飛ばされた妖怪の悲鳴はなく打撃音すら後から追って聞こえて来た超速度。予想以上の威力に再び呆然とした様子の霊夢をそのままに刑香は警戒飛行を続ける。やがて滝壺から這い出た妖怪が戦意を喪失して、フラフラと逃げ出したのを確認すると刑香はほっと胸を撫で下ろした。命を奪わず、奪われずに済んだと安心したのだ。元々、あの妖怪と殺し合いをするつもりはなかったのだから。

 

 そして、今の一撃で痛めた右腕を悟られぬよう、気をつけながら霊夢の傍に降り立った。ギシリと身体の芯が軋むのを感じた、やはり自分の身体は脆弱なようだ。

 

 

「戦闘になったのは私のミス、謝るわ。………この百年で天狗の威光も墜ちたものね、以前なら私たちが一睨みすれば尻尾を巻いて逃げだしたのに。いやあの時は文とはたてが一緒だったっけ、なら私に威厳がないのかしら。困ったわね」

 

 

 あれだけ脅しておけば、あの妖怪も天狗の縄張りで悪さをすることはないだろう。それでも、もし今後も勘違いしたまま縄張りを荒らし鴉天狗たちの逆鱗に触れれば、翌日でもあの妖怪は山の入り口に生首を晒されることになる。残酷な話だが、それを天狗たちは躊躇わない。彼らは人間が思っているよりも遥かに冷徹だ、刑香は身を持って知っている。

 あの妖怪の歯を何本かへし折ったのは、警告としては少しやり過ぎたかもしれないが命を失うよりはマシだろう。繰り返すが、天狗たちは掟に背く者や縄張りを荒らす者に容赦しないのだ。今回のことで天狗を恐れてくれれば良し、あの妖怪も死なずにすむだろう。まあ、もしかしたら自分へ復讐に来るかもしれないが、その時も死なない程度に追い払ってやればいい。その程度の厄介事には慣れている、と刑香は何でもないことのように思った。

 

 

 

 口元に左手を当ててブツブツとそんなことを考えて呟く刑香に対して霊夢は無言のままだった。強いイメージなど欠片もなかった刑香の意外な強さを目の当たりにして驚いた、というのもある。しかしそれ以上に霊夢が今の刑香から目を離せなかった理由がもう一つあった。それを確かめるために霊夢はカメラを構える。

 そして妖怪同士の戦いを目撃し、姉のように慕う人物の妖怪としての一面を肌で感じ取った高揚感を胸に秘め、霊夢はそっとレンズを覗き込んだ。

 覗いたレンズに映るのは燃える紅葉の山を背負い、佇む一匹の白い鴉天狗。焼ける景色に浮かぶ真っ白な鴉の幻想風景。将来、妖怪退治の専門家になる幼い巫女は、今だけは一匹の妖怪に心を奪われる。

 

 パシャリ、無意識に霊夢は手に持ったカメラのシャッターを切った。

 

 

 

 

 後日発行された『四季桃(しきとう)月報』。

 そこには紅葉の山を背負う純白の鴉天狗、刑香の写真が掲載されていた。自分の写真を載せるなど普段の刑香なら全力で拒否することだったが、今回は撮影者の霊夢と面白がった紫に押し切られ記事の写真として採用していた。あくまでも今回だけの特別としてだ。後にも先にも、刑香が一人で写った写真が紙面に載せられたのはこの時だけだ。

 

 

 発行前、主に人里に購読者を持っている刑香は妖怪である自分の写真が掲載されたことで部数が落ち込むことを本気で心配していた。しかしその懸念を他所に、その月の四季桃月報は先月号と比べて二倍近くの売れ行きとなり新規講読者も幾らかゲットできたらしい。

 部数増加の要因が刑香の写真だったことはいうまでもない。口元に手を当てて物思いに耽る刑香、その姿は妖怪を吹き飛ばす際の攻撃で急加速したために衣服が乱れて、穢れのない艶やかな首元や滑らかな脚がいつもより大幅に見えていた。こういったことに鈍い刑香と、まだ幼い霊夢は気づいていなかったが何となく扇情的なワンショットだ。

 

 普段はツンケンしているくせに世話好きで、弄られると動揺して可愛らしい反応を示す天狗少女。そんなこんなで隠れた人気を誇っていた刑香のレアな写真が載っているということで、噂が噂を呼び人里で増刷を求める声が相次いだ。いつかの老婆と少年もこの新聞を購入していたらしい。いつの間にやら恥を掻かされていたことに刑香は気がつかなかったが、紫は全てを理解してこっそり笑っていた。

 知らない方が幸福なこともあるということだろう。しかし結局、その数日後に空で鉢合わせした射命丸文から当月号を片手にニヤニヤと指摘され恥ずかしい思いを刑香はすることになる。

 

 

 この元となった写真は数年後、白黒の魔法使いが博麗神社のタンスを漁って偶然発見することになる。古ぼけた写真に霊夢は、過ぎ去った子供時代を懐かしく思い出すことになるのだが、それは遠い未来のお話。

 

 

 

 


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