その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第四十二話:境界の夜が降りてくる

 

 

「刑香っ!?」

 

 

 突如として現れた空間の裂け目。

 目の前で白い少女が飲み込まれていくのを慧音は半ば呆然と見送った。そして不気味な目玉の浮かぶスキマは、刑香を回収すると溶けるように消えていく。後には何一つ残らず、まるで『神隠し』に会ったかのごとき光景だった。聖なる半獣は床を殴り付ける。

 

 

「っ、まだ八雲殿は眠っている時期のはずだ。どうして今年に限って目を覚まして……!」

 

 

 正直に言うなら油断していた。

 まだスキマ妖怪は眠っているはずだと自分は思い込んでいたのだ。本格的な春が訪れる前に真実を話すことで『時間』を用意する、そして刑香が事実を受け入れるための猶予を作り出すという目論みは外れてしまった。

 「どうすればいい」と慧音は考えを巡らせる。まさか世間話をするために刑香が連れ去られたわけもない。ならば追いかけるべきだ、どうやって追いかけるのか。そのための方法が思い付かない。

 

 途方に暮れるハクタク教師に対して、即座に動いたのは霊夢だった。紫と刑香、彼女たち二人と親しい少女は勢いよく机を叩いて立ち上がる。

 

 

「何してんのよっ、このまま二人を放っておくつもりなの!?」

「し、しかし今のスキマが八雲殿の邸宅に繋がっていたのなら手が出せない。あの方の住居を知っているのは本人と式殿だけだ、私たちではどうすることも」

「……私がここにいたわけだから、刑香が送られたのは紫の家ではないと思う。私がその気になればアイツの家を探せないことはないし、それをアイツは嫌がるだろうから候補にはならないわ」

 

 

 それでも鴉天狗一羽を探すには幻想郷は広すぎる。二人がかりで右往左往している間に日が昇ってしまうだろう。きっと間に合わない、そんな可能性を慧音は敢えて口にしなかった。

 

 床や天井を埋め尽くしていた文字たちが巻物の中へと戻っていく。そして中身を回収したモノから次々と慧音は『自分』の中へと送還していく、山ほどあった書物が姿を消すのに時間はかからなかった。欠けたピースをはめ込むように吸収し、ものの数秒でそれらを終えて聖なる半人は溜め息をもらした。

 ふたたび静寂が訪れた室内には、ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯りだけが漂っている。そんな暗闇の中で決意を秘めた深緑の瞳が霊夢を見上げていた。

 

 

「ひとまず私は人手を集めてくるよ、事情を話せば助けてくれるヤツがいるんだ。それに文やはたてなら、事情を話せば必ず力になってくれるだろうしな」

「……私は妖気の跡を探してみるわ。やったことはないけど、何とか痕跡を繋いで紫を追いかけてみる。そっちは任せたわよ!」

 

 

 言うが早いが、どしゃ降りの外へと飛び出していく幼い巫女。よほど白い鴉天狗のことが心配なのか、もしくは八雲紫のためなのか。きっと両方なのだろう、誰だって大切な相手同士が争うなら放っておけない。それはとても純粋な感情だ。

 

 それを見届けてから雨天の下へ慧音もまた踏み出した。

 激しさを増す雨粒が降り注ぎ、重々しく服に染み込んでくる。心を落ち着かせるために、聖なる半獣は光一つない夜空を見上げて瞳を濡らした。分厚い雲に隠れ、せっかくの満月は視界に入らない。

 

 

「かつて八雲殿は幻想郷の安定のために『月面戦争』を引き起こした。あれは多くの妖怪たち、天狗たちが命を落とした戦いの元凶だ。ならば……刑香と八雲殿がこうなるのは必然だったのだろう」

 

 

 そういえばと思い、縁側に戻ってみる。

 そこにあったのは新調したばかりで傷一つない朱色の下駄、もちろん刑香のものである。部屋の中で跳ばされたので白い少女は足袋のままだった。風邪を引かせる前に合流するとしよう、その下駄を抱え込んで慧音は地面を蹴る。

 

 水溜まりで跳ね返る雨の(ささや)き、そして荒々しく吹き荒れる風をかき分けてハクタク教師は妖怪の山へと飛び立っていった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ああ、嫌な予感ほど当たってしまうものだ。

 

 

 小さな失望を感じながら、八雲紫は自分のスキマに腰かけていた。ここは銀色の月光が空から溢れんばかりに降り注ぎ、足下で広がる雲を輝かせている空の王国。何物にも遮られずに吹き抜ける風は、スキマ妖怪の豊かな金髪をなびかせていた。だが、涼やかな大気にも賢者の憂鬱を晴らす力はない。

 

 

 ーーありがと、紫

 ーーありがとう、か。私にはあなたからその言葉を貰う資格はあるのかしらね

 

 

 あの日、宴会で天狗の少女が口にしてくれたお礼の言葉。それを自分は素直に受け取ることができなかった。思えば、あの頃から八雲紫は白桃橋刑香のことを疑っていたのだろう。

 

 あれほどの『能力』を持っていながら、つい最近まで自分にさえその存在を知られていなかった少女。天魔が見せた妙な反応、彼岸との浅からぬ因縁。それらは極めて小さな疑念なれど、妖怪の賢者を警戒させるのには十分であった。きっと出会った瞬間から、最初から自分はあの少女を疑っていたのだ。そして今宵、ハクタクの話によって疑いは確信に変わった。

 美しい蒔絵の施された黒色の扇子を広げつつ、ゆっくりと八雲紫は言葉を紡ぎ始めた。

 

 

「してやられたわ、まさかあなたが天魔の血族だったなんてね。ある程度の予測はしていたとはいえ、ここまでとは信じられなかった。この私が裏を掻かれたのは久しぶりよ」

「なるほど……慧音との会話を盗み聞きしてたわけか。あまり良い趣味とは言えないんじゃないかしら、妖怪の賢者さま?」

 

 

 返ってきたのは冷ややかな声。

 あまねく星の光が広がっては、淡い色が波立つ雲上の海原。地上では激しい雨が降り注いでいるようだが、ここでは静かな空間が広がっている。そんな幻想の世界で羽ばたいているのは、たった一人の少女だけ。

 翼は相変わらずの純白で、夏空色の瞳に宿っているのは真っ直ぐな光。数ヶ月ぶりの再会となるが、鴉天狗らしくない雰囲気に変わりはないようだ。

 

 ただ、少しだけ赤く染まった頬から流れ落ちている涙だけは以前の少女らしくなかった。それが気に食わなかったので紫はハンカチを取り出して近づいていく。ふわふわとスキマが移動して刑香の目の前へと到着する。

 

 

「妖怪がそう簡単に涙を見せるものではないわ。いつも平静を保とうと心掛けている貴女らしくもない」

「余計なお世話よ、これは無意識で……ちょっと」

「ほら、動かないで」

 

 

 言葉を遮るように刑香の顔に触れる。

 敵意はそのままにも関わらず、白い少女は抵抗しなかった。信頼してくれているのだろうか、布切れで少女の涙を拭い去っていく。知らず知らずのうちに少しだけ自分の敵意は和らいでいた。ふわりと真っ白な頬に指を伝わせる。

 

 

「……妖気の感覚からして孫娘ってところかしら。子なら容易く見破れたのだけど、さすがに二世代経ていると気づけないものね。全然似てないわよ、あなた達」

「そこは笑ってしまうくらい同感ね」

「世界というのは理不尽なものね。冬の間に調べておくように藍へ命令しておいたのだけど、こんなことなら曖昧なままにしておくべきだったかしら」

「無理でしょ、あんたの性格的にそんなことは出来ないわ」

 

 

 八雲紫と天魔との因縁は深い。

 他にも敵がいなかったわけではないが、何か行動を起こせば最後の最後にお互いが立ちはだかることを繰り返して数百年。理知的で無駄にぶつかることはなく、実力的にも渡り合うことのできる両者。良く言えば好敵手と呼べる関係だろうが、もう終わりにしなければならない。懐かしむようにスキマの賢者は語る。

 

 

「幻想郷が閉ざされると私たちの衝突は増えていった。妖怪を支える人間の数は限られ、土地も狭くなってしまったのだから当然ね。そろそろ私たちはお互いに決着をつけなければならないのよ。手を貸しなさい、刑香」

 

 

 これから大天狗が新しく選ばれたとしても、そう簡単に組織は安定しないだろう。ここを突いて動乱を起こせば、天狗たちの勢力を弱めることができるかもしれない。今回のように人里を危険にさらす可能性を減らせるだろう、それは幻想郷の未来には必要なことだ。刑香は警戒するように眼差しを鋭くする。

 

 

「山には私の友人や顔見知りが暮らしているわ。あんたが天魔様と争うのは止めないけど、アイツらを巻き込むことに協力なんて出来ない。他を当たりなさい」

「……初めて会った時にも同じようなことを言ったかしら。あなたの意思は関係ないの。悪いことは言わないから、ただ首を縦に振りなさい」

「あの時も言ったでしょう、お断りよ」

 

 

 そもそも二人の出会いは『先代の巫女を延命させるため』に、紫が刑香を探し求めたことから始まっている。しかも刑香は否応なしに、紫へと協力させられているのだ。今更考えるまでもなく、最初から自分たち二人は利用する側とされる側。歪んだ形での出合いはここに来て、決定的な亀裂を生み出そうとしていた。

 

 

「人間の里を狙っている妖怪は数知れず、その中でも一番厄介なのが天狗なのよ。ここで(くさび)を打ち込んでおかないと将来的に手遅れになるかもしれないわ。多少の犠牲も恨みも覚悟の上、あなたは黙って私に従いなさい」

 

 

 紫とて刑香と無理に対立したいわけではない。しかし一部の天狗たちが人里の支配を目論んでいる以上、それを防ぐためにも刑香の存在は無視できないのだ。最後に残った長老の血筋、ただ八雲の元にいるだけで天狗たちの組織を揺るがすことができる存在。幾らでも使い道はある。

 

 

「結局、あんたも天魔様と同じなのね。私を便利な道具としか見ていないわ」

「……そうね、端から見ればそうかもしれないわね」

 

 

 少しだけ悲しげな顔をした刑香から、ふわりと紫は距離を開ける。そして今まで発していた敵意を霧散させた。そして、何事かの言霊を呟くと手のひらに魔方陣を浮かび上がらせる。高度な術式が込められた妖怪の法、それは『式』と呼ばれるものであった。

 

 

「ならば私の家族(しき)になりなさい、白桃橋刑香。使い捨ての駒ではなく私の式神(かぞく)になるのよ。報酬というわけではないけれど、きっと八雲の名を背負うことは貴女のためになる」

 

 

 天狗の情報網は広い。いつか刑香の出自が知られる日も来るだろう、そうなれば結局のところは争いの火種になってしまう。八雲紫の式神となるのは、この少女を同族から護ることに繋がる。それに今まで以上に人里からの信頼を得ることで、霊夢の側にいることも容易になるだろう。本来なら九尾のような規格外の妖怪にしか、紫は複雑な式を施さない。そのことを考えるなら、これは破格の話であるはずだ。

 しかし、刑香は首を横に振る。

 

 

「そう、やっぱりそうなのね」

「ありがと、紫。もし嘘だったとしても家族にしてくれるっていうのは……本当に嬉しかったわ。それが例え私を利用するための手段だとしてもね」

 

 

 それは否定の言葉だった。

 妖怪の山には文やはたて、にとり達が暮らしている。友人や顔見知りを巻き込むなど、刑香が受け入れるはずがない。この天狗少女がこういう選択をするのは分かっていた、だからこそ紫は初めから落胆を感じていたのだ。もう以前のような気楽な関係には戻れないだろう、その確信があったから。

 さっさと力ずくでねじ伏せて、身体に式を打ち込んでしまおう。そう判断した紫は指先でスキマを開こうとして、

 

 

 

「ねえ、知ってたかしら。私、あんたのことけっこう好きだったのよ?」

 

 

 

 白い少女の笑みに思わず手を止める。

 何を言われたのか、一瞬理解できなかった。零れそうになる言葉を押し留め、それでも緩んでしまった口元を悟られないように扇子を広げる。「この関係をもう少しだけ続けていたかった」などという、自分らしくない感情は境界線を引いて遮断した。

 主従の関係となった後も、自分たちは今まで通りにいられるだろうか。そんなことを思ってしまう程度には、自分もこの少女に惹かれている。そのことをようやく自覚した。だからこそ早く終わらせてしまおうと決意する。

 

 

「……地底では鬼の四天王に勝利したらしいわね、素直に驚いたわ。でもだからといって、あなた一人では私に勝てない。先程の提案を受け入れようが拒否しようが、あなたの辿る道筋はまったく同じなのよ」

「それはどうかしら。ここは空の上、同じ道なんて辿る方が難しい。それともアンタは私に必ず勝てると思っているの?」

 

「そんなの当たり前でしょう」

 

 

 莫大な妖気に呼応して、空全体が脈打った。

 自分たちを囲むように、次々とスキマが開かれていく。そこから射出されたのは細い鉄柱、それらがスキマとスキマを縫い合わせるように走らされる。二本ずつ平行に設置され、月光を受けて輝く鉄の橋が架けられていく。あっという間に、数十の鉄橋が設計図を辿るかのように精密さで張り巡らされていた。スキマ妖怪は告げる。

 

 

「さあ、せいぜい上手く避けなさい。これは私のお気に入りの術ではあるけど加減が出来ないの、死なれては困るから死なないようにしなさい」

 

 

 それらは外の世界で『レール』と呼ばれるものであった。カタカタと振動を始めたレール達は『何か大きなモノ』が近づいてきていることを知らせている。耳を澄ませていた刑香へと、機械音がスキマの奥から迫ってきた。身構えた鴉天狗の少女を不意に人工の光が照らし出す。

 

 

「なんでこんなものが……って、何よコレ?」

「あなたの知識だと蒸気機関止まりだろうし、この子たちの仕組みを解説するのは難しそうね。とりあえずこの技の名前を教えてあげるなら」

 

 

 古びた警笛が鳴り響き、錆びた車輪が火花を散らす。外で忘れられた文明の遺物が、一斉にスキマから姿を現した。

 

 それは一両あたり二十トンを越える重さで走る化け物のような金属の塊、

 それは現代において『列車』と呼ばれるカラクリ細工、

 それは吸血鬼異変でレミリア・スカーレットを打ち破った八雲紫の鬼札。

 

 

「ぶらり廃駅下車の旅」

 

 

 ごうごうと空を満たしていく風の音。

 心の奥底でほんの少しだけ、刑香へと期待の欠片を持っている自分がいる。そのことに紫本人も気づかぬまま、二人の戦いは始まった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「……まったく、せっかく地上まで出てきたというのに酷い天気ですね。私から誘っておいてすみません、パルスィ」

「別にいいわよ、月見のために来たわけでもないんだし。でも地上はやっぱり綺麗で妬ましいわ」

 

 

 豪雨に見舞われる妖怪の山の中腹。

 流れる泥と水で山道はぬかるみ、真っ白な幕を引いたように視界は塞がれていた。うんざりしてしまう空模様の下で、三人はのんびりと雨宿りをしていた。広く枝を伸ばした大樹の下で、身を寄せ合うのは三人の妖怪少女たち。そのうちの一人、古明地さとりは面倒くさそうに濡れた髪から透明な雨粒を払っていた。

 

 

「地底から出てきた途端にコレとは巡り合わせが悪い。せっかく『スペルカード』とやらの話し合いのために上がってきたのに、出鼻を挫かれた気分です」

「さとりは満月を楽しみにしてたっけ。まあ、私は久しぶりの地上の雨も新鮮でいいと思うけど」

「……嫉妬の妖怪である貴女は、何にでも良いところを見つけられますからね。ある意味では、あなたこそ最も前向きな妖怪なのかもしれません」

 

 

 そう言って地霊殿の主は肩を竦めた。

 わざわざ月齢を計算して来たというのに、楽しみにしていた満月は灰色の雲に隠され、代わりに迎えてくれたのは冷たい雨である。上機嫌なパルスィに対して、さとりは少しばかり憂鬱だった。

 そんな少女の鼓膜をカシャリという機械音が揺らす。何事かと視線を移してみると、さとりに携帯型のカメラが差し出される。小さな画面には溢れんばかりに巨大な月が表示されていた。

 

 

「ほら、満月を見たいんでしょ?」

「えっと、ありがとうございます……はたてさん」

「呼び捨てでいいわよ。あ、パルスィも見る?」

 

 

 そう言って笑顔を向けてきたのは姫海棠はたて。

 今回、自分たちを案内するように命令されている少女である。立場的にはそんな大役を任されることはありえないのだが、地底での功績が評価されたらしい。はたては天狗独特の高慢さがないので、さとりとしては良い案内役に当たったと思っている。

 

 そして視線を落としてみると、カメラの画面には春の満月が写し出されていた。灰色の雲を泡立たせる月光が降り注ぐ空、百年前と変わらない美しさがそこにはある。桃色髪の少女は思わず顔を綻ばせた。

 

 

「……綺麗ですね」

「そりゃそうでしょ、私が撮ってあげたんだから。けっこう人里で私の風景写真は人気なのよ。さすがに刑香には負けるけど」

 

 

 はたての持つのは『念写をする程度の能力』。

 千里眼すら越える範囲から対象を捉え、それを映像化してしまうというチカラである。戦闘ではあまり役立たないが、この幻想郷の広さ程度なら丸ごとカバーができるのだから恐ろしい。単なる情報収集であれば、はたての実力は天狗の中でも群を抜いている。口元を手で隠しながら、覚妖怪の少女はくすくすと笑う。

 

 

「ふふっ、はたてと私が組めば賢者たちの弱みすら握れるかもしれません。軽い下剋上くらいはできるでしょうね……お一つ如何ですか?」

「うーん、偉くなりたいわけじゃないし面倒くさそう。私じゃなくてパルスィと一緒にやってみたら?」

「やるわけないじゃない、というより何で私を巻き込むのよ。火遊びに興じられるほど子供じゃないわ」

 

 

 知られたくないことから優先して読み取っていく覚妖怪、いつでもどこでも隠し撮りが可能な鴉天狗。近くにいようと離れていようと秘密を暴かれるという、ある意味で最悪の組み合わせかもしれない。それに引きこもり同士なので、性格的な部分もそれなりに相性が良かったたりする。

 地底の嫌われ者どころか、幻想郷一の嫌われ者を目指せそうである。ろくでもない話題を変更するために、パルスィは写真を指差した。

 

 

「はたて、ここにある黒い点みたいなモノは何なの?」

「あー、それは鳥か妖怪だと思う。さっきの念写はそのまま今夜の月を写したから、月に重なって飛んでたヤツが入っちゃったのよ」

「へぇ、念写も万能じゃないのね」

 

 

 はたてが見せてくれた携帯写真、そこに写っていた大きな満月に黒い点のようなものが入り込んでいた。シミのように見えるモノが二つ、これでは新聞用の写真として使えない。自分が動かなくていい念写といえども、他の二羽にも負けない苦労はあるようだ。

 

 さとりは写真について話を始める少女たちへと微笑んでから、空を見上げた。

 分厚い灰色の雲がどこまでも続いている夜の空。少しずつ雲のスキマから月光が漏れ出しては、光の筋が地表へと降り注いでいた。地底に押し込められて長い月日が経ってしまったが、地上はやはり美しい。できれば、もう少し雨の音を聞いていたいと思う。しかし、

 

 

 ーー追え追えっ、これ以上は進ませるな!

 

 

 何者かが近づいてくる気配がした。

 黙ったまま、さとりはサードアイに妖力を集中させる。微かに伝わってくる血の匂いに、はたてとパルスィも気づいたらしい。お互いに頷き合ってから、三人は周囲を警戒し始める。

 しかし草むらを踏み分ける音はせず、木々を揺らすような音もない。ならば地上を移動しているわけではない、三つの視線が頭上へと向けられる。

 

 何かがぶつかったような衝撃と、「あだっ!?」と蛙が潰されたような悲鳴が樹の上から聴こえてきたのは、その瞬間だった。

 

 

「ーーーーっ、うがぁぁっ!!?」

 

 

 バキバキと枝をへし折って二本の角を生やした女性が落ちてきた。橋姫がさとりを庇うようにして前に出ると、はたてが更に二人を護るように翼を広げる。腰に差した妖刀に指を絡ませ、一本歯下駄でぬかるんだ地面を踏みしめる。いつでも斬りかかれる体勢で、ツインテールの鴉天狗は相手の出方を伺っていた。しかし、よろめいて立ち上がるその姿を見て少女は驚いたように声を漏らす。

 

 

「あんた、寺子屋の教師じゃない。こんなところで何やってんのよ?」

「っ、ちょうど良かった。お前と射命丸のヤツを、探していたんだ。助けて、くれ」

「ちょ、どうしたのよっ、その傷は………慧音!?」

 

 

 深緑のワンピースを真っ赤に染めて、右足を引きずった慧音がそこにいた。見るからにボロボロで大きく消耗している、いつも寺子屋で教鞭を振るう彼女からは想像できない姿だった。「知り合いですか?」と尋ねてくる覚妖怪には答えずに、はたては倒れそうな慧音に走り寄る。そしてハクタクの肩を支えつつ、その背後にいた者たちに叫んだ。

 

 

「コイツは人里の守護者よ、手を出すことは禁じられているはずよね。それなのに何してんのよ、椛!!」

「……侵入者です。我々の制止を振り切ってまで、山に踏み入ったのだから同情の余地はありません。掟通りなら斬り捨てても問題はないでしょう。その者をこちらに渡してください、はたて様」

 

 

 白い天狗たちが雨の中に立ち並んでいた。

 同じ色でも刑香のような儚さはなく、あるのは牙の輝きに似た鋭い白銀の毛並み。そして鮮血のように赤い眼光は、闇を射抜いて三人の少女に突き刺さっていた。彼女らの名は『白狼天狗』、はたて達のような鴉天狗の支配下にいる荒事専門の天狗たちである。その一人、犬走椛は妖刀を構えたまま慧音を睨んでいた。

 ハクタクは荒い息で言葉を絞り出す。

 

 

「すまん……助けてくれ」

「た、助けてくれなんて言われても、アンタが無断侵入してきたのが理由ならどうしようもないじゃない」

「私のことじゃない。刑香を、だ」

「何を言って……ちょっと待って、それって刑香の一本歯下駄よね」

 

 

 慧音が大事そうに抱えていたのは、見覚えのある一本歯下駄だった。紅魔館や地底での戦いで割れてしまい、その代わりに自分が送った新品のモノだ。何でそれを寺子屋教師が持っているのか、いやそれより刑香に何があったというのか。はたては脱力している慧音に問いかけようとする。

 

 

「ああ、なるほど。白桃橋刑香がスキマ妖怪に拐われたのですか。一刻を争うからこそ、白狼たちの警備を強行突破して来た。……なかなか無茶をしますね、その覚悟自体は好ましいものですが」

「……刑香様が?」

 

 

 その言葉を遮ったのは、さとりだった。

 片方の目は閉じられて、サードアイから底無しの光が覗いている。既に心を読んでいるらしく、状況の把握が早い。そして、さとりに気づいた白狼たちの眼光が鋭さを増していた。妖怪の山はかつて古明地姉妹が暮らした場所であり、彼女たちの『能力』についての情報が最も残っているのだ。椛が一人でさとりの傍へと歩み寄る。

 

 

「古明地さとり、その話は本当なのか?」

「ええ、彼女の記憶が間違っていないのなら真実でしょう。ただし私が正しく伝えていたのなら、ですがね。信じるのかは自由ですよ、犬走椛」

「……くっ、この天邪鬼め。これだから覚妖怪は信用できないんだ」

 

「どうしたんですか、犬走隊長?」

「隊長?」

 

 

 やはり面倒なことになった。

 さとりが心配していたことは現実のモノになってしまったようだ。あの娘は妖怪としての強さはそこそこでも、血筋は火種そのものだ。本来なら、全くもって関わり合いになりたくない相手である。

 しかし刑香には自分とて用がある。それに間接的とはいえ、こいしが地底に帰ってくる切っ掛けを作ってくれた恩がある相手なのだ。ならば、やることは一つだろう。

 

 

「や、ヤバイじゃないのよっ。刑香のヤツを探して……いやそれより文に連絡しないと!?」

「落ち着きなさいよ、はたて!」

「お前たち、至急本部に伝令を走らせろっ。いや私が天魔様のお屋敷に行くべきか……しかし白狼の身では」

 

 

 やれやれと溜め息をついてから、古明地さとりは周囲の妖怪たちへとサードアイを向けることにした。ほどほどに心を抉って、まずはこの場の収拾をつけるとしよう。

 

 


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