その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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活動報告にて予告させていただいた通りに、お正月の番外編を投稿します。
こちらのお話は『東方project~人生楽じゃなし~』を連載中である、ほり吉様から戴いた原案に自分が改訂を加えたものです。
とある事情により、幻想郷の『外』の世界へと飛ばされた東方キャラクターたちが奮闘する物語である『東方project~人生楽じゃなし~』。そこにもし、白い鴉天狗がいたらどうなっていたのか、というお話です。


注意事項を三点ほど。
①本編ストーリーとは関わりがありません。
②登場人物の性格(刑香含め)において『その鴉天狗は白かった』とは微妙な違いがあるかもしれません。
③舞台は幻想郷ではなく、現代です。そのような内容及び雰囲気が苦手な方はご注意ください。

寛大な心で目を通していただけると幸いです。
本編も近日中に更新予定です。



番外編〜お正月特別編2〜

 

 

 ーーーそれは粉雪の舞い散る冬の寒い日のこと。

 

 

 ほんのりとエアコンが効いたマンションのリビングで一人の少女がくつろいでいた。ふかふかとしたソファに腰掛けて、すうすうと小さな寝息を立てている。ソファという名前だが、その見た目は大きなクッションに近い。ダークブラウンの表面に腰を下ろすとずぶずぶと身体が沈み込む、そんなもの。

 商品名は『人がダメになるソファー』だとか。事実としてこの少女も身体を沈めたまま、胸元に文庫本を載せて安心した表情で眼をつぶっていた。いつの間にか眠ってしまったのだろう、小さく上下する胸と静かな呼吸だけがそこにある。

 

 お正月を迎えたばかりの澄んだ空気は爽やかで、部屋が暖かいのもまた眠気を誘う。幻想郷では考えられないくらいにこちらの世界にある家の気密性は高いのだ。外からの冷気は室内に入りにくく、中の温まった空気が出ていきにくい。コンコンと穏やかな音を立てている天井のエアコンが部屋の温度を調節してくれていた。

 

 そんな環境だからだろう。一月を数日過ぎ、春がまだ遠くで手を振る冬空の下だというのに少女の服装は薄手そのものだった。白いブラウスの上に、丈の短い黒のカットソーを羽織っているだけなのだ。胸元にちょっとだけ見えるブラウスにはフリルが付いていて可愛らしい。そしてデニムのショートパンツに、膝上までのニーソックスもまた冬の格好とは思えない。その程度でも十分に暖かいらしい。

 

 

「ん、むぅ‥‥‥‥いつの間にか、寝てたみたいね」

 

 

 少女が身体を起こすとトレードマークである純白の髪がさらりと揺れる。その拍子に文庫本が胸元から床に落ちて音を立ててしまう、これでどこまで読んでいたのかよくわからなくなってしまったと刑香はため息をついた。とりあえず本を手に取りバラバラとめくってみるが、どうにもページを思い出せない。素直に諦めて本棚へと戻すことにした。

 そうして時計を見れば、長針の示しているのは午前十時ほど。一通り家事をこなしてから二度寝してしまったが、まだ今日という日は折り返しを過ぎてはいない。もふもふとソファにもたれ掛っていると、また夢の世界にひき込まれてしまいそうになる。うつらうつらと空色の瞳が揺らめく。

 

 

「いつまでもこうしていると一日が終わりそうね。そろそろ、いかない、と」

 

 

 ソファの誘惑をどうにか振り払って少女は立ち上がる。今日は霊夢と約束があるのだ。そうたいした用事ではないし、向こうに伝えている時間もお昼頃としか決めていない。だが、それでも早めに行動するに越したことはないだろう。

 冷蔵庫から麦茶を出して飲むと、少しだけ頭が冴えたような気がした。コップを洗い場に置いてから出掛ける準備を始めることにする。

 しかし支度といっても簡単なモノで、ハンガーに掛けていた腰丈までの黒いウールのコートを羽織るくらいだったりする。厚めの生地のそれは雪の降る真冬にぴったりのデザインだ。前のボタンをしっかり留めて、部屋に置いてある姿見に自分を映してみる。

 

 

「別におかしな所はないはずよね?」

 

 

 防寒をしているくせにショートパンツ、可笑しな所があるとすればこちらの世界の人間たちが寒い日でもこんな恰好をしていることだろう。もちろんそんな恰好を真似ている自分自身も大概だろうなと、刑香は苦笑する。

 天狗は寒さに強い種族だ。夏だろうと冬だろうと、極寒の空を飛翔するからには人間よりも身体に熱を保っていなければならない。そのせいもあってだろう、他の幻想郷から来た面々より自分たちは寒さに対しての感覚が甘い。一例を上げるなら、黒い翼の親友は雪降る日に半そでにマフラーという摩訶不思議な格好をしていたこともある。無論、その後で風邪をひきかけていだが。

 

 

「‥‥‥‥よし」

 

 

 その場でふわりと身体を翻し、フローリングを靴下で滑ってみる。鏡の中の自分に一人で納得してみてから刑香はその格好で外出することにした。

 

 

 ーーーそして辿り着いた、そのアパートは白かった。

 

 

 「白かった」という言い方はつまり過去であり、昔々のお話のこと。今では壁の一部は崩れてかけており、灰を被ったように色褪せている。エントランスなどというお洒落な響きのモノはなく、二階建てのアパートには木でできたドアが並んでいる簡素な建物だ。

 

 茶色く錆びた階段を上がる刑香。外に付けられたために屋根はなく、雨に降られるままの野ざらしのステップ。今は雪が積もっており、朝の冷気によって透明に凍り付いていた。シャリシャリという音を鳴らしつつ、背中にバックを背負う少女は白い息を吐く。

 いつも来ても古いアパートだと思う。もう一度、はぁと息を吐くと、白く染まった大気がぼんやりと浮かんでは消えていく。そしてようやく目的の部屋の前まで辿り着いたが、ドアに飾ってある表札らしきものの前で刑香は立ち止まる。奇怪な文字らしき何かが書いてあったからだ。

 

 

「何て読むのよコレ、さるの? ってことはあの娘が書いたみたいね‥‥」

 

 

 実際合っているのかは分からないが、解読できたのはそれだけだった。大体の目星を付けてからドアノブを手に取る。氷のような金属の冷たさが手のひらに広がっていくのを感じる。

 鍵は貰っているのでそのまま開けても良いだろう。しかし何となくドアをノックしてみることにした。ゴソゴソと音がしてから、しばらくするとドアの向こうから伝わってきたのは「けいか?」と聞きなれた声が一つ。

 雪の降る中、そっと刑香も相手を呟いた。

 

 

「霊夢、開けていい?」

『あ、ちょ、ちょっと待って!』

 

 

 ばたばたと中で音が聞こえてきた。何をやっているのかは知らないが、自分の声のせいで慌て出した霊夢のことが可笑しくて口元が少しだけ緩んでいくのが分かる。何だか久しぶりにからかってみたくなった。

 

 

「もういいかしら、開けるわよ?」

『も、もう少し……』

「寒いんだけど」

『あ、あと十秒くらいっ!』

 

 

 本当に何をしているのだろう。両手をこすり合わせて、はぁと今度は手のひらに息を吐く。やはり歩いているとそうでもないが、止まっていると寒く感じる。翼があったなら羽毛で暖まることもできたのに、と何もない背中をさすってみた。随分と馴れたとはいえ、まだ少しだけ寂しさがある。

 

 

『よ、よしっ。もう大丈夫!』

「入るわよ‥‥‥?」

 

 

 そう聞こえた瞬間にドアを開けようとするが、ガツンと何かにぶつかり動かない。荷物を玄関に置いてあるのかと思い、もう一度力を込めて押してみる。今度はゴツンと何かを突き飛ばしたような感触がしたのでそのままゆっくりと押してみると、すんなりと開いた。

 

 三畳一間というアパートは狭い。

 ドアを開いただけで見渡せてしまうのだから、ここに五人以上が住んでいるとは信じがたい事実だ。部屋の真ん中にはこじんまりとコタツが置かれており、その前には赤みがかった瞳をした黒髪の少女が突っ立っていた。いつもつけている紅白の服の代わりに、落ち着いた紫の生地に紅葉を描いたちゃんちゃんこ。リボンは家だから付けていないようで、きめ細やかな黒髪は肩へとゆったりと流れている。なかなか新鮮な格好だ。

 

 そしてその横に座っているのは、淡い青髪をした長身の女性。その名は上白沢慧音という。霊夢の同居人であり、刑香にとって天狗以外では数少ない友人でもある。しかし、いつも聡明なはずの慧音は何故か片手にみかんの一切れをもったまま固まっていた。

 引き攣った顔をしている慧音を見ながら、刑香は白い眉をひそめる。

 

 

「‥‥‥何かあったのかしら?」

「え、あ、いや、何かというか」

 

 

 曖昧な言葉を返してくれたが、微妙な表情は変わらない。霊夢に至っては何かを堪えるように口を抑えて眼をそらしている。何がそんなに愉快なのか分からない。どこか鬱々とした声が聴こえてきたのは、刑香がもう一度疑問を口にしようとした瞬間だった。

 

 

「まあ、二人の反応も当然でしょうね」

「ーーーーっ」

 

 

 びくりとして隣へ視線を移す。

 そこにいたのは桃色の髪をショートカットにした小柄な少女だった。赤くなった額を撫でながら、じっとりとした目つきでこちらを睨んでいる。『もう一つの目玉』こそ今は持っていないが、沈んだ夕日に似た色の瞳は見間違えるはずもない。

 彼女の名は古明地さとり、刑香とは少しばかり因縁のある妖怪の少女である。心を読み取り、その傷を広げては相手を苦しめるという油断ならない種族。しかし心の深淵を覗くはずのさとりの眼は今、それ以外の物を訴えていた。

 

 そういえば、さっきドアを開けるときに「何か」に当たったような気がしたのを刑香は思い出す。そこまで理解したなら後は簡単だ。

 つまり、ぶつけた「何か」はさとりだったのだろう。それで一部始終を見ていた慧音はあんな表情をしていたわけだ。

 一方の霊夢は堪えきれないようで吹き出した。

 

 

「何やってんのよ刑香もさとりも‥‥‥ぷっ、あははっ、ホントに馬鹿みたいよ」

「笑い事じゃありません、私は額が割れるかと思ったんですから」

「わ、悪いわね。わざとじゃないのよ」

「今のがわざとだったら後ろから足を蹴り飛ばしています……今回だけですからね、白桃橋刑香」

 

 

 桜色の唇からため息を一つだけ漏らし、さとりは離れていく。こちらの世界に来てからはこのアパートの住人の一人となり、ペットたちの代わりに幼い妖精や妖怪を世話しているらしい。そのあたりの趣向は地霊殿にいた頃と変わらない、幼子や妖獣たちの持つ純粋な心に弱いのは相変わらずだ。

 もっとも、振り返った時に見えた「祭」の文字。そんなものが背中に刻まれた上着はどう見てもリサイクルショップなどで購入した余りものである。

 

 

 どうやら色々と妥協してはいるようである。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 冷気から逃れるように、もぞもぞと白い少女は炬燵の布団に潜り込んでいた。

 

 じんわりとした熱が染み渡る。太ももが暖められる感触に「ん」と身をこわばらせてから、刑香は少しだけ力の抜けた顔を浮かべていた。室内に入ったは良いものの、このアパートの場合は普通に寒い。壁が薄いどころか、スキマ風が吹き込んでくるのだから酷いものである。そんな刑香へと対面にいた霊夢が声を掛ける。

 

 

「さっきは言えなかったけど、明けましておめでとう。今年もよろしく頼むわよ、刑香」

「ん…………おめでとう」

「絶対に聞いてなかったでしょ」

 

 

 どうやらこたつの暖かさに早くも憑りつかれてしまったらしい。わずかに不満そうな顔をする霊夢と、眠そうにしている刑香。そんな微笑ましい二人を見守りつつ、慧音は綺麗に剥いた蜜柑を勧める。

 

 

「ほら、良かったらどうだ?」

「ありがと、でも今は遠慮しとくわ」

「私もこの間から嫌というほど食べてるし」

「そうか、それではコレは私が貰っておこう」

 

 

 それだけ呟くと、目線を部屋の隅に置かれたテレビに向ける。画面に一本の黒い線が入っているのは、不具合だろうか。それでも教育をテーマにした番組を聖獣の教師は熱心に見つめていた。こちらの世界の知識は幻想郷に帰れたなら役立つかもしれない。そんなことをぼんやりと考えていた刑香だったが、しばらくすると何気なく口を開いた。

 

 

「それで霊夢、今日は何の用なの?」

 

「あー、別に大した用事じゃないんだけど、お餅がね」

「オモチって、あのお餅のこと?」

「そう、お餅よ」

「‥‥‥?」

 

 

 霊夢の答えは要領を得ない。どうして『餅』のために自分が呼び出されたのか、刑香には分からない。それだけ伝えると、霊夢はなんでもなさそうな顔をしながらテレビを見つめている。そこまで眺めてから仕方ない、と慧音が苦笑しながら代わりに説明を開始する。

 

 

「実は元日に餅つき大会があったんだ。それで若いのが参加してくれたのが嬉しかったのか、ご近所から餅を大量に貰ってな。これの量が量なので我々だけでは食べきれない、お前もよかったら食べるのを手伝って行って欲しい」

「なんだそんなこと‥‥‥でも、ここには食い意地の張った連中が大勢いるでしょ。さっきの表札を書いた妖精とかチビ妖怪とか」

 

 

 このアパートの住人は霊夢達だけではない。他の同居人はいずれも騒がしい面々で、遊び回るのが仕事ような子供たち。今いないのは神社あたりへ遊びに行っているからだろう、きっと沢山走り回ってお腹を空かせて帰ってくる。そんな彼女たちが一斉にかかれば大抵の量はどうにか出来る気がする。慧音が感心したように続ける。

 

 

「やっぱりお前は鋭いな、刑香。まあ、分かってやってくれ。餅うんぬんは建前で本当は霊夢がお前と一緒に正月を過ごしたかったん、だァッ!?」

 

 

 その瞬間、ガコンと炬燵が揺れる。そして半獣教師が小さくうめき声を上げ、頭から思いっきりテーブルに突っ伏した。視線だけはテレビへ向けたままで、恐ろしい表情を浮かべている巫女を見てみれば炬燵の下で何が起きたのかは明白である。

 窓の外へと顔を背けて霊夢は口を開いた。

 

 

「言っとくけど私はただ、お餅が余ったから誰かに食べてもらおうと思っただけよ。あんまり時間が経つと固くなっちゃうでしょ。だから誰でもよくて‥‥‥いや良くないけど、特別な意味はどこにも‥‥‥」

 

 

 必死すぎて殆ど自白だった。耳をうっすらと赤く染めた巫女は顔を見られないように刑香とは視線を合わせない。さて、どうしたものかと考えてみるが自分の取るべき道は一つである。未だにうずくまっている慧音とアイコンタクトを交わしてから、刑香は素直でない少女が望んでいるであろう答えを用意することにした。

 

 

「ならお邪魔しようかしら。せっかくのお正月だし、明日とか明後日も来ていい?」

「もちろん、いいわよ」

 

 

 わずかに頬が上がり、拳を握りしめる巫女。色々とバレバレである。そうして一つの約束が結ばれた頃、どことなく甘い匂いが漂ってきた。

 台所でさとりが何かを煮込んでいるらしい。桃色のエプロンと三角巾を身につけて、背丈が足りないので台に乗っている姿は料理を手伝っている子供にしか見えない。寒さ対策として履いたスリッパはリラックスした熊の毛が編み込まれて、とても温かそうだ。

 上機嫌な霊夢はそんな小さな料理人を急かしだす。

 

 

「ほらほら、さとり。もうそろそろいいんじゃないの?」

「もう少しだから待ってください」

「お姉ちゃんっ、もう私はお腹ペコペコだよ!」

「待ってこいし……って、いきなり現れるからアナタの分がないわ」

「えー」

 

 

 冗談よ、と一言呟いた少女の手によって机に並べられたお椀は五つ。赤い器に満たされた黒い小豆は海のようで、ぷかぷかと白いお餠は砂浜で出来た島のように浮かんでいた。暖かい湯気がほのかに立ち昇り、部屋の冷たい空気を少しだけ甘い香りで染めている。それは、美味しそうなおしるこだった。

 満面の笑みでこいしが姉に抱きついた。

 

 

「‥‥‥何ですか、刑香?」

「アンタって相変わらず甘いわね」

「私は甘党なので」

「心を読めなくても、そういう意味じゃないって分かって言ってるでしょ。別にいいけどね」

 

 

 あまり突っつくと自分と文、自分と霊夢の関係に茶々を入れられそうである。『妹』に甘いのはみんなお互い様なのかもしれない。目の前には湯気をたてるお汁粉が一つ、とりあえずそちらに刑香は視線を移すことにした。面倒なことになる可能性のある話には踏み込まない方がいい。

 

 

「それじゃあ、いただきましょうか」

 

 

 箸で餅を摘まんでみると妙に柔らかい。方法は分からないが下ごしらえをした上で調理したのだろう。意外とこの覚妖怪は料理にも拘っているのかもしれない。ふぅと息で冷ましてから、真っ白なお餅の端を軽くくわえてやる。そしてそのまま千切ろうとすると、

 予想以上に餅がみょーんと伸びた。

 

 

「ん‥‥ぅ、むぅぅ?」

 

 

 お椀まで伸びる白いお餠。ちぎろうとお椀を下げながら、あごを上げてみるがその程度ではダメらしい。ここまで来て噛みちぎるというのも負けた気がする。なので更に引っ張っているが、やはり切れなかった。

 

 それはどこか子供のような仕草で、向かいに座っている霊夢の肩が震えていたのに刑香は気付かなかった。巫女が声を上げないのは気遣いなのか、いつも冷静な白い姉の珍しい姿をもう少し見ていたかったからなのかはわからない。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 カチカチと時計が刻を刻み、少しずつ年始の暖かな時間が過ぎていく。

 こたつを囲む五人の少女たちだったが小さな机なのめ、時には机の下でお互いの脚が当たってしまうこともある。しかし彼女たちはそんなことを気にしないし、気兼ねもしない。

 

 熱いお餅を細かく箸で千切って、慧音は丁寧に口へと運んでいく。先に食べ方を示してくれた天狗がいたので、同じ轍を踏むことはしない。一方のさとりはお椀を持ちながら思考に更けるかのように片目を閉じていた、次に作る際の工夫を考えているのかもしれない。その隣では、姉のエプロンを掴みながら満足そうに眠る少女の呼吸が聞こえている。

 

 

「ねえ、ちょっといい?」

 

 

 そんな中で霊夢だけがぽつりと呟いた。口にしたのはそれっきりで、誰に向けて言ったのかもはっきりしない宛名忘れの言葉を静かな空間へと一つ落とす。こんなものはきっと普通なら伝わらないだろう。しかしーーー。

 

 

「なによ、どうしたの霊夢?」

 

 

 すぐに夏空のような蒼い瞳が霊夢へと向けられていた。眠そうな様子でテーブルから顔を上げて当たり前のように、刑香は霊夢の言葉に反応してくれていた。

 それがむず痒くて、巫女の少女は照れたように視線を逸らす。ちくりと刑香の脚に何かが当たったのは、その数秒後だった。そして二人の視線が合うと、今度ははっきりと霊夢は見つめてくる。それを疑問に思いながらも、刑香は布団をめくってみた。

 

 

「ねぇ‥‥‥コレ、ひょっとして私が貰っていいの?」

 

 

 足元にあったのは小さな紙袋だった。手で掴んでみると中には布のような物が入っていると感触で分かる。もう一度、刑香は霊夢を見てみた。そこにあるのは分かりやすいくらいの仏頂面で、幼い頃から変わらない照れ隠しの仕草だった。そして霊夢が小さく頷いた。

 それを見届けてから、そっと抱きしめるように刑香は紙袋を胸元に引き寄せる。

 

 

「開けても、いいかしら?」

「う、うん」

 

 

 短い問いは短く返され、ゆっくりとリボンが解かれていく。そっぽを向いたふりをしながら、チラチラとその様子を伺っている霊夢。さとりと慧音は特に何も言わない。当たり前だが同居人の二人は、巫女の少女が何かを用意していたのは最初から知っていたのだ。

 

 丁寧に紙袋の口に貼ってあったシールが外される。そして中から取り出されたのは、赤い毛糸のマフラーだった。ふんわりした手触りとちょっと厚めなそれは暖かそうで、所々に手縫いの跡がある。

 ほつれながらもやり直したであろう痕跡を指でなぞってから白い少女はマフラーに顔を埋めた。そうして肌触りを確かめているようなふりをして表情を隠す。小さく震えているのは笑っているのか、それとも泣いているのだろうか。それは誰にも分からなかった。

 

 

 

「本当にありがとう、霊夢」

 

 

 

 びくりと霊夢の体が動き、眼を見開いた瞬間に顔が真っ赤に染まっていく。

 

 

「刑香って、いつも寒そうな格好してるでしょ。だから久しぶりに編み物をしたくなって‥‥何か違うわね。そうじゃなくて偶然、手元に布と糸があったから」

 

「素直じゃないな、霊夢のヤツは」

「ええ、まったくです。サードアイが無くとも、今考えていることが手に取るように分かります」

 

「ちょっと、あんまり煩いと退治するわよアンタたち!」

 

 

 不意に賑やかになっていく室内で、刑香はマフラーに顔を埋めたまま何かを呟いた。周りの者たちには聞こえず、言葉はマフラーに染み込んでいく。そんな白い少女をいつの間にか見つめていた少女は、にっこりと無意識の瞳で微笑んだ。

 

 

「さっそく付けてみたらどう?」

「‥‥‥そうね、うん。せっかくだし」

 

 

 ゆっくりとプレゼントから顔を離す。そうして首に巻かれたマフラーは大きめで、今まで冷たかった首元をすっぽりと覆ってくれていた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「少しねむたくなってきたわ」

「駄目よ、こたつで寝ると起きた時がツライんだからね」

「そうだぞ、やめておいた方がいい。私もよく寝てしまうんだが、起きてみると寒気がするんだ。眠たくなるのはわかるがオススメは‥‥‥ん、どうしたんだ刑香?」

「真面目なアンタも昼寝するんだなって思ったのよ」

「それはまあ、たまにな」

 

「お茶が入りましたよ、刑香はこのマグカップでいいですか?」

「別になんでもいいわ。って何よこの柄は?」

「私が選んだわけではないです、景品とやらで貰いました」

 

「ところで刑香、今度またどこかに行くの? この前は近くの島まで言ったらしいけど、ほたてでも食べた?」

「それって夏の話じゃない。冬にあの乗り物はさむいのよね。ついこないだまで空を飛んでてもそんなこと感じなかったのに、難儀な話よ」

「遠出はいいが事故には気を付けろよ。あと、酒を呑んで運転してしまうと罰金を驚くほど取られるらしい」

 

「一番外に出るのは霊夢ですから、あなたが一番気を付けてくださいね」

「じゃあ事故に合わないためにも仕事を辞めていい?」

「駄目に決まっているでしょう、そんなことをしたらあなたの姉代わりの天狗の財布からその分の穴埋めをしてもらいます」

「いや、私もそんなに手持ちはないわよ」

 

「‥‥こいしがいませんね。しっかりお椀の中身は食べているんですが、あの子はまったくもう」

「少しは姉として厳しく教育してやったらいいんじゃないの、アンタは少し妹に甘すぎるわよ?」

「それはアナタにだけは言われたくないです。そうでしょう、霊夢」

「なんで私にふるのよ。教育に関することなら本職のヤツに尋ねなさいよ」

「……」

 

「慧音?」

「あ? ああ、ちょっとねてたようだ。すまない」

「べつにいいわよ。寝ても。それより刑香‥‥」

「……」

 

「刑香も慧音も限界のようですね」

「もう、仕方ないわね」

 

 

 

 そうして、どれくらい時間がたったのかはわからない。

 すっかり外は暗くなり、夕暮れの過ぎ去った空がワインカラーの静寂に包まれていた頃。窓ガラスが白く曇り、五人分の呼吸と体温でよどんでしまった空気が少しだけ重くのしかかる部屋の中にて刑香は目覚めた。

 

 

「う、ん……?」

 

 

 その際に背中から毛布がずり落ちる。部屋を満たす空気は冷たく相変わらず寒々しい部屋だと感じたが、首元に宿った暖かさに気がついた。

 

 

「そっか、あの子からマフラー貰ったんだった」

 

 

 マフラーを掴んでそう口にする刑香の声は少しだけ弾んでいた。顔を上げて、目の前にいるであろう霊夢を見る。しかし、そこには誰もいない。

 

 

「なんだ、そこにいたのね」

 

 

 立ち上がってみると、こたつを囲むように寝そべって寝ている霊夢と慧音とさとりを見つけた。こたつの布団をかぶって寝ているので、こちらが座ったままでは見えなかったのだ。どうしてか、ほっとしたような溜め息が漏れた。

 

 足音を立てないように近づいてみると、巫女の少女は座布団を枕にすやすやと眠っていた。自分が眠ってしまってから、霊夢もしばらくして横になったのだろう。

 ちょっと考えてからカメラをバッグから取り出してみる。こういう写真は刑香も「姉」に撮られたことがある。こんどは自分が「妹」にやってやろうと思ったのだ。

 寝息を立てている巫女の横で、白い少女はカメラのシャッターを切った。

 

 

 少女がフラッシュを消し忘れていたことに気づくのは、その一秒後のこと。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 




イラスト・キャラクターデザイン:北澤様
特別協力:ほり吉さん
pixivページ(北澤様):
http://www.pixiv.net/member.php?id=1818789

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