その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第五十二話︰鳥辺山の煙は遠くあれ

 

 

 春霞(はるがすみ)たなびく宵の空。

 帯状になって妖怪の山を覆っているのは、真っ白な大気の渦である。いつもなら幻想郷のどこからでも一望できる霊峰は今、春風の御神が着崩れさせた白い帯に煙らされて姿を隠してしまっていた。

 とっぷりと暮れた空は暗闇に沈み、そこに揺蕩う月は真珠色。砂浜に押し寄せる波のように、まばゆい月光もまた静寂に浸っている。深い御山のいずこか、人の届かぬ聖域にあるという天狗の里は寝静まりかえる。前日から続いていた会談が一旦解散し、張り詰めていた緊張の糸は切れていた。妖怪である彼らにも休息は必要である。

 もう、辺りはすっかり夜なのだから。

 

 

「‥‥流石に暗いわね。そんなに夜目が効くわけじゃないし、一応注意しておこうかしら」

 

 

 渡り廊下を歩く少女は、そう呟いた。

 庭園にて燃え盛る松明(たいまつ)の影、距離を空けて立てられた炎の明かりは不知火(しらぬい)のように揺れ動く。自分以外に誰もいない空間の闇にあって、その光は少しだけ不気味であった。まるでこの世とあの世の境目にいるかのような錯覚を感じてしまう。

 別にそんなもので怯えるような性格はしていない。だが、ここまで広い屋敷の中に独りでいると心細さの一つくらいは覚えてしまうらしい。ここ最近は感じることのなかった感情が胸の中で膨らんでいく。

 孤独とは、こんなにも虚しいものであったのだ。

 

 

「駄目ね。ほんの二日だけ顔見知りに会わなかっただけなのに、ここまで心がざわつくなんて思わなかった。‥‥‥私も随分と弱くなってしまったものよね、後悔はないけれど」

 

 

 雲間から降り注ぐ月明かり。

 黒い闇の中にあって、はっきりと純白の翼が浮かび上がった。煌めく星空をその瞳に映しつつ、鴉天狗の少女は長い長い廊下をどこまでも進んでいく。

 その姿はいつもの天狗装束で、祖父から贈られた山ほどの着物やら髪飾りの類いは何一つとして身につけていない。普段と変わらない簡素な服装には、相変わらず遊びがなかった。

 しかし、本人としてはこの方が落ち着くのだから仕方がない。着飾るなんて経験をしたことは殆ど無いのだし、馴れないことはしない。だが一着だけ、どうしても拒否できなかったモノもある。

 

 

「‥‥やっぱりコレも断れば良かったかしら。かなり高そうな生地だし落ち着かないわ。こんなものは私が身につけるより、紫とか藍の方がよっぽど似合いそうよ」

 

 

 涼やかな夜風になびく紫の羽織。

 長老家の家紋が縫い込まれているコレだけは、どうしても祖父が引かなかった。滑らかな手触りは絹に似て、一方で月の薄明かりに透けるような美しさを持つ上質な布。何となくだが、コレ一枚で数ヶ月は人里で生活できるくらいの値が付きそうだ。

 先日の事件はすでに広まってしまっているらしく、たまに屋敷内で同族たちに出会おうものなら彼らは恐ろしいくらいに跪いてくる。山から追われた時とは大違いである。あの頃の見下すような視線と、吐き捨てるような言葉の数々はどこへ行ったのかと思ってしまう。

 

 

「まあ、別に同族からの評価なんて私はどちらでも構わなかったんだけどね。こうも扱いが変わるとなると‥‥ようやく着いたわね」

 

 

 

 庭園を横切るように設置された渡り廊下、それを進んだ先にある離れの建物に部屋は用意されている。

 本殿が藍やレミリア、さとり達の会議に使用されているため彼女らと出会わないようにとの配慮らしい。どうやら祖父が気を使ってくれたようだ。他の二人はともかく藍と顔を合わせるのは少々気まずかったので、正直なところありがたかった。自分は彼女の主である紫の頭を殴り飛ばしているのだ。さて、どうしたものだろうか。

 やれやれと障子を空けて部屋へと入ることにした。

 

 

 

 

 

「ーーーーどうやら身体の調子は戻ったようですね」

 

 

 聞こえてきたのは馴染み深い響き。

 それが鼓膜を揺らすと同時に、死角から伸びてきた腕に抱きしめられた。最初から部屋で待ち受けていたらしく、こちらにとっては完全な不意打ちである。腰からお腹へと回された腕に身体を優しく引き寄せられる。

 抵抗はしない、後ろにいるのが誰なのかは分かっていた。小さな頃からずっと傍にいてくれた姉のような存在がここにいる。

 ゆっくりとその腕を掴んでから、静かに刑香は口を開く。

 

 

「二日も放置するなんて酷いじゃない。もっと早く会いに来てくれても良かったんじゃないの?」

「仕方ないじゃないですか。例の会談のせいで私も色々と忙しかったんですよ、これでも頑張って最速でお役目を切り上げてきたんです」

「ふーん」

「あやや、機嫌を直してください」

 

 

 ひょいっと顔を覗かせてきた文。

 光の加減によって濃くも淡くもなる赤い瞳が丸みを帯びて、こちらを見つめている。肩に触れるくらいの黒髪は真っ白な天狗装束によく映え、そしてちらりと視界を掠める美しい双翼は暗闇の中にあって不思議な存在感があった。千年もの間、自分と一緒にいてくれた親友は変わらぬ暖かさで微笑んだ。

 そして、もう一人。

 

 

「っ、刑香ぁぁぁっ!!」

「ーーーぶっ!?」

「スキマ妖怪に狙われたって聞いて‥‥流石のアンタでも本当に今度こそ駄目かもって、すごく心配したんだからぁっ!!」

「ちょ、はたて‥‥‥痛い痛い、わよ!」

 

 

 正面から突っ込んできた茶髪の天狗少女。

 背後が文で塞がっていたため、こちらは速度を緩めずに胸を強打してきた。結果的に頭突きのようになった一撃に肺から空気が押し出される。思わず膝を折りそうになったが、後ろから文に支えられていたので何とか踏み留まった。そうしている間にも正面からぐりぐりと、はたては頭を押し付けてくる。

 

 

「心配してるなら、友人の身体をもうちょっと気づかいなさいよ!」

「あいたぁ!?」

 

 

 ミシミシと骨が軋み出したところで、はたての脳天に手刀を振り下ろした。スキマ主従から受けた傷は殆ど完治しているが、天狗の腕力で締め付けられるのは遠慮したい。というか地底でも似たようなことがあった気がする。

 とても良い音がした後、頭を押さえて親友がのけぞった。すると背後から笑い声が聞こえてくる、黒い方の親友が忍び笑いを我慢できなくなったらしい。

 

 

「くくっ、やっぱりこうなりましたか」

「アンタたちに本気で抱きしめられたら、骨の一本くらいはへし折れるわよ。いい加減に手加減してほしいわ」

「相変わらずの脆さですねぇ。今までのアナタと大して変わってないようで安心しました。天魔様から譲られたのは『死を遠ざける程度の能力』の残りだけのようですね」

 

 

 仏教における守護神の一柱、迦楼羅(かるら)王。

 司るとされるチカラは幅広く、一例として挙げるだけでも『降魔』や『病除』、『祈雨』と『止風雨』、そして『延命』と数多い。加えて肉体は屈強で他神との戦いにおいては敗北知らず、その勇猛さは剛力無双の霊鳥とも語られる。

 全くもって、自分ごときと血縁があるとは思えない怪物ぶりだと刑香は思う。もし、そんなチカラが自分にあったのならレミリアや勇儀、八雲紫とさえ一騎討ちが出来るに違いない。だが、それは後にも先にも不可能だ。

 

 

「私には天魔様‥‥お祖父様のチカラを丸ごと受け継げるような器はないわ。せいぜいが今持っている『延命』と、多くて『あと一つ』くらいが限界でしょうね」

「まあ、刑香は刑香ですからねぇ。むしろ『死を遠ざける程度の能力』を完全に受け入れることが出来るようになっただけ成長したものです」

「前々から思ってたけどさ‥‥アンタは私のことをどこまで知ってるのよ?」

「あっ、それは私も気になるわ。何で文って刑香のことにそこまで詳しいのよ。いくらあのジジイの側近やってるっていっても、おいそれと教えてくれる話じゃないでしょ?」

 

 

 渡り廊下に少女たちの声が木霊する。

 そして親友の手をそっと外し、くるりと刑香が文の抱擁から脱出して向かい合った。はたてもその隣に並び立つ。二人の抱いた疑問は当然だ、二人と文との間には大きな溝がある。心のではない、単純に所持している情報の量に差があり過ぎるのだ。しかも刑香の事情を知っているのは天魔を除いて他にはなく、だがあの老天狗から簡単に聞き出せるとも思えない。どうして射命丸文が、このことに詳しいのかが説明できないのだ。

 

 

「このことに関して話せることはありませんよ。私は天魔様から刑香のことを聞いたわけではありません。初めから『ある程度』は知っていました‥‥‥だから」

「もういいわよ、無理に聞き出すつもりはないし」

「‥‥‥そう、ですか」

 

 

 刑香からの追求はそこまでだった。

 無闇に迫ったところで、どのみち文が口を割ることはない。そんなことは今までの付き合いから理解しているし、話せないなら無理やり聞き出すつもりはない。ふざけているようでいて頭脳明晰、柔軟なようでいて一線を越えてしまえば融通が効かない。良くも悪くも、自分と違って射命丸文は天狗らしい天狗である。

 少しホッとしたような様子の文を横目に、刑香とはたては話し合う。

 

 

「ねぇ、刑香は心当たりとかないの?」

「華扇様あたりとか、どうかしら」

「うーん、あのピンクの仙人は無いんじゃない。しっかりしてるように見えて色々と抜けてるし」

「そんなこと言ってるとまた説教されるわよ‥‥」

 

 

 片腕有角の仙人、茨木華扇。

 山から追われた後も、何かと世話を焼いてくれた恩人だ。あの人ならば、自分の過去を知っていても不思議はないと刑香は思う。今は仙人として山のどこかで暮らしているが、かつては天狗の組織にも影響力を持っていた人物なのだ。天魔との繋がりがある上に、伊吹萃香とも旧知の仲なのだ。せっかく山に帰ってきたのだから、一度会いに行っても良いかもしれない。

 

 

「ほらほら、もう見張りの交代をする時間です。考察の続きはまた今度にしましょう」

 

 

 月の位置を確認して文がそう告げる。どうやら随分と話し込んでいたらしい。三羽を静かに見守っていた月は傾き、すでに夜の半分が過ぎていた。

 名残惜しそうに二人へ空色の瞳を向ける刑香。すると庭園の池で鯉が跳ね、起こった小さな波紋が水面を伝わっていく。やがて水音が沈み、それっきり木々の葉音すら凪いだ空間でたたずむ三羽の少女たち。

 時間の止まってしまったような空間が横たわる、そんな静寂に包まれた夜。月が微笑む宵の下、それぞれの異なる瞳の色が星々のように瞬く。しばらくそうしていると心の奥に何かが灯るような感覚がしてくる。いつの間にか、ぼんやりとした暖かさが胸を満たしていた。

 

 

「ん、それじゃあ‥‥また明日ね、二人とも」

「ええ、また明日会いましょう」

「次はお茶菓子でも持ってくるわ、刑香」

 

 

 バイバイと手を振って親友たちが帰っていく。

 いくらか寂しさは残るものの、さっきまで感じていた孤独感は殆ど無くなっていた。徐々に離れていく足音に耳を澄ませ、刑香は障子に背中を預けて庭園へと瞳を向ける。

 昼は日の光が枝葉の間から差し込み、夜には星明かりが苔の上で転がり踊るという祖父自慢の庭。透明な水で満たされた池には小さな花弁が浮かび、泳ぐ鯉たちは紅白の錦(にしき)模様。これだけでも立派な庭園だというのに、別の場所には桜やキンモクセイを植えた区画もあるというのだから驚きだ。

 ゆらゆらと銀色の三日月が池に映っている。

 

 

 

 

 

「そろそろ出てくればどう?」

「おや、気づいてたのかい」

 

 

 

 

 

 誰もいないはずの庭園から返答があった。

 いくつも植えられた木々の影、そこから漂うのは『死』の気配。池の水にキラリと反射されていた三日月の輝きは、魂を刈り取る銀の刃。視界に人影はなく、五感によって感知できる要素もなく、射命丸文にすら悟らせなかったほどの隠密性。

 だが、刑香は初めから気づいていた。文やはたてより索敵能力があるわけではない、勘が鋭いわけでもない。だが『死を遠ざける程度の能力』を持つが故に『死に関係する連中』の気配にだけは敏感なのだ。

 長老家に張り巡らされた、あらゆる防壁とあらゆる警備。その全てを当たり前のようにすり抜けて『その少女』は現れる。

 

 

「あー、今のお前さんとアタイは初対面ってことになるのかねぇ。少し寂しい気もするが仕事だから仕方ない。まあ、それでも敢えてこう言わせてもらおうかな‥‥‥久しいね、刑(しおき)」

 

 

 宵闇に浮かぶのは死を運ぶ銀の大鎌。

 苔石を踏みしめる草履は血のように赤く、ツインテールとして結ばれた髪色はそれより更に鮮やかな彼岸の花の色。着物の帯に巻かれた『六道銭』は三途の川をつなぐ舟頭の証であり、肩に担いだ鎌は種族そのものを表す特徴の一つ。どうやって天魔の屋敷の警備をすり抜けてきたのかは知らない、だがこの連中なら不可能なことではない。

 

 

「私に何の用かしら、小野塚小町?」

 

 

 親しげに話しかける死神に対して、白い少女は冷たい眼差しで応じていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「ねぇ、刑香がいつも通りで良かったわね」

「‥‥何の話ですか?」

 

 

 庭園で左右を挟まれた渡りの廊下にて。

 刑香の部屋から離れ、本殿へと向かっている途中ではたては切り出した。それは自分たちが『わざわざ自分たちが刑香の部屋に先回りしていた理由』である。露骨に目線を逸らす文は珍しく分かりやすい反応をしていた。冷やかしがいがありそうだと、はたては口元を緩ませる。

 

 

「へーえ、アイツと再会するまでは『嫌われたに決まってるのに、会いに行く勇気なんてありません!』なんて情けないことを言ってたのに?」

「そ、それは言わない約束でしたよね!?」

「だから刑香の前では黙ってたじゃない、アイツの前では格好つけたいんでしょ? まあ、こんな理由で会いに行くのが二日も遅れたなんて知られたら幻滅されるかもだけど」

「ぜ、絶対にあの娘には秘密にしてくださいよ。後生ですから」

 

 

 本当ならもっと早く会いに行けたはずだった。

 お役目があるとはいえ、天魔に話をしておけば融通をつけてくれるに決まっている。会いに行けなかったのは時間がなかったからではなく、文の決意が遅れていたから。千年もの間、真相を知っていながら隠していたことで刑香から恨まれるのではないかと、そのことを射命丸文は恐れたが故だった。

 はたてからすれば、この上なく馬鹿らしい理由である。

 

 

「アンタの予想に反して、刑香のヤツは全然怒らなかったわね。私からすれば予想通りなんだけどさ。むしろ刑香が罵倒してくれていれば、アンタは気が楽だったかもしれないわね」

「否定は、出来ません」

「逆に考えてみなさいっての。もしアンタと刑香の立場が反対だったとして、文は刑香を恨んだりするの?」

「そんなことは‥‥‥しませんね」

「ふーん」

 

 

 黙って顔を見つめてやることにした。

 じっとりとした目線で眺めていると、しばらくしてから文が気まずそうに視線を下げた。答えなんて分かりきっているのに、珍しくウジウジと考え込んでいるようだ。普段の鬱陶しいくらいの明るさが嘘のようである。

 繊細そうな光を宿した赤い瞳、その眼差しは今だけは白い少女とどことなく似ていた。昔からこの二人は不意によく似た雰囲気を纏うことがある。これは恐らく自分だけが気づいた事実だろうと、はたては思う。

 

 

「アンタ達がそんな理由でお互いを嫌いになるなんて有り得ないっての。自信を持ちなさいよ、刑香はアンタの妹分なんでしょ? もしそれでも不安なら‥‥‥」

 

 

 この二日間、文が一睡もしていないことは知っている。かなり疲労が溜まっているのもお見通しだ。普段は三羽の中でまとめ役になることの多い文だが、はたてはその頭をまるで子供をあやすように撫でつけた。

 

 

「こんな時ぐらい私を頼りなさい、リーダー」

 

 

 そう満面の笑みで告げた。

 そもそも文は無茶をしすぎなのだ。特に勇儀との戦いでは時間を稼ぐだけと言いながら結局、はたてが駆けつけた時には勝負が付いてしまっていた。いつも勝手に先へと行ってしまう文、自分はその背中について行くことが殆どだった気がする。だからこそ世界が広がった、こんな時ぐらいは支える側に回ってやろうと思う。

 すると、顔を赤くした文が口元を押さえながら肩を震わせていた。

 

 

「‥‥‥これは、参りましたね。下手をしたら惚れていたかもしれない殺し文句でした」

「はぐらかしてんじゃないわよ、こっちは大まじめだったのにさ。まあ、冗談が言えるようなら、もう大丈夫そうね。ひとまず安心したわ」

「はい、心配かけました。考えてみれば、私が何をしたところであの娘が私を嫌いになるなんて有り得ませんよね!」

 

 

 何でも、というのは言い過ぎだと思う。

 正直なところ素っ裸の写真でも盗撮して、そのまま新聞の一面に載せてバラまいてやれば、刑香からは平手打ちと共に絶交を叩きつけられそうな気がする。まあ、ありえない話なので黙っていることにした。ここで自分たちが交わしていたのはそういう話ではないだろう、わざわざ要らぬツッコミを入れるのも野暮だ。

 

 

「‥‥‥っていうか、文って『使い魔』から天狗になった部類よね。もしかして、あのジジイに仕えていたカラスだったりしたんじゃないの?」

「へ?」

 

 

 これは先程の続きである。

 刑香は深く問いかけなかったが自分は別だ。いちいち親友の事情を気遣ったりしないし、多少は種を明かしてもらわなければ納得できない。自分や刑香とは違い、身元が最初からはっきりしていた文。もし元々が天魔の使い魔であったのなら、さっきの疑問は氷解する。天魔から直接的に刑香の事情を聞いて、そのまま何らかの理由で親しくなったという説明がつくのだ。

 というよりは、少なくとも自分にはそれ以外の選択肢が見当たらない。使い魔ごときの出身にして幻想郷最速、おまけに鴉天狗の中では最精鋭。そして天魔から腹心として重用されているのだから、その関係を疑うのは当然だ。

 少なくとも的外れではあるまいと思う、しかし文から返ってきた反応は否定一色だった。

 

 

「いいえ、残念ながら違います。私は天魔様の使い魔であったことは一度もありませんよ」

「‥‥本当でしょうね?」

「そもそもさっきも言ったじゃないですか、私は『天魔様から刑香の秘密を聞いたわけではない』と」

「でもアンタの話を聞く限りは‥‥」

 

「ーーー阿呆め、こやつのような融通の効かぬ小娘をワシが使い魔にするわけが無かろうが」

 

 

 鼓膜に突き刺さるしわがれた声色。

 振り返った先に仁王立ちしていたのは、今の今まで噂されていた張本人。白い少女に唯一残った血縁者、白桃橋迦楼羅であった。どこか憑き物が落ちたような表情に以前のような影はなく、厳しいながらも落ち着いた雰囲気が漂っている。小さく舌打ちをしてから、はたては老天狗へと視線を投げかけた。

 

 

「いくら長老とはいえ、断りもなく女の子の話に立ち入るのは良くないんじゃないかしら?」

「たわけ、そのようなことは色気の一つも覚えてから口にするがいい。貴様らのような小娘が何を言ったところで、使い魔カラスどもの無意味な朝の合唱と何も変わらんわい。ところで、今の舌打ちはワシに向けたものか?」

「だったら何よ?」

 

 

 こちらを見下すような視線は変わらず、舌に乗せられる言葉は辛辣。やはり刑香との血縁があるとは思えない、どう見てもコイツは対極にいる存在だ。窪んだ瞳から感じるのは奈落のごとき底知れなさ、全身から放たれる圧迫感は鬼の四天王にさえ勝るとも劣らない。

 高まる心音と喉の干上がる痛みを感じ、はたては奥歯を噛み締める。そのまま負けてなるものかと天狗の長老と睨み合う、しばらくして先に折れてみせたのは天魔の方であった。

 

 

「くかかっ、まあ良かろう。今夜は少し寝つけなくてな、丁度よい、貴様らがワシの晩酌に付き合えば此度の無礼は許してやろう」

「刑香と呑めばいいじゃない、そのつもりでここまで歩いて来たんじゃないの? どうせアンタもこの二日間、一度もアイツと会ってないんでしょ」 

「ワシにも心の準備というものは要る、我らは離れた時間があまりにも長すぎる。‥‥‥だからこそ話を聞かせてくれ、お主らとアヤツとの間にあった、ワシの知らぬ物語を出来るだけ詳しく話して欲しい」

「ーーー!」

 

 

 そんな目もできるのかと思った。

 先程とはまるで違う嫌味のない眼差し、晴れ渡った空のように真っ直ぐな光があった。天魔としてではなく、刑香の祖父としてのモノなのだろう。はたては老天狗への認識を少しだけ改めることにした。

 そして庭に立てられた松明がパチリと音を立て、それを合図にしたかのように文がはたてを庇うように前に出た。

 

 

「さて、私たち三羽鴉の数百年を一夜で話し尽くすことは出来そうもありません。それこそ千夜を越えるだけの時間が必要ともなるでしょう。なので天魔様も承知の上で耳を傾けてくださいますよう、お願い致します」

「構わん、この身が泡沫の夢に沈むまでの肴とするとしよう。気長に聞いていく、一つ一つゆるりと話せ」

「畏まりました。それでは先にお部屋に帰っていてください。我らは後から参上致しますので」

「む、このまま共に向かえば良かろう。何か支障でもあるのか?」

 

 

 少しだけ怪訝な表情を浮かべた天魔。

 文が何事かを耳打ちすると、仕方がないとばかりに溜め息をついてからこの場を跡にした。「あまり長くは待たせるな」という命令を残して、老天狗は廊下の先の本殿へと消えてく。残されたのは天狗少女が二人だけ。

 首を傾げるはたてへと、文は笑みを浮かべながら振り向いた。

 

 

「‥‥‥はたては『使い魔カラス』が天狗になったとして、その子をどう扱いますか?」

「ヤブから棒に何よ、そりゃ使い魔は使い魔じゃないかしら。いくら天狗になっても所詮は手下、もしくは下僕として扱う連中の方が多数でしょうね」

 

 

 わざわざ二人きりになって話すことなのだろうか。

 そう感じたが声には出さなかった、この聡明な友人には何らかの考えがあるはずだ。夜風が黒髪をなびかせ、文は涼しげに目を細めた。そして言葉を拾い集めるように、最速の少女は続きを紡ぎ始める。

 

 

「そうですね、それが普通なんです。使い魔ごときに情はいらず、同族に変じたとて道具として使い捨てればいい。私もカラス時代はそう思っていましたし、大して雇い主に期待もしていませんでした。実際に使い魔になるまでは」

「‥‥?」

「天狗になったばかりの私を大切に育ててくれた夫婦がいたんです。まるで娘のように接してくれ、家族のように扱ってくれた。あの方々から頂いた幸福と思い出は感謝なんて言葉では言い尽くせません。もう、千年も昔になりますが」

 

 

 遠い過去へと思いを馳せる文はとても楽しげで、同時にとても寂しそうだった。おそらく育ての親となった大天狗の話なのだろうと、はたては推測する。長年、刑香と一緒になって気になっていた文の過去を知る手がかりになるのは間違いない。だが、どうしてそんな話を今する必要があったのだろうかと首を傾げそうになるのも事実だ。

 はたての心を見透かしたように、黒髪の親友は続きを口にした。

 

 

「ええ、何でもない話です。忘れてください」

 

 

 くるりと文が背を向けて歩き出す。

 結局のところ、黒髪の少女が多くを語ることはなく、茶髪の少女がその心中を察することもなく。言葉は風に乗り、宵闇の果てへと消えていった。跡に残るのは黒い羽が一枚、ひらりと舞ってはたての足元へと落ちる。

 

 

 それは銀の鎌のきらめく宵の刻のこと。

 

 

 


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