その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第五十三話:花の色は映りにけりな

 

 

 ーーー懐かしい夢を見た。

 

 

 まだ幻想郷が博麗大結界によって隔離される以前、まだ人間たちが神や妖怪を畏れていた時代があった。生と死の境界は曖昧で、此岸と彼岸を分かつ三途の川のあまりにも浅きこと。流行病を防ぐ術はなく、天候に一喜一憂する人々は人ならざる存在に怯えていた。

 

 まこと良き時代であった。

 世継ぎとなるべき息子は存命しており、信頼するに足る大天狗たちに二心無く、己もまた霊力が満ちていた。ただ一つの気がかりは初孫の顔をまだ拝んでいないことくらい。息子が祝言をあげてからというもの、ついつい夫婦のそちらの暮らしについて尋ねては渋い顔で怒られる日々を過ごしていた。

 

 いずれ全てを取り零すことになろうとも、光の記憶は色褪せることなく心に残り続ける。そのことに人も妖怪も、神さえも違いはない。

 その夜、老いた鴉天狗は夢を見た。静まり返った夜闇の中、二人の少女たちが語る思い出話に耳を傾けながら夢を見た。

 これは、千年程前に遡る物語。

 

 

 

 

 

「長老様、朝早くから失礼致します」

 

 

 

 

 

 あれは日も完全に昇りきっていない早朝のこと。

 柚子色をした陽光が障子をすり抜けて、畳を明るく染め始める頃。涼しげな風と暖かな光の混在する朝の空気は爽やかなもので、妖怪の山にある天魔の屋敷もまた心を澄み渡らせるような雰囲気に包まれていた。一方でこちらの返事を聞く前に勢い良く開かれた障子の音は、そんな風情を台無しにするものである。

 

 溜め息をつきながら、天魔はそれまで綴っていた書簡を袖口へとしまい込んだ。そしてゆっくりと座していた書机から立ち上がる。ジロリと鋭い眼差しで睨みつけた先にいたのは、両腕に大量の資料を抱えた女天狗だった。

 

 

圻羽(キシハ)よ、せめて中にいる者が返事をしてから戸に手をかけるべきであろう。しかも貴様、ワシの部屋の障子を足で開けるとは無礼だと思わぬのか」

「申し訳ありません。両手が巻物で塞がっていたので仕方なくやってしまいました。あ、ちなみにコレは天魔様から頼まれていた資料ですから」

「はぁ‥‥‥もう良い、そこの書棚に積んでおけ」

「はい、了解です」

 

 

 長老の私室に備え付けられた障子を足の指で掴んで開けてきた豪快な無礼者、この女天狗の名は『圻羽(キシハ)』といった。

 腰まで届く美しい黒髪と、夏の朝焼けを思わせる真っ赤な瞳を持つ鴉天狗。非常に頭が回るため、わざわざ天魔が側においている側近の一人だ。仕事は出来るものの、組織のしきたりや規則を軽んじる一面があった。困ったものだと天魔が煩わしそうに目を細めていく。しかし不意に鼻を掠めてきた『血の匂い』、そして天狗装束がわずかに赤い染みで汚れていたことに気づくと、ゆっくり口を開いた。

 

 

「なるほど、その書類は事後報告のためのものであったか。随分と早かったな、あと数日はかかると思っておったぞ」

「それは私を舐め過ぎです、あんな低級妖怪なんて物の数ではありませんよ。問答無用かつ一撃のもとに首を飛ばしてやりました。『最速』の名は伊達ではありませぬ故」

「そうか、何よりだ。これで北西方面の露払いはほぼ完了したようなものであろう。くかかっ、八雲も悔しがっておろうな」

「うーん、それはどうでしょうねぇ。悔しがる素振りを見せてきたところで本心からのモノなのか、こちらを謀ろうとしているのか私では判別つきませんし」

 

 

 そう言って手際よく書棚を整理していく。

 数日前、コイツには敵対する妖怪への対処を命じていた。どうやら同時に終わらせてきたらしく、香ってくる返り血の匂いからして全て斬り捨てたのだろう。声色からも敵に対する容赦は一切感じられない。恐らくは言葉の通りに一瞬で相手の首を斬り落とし、その魂を黄泉送りにしたのだろう。流石は妖怪の山にて『最速』と称えられる女天狗なだけはある。

 非常に朝から気分が良い、その働きに免じて先程のことを水に流してやろうと心に決めた。そんなことを考えていると、部屋へと差し込む別の影があることに天魔は気づく。チラリと視線を移してみると、半開きになった障子へ隠れるようにして立っていたのは幼い鴉天狗の娘であった。

 

 

「む、圻羽(キシハ)よ。初めて見る顔であるが、そこにいる小童めは貴様の手の者か?」

「あー、やっぱり付いて来てましたかぁ。向こうで待っているように伝えたんですがね。仕方ない‥‥‥‥ほら、こっちにおいで」

「‥‥‥ごめんなさい」

 

 

 書棚の整理を後回しにして、やれやれと圻羽が屈んで両腕を広げた。すると小さな黒い少女は頼りない足取りで天魔の隣を通り過ぎ、ぽすんと女天狗の胸元へと飛び込んだ。そのまま圻羽に抱き上げられると、しっかり背中へと可愛らしい腕を回してしがみついた。頭を撫でられるたびに小さな黒い翼がぱさりと揺れる。まるで生まれたばかりの雛鳥のようだと、天魔はその様子をしげしげと眺めていた。

 

 

「この子は先日、ようやく天狗に変じてくれた私の『使い魔カラス』なんですよ。ちょっとだけ甘えたがり屋で、なかなか私から離れてくれないんですよねぇ」

「ほう、貴様の使い魔であったのか。しかし少しばかり幼なすぎる、それでは哨戒にすら使えまいよ。万が一、任務の妨げになるなら早めに『処分』しておけ」

「そんなことしません。そもそも私は使い魔たちを『道具』として扱ったことはありませんから、この子だって今までと同じく大切に育てます。処分などとは二度と口にせぬようお願い致します」

「ふん、まあ良かろう。どのみちワシが口出しすることではないからの‥‥だが周囲の目には気をつけるが良い、たかが使い魔上がりの小娘に甘くするようでは『家名』が軽んじられる」

「こっそり大切にしますのでご安心を」

 

 

 好きにしろ、と老天狗は切り捨てる。

 それを了承と取ったようで圻羽は黒い少女へと微笑みかけていた。まるで母親のようである。貴様は子育てなどしたことなど無かろうと、天魔は呆れたように視線を反らした。まあ、この子育て経験がいずれ活きることもあるだろう。いずれ本物の子を成した時に手慣れているなら越したことはない。

 だが、やはり言いたいことはある。

 

 

「もう貴様は『ワシの一族の者』となったのだぞ。少しは自覚を持たねば夫の方も苦労しようぞ。分かっておるのか、白桃橋圻羽」

 

 

 千年前、妖怪の山にて『最速』と噂され、多くの者たちから恐れられていた女天狗。型に()まらぬ自由な気質と、常に他者の先をいく明晰な頭脳。そして何よりも『漆黒の翼』と『真っ赤な瞳』。やがて一人娘を授かることになる圻羽だが、その娘は母親に似ることは無かった。一緒に過ごした時間があまりにも短かったのだ。

 その代わり、彼女の面影は別の少女へと受け継がれていくことになる。

 

 

「はいはい、分かってますよ、お固いお固いお義父さま。そんなに怖い顔をしないでください。ねー、文ちゃん」

「‥‥‥あやや」

 

 

 それは古い記憶、白い少女ではなく黒い少女が大切にしていたであろう思い出の一幕。

 射命丸文が白桃橋刑香に対して、まるで『姉妹』のように接してきた本当の理由。

 それは遠い遠い水平線の彼方、その向こうに霞み続けている真実の欠片。

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、苦労して私たちは舶来由来のカメラを人里から入手したわけです。そうして撮った写真は三人ともまだ持って‥‥‥って聞いてましたか、天魔様?」

「うむ、うむ?」

「絶対に聞いてなかったわよ、文」

 

 

 そこで夢は覚めた。

 懐かしき光景は目蓋(まぶた)の奥へと消え去り、代わりに視界に上書きされたのは月光満ちる夜の(とばり)。どうやら眠ってしまっていたようだ、ぼんやりと霞みかがった目を擦りながら欠伸を一つ。じとりとした視線をした二羽がこちらを見ているが、気がつかないふりを通すことにした。

 文とはたての視線がかなり痛い。

 

 確かにいくらでも付き合うとは言ったのだ。しかし会合が終わった後に『とりあえず直近の百年分』を意気揚々と、夜通し語ろうとした小娘たちに思うところはあって然るべきだろう。辟易とすることはないし、孫娘とその友人たちとの物語は傾聴する価値があった。事実として最初の頃は柄にもなく、目を輝かせて聴いていたような気がする。

 だが、何事にも限界はある。せめてもう少し分割して話すことは出来なかったのだろうか、こっちは仕事を終えたばかりの年寄りなのだ。

 

 

「すまんな、ワシも疲れていたらしい」

「あ、いえ、私も嬉しくて先走りすぎました。‥‥‥もうお休みになられますか?」

「いや、そのまま続きを頼む。明日にはその話を手土産にしてアヤツと‥‥‥我が孫娘との他愛もない会話に挑戦する心積もりでな」

「そうですか。では、ゆっくりと耳に馴染むように語りましょう。次の話はお願いして良いですか、はたて」

「はいはい、分かったわ」

 

 

 文が目配せすると、今度ははたてが語り出す。

 単調な口調ではなく、抑揚をつけて三羽の過去を紡ぎ出していく。眠気を払うための配慮なのだろう。時には強く、時には弱く、また緩急をつけて語り手は物語の一幕を描き出す。これなら朝まで何とか耐えられそうである。ちらりと射命丸の方を見つめてみると、こちらも姫海棠へと耳を傾けて瞳を閉じていた。

 まるで雛鳥のように、ぴったりと主人の後ろに付いていたコイツも随分と成長したものだと思う。だが育ての親が刑香の母親であることを本人に伝えていないとも聞いた。

 

 

 文が刑香と『本当の姉妹』として見ることが出来る間柄であることを決して語らない。

 

 

 この娘にも何か考えがあるのだろう、老天狗は用意していた酒を傾ける。『小鬼殺し』と銘打たれたソレは貴重な酒虫を使って製造されたもので、鬼の秘宝の一つである『伊吹瓢』を参考にしている高級品だ。少々度数は高いが、味の方は鬼の四天王が太鼓判を押すほどに素晴らしい。

 星々の光で波立つ盃に迷い込んだ夜風が、周囲に芳醇な匂いを立ち昇らせる。月が映り込んだ酒精の水面はどこまでも透明だ。風雅というには些か俗世に染まっているが、それでも今宵はとても良い気分である。ほんのりと甘く酔いが回った思考は、このところの疲れを忘れさせてくれた。

 

 

 

 今宵は、良い月が見える。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 真珠を思わせる深更の月。

 それは松明の中心から炎をひと掬いして、宵空の真ん中にぽとりと落としたかのようだった。地表へと零れる光は繊細で、か弱い花弁が散るようにさめざめと降り注ぐ。春先の不安定な気候を表すような月は叢雲に揺れながら、今宵も天上から地表を見下ろしている。

 千年前に起こった『月面戦争』。その舞台となり多くの月兎と妖怪たちが散っていった、痛ましくも美しき月の都がそこにある。白桃橋刑香と幾人かの大妖怪たちの運命を狂わせることになった禁忌の地だ。

 そんな星空の下で空色の瞳は瞬いた。強い妖気を漂わせた双眸は冷ややかに『こちら』へと向けられている。

 

 

「よくもまあ、ここまで入り込めたものね。周囲を取り囲んでいる結界と白狼の小隊はどうしたのよ。例え紫のヤツだって、この屋敷には簡単に侵入できないはずなのに」

「それはそれ、他の連中ならともかく、私にとって障害なんてあってないようなものさ。厄介な見回りや結界がある空間は丸ごと『省いて』移動しちまえばいい、私のチカラにこの手の守りは意味を成さない」

 

 

 その視線の先にて月を見上げているのは、波打つ夜に漕ぎ出した三途の河の船頭。小町はどこまでも自然体のまま背中を木の幹に預けて、磨き抜かれた鏡のような星空を瞳に映していた。夜風に乱れる真っ赤な髪は草花のようでいて、立ち姿は彼岸の花のごとく。畏まった様子一つない死神の姿は星々の下にあって、どこか風流ささえ感じさせた。

 

 夜風に乗って白い煙が立ち昇っていく。

 それは水底の(あぶく)のように、自分の持つ煙管(キセル)から溢れているのを小町はのんびりと見送った。「サボリ厳禁」と妙に達筆な文字で掘られているのは、信頼する上司から贈られたものだからだ。思えば『あの方』との付き合いも随分と長いものとなった。お互いに足りないモノを補うようにして、気づけば千年を優に越えて自分たちは幻想郷を裏方として支え続けている。少しくらい感慨に浸るのも無理はない。

 

 

「おっと、悪いね。こういう匂いは好みじゃ無かったかい?」

 

 

 白い少女がその端正な眉を潜めているのを見て、小町は煙管から唇を離す。月下に映える純白の双翼がぱさりと羽ばたき、星明かりを宿した空色の瞳が瞬いていた。混沌を良しとする妖怪の中にあって、異色とも言える澄み切った妖気は相変わらずだ。あまり近づいてはいけない、この娘と距離を詰めるだけで致命傷を負ってしまう。鬼でさえ、一時的にしろチカラの大半を封じられたのだ。『死』に直結した存在である自分などひとたまりもない。

 

 

「別に煙の匂いが嫌いなわけじゃないわ、好きでもないけどね。そうじゃなくて、前にも似たような匂いを感じたような気がして不思議だったのよ」

「‥‥‥そうかい。でも気を使わせても何だし、とりあえず煙の方は遠ざけておこうかなっと」

 

 

 ささくれだった寂しさを圧し殺す。

 何気ない様子を気取りながら、指先で煙管を撫でてやる。すると立ち昇っていた白い煙は消え失せ、周囲を漂っていた匂いもまた薄まっていく。少しだけ『距離』を操ったのだ。手元から流されるはずだった白煙は、遥かな上空へと直接流されていく。この能力の使い道は本人が移動するだけに留まらない。仕事場である河の長さを変えたり、さっきのように邪魔なモノがある場所を省いて空間同士を繋げることも出来る。

 そして、誰かからの補助があれば『記憶』を遠ざけることさえ可能となるのだ。

 

 

「それにしても、文から聞いていた通りに厄介そうなチカラね。全ての死神がそんなチカラを持っているなら防ぎようがないわ。地の果てまで逃げようと、如何なる結界や守りを築こうとアンタたちはただの一歩でそれを踏み越えてくる」

「大天狗様からお褒めの言葉をいただけるとはね。一介の死神としては光栄の限りだ」

「別に褒めちゃいないわよ。生きとし生ける者は死神の鎌からは決して逃れられない。それこそ私の『死を遠ざける程度の能力』でも無ければ、アンタたちの歩みは絶対に阻めない。それが面倒だって言ってるの。あと、私はまだ大天狗じゃないから」

 

 

 そう言う少女の肩には紫の羽織。

 移ろいゆく鮮やかな花の色、もしくは昼と夜が混ざり合った夕暮れの色をした長老家の証。その胸元には八ツ手の葉団扇を模した家紋が縫われている、当然だが血族以外で身につけることを許されない一品である。これ一枚で内紛すら起こる可能性がある。

 そんな羽織を身に纏いながらも白い少女は変わらない。何でもないことのように小町の皮肉を聞き流し、そして真っ白な髪を夜風に靡かせている。空色の瞳は涼しげで、その在り方はどこまでも自然体だった。

 もう一度、煙管を吹かしてから死神は言葉を続ける。

 

 

「しっかし、随分と無茶をやらかしたみたいだねぇ。紅い吸血鬼に地底の鬼、そして今回はスキマの大賢者ときたもんだ。その全てから狙われて生き残ったとはまったくもって驚くよ」

「そりゃどうも、お褒めに預かり光栄よ?」

「私なら最初で手足もがれて、次の鬼にバラバラにされて終わりだっただろうねぇ。本当にあんたは強くなったよ、(しおき)

「別に私が強くなったわけじゃない。戦いのたびに誰かから助けられてどうにか乗り越えて来ただけよ」

「くくっ、それを『強くなった』と私は言ってるんだ」

「‥‥‥?」

 

 

 吸血鬼異変や地底での一件、ついでにスキマ妖怪との決闘。この一年余りで刑香を襲った災難は数知れず、しかし少女はその全てを退けてしまった。以前の彼女ならば決して乗り越えられなかったはずだ。狭い組織の中で友人二人だけに心を許していた白桃橋刑香では、今ここには辿り着けなかっただろう。多くの仲間たちを手に入れたこと、それは『強さ』と同義である。

 実際のところ、自分は随分と安心していたのだ。山から離れ、人里にて知人を増やし、博麗の巫女やスキマ妖怪、紅魔館とも繋がりを持った、これでもう『大丈夫』だと思っていた。この娘は自由にやっていけると確信していた、それなのにーーーー。

 真っ白な煙を吐き出して、小町は「やれやれ」と深い溜め息をつく。

 

 

「それなのに、どうして戻ってきちまったんだい?」

「理由が知りたいの? 私と天魔様との関係なんて、その様子だとアンタ達には筒抜けだと思っていたんだけど」

「あんたと天魔が血族であることは最初から知ってたさ。そのあたりの事情については幻想郷の誰より、私や『あの御方』が詳しく把握しているからね」

「『あの御方』って‥‥‥まさか」

 

 

 妙な引っかかりを覚えたらしい天狗少女。

 死神が敬意を払う相手というものは非常に限られており、まして『拓落失路』などという二つ名を持つ自分。出世などというモノに興味はなく、どこまでも自由な船頭を気取った変わり者。そんな者が明確に敬意を払うのは地獄広しといえども、たった一人だけだ。恐らくはそこから気づかれたのだろう。

 彼岸の桜が舞い散る法廷、地獄の是非曲直庁(ぜひきょくちょくちょう)における幻想郷担当の閻魔王。彼女の前にてあらゆる弁明、まやかしは意味を成さず。決して揺るがぬ絶対的な善悪基準を持って、死者たちの魂を裁き続ける孤高の者。この世界で唯一、絶対に小町が頭の上がらない相手。その名はーーー。

 

 

「四季映姫ヤマザナドゥ、か」

「さすがに鋭いね、正解だよ」

「よりにもよって、私はそんな大物にまで目を付けられているのね。‥‥‥そろそろ嫌になってきたわ」

「スキマ妖怪や鬼の四天王から喧嘩を売られたことのある娘が言うべき台詞じゃあ無いよ。今更その上に、私や閻魔様が増えたって構いやしないだろう?」

「構うに決まってるでしょ!」

「く、くくっ、やっぱりそうかい」

 

 

 苦笑つつ煙管から口を離す小町。

 その動作と共に、彼岸の花に似た紅色の瞳は細められていく。下げられた煙管から、とっくに火の気配は消えていた。

 

 

「話を戻そうか。そもそも妖怪の山からアンタを追い出したのは、あの老天狗に残った最後の良心だった。せめて最期に孫を自由な空へと解き放ってやりたいっていう、身勝手でどうしようもない罪滅ぼしだったんだ」

「‥‥‥お祖父様の想いは理解しているわ、納得はしていないけどね」

「このままアンタは大天狗となるだろう、もしかしたら『その先』にも進めるかもしれない。それこそ八雲紫さえ脅かすほどのチカラを手に入れることになる、アンタの運命を狂わせたアイツをね」

 

 

 そっと小町は魔鎌の柄を握りしめた。

 魂を刈り取るための曲線は、淡い月光を受けて鈍い輝きを放っている。刃先からにじみ出る濃厚な死の気配、怪しげに変わった周囲の気を感じとって白い少女が警戒を高めていく。腰に差した妖刀に刑香は手をかけていた。

 

 

「何よ、ここに来たのは私の魂を回収するためだったの? それならそうと言いなさい、初めから言葉ではなく刃を交わすべきだったわ」

「いや魂を連れて逝くのは、基本的に私の仕事じゃない。博麗の巫女のような存在ならともかく、あんたを迎えに来たりはしないさ。私はあくまでも三途の川渡しだ」

「‥‥なら、その物騒な得物から手を離しなさい」

 

 

 殺気はなくとも眼差しは鋭く。

 月光の下にて、二人の人外は対峙した。このまま小町が切り込んだところで『死を遠ざける程度の能力』が発動する。妖力に余裕がある限りは致命傷を負うことはなく、あらゆる死を跳ね返すチカラ。妙な話だが、致命傷となる首に刃を這わせるより手足でも斬り落としにかかった方が有効だろう。

 限界まで張り詰めた空気の中、小町が一歩踏み出した。

 

 

「ーーー多くの妖怪たちが命を散らした『月面戦争』、あの出来事により幻想郷の勢力図は大きく塗り替えられた。旧き者が滅び去り、その代わりにスキマ妖怪のような連中が中心へと躍り出ることになったんだ。謂わば、現在に繋がる基盤があの時に出来上がったんだよ」

「知ってるわ。そこで私の両親が亡くなったことも、ついでに『月面戦争』を起こす切っ掛けを提供したのが紫だってこともね」

 

 

 あの頃、地上には力を持て余した妖怪が大勢いた。

 鬼や天狗のみならず、かつて大妖怪として名を馳せていた蟲妖怪を始めとした者たち。群雄割拠という言葉では生温い、まさに一騎当千と言える種族が溢れていたのだ。それがたった一夜にして消えることになると、一体誰が予測出来ただろうか。

 多くを失い、何一つ得るものの無い戦いだった。月では地上の妖怪は全力を出すことも出来ず、彼ら彼女らは殆ど一方的に敗れ去った。これを節目にして、一気に幻想郷は形作られていくことになる。

 

 

「なら、スキマ妖怪がわざと『勝ち目のない』戦いに天狗を含めた妖怪たちを導いたことも知っているかい?」

「‥‥‥邪魔な勢力を削り取るため、月の都を利用したってこと?」

「そうだ、戦い方によっては勝ち目があったかもしれない。それを意図的により多くの犠牲が出るように誘導した。初めから全てはアイツの計画通りだったんだ」

 

 

 青白い妖気が染み込み、端々から魔鎌には凍りついたような霜が広がっていく。『死を遠ざける程度の能力』は物質にさえ有効らしい。この僅かな間に魂を刈り取り死をもたらす刃はチカラを失い、使い物にならなくなっていた。同時に、ぐらりと小町の身体がよろめく。

 

 

「っ、近づいただけでここまで、キツイのかい‥‥」

「‥‥‥お祖父様から延命のチカラを完全に移してもらったからね。今の私は『死』と関わりのあるアンタみたいな存在に対しては毒そのものよ。ちょっと、大丈夫なの?」

「な、何とかね。しかし、コレは天人や仙人どもよりも性質が悪そうだ。修行や仙丹を必要とせず、アンタに頼むだけで単なる人間でさえ私たち死神を遠ざけることが出来るようになる。このチカラを使えば、人里くらい明日にでも支配できるだろうねぇ」

 

 

 風雨や雷、木々や獣などを、時に人は神として『信仰』してきた。そして様々な理由こそあれ、その想いの根底にあるのが『死』への恐怖であることは間違ってはいないだろう。自然現象を畏れ、自然そのものに神々の姿を幻視する。それこそが人々を長く支配してきた信仰の始まりだ、そして白桃橋刑香のチカラはそういった対象と成り得るだろう。

 妖怪の山にいた頃は一部の天狗たちにのみ能力は利用された。追放されてからは人里の人間たちを個別に治療するくらいで、刑香の性格と相まって信仰まで集める形とは成らなかった。だが組織の後押しがあり、天魔から完全にチカラを譲られたなら話は別だ。それこそ人里はすぐにでも天狗の支配に屈してしまうだろう。人間は『死』の恐怖を捨てられない。

 

 

「‥‥‥いや、そんな面倒なことするわけないでしょ。つまらない理由のために霊夢や紫と対立することになるのは御免こうむるわ」

「博麗の巫女はともかく、八雲紫はあんたから両親を奪って巣から突き落とした張本人だ」

「でもアイツのおかげで文やはたてと親友になれた、霊夢たちとも出会えたわ。それに紫は私をどうこうしようと思って月面戦争を起こしたわけじゃないし‥‥って、同じような会話を藍ともしたわね」

「そうかい‥‥‥そう、かい」

 

 

 少女の言葉に偽りは無かった。

 それまで虐げられていた者が大きな力を手に入れる。すると不思議なくらいに復讐へ走った人間がいた、憎悪に囚われた妖怪がいた。それはある意味では当然のことで、生ある限り逃れることの難しい宿命である。だが果てに待ち受けるのは常に自らの破滅と空しい最期、彼らを乗せた舟がいつまでも向こう岸に辿り着けなかったことを小町は未だに覚えている。

 この白い天狗少女に、自分はそんな結末を迎えて欲しくなかった。だからこそ真意を確かめようと急いで駆けつけたのだがどうやら必要無かったらしい。

 生命力に溢れた夏空の瞳は、真っ直ぐにこちらを見つめている。これなら、きっと大丈夫だ。

 

 

「ふふっ、その様子なら心配は要らなさそうだ。あの方もさぞや安心されるだろうねぇ」

「なんで閻魔が安心するのよ」

「さて、何故だろうねぇ。それよりもう一つの用事を済ませるとしようか。あんたと天魔の爺さん宛に『コレ』を預かってきててね‥‥‥そらっ、受け取ってくれ!」

「っ、ちょっと待ちなさ‥‥!?」

 

 

 (ふところ)から取り出した包みを投げ渡す。

 本当はもう少しゆっくり話をしたかったが、仕方ない。流石の自分でも天狗たちに囲まれてしまったら振り切るのは不可能だ、その前にここから(いとま)するとしよう。刑香が何とか包みを受け取ったのを確認してから、小町は軽やかに地面を蹴った。 

 

 

「じゃあね、(しおき)。次に会うのは恐らく十年後ってところだろうが、それまで達者で過ごしなよ。私もあんたの一人目の『名付け親』もあんたの歩みを見守っている。せいぜい悔いなき時間を送っておくれ」

「あっ、ちょっと待っ‥‥‥」

 

 

 返事は聞かなかった。

 瞬きの間に景色は移り変わり、もう視界には深い森しか映っていない。どうやら無事に天狗の里を抜け出せたらしい。一際大きな樹木の下に、荒い呼吸を繰り返しながら小町は腰を下ろした。

 やはりあの少女の傍にいるのは身体が保たないようだ。死神ともあろう者が情けないものだと苦笑する。胸元を探って煙管を取り出すと震える手で火を入れた。ようやく一息付けた気がする。身体はひどく重かったが、精神はこの上ないくらい軽い。汗を拭うこともせずに小町は口元を綻ばせた。

 

 

「貴女が名前を付けた子は立派になりましたよ、四季様」

 

 

 その言葉に応えるように、鏡のような銀色の輝きが一瞬だけ瞬いた。それを見届けてから小町はずるずると背中を木に預けて横になる。少しだけ休んでいくとしよう、今夜はこんなにも月が美しいのだから。

 そう、安心した顔で死神の少女は眠りについた。

 

 

 

 

 

 


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