その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第五十四話︰恋し少女たちのダイアログ

 

 

 詳しくは知らないが、この少女は幻想郷から遠く離れた西方の地からやって来たらしい。

 

 平穏な空を切り裂く稲妻のごとく、草花を引きちぎる嵐のように紅い吸血鬼は現れた。幼い姿をした魔は瞬く間に幻想郷を掻き乱し、人妖を問わず多くの者たちを混迷の渦に叩き込んだ。そして仮初めの平穏に溺れていた妖怪たちに『恐怖されるもの』としての本質を思い出させたという。

 主犯となった者はわずかに四人、たったそれだけの人数でスキマの賢者すら動かしてしまった。にわかには信じられない話だ。ここしばらく八雲紫をそこまで追い込んだ者は、天狗の長老を除いて存在しない。少なくとも薄暗い地底に住まう自分などには、到底真似できそうもないし、真似する気にもならない。本来なら、是が非でもお近づきになりたくない相手である。

 

 

「それで私に何の用でしょうか、紅魔の主?」

 

 

 地底の主は静かに呟く。

 テーブルを挟んで向かい合うのは、いずれも幼い姿をした人ならざる存在。美しい木目のアンティークボードを眼下に収めて、瞬くのは冷めた深紅と輝かしい真紅。似ているようで正反対な色を宿した双眸(そうぼう)は、それぞれが恐ろしいほどの鋭さに満ちていた。しかし問いに対する反応は無く、その代わりに盤上にいた黒のポーンが前進して高らかな音が響く。どうやら答える気はないらしい、サードアイを使ってもチェスの戦術で埋め尽くされている思考しか読み取れない。

 

 ため息を付きつつ、さとりは無表情でゲームの盤上を見渡した。並んでいるのは磨き抜かれた黒と白、艷やかなオニキスで形作られたチェスピースたち。触れた指先から伝わってくる感触は素晴らしく、コレ一つ取っても目の前の少女が持つ財力と家の格式が伺えた。白のポーンを摘み上げて黒の陣地手前まで進ませる。それは自身の駒を捨て石にするかのような配置で、守りを考えない無謀な采配にも見えた。

 だが、レミリアは愉快そうに口元を歪ませる。

 

 

「まさかこの私にキングス・ギャンビットを仕掛けて来るなんてね。チェスに慣れていないくせして大胆不敵、なかなか堂々としているじゃない。私の記憶から使えそうな戦術でも読み取ったの?」

「否定はしません、何せチェスなんて久しく打っていませんでしたので」

 

 

 ここは紅魔館、レミリアの寝室。

 外部の者が入り込んだのなら即座に容赦のない制裁が下されるらしく、紅魔館でも指折りに物騒な場所。何故こんなところにいるのだろうと、地底の少女は頭とサードアイを抱えたくなった。ついさっきまで自分は妖怪の山で会合に出席していたのだ。それなのに『あの老天狗』が会議の一時解散を提案したことで、この厄介な事態は引き起こされた。

 

 

 ーーーふむ、それでは一旦ここらで休息を挟むとしようではないか。各々方、現状を自らの部下たちと話し合う時間も必要であろう。何せ、幻想郷の未来を決めてしまう会合ゆえに慎重に進めねば、な?

 

 

 あの時、天狗の長老はそう語って席を立った。

 確かに八雲藍は自らの主に、レミリアは親友の魔法使いにそれぞれ話を伝えて意見を求める必要もあったかもしれない。なので表面的には老天狗の言ったことは間違ってはいなかった。だが、藍やレミリアが言い出すならともかく天魔からその提案をする理由はない。悪くいえば独裁者で部下との話し合いなど不要で、かといって他の参加者にそこまで気を使う男でもないのだ。藍もレミリアも不気味なものを見る目をしていたのを覚えている。

 唯一、サードアイを持つさとりには天魔の本心が透けて見えていた。しかし、その理由が「孫娘と話をする時間が欲しい」だったので頬を引き攣らせながら黙りを決め込むしかなかったのだ。まあ、それはいいだろう。

 

 

 ーーー会議の再開は三日後なのよね、それなら古明地さとりは紅魔館で預かることにするわ!

 

 

 問題はそれを絶好の機会と判断したレミリアによって自分が山から連れ出されたことだ。吸血鬼の怪力に逆らえるはずもなく、引きずられるように空を飛んで紅魔館の門を潜らされている。

 鮮やかな花々に彩られた庭園に毒気を抜かれたまでは良かった。門番が大切に育てている花壇は『気』を使った農法により外の草花とは比べるべくもなく美しかった。レミリア曰く、幻想郷に来てから屋敷に飾られる花瓶はますます華やかになったらしい。固く閉ざされているはずの入り口だというのに、随分と柔らかな雰囲気があるのは門番の人柄のおかげなのだろう。

 

 

 ーーー何そいつ? 違うわよ、(さとり)妖怪だということは分かってる。そうじゃなくて何で知識を掠め取る妖怪が大図書館にいるのかを聞いてるのよ

 

 ーーーへぇ、レミリアお嬢様がお友達を連れてくるなんて珍しいですね。パチュリー様以外では久しぶりにお目にかかりましたよ

 

 

 次に連れて行かれた大図書館は酷かった。

 引きこもりの魔女から露骨に嫌な顔をされ、その傍に控えていた使い魔からは物珍しそうな視線を向けられる。どうやら了承を取っていなかったらしく、紫色の少女の眼差しはとても冷たい。おまけに、さとりは埃っぽい空気に咳が止まらなかった。

 

 

 ーーー私とさとりはまだ友達じゃないわ、正しくは友達候補ってやつかしら。ああ、もちろんパチェには大親友って地位を用意してあげるから嫉妬しなくても大丈夫よ?

 

 ーーーそれは安心したわ、とってもね

 

 

 にっこりと微笑んだパチュリー。

 だからさっさと出ていけ、そんな抗議の雰囲気が笑顔から漏れ出していた。殺気をさらりと受け流し、レミリアは置いてけぼりにされた自分の手を引いて屋敷の奥へと進んでいく。エントランスを抜け、その奥にある階段を使い上階へと進んだ先にこの部屋はあった。

 

 金糸で装飾された天蓋付きのベッドに、深い焦げ茶色をしたマホガニー製のチェスト。他にもアンティークの家具が数点置いてあり、全体的に落ち着いた気品を漂わせるクラシカルな寝室だった。ベッドの上に備え付けられた巨大な棺桶にさえ目を瞑れば、かなり良い趣味をしていると思う。そんな部屋の中でチェスボードを前にして、二人はゲームに興じている。しかし雰囲気に反して、さとりの心の中は落ち着かない。

 

 

「というか、パルスィも一緒に来たはずなんですが彼女は何処に?」

「アンタに付いてきてたヤツなら、ウチの門番にまかせているわ。この屋敷内にいるから安心しなさい。ちょっとの間だけ、アンタと一対一で話をしたかったから引き離させてもらったの」

「そうですか。なら尚更、私の質問には答えてください。一体どういった理由で私をここに連れ込んだのですか?」

「だから最初から言ってるでしょ」

 

 

 カタリ、と白のビショップが倒れる。

 お互いのサイドテーブルには、すでに討ち取った駒がいくつも並んでいた。さとりの仕掛けた『キングス・ギャンビット』はオープニングからの攻撃に優れた戦術であり、レミリアもそれに乗ってきた。チェスボードの上はさながら激戦地である。

 対戦相手の手のうちを丸裸にするさとりと、何十手先の運命を洞察して流れを絡め取るレミリア。普段なら早々に勝負を決めにかかる両者なのだが、今回だけはお互いに攻めきれない。小手先の読みはあっという間に崩されて吸血鬼の少女には届かず、かといって何十手先に用意したチェックメイトは覚妖怪の少女によって悠々と回避される。

 まるで悪質な迷路にでも入り込んでしまったかのように、二人の少女たちの勝負は混迷を極めていた。

 

 

「はぁ、心を読める相手というのは面倒ね。直前まで思考を反らして、アンタが回避出来ないタイミングで奇襲をかければ何とかなるなんて思ったけど」

「運命を操るというのも厄介ですよ。一つ一つ読み解いていこうとしても、何百と枝分かれした未来の全ては読みきれない」

「この勝負、引き分け(ステイルメイト)でいいかしら?」

「私もそれがいいかと思います」

 

 

 まだ動かせるピースはある、このままプレイヤーを交代したのなら幾らでもゲームを続けられるだろう。しかし少女たちの間では、もうこの勝負はドローと決まっていた。もし続ければお互いの駒がキングのみになるまで泥仕合が続くだろうと、さとりとレミリアは確信したのだ。

 かつて行われたこいしとフランドールの姉論争。どちらの姉が強いのか、凄いのか、はたまた格好いいのかという議論があったが結局のところ勝敗は灰色となってしまった。

 

 

「まさか戦略ゲームで私がここまで苦戦する時が来るとは驚きです」

「私だって思いもしなかったわ」

「……ふ、ふふっ」

「く、くくっ」

 

 

 笑みを浮かべながら少女二人は椅子にもたれ掛かる。

 心地よい疲れだった。おもむろにレミリアが指を鳴らすと、現れたメイド姿の妖精が二組のグラスに真っ赤なワインを注いでいく。じっくりと熟成されたブドウ酒の匂いが空気を甘く歪め、ガラスの器の中で紅い布地のような波がゆらゆらと揺れる。そのうちの一つをこちらへと差し出した。

 

 

「うちのフランがお世話になったわね、おかげであの娘の世界は広がった。本当はアナタの妹にお礼を言うべきなのだろうけど、あいにくと話が通じないから姉の方に感謝を伝えておくわ」

「……それはご丁寧にありがとうございます」

 

 

 警戒しながらグラスへと手を伸ばす。

 触れ合った指は冷たく、小説で読んだとおりに吸血鬼は体温が低いことに少しだけ感動する。そんな自分の姿を映していた紅い月のような瞳に何だか笑われているような気がして視線を外す。そして心を落ち着けるためにもワインを口に含んだ。毒は仕込まれていないらしく、舌の上で転がしてから喉の奥へと流し込む。顔を反らしながらもサードアイで心の水底を覗いていくのは怠らない。しかし、いくら潜ろうとも自分が警戒したような思考は何も読み取れなかった。レミリアには敵意がない。

 

 

「よく分かりませんね。本当に友好関係を結ぶなんて理由のためだけに、貴女は私をここに招き入れたというのですか?」

「最初からそう言ってるでしょ。もちろん友達になりたいってだけじゃないけれど、それでも私がアンタに伝えた言葉に嘘はないわ」

 

 

 そう言ってレミリアは右手を差し出した。

 外界から来て日が浅い紅魔館が、幻想郷の有力者とコネクションを築きたいためというのなら話は分かる。他から孤立した地底のような勢力は、そういった話には好都合だからだ。実際に紅魔館の主にもそういった考えは存在する。

 しかし古明地さとりと仲良くしたいという目的も嘘ではない。それも妹同士が友達なのだから、姉同士も友仲良くするべきだという一方的な理由だ。

 

 

 ーーー友人なんてのは自分がそう思ったら相手がどう考えていようが関係ないもんさ

 

 

 鬼の大将が告げてきた言葉が甦る、なるほど確かにそうなのかもしれない。それに、こいしの繋いでくれた縁なら大事に使わせてもらわないと妹にも悪い。こんな事態なのだし、地上への繋がりは多少持っていた方がいい。そこまで『言い訳』を並べてから、さとりは苦笑しながらレミリアの手を取った。

 

 

「よろしくお願いします、レミリア」

「……うん、よろしくね、さとり」

 

 

 照れたような顔を隠しもせずに、二人の少女たちは握手を交わす。

 それは朝の訪れる数分前のこと。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 死神との邂逅から数刻後。

 闇を払うように陽光は昇り、山際がまばゆく白んでゆく朝ぼらけ。涼やかな空気に冷やされた木の葉は、露の中から透明な雫を拾い上げて輝いていた。死と対極にあるかのような爽やかな陽射し、肌寒くも優しげな春の大気が新しい日の始まりを告げているのだ。ここ天狗の里、天魔の屋敷にも、そんな朝の訪れは当たり前のようにやってきた。

 庭に設置してあった松明はすっかり燃え尽き、たまに吹く風に灰がパラパラと舞い落ちる。一晩中、暗闇を照らし続けた焔は役目を終えて眠りにつき、反対に眠りから覚めるように草花がゆっくりと太陽に向けて背を延ばしていた。注がれる暖かな光に純白の羽根が輝く。

 ぼんやりと縁側に腰掛けて、鴉天狗の少女は物思いに耽っていた。

 

 

「私にとって一人目の名付け親、つまり『刑』の文字をくれた相手が彼岸にいる。……あそこの住人でなんて鬼か死神、もしくはアイツくらいしかいないじゃない」

 

 

 死神の言葉が頭から離れなかった。

 小町が去ってからというもの、告げられた言葉についてずっと考えを巡らせている。おかげで昨夜は一睡もしていないので少しばかり目蓋が重い。しかし何度思考を繰り返したところで、いくら考えたところで辿り着く結論は一つだ。

 

 恐らく死神が告げてきた名付け親とは『あの人物』のことなのだろう。

 

 考えれば考えるほど数奇な巡り合わせだ。命あるものが縁を持つ相手ではなく、死して初めて出会うような存在。幻想郷ではたまに人里へ説教に来ているらしいが、本来ならそういうモノのはずだ。彼岸の住人の中でも特筆ものの怪物だ、鬼や天狗さえあの人物の前では霞んでしまう。

 

 

「まあ、あまり考えても仕方ないわね。いつか嫌でも出会う機会があるのだろうし、詳しくはその時にでも問い詰めましょうか。アイツの言うことには、十年後にまた来るらしいから」

 

 

 清々しい山の空気が庭を彩っていた。

 巣を飛び立っていく鳥たちの声に耳を傾けながら、刑香は気持ち良さそうに身体を風に寄せる。空色の瞳に映るのは春の陽射し、それを座ったまま全身で浴びていると低い体温が少しだけ上がってくるような気がした。ふと、指で輪っかを作ってかざしてみると金色の陽光が指の間から通り抜けてくる。夢の中で見た父の翼のような輝きに少女は知らず知らずのうちに固くなった心を解かしていた。

 

 十年後という言葉が何を意味しているのかは、何となく分かっている。死神に言われるまでもない、自分のことなのだから当たり前だ。こうなると地底で感じていた嫌な予感も外れてはいなかったのだろう。それでも今は、

 

 

「もう少しだけ頑張ってみようかな、って思うのよね」

 

 

 以前の自分なら諦めていた、きっと未練の一つも抱かずに死神の言葉を受け入れていたはずだ。だが今は少しばかり惜しいと感じている。まだやらなければならないことがあるし、一緒にいたい仲間たちがいる。

 縁側に降り立った白いカラスに、刑香は優しげに微笑みかけた。

 

 

「しっかりと修行を頑張っているみたいね。次に会う時が楽しみだわ、霊夢」

 

 

 カァカァと、純白の使い魔が神社の様子を語っていた。その眼差しは主人と同じ空の色、ただし刑香とは違って僅かに紅の混ざった色をしていた。夏よりも紅葉の舞う秋空を思わせる瞳である。そっと指先で羽を撫でてやると、クチバシで甘噛みしてきたので好きなようにさせてやる。

 だがしばらくして廊下の奥から見知った気配が近付いてきたので、手を引っ込めることにした。足音を殺して、息を潜め、妖気すら隠した黒い少女が背後へと忍び寄る。

 

 

「けーいーかっ、おはようございますぅ!」

「アンタお酒臭いわね………ひゃ、ぁあっ!?」

「そう、この控えめな大きさが良いんですっ、あの方はそれが分かってない! 検証のためにもうちょっと、こにょままでお願いしま………本気で痛いっ!?」

「どこ触ってんのよっ、この酩酊(めいてい)ガラス!」

 

 

 わざと気が付かないふりをしてやったところ、背中から覆い被さってきた黒い方の親友。そこまでなら構わなかった。お互いの顔がくっついてしまいような距離まで詰めきて、酒精の匂いを漂わせてきたのも別にいい。しかし両手の所業は見逃せなかった。温泉の時もそうだったが、そもそも文の方が大きいのに触れてくるなんて何の意味があるのか理解できない。なので抗議の意思も乗せて思いっきり肘打ちを叩き込んでやった。小さな呻き声を上げる黒い少女。

 

 

「ちょ、夜通し呑んだ後にコレは洒落になりません!」

「だったら自分のやつにしなさいよ、そっちの方が触り心地も良いでしょうが」

「……小さいのにも需要はあるんですよ?」

「心の底から興味がないわ」

 

 

 急所は外しておいたので、あまり効いていないようだ。

 脱力するふりをして文の身体がもたれ掛かってきた、見たところ着ている装束も昨日のままなので風呂さえ入っていないらしい。まさか独り酒をしたわけでもないだろうから、もう一人の親友あたりでも巻き込んだのだろう。少しだけ羨ましい、自分のことも誘ってくれたら良かったのにと思わないこともない。

 ツンとした様子で白い少女は口を開いた。

 

 

「私が面倒臭いヤツと話をしていた時に、どうやらアンタは酒盛りをしていたらしいわね」

「仕方ないじゃないですか、はたてと一緒にいたところを天魔様から誘われたんです。主に刑香のことについての相談でもあったので、本人を呼ぶ訳にもいかなかったですし」

「……一体何を話してたの?」

 

 

 また厄介事が出てきたのだろうかと不安になる。自分がもう一度、この山で過ごしていくには問題も多いのだ。大天狗のこともそうであるし、スキマ妖怪と繋がりがあったことも、あまり良い方向には働かない。今はまだ情報を集めているであろう対抗勢力はおとなしいが、いずれは何らかの行動を起こしてくるはずだ。そのことについて、天魔から忠告があったのかもしれない。そう考えていた刑香だったが、文は緩んだ表情で話を続ける。

 

 

「はい、とりあえず刑香の幼少期あたりを私が、あとは『三羽鴉』と名乗った頃をはたてが、それぞれ語り明かしました。いやぁ、あんなに愉快そうに部下の話を聴く天魔様は初めて見ましたよ」

「そっか、アンタ達が楽しそうならそれでいいわ」

 

 

 本当に宴会だったらしい。

 刑香には知る由もないが、昨夜まで文も悩みを抱えていた。それは「妹分に嫌われたかもしれない」という本人からすれば心配無用なものだったのだが、文にとっては何より重いもの。はたての助言もあって解消できたのは良かったが、勢いに任せて潰れるまで呑んでしまったのだ。赤い双眸は微睡みの中に浸かっていて、聡明な射命丸文にしては珍しい姿である。しかも『面倒臭いヤツ』と侵入者に関する単語を、わざと刑香が出しても無反応だったのだから相当だ。

 

 

「……けいかぁ」

「ん、どうしたの?」

「今度こそ、ずっと一緒、ですからね」

 

 

 黒い少女から吐息が一つ。

 それっきり反応は無くなり、くたりと身体を預けて文は動かなくなった。規則正しい寝息が髪を揺らしてくるので少しだけくすぐったい。だがそれ以上にくすぐったいのは心の方だったりする。その証拠に白い少女は頬を夕日のように赤く染めていた。

 

 

「今度こそって、……もう千年近くも一緒にいたじゃない。いい加減に私なんか放っておけばいいのに、物好きよねアンタも」

 

 

 どうしてこの友人は自分と一緒にいてくれるのだろう。いくら幼馴染といっても限度があるし、ここまで厄介事を背負った自分の側にいてくれる理由が見当たらない。天魔の孫だと知っていたからではないだろう、文は出世に興味がある天狗ではない。

 雪解けが始まったとはいえまだ冷たい風が吹いた、すると純白の翼が親友を布団代わりに包み込んだ。ふるり、と黒い少女は身体を震わせる。

 

 

「置いて、いないで……キシハ、さま」

「何よ、さっきまでのは私のことじゃなかったの?」

「やくそく、したのに……私ずっと、まってた、のに」

「…………誰かは知らないけど、文からここまで求められるなんて幸せものね。でもね、ずっと一緒にはいられないわよ。きっとこの世界ってそういうふうに出来てるのだろうから、それが誰であってもね」

 

 

 空色の瞳は曇りなく、

 告げられる言葉には偽りなく、

 死を遠ざける少女は残酷であろう事実を口にする。

 我儘を言う子供を叱るような響きがそこにはあった。

 閉じられた赤い眼から流れ落ちる一筋の雫、夢見の戯言はたちまち風に紛れて消えていく。そして「ごめんね」と白い少女は親友の頬を伝う涙を拭いつつ、謝罪の言葉を紡ぎ出す。

 

 

「キシハって天狗の代わりにはなれないけど、たまには甘えさせてあげるわよ。……お姉ちゃん、なんてね」

 

 

 白桃橋圻羽との思い出は黒い少女の胸深く。それでも二人の在り方は『姉妹』のように見えた。それは初めからそうであったかのように自然なもののようだった。すると主人に構ってもらえず、白いカラスが不満そうな鳴き声を上げる。そんな使い魔を宥(なだ)めながら、とても穏やかな朝に刑香は苦笑した。

 

 

「さて、どうしようかな?」

 

 

 それこそ手鞠歌を口ずさんでしまうくらい楽しげに、恋をするかのように白い少女は幻想郷の空へと想いを馳せる。

 

 


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