その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第五十六話:月に八雲、花には天狗風

 

 

 天狗でさえ辿り着けぬとされる空の果て、死神ですら届かぬ地の果てにスキマの賢者の住まう屋敷は存在するという。

 世界の境目に建つとされ、泡沫(ほうまつ)の夢が揺らめき続ける。外界から切り取られ、主人から許された者以外が辿り着くことはないという桃源の園にも似た場所。

 所在が完全に秘匿(ひとく)されることにより、その一帯は極めて安全な場所と化していた。天狗のような大勢による警備は必要なく、ただ『外敵に知られない』ということが何よりも堅固な守りとなる。それは自然界において最も理想的で原始的であろうカタチ、その無駄のない在り方は訪れる者に美しさすら感じさせるはずだ。

 そんな屋敷に今、一人の少女が投げ出されていた。

 

 

「ーーーふぎゃっ!?」

 

 

 尻尾を踏まれた子猫のような悲鳴。

 異物を吐き出すようにスキマから放り出され、蓮子は嫌というほど床に背中から打ちつけられていた。その痛みで可愛らしい声を上げた後、腰のあたりを押さえてうずくまる。幻想郷に来てから自分ばかりが痛い目を見ている気がすると、怪我らしい怪我をしていない親友の顔を思い浮かべながら少女はじんわりと涙を滲ませる。

 

 

「う、ぐぐっ、空飛ぶ人喰い少女から始まって、今回はコレかぁ。幻想郷は、私か私のご先祖様に恨みでも、あるのかしらね」

 

 

 周囲の景色は分かりやすいくらいに一変していた。

 神社とは打って変わって、蓮子がいるのはどこかの室内。柔らかな暗闇の広がる(たたみ)部屋であった。とりあえず手足が付いていることを確かめてから、ほっと溜め息をつく。幻想郷に来た時点で瞬間移動は経験済みなのだが、やはり身体の一部が置き去りにされていないかは気になってしまう。ようやく腰から痛みが引いてきたので、よろけながらも蓮子は立ち上がる。

 

 

「……あの橙っていう猫を追いかけて飛び込んだ先が、まさか想像通りに別空間と繋がっているなんてね。前回は実感が無かったけど、今回はばっちりと体験したわ。かつて、キップ・ソーンが描いたワームホールは地上に存在していたのよ」

 

 

 思い出したのは興味本位で読んだ学術書。

 この原理をまとめて学会にでも発表すれば、間違いなく表彰物だろう。空飛ぶ妖怪がいた時点で科学も何もあったものでは無いのだが、それでも往年(おうねん)の学者たちが追い求めていた答えの一つがここにある。ムズムズとした感覚が胸から湧き上がってくるのを抑えきれず、ポケットから時計を探す。今の時刻だけでも書き留めておかなければ落ち着かないというものである。ひょっとしなくても、人類として極めて貴重な体験が出来たのだから。

 随分と立ち直りか早い自覚はあるのだが、それが相方と比べての自分の長所なのだから仕方ない。

 

 

「って、さっきの拍子に落としたのかな?」

 

 

 しかしお気に入りの懐中時計は見当たらなかった。

 直前までは手元にあったので、あの空間に飛び込んだ衝撃で落としてしまったのだろう。我ながら後先を考えない突撃だったのだから、これくらいは当然かもしれない。ひとまず時間を確かめるのは諦めた方が良さそうだ。柔らかなインクの匂いが鼻先を掠めるのを感じながら部屋を見回していく。

 家具といえるものはちゃぶ台が一つだけ、そこに乗せられているのも古めかしい硯箱(すずりばこ)や新聞くらいのモノ。何とも質素な部屋で、少なくとも誰かが生活しているような痕跡は感じられない。恐らくは書斎か何かなのだろう、とりあえず置かれていた新聞を手に取ってみる。

 

 

「『四季桃月報』か、確か神社にも何部か置いてあったわね。わりと幻想郷ではポピュラーな新聞なのかしら。それとも購読者と巡り合う偶然が続いているだけなのか……まあ、いずれにしろ決めつけるのは早計ね」

 

 

 これは霊夢も愛読しているタイトルだ。

 幻想郷の自然を取り上げた月刊誌で、ゴシップ紙ようなインパクトはないが鮮やかな四季の記事が特徴の新聞。神社においてあったモノには全て目を通してきたので、蓮子もそれなりに詳しく知っている。幻想郷において情報を伝える主な手段の一つであるのなら、読んでおいて損はないと思ったからだ。時として情報は何よりも強力な武器となり、知識は身を守る盾となる。まして見知らぬ土地にいるのなら、言わずもがなであった。

 高鳴る心臓と高揚していく心、今はともかく謎の空間に入り込めたことを祝うとしよう。新聞を元の位置に戻し、帽子を軽く押さえて蓮子はニヤリと笑う。

 

 

「私が見間違えるはずがないわ、アレはメリーの能力で現れる空間の裂け目と同じだったもの。絶対に手がかりを見つけてやるわ。秘封倶楽部が一員、この宇佐見蓮子がね」

 

 

 勢いよく部屋の襖を開け放つ。

 目の前に現れた廊下はどこまでも続いているように見える底知れなさがあった。灯りが無いために先は見えず、冷たい床の感触が靴下を包み込む。その様子に一抹の不安を感じてしまいそうになる。だがそれ以上の好奇心を胸に一歩を踏み出すことにした。

 残された新聞の表紙に書かれた執筆者の名前、白桃橋刑香。その本人がまさにこの時、秘封倶楽部のもう一人の少女と出会っているとは思いもしないままに。

 

 

◇◇◇

 

 

 それは客寄せの声が賑やかに響く人里の昼下がり。

 大通りでは今日も今日とて、仕事も程々に立ち寄る人間たちで溢れていた。晴れ晴れとした空が広がり、今日も今日とて商売日和。多くの店が軒を連ねる一本通りには溢れんばかりのモノが集められていた。ここで手に入らぬモノは無いと人里の権力者たちが口を揃えて言うほどの品揃え。頼もしく景気の良い言葉であると人々は笑う。しかし、それはつまりここに無いモノは人里の何処に行こうと入手できないという皮肉であることを彼らは知る由もない。

 人ならざる者が主導権を握る幻想郷、普通の人間たちが手に入られるモノというのは限られているのだ。どれほど賑やかであろうと栄えていようと、全ては賢者たちの手の平の上。妖怪と親しい者たちは栄え、そうでない者は『普通』に時を過ごしていく。生きるために必要なモノは揃うのだ、明日も明後日も普通の暮らしを送っていくことに何も問題はないのだから。

 

 

「アイツ、私がちょっと目を離した隙に何処へ行ったんだよ?」

 

 

 思えば自分が魔道を志したのは、そんな日常が気に食わなかったからなのかもしれない。魔法の箒に跨り、ハチミツ色をした髪を風にあずけて魔理沙は人里を見下ろしていた。普段はこんな誰かに見られる可能性のあるところを飛んだりはしない。万が一にも目撃されて父に告げ口されてしまえば拳骨モノなのだ。兄として慕っていた男性が独立した今、あの店に自分を庇ってくれる存在はいないのだから。

 

 

「よっと、こうして太陽を背にしておけばそう簡単にバレることもないだろ。あとはコイツでさっさとメリーを見つけてやらないとな」

 

 

 だが今は人探しの真っ最中、地上をノコノコ歩いて探すよりはこっちの方が早い。白黒の魔女服をはためかせ取り出した大きな二つの筒をくっつけたような道具。それは光の屈折を利用し、遠くの景色を大きく映すというカラクリ。つまるところは双眼鏡であった。

 玄武の沢で手に入れた品で、昼寝中の河童の荷物から拝借したモノだ。そのことを話すと霊夢からは冷めた眼差しで泥棒扱いされたが、『奪った』のではなく『死ぬまで借りた』のだから悪くはないと魔理沙は開き直っている。

 

 

「霊夢のやつ、刑香や藍が来なくなってから雰囲気が変わったよなぁ。ちょっと前まで私と同じくらいだったのに、今月か来月には巫女を正式に襲名するっていうし……私も、そろそろ決断しないと」

 

 

 自由でいられる時間というのは短い。

 特に自分の場合はそこそこ裕福な家に生まれたが故に、許婚やら家督やらが押し付けられる日はそう遠くない。そうして少しずつ背中が重くなり、やがては空を飛ぶことも出来なくなるのだろう。父には悪いが、その未来を霧雨魔理沙は受け入れるつもりはない。出会ってから、いつも自分の視界には紅白の少女がいるのだから。

 今回だって、間接的には霊夢のためにここまで来ていたりする。

 

 

「……メリーが所持品を換金したいなんて頼んでくるから、私が霊夢の代わりに人里まで案内したのにさ。まさか置いていかれるとは思わなかった。アイツを一人にしたなんて、霊夢に知られたら怒られそうだぜ」

 

 

 ひとまずの活動資金を得たい二人組。

 しかし部外者である少女たちが人里で雇ってもらえるわけもなく、かといって恩人である霊夢から借りるというのも無理な話。なので結論として、あの二人は外の世界から持ち込んだ私物を売ることに決めたらしい。

 本やノート、万年筆やハンカチは思ったより上質な品だったようでメリーはそれなりの金額を受け取っていた。しばらく生活する分には問題ないだろう。

 ここまで連れてきた見返りとして、魔理沙としてはそのお金で甘味をご馳走してもらおうと考えていた。それなのに迷子になられるとは計画が台無しである。

 

 

「まあ、そんな遠くには行ってないだろうし気長に探そうかな。まさか建物の中にいることも無いだろうし、そのうち見つかるだろ」

 

 

 円を描くように幼い魔法使いは箒を走らせる。

 とりあえず人里にいるなら大丈夫だろうと、双眼鏡の使い心地を確かめるように覗き込む。大きな文字で「にとり」と書かれた胴体、その隣にある歯車を回して視界を調節していく。誰も彼もが同じように店に立ち寄り、そして買い物を済ませていく様子ばかりが映る。もし流れに身を任せて成長したら、自分もこんな風に生きていくのだろうか。穏やかで代わり映えのしない日々、それはそれでどんな未来となるのだろう。しばらくして心地良い春風に少しだけ眠気を感じて、魔理沙はのんびりと欠伸を漏らしていた。

 

 

 

 

 

 

「ーーーー貴様、八雲と名乗ったか?」

 

 

 これまでの人生で選択肢を誤ったことはある。

 近道しようとした道が工事中だったり、言葉が足りなかったばかりに友人を傷つけてしまったこと。詳しく覚えてはいないが、中には取り返しの付かないモノもあったはずだ。

 過去をやり直したいと考えたことも一度や二度ではないだろう。しかし時間を逆行させる術は無く、選んでしまった過程と結果は変えられない。それは現実において当然のことであるし、仕方のないことだと思っていた。

 しかし今だけは、この瞬間だけは数秒前の自分に戻りたいとマエリベリー・ハーンは切実に願ってしまう。

 

 

「ワシの前で『その名』を口にしたということは、そういうことであろうよ。誠に貴様らはワシの心休まる時間というものを、片っ端から踏みにじるのを好むと見える。実に、実に、不愉快なことよな」

 

 

 迂闊だったとは思う。

 案内役だった少女と離れ離れになった矢先、自分が感じたのは結界の気配。それに引き寄せられるように足を進ませて、気がつけばこの店に辿り着いていた。

 そして生きているかのように熱く脈動する結界に心を奪われ、どうやったかは分からないが通り抜けてしまったのだ。更には『身に覚えのあるお守り』を持っていたということで、その先にいた二人へと考えもなしに声を掛けてしまった。普段の自分からは考えられないほどの選択ミスだ。

 こちらを憤怒の煮えたぎる眼で突き刺す古老の男、その鋭利な眼差しに身体の震えが止まらない。

 

 

「ぁぁ……く……ぅ、ぁ?」

「どうした、黙っているばかりでは話が進まぬだろう。八雲メリーと言ったか、小娘。貴様の主人から言伝があるなら早く口にせよ。何らかの命令を請け負っておるなら実行に移すと良い。無論、それをワシが見逃してやるとは限らぬがな」

 

 

 濃密な死の気配と重苦しい妖気はルーミアの比ではない。目線一つ、呼吸一つで人間の命など吹き消してしまうであろう気配に老人は充ち満ちていた。愚か者を裁かんとする旧き神のごとく、目の前の男が発する妖気はあまりにも絶大だった。指先から心臓にまで容赦なく染み込んでくる冷たい何かが痺れるような悪寒と共に肺を凍らせ、霧に覆われるごとく視界が光を奪われていく。

 

 きっとコレは錯覚なのだろう、それでも呼吸さえ上手くできない。

 

 今まで出会ってきた妖怪たちが赤子と思えてしまうほどの絶対的な格の差。こんなものに普通の人間が耐え切れるはずもない。とっぷりと夜が暮れたかのように五感を断ち切られ、半ば諦めるようにしてメリーは意識の薄れた身体を手放した。ゆっくりと傾いていく身体に覆い被さるのは暗い海に沈むような死の気配、足掻くことも出来ずに呼吸は完全に止まる。

 

 

「ーーーやりすぎよ、お祖父様」

 

 

 そんな自分を誰かが受け止めてくれた。

 そして青白い光がよぎったかと思うと、その瞬間から身体の感覚がわずかに戻ってくるのを感じた。全身から伝わってくる温かな熱によって意識をゆっくりと引き上げられていく。

 

 

「か、はっ……けほっ、げほげほっ!!?」

 

 

 咳き込んでは苦しげに呼吸を繰り返す。

 満たしていた重々しい空気を吐き出して、肺が新しい酸素を取り込んでいく。もう少しで窒息していたかもしれない、目から零れ落ちる涙を拭う気力は残っていなかった。震える腕でメリーは誰かに縋り付く。

 無理もない話だ、これまで安全な世界で生きてきた人の子が『神仏』の怒りに真正面から晒されたのだ。人々を虐げる悪龍を喰らい、魔を払うとされる勇猛なる迦楼羅王(かるらおう)。その神威は衰えこそすれ、単なる人間が相対するにはあまりにも強大過ぎた。少女の頬から絶え間なく涙が滴り落ちていく。

 

 

「はっ、はっ……はぁ…っ」

「それでいいわ、今のアンタは大きな妖気を吸い込んで全身が硬直してるのよ。少しだけ手伝ってあげるから落ち着いて、ゆっくりと息を吐きなさい。大丈夫、私がこうしている限り『死』に囚われる心配なんていらないから」

 

 

 脱力した身体を預けたままで、言われた通りに深呼吸をする。それこそ肺が破れるのを恐れるかのように慎重に、そうしていると少しずつ正常な感覚が戻ってくる。凍りついていた思考は氷解し、全身に重々しく絡みついていた何かが遠ざかっていくのを感じる。たっぷりと数十秒を過ぎると、ようやく心が落ち着いてきたのを自覚する。そしてそれを皮切りにしてメリーはギクリと鼓動を跳ね上げた。『どんな相手』にしがみついているのかを思い出したのだ。

 倒れ込んだところを受け止められたので、立ち位置はちょうど正面同士。そしてお互いに相手の背中へと腕を回している、つまり抱きつくような形で自分は身体を接しているのだ。そこから少女らしい柔らかな感触が伝わってくる。

 

 

「ん、そろそろ大丈夫そうね。ほんの少しだけ私のチカラを注いでおいたから、しばらくは違和感があるかもしれないわ。害はないから安心しなさいな」

 

 

 あまりにも近いところにあった白い少女の碧眼。どこか儚げな純白の外見とは真逆で、力強さを見る者に与える輝かしい夏空の色。まるで意図的に神様がその部分だけパーツを間違えたようで、ミスマッチのはずなのにコントラストがとても美しかった。ドクンと心臓が強く脈を打ったのを感じる。

 

 

「あ、わわっ、ごめんなさい!」

「別に謝る必要はないんだけど……」

 

 

 その眼差しに見つめられて、弾けるようにして距離を取った。まだ身体に残る少女の温もりに今度は別の原因で心臓が高なっていくのが分かる。吊り橋効果というものが心理学には存在するが、きっとそうに違いない。以前に蓮子からも何度か感じさせられたことがあるのだから。

 そんな自分の感情など何処吹く風とばかりに、こちらへ背を向けて白い少女は老いた男と向かい合う。

 

 

「まだ正体のはっきりしない相手にやりすぎよ、お祖父様。あのままだと本当に命を落としていたわ。八雲だと言っただけで、ここまでする必要はないんじゃないの?」

「この幻想郷において『八雲』を名乗る者は、八雲紫とその式神以外に存在せぬ。妖怪はおろか人間もまた一人残らず、その名が持つ重みを知っているのだ。まさか、その小娘が意図せずして八雲の姓を口にしたわけでもあるまいよ」

「この子からは妖気を感じないわ、いくらなんでも名乗っただけで八雲の式神なんていう予測は乱暴なんじゃないかしら。まあ、周囲にあった結界を越えてきたわけだから警戒するのは当然か……そのあたりのカラクリを聞かせてもらっても良い?」

 

 

 白い少女の視線がメリーへと向けられる。やはり問題は自分が「八雲」と名乗ってしまったことと、結界を通り抜けてしまったことに起因しているらしい。後者の方は不味いことをしてしまったという自覚もあるのだが、前者の方は身に覚えが無さすぎる。たまたま考えついた偽名が、幻想郷においては特別な意味を持つ家名だった。そんなものは予想のしようがない、傍迷惑な偶然もあるものだとメリーは心の中で深いため息をつく。

 

 

「……先日、私は外の世界から幻想郷に跳ばされてきました。今は友人と共に博麗神社でお世話になっている身ですが、此度は用事があり人里にまで降りてきました。結界を抜けた方法については、自分でも分かりません」

「ワシの術式を無力化させておいて『分からぬ』とはどういう腹づもりだ、そのような言葉を信用できると思うて……」

「私は信じるわ、とりあえず最低限は信頼できるだけの理由もあるからね。だからこの場は矛先を収めてもらっていいかしら、お祖父様」

「……あとで理由を聞かせてもらうぞ」

 

 

 渋々と怒りを収める天魔。

 意外とあっさりと認められたことに頭を傾げそうになっているメリーは知る由もないが、刑香だけはメリーのことを最初から把握していた。この数日、たびたび博麗神社に『白いカラス』の使い魔を飛ばしていたのだ。神社で過ごしているメリーと蓮子のことも知っていて当たり前である。元々は霊夢の様子を見守るためだったが、思わぬところで線が繋がるものだと刑香は思う。

 

 

「それでも、このまま帰してあげることは出来ないわ。紫ほどではないにしろ、お祖父様の強力な結界を通り抜けてきた人間を見逃すなんて流石にあり得ない」

「っ、やっぱり貴方たちは妖怪なんですね」

「別に取って喰おうって訳じゃないわ。ただもう少しだけお話に付き合って欲しいだけよ。だから奥へどうぞ、歓迎するわ。遠く幻想郷の外からお越しの稀人(まれびと)さん?」

 

 

 自分から離れておきながら虫の良い話だと思う。それでもやはり放ってはおけない。結界を破るかもしれない能力を持つ人間を無視するわけにはいかないのだ。幻想郷のためでもある、自分のためでもある、だが何よりもあの少女を傷つける可能性がある故に。そこまで考えてから白い少女は苦笑する。過保護だと分かっていてもこればかりはどうしようもないのだ。

 

 

 やはり白桃橋刑香は、これからも博麗霊夢の味方でいたいのだから。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「まったく、気になって覗いてみれば随分な状況ね。人里で天狗の長と出くわすなんて、何百年生きていてもあることでは無いというのに、あの老天狗も随分と甘くなってしまった」

 

 

 千年近くも対立してきた憎き敵同士。

 ひたすらにお互いを敵視し、時には和解した裏で相手の寝首を掻く機会を伺い続けた自分たち。お互いの出方も考え方も企みも、すっかり押さえてしまったと思っていた。きっとそれは過信ではなく事実だったはずだ。

 

 しかし、あの老天狗はこうして人里に降りてきた。人間の住処を自らが訪れるなど、以前の天魔なら絶対にありえないことである。そしてその原因は考えるまでもないだろう。スキマに映り込む白い少女へと、八雲紫は一抹の寂しさを込めて微笑んだ。

 

 

「ーーーさて、あちらは刑香に任せるとして、こちらはどう扱ったものかしら?」

 

 

 しなやかな指先が虚空を裂く。

 新しく開かれたスキマには、襖や障子を豪快に開け放っていく黒髪の少女の姿があった。

 

 


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