その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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初の主人公不在の回となります。
そして、カリスマを誇るあのお方が登場いたします。


第1章『吸血鬼異変』
第五話:遠き西方の地より


 

 

 幻想郷から遠く離れた西洋の地。

 その地の何処かに広がる鬱蒼とした森を抜けた先に、幽玄と佇む紅い屋敷があった。外壁も屋根も全てが真紅に塗られた館。長い長い年月を重ねながらも決して朽ちぬ気品のある外観は、ここに住む長命なる者たちの存在そのものを体現しているようだった。

 

 ミルクを溢したかのように深い霧が立ち込める門を潜れば、鮮やかな花々に彩られた庭園が来訪者を迎え入れる。屋敷の主に用がある者は、そのまま館に入りエントランスを抜け、その奥にある階段を使い上階へと上がればいい。そこに屋敷の主の部屋がある。もし特に用がなく、ここを訪れたのならば屋敷に併設された『大図書館』へと足を運ぶのが良い。あらゆる時代、洋の東西、学問の種類に拘らずに集められた本たちが来館者を歓迎する。無限とも思える書籍たちは迷える者に生き方を変える切っ掛けの一つや二つは示してくれるはずだ。そこはまさに知識を求める者にとっての楽園だ。

 

 ただし図書館に辿り着けるかは、この屋敷の主が快く来訪者を迎え入れてくれるかどうかに懸かっている。そして、そんな奇跡はこの百年で一度も起こっていない。ここに迷い込んだ人間は血を抜かれ、妖怪は肉を裂かれ、屋敷の裏手にある共同墓地に葬られている。そこに例外はない。

 森に囲まれ霧に隠された紅い屋敷は外への拒絶に満ちていた。まるで屋敷の中にある何かを護るように、或いは何かを外に出さないように。

 

 

 

 

「首尾はどうかしら、パチェ?」

「まあまあよ」

 

 

 無限に近い数の蔵書が納められた大図書館。

 夜間ということもあり、屋敷の外と変わらない暗闇に満たされた室内。入り口から覗いただけでは一切の光が見えない。ここの地図を頭に入れている者でなければ、きっと迷子になってしまうだろう。そんな迷宮の中心、天井付近まで伸ばされた巨大な本棚に囲まれながらもある程度のスペースを保った隠れ家のような空間があった。そこで灯るのは小さな薄明るいランプ。まるで蛍のように仄かな光は、そこに置かれたテーブルと座る二人の少女を優しく照らしていた。そして二人の少女は紅茶とお茶菓子を囲んで何やら話し込んでいる。

 

 一人目の少女は、紫と薄紫の縦軸が入った寝間着のようなゆったりとした服を身につけた魔法使い。この図書館の主パチュリー・ノーリッジ。彼女は親友でもある屋敷の主から請け負った依頼の進み具合を本人に報告していた。連日に及ぶ作業によりパチュリーの顔は何処か疲れていたが、反して口調は楽しそうに弾んでいる。

 

 

「屋敷の転送準備、もうじき完成するわ。あとは機を伺うだけでいつでも跳ばせる。………ふふっ、こんな大魔術を使うのは本当に久しぶり。柄にもなく興奮させてもらったわ」

「ご苦労、パチェ。これで全ての準備は整った。いよいよ私たちの運命が動き出す、これでやっと『あの娘』の運命を変えられる」

 

 

 パチュリーからの報告を聞き、満足気に頷いたのは二人目の少女。

 青みがかった銀髪に深紅の瞳。ピンク色のナイトキャップと、同じくピンク色のふっくらしたワンピース調の服を身につけた十歳前後の幼い女の子。その背中からは黒い羽が生えている。刑香たち鴉天狗のような鳥類の羽ではなく、コウモリのような皮膜の張られた悪魔羽。そんな少女は会話のたびにキラリと光る牙を口から覗かせる。恐ろしげに尖った犬歯は獲物の首筋に突き立て血液を吸い出すことに適した形をしている。

 

 この屋敷、紅魔館の主レミリアは『吸血鬼』だった。恐ろしき伝説を持つ魔族の幼子は優雅に紅茶を傾ける。吸血鬼だからといって血液ばかりを口にしているわけではない。むしろ美食家たるレミリアは人間の血肉以外で好むモノが多くある、この紅茶もその一つだ。ティーカップから広がるベルガモットの落ち着いた香りがレミリアの鼻をくすぐる。少しばかり癖のある芳香も慣れた者からは心地よい。実に良い茶葉だ、レミリアは満足げに微笑む。しかしそれを楽しみながらもレミリアの真っ赤な瞳に映るのは、ここにはいない妹の存在だった。

 

 これからレミリアは己のため、そして妹のために一世一代の賭けに挑むのだ。失敗は許されない。その意気込む身体に宿るのは吸血鬼らしからぬ『熱』であった。今のレミリアからは、親友であるパチュリーすら思わず圧倒される濃密な気配を感じられた。ゆらゆらとランプの灯が揺れる。最初は乗り気でなかったパチュリーが紅魔館を幻想郷へ移転させるというレミリアの計画に賛同したのも、この気配に押されてのことだ。それは、この数百年久しく感じさせなかったレミリアの圧倒的な魔性の力。それは強大な妖怪、或いは悪魔にのみ許された力。自分と相対する対象を平伏させ従わせる『カリスマ』と呼ばれるものだった。パチュリーは自分に向けられたわけでもないソレに思わず身震いした。これが吸血鬼、これが自分の親友たるレミリアなのだと。

 

 齢五百というレミリアは、魑魅魍魎の世界では若輩者と侮られる程度の時間を生きた存在に過ぎない。しかし彼女の纏う威厳は、その身に宿る魔力は、その絶対的ともいえる能力は、遥か千年を越えて生きる大妖怪のソレと同格だった。平穏と安定を築き上げて百年近くが経過した今の幻想郷にこれ程若く、力に溢れた妖怪が果たして何人いるだろうか。レミリアの瞳が揺れる、その色は絵画に描かれる悪魔のごとき深く鮮やかな紅色。それは野望を秘めた瞳だった。

 

 

 この少女こそ幼き夜の王。

 かつて深淵の闇に君臨し、西洋世界を血に染め上げた誇り高き魔族。その生き残りにして正当なる末裔、スカーレット家の現当主。『永遠に紅い幼き月』の異名を取る吸血鬼、レミリア・スカーレット。この西方に広がる魔族界において彼女の名前を知らぬ者はいない。もしそんな輩がいたとするなら、東方からの流れ者かパチュリーのような図書館に年中引きこもっている変わり者くらいだろう。

 

 パチュリーは術式の描かれた魔導書を閉じ、眠そうな目を擦りながらレミリアが用意してくれた紅茶へと手を伸ばす。魔法使いに飲食は不要だが、何か胃に入れておかないと倒れそうだ。連日に渡って続いた転移魔法陣の作成は持病持ちのパチュリーには堪えたようだった。

 

 

「ゴホゴホッ、貴女の突然の決断は今に始まったことじゃないけど、今回ばかりは疲れたわ。まさか屋敷を丸ごと東方にある幻想郷に跳ばす準備をしろ、なんてね。面白そうだから協力したけど」

「ふふ、パチェには感謝しているわ。パチェがいなければこんな計画は実行できなかった。そして『流れ』を変えるには大きな変化が必要なの。特に今回は四百年以上も停滞している『あの娘』の運命を動かさなければならない、だから多少の無茶は必要不可欠なのよ」

 

 

 優雅に紅茶を傾けつつ語るレミリアにパチュリーは呆れたような表情を向けた。

 

 

「本当にレミィはフランに甘いわね。あなたでさえ、この間の満月の夜に暴走したあの娘のせいでバラバラにされたのよ? あの時は私や美鈴だって殺されかけた。正直なところ、あの娘は壊れてる。他でもない自分自身の能力に心を壊されてる、もう手遅れかもしれない。それでもあの娘の『運命』を幻想郷は変えられるとレミィは言うの?」

「ああ、その通りよ。私の『能力』がそう告げている。大丈夫、例え一筋の光明でも荊の道だってフランのためなら乗り越えてみせるわ。たった一人の血の繋がった家族なんだから」

「………まあ、私や美鈴は結局のところレミィに付いていくしかないんだけどね。この辺りにはこれ以上魔導を研鑽できるだけの希望はないし、むしろ幻想郷入りは私には都合が良かったかもしれないわ」

「私もフランのことを抜きにしたとしても、こんな場所はもう御免よ。私たちが幻想郷に引き寄せられるのは遅かれ早かれ、必ず訪れる運命だった」

 

 

 この館を囲む深い森を抜けた先、幾つかの山を越えた先には人間たちの大きな街が広がっている。年中を通して電灯の明かりが絶やされない大都会。闇に生きる吸血鬼の居場所はそこにない。文明に追いやられ、お伽噺として葬られた哀れな魔族はもはや童話や映画の中の悪者程度の存在でしかない。吸血鬼の象徴であった赤い月でさえ、この百年余りは自分たちを照らしていないようにレミリアは感じていた。

 ここでは駄目だ、このまま過ごしていては自分たちはいずれ消え去ってしまう。それに伴って不安定さを増した妹は自分自身を完全に壊してしまうだろう。レミリア自身と護るべき妹がやがて陥るであろう滅びの運命を、『死』の運命を塗り変えるような変化を求めてレミリアは紅魔館の幻想郷入りを決めたのだ。

 

 そしてパチュリーとしても幻想郷入りは大歓迎だ。『魔術』が『科学』に駆逐された時代、『闇』が『光』に埋め尽くされた時代。そのどちらにもパチュリーが求める魔導の答えは存在しない。なら、まだ見ぬ世界に希望を託した方がいくらか建設的だと思うのだ。

 

 

「ところで私は屋敷が転移した後も図書館に閉じこもっていていいの?」

「それは別に構わないわ。ネズミ、いや狐と白いカラスが図書館に侵入した際には戦ってもらうけどね、それ以外の侵入者は美鈴が追い返すから問題ないわ………というより、もう少しパチェは緊張してくれると思ったんだけど? これから私たちは東方の妖怪どもの楽園へ乗り込むのよ。少しくらい、いつもの冷静な表情を崩してくれてもいいじゃない。むー、つまらないわ」

「なに? レミィは私の動揺する顔を見たかったの? それこそ今更よ。言ったでしょう、貴女の我儘には慣れてるもの。例え月まで旅行に行きたいと言い出しても、今なら驚かない自信があるわ」

 

 

 いつもと変わらず余裕を感じられるパチュリー、それをもう一度確認したレミリアは笑う。それがパチュリーからレミリアに向けられた信頼によるものだと理解した上で、レミリアは良い友を持ったと自らの運命に感謝した。

 ふと、目をやった窓からは、いつもより明るい月の光が差し込んでいた。まるで自分たちを祝福するような満月の光にレミリアは苦笑する。何を今更、と。レミリアはそんな月へと愉快そうに愛おしそうに、期待に満ちた瞳で手を伸ばす。私たちの決断が吉と出るか凶と出るか、せいぜい夜空で見守っていろ、と心の中で悪態をつきながら。

 

 

「さあ、幻想郷の住人よ。我が運命のために踊ってもらうぞ。私たちが遥かなる未来を手にするための糧となるか、それとも私たちを滅ぼす十字架となるか試してやろう。愚かしい人間ども、そして牙を抜かれた哀れなる妖怪たちよ、私たちをせいぜい楽しませてくれ」

 

 

 紅魔館の主、レミリア・スカーレットは動き出す。

 十歳前後の少女に見える幼き容貌。それは名匠が丹精込めて拵えたビスク・ドールのごとく極めて繊細で可愛らしい。されどその身から発せられる魔性とも言うべき魔力は、凡庸な人間相手なら言葉を交わすだけで失神させてしまう程に強大だ。『運命を操る程度の能力』を持つ吸血鬼の少女は誰もが見惚れるような魅惑的な笑みを浮かべ、向かい合う大魔法使いへと仕上げの命令を下した。

 

 

「さて幻想郷に乗り込むとしようか、頼れる魔女殿」

「全て了解したわ、厄介な吸血鬼様」

 

 

 

 それから数日後の幻想郷、とある湖の畔に深紅の館が出現した。突如として結界を乗り越えて現れた新たな勢力、外からの侵入者を許した幻想郷は長年に渡り続いた安寧が根底から揺るがされることになる。まるで暴風に晒された湖面のごとく、妖怪たち最後の楽園は吸血鬼たちに翻弄されることになる。

 

 

 スカーレット・デビルの名と共に語り継がれ、幻想郷の歴史に深く刻まれることとなる『吸血鬼異変』はこうして始まりの時を迎えた。

 

 

 


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