その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第五十七話:秘封ノ奇縁譚

 

 

 どこまでも続く終わりの見えない回廊。

 響く足音はたちまちに暗闇へと吸い込まれ、視界は塗り潰されたかのように暗い。向かう方角は定まらず、次第に進んだ距離さえ曖昧となっていく。歩けば歩くほど、走れば走るほど自分が何処にいるのか分からなくなる。大して入り組んでいるわけでもないのに、建物内部はまるで迷路のような異様な雰囲気を纏っていた。

 

 

「とうなってんのよ、この屋敷の構造はぁーー!?」

 

 

 走りながら声を張り上げる蓮子。

 最初は鬼が出るか蛇が出るか、それとも神か天狗でも顔を出すのかと半ば期待しながら探索を始めた。しかし何かと出くわすことは無く、それどころか一緒に屋敷へと来たはずの黒猫の行方すら掴めない。自分以外の動く気配がしない空間というモノは予想を越えて不気味だった。

 そもそも自分が神社から何処に跳ばされて来たかも分からない。まさか室内に繋がっているとは予想しなかった見通しの甘さが原因だ。月か星が見えていれば位置を『測る』ことも出来る、そんな自分の『能力』を過信しすぎてしまった。

 

 

「おりゃぁぁぁっ!!」

 

 

 気合一閃とばかりに襖を開け放つ。

 正直なところ他人の家でやるには乱暴すぎる行為だが、今はそんなことも言っていられない。宇佐見蓮子の『能力』は月から現在位置を、星から現在時刻を割り出すというモノ。つまり空を見上げることさえ出来れば、それなりに状況の整理が可能なのだ。ここが幻想郷のどこにあり、霊夢と別れてから何時間経ったのかを計算できる。いや、正しくは気持ちの整理ができると言った方が良いのかもしれない。

 先ほどから感じる、水槽に閉じ込められたかのような閉塞感。胸焼けを起こしそうなコレを払うために是非とも一度頭の中をすっきりさせたいのだ。場所が分かったとしても自分一人の力では帰れないだろう、まして時刻が分かったところで何とする。だが立ち止まっているのは性分に合わない。故に前へ前へと進む少女は、しかし開け放った障子の向こう側が外に繋がっていないことを確認して、がっくりと肩を落とした。

 

 

「……また、こんな感じなわけ?」

 

 

 これで何度目か、もはや苛立ちも感じない。

 自分の眼前に広がっているのは外界の景色ではなく、紫色をした半透明な壁であった。ぴったりと張り付くようにして立ち塞がるコレは、恐らく『結界』というモノなのだろう。出来の良いパズルのようにはめ込まれた障壁にはアリの這い出る隙間も見当たらない。

 単に侵入者を逃さないための策なのか、それとも屋敷の主がこちらの『能力』を知っているのか。できることなら前者であって欲しいが、わざわざ視界を封じるために色付きの壁を用意するあたり後者なのかもしれない。

 その場に腰を下ろして、蓮子はやれやれと天井を見上げた。

 

 

「おっかしいわね、幻想郷に来てから私の能力のことを軽々しく口外した覚えはないんだけどなぁ。もしかして、ここの主人が私の知り合いとかじゃないでしょうね……」

 

 

 学校の友人が全ての元凶だった、それはそれはドラマチックな展開だろう。使い古された配役であるが、やはり王道は好ましいに違いない。まあ、そんなことが現実としてあるわけもないかと蓮子は帽子を深く被り直した。目元を隠すようにしながら、ゆっくりと座ったままの姿勢で深呼吸を一つ。

 

 

「ともかく、最初にいた部屋から出ることは出来た。こちらの動きが完全に封じられているわけでは無さそうだし、少なくとも前に進む道は用意されているか。でも、これは参ったわね」

 

 

 手足を縛られはしなかったものの、外に出ようとすると道を塞がれる。侵入者を外に出したくない、というのもあるだろう。しかし、それなら『最初の部屋から出さなければ良かった』はずだ。わざわざ屋敷内を怪しい部外者に歩かせる理由がない。

 今までは気づかないふりをしていたが、それも限界だ。ここまでされて何一つ疑問を表情に出さない愚鈍を演じられるほど、蓮子は役者ではない。

 自分が誘導されていることに、本当はとっくに気づいていた。

 

 

「……こうなったら、お望み通りに進んでやろうじゃない。虎穴に入らずんば虎子を得ず、ここまで来たのなら子虎どころか親虎のいるところまで脚を踏み入れる」

 

 

 意を決して少女は立ち上がる。

 どのみち先へと進めないなら、相手の思惑にかかったフリをするしかない。反撃の機会があるとすれば、それからだろう。それに何となくだが命までは取られないであろうという予想もある。霊夢と仲良くしていた黒猫を追って自分はここに来た。あの幼い巫女が人間の味方である以上、少なくとも人間を頭から喰らうような存在がここに住んでいるとは考えにくい。そうやって自分を納得させつつ、蓮子は聞き分けなく震える腕を軽く叱咤した。

 

 

「情けないけど、やっぱり私には相方がいないと駄目みたい。メリーはもう人里から神社に帰ってきてるかしら、心配させたくないから早く戻らなくちゃね」

 

 

 いつも隣にいて当たり前の少女がいない。

 手を伸ばした先に繋ぐ相手がいない、それだけのことが心の動きを鈍らせる。ルーミアに追いかけられた時だって、ここまで不安な気持ちにはならなかったはずだ。夢中になってメリーの手を引いて林の中を駆け抜けていた、あちらの方が状況は差し迫っていたというのに可笑しなことだ。気がつくと蓮子は少しだけ微笑んでいた。

 

 

「何だか、少しずつ内装が変わってきてるわね」

 

 

 段々と景色が変わっていく。部屋そのものは古式ゆかしき書斎や寝室であるが、置かれている調度品があまりにも特徴的だった。畳の上にはアヒルやカンガルーを模した木彫り人形が無造作に置かれ、壁には色鮮やかな絵画が飾られている。そして何故か部屋の真ん中には満天の星空模様を刻んだポールが突き刺さっていた。

 あまりに統一感のない風景だったこともあり、思わず蓮子は苦笑いを浮かべてしまう。

 

 

「どこかの民族の工芸品よね、コレ。抽象性を重視した彫刻、神話を視覚から伝えるアクリル画、そして世界のどこかの星祭りで使われていたらしき柱。国も地域もバラバラで、世界を歩いて旅しながら集めたような品揃えじゃない……いい趣味してるわ」

 

 

 信仰は消え失せ、神威が認識されなくなって幾星霜。

 かつて神を讃えたはずの祭具たちだが、もはや外の世界での扱いはインテリア以外の何物でもない。作成方法は受け継がれ、現物が保存されていようとも在り方そのものが変わってしまった。例え未だに道具として使われていようとも、彼らもまた忘れられたモノたちに違いはない。そっと触ってみると、じんわりとした温かい熱が伝わってきたのが印象的だった。

 

 そして何の法則もなく脈絡もなく、部屋ごとに屋敷はその表情を変えていく。遠い雪国から砂漠の村落、高地に住む羊飼いから海に生きる孤島の民に至るまで、長い時間をかけて人々が育んできたモノがそこにはあった。本当に世界中を旅しているような気分にさせられる。もっと続きを見ていたいという好奇心に突き動かされて、いつの間にか蓮子の身体の震えは止まっていた。

 そして、どれくらいの時間が経ったのだろう。

 

 

「……誰かいるわね」

 

 

 そんな夢見の気持ちが一段落した頃。

 あれほど配置されていたモノが見当たらない、殺風景な部屋へと蓮子は通されていた。さらに隣へと繋がっているであろう襖には散りゆく桜が描かれているだけで、他には何もない。

 

 この向こうに屋敷の主人がいるのだろう。

 

 確たる証拠などない、漠然とした予感だけが告げていた。胸の中では警鐘が痛いくらいに鳴っている、この場において確信を持つにはそれだけで十分だった。よし、と頷いてから扉に手をかける。

 ぐっと力を入れて引くと、予想していたより簡単に最後の障子は開いた。

 

 

「あらあら、ようやくご到着のようね?」

 

 

 鈴の音のごとく可憐な声だった。

 その主が敷かれた布団から上半身だけを起こす姿を視界にて捉える。血色の良くない顔色と気怠げな様子は隠しようもなく、布団の上に座ったまま蓮子を手招きしてくる金髪の美しい女性がそこにいた。ルーミアのような幼くも異質性を持った相手を想像していただけに、意表をつかれて蓮子は立ちすくむ。

 そんな人間のことを愉快に思ったのか、屋敷の主人は口元を押さえて軽く微笑んでいた。敵意など微塵も感じられない雰囲気に少女はほっと胸を撫で下ろす。

 

 

「ーーーーようこそ、私の幻想郷へ」

 

 

 その相手の警戒を緩める動作そのものが既に罠であることに蓮子は気付けなかった。この部屋に繋がっていた扉がいつの間にか消えてしまっていたこととに、蓮子が気づくのは数十秒ほど後のこと。

 

 

◇◇◇

 

 

 人間たちの賑わいが花咲く里の昼下がり。

 軒下で草花が壁づたいにツルを伸ばし、瓦の上では小鳥たちがのんびりと羽を休めていた。流れゆく空に雨の気配はなく、ただ日光だけが降り注ぐ空模様。舞い上がる薄桃色の花びらは地に帰るには早いようで、風に乗って陽射しを浴びる。あちらでもこちらでも冬の名残りは遠くなり、目につくモノ全てに春の息吹が転がっていた。風が脈打つように暖かな空気を運んでくる小春日和、そんな気候が幻想郷の全てを覆っているようだ。

 本当に良い天気である。これで厄介事が舞い込んで来なければ言うことは無かったろうに、と天狗少女は窓からそよいでくる春風に真っ白な髪を遊ばせる。

 

 

「つまり、この子は外から迷い込んだ人間なのよ。どのような経緯かは知らないけれど、博麗大結界を通り抜けて幻想郷に迷い込んだ異邦人。旧い言葉でいうなら、稀人(まれびと)ってところかしら?」

「……なるほどな、それなら幻想郷の道理を知らぬのも無理はないか。幻想郷が閉ざされて以来、ワシがこうして外界の者と顔を合わせるのは久方ぶりとなる。よくもまあ、このような所まで跳ばされて来たものよな」

「好きで来たわけじゃないと思うけどね……」

 

 

 他の客が寄り付かないように、結界で覆われた奥の間にて座っている天狗が二羽と人間が一人。人里にある店で行われているのは、天狗と人間の少女による世にも珍しい会談であった。

 敵意の混じる視線を投げかける天魔のせいで、メリーは黙り込んだまま動かない。一応の説明を刑香がしたとはいえ、結局のところ「その小娘が外界から来たくらいは信じてやろう」というのが老天狗の答えであるようだ。そしてメリーにしても「取って喰うつもりはない」などという刑香たちの言葉を真正面から信じられるわけもない。お互いへの不信は晴れず、刑香を挟むことで辛うじて同席している有り様である。

 

 

「もしや数日前の夜、部下からの報告にあった山への侵入者というのは貴様か?」

「えっと……それは多分私たち、です」

「ふん、あの時は八雲めから刑香を救い出すことを何よりも優先しておったからな。故に取るに足らぬと捨て置いたが、本来ならば相応の報いを与えていただろう。運が良かったな、小娘よ」

「……ちょっと、この子を怖がらせるのも程々にしてよ、お祖父様」

 

 

 心底不愉快だという視線を隠しもしない祖父。

 そうして威圧されればされるだけ、メリーは刑香との距離を詰めてきていた。先ほど失神する一歩手前まで天魔によって追い込まれ、そこを刑香によって助けられたことが要因なのは言うまでもない。草むらに身を潜める野うさぎのごとく、金髪の少女は白い天狗少女に身を寄せていた。

 華奢な少女たちの肩と肩がぶつかり、髪と髪の触れ合う距離。基本的に他人から触れられることを苦手とする刑香である、メリーから密着されたことで真っ白な頬をほのかに赤く染めていた。その様子を見て、無言で天魔は握っていた湯呑みを軋ませる。

 

 

「少しばかり、近すぎはせぬか?」

「別にこれくらいは気にしないわよ」

「うぬ……しかしだな、刑香よ」

 

 

 少しだけ呆れたように空色の瞳が細められる。

 人間ごときが孫娘と並んで座っていることが致命的に気に食わないと、天魔は考えているのだろう。しかし刑香はそんな祖父の思いを理解した上で、今この場においては自重して欲しいと切り捨てていた。だいたい、誰のせいでメリーが自分にべったりとしてきていると思っているのか。全てが天魔の責任というつもりはないが、それでも殆どは天魔の責任である。

 そんな中、それまで黙り込んでいた人間の少女がようやく口を開く。

 

 

「……ケイカってことは、もしかしてアナタが『四季桃月報』に著者として名前のあった白桃橋刑香さん、なんですか?」

「そうだけど……って、何で知ってるの?」

 

 

 ここで自分の発行している新聞の名前がここで出てくるとは思わなかった。一瞬反応が遅れてしまう刑香だったが、神社に過去号をいくらか持って行っていたことをすぐに思い出す。恐らく、この娘はそれを見つけて読んだのだろうと当たりを付けた。そしてそれは間違え手いない。

 

 

「なるほどね。さっぱりしてる霊夢のことだから、読んだ後はさっさと捨てているかと思ってたんだけど……まだ手元に置いてくれているみたいで嬉しいわ」

「捨てるどころか、一部ずつ大切に霊夢ちゃんは保管していましたよ。特に白い鴉天狗の載った号のことは『私が撮ったんだから』なんて得意げに話して……どうかしましたか?」

「……何でもないから気にしないで」

 

 

 赤くなった顔を隠そうと視線を逸らす。

 霊夢がカメラに興味を持ってから、初めてキレイに撮れた写真がアレだったのだ。紅葉の中に浮かぶ純白の翼、つまり刑香である。せっかくなので新聞に使ってみたのだが、冷静に考えると自分の新聞に自分の映っている写真を載せてしまっていた。

 何故かあの号で部数が大きく伸びるし、しばらく文やはたてからも随分とからかわれている。元は自分の不注意が原因なので、刑香としては後悔はしないまでも思うところが多すぎた。

 今となっては二人にとって思い出の一枚になったとはいえ、やはり恥ずかしいモノは恥ずかしいのだ。あの号のことを霊夢以外が面と向かって話すのは止めて欲しい。

 落ち着かない気持ちを誤魔化すように、刑香は前髪を指先で弄ぶ。意図的にやっているわけではないのだろうが、今の会話でかなり調子が狂ってしまった。どうやって結界を抜けてきたのか、どうして偽名に八雲を選んだのかを問いただそうと思っていたのに情けない。こんな緩んでしまった心ではどうにも上手く出来そうもない。

 ちらりと祖父へ助けを求めると、承知したと言わんばかりに天魔は言葉を紡ぐ。

 

 

「話を戻すがの。恐らくその小娘は『境界を幻視()る目』を持っておる。ワシの結界を抜けて来たのも僅かな綻びを見つけ出し、そこに身体を挿し込んで来たのであろう。通常なら不可能な方法だ」

「それなら、どうしてメリーはそんな芸当を出来たのかしら?」

「常人には不可能だろうが、そのあたりは能力の精度次第であろうよ。ここまでの精密さを持つのは八雲紫くらいだと思っておったのだがな。八雲メリー、八雲か……その名にどのような経緯があれ、その名はいずれ『現実』のモノとなるのやもしれぬ」

 

 

 老いた瞳の向こう側には、八雲という忌むべき名を名乗った人間の小娘。全体的に紫を基調とした服装と、滑らかな金色の髪が長年の宿敵を連想させるため老天狗の眼差しは厳しくなるばかりであった。

 

 

「しかし、腑に落ちぬこともある。貴様のチカラは結界を幻視()るに過ぎぬ。それで幻想郷へ、つまり博麗大結界を跳び越えて来たとしても『時間』がここまでズレるのは些かおかしい」

「……何の話ですか?」

「気づいておらんのか、いや無理もなかろう。そもそも同じ時間軸においても幻想郷と外界は隔絶とされた在り方の違いがある。こちらに来たところで、並の知覚では変化を認識できまい」

 

 

 メリーから視線を外し、空になった湯呑みを天魔はぼんやりと眺めていた。そして底に残された茶葉が寂しげに横たわっていることを確認してから、ふわりと手をかざす。するとそれらは藁に火をつけたように勢い良く燃え上がっていく。小さな小さな火である、それが次々と湯呑みから宙へと飛び立ち、そのまま燃え尽きる。

 そうして産まれた灰色の煙たちが天魔の指に纏わりつく。そして天魔がメリーの持ち物だという御守りを摘み上げると、形を持たぬはずの火煙は明確な意思を持つかのように渦を巻き、何かの姿を成していった。

 呆然とするメリーの目の前で、それらはやがて『あの仏閣』にいた時の二人を映した光景へと変わっていった。

 

 

「貴様は恐らく、ワシに所縁のある場所から幻想郷に跳ばされてきたのだろう。ならば死神がコレをワシに渡してきたことにも合点はいくというもの、こうなってしまえば貴様らを元いた場所に戻せるのはワシか八雲くらいであろうからな」

 

 

 そう言った天狗の長は用済みだとばかりに煙を払う。

 再び高鳴ってきた鼓動を抑えるように、胸に手を当てたメリーを横目にして天魔は刑香へと視線を動かしていた。そしてその瞳に驚嘆の色があることを確認して、僅かに口元を綻ばせる。ようやく孫娘へ良い格好が出来たといわんばかりに、その表情には祖父らしい感情が見え隠れしていた。

 

 

「どうして……時間まで私たちは越えてきたなんて」

「夢見であれば、このようなことは珍しいことではないのだが現実としては稀有である。しかし貴様らは二人で幻想郷(ここ)に来たという。ならば、もう一人の小娘が『時間』や『場所』を計測()る瞳を持っておるのではないか?」

「っ、その通りです。私の親友が『その目』を持っています。でもだからといって、どうして私たちは幻想郷に!?」

「手段が判明したのであれば簡単な話だ、貴様ら二人はそのチカラを都合よく『何者か』に利用されたのであろう。せいぜい心すると良い。此度の貴様らの旅路、行きは容易であったが帰りは随分と難儀なものとなる」

 

 

 かつて人々をあまねく守護した神は語る。

 そこにはもはや蔑むような眼差しはなく、ただ人間を試すような強い意志があった。幸せに過ごす者に神はいらぬ、真に神へと祈るのは大きな困難に直面した者だけである。故に天魔、迦楼羅王はメリーへと興味を示していた。これが正しく仏門の守護者であった頃の祖父が纏っていた威光なのだろうと、その血を引く白い少女は思う。

 

 

「……このままお祖父様がメリーたちを元いた世界に帰して解決、という話でも無さそうね。何か問題があるんでしょう?」

「そもそも帰路が開けぬのだ。この魔除けには確かに小娘がいた場所が刻まれておるが、あくまでもコレが示しておるのは位置だけだ。こやつらがいた時間までは分からん。他に『時』を示すようなモノがあれば別だが……いや、それがあったとしてもワシは人間に協力はせぬ」

「ああ、やっぱり人間のことが嫌い?」

「それもあるが……千年を妖怪として過ごしている身としては今更、こやつらに手を貸すのは己の矜持が赦さぬ。つまらん意地とでも思ってくれて構わぬよ」

 

 

 これは紫に頼るしかなさそうだと刑香は判断する。

 その結論を天魔は言葉にしないし、そして自分もまた指摘することは避けることにした。祖父にとって己に出来ないから八雲紫に頼れなどとは口が裂けても言えぬことなのだ。この前の決闘によって一度は対立したものの、すでに紫と和解した刑香とは違う。

 八雲紫と天魔が過去を清算することなど有り得ないし、分かり合うことをお互いに望まないだろう。もう全てが遅すぎるのだ。天魔は息子夫婦を失い、そして口には出さなかったが紫も同じだけのものを天魔に奪われているはずだ。積もり積もった年月は足枷のごとく、聡明な賢者たちさえ過去へと縛り付ける。

 メリーたちを元の世界へ帰すだけではない。スペルカードルールが実現するためにも、決して避けて通れない天狗と八雲の協力体制。それを成功させるには古株の二人だけでは難しいのかもしれない。

 

 

「難儀なものね、あっちもこっちも問題だらけみたい」

 

 

 外から聞こえてくるのは幼き子供たちの笑い声。輝く太陽は空の上にて一休み、暖められた風が花びらを運んでくる小春日和。うつらうつらと眠気を誘う日なれど、一部の者たちの安息は未だに遠く霞んでいる。

 どうしたものかと刑香は窓から漏れ出す穏やかな陽射しを見つめていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「私から教えられるのは、これくらいかしらね。何か質問があれば受け付けるわよ、宇佐見蓮子?」

 

 

 さらりと着物の袖を鳴らす八雲の賢者。

 虚空に浮かんでいたスキマが閉ざされ、映し出されていた映像が消えていく。それは同時刻に天魔がやってみせたものと内容的には変わらないものであった。古めかしい寺院にて、ある仏像の前で会話を繰り広げていたのは紛れもなく秘封の二人である。そしてその後すぐに、二つの人影が吸い込まれるように消失するところまでを八雲紫は蓮子へと目撃させていた。

 それはまるで、その仏像が(かたど)った存在によって拐われたかのよう。つまり見た目としては『神隠し』の現場そのものであった。

 

 

「……つまり、私たちは幻想郷に迷い込んだだけじゃなくて時間旅行までしていたってことか。しかも簡単には帰れない。だって何処から来たのかが分からないから、幻想郷の人たちも私たちを何処に返せばいいのか分からない。つまりはそういうことね」

「あまり悲観的な顔をしていないわね?」

「そりゃそうよ。誰だか分からない相手にこんなモノを見せられたからって、それを丸ごと信じて絶望するほど私は素直な性格をしていないわ。それに真実であったとしても時間跳躍については、まったく想像していなかったわけでもない。私を泣かせるには力不足よ」

「ふふっ、強がりで言っているわけでないとしたら大した先見性ね。その頭脳だけは素直に称賛してあげましょう」

「そりゃどうも」

 

 

 元々入り口があった壁を背にして身構える。

 先程まで存在していた出入り口がまるごと消失した、それに気づいたのが数分前だ。まんまと自分はしてやられたらしい。ここに一歩踏み入れた時とは違い、目の前にいる女性からは底知れない気配ばかりが漂ってくる。それらはまるで静まり返る海を連想させ、大きな嵐がやってくる前触れのような不気味にうねる恐怖を植え付けてきた。

 ああ、これはない。いくら友達想いの自分とはいえ、メリーと変わって欲しいくらいである。今頃は神社に帰り着いてのんびりしているだろうし、まさか同じような妖怪と出食わしていることもあるまい。少しだけでいいので、立場を入れ替えて欲しいものだ。悪いとは思いつつも、蓮子は半ば本気でそんなことを考えてしまっていた。

 だがスキマの賢者はそんな少女の思考など意に返さず、更に決定的な一言を告げる。

 

 

「結論から言えば、今の私ではアナタたちを元いた場所に帰すことは出来ないわ」

 

 

 憐れな者を見つめるような紫水晶の瞳。

 神隠しの主犯とさえ恐れられる八雲紫、その『境界を操る能力』こそが二人を帰還させるために最も重要な鍵であった。モノとモノの境目を自在に操ることで、空間と空間を繋げるというチカラ。それは条件さえ整えば、遥かな月の都にさえ届くとされた。云わば最も頼りになるはずの道しるべだったのだ。

 しかし八雲紫は一時的にしろ、そのチカラの少なくない部分を失っていた。会合の出席や結界の管理は藍に任せ、霊夢の見守りさえ橙に頼る始末。今もどうにか布団から上半身だけを起き上がらせているのだ。そこにはレミリアや刑香との戦いでみせた大妖怪、八雲紫の姿はどこにもない。

 

 

「……何だか分からないけど、あなたが駄目なら別の誰かに頼むから問題ないわ」

 

 

 そう短く答える蓮子はスキマの賢者の言葉に込められた事の深刻性を知る由もなかった。

 

 

 


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