その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第五十八話:紅魔の心臓

 

 

 湖の畔に佇む紅魔館。

 澄んだ水面に映る姿は、その名の通りに真紅の薔薇のごとく。独特の重みを感じさせるレンガと石造りの外観は木造を基本とする幻想郷の建築様式とは一線を画す。眺めるだけなら美しく、迂闊に近づけば棘が刺さるだけでは済まされない。幻想入りしたばかりの頃は、そのように妖怪たちにさえ怖れられていた場所である。

 しかし現在は観光地の一つとして周囲の住民たちからは見られているらしい。イタズラ好きな妖精たちが穏やかな気質の門番と戯れて、物好きな一部の人間たちがこっそりと真昼に訪れては妖しくも美しい建築様式に目を楽しませる湖畔の館。『幻想郷はすべてを受け入れる』という賢者の格言に漏れることなく、今やこの世界の一員として西方からの来訪者は認識されていた。

 

 

「ふわぁぁ…………よく寝ました」

 

 

 そんな屋敷にて、地底の少女は目を覚ます。

 昨夜は遅くまでチェスに興じていたので随分と長く眠ってしまったと、さとりはベッドから起き上がる。窓を塞ぐ分厚いカーテンから太陽は感じられず、その一方で体内時計が今は昼だと告げている不思議な感覚。吸血鬼の部屋ということもあり、完全に遮光された空間は静かな暗闇で満ちていた。人里離れた林の中を思わせるような静寂に包まれながら、「ああ、完全に寝過ごした」と少女は吐息を漏らす。

 湖に近いからだろうか、空気は冬の井戸水のごとくに冷たい。吐く息もうっすら白く、頬が赤く染まるばかりである。部屋の温度に軽く震えてから、さとりは温もりが手招きするベッドへともう一度潜り込んだ。身体を包みこんでくれる柔らかな感触がすぐに眠気を誘ってくる、このまま目を瞑ってしまえば心地良く夢へと落ちていけるだろう。しかし、そんな誘惑に耐えながら顔ごと視線を反対側へ向けた。

 

 

「………まだ眠っているみたいですね」

「う、ん……」

 

 

 応えるように寝返りを打つ銀髪の吸血鬼。

 さらりとした衣擦れの音が鼓膜を濡らし、その拍子に幼さを隠しもしない姿が丸見えとなる。純白の枕へと小さな頭を沈ませて、レミリアは小さな胸を上下させていた。よく眠っているようだ、可愛らしい寝顔を見せられたせいで口元が緩んでいくのが自分でも分かる。

 てっきり吸血鬼は棺桶で眠ると思っていたのだが、そうでもないらしい。気分次第で棺桶でもベッドでも横になるし、なんなら棺桶をベッドの上に置くのもアリだと他ならぬ本人が言っていた。事実は小説よりも奇なりというが、本当にその通りであるらしい。

 

 

「こうしていると、良く出来た人形のようですね。あの自信に満ちた声が聴けないのは、ほんの少しだけ残念ですが静かなのは良いことで、す?」

 

 

 どうして『残念』などと自分は口にしたのだろう。

 眠っている相手というのは良い。思考が停止しているため心に澱みがなく、覗き込んだとしても悪意という毒針に刺されることがない。白状してしまうなら、夢に旅立っている相手と接するのが一番やりやすい。おぞましい心の中を見続けるというのは端的に言って疲れるからだ。それなのにーーー。

 

 

「私も少しだけ変わったのかもしれませんね。あの子たちがあまりにも楽しそうだったから、今さら友人を増やしたいなんて可笑しな話です。純真で誇り高く、真実を見通すチカラを持ちながらも子供のように目の前の物事を楽しむことができる。よりにもよって、私とは正反対な貴女となんて……」

 

 

 以前までの自分はここまで他者に関心を持っていなかった。だがあの勇儀を相手にして一歩も引かなかった少女たちと出会ったせいで、おかしくなってしまったのかもしれない。

 レミリアの『運命を操る程度の能力』は、さとりの『心を読む程度の能力』にとって厄介な敵である。昨夜のチェスのように、目の前にある思考を読み取ったところで枝分かれした全ての事象には対処しきれない。戦闘になったところで負けるつもりはないが、他の妖怪を相手にするよりは確実に手こずるだろう。

 古明地さとりにとって、心を読み切れない存在というのは最も警戒しなければならないはずなのだ。それなのに同じ寝床で眠るなんて無防備に過ぎる。知らず知らずのうちに、さとりはレミリアの青みがかったレミリアの銀髪に手を伸ばしていた。それはまるで答えを求めるように、

 

 

「きゃっ!?」

 

 

 驚くだけの時間も与えられずに腕を人外の力で掴まれる。そして有無を言わせず身体を引き寄せられて、そのまま覆い被さるようにベッドに抑え付けられた。目と鼻の先には、血に濡れたルビーの輝きを放つ吸血鬼の瞳がある。まさかとは思うが、今の今まで起きていたというのかと息を呑む。サードアイで心の動きを覗いていたというのに、まったく気づけなかったのだ。警鐘を鳴らすように心臓の鼓動が早まっていく。

 

 

「おはよう、まだ忌々しい太陽が昇っている時刻にご苦労なことね。地面の下で暮らしていると昼夜の逆転を気にしなくていいのかしら?」

「妖怪だからといって、皆が夜に活動するわけではありません。確かに妖力的には夜間の方が満たされているでしょうが、それなりに強力な妖怪ならば人間を襲うのに時と場所を選ぶ必要はないでしょう」

「ふーん、確かに太陽が苦手でない妖怪ならあり得る話ね。それでアンタは昼間に私を襲ってきたと」

「そういう理由で手を出したわけでは……。ただ貴女の寝顔にペット達を思い出したので、こっそり頭を撫でようとしただけです」

「ほほう、ペットねぇ」

 

 

 ゆっくりと細められた紅い双眸。

 ペットと同列に扱われたことが不満らしい。瞳は妖しげに揺らめき、口元からは尖った牙が見え隠れしていた。

 このまま血を吸われるなら吸われるで構わない。短時間なら催眠の効果が薄いことは刑香からの話で分かっているし、それ以上を許さなければいいだけの話だ。食事の最中ならば気が緩む、そうすれば深く心の奥を覗き込むことができる。その隙に、どうやってサードアイのチカラから逃れていたのかを押さえておきたい。

 しかし、しばらくレミリアの顔を見つめていても牙が近づいてくることはなかった。

 

 

「……心を読めなくても、アンタの考えていることくらいお見通しよ。牙を首筋へ突き立てたと思ったら、逆に心臓を掴まれていたなんて笑い話にもならないわ」

「さて、何のことでしょうか」

「さっきより目付きが鋭いわよ、アンタって思っていたより顔に出るみたいね。血液はまたの機会に頂くことにするわ」

「……ニンニクでも食べておきましょうか」

「いやそれは冗談でも止めなさいよ、喉が焼けるわ。くくっ、吸血鬼に押し倒されて平然としているなんて可笑しなヤツね。話していて飽きないかも」

 

 

 先刻までの雰囲気はどこへやら。

 今のやり取りが気に入ったらしい。少なくともレミリアの胸中から不快感を催しているような色は消えている。可愛らしいアクビを漏らしてから、羽のように軽やかな動作で少女は床へと降り立った。その刹那にサードアイにノイズが流れ込んだのを、さとりは見逃さない。

 レミリアの思考は読みづらい理由が分かった。チェスと同じだ、ずっと先の枝分かれした未来で頭の中を満たしている。恐らく読心を妨げるために『能力』でわざとしているのであろう。よくもまあこんな状態で当たり前のように会話が出来るものである。そこらの妖怪ならば負荷で思考回路が焼き切れる。

 

 

「アンタは妖怪の山にいたことがあるのよね、なら……」

「私が白桃橋刑香のことを知ったのはつい最近です。少なくとも私のような者には存在すら秘されていた節がありましたので」

「尋ねる前から答えを言うのは止めなさいよ。淑女なら言葉を嗜むべきだわ」

「すみません、ですが心を読んではいませんよ。その切り出し方であれば、後に続く質問くらい予測できたので」

「……ふーん、アンタって別にその目が無くても交渉事とか得意そうだもんね。賢いヤツは好きよ、敵であっても味方であっても退屈せずに済むもの」

 

 

 自らの思考に負荷をかけてまで、この少女には読み取られたくないことがあるらしい。緩慢な動きでレミリアは寝具の脇にかけていた白いショールを肩にかける。そして窓際まで近づき、窓を塞ぐカーテンを指先で波立たせた。わずかに漏れてきた日光が少女の肌を焦がす、美しい白磁の指は枯れた植物のような風貌へと変わっていた。そんな炭化した皮膚が瞬時に再生していくのを見つめながら吸血鬼の少女は口を開く。

 

 

「結局のところ、前の会談では大したことは纏まらなかったわ。イタズラに時間を空費した、私たちの要望は決して衝突していたわけではないのに」

「内容ではなく、向かい合う面子の問題です。やはり八雲と天魔がおとなしく手を取り合うなんて無理があります。あの勢力は千年以上も対立し、お互いに多大な犠牲を出しています。口では新しい幻想郷のために協力すると言っていますが、お互いの背負った因縁が動きを鈍らせているのでしょう」

「でも博麗の巫女が正式に代替わりするのは、この春なのよ。そのための準備もあるだろうし、ちまちまやっていたんじゃ間に合わないわ。下手をすれば今代の巫女ではなく、次代へと延期されてしまうかもしれない。それは私の望むところではないし……それだけは避けてみせなければならない」

 

 

 恐ろしいほどに鋭い真紅の双眸。

 この吸血鬼の少女もまた、大きな重荷を背負っているようだ。西方から屋敷と身内だけで味方が一人もいない幻想郷に殴り込み、実力にモノを言わせて現状の地位を勝ち取った。しかも当時はフランドールが狂気に囚われていたというのに、それすらも異変を通じて解決してしまったのだ。偶然を偶然のままとはせず、能力を使うことで必然にまで昇華させて運命を切り拓く。それは、まるで槍の如く鋭利な生き方だ。

 

 

「あまり無茶をすれば折れてしまいますよ。大丈夫です、あの場に集った誰もがウチに秘める想いは変わらない。八雲も、地底も、紅魔館も、そして妖怪の山も、自分たちにとって大切な誰かが少しでも幸福に生きられるようにと願っています。貴女一人が思い詰める必要はないのです」

「……そうかしら、それにしては中身が薄かったわよ。あんなのはアンタを交えたことで、改めて顔合わせをしたに過ぎないわ。幾重もの言葉は踊れども、決めるべきことは何一つとして形を成していない。アンタたちはアレね、前置きや腹の探り合いが長すぎるわ。さっさと本音をぶつけ合いなさいよ」

「……それを貴女が言いますか」

 

 

 今もレミリアの心はノイズが立ち込めて読める状況ではない。蟻のごとく細かい字が目の前でうごめいているような感覚だ。少しばかり無理をすれば読み取ることもできるのだが、鬼族と対して変わらない怪力を持つという吸血鬼の前で意識をそちらに割くべきではない。首を傾げてくるレミリアへと、さとりは不満そうな口調で告げる。

 

 

「レミリア、貴女とて考えていることを残らず表に出しているわけではないでしょう。先程から貴女の思考を読み取ろうとしていますが、能力を使って隠蔽されている。覚妖怪には正しい対処なのですが、その状態を維持しておいて他者には本音で話すべきだと言うのはどうかと思います」

 

 

 自分という妖怪に心を読ませないのはいい。

 嘘をつかれるのも、影で罵倒されるのも慣れている。今更それで傷つくほど古明地さとりは弱い精神をしていない。しかし他の妖怪ならばともかく、目の前の少女がこんな下らない嘘を口にするのはあまり好ましく思えないのだ。

 そんなことを考えている自体、己がレミリアを特別視していると地霊殿の主は気づけない。

 

 

「してないわよ、そんなこと?」

「何のことですか」

「だから、アンタの能力を防ぐために『運命を操る程度の能力』を使っているってやつでしょ。何でわざわざ心を読まれないために、私がそこまでする必要があるのよ」

「……え?」

「私はただ、『能力』で気に入った結末を探していただけ。その最中にアンタが心を読んできて勝手に勘違いしたわけよ。まあ、来賓の前で別のことを考えていた私にも非はあるのでしょうけどね……ほら、そんなに見たいなら見せてやるわよ」

 

 

 合図を送るように指を鳴らすレミリア。

 サードアイの視界を埋め尽くしていたノイズが消え去ったのは、その刹那のこと。嵐が去ったようにレミリアの心象が鮮明に映り込んできた。『運命を操る程度の能力』を制限したのだろう、情報量が少なくなったことで見通しが格段に良くなっていく。そして晴れた先に見えた映像に、さとりは第三の目ではなく自らの瞳を見開いた。

 それは恐らく遠くない未来のこと、春の花が咲き誇る神社にて二つの影が立ち並ぶ。金糸で飾られた紅白の巫女服を身に着けた神聖なる少女と、美しい紫色に染められた羽織がはためく白い鴉天狗の娘。彼女らによって幻想郷における『新しいルール』が宣言される儀式の執り行われている光景であった。

 

 

「さて、刑香だけだと不安だから例のごとく私も手を貸してやるつもりなのだけど……この運命を掴むためにアンタも協力してくれるかしら、古明地さとり?」

「……まずは地霊殿に使いを送らなければなりませんね、あの少女たちから『預かっていたアレら』が役に立ちます。あとは元凶である勇儀にも連絡を入れておきましょうか。その他のことについては後ほど話し合うということで良いですね?」

「悪くないわ。切れるカードは私よりアンタの方が多いから、せいぜい頼りにさせてもらう。スペルカードルールだけじゃない、話の分かる大天狗が地底としても一人くらいは欲しいところでしょ?」

「ええ、それは魅力的な提案です」

 

 

 くすりと微笑んでから「それではまた後で」と口にする地霊殿の主、それに繋げるように「それじゃあね」と、紅魔館の主は心の中で返事をする。そして怪しげな企みを胸のうちに隠しつつ、レミリアは部屋を後にした。

 その姿をのんびりと見送ってから、さとりは部屋のカーテンを開く。湖を越えた先の先、妖怪の山はここからでも視界に映り込む。その頂に細くたなびいている白い雲があの娘の翼のように見える。

 知らなかった、地上の晴れた空はこんなにも綺麗だったのか。それを何ともなしに確認してから、地底の少女もまた部屋を後にすることにした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「…………何が可笑しいの?」

 

 

 スキマの賢者の居宅、その寝室にて宇佐見蓮子は刺すような言葉を紡ぎ出していた。その視線が向けられる先では金髪の女性が口元を押さえながら身体を震わせている。先程までは穏やかな口調と柔らかな態度は淑女然としていたのを覚えている。しかし今はまるで性格が反転してしまったかのように、妖怪そのものの雰囲気が漂っていた。上手くいえないが、本能的に身構えてしまう胡散臭さがある。

 

 

「ふふっ、『別の誰かに頼む』なんて答えが帰ってくるとは思いませんでしたわ。何も知らないが故の言葉なのでしょうけど、たまには予想外の返答をされるのも刺激的があって悪くないものね」

「そりゃどうも」

「ですがそれは叶いませんわ。チカラを持つ者たちの中で、アナタたちを元の世界に戻すために協力する物好きなんていないでしょうから」

 

 

 酷い言葉だった、出口を求める相手に出口がないことを告げている。しかし、わざわざ反応を返してやる筋合いは蓮子にはない。

 

 

「ーーーあまり悲観してはいないようね?」

「しつこいわね、誰とも知らない相手からそんな言葉をぶつけられたところでビクともしないわよ。ご忠告は痛み入るけど絶望するのも希望を抱くのも所詮は主観的な感情に過ぎないわ、私が最後に信じるモノは私が決める」

「そう、どこまでもアナタらしい答えが返ってきて安心したわ。やっぱり蓮子は蓮子なのね」

「…………私たち、何処かで会ったことがあった?」

「どうかしら。もしかしたら過去か未来か、はたまた夢か現かも分からない混沌とした世界で出逢ったことがあるのかもしれませんわ」

 

 

 煙に巻くように会話は一度途切れる。

 蓮子からしてみれば完全に初対面のはずの相手、しかし紫の口調からはお互いが旧知の間柄であるかのごとき響きがあった。しかし外の世界から来た自分に妖怪の知り合いなどいるはずもなく、夢の中で出逢うとすれば自分よりもメリーの方だろう。また冷やかされているのだろうか、それなら何のためだと蓮子は考えを巡らせていく。

 そんな人間の少女へと八雲紫は微笑んだ。

 

 

「学業は大変かしら?」

「……そうでもないわ、どの科目もそこまで難しいと感じたことはないし」

「部活動は順調なの?」

「大学では不良サークル扱いされていたけど、今回の幻想入りで絶好調になったわ。次の文化祭では目にモノ見せてやれそうよ」

「学生生活は、楽しい?」

「苦労も多いけど、メリーと一緒なら何があっても楽しい思い出にするつもりよ。幻想郷のこともね」

「……そう」

 

 

 一つ一つを噛みしめるように、人間の少女からの答えを八雲紫は受け止めていく。そして布団から立ち上がることもせずに、座ったままの姿勢でスキマの賢者は静かに天井を見上げていた。遠い星空を望遠鏡で覗き込む少女のように、深い紫色をした瞳はここではない何処かに想いを馳せる。

 

 

「それは良かった……ええ、それはきっと何より幸福な時間ですわ」

 

 

 視界がずるり、と沈み込んだのはその時だ。

 驚いて視線を下げると、不気味な空間に身体が腰まで呑み込まれていた。ここに来る時に飛び込んだ時と同じモノだと気づくのに時間はかからなかった。中に浮かんだ目玉が太ももに触れてきて気持ちが悪い、ジタバタと暴れてみるが下半身は完全に沈み込んでしまった。

 底なし沼に沈むように、自分の身体が取り込まれていく光景に顔から血が引いていく。

 

 

「なっ、ちょっとコレはどういう……!?」

「いずれ元の世界には戻れるわ。『あの土壇場』で私の能力を妨害することで刑香を勝たせる、というのがアナタたちが幻想入りした理由の大半。役目を終えたならば演者は舞台から立ち去るのが道理でしょう?」

「くっ、この、自分だけ話したいだけ話すなんて……ずるいでしょ!」

「とりあえず神社まではスキマで送り返して差し上げますわ。そこから先は部外者らしく、相方と気の向くままに過ごしなさいな。そのうちに『向こう』からお迎えが来るはずよ」

 

 

 じゃあね、また夢の中で会いましょう。

 そんな言葉を残して、その妖怪は見慣れた少女のように微笑んだ。それが宇佐見蓮子が八雲紫と邂逅した短い時間における最後の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーだから言ったでしょ、どうせ紫に追い返されるだろうからお茶でも啜りながら待ってれば良かったのよ。いきなりスキマに飛び込むなんて馬鹿じゃないの?」

「おいおい、蓮子がスキマに入り込んだのはお前の責任でもあるんじゃないか?」

「うっ……でも刑香くらいの速度でも無い限り、あんなの止めようがないじゃない」

 

 

 穏やかな風が頬を撫でる。

 暗闇から一転して、瞼を透かしてくる太陽の灯火に誘われて蓮子はゆっくりと瞳を見開いた。眠りを覚ますような白い陽射しに目を細めながら、自分を心配そうに眺めていた二人の少女たちの姿を見つける。

 

 

「どうやらお目覚めみたいね、ひと足先に人里から帰ってきたメリーが心配してるわよ」

「スキマの屋敷がどんな感じだったのか、あとで教えてくれよ。楽しみにしてるぜ?」

 

 

 紅白の巫女は呆れたように、白黒の魔法使いは面白そうに蓮子を見下ろしている。周りを見てみると博麗神社の境内だった、あの女性は言っていた通り元の場所まで帰してくれたらしい。ぼんやりしていると「ほら、さっさと立ちなさい」と霊夢に腕を掴まれる。思ったよりしっかりした力で引き起こされ、まだ夢を見ているような心地で立ち上がった。お礼を言おうと思ったがすぐに顔を背けられてしまう、ひょっとしなくても虫の居所が悪いのかもしれない。

 

 

「で、紫から手掛かりの一つくらいは得られたの?」

「それって、紫色の瞳をした金髪の人のことよね。それなら『放っておけば帰れる』みたいなことを言われたわ。本当だったら気が楽だけど、信じていいのかな?」

「まあ、アイツの言うことは疑い半分くらいに受け止めておいたら問題ないわ。ただし嘘をついていたとしても、何らかの意味はあるだろうから内容自体は覚えておいた方が良いかもね。……それはともかく、何で私の会いたい相手にアンタたちが立て続けに出会ってるのよ。納得がいかないわ」

 

 

 不機嫌ここに極まれり。

 むすっと頬を膨らませて、霊夢はこちらに背を向けて行ってしまった。どうして怒っているのか分からないので、これだと謝りようもない。ちらりと隣にいる少女へと視線で助けを求めると、仕方ないと言わんばかりに魔理沙は霊夢のあとを追いかけていく。とりあえず機嫌を治してもらってから事情を尋ねようと思う。それより今は優先したいことがあるのだ。

 

 

「まったく、みんな勝手なモノよね」

 

 

 最後に紫から見せられた表情が頭から離れない。

 あの目はきっと自分を見ていたのではない、宇佐見蓮子の姿に『誰か』を重ねていたのだろう。それが何なのかは分からないし、これからも知る機会はないような気がする。結局のところ八雲紫がどのような妖怪なのか、その正体に辿り着くことはなかった。けれど今はそれでいいと蓮子は思う。

 

 

「…………また、いつか」

 

 

 吹き抜ける風に言葉の舟を乗せる。

 空気の流れは渦巻くように、くるくると木の葉を巻き込みながら空高く昇っていった。やがて風だったものが青と白が混ざりあった春の空へと呑み込まれていく。それを確認してから、蓮子はメリーの待つ母屋へと進んでいった。

 

 

 


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