その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第五十九話:停雲落月に面影を知る

 

 

 見渡す限りに氷粒を含んだ雲が広がる遥かな天上。

 灰色の雪原は塞き止められた水のごとくに空を覆い、地上には雪の花飛沫が舞っている。近づいた春をまた押し返すような天候は、季節の狭間が見せる気紛れだ。

 そんな雲の上へと一人の妖怪少女が飛翔していた。その出で立ちは天狗装束の上に厚手の上着を羽織り、首にはマフラーという防寒に徹したモノ。葉団扇を使って邪魔な雲を払いつつ、少女は上へ上へと空気の壁を突き破っていく。そして、ようやく雲の層を抜けたようで満天の星空が囁く月夜の舞台へ躍り出る。艷やかな黒髪にこびり付いた氷を落としながら、射命丸文は真っ白な息を吐いた。

 

 

「……気持ちの整理はしていたつもりなのですが、実際に『この時』が来てしまうとあの子が遠くに行ってしまうようで寂しいものがありますね」

 

 

 マフラーから漏れる言葉が夜闇へ消えていく。

 それでいい、誰に聞かせようというわけではないのだ。言葉にしておかないと自分の心が苦しかった、ただそれだけのことである。

 

 天魔と刑香がマエリベリー・ハーンと接触した日から、既に数日が流れていた。

 

 一本歯下駄を揺らして、黒い少女は器用に飛行したままで仰向けになる。何も知らない月の光は今宵も美しかった、雲の上にいるので興醒めな叢雲は一つもない。だが心に迷いのある今夜だけは、その輝きが疎ましく感じられる。

 凍えんばかりの風が吹き抜け、パタパタと靡く羽織と寒さが身体を震わせる夜天の刻。雲が邪魔をして地上の様子は見えそうもないが、天狗の里では小さな騒ぎが起こっているかもしれない。何せ今宵の主役がいなくなったのだ、あの老天狗に至っては青筋を立てているに違いない。まあ、しばらくしたら戻るだろうから勘弁しておいて欲しいとマフラーの下で苦笑した。

 風の変化を感じ取り、文が即座に身体を起こしたのはその瞬間だった。真下から飛び出してきた白い影、その鋭さを秘めた突進をいなしながら葉団扇で受け止める。

 

 

「流石ね、文」

「……視力の利かない雲の中から奇襲をかけて来たのは悪くない判断です。飛行音を自然の風で誤魔化そうと思ったのも見事。しかし残念ながら私には通用しませんよ、刑香」

 

 

 足下から突き出してきた錫杖が目と鼻の先で停止する。ちらりと視線を送ってみると、攻撃を防がれて少しだけ悔しそうにする妹分の顔が見えた。仕掛けてきたのはこれで三度目になる、そのいずれも己に攻撃をかすらせることすら出来ていないのが現状だ。腕に込めるチカラを強めて、徐々に錫杖を押し返していく。こちらが片腕に対してあちらは両腕なのだが、腕力の差は埋めようがない。それでも負けじと純白の少女は翼を羽ばたかせる。

 

 

「ぐ、ぅぅぅ……っ」

「速度はともかく非力なのは相変わらずですね。アナタは天狗どころか、状況によっては人間の男にさえ抑え込まれます。故に鍔迫り合いは避けるようにと、ちゃんと昔に教えたはずでしょう?」

「舐めるんじゃ、ないわよ!」

 

 

 煌めく錫杖から発せられる鬼の闘気。

 白い少女の妖気を喰らい、片鱗を現したのは鬼の四天王が誇る『怪力乱神』。力のみで他の四天王と並び称される星熊勇儀、地底での戦いの際に彼女の目玉を抉ったことで生まれ落ちた魔杖が吼える。あの八雲紫にさえ深手を与えたのだから、その威力は折り紙付きだ。割れんばかりに葉団扇へと叩きつけられた一撃が文を上空へと吹き飛ばす。

 痺れるような衝撃が腕から背骨まで伝わってきたことに、小さな驚きを感じながら黒い少女は一度距離を取った。

 

 

「なるほど、とりあえず非力だという問題は解決していますか。その錫杖のチカラがあれば大抵の相手は一撃で昏倒させられるでしょうね」

「…………少しは、やるもんでしょ?」

「ええ、連続で使用できるかはさておき、有効な手札が増えるのは良いことです」

 

 

 この少女は強くなっている。

 錫杖のことだけではなく天魔から『死を遠ざける程度の能力』を完全に譲渡されたことにより、妖力が安定してきている。弱点は弱点のままだし、相変わらず危なっかしいことに変わりはない。だが少なくとも今の刑香なら、並の天狗が相手であれば正面から勝つことも難しくないだろう。だらりと垂れ下がった肩を抑えながら、苦しそうに息をしている状態に目を瞑るならば。

 

 

「まったくもって無茶をしてくれますね。いつもいつも、アナタが怪我をするたびに心配する私の身にもなってください」

「ふふっ、ありがと。でも今だけは手加減なしでかかって来て欲しいんだけどね。そうでないと修練にならないでしょ、それとも今のがアンタの本気なのかしら。もう少しで手が届きそうよ」

「……ほほう」

 

 

 珍しく挑発的な空色の眼差し。

 稽古を付けて欲しい、この少女はそう言って自分に挑んできた。久しぶりに手合わせをしたかったのか、それとも気分転換の相手が欲しかったのかは知らない。一つだけ自分が言えるのは、負傷した肩をすぐにでも手当させて欲しいくらいだ。あまり刑香が傷つく姿は見たくない、地底での戦いを乗り越えてから更にその思いは強くなった。

 そんな自分の気持ちを見透かしたように、白い少女は星の光に艶めく錫杖を向ける。

 

 

「私だって、アンタやはたてが怪我をするところなんて見たくない。鬼のいると分かっていた地底にさえ、私を心配して二人とも付いてきてくれた。そのことについては感謝してる、これからも、きっとアンタたちは何処に行こうと私を助けてくれるのでしょうね」

「逆の立場なら刑香だってそうするでしょう?」

「そうね、だからこそ……いつまでも護られているわけにはいかないわ。ここから先は特にね」

 

 

 深紫の羽織が月明かりにざわめく。

 天狗なら誰もが持って生まれてくるはずの腕力や体力面において、この白い少女は種族の平均値から格段に劣る。故にその不足を別の何かによって埋め合わせなければならない。本来なら治療用である『死を遠ざける程度の能力』を戦闘に活かし、一撃離脱を基本とした戦法もその一つだ。相手からのカウンターを度外視した突進や打撃は初見の敵ならば、まず対処は難しいだろう。

 紅魔の門番や地底の妖怪と渡り合えたのが証拠だ。数少ない手札を有効に使うことで、己より格上の相手を打倒する。それは人間や妖怪を問わずに理想とする在り方だろう。

 

 

「それで私に挑んできたわけですか、もう世話を焼かれるだけの存在ではないと主張するために?」

「………パルスィの能力に当てられていたとはいえ、はたてとは何とか戦えた。勝ったとは思っていないけど、少なくとも負けてはいないわ。だからーー」

「ふふっ、そういう他者ばかり気遣うところは『あの方』にそっくりですね。普段のつれない態度は母親似なのに、ちらほら見せるお人好しな性格は間違いなく御父様に瓜二つです。輝ける金色の翼を持つ者、お懐かしい若頭様も彼岸でさぞやお喜びでしょう」

「文、それってどういう……?」

 

 

 負けられない理由ができた。

 刑香がどう思っているのかは知らないが、親代わりであった夫妻が亡くなってから射命丸文にとっての家族といえる者はいない。当然ながら天魔は使い魔カラスであった文を一族に迎えるつもりなど毛頭なく、ただ使える駒として手元に置いていた。そこに主従以上の何かを感じたことはない。だからこそ血の繋がりもない、たった一人の家族と言えなくもない妹分の世話くらい好きなだけ焼かせろというものである。この立ち位置だけは何者にも譲るつもりはないし、手放すつもりもない。

 思わず口が滑ってしまったことを誤魔化すように、葉団扇に少なくない妖力を叩き込む。

 

 

「ちょっと待って、もしかしてお母様の使い魔カラスって……」

「話はここまでです、残りは私に勝てたなら聞かせてあげますよ。もっとも、アナタにそれが出来るならですが」

「っ、はやっ!?」

 

 

 雪風にマフラーをなびかせる幻想郷最速。

 瞬きの間など生温い、目を凝らしていたところで並の妖怪では影すら捉えられぬ絶影。反撃を警戒して距離を取っていた白い少女が、防御のために構えていた錫杖の上から速度を乗せた蹴りを叩き込む。鬼の拳に殴られたかのような衝撃と重みに刑香がたまらずに弾け飛ぶ。

 

 

「さあ、手加減してあげるから全力でかかってきなさい!」

 

 

 白い羽を散らしながら、即座に態勢を整えてきた少女。そんな妹分へと今度はこちらから挑発的に微笑んだ。ただの刑香と踊れる舞台は今宵が最後、ならば少々情熱的に振る舞ってやるとしよう。幻想郷最速の風がどのような鋭さを、速さを、想いを秘めているのかを見せるとしよう。

 小雨のように光が流れ落ちる月下にて、射命丸文は葉団扇を振り下ろした。

 

 

◇◇◇

 

 

 幻想郷にてそびえ立つ妖怪の山。

 リリーホワイトが春の訪れを告げて回っているものの、この山に限っていうならば冬の名残りは色濃い。山頂には行き場を失った雪雲が集い、中腹より上に登ったならば河に氷の塊が流れている有り様であった。人間ならばひと時もせぬウチに凍えてしまうのであろう、銀色に輝く死の霊峰がそこにある。

 気候以外も平穏とは言いづらい、それというのも支配者である天狗が不穏な動きを見せていることにある。今までは人間たちが禁を侵して、妖怪の山に入り込んだとしても天狗の縄張りに足を踏み入れない限りは不問としていた。そのおかげで人里には山で採れる作物や獣肉、木材など多くの恵みがもたらされていたのだ。この幻想郷における最大の山地は、妖怪だけではなく人々にとっても無くてはならない場所だ。

 

 だが、先代の大天狗たちが逝去したことにより状況は一変する。

 

 不問とはつまり、敢えて口出しをしなかっただけである。山を預かる種族として人間ごときに領域を穢されるのは我慢ならないが、幻想郷のためには人間たちの生活を支えてやらなければならない。故に天狗たちは許すのではなく、意図的に無視するという形で人々の入山を『ある程度の深さ』まで認めていたのだ。口約束すら存在しないというのだから、人里の存亡は極めて微妙なバランスの上で成り立っていた。

 

 

「詰まるところ大天狗という重しが転がり落ちたせいで、それまで抑え込んでいた不満やら鬱憤が漏れ出したのです。人間たちを入山させるべきではない、山に入れるとしても、代償として『供物』を出させるべきだという考えの者たちは未だに存在します」

 

 

 桃色の花吹雪が舞う屋敷にて、その少女は呟いた。

 残雪厳しい深山であったが、ここだけは冬の気配がまるで感じられない。妖怪の山にあるにも関わらず、空と大地が直接繋がっていない。難解な道を辿りに辿って突き当たる、明らかに周辺から秘された空間。珍しい動物から妖獣に至るまでが主人からの庇護の元で安寧に暮らし、穏やかな天候と豊かな自然に恵まれた桃源郷。

 この屋敷こそが人間の味方であるはずの仙人でありながら、妖怪の山に住まう変わり種。『片腕有角の仙人』の二つ名を持つ茨華仙、その人であった。

 

 

「天狗というのは強大な種族です。群れとしての力はいうまでもなく個としても……鬼ほどではありませんが、妖怪として高位にいるのは疑いようもない。このままでは予期せぬ混乱が起こるでしょう。天狗だけではなく、この山そのもの、或いは幻想郷全土に衰退を招いてしまう」

 

 

 桃色の唇が言の葉を紡ぐ。

 単なる予測ではない、すでに被害が出てしまっている。警告を破り侵入した人間の少年が天狗に襲われる事件があった。結果としてこの少年は博麗の巫女と白い鴉天狗によって救い出されて事なきを得たのだが、この出来事が人里に与えた影響は少なくない。もはや人里の住民は滅多なことでは妖怪の山に立ち入らないだろう、これから本格的な春になるというのに山の恵みを受けられないのは大きすぎる痛手である。

 すぐに飢えることはないだろうし、この状況が続いたとしても天魔を除いた妖怪の賢者たちが対策を打つだろう。外の世界から物品を仕入れ、それとなく人里に流せばいい。しかし長引けば、今まで妖怪の山に立ち入ることで働いていた木こりや猟師は別の商いを見つけなければならない。そうなれば後々に妖怪の山が元の状態へ戻ったとしても、破壊された人里の暮らしは元に戻らない。

 

 

「そうなる前に一刻も早く新たな大天狗を選び、積み重なったイザコザを清算しなければならない。願わくば、それが『あの娘』に課せられた使命であればと私は思っています」

 

 

 説法をするかのように清廉なる口調。

 長い時代を駆け抜けた仙人の声には思わず聞き入ってしまうだけの深みがあった。座敷で向かい合わせに胡座をかいている相手へと華扇は粛々と語りかける。

 地上からの使者に打ち破られたという旧き友。にわかには信じられない話だが、考えてみればあの少女は萃香に真正面から喧嘩を売って生き残ったこともあった。ならば、この結果もある意味では必然だったのかもしれない。本人は嬉しくないだろうが、鬼との厄介な良縁に恵まれていることは間違いない。

 

 

「アンタはそこまで考えていたのかしら?」

「いやいや、使命とは生真面目なアンタらしい物言いだねぇ。生憎だが私にそういう考えはまるで無いよ、ただ面白そうだったからアイツを『推薦』してやったまでのことさ」

 

 

 濃い酒気が漂っていた。

 生物が口に出来る限界を度外視した濃度、強い甘さと苦味が混ざりあった匂いが充満している。そんな空気の中で昼飯に作ってやった握り飯を口に運びながら、鋭さを宿した金髪の女性はそれを獣肉と一緒に噛みしめる。

 纏う気配は人間のそれではなく、歩くだけで地面がひび割れる強大な妖気。双眼は燃え盛る炉心のごとき赤、そして額には天に輝く星を刻んだ一本角。他を隔絶する強さを持つ鬼族の中でも更に別格、かつて大江山を中心に都を襲い尽くした百鬼夜行の頭の一人。妖怪と人、その双方の伝説にて鬼神として怖れられた大妖怪。

 旧都の支配者、星熊勇儀がそこにいた。

 

 

「……まったく、アンタのことだから考え無しで推薦状をしたためたんじゃないかと思っていたけど当たってたかぁ。今の山は鬼が支配していた頃とは事情が違うんだから、迂闊に天狗たちに口を出すべきじゃないわ」

「お前さんは相変わらず真面目だねぇ。ちょっと茶々を入れてやっただけだろうに」

「立場ってもんを考えなさい。そもそもアンタと萃香の軽率な行動のせいで、昔から私がどれだけ割を食って来たと思ってんのよ。地底での一件で大怪我したっていうし、アンタらに私は振り回されっぱなしね」

 

 

 そいつはすまん、と大口を開けて笑う怪力乱心。

 尖った牙が白銀に輝き、傷一つない顔から地底であった戦いの傷跡は見当たらない。白い少女に潰された片目もすっかり癒えたようだ、外見からはあそこまで大きな怪我を負っていたとは想像できなかった。

 そのことを確認して安心したように華扇は溜め息をつく。風の噂で『地底の鬼』が鴉天狗と吸血鬼の一行に敗れたと聞いてから、少しだけ気がかりだったのだ。万が一にも勇儀が死ぬことはないと思っていた。そうなるには自分たちは歳月を重ね過ぎたし、今更そんな救いは許されない。退治されることなく朽ちていく、忘れられていくことこそが己らには相応しい。願わくば『その時』が我らに等しく訪れんことを、と桃色の仙人は祈ってきた。

 噂を耳にした時、自分は友の死を恐れたのではない。友に『置いていかれる』ことを恐れたのだと、華仙は罪深い己の心を恥じた。

 

 

「心配かけさせるんじゃないわよ」

「悪い悪い、久しぶりに愉快な戦いだったんだ。喧嘩から始まって鬼退治、贅沢を言うなら相手は人間が一番なんだが、ああいう気持ちの良い性格をした妖怪たちが相手なら些細な不満も引っ込むってね。思わず鬼が本気になっちまうのも仕方ないだろう?」

「はーぁ、これだもんなぁ。コイツは……」

 

 

 普段の仙人然とした口調はどこへやら。

 誰かを教え導く者としてではなく、親しき友へ向ける顔をして華仙はもう一度溜め息をつくことにした。この山に住まう者で鬼の四天王である勇儀と対等に話ができる者はそう多くない。ごく一部の妖怪や神などの例外的な存在だけである。絶大なチカラを持つ、かつての支配者相手では誰だって臆してしまうのが自然なのだ。事実として、勇儀はこの山に帰ってきてから華仙の屋敷に辿り着くまで出会った妖怪たちから会話を投げかけられた覚えはない。

 それが当然の反応だとは思うが、実につまらない連中である。暇潰しがてら旧友を訪れた自分の選択は誤っていなかったらしいと、怪力乱心の鬼は仙人が呆れながらも口元を緩めているのを見て自らも口元を吊り上げる。

 

 

「正直なところ地底での喧嘩、お前さんも羨ましかったんじゃかいのかい?」

「冗談、私は争い事を好まない仙人なんだもの。血みどろの殴り合いや斬り合いなんて御免被るわ……まあ、避けて通れないなら話は別だけど」

 

 

 澄んだ桜色の瞳、その奥でちろりと苛烈な炎が揺らめいた。それは穏やかな春の陽射しが唐突に火の気を纏ったかのように、見る者を否応なしに惹き付ける『魔』の気配。すぐに霧散させて包帯を巻いた右腕で茶を淹れ始めるあたり、戯れのつもりなのだろう。

 もしくは相変わらず鬼でいる星熊勇儀への当てつけなのか、いずれにしろ衰えてはいないらしい。まさか仙人になっているとは知らなかったので、道中で驚いたものだが中身はそこまで変わっていないようで安心した。

 

 

「それにしても、あんなに興味を失っていた地上に来るなんてどういう風の吹き回しなの? 旧都の酒を呑み尽くして調達にでも来たのかしら」

「おいおい、それなら手下に行かせるさ。いや地上で暴れると面倒だから土蜘蛛に頼んで……アイツらも人間のいる地上に出すと不味いか。それなら魁青あたりに任せれば良さそうだ」

「カイセイ? ここに来て新しい配下が増えるなんて珍しいわね、多分私が知らない鬼よ」

「それなら今度会わせてやるよ、喧嘩はあまり強くないが気の回る奴でそこそこ助かってる。お前さんならすぐに仲良くなれそうな気がするねぇ。ああ、それと私が地底から上がってきたのは荷物の運搬をさとりに頼まれたからだよ」

「……あの地霊殿の主から?」

 

 

 あの引きこもりが鬼を頼み事をするとは驚きだ。

 勇儀は誰に対しても開放的だが、さとりは閉鎖的な性格だったはずだ。しばらく行かない間に地底も色々と変わってしまったのかもしれない。

 おまけに勇儀が言うには、その地霊殿の主から知らせを貰い『何か』を持って来たとのことである。恐らく部屋の片隅に置かれている巨大な木箱のことなのだろうが、疑念は膨れるばかりだ。しかし今の自分は地底に属していない身分である、果たしてその中身を尋ねて良いものかと迷いもある。そんな華仙の気持ちを察したのか、何気なく勇儀は口を開く。

 

 

「そういや忘れてたねぇ。私の一存で刑香達にくれてやったんだが、アレはお前さん達と共に集めたモノでもあった。惜しくはないだろうが、説明も無しっていうのは悪いことをしたか」

「……何のこと?」

「ああ、つまりだ。私が運んで来たのは『コイツら』なんだよ。この間の喧嘩で私に勝った褒美としてくれてやったんだが、持って帰ると面倒なことになると置いていかれちまってねぇ。これでめでたくお役御免だ」

 

 

 勇儀の背丈ほども積み上がった大荷物。

 それを横倒しにして中身をぶちまける。すでに自らの物ではないと口外したにしては扱いが荒いが、そのあたりは鬼なので仕方がない。絶大な身体能力と引き換えに細かいことは気にできない種族なのだ。

 転がり出てきたのは縄で固定された漆塗りの美術品や、銀貨や金貨を始めとした貨幣、そして妖気を纏った武具などであった。確かに執着はまるでないものの、どれもこれも懐かしさを感じさせられるモノである。華仙はその一つ、古めかしい鞘に納められた刀剣を手に取った。元々は由緒正しき名刀でありながら鬼の血を喰らったばかりに呪われ、以後は妖刀として世に残ることになった逸品である。まさか、またお目にかかるとは思わなかった。

 無くした右腕が、ざわめく気がする。

 

 

「……これは、萃香が百鬼夜行を率いていた頃に人の都から奪い取ってきた財宝よね」

「誰かさんが羅城門に陣取っていた時のモノもあるかねぇ。いずれにしろ私たちが散々に鬼らしいことをしていた時代の名残りさ。いつか首を取られる瞬間のために集めておいたが、もう私たちを退治しにくる人間もいなくなってしまった。それなら、いっそのこと次代の連中に役立ててもらいたくてね」

 

 

 埃を被り、誇りが失せた金銀財宝。

 かつて奪いに奪い、集めに集め、襲い尽くして積み上げたお宝たち。宝が欲しいなら挑むがいい、名誉を望むならば奮い立って来るがいいと、口々に鬼たちが人に呼びかけた旧き時代。いずれ自分たちを打倒する者のために用意した褒美、魂を燃やして挑んでくるであろう者に報いるためのモノだったはずだ。

 しかし時は流れて幾星霜、もはや鬼の宝としての意味を成さず、ただ地底の酒場にて置き捨てられるばかりの長物と成り果てた。これから先、人間が鬼に挑むことはないだろう、鬼退治がお伽噺の向こう側へと忘れられて何百年も経ってしまったのだ。

 このあたりが、幕の引き際だ。

 

 

「それでコレをあの子たちにあげるわけね。いいんじゃないの、少なくとも私は賛成してあげる、きっと萃香の奴も同じことを言うんじゃないかしら。あの子を気に入ってたみたいだし」

「これから大天狗になるにしろ、ならないにしろだ。あのジジイの身内として天狗の里で生きていくなら資産は多いほどいい。連中は人間を見下すくせに、人間みたいに同族を貶すところもあるからねぇ。そんな下らないモノからアイツらを護るための力になるだろうさ」

「でも、駆けつけるなら急いだ方がいいわね」

「……ん、そいつはどういう意味だい?」

 

 

 首を傾げる一本角。

 それには見て見ぬふりをして、片腕有角の仙人は丸窓から山頂へと桃色の眼差しを向ける。ここは方術で暖かい気候を保っているが天狗の里はさぞや寒かろう。舞う雪はどこまでも純白で、あの少女の翼もまた透けるように白い。それは魑魅魍魎の蠢く、この御山に最も相応しくない色でもある。だからこそ、これまで妖怪の山に足りていなかった何かを埋めてくれるかもしれないとも期待する。

 

 

「…………今頃はきっと、覚悟を決めて辿り着いている頃でしょうから」

 

 

 茨華仙はそう山頂を見上げながら呟いた。

 零れ落ちんばかりの星々が輝く空、傾いた月は西へと沈みかけている。やがて太陽が昇ることだろう、そうして幻想郷に新しい朝が訪れてくれることを『妖怪の味方』である少女は願っている。

 

 

◇◇◇

 

 

「……アンタ達って、たまに物凄い馬鹿よね」

 

 

 同時刻、天狗の里を行く鴉天狗の三人組。

 随分と妖力を消耗したように見える親友たちへと、姫海棠はたては呆れたような視線を向けていた。今日は忙しくなるというのに、文と刑香は稽古と称して力比べをしていたというのだ。何処に行ったのかと里中を探し回り、もしかしたら拐われたのではないかと天魔に報告へ行くことも考えていた自分の心配は何だったのだろう。しかも気まずそうに目線を逸してくるのは白い少女で、いつも巻き込む側である黒い少女は今回に限っては巻き込まれた側であるらしい。

 ふむ、と頷いてから刑香の頭を撫でつける。わざと髪を乱すように手を動かしてみるが、特に抵抗はない。

 

 

「アンタが文に勝てるわけないでしょ。まさかだけど、地底で私に勝てたから文にも勝ち目があるとでも思ったの?」

「……そんなに自惚れていないわよ。はたてに勝てたのだって、パルスィの能力にアンタが操られていたからなんだし。だからアレは無効試合、アンタは私なんかに負けてないわ」

「変なところで刑香って律儀よねー。そういえば、まだ胸のサラシに霊夢の御札を忍ばせていたりするの?」

「は、はたて、何を……ひゃわっ!?」

 

 

 冗談交じりに胸の位置あたりを探ってみる。

 装束の上からだと分かりにくいものの、小さな膨らみを感じられる親友の身体。昔から思っていたが大きさとしては文、自分、刑香の順になるらしい。とりあえず一人には勝ったと両手から実感を得ながら更に指を進めてみる。サラシのあたりに御札は無さそうである、やはり妖怪退治の道具を胸元に潜ませるのは良くないからだろうか。すると流石の刑香も怒ったらしく、程よい力で手首を掴まれて引き離された。

 

 

「……霊夢の神符はあまり長いこと肌に触れさせていると私にも毒なのよ。だから地底の場合みたいに戦いになるって分かっている時しか持ち歩いていないわ。あと、アンタまで文みたいな真似はやめてよね」

「ごめんごめん。たまには私もやってみたいな、なんて思ったの。いやー、なかなか楽しいわね」

「よし、次はアンタがやってきたら錫杖でぶん殴るわ」

 

「つまり私なら良いということで………あだっ!?」

「んなわけないでしょうが!!」

 

 

 スキをついて抱きついた文へ肘打ちをかます刑香。

 一連の流れはいつも通りに、何百年も繰り返してきたモノと変わらない。本当は思慮深い性格のくせにお調子者を演じた文が場をかき乱して、本当は嬉しいくせに渋々という顔で刑香が相手をして、そして自分はそんな二人だけだった輪を三人へと広げるのだ。私も混ぜなさいと、はたても刑香へと抱きついた。

 

 

「あ、アンタたち、本当にいつもいつも……!」

「刑香、私は貴女のことが大好きです」

「へー、気が合うわね。私も刑香のことが大好きなのよ」

 

 

 後ろから文が、はたてが前から抱きしめる。

 いつもは逃げようとする刑香も逃げ場を塞がれてはどうしようもない。どんどん触れ合った面積の体温が上がっていくのが分かる、耳もこれ以上ないくらいに朱色に染まっている。それは自分も同じなのだが、たまにはこんな恥ずかしい友情の確認も悪くないだろう。ジタバタと小さく抵抗をしていた初心な親友もやがて諦めたのか、くたりと脱力してされるがままとなる。

 敵わないのは当たり前、刑香にとっての天敵は星熊勇儀でも八雲紫でもなく自分たち二人なのだ。最も付き合いが長く、実力と手の内を知り尽くした自分たちは刑香にまず負けることがない。

 

 

「いくらでも世話を焼かせなさいよ。刑香のお守りくらいで倒れるほど、私も文も弱くない。やたらめったら軽いアンタを背負ったところで飛べなくなるような翼はしてないわ」

「それに、です。刑香は独りだとあまり強くはありませんが、アナタが今まで得てきた多くの人妖との繋がりは天狗の誰よりも強い。群を成して力とする、それこそ私たち天狗という妖怪。刑香の在り方は天狗の誰よりも正しいのです」

「………、ーーーー」

 

 

 その時、ぽつりと漏らされた言葉。

 わざと聞き取られないようにしたのだろう。刑香が唇を震わせて発せられた単語は砂糖の欠片のごとく、静かに大気の水面へと溶けていった。しかし身を寄せ合っていた自分たちには丸聞こえである、刑香を間にしながら文と一緒に笑いを堪えて震えてしまう。それは無いだろう、いくらなんでも卑怯なくらいに可愛らしい。コレは墓の下まで持っていくことにする、他の誰かに聞かせるには惜しいと二人は目線で合図を交わした。

 

 そろそろ、時間だ。

 

 三人が辿り着いていたのは古びた楼閣。

 天魔の屋敷には劣るものの、荘厳な門構えを持ちながら計り知れない歴史の刻まれた上役たちの会議場である。外に見張りはいない、警備の手があるのは門より内。ここより先には先代の大天狗たち亡き今、現在の天狗社会の重責を担っている全ての者が集結していることだろう。旧都を遥かに凌いで余りある妖気が渦巻いては、ぶつかり合って異界のごとき気配を漂わせている。スキマの大妖怪、八雲紫でさえ手を焼いた化生たちが待ち構えている。

 そっと、二人の少女たちは親友から身を離した。

 

 

「あーあ、一人だけ出世するなんてズルいわね。ここは出世払いってやつに期待させてもらおうかしら」

「さあ、私たちはここまでです。行って来なさい、新しい『大天狗』さま」

「ええ、行ってくるわ」

 

 

 二羽の天狗少女たちは黙ってその背中を押す。

 邪気を払い不老長寿をもたらす伝説に恵まれた果実である桃、しかしその花は同時に恋や愛などにまつわる花言葉にも縁深い。開かれていく門から溢れ出してくるのは邪な気配ばかり、ここから先は鬼退治よりも厄介な難題が待ち受けているかもしれない。それでも恐れることなく、刑香は門の内側へと足を踏み入れた。

 

 

 これより継承の儀が、執り行われる。

 

 

 


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