その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第六十一話:天狗抄

 

 

「あーあ。刑香ったら、珍しく派手にやらかしているじゃない。収拾付けるの大変よ、アレ」

 

 

 煌々と瞬くのは焦げ茶色の瞳。

 空の闇を喰らうがごとく、焔が屋敷から立ち昇っている光景を少女はじっと見つめている。恐ろしいほど疾い火の回りは、ものの数秒で建物全体を呑み込んでいた。ここまでくると自然の火災ではありえない速度だが、しかし仮にも神威の宿る焔だと考えると妙に納得してしまう。黄金と白が混じった焔は不安定ながらも不思議な輝きで天狗の少女を魅了する。

 (まぶた)を貫くような光量は心の奥底に熱い何かとなって降り積もっていく。きっと自分は彼岸に渡るその時まで、この夜を忘れることはないだろう。そんな漠然とした予感が胸をよぎる。

 ちらりと隣へ視線を送ってやると、文もまた眩しそうに屋敷を見つめていた。

 

 

「これで、いいんですよ。どのみち尋常の方法に頼っていたのでは、あそこに集まった連中を納得させることなんて出来ません。多少乱暴でも、より明確に大天狗に相応しい『器』を示してやるしかないんです」

「上手く言えないんだけど……それってさ、刑香らしくないわよね。アイツって、どちらかというと厄介事に巻き込まれて、嫌々協力させられたり従ってきた感じだから力を見せつけるなんて苦手分野でしょ」

「そうですよねぇ……。大天狗たちから能力使用を強制させられたり、吸血鬼異変に巻き込まれたり、地底に手紙を届けに行かされたり。あの子の大まかな歩みの殆どは『誰かから強制された』ものでしたから」

 

 

 光と熱が黒い闇を焼き捨てていく。

 天魔のモノは黄金一色であったらしいが、刑香が操る焔には少なからず白い炎が息づいていた。目を覚ますような明るさだが、よく目を凝らしてみると夏の雲間から陽光が射し込んできたかのような暖かさがある。しかし時々、息継ぎをするかのように勢いが弱まっていた。やはり苦しいのだろうか、刑香の手持ちの妖力でここまでの熱量を維持するのは難しいはずだ。

 

 

「アイツ、大丈夫かしら……ねぇ、文」

「駄目です」

「まだ何も言ってないでしょ!?」

「ここはあの子が私たちへ頼ることなく、切り抜けなければならないと説明したはずでしょう。というか、私だって我慢しているんですから少しは耐えなさいよっ!」

「だって心配で仕方ないんだもん!」

 

 

 刑香だからではない、中に入ったのが文だったとしても同じことを思ったはずだ。一応、椛が護衛に付いているとはいえ待ち受けている連中が連中なのだ。幻想郷における上級妖怪である天狗の中でも別格、八大天狗の身内や眷属たち。万が一にも何かが起これば刑香と椛だけでは対処できない。まともな思考で考えるならば、はたてと文の付き添いは必須だったはずだ。

 しかし、今回だけはそうもいかなかった。

 

 

「天狗の中には刑香に味方してくれる者は殆どいません。仮に天魔様が呼びかけたなら賛同者は幾らでも出て来るでしょうが、それは天魔様への好意であって刑香へのモノではない」

「だからこそ、あの連中には『私たち』抜きにして刑香そのものを認めさせなければならないわけかぁ。一応、頭では理解してるつもりなんだけどね……」

「ええ、本当にもどかしいことですが」

 

 

 鋭さを増していく文の眼光。

 先程から一歩も動かず、赤い双眸はひたすら屋敷を睨みつけていた。その鋭い眼差しにぞっとしてしまいそうになる。もし刑香に何かあれば、間違いなくこの黒い翼は災厄をもたらす嵐となるだろう。それくらい文は刑香を大切にしているし、刑香だって立場が逆なら同じことをしかねない。冷静なようでいて譲れない一線においては二人とも直情的なのだ。

 今も硬く握りしめている友人の拳を、はたてはおもむろに手の平で包み込む。そして伝わってきた微かな震えに「不安なのはお互い様らしい」と苦笑した。そんな自分たちの心境を表すように月の光が二人分の翼をゆらゆらと照らしてくる。湖面で踊る木の葉のごとく、天狗の少女たちの心は揺れていた。

 

 

「……先日、いつまでも一緒にいたいと寝ぼけながら伝えたところ、刑香から『永遠なんてない』と突き放されましてね。そのせいで、随分と焦っているのかもしれません」

「アイツらしいわね。寿命を延ばせるからこそ、誰よりも生命の限界ってやつを知ってる刑香らしい台詞。瞳は夏空だけど、冬を思わせる純白の鴉天狗らしい対応じゃない。でも、アイツがそんな厳しい言葉を吐くなんて珍しいわね?」

「まあ、状況が状況だったので……おっと?」

 

 

 唐突に会話を打ち切った文。

 ぐらりと一本歯下駄を傾けて、おどけるようにして立っていた場所から身を引いた。小石にでも躓いたのかと思ったのだが、すぐに鼓膜を揺らしてきた地鳴りのような足音から事情を察する。思ったより早かったなと、はたては焔光を散らす屋敷から背後へと視線を移す。この気配を忘れるはずもない、地底で散々に文と刑香を痛めつけてくれた化け物なのだ。

 力任せに大地を踏み砕く音、裂かれるような風の悲鳴が耳に痛い。そして漆黒の空から影が一つ、砲弾のごとく降ってくるのを二人は無言で眺めていた。

 

 

「よう、少しばかり遅れてすまないねぇ!」

 

 

 両脚を地面に打ち込みながら、豪快に着地を決める山の元覇者。見覚えがあり過ぎる一本角を月光に艶めかせ、美丈夫といってもよい出で立ちの女鬼がこちらへと笑いかけていた。そして所々汚れてしまった服から土埃を払いつつ、一本歯の下駄を鳴らして大江山に君臨した主の一人は燃え盛る屋敷を一瞥する。

 

 

「華扇も一緒にいたんだけど、ちょっと天狗共の説得を任せて来ちまってねぇ。まあ、すぐに合流すると思うが……ともかく『アイツ』がどこにいるのか手短に教えてもらえるかい?」

 

 

 宝の入った箱を乱暴に地面へと放り投げ、星熊勇儀は地獄の炎のごとく真っ赤な瞳を煌めかせた。

 

 

◇◇◇

 

 

 その神格の名を『不動明王』という。

 破壊と救済、対極とも思える属性を併せ持つ激しき炎のごとき怒りの化身。仏法に仇なす者を圧倒的な神力で葬り去り、一方で帰依する者全てを守護する者。その司るとされる力は極めて強大で、かの五大明王の中でも抜きん出ると謳われている。幻想の途絶えた外界においてさえ、未だに多くの信仰を集め続ける存在であることからもその神力は疑いようもない。

 

 そして、そんな不動明王が背負う『焔』こそが迦楼羅焔(かるらえん)

 

 一切の邪悪を灼き尽くす明王の威光を体現したチカラであり、それはしばしば迦楼羅王そのものと同一視される。つまりは現天魔、白桃橋迦楼羅(かるら)の持つ神性の具現(ぐげん)こそが『この焔』なのだ。その神聖な能力を目の前の小娘が使ってしまった、その事実を噛み締めながら天狗の一人が呆然と呟く。

 

 

「これは、天魔様の御力そのもの……いや妖気も色も違う、のか?」

 

 

 金と白の入り混じった炎熱に包まれる楼閣。

 天井にまで燃え広がった灼熱は留まることを知らず、広間に集まった妖怪を一人残らず呑み込まんと勢いを増していく。その輝きを注意深く観察しながら天狗たちは考えていた。これは天魔の操る神力ではない、伝わってくる妖力も違う上に長老が使う焔は黄金の一色であったのだ。

 逆にいえば、これは『間違いなく』白桃橋刑香が繰り出してきた焔ということになる。天魔の能力を不完全ながらも継承したというのだろうか、有り得ないことだ。

 焔が揺らめくたびに、集まった者たちの心を大きく揺るがしていく。しかし老獪な者たちは焦りの感情を(つゆ)も見せず、白い少女へと再び(あざけ)るような言葉を投げかけた。

 

 

「ほうほう、これはこれは大したもの、余興としては大したものではないですか」

「流石は天魔様の血筋なだけはあるようだ。もっとも、あの方の焔はこの程度ではありませんなんだがな」

「天晴見事、貴女様は紛れもなく天魔殿のお孫様であらせられるようだ。して、このようなモノを我々に見せつけてどうするおつもりかな?」

 

 

 白い火の粉が羽ばたくように散った。

 所詮は血を継いだだけであって、祖父のチカラの大部分を受け継げなかった半端者。それがここにいる天狗たちの刑香に対する評価であった。おまけに妖力は並以下、妖怪としての実力は射命丸文にすら及ばず、天魔から授かったチカラは『死を遠ざける程度の能力』のみである。

 その場に来る前に、誰もが白い鴉天狗のことを『担ぎ上げる対象』から『利用する道具』へと認識を改めていた。それも「容姿がそれなりに整っていた娘であることは唯一の救いであった」と嘲笑しながらだ。

 役立たずであろうと天魔の血縁だ、上手く丸め込んでしまえば己の権力基盤を安定させることくらいはできる。せいぜい使える物であってくれと見下した。

 その狙いが大きく外れることになるなど、誰が予想出来ただろう。

 

 

「『死を遠ざける程度の能力』と違って、こっちは予備みたいなモノになりそうだけどね。まあ、私のチカラには相違ないでしょう。組み合わせがどこぞの竹林で出会った白髪の蓬莱人みたいで、悪くないわ」

 

 

 夏空色の瞳に揺らめく陽炎。

 そこには獣のような獰猛な鋭さは無く、猛禽のごとき勇猛さもない。ただただ見る者を惹き付ける白い熱が宿るばかり、それなのに誰一人として視線を外せなかった。よく目を凝らした者は、その翼に金色の羽が輝いていることに気づけただろう。

 光の加減で見え隠れするのは、以前にフランドールが気づいたモノ。かつて彼らの長老たる老天狗が誇っていた双翼の色、それが僅かながら刑香にも遺伝しているのだ。輝く焔は壁や天井を焦がすことなく渦を巻き、主たる少女を守るように脈動していた。

 

 

「本当は『大天狗』になるつもりなんて無かったんだけど悪いわね。こっちにも譲れない事情がある、席を一ついただくわ」

 

 

 自信に満ちた少女の顔、それを見て彼らは本能的に感じ取る。皮算用は煙と共に消え失せ、ここに自分たちの企みは塵芥(ちりあくた)と化したのだと。しかし欲は止まらない。

 

 

「それを我らが承認するとお思いか、貴女を大天狗にしたところで我らにどんな益があるというのか」

「血筋以外、何も持っておらぬ貴女が大天狗となることを支持する者がどこにいる。そんな者は天魔様と、貴女のご友人くらいのものでしょう。それでは何も出来ますまい。おとなしく我らの指示に従うのが懸命ではありませんかな?」

 

 

 焔に撒かれながらも余裕を崩さない。

 内心ではもう理解しているのだ、この少女は自分たちに従うつもりがないことを。それでも手を引かない、ここでこの娘を諦めるのは非常に惜しい。それに天魔が一向に姿を見せぬというのもある、刑香がどのように窮地を乗り切るかを試しているのではないか。それで大天狗の器として相応しいかどうかを判断するつもりなのだと彼らはあらぬことを期待する。

 

 

「我ら天の狗、人にて人ならず」

「鳥にて鳥ならず、足手は人、左右に羽根はえ、飛び歩くもの」

「深山の守り主にして、天の魔を頂に祀る者」

「個を個とせず、風を束ねて嵐とする。幻想の郷を誰よりも長く見守ってきた妖(あやかし)、孤高でありながら群をなすことこそ我らの強さ」

「刑香様、貴女にはまだその資格がない」

 

 

 降る言霊に宿るは歴史の重み。

 この国における三大妖怪の一たる天狗。人間と敵として神として、時と場所により善とも悪とも語られてきた旧き存在。そんな種族の上に立つ地位である大天狗の名は軽いものではないのだ。

 

 しかし今の彼らは、心の底から刑香に資格がないと思っているわけではない。

 

 この焔は紛れもなく天魔の操っていたチカラであるし、噂によると吸血鬼異変を解決に導くために尽力し、八雲や人里からそれなりの信頼を得ているという。しかも地底では星熊勇儀との戦いから生き残り、大天狗への推薦状まで受け取っている。

 初めは信じていなかったが、ここまでの胆力を見せられれば真実なのだと納得するしかない。ならば、あとは自分たちが後ろ盾にでもなれば大天狗として就任するための問題は無くなるだろう。しかし認めたくないという思いが強い、あと一歩が踏み出せない。

 そんな天狗たちへと刑香は珍しく、実に天狗らしい黒さの滲む笑みを浮かべた。

 

 

「へぇ、つまりその条件を満たせばいいわけか。なるほどね。個を群とする、集団の力こそが妖怪の山を貫く原則にして天狗の不文律。なら……私も『その証』を示してやるまでよ」

 

 

 その台詞に何を莫迦なと彼らは嘲笑う。

 せいぜいが三人、それが刑香の集められるであろう味方の頭数だ。射命丸文、姫海棠はたて、そして今も少女の傍に控える犬走椛。天魔の威光に頼らずに従ってくれるのはそれだけだろう。

 子供の遊びではないのだ、その程度の人数で足りないことくらいは分かっているはずだ。それとも外から河童や人間でも招いてみるつもりなのか、有象無象をいくら呼び寄せたところで何になる。この決定を覆せるだけの力のある者がどこにいる。

 しかも周囲を自ら焔で閉ざしてしまっているのだ、天狗たちは笑うのを通り越して呆れてしまっていた。天魔の宿敵たる『あの女』でもない限り、空間を越えて駆けつけることなどーーー。

 

 

 

 

「ーーー遅くなって済まなかった、白桃橋」

 

 

 

 

 聞き覚えのある声に空気が凍りつく。

 身を震わせる怖気が、刑香と椛を除いた天狗たちに襲い掛かったのはその瞬間だった。じわりと莫大な妖力が(にじ)み、白い炎がその形を崩す。閉ざされた部屋である故に、本来なら空気の流動はほとんど無い。されど火炎は姿を変える、新たなる来客を迎え入れるために。

 虚空に現れた空間の裂け目、それは天狗以外の行う神隠し。幻想郷では『スキマ』と呼ばれる、最高位の能力の一つである。そして、そこから降り立った人物へと刑香は親しげに言葉を紡ぎ出す。

 

 

「少し遅いわ、何してたのよ」

「ようやく鬼が結界を壊してくれてな。口惜しいことだが、あれだけは私が手を出すわけにはいかなかったんだ。私が破ったとなっては、この後の始末が一層面倒になってしまう。まあ、結果としては悪くないタイミングで参上できたようだが……」

 

 

 焔に映える紺碧の法衣。

 天狗たちにとって覚えのある姿だった、ここにいてはならぬ存在だった。焦りを含んだ天狗たちの目線が、先を争うように一点へと集中していく。いつの間にそこへ立っていたというのか、などという疑問は彼女には通用しない。スミレのような紫色に藍色が混ざった空間の歪みを背にして、周囲の焔にも劣らぬ黄金の毛並みを(かがや)かせた九つ尾の大妖狐がそこにいる。

 

 

「よく来てくれたわね、八雲の式殿」

「くくっ、間に合って何よりだよ。新たな大天狗殿」

 

 

 スキマ妖怪の式神、八雲藍。

 天魔の宿敵である八雲紫が唯一、その家名を名乗ることを許した使い魔。その高い実力と能力から『八雲』の跡継ぎと目される存在でもある。しかし紫と天魔、お互いの長が対立している以上は藍と刑香もまた敵同士となるべき間柄だ。それがまるで対等の友人であるかのように言葉を交わしている。

 もちろん刑香と藍との間には未だに埋めようのない実力差が存在する。だが今の二人にはそんな『些細なこと』は関係がない。呆然としている天狗たちは、あまりの事態に言葉が思いつかない。暫くの間を挟み、その中の一人が震えるようにしてようやく口を開いた。

 

 

「こ、これはこれは八雲の式殿……いかなる用向きですかな。今は大事な取り決めをしている最中でしてな、貴女様がここにいることが知れると天魔様だけではない、里の者たちにも多大なる混乱がーーー」

「これだけの神力に囲まれていては、如何に強大な妖力であろうとも外から感知することは難しいでしょう。万が一、気づかれたとしても今の里は『別の存在』のせいで、それどころではありませんよ」

「っ、この燃え盛る鳥籠はそのための仕掛けか!?」

 

 

 長老から受け継いだチカラの片鱗。

 それを見せることで、継承を自分たちに認めさせようとしたと天狗たちは解釈していた。その思考は決して的外れではなかったが、中心を射抜いていたわけでもない、

 楼閣を覆う黄金の殻は、内部で起こっていることを外へと漏らさないための防壁。光は光によって呑み込まれ、生半可な透視能力は弾き返される。音が漏れ出すわけもなく、焔を突っ切っての侵入もまた難しい。

 まだ上手く制御できないがために、刑香は椛に頼んであちこちに油を仕込んで燃え広がる範囲を固定させている。それが功を奏し、完全とはいかないまでも周辺からこの空間を遠ざけてしまうことに成功していた。

 奇しくもそれは八雲紫が得意とする術式、空間を繋げる閉ざすはスキマの賢者の専門分野である。黒い翼たちの反応を面白そうに眺めた後、金の狐目は刑香へと視線を移す。

 

 

「さて、それでは手短に済ませようか。連中も散々待たされてご立腹だろうからな」

「……ちゃんと全員来てくれるのかしら?」

「里を騒がせていた連中も回収して、もう中に放り込んである。心配は不要だ、刑香」

 

 

 指揮をするかのように指先を踊らせる式神。

 その間にも金色の輝きは空気を(いぶ)し、壁や天井を傷つけることなく這い回る。恐らくだが、この白炎が混じった焔は、本来の威力には届かぬ代わりに焚く対象を選ぶことの出来るのだろう。

 広間に施された彫刻や飾られた美術品を焦がすことなく、堅固な(ろう)を創り出している。充満する熱が肌を乾燥させては舌先を焼いていく。改めて彼らは実感する。やはりこの少女は祖父とは違う、己の敵を悉く焼き尽くさんとする激情が感じられない。空色の瞳に映るのは、夏空を思わせる暖かな太陽の横顔ばかりだ。

 

 

「……当たり前でしょう。まったく同じ精神をしている者など有り得ません。血縁があろうと、種族が同一であろうとも他者と己は違うモノ。心の在り方が千差万別なのは当然です。まあ、良くも悪くもですが」

 

 

 控えめな着地音と共に、物憂げな声が聞こえた。

 

 

「だからこそ、誇れる強さというのも個人によって異なる。枝分かれした旅路の果てに得ることになる答え、それが各々違うモノであるのは当然のこと。私はどちらも否定しないけれど、好みの問題ならば刑香の選んだ運命の力に興味を惹かれるわ」

 

 

 皮膜の羽ばたきと共に、尊大な声が響いた。

 

 

「天魔の爺は強かった、それこそ私たち四天王と真っ向勝負が出来るくらいにはな。だが一度も全力で戦ったことは無かったし、当然だが負けたこともなかった。あれから幾星霜、まさかその孫娘と全力で戦って負かされる日が来るとはねぇ」

「そして鬼退治の報酬は抱えきれない程の財宝と、天下に轟く名声と決まっています。そのどちらも受け取らなかった刑香には、せめて私たちから追い風を送るとしましょうか。まあ、今の私は鬼ではなく仙人ですけどね」

 

 

 鮮やかな鎖の()が二つ鳴き、快活な声が木霊した。

 

 

 言葉を失うとはこのことだ。

 八雲藍が創り出したスキマ、そこから現れた影は四つ。

 気怠げにサードアイを浮遊させた地底の主、悪魔羽を羽ばたかせた貴族然とした夜の王、床を踏み抜かんばかりに豪快な一本角の化生、そして礼節を欠かさぬ物言いをする片腕の仙人。その全員が幻想郷にて名を轟かせる高位の妖怪、もしくは最高位の大妖怪である。微動だにせず硬直する天狗たちには目をくれず、彼女たちは各々の速度で白い少女の側へと移動していく。

 

 

「個を群となす、それこそ天狗という妖怪のチカラ。それを持たぬ者に大天狗の資格はないと……確かにアンタたちはそう言ったわね?」

 

 

 白い少女の言葉に反応を返せる者はいない。

 あまりにも壮観たる顔ぶれだった。引いては押し寄せる浜風のごとく、満ちた妖力の波は大海に攫われていた遠い記憶を打ち上げていく。あれは誰の語っていた理想であったか。

 天狗だけでなく、多くの妖怪が手を取り合うような楽園を作りたい。例え腹に一物やニ物あろうとも、根底では幻想郷のために協力を惜しまぬような勢力図を目指す。そんな甘ったれた幻想を夢見ていた若者がいたはずだ。あの男が月から帰って来なくなって、千年の月日が経ってしまった。

 

 

「ならば、これが今の私が見せることの出来る全力よ」

 

 

 これは偶然なのだろうか。

 きっとこの少女は気づいてはいないのだろう、身内との繋がりを重視する天狗という種族において『外』との絆を持つ存在は稀少だ。基本的には同族とのやり取りだけで全てが完結する、山の外にあるモノで天狗が執着するのは人里くらいなのだ。鬼の支配には下っていたが、天狗は他種族と交わる必要がない。それは山にいた頃の白い少女とて変わらなかったはずだ。山を出る二年前程まで、そうだったはずだ。

 

 

 幻想郷のもう一つの世界である地底。その管理者にして閻魔王との橋渡し、古明地さとり。

 遥かな西方から来たという新興勢力。精鋭の集う紅魔館の当主であるレミリア・スカーレット。

 かつて妖怪の山に君臨していた鬼族が長の一人、剛力の化身として怖れられた星熊勇儀。

 この妖怪の山に住まう仙人。素性不明でありながらも、絶大な力を感じさせる片腕の仙人、茨華仙。

 そして天魔の宿敵たる八雲紫の右腕。幻想郷最強の妖獣であり管理者の一人、八雲藍。

 

 

 純粋に協力するため、もしくは借りを返すため、或いは何かを期待して集まった幻想郷でも屈指の大妖たち。しかし一つだけ全員に共通しているのは、白い少女がいたから駆けつけたということだけ。

 

 この二年あまりで白桃橋刑香が入れたもの、誇れるもの。それは多くの人妖たちとの出会い、そのものである。現在の幻想郷における有力者、そしてかつての上司というオマケ付き。

 この面子を前にして刑香を「大天狗とする利点がない」と口に出来る者は、この広間にはいない。ある者は血の気の引いた顔で、ある者は高揚した様子で、またある者は無表情で、深々と(こうべ)を垂れる。

 そして程なくして、『その決議』が採られることとなった。

 

 

 

 


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