目を覚ますと、そこはいつも通りの殺風景な自宅だった。その光景に驚き、思わず飛び起きる。
「はあ…はあ…僕は…死んだはずじゃ…」
ここは黄泉の国なのだろうか。やけに見慣れた光景の癖に。そんな冗談めかしい事さえ本気で考える程気が動転していた。
ペタペタと全身をくまなく触る。しっかりとした肌の温かい感触がした。脈もある。血も流れている。…どうやら生きているようだ。
「生き…てるのか…」
にわかに信じがたいが、実際そうなので受け止めるしかない。じゃあ果たしてさっきまで見ていたのは夢なのだろうか。やけにリアルすぎて全くそんなことを感じなかった。そうでなければ説明がつかない。そう思い半信半疑だが飲み込むことにした。
「…アストンマーチャン」
夢で出てきた少女の名を口ずさむ。不意に、彼女との思い出が頭をよぎった。存在しない記憶。夢にしては具体的な思い出に、妙な心地よさを感じた。思い出したかのように押し入れの中を確認する。当然、そこに彼女のぬいぐるみは無かった。やはり夢だったのだろうか。そう考えてからようやく自分がまだ夢だと受け止めきれていない事を自覚する。傷心並みに引きずっているが、何が僕の心をそうさせているのか。自分に問うても分かりそうになかった。
深呼吸をし、辺りを見渡してからようやく気が付いた。部屋が全く散らばっていないのだ。そんな何気ない事でさえ、僕にあれは夢だと告げてくるのだ。気分が沈む。
「そういえば今日はやけに暖かいな」
昨夜のあの寒さから一変、今日は
「え?どうしてこれが…」
手に取った携帯を見て驚愕する。その携帯は僕の3つ前の物だったのだ。
「そんな…確かにショップに渡したはずなのに…」
機種変をする際には必ず交換するタイプ、金城真船。3つも前の携帯なんか残っている訳がないのだ。
慌ててカレンダーを確認しに行く。…そうだ僕の部屋にカレンダーないんだった。仕方がないので恐る恐るスマホのロック画面を開く。鈍く立ち上がるように光が付き、真っ白な壁紙の上に日付が堂々と表示される。
そこには__
2020年 4月16日
と表示されていた。
僕は怖くなって部屋を飛び出した。どこへ行く当てもなく、ただ逃げたかった。理解の範疇を超え、理不尽と不条理を混ぜたもので殴りつけられている得体の知れない魔物から。
靴も履かずに、服も着替えずにただ逃げた。20分くらいだろうか。体力のない自分にしてはよく走ったものだ。
逃げた先は、河川敷だった。
「ここは…」
つい昨日視た場所だ。そう、アストンマーチャンと初めて言葉を交わした場所。
「…ホワホワさん」
あの白い鳩の名を口ずさむ。夢で出てきただけなのに、強く残っている彼?の名。それはきっと、僕とマーチャンを引き寄せてくれた存在、だからなのだろう。彼との出会いが、マーチャンとの出会いであり、彼の死が、『アストンマーチャン』を知るきっかけになった。
そっと地面を撫でる。弔う様に。在りもしない存在を、幻視しながら。
「おや?ホワホワさんを知っているのですか?」
その時、後ろから声が聞こえた。懐かしい声だった。
「君は…」
白のシャツの緑のサスペンダー。そして赤い伊達メガネ。彼女の服装は神様のいたずらか、運命のいじわるか、
不思議と涙が零れた。次々押し寄せてくる摩訶不思議に狂わされ、恐怖してきた中で見た彼女の姿は、僕の心に心地よさをもたらしてくれた。その涙を拭うことなく、彼女に聞いた。
「君の…名前は?」
少し戸惑いながらも、彼女は応えた。
「みんなのウルトラスーパーマスコット…の予定、アストンマーチャンです。覚えてね」
優しく笑い、こちらに手を振りながら自己紹介をする。心のどこかで何年間も待ち続けていたその言葉が寂しくて、切なくて、それでいてどこか、懐かしい。
涙が溢れる。
「アストン…マーチャン。やっぱり君が…そうなんだね」
小声でそう漏らしながら涙で顔中がぐしゃぐしゃになりながらも微笑んだ。そんな僕を見てマーチャンはオロオロする。そりゃそうだ。いきなりこんな奴に泣かれたらそうもなる。だが今の僕にはそれさえ嬉しかった。そんな当たり前の行動にさえマーチャンがここにいるという確証を得て、生きてるという確信を抱いて、喜んだ。
「僕の名前は金城 真船。トレセンのトレーナーさ」
色々なことがありすぎて、逆に冷静になった僕は笑ってそう告げた。2度目の、はじめましてを。
「!?トレーナーさんだったのですか…マーちゃんびっくりです」
「まあ、今は仕事用の恰好じゃないからね」
今の服装は裸足に寝巻。これではトレーナーだと思われないのも不思議ではない。
「君とホワホワさんの事はちょっぴりだけ知ってるよ。…辛かったかい?」
彼女の答えなど分かり切っている。でも、聞きたかった。あの時をなぞるようにしたかった。
「辛くはありません。…命はやがて、海に流れるものですから。ホワホワさんも、私も、あなたも」
やはり、この言葉だ。この娘がやたら映像音声問わず記録を残そうとする理由。彼女の夢の根源。それがこの死生観だ。
「本当に怖いことは、忘れられてしまう事。だからマーちゃんは、生きた証を刻むのです」
死の定義が一般的なものと少し違うだけで、その根本は『死』への恐怖。ざっくり言ってしまえばそう言う事だろう。
「…どうやって、刻むんだい?」
そんな彼女だから、僕は惹かれた。
人一倍身近に見てきて、人一倍考えて、人一倍恐れているのだ。『死』を。そんな純粋な願いを、叶えたいと思った。その手助けをしたいと思った。僕自身が、彼女を写すレンズになることで。
「一家に一台、アストンマーチャン。そんなウルトラスーパーマスコットになるのです」
真っすぐこちらを見据えて、マーチャンは力強く語った。その言葉を受け取り、僕は微笑みながら返した。
「君をスカウトさせてほしい。僕を
たっぷりの息を吸って、言葉を紡ぐ。その言葉に最大限の思いと、覚悟を乗せて。
マーチャンは静かに受け止める様に聞き、そして笑って返してくれた。
「分かりました。トレーナーさんは今から…マーちゃんの専属レンズです。どんな時でも、どんな場所でも、マーちゃんを写していてくださいね」
「分かった。…じゃあ、写真撮ろ。最初の記念としてさ」
「流石私の専属レンズさんです。では、きゅーてぃーな1枚をお願いします」
そう言ってマーチャンはカメラを差し出した。これで撮れ、という事なのだろう。レンズを向けるとマーチャンは可愛らしいダブルピースを決めながらこちらを見ていた。
「じゃあ行くよ。はい、チーズ」
こうして僕は、あれよあれよとマーチャンと契約を結び、2度目の新人人生を歩み出した。夢についての不安を抱えたまま。
__________
僕の不安は最悪の形で現実となった。2年目、スプリングステークスを勝ち抜き、絶好調で高松宮記念に向けて調整を進めていたある日の事だった。
夢での恐怖が脳裏にちらつき、怪我を恐れ過度なトレーニングを一切禁止にしていた。その日も怪我を恐れ、早めにトレーニングを切り上げた。まだ日が暮れてさえいない時間だった。
マーチャンと別れ、カレンチャンのトレーナーを筆頭にした高松宮記念出走馬のトレーナーたちで会議をしていた。当日の調整など諸々の確認のためだ。会議は滞りなく進み、1時間も経たずにそのほとんどを話し終え、そろそろ終わろう。そんな時だった。
会議に出ていた内の1人が言った。
「あれ?真船君、どうしてここにいるの?」
「は?」
咄嗟に出た声は、随分と素っ頓狂な声だった。
何を言っているんだこのアホは?たった今まで一緒に話し合っていたではないか。頭の中が『?』で一杯になりそうだった。
「いやいや何言ってるんですか。僕はマーチャンのトレーナーですよ?高松宮記念に行くに決まっているじゃないですか」
「マーチャン?誰、その娘?カレンチャンのパチモン?」
「それはいくら何でも失礼ですよ」
自然と声のトーンが落ちた。ドスをギラつかせる様な鋭い声が出ていた。
「そうよ明音さん。それは真船君に失礼よ」
「何言ってるんだよ岡崎。そんな娘俺知らねえぞ?」
明音さんが発したマーチャン存在問題はあっという間に全員に波及し、会議の内容そっちのけで議論が始まってしまった。議論の結果覚えている人と覚えていない人はほぼ半々。しかもその中には途中で覚えていない側に付く裏切り者も多数存在していた。1人、また1人と減っていくこちら側に恐怖心を覚え、僕は急遽、担当に確認を取ることを提案した。そこで返って来た内容もトレーナーたちと同じ。覚えている娘と覚えていない娘に二分化された。
マーチャンの存在を人々が忘れていく。その光景はまさに夢で見た悲劇そのものだった。その光景と完全にリンクした僕が叩き出した直感は再びあの海に向かう事だった。
タクシーを飛ばしてもらい、何とか辿り着いた砂浜には人がいる気配は無かった。嫌な静寂が辺りを支配し、普段の優しい波の音は恐怖を演出していた。風も大して強くないのに激しく荒れ狂う白波を目にし、心が強く警告を鳴らす。僕は慌てて海岸を走りながらマーチャンを探した。
__________
「マーチャン!マーチャン!」
いつの間にか夜になり、真っ暗な闇が空間を満たす。気を抜いたら足元を掬われそう怖い。
「うわっ!」
ほら言わんこっちゃない。浜に落ちていた
砂が顔中にくっつき、服が海水でべた付く。
「痛っ…何だよ」
その
「!?これは…」
それは…それは王冠だった。暗くてよく見えないが、どうにか見えた紅の生地にマーチャンの影がちらつく。
慌ててスマホを取り出し、懐中電灯を点け確認する。
生地は紅。金の部分は真鍮でよく手入れされているのか錆はない。その真鍮の部分を隈なく見ていると、刻印があるのが分かった。
「A…S…U…T…O…N……マーチャン…」
刻印に刻まれていたのは…
__
そう、アストンマーチャンだ。
体から力が抜けていく感触がした。崩れる様に倒れ込んだ砂浜はひどく冷たく、これは現実だと否応なしに告げてくる。絶望感と無力感に満たされた体からは涙が流れ、そのまま波にさらわれ海に流れていく。僕はそのまま、声も上げずに泣いていた。
_______
その後どうにかして帰宅した僕は、一緒に持ち返った王冠を眺めていた。今、こうしている間にも人類からマーチャンの記憶は消えていき、明日にはきれいさっぱりいなかったことになるのだろう。…この僕でさえも、その1人になるかもしれない。今はまだ辛うじて覚えているがそれもいつまで続くか分かったものではない。
「…アストンマーチャン。ウルトラスーパーマスコット…まだ…まだ覚えてる…」
忘れてしまう恐怖から逃れるためにこうして彼女の名を口にし、安堵を得る。だが正直言って思い出の細部まではもう覚えていない。覚えているのはただ、彼女の歩んだ軌跡の概要だけだ。それが堪らなく悔しい。
「あっ、そうだ写真…」
マーチャンのアルバム。僕らの思い出を閉じ込めた品を探し求め部屋を彷徨う。
「あった!…まあ、そうだよね」
見つけたのはマーチャンの勝負服と同じ色をしたアルバム。そこに収められた写真を見ようとページを開くと…何もない、ただの風景写真ばかりが並んでいた。もう既にマーチャンの消失は始まっているのだ。彼女が存在したという記録でさえ、消えていく。
それでもどこかにないだろうか。その一心で部屋を漁る。
「これは…」
そうして見つけたのは1枚の写真だった。契約したあの日に撮った写真。マーチャンがダブルピースをしている写真。僕たちの始まりの写真。そのただ1枚だけは、未だマーチャンの姿を写していた。再び涙が込み上げる。
静かに嗚咽しながら写真を眺めていると、やがてその写真にも影響が出てきた。少しずつ、溶けていくように写真のマーチャンが消えていく。
また、何もできないのか?僕に出来ることはないのか?自責の念と無力感でぐちゃぐちゃになっていく僕の心は少しづつ歪んでいき、やがてある1つの狂った結論を導き出した。
__僕が、僕の中にこの思い出を
狂った考えだと、冷静になってみれば言える。だが、正常な判断力を失い、止めてくれるような存在もいない僕はその考えを躊躇いなく決行した。
写真を丸めることなく、折ることもなくそのまま口の中に入れる。歯が当たって曲がってしまわない様に慎重に、それでいてこれ以上消えない様に迅速に、口の中に入れていく。写真が呼吸を妨げ、時折苦しくなるがマーチャンが味わったものよりずっとマシだ。そう思うと、不思議と頑張れた。
写真のほとんどが入り、先端部分は喉まで届いた。舌を上手に使い少しずつ喉奥にねじ込む。
「ゴッ!ゲホッゲホッ!!」
喉仏にぶつかり痛みを伴いながらむせる。だがそれでめげる事なく入れていく。…何とか全部が口の中に入った。これからさらに奥に入れていかねばならない。
ただがむしゃらに飲み込んでいくと、少しづつ、少しずつだがマーチャンとの思い出が視えてくる。この3年間を走馬灯のように振り返っていくこの様子に、僕はデジャブを感じた。
…そうか、そう言う事か。これは…繰り返しているのか。
走馬灯を見ながら、僕は悟った。あの6年間は決して夢なんかじゃない。マーチャンを救えなかった過去の自分なのだ。そしてその夜、死にながら願った『マーチャンを救いたい』という祈り。それがこのような形でかなったのだ、と。
上等だ。だったらやってやるよ。どんなに時間がかかっても、必ずマーチャンを助ける。あの娘に幸福を授ける。
そう決意しながら写真を完全に飲み込み切った。その瞬間、世界が歪む。僕は再び時を遡るのだ。
はい、今作は皆大好きループものです(タグで知ってる)
マーチャンのシニア春のイベントについてを知った時ビビっと来たんです。それだけなんです…
執筆中ひたすらマーチャンのキャラソン聞きながらやってたらどことなくそういう雰囲気になっちゃった…気がします。というか『忘却にて』事態にED曲適正あありすぎる。
お時間ありましたら是非聞きながらもう一周してくださいw
URAはここに貼っておきます→https://www.youtube.com/watch?v=JCVyWtAlzhU
Q.どうして1話と2話でこれだけ投稿期間開けたんですか
A.期末テスト
今回もご拝読、ありがとうございました
追記(2023/04/30) 展開の都合上中盤を大きく改変しました
(2026/02/07) 誤字修正