誰かに呼び止められた気がした。
『×××』
再び強く呼ばれた。
が、ノイズが混じったように聞こえない。
『たす×て××さ×』
誰なの?
『あな××ちか×××つ××なの×す』
「あなた、誰?」
『わた×はわたしはわたしはわたし――ガッ――ぴがっ――アル……』
そのノイズには聞き覚えがあった。
あれはパソコンが壊れたどうしようとジュンに相談したら叩いたら直るんじゃないかと言いだしてジュンは直後にグーパンで叩きそしたら ガぴっ! と、変な音を出してパソコンはブラックアウトしジュンは真っ青になりヒカリも真っ青になりそのパソコンはポケモンセンターに設置されているものだったのでジョーイさんに平謝りしたときの、
あの、
パソコンの、
断末魔に、
非常によく似ていた。
「壊れたの?」
『わた×――ガガッこわ こわれ、――ガぴッ――』
それは宇宙バグるとき、最期にこう言った。
『内部エラーが発生しました。管理者に確認してください(DP-ARCHANCEUS-HISUI-220128)』
「意味分かんない」
▼
ヒコザルには夢があった。
ここはハマナスの島。ポケモンたちが穏やかに仲良く暮らしている。ここを縄張りとしているゴウカザルがめっぽう強く、誰も敵わないからだ。鬼のように強いポケモンが一匹いると、覇権争いが発生しない良い見本である。
この島はヒコザルにとって息苦しかった。絶対的上位者のいない場所を探しに行きたかった。
しかし、ハマナスは島である。
当然だがヒコザルは泳げない。
尻の炎を消す危険を冒してまで川を渡るのは無謀すぎる。ムクホークに乗せてもらったこともあるが、遙か上空に連れ去られそうになって以降はやめた。誰かに頼ろうとしたのが間違いだったのだと、ヒコザルはつつかれてズタボロの体で枕を濡らした。
ある夜、不思議なことが起こった。島のどこかに落雷がごとき強い光が落ちたのだ。驚いたヒコザルが駆け出すと、高い悲鳴があがった。人間の少女だ。同時にこれまでになく強い殺気に身震いする。
ゴウカザルが荒ぶっている。
駆けつけると、ゴウカザルの切り裂くで少女が倒れ伏した直後だった。憐れな少女は、ここが島だと知らなかったらしい。追い詰められ、逃げ場所を失い、浜辺で戸惑っている間に仕留められてしまったようだ。
少女を×してしまったゴウカザルは気持ちが治まったらしく、爽やかな顔で去っていった。なんというサイコパス仕草。ヒコザルは戦々恐々と少女に近づいた。
少女は長い黒髪に、見たこともない奇天烈な服装をしている。背中は爪痕で抉れ、止めどなく血が流れていた。ドクドクと地面を黒く染めており、死んどる、とヒコザルは確信した。
そのとき奇妙なことが起こった。少女の体が淡く光り始めたのだ。神の御印を思わせる神々しい光にヒコザルは思わず頭を垂れた。
おお!
この少女はもしや、シンオウ様の遣いだったのでは?
このままでは光に気がついたゴウカザルが戻ってくるかもしれない。ヒコザルは考えた末に、少女の体を海へと押しやった。
ぷかり、と少女の体は浮かんだ! おお!
光輝く少女はゆっくりと、導かれるように対岸へと流れていく。
おお! おお!
これは――シンオウ様のお導きに違いない! 感謝します!
そんなわけでヒコザルは、シンオウ様に感謝しながら少女の体に飛び乗った。その間も少女の体は光り続け、みるみるうちに修復されていく。あえて詳細を記載すると、抉れた背肉が高速で盛り上がり、千切れた血管が手を取り合って繋がり直し、真っ赤な内皮が表面を覆った次の瞬間には打ち寄せる波のように上皮が被さった。服は修復しなかったので綺麗な背中は開けっぴろげだ。
小猿の重さの加算があれど、わずかにも少女は沈むことなく流れゆく。いざ行かん! 未知の世界へ!
少女が目を覚ましたのは、夜が終わってからのことである。
▼
ヒカリはチャンピオンになって数年経つ。たいていのことには驚かない自信があったが、それは完全に間違いだったと悟った。
まず目が覚めたら川辺だった。ガッデム。全身がバキバキに痛い。ベリーシット。妙に背中の風通しが良く、怖々触れるとTシャツがびりびりに裂けていた。アローラで買ったばかりの服だったのに。クーナーヒヒ。アローラ語で大変ショックであるの意味だと知り合った少年が言っていたとかなんとか。
そしてなんたることか。ポケモンたちがいない。これはヒカリが故郷を旅立って以来、初めてのことだ。さしものヒカリも不安を覚え、何故かそばにいた見知らぬヒコザルを泣いて抱きしめてしまった。
「うっうっうっ……。ねぇ、君はここのポケモン? あたしのこと助けて! お願い! 一緒にいて!」
「うきゃっ?」
ヒコザルは笑うばかりだ。ヒカリは自分のポケットを漁ってみたが、ひっくり返しても木の実の種ひとつ出てこない。モンスターボールもない。傷薬もジュースもない。ヒコザルがついてきてくれる当てもない。
「お願いいぃいい……」
べそべそと半泣きで縋りつくと、ヒコザルはキャキャキャと笑ってヒカリの肩にぶら下がった。
奇特にも一緒にいてくれるらしい。ヒカリはぐすんと涙を拭いてお礼を言った。
最後の最悪のサプライズは、スマホロトムが使えなくなっていることだった。
「なにこれ」
ヒカリは前衛的なデザインになったスマホロトムカバーを触った。
可愛いアローラライチュウのカバーが、今や見る影もない。機能の大半は死に、〝圏外〟の表記になっている。地図機能は生きていたので確認すると、見たこともない場所を表示した。
「ここどこ? ヒコザル、知ってる?」
「きゃ」
ヒコザルが点滅する光を指した。ここが現在地、と言いたいのだろうか? 地方の形が出るまで縮小し、ヒカリは目を瞬いた。
「……ホントにここ、どこ?」
表示された形はシンオウ地方そっくりだった。
それ以上は縮小表示できない。ヒコザルがぴょんと背中を飛び降りた。
「えっ。どこ行くの!?」
「きゃきゃきゃっ!」
スマホが甲高い警告音を発した。
ヒコザルが立ち止まり、ヒカリは慌ててスマホを見た。暗転した画面に△の警告マークが光っている。
『予期せぬエラーが検出されました。修正パッチを当ててください』
「なに? しゅうせーぱっちってなに!?」
ざ、ざ、ざ、ざ、と草原を駆ける音。
ヒコザルがしゃがんだ。
反射的に――ヒカリも、同じようにしゃがんだ。風が頭を掠めた。襲撃者が手斧で一直線に薙いだのだ。髪が一房切断される。
長年の修羅場経験のなせる業か、ヒコザルの手を掴み、ヒカリは転がるように走り出した。
「走って!」
「き!?」
重たい喚呼が背中を叩いた。肩越しに敵の姿を振り返ると、見たこともないポケモンだった。
小斧のような両手を振り回す土塊色の姿――タイプ予想は〝岩〟!
風が走る。影が走る。襲撃者が並走する。
ヒコザルとヒカリの繋いだ手へ刃が垂直に落下する。
冗談ではない!
「危ない!」
「きーっ!?」
とっさに手を離し、転がった拍子に変な方向に足が曲がった。間一髪、切り落とされなかった手で地面をつき、ヒカリは草原を転がった。ドン、ドン! と、見知らぬポケモンの手斧が地面を何度も撃つ。
逃げないと。
逃げないと。
逃げないといけない。早く!
全身からドッと汗が噴き出た。岩のようなポケモンが、足を挫いたヒカリへとゆらゆら近づいてくる。
ひりつく喉を動かして、逃げなきゃ! とヒカリは叫んだ。片手が腰のモンスターボールを探る。ポケモンたちは全員そばにいないのだと思いだした。
火の粉が岩のようなポケモンに襲いかかった。
「ぐげっ!?」
ハッとしたヒカリにヒコザルが駆け寄る。きぃきぃと腕を引っ張るヒコザルに奥歯を噛みしめ立ち上がった。足首に鈍痛が釘を打ち込む。
「い……ッたく、なーい!!」
「きッ!」
ギラッと敵の殺気が膨れ上がった。ヒコザルが火の粉を叩きつけるが、ものともせず突進するポケモンがそれごと叩っ斬ろうと振りかぶった。
とっさにヒカリは割り込んだ。
「あぶな――」
い、と。
そこで。
ヒカリの意識は、真っ二つに切り落とされた。
▼
どうにもなにかがおかしいな、とヒカリは考えていた。
草むらに隠れながら歩いていた。
見つかったらえらいことだ。ここの野生のポケモンは人を殺す事にためらいがない、ような気がする。このヒコザルは少々毛色が違うようだが。
一人と一匹は〝リッシ湖〟を目指していた。見たこともない地名の中で、唯一見覚えのある名前だったからだ。どうせ他に目印もない。
ヒカリは妙に重い体を引きずり、無言で歩き続けていた。血まみれのアローラTシャツは裂け目を結んである。足を捻ったような気がしたが、怪我などどこにもない。
ポケモンが人を殺すこと。血まみれのアローラTシャツ。捻った気がする足。
全て記憶はないが、確かになにかが起こった形跡だけがある。
どうなってる?
空白の記憶が、大きな違和感が、ヒカリの胸中にわだかまっていた。吐きそう。違和感を振り払うようにヒカリは頭を横に振った。
「ききっ」
ヒコザルが立ち止まった。リッシ湖の周囲をレントラーやコリンクがうろうろしていた。地形が高くなっていて、盆地のような湖の入り口は一カ所しかない。
ヒカリの彷徨う視線が一点で止まった。
背が高く、山男のような大きなバックパックを背負った人を見つけた。ここまで歩いてきて初めての人間の姿だ。安堵と気の緩みでヒカリは顔を明るくした。きっと街までの戻り方を知っているに違いない!
こちらの気配に気がついたのか、相手が振り返った。
その顔には見覚えがあった。
「し……っ」
腰のモンスターボールに手をかけた相手が、「し?」と呟く。
「しろなさああああああああんんんん!!」
「うわっ!?」
ヒカリは突撃した。
「しろなさんしろなさんしろなさんしろなさああああああああああああん!!」
記憶と違って柔らかくもない胸元にほぼ頭突きした瞬間、うぐっと苦しそうなうめき声が漏れる。ヒカリは泣きながら平たい胸に頭をぶつけた。
ヒカリの背に相手の手がそっと触れた。おそるおそる、背中をさする手つきは子供を宥めすかせるように優しい。ますますシロナを連想したヒカリはますます泣き出した。
「なんなんですかね、これは……」
相手の途方に暮れた声が落ちる。
刹那、強い殺気が〝足下の影から〟放たれた。甲高い警告音がヒカリのスマホから響き渡る。
「っ!?」
「――! やめろ!」
殺気は一瞬だった。
発生源と思われるポケモンは影も形もない。レントラーたちが蜘蛛の子を散らしたように走り去っていく。
ぽつんと残ったヒコザルが、飛び退いた場所から険しい目で睨んでいた。
「どうしました?」
柔らかい声に、ヒカリは顔を持ち上げ、ようやくまともに相手を見た。
しがみついている人間は、左目が細い金の髪に隠れていた。
少し吊り上がった瞳の形や、穏やかで優しい顔だちまでそっくりだ。
一点を除いて。
「シロナさん、ですよね?」
うっすら察していたことではあるが、相手は〝シロナそっくりの男性〟だった。彼は柳眉を下げ、困った顔で名乗った。
「ジブンはウォロ。イチョウ商会の者です。〝シロナさん〟は、ずいぶんジブンに似ているようですね」
「は、はは……すいませんでした」
ヒカリは引きつった笑いを浮かべた。涙や鼻水やらを拭い、ウォロの服も手でぱっぱと軽く払い、咳払いをする。
「あたし、ヒカリと言います。ここは何処ですか? どこの地方ですか?」
「ここはヒスイ地方です。アナタはキテレツな格好をしていますが、どこから来たのですか?」
「あたしはシンオウ地方から来ました。シンオウ地方、分かりますか?」
ウォロが目を見開いた。顔を近づけてきたウォロにぎょっとする。
目の奥に異様な光が閃く。
「いま、シンオウ地方、と言いましたか?」
そのときウォロは身を退き、火の粉が二人の間に割って入った。
キィーッとヒコザルが敵意に満ちた鳴き声をあげる。全身を昂ぶらせ、尻の炎を高く燃やしていた。
ウォロは攻撃を避けられるように警戒しながら、興味深そうにヒコザルを指した。
「野生のポケモンは滅多に人に懐きません。あのヒコザルはアナタのポケモンですか?」
「友達です! ヒコザル、どうしたの?」
ヒコザルは警戒もあらわに、こっちに来い、そこから逃げろと主張した。ウォロが笑みを深くして、なるほど、と面白そうに呟く。
「〝ヒコザル〟が〝友達〟ですか。だったら捕まえては? モンスターボールを使ったことはありますか?」
「いまボール持ってないんです」
するとウォロは目を輝かせ、変わったボールを差し出した。
「くれるの?」
「ヒコザルを捕まえるのなら差し上げます。アナタ、道に迷ったんでしょう? 詳しい話を聞きたいですが、彼はなぜかジブンを警戒しているようです」
「……なんで?」
「なんででしょうね」
ウォロは肩を竦めた。ヒカリはヒコザルにも「なんで?」と問いかけたが、ヒコザルは「どうして分からない」と言いたげな顔だった。
じりりとヒカリの受け取ったボールを警戒し、そうして、踵を返して逃げ出した。
「あ、ま――待ってーッ!」
「きっ!?」
見事な投球フォームでヒカリがボールを投げ放つ。
ボン!
ぶつかったボールにヒコザルが吸い込まれ、てん、てん、てんと転がった。完璧に不意打ち。恩を仇で返すを地でやってしまったヒカリが、やばい、と片手で口を覆う。ボールからは無情にも小さな花火があがった。
「素晴らしい!」
ウォロが賛辞の拍手をした。
ヒカリは落ちたボールを拾った。形状はよく似ているが、ヒカリの知っているボールとは異なり中身が見える仕様ではない。真ん中に金具があり、コレを上下に切り替えることで出し入れするのだろう。ボタン式、電気式ではなく、カラクリだ。
ヒカリはシンオウ科学博物館にコウキと行ったことを思いだした。モンスターボールの歴史というコーナーがあって、これとそっくりなモノが展示されていた。
まさかお目にかかれるとは――いったい、どれだけの秘境に来たのだろう?
「えいっ!」
親指で切り替えてヒカリはボールを投げた。ボン! とヒコザルが飛び出し、恨みがましい目を向けられる。ヒカリはばつの悪い顔で両手を合せ、懇願した。
「ごめん……。悪いようにはしないから! ホントに!」
「……きっ!」
眉間に深い皺を刻みながらも、ヒコザルが鼻を鳴らした。抱き上げたヒカリの腕に大人しく収まる。
嬉しくなってヒカリはくるくると回り、ヒコザルにキスをした。
「ありがと! 大好きー!」
「ききっ!」
「ところでこれ、どうやってボールに戻すの?」
「き?」
くるりとウォロを振り返ると、彼は呆気にとられていた。ポッポが豆鉄砲喰らったような顔だ。ウォロを睨んでいたヒコザルも毒気を抜かれ、きょとんとする。言葉を探すようにウォロの口がゆっくりと動いた。
「そのヒコザルとは長い付き合いなのですか?」
「そんなわけないじゃないですかぁ。今日会ったばっかりです。ね?」
「きー」
ウンウンとヒコザルが同意する。ヒカリの腕の中からするりと抜けて肩に移動した。
ウォロが腰を折ってヒカリを覗き込んだ。
太陽を遮るようにヒカリを覆うウォロをヒコザルは睨んだが、灰色がかった双眸の中心にはヒカリだけが捉えられていた。
「アナタ、面白いですね!」
「ウォロさんはイチョウショウカイの人なんですよね。街ってここから近いですか?」
「街は残念ながら遠いです。それこそ、海を渡る必要がありますから」
「えっ!?」
ピシッとヒカリは固まった。ヒスイ地方など聞いたこともないし、ボールもカラクリと独特だったので相当な田舎か辺鄙な場所だろうとは踏んだが、街が海の向こうとは予想外だ。
「ですので、ひとまずコトブキ村までお連れします。ですが今日はもう遅い。ベースキャンプまで戻って野営しましょう」
「村もそんなに遠いんですか……」
太陽は中天をとっくに過ぎ、じきに暮れる。街も遠い田舎とくれば日没後は一気に暗くなる。土地勘のあるウォロに従うしかないだろう。
「野営は初めてですか?」
「大丈夫です。こう見えてもあたし、トレーナー歴長いですから。野宿くらい慣れっこです!」
寝袋もキャンプ装備もポケモンも土地勘もナシナシ全部ナッシングは初めてだが。
ぐぅ、とヒカリのお腹が鳴った。顔を赤くするとウォロが微笑んだ。
「ベースキャンプで温かい食事を用意しましょう。食べながらゆっくりとアナタの話を聞かせてください」
ウォロがヒカリの手をとった。とられた手の力が予想外に強く、連想した考えにドキッとする。
まさかそんなはずはない。
逃すまいと、腕を掴まれたみたいだなんて。