ヒカリのでばっく日記   作:犬小屋

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Bug11 生ある者たち

 木々の擦れ合う音だけが落ちていた。

 じっと差し出された首を見つめ、おもむろにヒカリは頭を撫でた。

 

「なにが問題なんですか?」

 

 ヒカリが振り返ると、シマボシは真顔で腕を組んでいた。

 

「食事を拒否している」

 

 それはゆゆしき事態だった。

 バサギリは肢体の姿から推測するに虫ポケモン。種族により回復方法は異なるが――ヒカリはちらりとバサギリの傷を見やった。エルレイドと切り結んだときの傷が多い。

 ピカチュウやイーブイといったポケモンは傷が盛り上がって再生する。しかし虫ポケモンは丈夫な甲殻を持つ代わり、傷は基本的に治らない。あまりに傷が深いときは脱皮で再生する。

 脱皮にはカロリーが必要なので、バサギリはかなり腹を空かしているはずだ。

 

「好きな食べ物とかないんですか?」

「与えたが食べようとしない」

 

 ヒカリはバサギリを振り返った。

 

「お腹空いてないの? 傷が治らないし、食べようよ」

 

 叱ったが、バサギリは答えなかった。

 ヒカリはきょろきょろと見回し、バサギリの餌らしきものが捧げられた台を見つけた。それを指して厳しめに繰り返す。

 

「食べないと。……ねぇ、なんで黙ってるの。黙ってたら分かんないよ」

 

 ヒカリは困ってしまった。彼が何を求めているのか分からない。

 ふとヒカリは、ポケモン同士なら分かることもあるかもしれない、と思いついた。ポケットから紐を取り出し――必要ないか、と仕舞いなおすと、モクローを呼び出した。

 

 モクローは外を認識すると即座に飛び立った。

 美しき蒼穹! 芳しい花々! 雄大なる大樹! 止めどない森・森・森!

 全部見覚えがない景色!!

 

 泡を食って戻ってきた。ヒカリが差し出した腕に止まる。

 

「村の外に出たことないの?」

 

 モクローが頭をぐるぐる回転させた。

 ないようだ。

 

「あの子覚えてる?」

 

 顎で示した。モクローはバサギリに丸い目を向け、ぽろりとヒカリの腕から落ちた。

 やれやれと、恐怖と驚きのあまり硬直したモクローを抱き上げる。

 

「もう落ち着いてるから大丈夫だよ。ご飯食べてくれないんだけど、バサギリに食べるようお話しできる?」

 

 モクローが限界まで頭を逆回転させた。あまりの拒否にヒカリは呆れた。

 

「同じポケモンなんだから話くらいして!」

 

 モクローの首は限界の位置で小刻みに振動している。

 そもそもモクローに言わせれば、「同じポケモンなんだから」という言い分はおかしかった。

 彼は蝶よ花よの血統書付きシティボーイであり、バサギリはたたき上げ現場主義百戦錬磨の厳つい老将軍のようなもの。未知の生命体との相対に、純然たる温室育ちであるモクローは卒倒しそうだった。

 

 ――斯様な野ポケモンに〝説得〟という交渉が通じるか否か以前の問題として、物事には適材適所というものがあり、〝ポケモンだから会話が敵うであろう〟と命ずることは人間が勝手に定義したポケモンというくくりで考える愚かな話であり、まずもって同者の知的レベル・教育程度がどの程度近いのかを判断し、然るべき準備を行った上で会話というプロセスに入るべきであり、これだから暴力的で傲慢な人間は――と、ぷるぷるしながらモクローが高速で思考していたところで、弦を擦り合わせたようなか細い音が響いた。

 

「……なんて言ったの?」

 

 おそるおそる、モクローはげぇるる、とバサギリへ返した。

 弦を擦り合わせたような返事が、ぽつ、ぽつ、とあった。二・三のやり取りをして、モクローは怖くなくなってきたようだ。首を元の位置に戻し、フフンとヒカリを見上げる。

 

「ご飯食べるように説得できる?」

 

 モクローは目を眇め、如何にも思慮深そうに首を軽く回した。先ほどとは打って変わって声高に、朗々と鳴き出す。

 バサギリからも一言、二言、返事があった。ますますモクローは得意になったが、だんだんと雲行きが怪しく、モクローも饒舌になり――

 最後は演説のように一方的に話すモクローに対して、バサギリはさらに深く頭を垂れて一言返し、それっきり、喋らなくなった。

 モクローはギャアギャアと続けたが沈黙したっきりだ。

 

「なんて?」

 

 羽を膨らませ、ぷりぷりとしている。

 

「怒ったってしょーがないでしょうが。駄目だったの?」

 

 モクローが喚いた。「ハイハイごめんごめん」とヒカリはモンスターボールに戻してやった。

 お手上げだ。ポケモンも駄目なら、あと話せる相手は一人くらいだろう。

 

「シマボシ隊長、一回戻りましょう」

「何をするつもりだ?」

「キクイって子を――」

 

 バサギリが叫んだ。

 振り向くと、昆虫的な白目の勝った瞳がヒカリを見つめ、額を幾度か地面に打ちつけた。

 それだけは、お許しください。

 そのように聞こえた気がして、ヒカリは「先に戻っていてください」と言葉を変えた。

 

「夜くらいに来てください。それでも駄目なら戻って考えます」

「……無理はするな」

 

 そろそろシマボシの微妙な表情の変化が分かるようになってきた。気遣いにヒカリは気弱な表情を覗かせたが、すぐに笑って、「サザンカさんが待ってます。早く戻ってあげてください」と送り出した。

 まだ頑張れる。

 

「その格好辛くない?」

 

 バサギリは額を打ち付けた格好のまま、彫像のように動かない。

 ヒカリは大樹を背にして座った。草木は一昨日の大雨が嘘のように綺麗に乾いていた。

 背中から感じる樹木は温かく、大きい。

 ぼんやりと空を覆う大樹を見上げた。

 

「……キクイくんとの付き合いは長いの?」

 

 答えない。

 

「君はどれくらいのポケモンを守ってきたの」

 バサギリはなにひとつ答えなかった。

 大樹の周囲にポケモンの姿はなく、森は静まり返っていた。

 ふとヒカリは、切り開かれたこの場所にひとりぼっちになったような気がした。暴れるバサギリを目にしたポケモンたちは、しばらく大樹に寄りつかないだろう。彼が守ってきたものは瞬く間に壊れてしまった。

 

 バサギリが額を地面に強く打ち付けた。

 その様にヒカリは腕を組んでじっと考えた。

 真剣に考えていたら眠くなってきた。

 昼ご飯の後は眠くなる。……ここには、ヒカリを傷つけるポケモンはいない。

 ヒコザルとモクローをモンスターボールから出し、あまり遠くへは行かないようにと言って、ヒカリは大樹に背を預けた。

 

「バサギリ」

 

 目を閉じる前に言い残す。

 

「モクローとヒコザル、よろしくね」

 

 返事も聞かず、眠気に身を任せた。

 

 

 

 

 眠りの奥底で、ヒカリは不思議な夢を見た。

 いや――夢、と呼ぶには、具体性がない。意味そのものが肌に流れ込むように理解できた。

 

 最初にあったのは暗闇。

 暗闇から光が生まれた。

 

 十八の欠片が同時に生まれ、惑星のように輝きを反射して取り巻いた。ぐるぐる、ぐるぐる、と。流れ星のように。聖なる託宣のように。

 

 欠片は地に降り、火へ、水へ、草へ、雷へ、氷へ――あらゆるポケモンのもとへ、愛おしむように贈られた。

 

 神話とは世界の成り立ち。

 あなたの始まり。

 あなたの心と世界を繋ぐもの。

 ――わたしの一部を、神話の欠片を贈りましょう。

 

 草木を食むポケモンとともに欠片は生き、大地を駆けるポケモンとともに欠片も走り、ヒカリも生き、地を走り、空を飛び、海を渡り、人とポケモンが出会う姿を見守った。

 

 陰が光を覆った。

 

 両腕の小斧を振りかぶった。

 受け止められた。相対するガブリアスが刃物のような腕を滑らせ、こちらの片目を切り裂いた。

 叫ぶ。

 小斧は空転し、二撃、三撃とガブリアスが来る。足が叩き折られ、頭部が打ち付けられ、地に倒れ伏した。動けない。

 

 それは天が裂け、雷が起きるより前だった。

 

 地面に横たわったこちらに、砂利を踏んで、近づく足があった。内臓を探られている気配がする――全身をまさぐる波動が、内奥に隠した欠片を察知する。ケタケタと笑い声。神通力が欠片を引きずり出す。奪われてはならじと腹に力を込めたが、無数の手がこじ開ける。

 欠片がずるりと外に出た。

 

 やめろ。

 

 やめてくれ。

 

 折れた足で立ち上がり、小斧を持ちあげ、欠片を奪ったそのヒトに歩み寄る。

 渾身の力で小斧を振りかぶる。死んでもいい。あれだけは渡してはならない!

 お前の首を差し出せ――それは触れてはならぬ宝。

 月明かりに目深の帽子が顔を隠す。

 唇が愉快そうに持ち上がった刹那、黒髪の少女の首が落ちた。

 

 

 

 

 頭を打った。

 ヒコザルとバサギリが揃って振り返った。ヒカリは頭を抑え、苦悶のポーズで呻いた。

 あまり良くない夢を見た。処理しきれない情報量に、目の前がチカチカして、ぶつけた痛み以上に頭痛がする。深い違和感が精神性の奥を這い回る。

 助け起こすヒコザルと、心配そうに覗き込むバサギリ。ヒカリは細い小斧の腕を掴み、ほっそりした瞳に顔を近づけた。

 

「首を――あたしの首を落としたのは、君?」

 

 バサギリが動揺した。 

 夢の中でヒカリはバサギリだった。刹那の夢はバサギリの生を追体験させ、形なき水のように指の間から滑り落ちていった。

 しかし掌に残る水滴は、強烈にヒカリの記憶を喚起した。

 

「あたしを殺したのは、君?」

 

 ヒカリの手はバサギリの岩のように硬い腕を握りしめていた。

 最初、バサギリが首を差し出したとき、なんのことか分からなかった。

 分かれば記憶の糸を引きずり出すように思い出してしまう。だから気がつけなかった。

 ヒカリは苦しげに目を細めた。

 

「夢を見たの。あたしは誰かの首を落とそうとしていて、小斧を振ったの。……あたし、君と初めて出会ったのは、コトブキムラじゃないよね。もっと前に外で会ったことがある。ね、ヒコザル。君も覚えてるでしょ」

 

 あまりの威圧に腰退け気味のヒコザルが激しく首を上下させた。

 

「……モクローどこいったの?」

 

 ヒコザルが上を指した。

 遙か頭上の木々の間に、距離をとったモクローがちょこんと座っている。

 

「いるならいいけど。ヒコザルはバサギリに何を話したの?」

 

 ヒコザルはその場で宙返りをして、ぼぼぼ、と火の粉を地面に飛ばした。身振り手振りを読み解くに、稽古をつけてもらっていたようだ。

 最初にバサギリに出会った時は逃げるばかりだった。正気に戻ったとはいえ、殺されかけた相手に学ぼうとする気概は見上げたものだ。

 

「強くなりたい?」

 

 ヒコザルは両拳を突き上げた。

 ヒカリは目をバサギリへと戻した。

 

「でも君と戦ったら、いまはまだ負けるよね。君はもうあたしを殺さないだろうけど、もしも君がまたあたしを殺したら、あたしは死ぬの? 君が殺した人やポケモンは他に生き返った子はいた? 君が特別なの? あたしがおかしいの?」

 

 ヒカリは真顔で問いかけた。

 赤く色づく日差しが大樹の陰を押し倒している。

 答えは知れているが、問わずにはいられない。

 

 ――お前、おかしいよ。

 

 テルの声音が思い出された。

 ヒカリはバサギリの小斧を抱きしめ、刃先を首筋に当てた。

 

「ここで首が落ちたら、この夢は覚める?」

 

 身をよじってバサギリが腕を引いた。怯え交じりの瞳を認め、ヒカリは手を離してやった。首筋に触る。

 血が少し手についた。

 これもそのうち、治るのだろう。

 

 ヒカリは周囲を見渡した。

 樹上のモクロー、ドン引きしているヒコザル、そしてバサギリ以外のポケモンはいない。

 ヒカリを回復する謎のポケモンの気配など何処にも感じられない。

 それでもいると信じて証明しろ、と。

 夢とは思えない地面をつかみ、血をなすりつけてヒカリは言った。

 

「君だけ逃げないでよ」

 

 突風がヒカリの髪を舞いあげた。

 ヒコザルが目をつぶり、モクローが落下してきた。

 突風は素早く駆け抜け、一本の木を切り倒して、ヒカリたちの前に降り立った。片方の小斧を地面に突き立て、バサギリは雄叫びを上げた。

 分かったと叫んだ気がした。

 

 

 

 

 夜が更け、シマボシはキクイ、そしてヌメルゴンと連れ立ってやってきた。

 暗闇に沈む大樹の足下で、紐のついたモクローとヒコザルがバサギリと激しく争っていた。月明かりに翻るヒコザルの火の粉を切り裂き、バサギリが斬り込む。モクローはジタバタと逃げ回っていた。紐の先が大樹にくくりつけられている。

 

 シマボシは緊張を漲らせたが、「休憩!」と少女の声が聞こえた。

 バサギリがモクローの頭上で小斧を止め、モクローがぺたりと地面に翼を落とす。急停止をかけられなかった火の粉が飛び込んだが、バサギリは一薙ぎで切り払った。

 

「シマボシ隊長! 待ってました」

 小柄な黒い影が手を振る。

 月明かりに歩み出た少女は、シマボシのそばの少年に顔を強ばらせた。

 

「キミがヒカリかね」

 

 大きな帽子の庇をあげ、キクイは言った。

 

「うん。……起きて大丈夫なの?」

「バサギリの一大事に寝ていられるものかね。キミにも尋ねたいことはあるが、いまはバサギリだ。会いに来たのだよ」

 

 キクイの顔は大半が影に隠れて見えない。

 遠い虫ポケモンの音色が、迷うヒカリの沈黙を埋めた。

 背後からバサギリが近づいてくる気配がして、ヒカリは黙って場所を譲った。バサギリは膝をつき、キクイの傷を窺っているようだ。

 

「バサギリ」

 

 キクイは帽子を脱ぎ、袈裟懸けの繕い跡がある胸に当てた。

 

「オレに森キング・バサギリのキャプテンを続けることを、お許しいただけませんか」

 

 キクイはまっすぐバサギリを見つめ、真剣に請うた。

 予想とはまったく違った反応にヒカリは目を見開き、キクイが怯えているのではないかと、心配した自分を恥ずかしく思った。

 彼はキャプテンだ。

 見た目通りの子どもではない。

 切にキクイは続けた。

 

「オレはもっと強くなります。いまはこの程度ですが、オレたちは必ず強くなります」

 

 ヌメルゴンの角が敏捷に伸び、挑むように切っ先がバサギリに向けられた。ハッとしたキクイが怒りに眉を吊り上げたが、バサギリに制される。

 ヌメルゴンの角先から高濃度の粘液が滴った。バサギリが小斧で受け止めた。

 流れ落ちる粘液は小斧の表面を抉り溶かし、地面に落ち、痕は長く小斧の表面に残った。

 

 傷つけたことを忘れない。/次は必ず殺す。

 

 それは彼らの誓いだった。

 ヌメルゴンが体を丸くし、地面にぬかづいた。

 ――ヌメルゴンはキクイと違い、バサギリを許したのではないな、とヒカリは思った。滴り落ちそうな瞳には明確な殺気があった。

 

 お前が痛みを決して忘れず、キクイが望む限り、わたしはお前を崇めよう。

 必ず強くなる。

 過ったお前を殺せるほどに。

 

 バサギリはヌメルゴンの殺意を受け容れた。ポケモン同士の納得に踏み入るのは無粋と考えたのか、キクイは和解を示すようにポケットからころころマメを取り出した。

 

「ヒカリ。先ほどのアレは鍛錬か?」

 

 バサギリはキクイの掌からころころマメを食べている。丸く収まったらしい一人と二匹を眺めながら、シマボシが尋ねた。

 ヒコザルもモクローもこちらの緊張などそっちのけで、地面にぐったりしている。

 ぴくりともしないので寝ているような気もする。

 

「ヒコザルがバサギリに稽古をつけてもらう約束を取り付けたんですよ」

「大した度胸だな」

「強くなりたいんだって」

「強くか」

 

 シマボシは夜空を見上げた。大樹の先に遙かな星空が何処までも広がっている。

 月明かりにも負けぬ綺羅星を眺めて、シマボシはぽつりと呟いた。

 

「……我々も強くならねばなるまいな。名前に恥じぬように」

「名前?」

「独り言だ。キミは明日、任務がある。帰るぞ」

「はーい。モクロー、ヒコザル。帰るよー」

 

 ヒカリは大樹に括った紐を回収し、二匹をボールに収めた。なんだかんだと紐を切らなかったところを見るに、モクローも多少思うところはあったようだ。

 たぶん。

 ヒコザルは高いびきをかいていた。

 

 

 

 

 夜が明けるのを待っていた。

 かがり火が爆ぜ、藍色の髪の青年は、白む気配のない群青の夜空に嘆息した。

 

「できることがねぇ時間ってのは、キツいもんだな」

 

 リーフィアがぴくぴくと耳を動かす。「寝てろ」と、青年――セキは息を吐いた。

 

「香に眠れねぇんだろうけど。もうちっとしたら引っ込むから、我慢してくれな」

 

 湿った重たい風が吹いた。暗がりからいくつもの瞳が窺っている。立ちこめるポケモン除けのお香に近づくことができず、遠巻きに潜んでいるのだ。

 

 紅蓮の湿地は異様な殺気に包まれていた。

 原因は分かりきっている。数日前の雷で荒ぶったドレディアが、ところ構わず香りを撒き散らし、一帯のポケモンが活性化したのだ。

 ドレディアもガチグマも行方不明で、それぞれのキャプテンも、片方は重体、片方は行方不明で、紅蓮の湿地は最悪の状態だ。不安をかき消すようにセキはぐしゃぐしゃと指で髪を乱した。懐に手を突っ込み、ヨネからの手紙を取り出す。

 集落に戻ったタイミングで、折良く鳥ポケモンが運んできたのだ。姉だけあって、セキが知りたいと思っていたことが簡潔に記されていた。

 

 黒曜の原野の騒動は収まったこと。

 キクイもヨネも無事であること。

 コトブキムラの世話になっていること。

 不思議な少女が二匹のキングを鎮めたこと。

 

「長自ら見張りとは、かなり参っているようですね」

 

 セキは振り返った。

 ぬっと闇夜から、背の高い優男が現れた。帽子に表情は分からないが、口元だけがかすかな笑みを湛えている。

 男はイチョウ商会の商人で、名はウォロという。かなり体格が良い男にも関わらず、女のように端正な顔立ちと柔和な物腰で、人に警戒心を抱かせない。気がつけば当たり前のようにコンゴウ団にもシンジュ団にも商売に来ており、正直、セキも彼がいつからヒスイに来るようになったのか覚えていなかった。

 

「オレが見張ってりゃあ枕を高くして眠れるってもんだ」

 

 ニヤリと笑い返すと、ウォロは「さすがですね」と白々しく褒め言葉を口にした。

 闇に沈む林を見渡す。

 

「お香の効果はどうですか?」

「まぁまぁだな。鎮静効果もありゃあ言うことはないんだが」

「入ってはいるんですけどね。ドレディアの香りがこうも強くては――キングやクイーンの暴走はヒスイ全域に及んでいます。キャプテンの責は問えないでしょう」

「問わせて堪るか」

 

 セキは剣呑に吐き捨てた。

 ドレディアのキャプテンは生死すら不明だ。

 出来ることならいますぐ森に駆け込んで探しに行ってやりたい。調子のいい奴だが、ヒナツは明るくて心根の優しい少女だ。

 数日前、ドータクンが瀕死のユウガオを連れてきた。

 ヒナツは、紅蓮の湿地にドレディアを探しに出ていた。途中でユウガオを発見し、切羽詰まった状況で、彼女だけでもとドータクンに託したのだろう。

 乗せる人間が多ければ速度も落ちる。何かから逃げていた可能性がある。

 ドータクンがいなくなったヒナツは逃げ切れたのだろうか?

 

「生きてりゃいい。その為なら奇跡でもなんでも信じてやるよ」

 

 セキは手紙を睨んだ。彼はこのヒスイを生きる全ての人間とポケモンに、災厄から生き残ってくれと心から願っていた。

 

「その手紙は?」

「ヨネからだ。黒曜の原野のキングをあっという間に治めた奴がいるんだってよ。あんた、知ってるか?」

 

 ウォロの目が怪しく輝いた。

 

「もちろんです。ヒカリさんのことでしょう?」

「会ったことあるのか?」

「はい! それで? 手紙にはなんと書いてあったのですか?」

「詳しいことは書いてねぇな。アヤシシとバサギリを鎮めたってことと、きっと力を貸してくれるような奴だって……おい、どうした?」

 

 ウォロは口元を掌で被い、顔を背けていた。

 かがり火から身を隠すように、暗闇へ半身を溶かしている。

 

「いいえ……。そうですか。アヤシシだけでなく、すでにバサギリも鎮めたのですね」

 

 セキはぞわりと肌が粟立った。ウォロの感情を抑えた声音が、不意に人ならざるもののように感じられたのだ。警戒が芽生えかけた途端、ウォロはぱっと振り向き、常のへらへらとした顔に戻った。

 それで、まるで現の夢のように、セキの違和感も霧散してしまった。

 

「ヒカリさんはギンガ団の調査隊員です。ポケモンが大好きで博士並みに詳しいですし、なんといっても腕が立ちますよ! 」

「そりゃ頼りになりそうだ。シマボシみたいな奴か?」

「これくらいの少女です。カイさんよりも年下なのでは?」

 

 ウォロは思い起こすように、自身の胸元の高さを片手で示した。

 

「若いな。出身は?」

「あちらだそうです」

 

 ウォロが指したのは天冠山の上空、空が割れたような時空の裂け目である。

 冗談だと思ってセキは笑った。

 

「そりゃいい。シンオウ様が遣わしてくださったのかよ?」

「かもしれませんね。――普通の人間ではありませんから」

 

 期待と羨望の籠もった低い声は生々しく夜闇に溶けていった。細められた灰色の瞳に映り込んだかがり火が、赤々と揺れている。ウォロがコンゴウ集落へ頭をめぐらせた。コンゴウ団の服を着た若い男がポケモンと一緒にやってくるところだった。

 

「リーダー、そろそろ寝てください。見張り代わりますよ」

「あら、思いがけず長居してしまいました。ジブンも失礼しますね」

「おう」

 

 ウォロと別れたあと、セキは自分の天幕には戻らず寄り道をした。

 とある天幕につくと、静かに出入口をめくった。起こしてはならないので灯りはつけず、目を瞬いて暗闇に凝らす。

 

 中には三人の人間がいた。

 一人は世話をしているコンゴウ集落の人間だ。端っこで毛布に包まって寝ている。

 

 二人目は齢九十を越えた老女である。

 真っ白な頭を枕に乗せ、瞼を固く閉じている。死んでいるようにも見えるが、かろうじて生きている。腹に包帯を巻いたビーダルが枕元に寄り添っていた。

 彼女はガチグマのキャプテンだ。傷を改めた薬師によると、傷はガチグマに与えられたものではない、と。もちろんドータクンでもない。活性化したオヤブンポケモンによるものであろうとの見解だった。それだけは幸いだ。

 

 三人目は年若い少女である。

 白茶の短い髪が広がり、傷を庇うように体を小さくしている。幼さの残る顔に、きつく眉を寄せ眠っていた。

 少女の名はカイ。シンジュ団の長である。

 セキの予想では、カイはユウガオの怪我を知り、ガチグマを止めに湿地に入った。彼女の傷はガチグマによるものであり、残留した花粉は、ドレディアのものだ。運悪く挟み撃ちに遭ったのだろう。

 遅れて駆けつけたセキはヒナツを探していた。急に走り出したリーフィアに導かれた先、気絶したカイと殺気だったグレイシアを発見した。

 

 カイを助けたことを私事と言われれば否定は出来ない。

 わざわざシンジュ団ではなくコンゴウ団の集落に連れ帰ったのは、目覚めれば傷にも構わず湿地に戻るに違いなかったからだ。

 カイの布団の膨らみが動き、セキはギクッとした。中から出てきたグレイシアはちょっとセキを見上げ、寄ってきたリーフィアと互いの匂いを嗅ぎ合った。

 カイが起きたわけではないと分かると、セキはほっと胸を撫で下ろした。

 

「早いとこ、なんとかしねぇと」

 

 独りごちた。

 欲を言えばカイが動けるようになる前にケリをつけたい。ヨネに返事は出した。了承が得られたならば、明日の朝にはケーシィがヒカリを連れてくるはずだ。

 ふとセキは、ウォロの様子を思い起こした。あの時、いつも飄々としている彼の内奥の感情を初めて見た気がした。

 ヒカリというのは何者なのだろうか。




久々に不穏なウォロさんをたくさん書けたので嬉しい。ヒリついた雰囲気からしか摂取できないときめきがある。
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