ヒカリを助けた女性はヨネと名乗った。気絶したアヤシシを軽々と担ぐ彼女にヒカリが感嘆すると、あんたの方がよっぽど凄いよ、とからから笑った。後で必ず礼に行く、と言い残すと風のように去っていってしまった。
ヨネと別れたあと、到着したコトブキムラにヒカリは呆気にとられた。
村を囲っているのは頑丈そうな木製の塀で、見張り番は三度笠に着物。奥にそびえる巨大なレンガの建物だけが、時を超えたように異質だ。そこらにいる人はみんな着物なのに。
ヒカリはレンガの建物にぽかんとし、村のあちこちを見回したが、村人の全員に目を逸らされた。
ヒカリは血濡れで、しかも抱っこしているウォロが大男だから嫌でも目立つ。仕方がないと思いつつ、ヒカリはウォロをそっとうかがった。彼自身は慣れてるのか豪胆なのか、あまり気にしていなさそうだった。堂々としている。
見る限り、コトブキムラは裕福な村ではなさそうだ。わらわらと並んだ家屋は見るからに粗末で、倒壊している家屋さえある。その下からヒョコッとビッパが顔を出し、ヒカリは目をぱちくりさせた。ヒカリに見つかると、ビッパは慌てた様子で隠れた。
店の立ち並ぶ通りを抜け、巨大な煉瓦の建物が近づく。鉄製の煙突からは白煙が上がり、ドガースに似たポケモンやコイキングの像が掲げられていた。この建物だけ十年程度、時を進めたかのようだ。
ヒカリが巨大な煉瓦の建物に気をとられていると、荷馬車のそばに座っていた男に呼び止められた。ウォロと揃いの服にひげ面の、くたびれた男性だ。荷馬車も黄色を基調としているところを見るに、イチョウ商会の仲間であろう。
「お前、またどこほっつき歩いて――」
「嫌ですねギンナンさん。ジブンは人助けをしていたんですよ。ほら!」
ギンナンもヒカリに気がつき、腰を上げた。ぼろぼろのヒカリに「こりゃ酷いな」と顔をしかめる。ぼんやりとヒカリは、この人も誰かに似ているな、と思った。
ただ、すぐにはピンとこない。
「薬は足りるか? 早いとこギンガ団で手当てしてもらいなさい」
「もちろんです」
――ぎ ん が だ ん?
非常に聞き覚えのある、ありまくる組織の名前に思考が吹っ飛ぶ。
「いまギンガ団って言いました?」
「え? ええ。ああ、ヒカリさんの知っている世界にもギンガ団があるのですね」
「ギ……ッんン!」
ヒカリは危うく喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。げほげほと咳き込む。
時空の裂け目。
異変。
ギンガ団を名乗る組織。
ここまで揃いに揃っていて、疑うなと言う方が無理じゃないか? そりゃそうだが、証拠もナシに人を疑ってはならぬとも言う。第一にヒコザルは瀕死でヒカリは重傷で、文字通り手も足も出ない。
ブツブツと悩むヒカリの脳裏に、コウキとジュンの顔が浮かぶ。じわっとヒカリの目が熱くなった。
二人に会いたい。
見知らぬ土地でひとりぼっちで、ヒカリは心細かった。
悶々としていると、ウォロが素早くヒカリを庇って身を退いた。無数の刃羽根と雷撃が目の前のガラス窓を吹っ飛ばした。
「やめろやめろ!」聞き覚えのある少年の声が喚く。
破砕した窓から小さな鳥ポケモン――モクローが飛び立っていった。「ああモクローがぁあ! アッツツツ!」今度は知らない声。派手な転倒音に続き、黄色いポケモンが窓から飛び出した。
ピカチュウは民家の屋根にとまったモクローを凄まじい形相で睨みつけ、ぴりぴりと静電気で全身の毛を逆立てた。
少年が割れた窓枠を掴んで身を乗り出し、モンスターボールを差し向けた。
「戻れピカチュウ!」
「ピィッ!?」
シュパッと小さくなったピカチュウがボールへと吸い込まれ、ぽんと閉じた。
少年はホッとしたのも束の間、いってぇ! と窓枠を掴んでいた手を押さえて引っ込んだ。くるくると顔を回転させ、ぱさっと飛び立つモクローをウォロが見送った。
「また逃げましたか」
「あのモクローも、ピカチュウに何度喧嘩売るんだか。オジサンもう連れ戻すの怠いわ」
ウォロはヒカリを抱え直し、煉瓦造りの建物――ギンガ団本部へと入った。ヒカリはキョロキョロと先ほどの少年を探したが、姿がない。左奥の部屋から騒がしい声が聞こえてくる。
「ウォロさん、さっきの子って、なんて名前ですか? 知ってます?」
「テルさんですか?」
「テルっていうの?」
コウキに似ていた気がしたが、コウキではない。
ウォロが興味深そうに尋ねた。
「また誰か、親しい人と似ていましたか?」
ふよふよと、ヒカリの口は返答に困った。
コウキに会いたいと思ったから似ていると錯覚しただけかもしれない。
「気のせいだったかも」
曖昧に笑って誤魔化した。
「そうですか?」
ウォロは面白そうに目を細めた。
治療室に入ると、桜色の髪の女性に迎えられた。奥の机には山のような書類や治療道具が置かれている。
ヒカリは衝立の影で衣服を脱いだ。その間にウォロがヒコザルの入ったモンスターボールを老女に預けてくれた。血で貼りついた服や靴を脱ぐのにヒカリは手こずった。
靴の紐が千切れているのを見て、これもお気に入りだったのに、と悲しくなる。
水桶と布巾を持って、さっきの女性が衝立の裏に入ってきた。キネと言うらしい。
「足を拭きますね。体は拭けますか? 痛みは?」
「あんまりないです」
「どうして怪我をしたの?」
暴れるポケモンと戦ったと説明すると、生きているから良かったが、そんな危険な事をしてはいけないとキネに怒られた。
アヤシシの角に抉られた腕の出血が酷い。血を丁寧に拭い落とすと、血の塊の下からうっすら赤くなった肌が出た。
傷はない。
キネが洗い終わって綺麗になった足をじっと見つめ、首を傾げている。
水桶は赤く染まっているが、こちらにも傷がない。
「ほんとに、怪我があったんです」
油のさしていない、錆びついた機械のように口が上手く動かなかった。
「嘘じゃないんです。ほんとなんです」
「嘘なんて思ってないわ。だから、そんな顔をしなくても良いのよ」
キネが靴を履かせてくれた。赤くなった肌に軟膏を塗って、綿の上着を持ってくる。
「自分で着られますか?」
「……うん」
「だったらもう大丈夫」
ね、とキネが笑った。
つられてヒカリも少し笑うと、「うん。そのほうが素敵よ」とキネは微笑んだ。優しい笑顔だった。
どやどやと出入口がにわかに騒がしくなった。
「へ、ヘルプです~……」
「あら博士! 腰を捻ったの?」
キネと一緒にヒカリも衝立から顔を覗かせる。
ニット帽子を被った中年男性が、少年とウォロに支えられていた。寝台が必要そうだが、あいにく四床しかない寝台は全て埋まっている。ヒカリは寝台から腰を上げた。
「ここ使ってください」
「ありがとうヒカリさん、こっちの椅子を使って。ウォロさん、博士を寝かせてあげてください」
「はいはい」
「イタタタタ……Sorry、ウォロさん、テルくん。Thank youです」
博士がよろよろと寝台にうつ伏せになった。重たい荷を下ろした少年が、ハァーと息をつく。
ウォロがヒカリへと近づいた。
「怪我の具合はいかがでしたか?」
「そんな大したことなかったので、大丈夫ですよ!」
「おや……そうですか?」
ウォロの目がヒカリの腕へと落ちた。袖に隠れて見えないが、傷がないことを見透かされているような気がした。腕を隠すようにさすると、ウォロの方から話題を打ち切ってくれた。
「大事ないのであれば良かったです。で、ヒカリさん。こちら、テルくんとラベン博士です」
「え? おれ?」
振り返ったテルにギクッとした。予想していたよりもコウキにそっくりだ。上手く言葉が出ず、「あ、あ~……あたし、ヒカリ! よろしくね!」とぎこちなく名乗る。
「見ない顔だけど、こんな時にどっから来たんだ?」
「それについてはジブンが説明しましょう!」
「どわ!?」
待ってましたとウォロがにこーっと指を立てた。部屋中の視線が集中する。
続けて挨拶しようとしていた博士が、ギギギ、と片手をあげたポーズのまま固まる。目がうつろだ。脂汗が凄い。無理しないで、とヒカリが気遣うと、その間にウォロが喜々として語った。
「彼女は荒ぶるキングであるアヤシシを神がかった技で鎮めた、凄腕のポケモン使いなんですよ!」
博士とテルが目を丸くし、周囲があからさまにざわついた。
「ですのでジブンとしてはぜひ、ヒカリさんをギンガ団に博士から推薦して欲ししししウォア゛なんで揺さぶるんですヒカリさん落ち着いてください」
ヒカリはウォロの服から手を離し、両拳を振り回した。
「今言うこと!? ねぇ! めちゃくちゃ目立ってるじゃないですか!」
「この際、さっきの出来事を周知しておいた方が話が早いですよ!」
「なんの話が早いって!?」
「もちろん、ヒカリさんの今後についての話です。身を寄せる場所がないのでしょう? ポケモン使いの名手であるヒカリさんなら、調査隊員にうってつけです!」
「ちょうさたいいん?」
「ボクとしても、いまのお話が本当ならありがたいですが……彼女は本当にアヤシシを鎮めたのですか?」
湿布を腰に貼ってもらいながら、博士が信じがたいものを見る眼差しをヒカリへ向けた。テルも驚きこそすれ信じてなさそうな顔だ。おおむね他の人間も同様で、互いにひそひそと顔を寄せ合っている。
ヒカリがシンオウ地方のチャンピオンだと知っているならすぐに信じただろうが、普通に考えれば当然だ。むしろ事が終わってから来たはずのウォロが全面的にその事実を信じていることの方が不思議なくらいであろう。
「おや、信じられませんか」
ウォロは悲しそうに眉を下げた。テルがヒカリを気にしながら口を開く。
「そんな凄腕のポケモン使い、どこで見つけたんですか?」
「良い質問ですねテルさん! 彼女は気がついたらこの地にいたそうです。ジブンの考えるに、彼女はシンオウ様のいらっしゃる世界、時空の裂け目の向こう側から来たのではないかと思っています」
「おいおい……。そんな変な奴、仲間にできませんよ」
「変なんて言わなくてもいいじゃない。あたしだって気がついたらいたんだもん」
ヒカリはむっつりと半眼でテルを睨んだ。
テルはコウキとそっくりだが、性格はかなり違うみたいだ。コウキよりずっと荒っぽいし、なにより優しくない。
考え込んでいた博士が弱々しく尋ねる。
「つまりヒカリくんは行き場所がないのですね? それでギンガ団においてもらえないかと」
「その通りです。短い付き合いですがヒカリさんの実力は本物です。ジブンが保証しますよ!」
「なるほど。ヒカリくんはどうなのですか?」
ヒカリにこちらでの身寄りはない。かといって、ギンガ団に身を寄せて大丈夫なのだろうか。
部屋の中を見回した。
輪の外側で、ヒカリの出方を遠巻きに窺う人たち。博士の湿布を貼り終わったキネもこちらを見ている。コウキそっくりのテルが腕を組んでいる。ウォロはにこにこと待っている。博士は急かすことなく、辛い体勢ながらも回答を待っている。
ギンガ団がこちらでも悪い組織とは限らない、と思う。見知った人たちの性格や性別が違うように、もしかしたら上手くやっていけるかもしれない。
「あたし調査隊員やりたいです!」
こうなれば乗り掛かった船だ。乗ってみよう。
「ポケモンのことならどーんと任せてください! 得意です!」
「ワンダフル! 分かりました。他ならぬ、ウォロさんの紹介です。改めて名乗りましょう。ボクはラベン。ポケモンの研究のために来ました。ですが、ポケモンを捕まえるのはあまり上手くありません……」
ラベン博士がうなだれた。テルが同意するように嘆息する。
「博士って、こと捕まえることについてはてんで役に立たないよな。ヒカリお前、そんなこと言っちゃって大丈夫か? ポケモンって危ないんだぞ。捕まえるのだって、お前が考えてるよりよっぽど難しいんだからな。……お前にしてみれば行き場所がないなら野垂れ死に確定で、それしかないのかもしれないけど」
「野垂れ死に!?」
現代のようなポケモンセンターがないことは予想がつく。山奥や洞窟の奥深くで野垂れ死にも、分かる。
しかし人里が近いこの場所で、野垂れ死ぬとはどういうことだ。よっぽど排他的な土地なのか?
「二つくらい別の集落はあるけど、ここと違って余所者は仲間にしないんだぜ」
「コトブキムラは二年前にできたばかりで、積極的に移民を受け入れています。考えも先進的でイチョウ商会のお得意先でもあるんですよ」
と、ウォロが付け足した。
「ではさっそく、シマボシ隊長に相談を……アッツツツツツ!」
「博士! 無理しない方がいいぞ」
博士がぱったりと寝台に潰れた。「今日一日は、安静にしないと駄目です」とキネが釘を刺す。
「オーノー……明日には、なんとか動けると思います。テルくん、悪いですがシマボシ隊長に事情を説明してもらえませんか?」
「おれ!? おれは、ちょっと」
「ああっと、違います、違います。明日、シマボシ隊長にはボクから正式に話します。ヒカリくんは今夜寝る場所がありません。ボクの研究室のベッドを使ってください。その許可をもらいに行って欲しいです。どうせボクは今日は、ここから動けませんから」
「こんな変な奴、入れちゃっていいんですか?」
テルがまごつく。そこまで嫌がらなくてもいいのに、とヒカリは憮然としたが、両手をあげて言った。
「研究室のものは触らないって約束するし、そこ以外に眠れる場所があるならそこでもいい」
「だ、そうですよテルさん。ヒカリさんが仲間になれば、テルさんの負担もぐぐっと軽くなります!」
「……ならいいけど」
ウォロが促すと、テルは渋々頷いた。
▼
眉のない厳めしい顔つき。
だが女性らしく、顎はほっそりしている。
吊り目の三白眼でカラーリングはそっくり。
ウォロがシロナの血縁だと言われれば納得するのと同じくらい、シマボシはアカギに似ていた。書類が山積みになった机の向こうで手を止め、ヒカリの返答を待っている。その隣では置物のようにケーシィが控えていた。
テルに小突かれ、ヒカリはようやく意識を取り戻した。
「あ、は、初めまして。あたし、ヒカリです。ギンガ団の調査隊員になりたいです。よろしくお願いします!」
「バカ、違う! すいませんシマボシ隊長! こいつ、今日寝る場所がないんです。それで今夜だけ研究室のベッドを使わせて欲しいって博士が言ってました」
テルも緊張してあたふたしていた。
シマボシの表情筋は石のように動かず、その小さな口が淡々と開かれる。
「いきなり現れて調査隊員になりたいと言われても、素性も能力も分からぬ人間を、おいそれと雇うわけにはいかない。テル、博士はどうした」
「博士は腰捻っちまって、動けないんです。明日、正式に話すって言ってました。今のはこいつが先走っただけです!」
おいそれと雇うわけにはいかない。
シマボシの目は冷たい。変な奴、というテルの言葉が頭を過ぎった。彼女にも不審がられているに違いない。
――ウォロが口を利いてくれて、せっかく博士が約束してくれたのに。
ヒカリは執務机に身を乗り出した。
「あたし、ポケモンに関することなら捕獲でも、バトルでも、育成でも、なんでもできます!」
「馬鹿、先走るなっ!」
野垂れ死に。
野垂れ死は嫌だ。
元の時代に生きて帰りたい。
足下が真っ暗になって、シマボシの冷たい眼差しに動悸が激しくなってくる。
ここで退いてはいけない。ヒカリは出来うる限りの熱を込めて主張した。
「調査隊の仕事はヒスイ地方のポケモンを全部調べて記録することなんですよね? あたし別地方で同じ仕事を手伝ったことがあります。絶対に力になれます。だから調査隊にもが」
「それは明日! 隊長、変な奴だけど、一晩置くくらいはいいですか? やっぱり駄目、ですよね……?」
テルが両手でヒカリの口を塞いで言った。
「許可する」
「はっ?」
テルが素っ頓狂な声をあげた。
シマボシの吊り目がヒカリを見据えた。
「もっとも、キミの主張する通り、調査隊に相応しい実力があるのならばだが」
「実力なら――あります!」
ヒカリはテルの手を引き剥がした。
ポケモンと幾度も苦難を乗り越えてきた。死にかけたこともあった。助けてもらったこともあった。
ポケモンのことなら誰にだって負けない知識と経験が自分にはある!
「威勢がいいことだ」
「元気があたしの取り柄です!」
「では、試験を課す」
シマボシが席を立った。
靴音高く、ヒカリの目の前にやってくる。テルがごくりと息を呑んだ。
「いま、ムラには3匹のポケモンが入り込んでいる。いたずら者のビッパ達だ。そのビッパと――テル、モクローは逃げ出したのだったな?」
「はっはい!」
「ヒカリ。キミにはビッパ3匹とモクローを捕獲してもらう。刻限は日没までだ」
テルが目を剥いた。
「今から試験するんですか!?」
「本来であれば、わたしも日を改める。だが彼女は自分から言いだした。博士から紹介をする予定だったのだろうが、そこを飛び越えた。――それが博士への非礼であることは分かっているか」
ギラッとシマボシの眼光が鋭くなった。部屋の気温が下がった気がして、テルがひぇ、と短く悲鳴を漏らす。
「……ごめんなさい」
ヒカリのやったことは博士の好意を無下にする行為だ。焦った結果として、それこそが一番の失態だった。
「博士にも後で謝ります」
「今生の別れにならないといいな。受からねばキミにはムラの外に出てもらう」
「試験には必ず受かります」
ヒカリはシマボシをまっすぐに見据えた。
「あたしは博士の顔に絶対に泥を塗ったりしません」
「ならばやってみせよ。キミが役に立つ人間だと、皆に知らしめる必要がある」
▼
「ヒカリくん、頭をあげてください」
「……本当にごめんなさい」
医療室に戻って最初にヒカリは博士に謝った。ウォロはイチョウ商会の仕事だとかで、すでにいない。
テルには隊長の部屋を出た後に謝った。彼もシマボシ隊長が怖かったようだ。ヒカリに苦言を漏らした後、「それにしても怖かったよな。でも、シマボシ隊長に対してお前もよくあんだけ話したよ。出された試験がだいぶアレだけど」とヒカリに同情した。
「ノーノー。焦ることは、誰にでもあることです。しかしヒカリくんの試験は、より難しいモノになりました。すでに昼を過ぎています。日没まで時間がありませんが、勝算はありますか?」
「コトブキムラの地図と時計を貸してください」
スマホロトムの時刻表示機能は壊れている。およその見立てでは、日没まで三、四時間。
時計、という言葉に、ラベンが驚いた。
「時計はこの地方には、まだ普及していません。キミの常識は、もしかしたらボクの方に近いのかも。時の鐘の読み方は分かりますか?」
ヒカリは首を横に振った。
「村の東と北の門にある大きな鐘を〝時の鐘〟と呼びます。あれが六回鳴ったら暮れ六つで日没です。シマボシ隊長の言う日没のタイムリミットも同じはず。詳しい時間の読み方はまた教えますが、ひとまず〝鐘の音六回がタイムリミット〟だと覚えてください」
「分かりました! 地図はありますか?」
「ボクの研究室にあります。テルくん、渡してください。それと彼女の手助けもお願いします」
テルの両肩が跳ねる。そわそわとヒカリ以上に彼は残り時間を気にしていた。すぐに立ち上がってヒカリを研究室へ引っぱる。
研究室は蔵書にメモ書きに服にと、物が散乱していた。部屋の端やよく手に取るであろう場所に積み上げられた書籍類は、片付けなければという微妙な抗いの意思を感じる。
入ってすぐの右手の水槽からヒカリは視線を感じ、振り向いた。ミジュマルが物凄い形相で睨んでいた。
心当たりのまるでないヒカリが首を傾げた途端、ミジュマルが水槽から勢いよく飛びだした!
「ぴちゃちゃッ!」
「はっ!?」
袈裟懸けに振りおろされた貝を白刃取る。ヒカリの経験と技術と才能と超人的反射神経とたんなる幸運による偶然により為せた技なので、常人は絶対に真似してはいけない。
「ぴちゃちゃ!?」
渾身の初太刀が失敗したことにミジュマルがかなり動揺した。受け止められた貝にぶら下がり、短い足で蹴りを繰りだす。
ヒカリは両手を貝から離した。
蹴りは空振りし、ミジュマルはべしっと床に落ちた。ヒカリは背中から掴みあげた。落ちても貝は絶対に手放さなかったミジュマルが悔しそうに貝を振り回す。
このラッコ畜生、初対面でなかなかに明確な殺意ではないか。
「あたし、君になんかやった?」
「ぴちゃーっ!」
暴れるミジュマルと意思疎通は出来そうにない。説明を求めてテルを振り向くと、彼は地図を片手に固まっていた。
「お前、怪我とかしなかったのか?」
「運良く。ミジュマルじゃなくて、フタチマルだったら危なかったかも」
「フタチマル?」
「この子の進化形」
テルはポケモンの扱いに慣れていないのだろうか? なんだかぎこちない。
「そのミジュマルは博士が本国から送ってもらったんだ。博士以外にはぜんぜん懐かなくて、知らない人間が研究室に入ってくると今みたいに誰でも襲う。お前が悪い訳じゃないし、おれも言っとくの忘れてた。悪い」
「誰でも?」
「ぴ~ちゃ~ちゃアアアアア!」
「すっごい威嚇してくる」
ミジュマルは貝をぶん回していたが、やがて疲れてへたった。普通より凶悪な顔をヒカリは横から覗き込んだ。
「モクローと君って友達?」
ぶぶぶぶ。
勢いよくミジュマルが首を横に振る。
仲は悪そうだ。
「モクローを捕まえたいんだけど、あたしのお手伝いしてくれない?」
「ぴちゃ?」
「ヤだ?」
「ぴちゃー」
つーん。
無理か。ヒカリはミジュマルを水槽に戻してあげた。
「地図貸して。ギンガ団の建物はどれ?」
テルがちらちらとミジュマルを気にしながら地図を広げる。背中に殺気が突き刺さっているが、ヒカリは無視した。
「ミジュマル、あのままでいいのか?」
「調査隊員になったら研究室に出入りするんだからいい。あたしがいることに慣れて欲しいし」
「お前って、ポケモンが怖くないのか?」
怖いと思った事はヒカリにもある。
でもポケモンという種族そのものを怖いと思ったことはない。
村の地図を頭に叩き込んだ。モクローとビッパの生態は、もとからインプット済みだ。どう探したらいいかの見当もつく。
あとは時間。そして、運。
「怖がってちゃポケモントレーナーなんてやってらんないよ。――さぁていっちょ、シンオウリーグ・現チャンピオンの実力、見せてあげる!」