ヒカリは妙な夢を見た。
コウキやジュンとバトルしている。新しい技の組み合わせを覚えたから見せてやると意気込むジュンと戦っているのだが、自分の声が二重に聞こえるのだ。
「ゴウカザル! 火炎車!」
『ゴ××ザル! ××ングル×!』
「交代! 下がって!」
『コウタ×! サ×ッ×!』
質の悪い録音を無理に重ねているような声だ。ぐらぐらする。目の前のフィールドや二人の姿も揺らいできて、伸ばした自分の腕が二重写しに見える。
ノイズ混じりの雑音が遙かな次元の向こうから自分を呼んだ。
振り返った自分の後ろで、こちらを向かないヒカリが「負けないで!」と叫んでいる。
『ダレ×ノ?』
質の悪い録音が喉の奥で反響する。不鮮明で不明瞭な輪郭で、遙かな次元へ誘われる。
足を踏み出せばバトルフィールドが遠のいた。鮮明なヒカリが、ジュンとコウキと笑いながらバトルを続けている。
なにも起こらなかったかのような賑やかな喧噪を置いて〝ヒカリ〟は歩き続けた。
誰なの、どこへ行くの、壊れたの、と問いかけながら。
光の方へ。
輝く方へ。
熱の方へ。
――その足に、ジジッとノイズが走った。
▼
「……夢」
「きき?」
ヒコザルが覗き込んでいた。
お尻の火が元気に燃えている。熱いと思ったのはこれが原因か。どいてどいてと手を振った。
「おはよ。元気になったんだね」
「きぃ!」
本日は曇り空。時刻は分からないが、そこまで寝坊した訳ではない、と思う。ポケモン達の顔を見ておきたいがモクローが面倒くさい。
こちらのモンスターボールはポケモンが勝手に出られない仕様になっていた。モンスターボールにどんな大きさのポケモンも収まってしまう仕組みは、ポケモンの小さくなる本能を利用している。現代は改良により覚醒に近くなっているが、初期型であるこのモンスターボールはより休眠に近い。モンスターボールに入れてあれば、ほぼ食事を必要としない。ピカチュウとモクローの争いはたまの食事時に起こっていたようだ。
ま、昨日の今日だ。
ビッパ達はようやく安心できる住み処を得て爆睡しているに違いない。モクローも散々暴れた後だし、朝っぱらから顔を付き合わせることもないだろう。ヒカリはモンスターボールをそっとしておくことにした。
ミジュマルは水槽にもボールにもいない。どっか行ったのか? 寝込みを襲われなくて良かったと安心しつつ、布団を畳んで研究室を出る。
医務室ではキネが朝の清掃をしていた。
寝台の患者達はまだ眠っており、うつ伏せに寝ている博士のそばにミジュマルがいた。思い切り睨まれたので両手を挙げる。
「ミジュマル、博士が起きてしまいますよ」
「ちゃっ!」
キネに注意されると、ミジュマルはツンとした顔で博士のお世話に戻った。お世話と言っても、博士をじーっと見守り、掛け布団がズレれば直し、呻けば心配そうにしているだけだが。
キネがそっとヒカリに耳打ちする。
「あの子、博士のことが好きすぎて攻撃的だけど、悪い子じゃないから。悪く思わないでね」
「了解です」
LikeというよりLove? 博士を見つめるミジュマルの目には明らかに恋の炎が宿っている。
ポケモンは種族が違ってもタマゴを作れる。昔はポケモンと人間が結婚した事もあったらしいし、ミジュマルの恋が成就する可能性も零ではない。そこら辺はどうなんだろう? 現代より神代の時代に近しい世界ならば、ありうるかもしれない。
ヒカリはキネに昨日の怪我を診てもらった。赤みも消え、すっかり綺麗になった肌にキネは何も言わなかった。不安そうなヒカリにタオルと新しい服を差し出す。テルと同じ、ギンガ団の隊員服だ。
「昨日シマボシ隊長に頼まれたの。さぁ、お風呂を借りてきなさい。調査隊はいつも人手不足なんだから忙しくなるわよ」
▼
照明が明るく清潔で広い大浴場――は、ないだろうなと予想したとおり、小さな採光窓から光が差し込むのみで、薄暗い中に湯気が立ちこめている。
洗い場はすのこが敷いてあり、狭い。
「お邪魔しまーす」
一応挨拶して入った。先客がいるのかどうかイマイチ分からない。暗すぎる。
かけ湯で体を清め、湯船に足を入れた。髪留めがないので、ヒカリは髪が浸からないように気をつけた。
ゆっくりと浸かると体のこわばりが溶け出してくる。ふはぁ、と蕩けた声を吐きだし、ぼんやりと暗い天井を見上げる。
あれだけの事があったのに傷ひとつ無い自身の体も、この暗さでは見えない。
「先に失礼する」
湯船の奥から人影が立ち上がった。はぁい、と間の抜けた返事をする。
なんだ、先客がいたのか。
風呂場に似つかわしくないキビキビとした声音の人物が近づいてきたので、ヒカリは端に寄って道を開けた。
「隊員服に着替えたら隊長室に来るように」
はぁい、と間延びした返事を繰り返し、ヒカリは相手を見上げた。
ほっそりとしたシルエットに青みかがった癖の強い髪。
湯気の向こうに三白眼。
瞬きする。
「シマボシさ……ッ!?」
「シマボシ隊長、だ」
「は、はい!」
ヒカリは慌てて湯から上がり、こけそうになりながらシマボシを追いかけた。
脱衣所で着替えるシマボシの体つきはやはり女性だった。滑らかな肌の曲線を隠すことなく堂々と――いや、そんなことを再認識している場合ではない。
「あのっ隊員はお風呂借りていいって事だったので借りました! すいません!」
「謝罪は必要ない。キミは調査隊員だ」
「あ、へ、はい」
シマボシは淡々としており、隊員になったばかりのヒカリが風呂を使ったことへの怒りはなさそうだ。そういったことで怒るタイプではないということか。
しかし、なるほど、それならゆっくり浸かってきますね――と和やかに戻る気にはなれない。
かなり気がひける。
シマボシが着替える横で黙々とヒカリも着替えた。温まったようなそうでもないような。先に着替え終わったシマボシがじっとヒカリを待っていた。
急かされている、ような気がする。
髪を拭くのもそこそこに、ヒカリは急いで着替え終わると「お待たせしました!」と引きつった笑顔で応えた。
「待ってはいない」
嘘つけ。
「回ってみてくれ」
ヒカリは訝しげに思いつつも従った。くるりと回転したヒカリに頷き、「着いてこい」とシマボシが脱衣所を出る。せかせかとした歩調の後を、なんだなんだと着いていく。
「キミはいつも、あんなにも急いで風呂に入るのか」
「いや、けっこう長風呂かも……です。シマボシ隊長はゆっくり入るんですか」
「百まで数える」
子供か。ヒカリは水滴の落ちる髪をタオルで拭った。
出来れば今度は肩まで浸かりたい。イチョウ商会で髪留めを扱っていないだろうか。そもそも髪ゴムはこの時代あるのか?
隊長室ではケーシィが定位置に浮いており、テルが待っていた。戻ったシマボシに背筋を伸ばし、続いて入ってきたヒカリに「なんでお前が」という顔をする。近づくなり、ひそひそと耳打ちしてきた。
「お前ってほんっといい度胸してるな。隊長と一緒に風呂入ったのかよ。昨日の今日だぞ」
「だって調査隊員はお風呂使っていいってウォロさんが」
「テル。調査隊員の誰がいつ風呂を使おうが自由だ」
テルが直立不動になった。地獄耳だ。
シマボシが棚から大判の手巾と髪紐、櫛を取り出した。
「ヒカリ。後ろを向け」
なんとなく何をやるのかは想像がつき、ヒカリはやはり大人しく後ろを向いた。
果たしてその通りで、シマボシはヒカリの髪を拭き直して綺麗に手巾でまとめてくれた。ついでにもう一本髪紐をくれた。
「次は肩まで浸かれ。百数えるように」
むず痒いような照れくさいような気持ちが湧いてきて、しかもそれをやったのがアカギそっくりのシマボシ隊長! どんな顔をしたらいいのか分からず、ヒカリはギクシャクとお礼を言った。
テルが隊長室にいた理由は単純明快で、シマボシに呼ばれたからだった。
「――こいつとですか」
「そうだ。ヒカリの村での生活、並びにポケモンの捕獲調査を援助しろ」
テルは諸手を挙げて喜ぶ、わけではなく。
しかし「嫌です」と即答するわけでもなく。
テルが昨日の騒動の数々と平穏な調査隊生活の終了に思いを馳せ、重々しい「はい」を返した。
にやー、として、ひらひらテルの目の前に手を振る。
「よろしくね、せ・ん・ぱ・い」
「……おう」
〝先輩〟の単語に多少気を良くしたようだ。
ポケモン関連はヒカリの方が先輩だが、ここでの生活はテルが先輩だ。頼りになりそう。
「団長は本日帰還予定だ。戻り次第、キミの入団報告をするので心しておくように。それと、いももち亭の修繕が最優先任務だ。早々にいももち亭に向かえ」
▼
「本当にビッパが役に立つのか?」
「うーん、削るのは得意だと思うし、まずやらせてみるしかないかな」
テルによるコトブキムラの案内が終わると、まずポケモン達の顔合わせをした。
三人姉弟のビッパ達がヒコザルの周りを一列縦隊でぐるぐる回っている。ヒコザルはその中心で彼らの動きに合せて顔を動かしている。
そこへモクローを繰りだした。
げ、とテルが顔を青くし、ビッパ達が凄い勢いでヒコザルの後ろに隠れた。
「き?」
「げぇる」
モクローはくるくると頭を動かし、初対面のヒコザルに目を止めた。すっと翼を広げ、先手必勝とばかりに葉っぱカッターを――
放つ前にヒカリの脳天チョップが落ちた。
げぇう、とへたり込む。容赦のない攻撃にテルがドン引きしているが構うまい。
ヒカリはモクローの足にちょいちょいと細工をした。正気づいたモクローがヒカリにぎょっとして飛び立つが、一メートルも行かないうちに紐でつんのめる。
地に伏したまま、ぎ、ぎ、ぎ、と錆びついた歯車のような動きで振り向いた。
紐の先を持ってヒカリはにっこりとした。
「今日からあなたのトレーナーになるヒカリです。よろしくねモクロー」
凍りついたモクローをボールに戻し、ヒカリは満足げに鼻を鳴らした。
なんのこっちゃという顔のヒコザルに、「今のは新しい仲間のモクロー。仲良くしてあげてね」と告げる。ヒコザルは首を傾げながら鳴いた。
モクローは博士やテルの手に余る。
だが研究所出身のポケモンは強くなりやすい。ヒカリはモクローを鍛え上げる気満々だった。個人的恨みもあるが、それはそれとして。教育的指導もとい集団生活は誰かが叩き込むべきだ。
問題はビッパ三姉弟である。
ヒカリは彼らを仲間にするかどうか迷っていた。
戦力的にはコラッタの手ですら欲しい。ビッパが加われば火・草・水が揃うのでバトルの練習もしやすくなる。なんならテルのピカチュウでもカバーできないタイプ相性であるエスパーとか地面とか飛行とか毒とかも欲しい。
三匹のビッパ達はぼけっとした顔をしている。しゃがみ込んだヒカリが左右に揺れると、それに合わせて彼らも左右に揺れる。
ヒカリは嘆息した。彼らはもともと住み処を探して村に逃げ込んだ子供達だ。自分の都合で欲しい欲しいとばっかり考えてはいけない。
ポケモンにもヒカリにも、それぞれの生活と事情がある。
戦闘を無理強いすべきではない(※モクローは除く)。
「さて。ビッパ達。この村で暮らしていくにはお仕事をする必要があります」
「びぱ?」
「び?」
「ぶび?」
「ここに取り出しますは木材ひとつ」
薪にする前のでかいやつ。お手並み拝見ということで、ギンガ団の薪置き場から拝借してきた。
ところで薪置き場の奥でごそごそ音がしたのだが、ポケモンでも隠れているのだろうか。
ヒカリは木材に木炭で線を引いた。
「この線に沿って木材を綺麗に切ることが出来れば、晴れて建築隊の仲間入り。出来なかった場合は――」
いかにも悲しそうに目を伏せた。
「あたしには言えない……美味しいご飯も安心な住み処もないお外に放り出すだなんて……!」
「いや言ってるし」
「こちらのお兄さんがつまみ出すそうです」
「おれ!?」
三文芝居だったが効果はあった。ビッパ達が震えながらヒカリを見上げたのだ。指さされたテルではなく。
「順当に考えればそうだよな」
ヒカリの手刀がテルの膝裏に入った。
崩れ落ちたテルはさておき、ビッパ達はカリカリと素早く仕事に取りかかった。その技術は見事なもので、まず完全に線に沿って木材を断ち切った。
次男ビッパの早業である。
「おお」
ヒカリは感嘆した。膝かっくんから立ち直ったテルも驚いている。続き、末っ子ビッパが前歯で丁寧に、しかも素早く木材を彫刻した。
姉ビッパの姿に。
「おおおおおお!」
ヒカリとテルは揃って目を見張った。これはもはや芸術作品と呼ぶべきでは? 彫刻された姉ビッパは躍動感に溢れて、今にも動き出しそうだ。
姉ビッパにリレーのように彫刻作品がパスされた。
二人は期待の眼差しで見つめた。弟ビッパ達の決めてくれと言わんばかりの眼差しもそれに加わった。
あまりの完成度の高さにきょどった姉ビッパが、えいやっと彫刻を真っ二つに叩き割った。
「……うん。少なくとも、弟ビッパ達は問題なさそうだな」
端っこで頭を抱えて落ち込む姉ビッパの尻を眺め、テルが言った。弟ビッパ達がおろおろとしている。
ヒカリは姉ビッパを抱えあげた。
「び?」
「適材適所って言葉もあるし、お姉ちゃんが切り出す係。次男ビッパが図面に沿って断ち切って、一番器用な末っ子ビッパが仕上げをしたらいいじゃない。力があるのは大事なことだよ。ね!」
「びぱ!」
つぶらな瞳で、姉ビッパが力強く前足を持ち上げた。
▼
いももち亭の損害。木戸と障子が複数枚、割れた食器類がいくつか。
ピカチュウが焦がした建材は多めに見てもらい、建築隊と協力しての修繕が始まった。サザンカという女性もヒカリはどっかで見た顔だなと思ったが、どうにも思い出せない。これで見覚えのある顔は5人目だ。
サザンカは数少ないポケモンを恐れない人間のようで、ビッパ達の働きぶりに目を輝かせた。
「石も木も削っちまうとは見事なもんだ。こいつらが建築隊に入ってくれるって言うなら、願ってもないね!」
木戸も障子の枠もビッパ達がすぐに切り出し、割れた食器類さえも末っ子ビッパが木椀を彫刻して解決してしまった。万能過ぎやしないか。そうはならんやろ顔のテルを横目に、これがビッパの実力ですよとヒカリは得意満面だった。
「手が止まっとるぞ!」
「ふへぇーい」
「はぁい」
ぴしゃりとムベに怒られ作業に戻った。いももち亭の看板メニュー、〝イモモチ〟の作成中であるが、これがなかなかの力仕事なのだ。
山のような芋を剥く。茹でる。そして潰す。テルはともかく、建築のけの字も知らないヒカリに修繕は手伝えない。必然的に多少の心得がある調理作業で責任をとる形となり、テルはサポート役だ。
鬼のような形相のムベに監視されつつ作業していると、爽やかな汗をサザンカと流しているビッパ達が羨ましくなってくる。予定よりずっと早く修繕が終わったので、今は破壊した宿舎の建築をしていた。最初にヒカリがビッパを見つけたあの、倒壊した建物のことだ。本来、ヒカリはあそこで寝泊まりする予定だったらしい。
このまま博士の部屋に泊まり込んでも良いのだが(居心地は悪くないし)、あいにく布団はひとつしかなく(追加で運び込んでも良さそうなもんだが)、ミジュマルに寝首をかかれる危険がある(理由の九割)。
部屋について博士と話しているそばで、しゅらしゅらとミジュマルが貝を研いでいた。
「あちぃし腕がいてぇ」
すりこぎ棒で無限に芋を潰していたテルが手を下ろした。はぁーあ、と腕を揉む。
「ヒカリ。そっちと交代してくれよ。飽きた」
ヒカリは小刀で芋と格闘していた。その横ではヒコザルが芋を茹でる火加減を調整している。
真剣な眼差しで芋の皮を剥く。最初は慣れない手つきだったが、数え切れない芋を剥いているうちに薄く剥けるようになりつつあった。
「あと少し…あと少しだから……これだけ……」
「熱中してんじゃねーよ」
リンゴを剥くように、ヒカリの足下には長く繋がった皮が落ちている。その手元にムベの小刀が放たれた。
途切れた皮が落ちる。
「あ、ああああああああああああ!」
「フン。くだらん」
「酷い! なんてことするの!」
「わしは遊ばせとる訳じゃないんじゃ!」
「遊んでないですー! 真剣にやってましたー!!」
立ち上がったヒカリの膝から皮が落ちる。ムベは青筋を立てて座ったまま、手元も見ずに芋の皮を剥いている。鮮やかな手つきであった。当てつけのように皮もすべて繋がっており、へこみの部分も綺麗に処理してある。
ヒカリはぐぬぬ、と皮を見つめ、テルと作業を交代した。すりこぎ棒で恨みを込めるように力強く芋を潰し始める。
「それにしても凄い量だけど。いつもこの量をひとりで作ってるの? そんな訳ないよね?」
「黙って働かんか」
むっつりとムベが剥けた芋を空いた鍋に入れた。テルが「そういやそうだよな」と潰し芋の山を見やる。
シマボシ隊長がひとりで十人前平らげるときだってあるのに、この店は基本的にムベひとりで切り盛りしている。ヒカリは探るように問いかけた。
「絶対お手伝いいるでしょ。例えばぁ、ポケモンとか! エスパー系の技が使えると便利ですよねぇ~」
「お前、まだムベさんを疑ってんのか」
ムウマージのことをムベが知らぬ存ぜぬした件をヒカリは蒸し返した。テルは呆れている。
「ムウマージの進化前のムウマは人の怖がる心が大好物だし、並のトレーナーに扱えるポケモンじゃないし、そもそも闇の石も簡単に手に入るようなもんじゃない。モクローのことだって妙に手慣れててポケモンの扱いに慣れてるはずなのに、どうして調査隊に入ってないんですか。おかしくない?」
「つったって、全部お前の推測だろ。ムベさんがポケモン使ってるとこなんて、おれ見たことないぞ」
「いーや。絶対ムベさんはポケモン持ってる。なんで隠してるんですか? それに、なんであたしのことそんなに嫌うんですか?」
ドン、と芋を押し潰した。
芋を小刻みな動きで潰しながら、ムベの回答を待つ。
「得体が知れんからじゃ」
ムベは鍋を火から下ろした。腰は曲がったままだが、案外しっかりした動きで湯切りをする。テルが手伝い、煮えた芋をすり鉢に移した。
「ありがとうな」
「あー、まぁ。……ヒカリが得体が知れないってのは、分かりますけど」
ヒカリが芋を潰しながらテルをじーっと見ている。テルが脂汗を流しながらまだ剥けてない芋を手に取ると、ムベが片栗粉を手に言った。
「テル坊、芋はもういい。宿舎の調子を見てきてくれんか」
「え、いいんですか」
「ぼちぼち煮ようかと思っての。向こうの作業が一段落したら、ちと遅いが昼飯にするぞ」
「やった!」
テルが喜々として飛び出した。この口振りでは〝テルには〟イモモチを食うなとは言うまい。
ヒカリの腹も折良く、というかタイミング悪く鳴った。ムベの冷たい目とヒカリの半眼がぶつかる。
「余所者に――」
「別にいらないもん。テルのお母さんのご飯の方が美味しい!」
ムベは片眉をあげた。ヒカリの手から潰した芋を引ったくるようにとると、片栗粉を混ぜてイモモチへと成形する。ヒカリも無言でそれに続く。
いくつか歪なイモモチを作って並べると、ムベが言った。
「もう少し小さく作れ。雑じゃ」
ヒカリはイラッとしたが、成形していたイモモチの端を千切った。ころころと形を整える。
「あまりベタベタ触るでない。手早くやれ」
ヒカリの額に青筋が増えた。
手つきが少し早くなる。かかっていた鍋がなくなったので、ヒコザルが休憩しながらその作業を眺めていた。
「早くやるとは雑にやることではない。そんな不器量じゃ嫁にもいけん」
成形したイモモチをそっと皿に載せ、耐えかねて立ち上がった。
「そーやってネチネチネチネチ言うのやめてもらえます!? どうせあたしは食べられないんだし!」
噛みついたヒカリに対し、ムベは愛想なくイモモチの成形作業を続けていた。
「食うなとは言っとらんじゃろ」
「だってさっき余所者に――」
「最後まで聞け。わしは〝余所者にやる飯はないが、調査隊員なら仕方ない〟と言おうとしたんじゃ」
ヒカリは目をぱちくりさせた。
「……食べていいの?」
「いらんなら食うな」
ガタリとムベは席を立った。ヒコザルに軽く手を振るとイモモチと調味料を平鍋に入れる。竈にかけたところでヒコザルがもう一仕事と火を出した。
「テルの家に世話になったと言ったな。普通の民家に他人を養う余裕はない。自分の飯がどこから出ており、本来はなんの為の食料だったか、考えた事はあるか」
軽蔑さえ含んだ眼差しのムベに、ヒカリは鼻白んだ。
そんなこと考えたこともない。
その必要のない場所にいた。
ポケモンセンターに行けば無料で食事が出てきて、コンビニに入ればすぐに食べ物が手に入って、食料について考えるのなんて次の街が遠いときくらいだ。それだって最近は空を飛ぶポケモンがいるから街までひとっ飛びで着く。
昨日ウォロに言われたこと、そのままじゃないか。
ヒカリは奥歯を噛みしめ、静かに座り直した。
「……イモモチください」
甘辛いタレの匂いがする。
テルの母親の好意は本物だろう。だからこそ、気がつけなかった自分が悔しい。
大事な貯蓄食料を惜しみなく出してくれたんだ。
ヒカリの為にだ。
ムベがそれを指摘したのは、端なる嫌がらせではない。テルの為。そして、テルの家族の為だ。
「まだ煮えとらんし、建築隊の奴らも揃ったらじゃ。ほれ、しょげとる暇があったら、残りの芋を丸めんか」
ヒカリはイモモチの成形を再開した。ムベのようにはいかないが、手早く、なるべく丁寧に作る。
結局ムベがポケモンを持っているかどうか、使っているのかどうかは、煙に巻かれてしまった。でもムベが、村の人たちを大事に思っていることは分かった。
調査隊に入らないこと。ポケモンを隠していること。それがもしかしたら関係しているのかもしれない。
▼
夕方、ギンガ団団長が帰還した。
にわかに騒がしくなり、簡易ベッドの人間が入れ替わる。団長が怪我人を複数連れて帰ったからだ。朝に曇っていた空はどんどん鈍色が増している。帰還予定の時間まで保ったのは運が良かったと言えよう。
ヒカリは正式に団長室には足を踏み入れた。テルは既に挨拶した後で、茶器を壊したことを正直に報告したらしい。意気消沈していた。
「失礼します」
ゴローニャの立っていた場所に、黒髪に壮年の男性がいた。頭に包帯を巻いており、貼り薬のついた顔には血の気がない。されど眼孔は鋭い。着物に分厚いコートは新旧の歴史の狭間にいる事を示してた。
今度はヒカリも返事もできないくらい驚くことはなかった。
これでそっくりな人間は6人目だ。
「ギンガ団団長、デンボクである!」
負傷してなお、堂々とした名乗りである。団長を名乗るのも納得の覇気をナナカマド博士とそっくりな男は纏っていた。負けじとヒカリも声を張る。
「調査隊員になったヒカリです! よろしくお願いします!」
「うむぅ、来いッ! 立ち会え!」
「はい!」
デンボクが四股を踏んだ。パン、と両手を勢いよく合せて広げたので、ヒカリは正面から突進した。
ところでウォロほどではないが、デンボクもなかなか身長が高い。意思疎通に不備あり、ヒカリはデンボクの鳩尾に頭突きした。苦しそうな声が漏れ、デンボクは崩れ落ちた。ヒカリも打ち所が悪く、頭を抑えて崩れ落ちた。
すごく痛い。
体を折り畳むように床に崩れているデンボクが息も絶え絶えに言った。
「ぐぅッ……ヒカリと、言ったな……」
「……はい」
ヒカリも涙目で痛みを堪えながら答えた。
「立ち会えとは、相撲をとることだ……以後、気をつけるように……」
「……はい」
デンボクはシマボシからあらかたの事情を聞いていた。普段はこの村を離れることはないが今回は運悪く、ヒカリと入れ違いで出立していたそうだ。彼は帰ってこない調査隊員の回収に出ていた。
ヒスイにはオヤブンやキング、クイーンと言った通常よりも強力なポケモンが存在する。
オヤブンは以前から危険だったが、キングやクイーンは人に友好的な存在だった。
それが最近様子がおかしく、暴れ回るようになった。調査隊員で怪我を負うもの、帰ってこないものが続出したのである。
一大事だと考えた団長は救助隊を結成し、ひとまず全員を村に連れて帰ることとしたらしい。
刻限は本日の夕方まで。それ以上の捜索は打ち切りとする。
深入りすれば救助隊の面々の命も危うい。デンボクにとっても苦渋の決断であった。
今後についてはコンゴウ団・シンジュ団の長と話し合う予定だとか。もともとキングやクイーンはそれら二つの団の大事な護り神であり、お世話をしていたのもその二つの団だ。
「聞けば、アヤシシを鎮めたらしいな。コンゴウ団のヨネ殿が感謝しておった」
「会ったんですか? アヤシシ様の調子はどうでしたか? 大丈夫そうでした?」
主にお尻とかお尻とかお尻とか。
スマホロトムはあれから大人しい。警告音が鳴ることもないし、シュウセイパッチがどーたらと騒ぐこともない。他のキングやクイーンに会ったらどうなるか分からないが。
「暴れていたという言説が嘘のように穏やかで、救助の手助けまでしてもらった。わたしはキングやクイーンの荒ぶるところを見てはおらん。だが、救助されたものはアヤシシに怯えておった」
修正パッチの効果だろうか? アヤシシは治ったと考えて良さそうだ。お尻の調子も良さそう。
デンボクが腕を組んだ。
「アヤシシをどのように鎮めたのだ。コンゴウ団やシンジュ団のキャプテンでも手のつけられぬ相手。シュウセイパッチなる面妖なものを使ったと聞いたが」
デンボクは怪訝な面持ちであった。どうにも時代がかってるな、とヒカリは困った。
面妖、との表現から、言葉を誤ればこちらを排除しかねない。悩んだがヒカリは素直に話すことにした。
どうせ嘘は上手くないのだから。
「これです。スマホロトムって言って、アヤシシが近づいたときにこれが鳴りました。修正パッチもこれで当てました。原理とか理由とかは、あたしにもよく分かっていません」
ヒカリの差し出したスマホロトムをデンボクは受け取らなかった。ウォロはわりとすぐに受け取り、あれこれと操作しまくっていたのだが、きっと彼が変わっているのだろう。
スマホロトムを一瞥し、「まあ良い」と視線を外した。
「ヒスイ全体に不穏な空気が漂っておる。その中で突如として現れたお前を不気味と思うものもいるだろう。アヤシシを鎮めたと言えど、それ自体、得体が知れぬ行為によるものだ。……だがお前は入団試験に合格した。コトブキムラの仲間として受け入れよう。ギンガ団の仕事に忠勤し、よく励むように」
……不気味と思っているのは、デンボクの方ではなかろうか。
声音と態度がそう言っている。
ヒカリは複雑な気持ちになったが、「わたしはお前を面妖だと思っている」とか「村から出て行け余所者」とか言われないだけマシだと思うことにした。村のトップであるデンボクが正面からヒカリを否定すれば、どう足掻いても村にはいられなくなる。言葉を濁したということは、怪しいとは思っているが、少なくとも村には置いてくれるということだ。
ヒカリは神妙に敬礼した。
「ハッ! 誠心誠意、真心込めてバッチリとギンガ団でお仕事します!」