魔王を倒した半人半魔の男が、エルフ族の国で隠居生活を送っていたら、聖女に選ばれた魔王の娘を教え子に迎えて守り人になる。 作:八魔刀
落ち着いて今の現状を観察してみよう。
今、俺はエリシアの書斎室にて微かに震える手で紅茶を飲んでいる。
依頼から帰り、湯浴みを済ませてYシャツにズボンというラフな格好に落ち着いている。
書斎にいるのは俺以外にララ、リイン、エリシア、モリソンは胃痛がすると言って出て行ったきり戻ってこない。そして対面のソファーでニコニコと俺を見てくるアイリーン先生と、俺の膝上に座っている何故か急成長しているシンク、この五人が書斎にいる。
エリシアは死んだような目をして自分のデスクで手を組んで俺を睨んでおり、ララは隣で澄ました顔をしているが、チラチラとシンクを見ては混乱している。リインはソファーに座らず、ララの後ろに控えているが何かに呆れ返って溜息を吐いている。
そしてアイリーン先生はいつも学校で見ていた格好ではなく、リインと同じような伝統的な戦士の衣装を纏っており、ただでさえ大きかった胸が露出していることで更に視線を惹かれてしまう。リインと違うのは、リインが短いスカートに対してアイリーン先生は長いスカートという所だけだ。
それから俺の膝の上に座ってご機嫌にお菓子を食べている少年……未だ本当にシンクなのか疑ってしまう容姿に性格だが、顔や魔力はシンクのだし、何より俺を心から父と呼んでくれている。
いったいどうしてこんな状況になってしまったのか――俺は考えるのを止めて流れに身を任せることにした。
だってもうどうしようもないじゃん? 勇者の兄でも一度に許容できる現実には限度があるよ。もうそれを超えて掠れた笑いしか出ないんだから、もう知らねぇよ。
ソファーの背もたれに項垂れると、シンクも俺の腹に身体を預けて俺と同じような格好をする。それがどうしてか面白く、シンクの頭を撫でてしまう。
嗚呼……癒やしだ……もう構うもんか。シンクが何で急成長したのかは知らん。でもこの子はシンクであり俺の子だ。それだけで良いじゃないか。
「こほん――」
――ビクンッ!?
エリシアの咳払いによって現実へと引き戻され、俺は姿勢を正す。
エリシアを見ると、微かにだが雷が荒れてエリシアの周囲で小さくパチパチと弾けている。
「……んで?」
ギロリとエリシアは俺を睨む。
だが生憎とエリシアが望むような答えを、俺は持っていない。
寧ろ俺が知りたい。どうしてアイリーン先生が成長したシンクを連れて此処に来ているのか知りたいのは俺もなんだ。
その答えを知るべく、俺はアイリーン先生に尋ねる。
「その……アイリーン先生はどうして此処へ? それとシンクのことはいったい……」
「そうですね……先ずは何からお話すれば良いか……」
ゴソゴソと、アイリーン先生は小さなポーチに手を突っ込んで何かを探している。
あ――、と……この時点では俺はこの状態に陥らせた存在の顔が頭に浮かんだ。
その顔を何度も何度も殴ってやろうかと思い始め、いやいやエルフの大賢者であり俺の面倒を一番よく見てくださっている方をクソ爺なんかとは思っていない。
だが現実は非情なり――。そのポーチはあの爺さんにしかできない魔法を掛けられている。
いや、アイリーン先生も大賢者に迫る知識を有している。実は先生も使えるのではないだろうか? うん、きっとそうだ。
「あ、ありましたわ! 先ずは此方を」
「これは?」
「エグノール・ダルゴニス・アルフォニア校長からのお手紙です」
現実は……非情なり。
目眩がした頭を抱え、差し出された手紙を受け取る。
正直……開きたくない。あの校長のことだ。きっと……きっと予言についてうんたらかんたら語り、その後に俺達にこれから立ちはだかる苦労を突き付け、俺達をそこに向かわせるつもりなんだ。
きっとそうだ……もういっそのこと予言なんて放り投げてララを連れて何処か田舎に引っ越したい。畑仕事なんかしながら金を貯めてララが嫁入する時に全部使ってやる。そうなれば俺は気儘な旅なんかをして最終的に寿命が尽きるまで何処かの山奥にでも身を潜めたいかも。
そんな、どこかの世界の俺が考えてそうなことを願いながら、手紙を開いて目を通す。ララも隣から顔を覗かせる。
『拝啓、英雄殿――まぁ、お固い挨拶は無しじゃ。どうじゃね? 其方での生活は快適かの? うむうむ、それは良かったのぉ。此方は先生が居らず生徒達も戦士達も寂しがっておる。
特にアイリー【此処から先一部分の文字が掻き消されている】……』
手紙から目を離し、正面に座っているアイリーン先生を見る。先生は澄ました表情で紅茶を啜っている。
手紙の封を確かめてみた。僅かだが……目を凝らして見なければ気付かない極僅かな、空けられたような形跡が見受けられる気がする。
もう一度アイリーン先生を見る。先生はニコッと微笑む。
俺とララは何も見なかったことにした。
『――という訳じゃ。寂しいのぉ……ララに会えぬのも辛いものじゃ。孫のような子じゃからな。さて、世間話は此処までにして本題じゃ。もう出会っておるじゃろうが、シンクのことじゃ。シンクがある日突然魔力の暴走を起こした。最初はヴァーガスのそれと勘繰ったが、実際は違った。魔力が大きくなり、それに合わせるように身体が成長したのじゃ。性格も知能も育ったが、悪いところは何処にもあらぬ。それはエルフ族の名医が診たから安心しなさい』
俺は膝上に座っているシンクを見る。
シンクは明るい表情で首を傾げ、茶菓子であるクッキーを頬張る。
シンクは魔王軍の将軍ルキアーノの子供だ。だが普通に生まれた訳じゃないのだろう。何かしらの実験過程で生まれ、魔獣の動力源の一つとして使われる予定だった。
普通じゃないのは百も承知だ。生まれて間もない頃には赤ん坊ではなく五歳程度の幼子。今じゃ、十歳から十二、三歳程度だ。これから先も、もしかしたら急激に成長して最終的には俺をも越すかもしれない。
シンクの頭を撫で、手紙に目を戻す。
『このまま此方で面倒を見るのは勿論構わなかった。じゃが、このタイミングで成長したと言うことに違和感を感じての。シンクの運命を占ってみたんじゃ。すると――お主には酷な話かもしれぬが、あの子は戦いの運命におる。それも君と同じ戦いじゃ』
俺は苛立ちのあまりテーブルを蹴ってしまった。ララ達は驚き、シンクはビクンッと怯えてしまった。
「あ、ああ!? すまないシンク! 怪我はしてないか? 茶が掛かって火傷とか……先生もお怪我は?」
「んーん、へーき」
「私も大丈夫です……」
「……すまない。シンク、ララと一緒に遊んでてくれないか?
「……うん」
ララに目線で「すまない」と頼み、何かを察したララは頷いてシンクの手を引き書斎から出て行った。リインもララの護衛として一緒に出て行ってくれた。
ふざけるな……ふざけるなよ……何でシンクをこっちに寄越した? 戦いが待っていると占いで出たのなら、シンクを都から出すなよ! 何で……何であんな小さな子まで戦いに巻き込む! そんなに……そんなに予言とやらが大事かよ!
予言予言予言予言……! 予言なんて……俺が壊してやろうかァ……!
握り締めた拳から血が流れ出る。魔力が漏れ出し、ガタガタと周囲の物を動かし始める。
「てい」
「あだっ!?」
怒りで興奮していると、額に雷が突き刺さった。おかげで血が上っていた頭が冷え、だだ漏れになっていた魔力を引っ込める。
「そこのおっぱいエルフが怖がってるでしょうが」
「おっぱ……あの、私にはアイリーンと言う名前が――」
「煩いおっぱい」
「うぅ……」
ふぅ……エリシアのお陰で何とか冷静に戻れた。
一言皆に謝り、手紙の続きを読み進める。
『儂も幼い子を戦いには出しとうない。じゃが……このまま儂らがシンクを預かるよりも、君の傍に居させたほうが良いと判断した。儂を恨んでも良い。じゃが儂らは君とララに読まれている予言を何としてでも成就させなければならぬ。儂の命を差し出してもの。しかしそこで一つ問題が発生した。いったい誰がシンクを君に届けるのか。信頼できる者に頼まなければいけないと悩んでおると、目の前にスイカの如く揺れ動く二つの山が――』
別の意味で頭を抱えた。
あの爺さん……実は裏でアイリーン先生をそんな目で見ていたのか。
だがその気持ちは分かる。アイリーン先生の胸部は俺が目にしただけでも一番の大きさを誇り、それは魔族よりもご立派ァ! だと理解できる。
――違う、そうじゃない。何で先生はこの部分を削除してないんだ? さっきのは消し潰していたのに何故?
何故か気恥ずかしくなり咳払いをし、先を読む。
『アイリーン先生は快く引き受けてくれた。アイリーン先生は魔法の天才じゃ。ララにも引けを取らぬ。きっとララのお手本になってくれるじゃろう』
ララの手本ねぇ……。まぁ、俺もララに魔法を教えられるが、アイリーン先生程ではないだろう。親父からあらゆる魔法を教えられたと言っても、所詮は敵を殺す為の魔法が殆どだ。それに精霊魔法に関しては俺は触媒が無ければまともに使えない。そこをアイリーン先生が教えてくれるのなら、ララにとってこの上ない成長を促されるだろう。
――ちょっと悔しいが。いや、悔しくなんてないやい。
『さて、此処からは予言の話じゃ。君は黒き魔法と対峙した。兄弟と戦うことになり辛かろう。じゃが君はこのまま立ち止まれぬ。黒き魔法は世界を破滅へと導く。君はこれからより熾烈な戦いへと赴くだろう。その時、決して己を見失ってはいけぬ。君はこの世界で唯一――ララを黒き魔法から守れる存在なのだから』
手紙はそこで終わっていた。
しかし紙が透けて裏側にも何か書かれているのを見付けた。
『――追記。なんやこれから君は古代に関することにも首を突っ込むようじゃからの。何か貴重な品を見付けたら土産にいくつかよろしくの』
「でぇぇぇりゃぁぁぁぁぁぁあ!」
手紙を右手に丸め、黒い雷を込めて窓から空へと投げ付けた。手紙は消し炭すら残らず消失し、空に黒き稲妻が駆けた。
「ちょっ、アンタ何してんの!?」
「うるせぇ! いつかあの髭全部剃ってやらぁ!」
「あの、ルドガー先生……」
「あん!?」
怒りのあまり、アイリーン先生に乱暴な口を利いてしまった。
アイリーン先生はソファーから立ち上がり、佇まいを直し、まるで聖女が祈る如しに跪いた。
「このアイリーン・ラングリーブ……この身は全て、ルドガー様の物です。不束者ですが、誠心誠意お努めさせていただきます」
『……』
俺は窓枠に足を掛け、エリシアは俺の肩をガジリッと掴んだ。
バチバチバチバチと雷が始め、殺気が俺の首筋に当てられる。
「ねぇ……ルドガー兄さん……」
「違う……違うぞエリシア……俺は……何も知らない」
「言い訳は……空で聞くわよ」
雷神へと変貌したエリシアは、俺ごと窓から空へと駆け上がり、俺は雷神と再び相見えることになった。
「こんのおおおおおおおおおおお! やっぱりおっぱいかあああああああああああああ!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」