「君は自分が何を言っているのか分かっているのか」ドブネズミは言葉は抑揚なく無感動であったが、どこかロウバイめいたアトモスフィアが漏れていた。「イズミ・ニンジャとイクサした?本当に?」「ウン」「ナンデ?」「悪いニンジャだったから」そう返す少女の言葉は決断的だ。
しとしとと粉雪交じりの酸性雨が降りはじめていた。木窓から見える空模様は薄暗い。「スチーム最新鋭」「アイゼンクラフト工場」「そこはかとなくコレ↓」のアドバルーン。広告時間はよほどの悪天候でない限り中断されることはない。ドブネズミは木窓を閉じた。
少女は適温に下がりつつあるヤギ・ミルクを飲む。「ハァー」ホット一息。「それで、コレか」卓上には金のフランシスカと銀のフランシスカ。触れるのも畏れ多いシンピテキ。英国美術館なりなんなり、それ相応の場所に展示されていてもどこもおかしくはない。それが無造作に。
「だが、手入れもされずに汚れているし、刃先が溶けてる。一体なにをしたんだ」「トケチャッタ」少女は悪びれもしない。悪い子!その瞳は不定期的に収縮拡大を繰り返し、危険性のあるアトモスフィアを物言わずして明瞭にする。
「いや、お嬢ちゃんのトレジャーだ。アッシがどうこういう筋合いじゃない」というドブネズミだが、言いたいことはたくさんあった。とてつもなく。最足るものは『このトレジャーを取り返すべく、イズミ・ニンジャが追いかけてきたらどうするつもりだ?』というものだった。
処分しても、どこに処分したかインタビューにくるかもしれない。とにかくヤバイ。筆舌尽くしがたい。だがいまの少女であればこのイマジナリーに対し『今度こそ殺す』と返すだろう。しかしながら希望が全く失われているわけではない。イズミ・ニンジャは少女を殺さずに去ったのだから。
「このオモチャあげる。ニンジャ情報チョーダイ」少女の瞳がまた収縮した。「マッタマッタ。特定に動いちゃいるが、そう簡単な話じゃない。わかるだろ?」ドブネズミは左手でヒカキロッドを持ち、ダルマストーブの炉内に突き入れた。
燃えやすい新聞のカスや燃え残りの薪は雑に砕かれ、次に投げ込まれた石炭を燃料にリビングを暖めはじめている。ドブネズミの右腕は未だに固定ギプスと包帯で巻かれ、吊られていた。数週間程度で完治するダメージではない。
「どうして隠すの?お兄さんがニンジャだから?」たいへん剣呑な言葉だ。もしもドブネズミでなければ、漏れ出たアトモスフィアからニンジャリアリティショックは免れぬ。「僕はニンジャじゃない。それだけは真実として伝えておきたい」
少女の目にはドブネズミから如何なるニンジャ性も感じ取れないが、それでもニンジャソウルは囁くのだ。ドブネズミを殺せと。それがジッカイの縛りを解くための言葉なのか、実際ニンジャなのかどうか少女には判断しきれず、保留している。人間性の欠片がそうさせている。だがいつまで持つか。
「まあ、だがそうだな。どうしてもというなら、僕が、アッシが調べてる途中のニンジャ情報を教えても良い」ドブネズミはやや早口で捲し立てた。「取引するかどうかはその後だ。正確な情報じゃないからね」少女の瞳がやや弛緩した。
「だがね、お嬢ちゃん。いま君は、イクサハイになっている。しかも結構な長時間。ニューロンがひりつくようなイクサをしただろう?そうすると、次のイクサが待ち遠しくて仕方なくなるんだ。ワカル?」ドブネズミは隙を見逃さず、巧みに話題スライドした。口先のワザマエが光る。
少女はこてんと首を傾げた。「ナンデ?」「極度の緊張。その後にマインドが弛緩。するとまた緊張感が欲しくなって、イクサを求める。ナチュラルドラッグ。いきすぎたカラテマンも陥る、よくない状態だ。そのままいきつくところまでいけば実際死ぬ」ドブネズミはたいへんあたまのよい言葉で煙に巻く。
だがここで少女は自論を述べた。「死ねば助かる」「ミスれば死ぬ」二人の意見が真っ向から対立した。理論と理論のぶつかりあい、カイスイヨクだ。収縮拡大を繰り返す少女の瞳と、死んだマグロめいたドブネズミの視線が交錯。「……オーケイ。君の意見に賛成できないが、君が意見を述べる権利はある」
三秒ほどの沈黙から、ドブネズミが先に口を開いた。「整理しよう。君は、紆余曲折の末に、なんとかトアル湖に辿り着き、湖の女神のニンジャ、イズミ・ニンジャ=サンとイクサした。帰路は別ルートを選び、道中で見かけたニンジャを何人かスレイしつつ、とにかくどうにか帰ってきた。ここまでは良い?」
「ウン」少女は頷く。整理した通りだ。「それで、君は、トレジャー成果のダブルアックスを使って、アックスカラテを試したけれど、どうにもやりずらい。そこで、オーロンが換金していたことや、僕がカネを求めてる話を思い出して、コレと、ニンジャ情報と交換しようとしている。合ってるね?」
「ホーッ」少女はヤギ・ミルクを飲んで一息。ザゼン的作用でもあるのか、拡大収縮を繰り返す瞳の緊張がやや緩んだ。「じゃあ、次はアッシの事情。アッシはまあ、だいたいは、ずっと安静にしてたが、昨日あたりから、また動き始めた。リハビリも兼ねてね」ドブネズミは少女の対面に改めて座った。
「それで、怪我する前に調査中だった情報も合わせて、特定とは言わないが、多少は確度の上がった情報はある」ドブネズミの抑揚がおかしい。あえてゆったりと離し、言葉の区切りを多用することで、時間をかけている。冷え切った部屋が、じわじわと温まっていく。
「そいつをいますぐ口にしてもいいが、君が一時も休まず、次の旅へ送り出すことは、アッシは危険だと思う。話さないとは言ってない。しかし今は憩いなさい。旅の汚れが出ている。ひとまずスチーム風呂に入るべきだ」隠さないとは言っていない、とドブネズミは口にしなかった。
「……」少女はジッとドブネズミを見つめ、チェアに座って地に着かぬ足をプラプラさせていたが、やがて椅子から飛び降りて身を翻した。「お風呂入ってくる」「いってらっしゃい」少女はネコめいた足取りで自室に戻り、パジャマ片手にスチーム風呂部屋に向かう。ドブネズミは一息ついた。
(さて困ったぞ。ミスれば死ぬ。情報に誤りがあれば僕もスレイされかねない)ドブネズミはツカツカと早足で自室に戻る。扉にはウォード鍵、サムターン錠、金庫ロックの堅牢な改造三重施錠。彼はポケットから器用に鍵をとりだし、順々に開けていく。ガチャ!
ドブネズミの部屋は無数の羊皮紙が壁に貼り付けられ、縦横無尽にまたぐ毛糸にも羊皮紙がぶら下がっていた。新聞の一面なども混ざっている。曇天ゆえか室内は暗く、どのようなショドーが書き込まれているかまでは読み取れぬ。全て必要なものなのか、大半がフェイクなのかさえ定かではない。
それらのうちから三つを手に取り、また壁際のレタートレイからオリガミメールを幾つか取り出し、ドブネズミはリビングに戻った。ダブルアックスに触れぬよう羊皮紙を置き、ダルマストーブ炉内をヒカキロッドで掻き混ぜ、更なる石炭を継ぎ足して、火の勢いを強くした。
それからキッチンで温めていたヤギ・ミルクのおかわりも用意した。スチーム配水管から濾過水をコップに汲み、一息に飲む。「フーッ。ま、とにかくどうにかする」ダルマストーブ頭部にノシモチを並べて焼く。ジュウ。卓上に三つの羊皮紙を広げる。その顔は無感動で、困ったようには見えない。
◆ソウル傾向が赤黒◆
◆選択肢を間違えると死ぬ◆
……やがて少女はパジャマに着替えてリビングに戻ってきた。「オモチ焼けてるよ」「アリガト」少女は卓上のオーガニック・ノリの巻かれたノシモチを口にした。「アツツ」本場日本のショウユで味付けされている。「出来立てだ」ドブネズミは少女を注意深く観察した。
「さて、アッシは以前、ニンジャはメルヘンに潜むと言ったが、調査を進めるとこの予想は間違いだったことが分かってきた」さっぱりしていた少女の目つきがやや剣呑になった。「ウソついてたの?」「間違いだと分かっただけ。ウソつきは誤魔化すが、アッシは正直者なので間違いを認める」
少女は目をぱちくりさせた。「そうかな……そうかも……」なにか思い当たるフシがあるのか、少女はしみじみとうなずく。サツバツとしたアトモスフィアが和らいだ。「理解して貰えてよかった。話を続けよう」ドブネズミは左手で羊皮紙のうちの一枚を少女の近くに寄せた。
「まずひとつ。ザールブリュッケンはカラテガオカに陣取るニンジャの噂だ。アウトローがカラテを挑み、ニンジャみたいに強かったという証言を残している。本人が、だ。殺されていないんだ。孤高のカラテマンである可能性も十分にあり、不殺故にニンジャ可能性を減少させている」
「もにゅもにゅ。カラテガオカ?」「なんでもカラテマンの聖地らしい。興味がなかったから詳しくは知らない。調査中な」そこでドブネズミは試みに聞いた。「カラテガオカのメルヘンなんてアッシは聞いたことないが、お嬢ちゃんは知ってる?丘の上で何かを待つような、そういう方向性のメルヘン」
少女は腕を組んで、右に左に首をかしげる。「……知らない」「そっか」少女は問いに答えられなかったことがやや不満なのか、不機嫌な顔で温かなヤギ・ミルクを飲んだ。ドブネズミは2枚目の羊皮紙を少女に近づけた。「次。ニンジャ山賊団の噂」「悪いニンジャだ!殺してやる!」
少女はおこった!コワイ!「ステイステイステイ。アッシの話はまだ終わってない」ドブネズミは宥めた。「こいつらは居場所を特定できてない。不定期的な犯行で、事件は国境付近だから警察もやりずらそうにしてる。冬には活動してないようだ。何より、ニンジャマニアックの可能性が多大にある」
「ニンジャマニアック?」「ニンジャのふりして人をビビらせて、悪どいことやるアホが世の中にはいるのさ。悲しいことにね」そんな悪い人間も居るのかと少女は憤慨した。「人数も不明。山賊が出てくるメルヘンはそれなりにあるが、アラビアンナイトめいて40人の山賊団なのかもしれない」
「アラビアンナイト?」少女は聞きなれぬ単語に興味を示した。「総称にはいくつかのバリエーションはあるんだが……エジプトとか、近東のほうのメルヘンさ。」ドブネズミは詳細を明かさず、端的に伝える。聞き慣れぬメルヘン存在に少女の小女性がうずうずした。
「最後はスノーホワイト伝説だ」「スノーホワイト!」少女はバッと顔を上げた。「コイツは伝説の出所も住居も割れてる。かなり手堅いと思ってたが」ドブネズミはかの地にニンジャ可能性の少なさを滔々と語る。「ってことで空振りだ」少女はどことなくガッカリし……どこか安堵も混ざっていた。
「いまのところは以上」少女は二つ目のノシモチをもにゅもにゅしている。十分に噛み、飲み込んだところで少女は口を開いた。「それだけ?」「そんなものだ。この」ドブネズミは卓上で自己主張するダブルアックスを見た。「イズミアックスのメルヘン伝説のようにはいかない。アレは分かりやすかった」
「そうなんだ」「そうなのだ。オモチもっと食べる?」「……」少女は三つ目のノシモチに手を伸ばしていた。小皿の上のオモチはそれで最後。「……食べる」「待ってな。いまから焼く」ドブネズミは新たなノシモチをダルマストーブの頭部に乗せた。ジュウ。
「こんな不確かな情報で報酬を貰うわけにはいかない。これは、君が、君の部屋においておきなさい。そして、そうだな、3つだ。3つのニンジャ情報が特定できたら、そいつと交換する。シャークトレードめいて腑に落ちないが、いまのところはそういう取り決めでいよう。いいかい?」
時間をコントロールするかのような語り口。「……ウン」三つ目のノシモチをよく噛んで飲み込み、少女は頷いた。ドブネズミはぷっくりと膨らんだノシモチをひっくり返し、逆側を焼き始めた。ジュウウ!「焼けるまでまだ時間がかかる。アックスは片付けてきたら?」「そうする」
ドブネズミとしては一刻も早く手放しておきたいノロイめいたアイテム。だが少女が所持しているならばワンチャンス。ただ取り返して、帰る可能性。イズミ・ニンジャは少女を見逃したのだから。少女は無造作に置いていたダブルアックスを持って自室に戻った。入室の直前、振り返る。
その瞳は極限まで引き絞られていた。「お兄さんはカルマ・ニンジャって知ってる?」「知らないな」ドブネズミは即答した。「カルマ?ドイツでカルマというとゴットホルト・エフライム・レッシングを思い出すな。スピノザ論争のまとめを読んだが面白かったぞ。ニンジャはいない、いいね?ってね」
カルマとスピノザ論争にそれほどの相関性はない。だがドブネズミはさも重大事項のように言葉を続けた。「汎神論論争ともいう。18世紀末期の論争さ。個々の宗教の教義を超越し、普遍の地平に到達すべきであるという、ユニークな話」「ニンジャなの?」少女の気は逸れた。
「や、直接ニンジャという単語は出てこない。こいつが無神論に繋がる。ニンジャは死んだ、ってね」「ニンジャは死んだ?」「人類はニンジャの支配から脱し、科学技術の発展によってついに人間としての第一歩を踏み出し始めているんだっていう理論、いや、哲学だね」
少女は興味を持ったようだった。雑にダブルアックスを部屋へ放り込んだかと思うと、トテトテと小走り。アトモスフィアは明瞭に和らいでいた。「もっと聞きたい」「いいとも。この哲学は狂人の戯言だとかって笑われちゃいるが、一定の理解を示す人もいるんだ」ドブネズミの語り口は滑らかだ。
「ニンジャの実在を知った以上、アッシにはぜんぜん笑えない話になったがね。こいつはヨハン・ゴットリープ・フィヒテが結果として提唱した形になっちゃいるんだが当時の事情は複雑で、あとから乗っかった連中が……」ドブネズミは言葉を弄し、少女の関心をたくみにそらしていった。
合間に挟まるジョークも小気味よく、やがて少女の目は年相応の輝きを取り戻し、サツバツとしたアトモスフィアを外部に見せなくなった。だがそれは、少女の一側面に過ぎない。(おや、信心深い意識がでてこないな。信仰批判的な話題だぞ)口を動かしながらも、平行してドブネズミは訝しんだ。
そこでようやくドブネズミは、少女の三重意識になんらかの不均衡が起きているのではないかという推論を立てることができた。(なんだ。そう言うことなら話が早い。取り返しのつかない要素かと思ったよ)ドブネズミはミスひとつなく口を動かしながら、今日という日を生存する道筋を見出した。
天秤が右に偏っていて、いまにも転落死しそうに見えるならどうするか?簡単だ。左に偏らせ、バランスを取れば良い。「ああ、お嬢ちゃん、ひとつ言い忘れていたんだが」ドブネズミはそこまでの話題を一切断ち切ってこう言った。
「明日は用事がある」用事の手配などこのあとすませる。「ひとつ料理を作りにいこうじゃないか」左に偏るとっておきの料理を。「君が僕に言ったんだぜ。いつかお料理もしてみたいってね」
(「アインズ・スープ・ウィズダム」#1終わり。#2につづく)