「ドーモ、スガン・カブレラです」「ヒッ」その日、スーガ村カテドラルの懺悔室にアクマめいた異形存在が現れた。小窓からかすかに覗く顔が、人のものでは無く、山羊だったのだ。神父のゴードンは情けない悲鳴をあげかけ、しかし堪えることができた。「懺悔したい。良いだろうか」
アクマめいた存在が理性的で、穏やかな口調であったからだ。「……どうぞ」「私にその自覚は無かったが、アクマの誘惑に負け、アクマめいた姿になったようだ。許されることはないし、死ねばジゴクに行くだろう。だが免罪符を買う金もない」ゴードンはその声に聞き覚えがあった。
声質はバリトンで、語り口は整然としている。名乗った通り、ヤギ飼いを営むスガン・カブレラのもので相違ない。子どもの頃から知っている、誠実な男だ。山羊を懺悔室の小窓を覗かせるような悪戯はすまい。ゴードンはどのような誘惑があったか尋ねたい衝動にかられたが、職務を優先した。
「私は贖罪のため、カラテガオカを登りキュドーを極めようと思う」「あなたの秘密と決意は主に届きました。険しい試練でしょうが、あなたが折れぬ限り、主はあなたを見守るでしょう。神父としてひとつアドヴァイスしますと、懺悔の場で名乗る必要はありません」
「そうなのか。なにぶん懺悔というものは初めてでな」スガンは頭を搔いたようだった。「そして所感を申しますと、あなたはアクマではない」とゴードン。「アクマに身を委ねぬ理性がある。自己の定義を違えず、自己の何たるかを忘れないように。エイメン」
心中を吐露し、スガンはすっきりしたようだった「神父。私の飼うヤギたちの管理は、あなたが差配してほしい。私はもう、戻ってくることは無い。サヨナラ」……そうしてスガン・カブレラは30戸以下の寒村から去った。
そのようなたわごとめいたつまらぬ秘密は、隣国で存外高く売れた。
――カラテガオカ。ネオプロイセンとフランスの国境付近にある、どうということもない丘の一つ。その頂上には謎めいた祠とドージョーだけがあり、それだけが唯一の特徴だ。最も近い都市はザールブリュッケン。かの都市にはその丘を指し、ひとつの伝説が語り継がれていた。
曰く、古代ローマのグラディエーターたちが眠っていると。グラディエーターが眠るなら、コロッセオとかスパルタとかではないだろうか?違うのだ。古代ローマが滅び、行き場を失ったグラディエーターたちがカラテガオカで謎めいたハラキリ儀式を行い、姿を消したと伝わる。
ハラキリした者たちはカラテガオカ地下のヴァルハラコロッセウムで、終わること無き拳闘を繰り返している。そういう伝説だ。在りのままの原型を保った伝承。「そういうわけだから、カラテマンはありがたがってあの丘に登るさね」
「そーなんだ」少女はザールブリュッケンの駅前商店街で飲食物を備えつつ、モータル的インタビューで情報収集していた。ドブネズミから聞いた通りの内容だった。それを二重三重に確認することが、ウラを取るということなのだ!「お嬢ちゃんもカラテウーマンなの?一人でここまで偉いねえ」
名も知らぬオバチャンカンバンムスメは旅の少女に優しかった。「エヘヘ」「でも気をつけなよ。最近、あまり良い噂を聞かない」という忠告までしてくれる。「どんな噂?」「国境警備隊がね、チョコマカしてるらしいのよ!戦争が実際近いかも!コワイだわあ!」何気ない言葉がヒントになることも。
その忠告は、フォルクスワーゲンからも受け取っていた。(ウラが取れた!)蒼穹は広くどこまでも続く。絶好のカラテ日和。「安全第一」「ザールブリュッケンの平和を守るハンス重工のニードラ銃」「国境警備隊随時募集中」アドバルーンはハンス重工のものばかり。
日は頂点を過ぎ、徐々に傾きつつある。おやつの時間に近い。大事を取ってザールブリュッケンで一泊するか、このままカラテガオカを目指すか悩ましいところ。「急ごう」少女は決断的に呟いた。ケープはフロシキめいて丸く膨らみ、その中には様々な旅のアイテムを収納している。
初回のメルヘン紀行における不足を反省し、備えに備えたのだ。彼女の中のニンジャソウルはいまはフシギとおとなしい。しかし何時までおとなしいかまでは分からない。いまのうちにパワーアップして、ずうっと主導権を握るのだ!自分はニンジャソウルたちのオモチャではないのだから!
少女はウォーミングアップがてらにランニングでカラテガオカを目指した。ウォーミングアップと言っても、ニンジャのウォーミングアップである。その速度はフルマラソン2時間フラットを目指せるほど。継続したなら現代のフルマラソン世界記録を凌駕する。
その道中に、転々と戦場の爪痕が見えてくる。かつてナポレオンの得意とするブドウ・カノン・レインが、このあたりの平原を耕したのだ。ナポレオンの側近でありながらも名の残らぬ顧問錬金術師は無限めいて資金と兵力を揃え、その砲兵整備を全面的にバックアップしたと言う。
ニンジャがイクサの旧支配者とするなら、砲兵は近代戦争の支配者だ。砲兵が耕し、歩兵が制圧する。そして騎兵が蹂躙。ナポレオン・ドクトリンは19世紀最強。モスクワのウィンター・ウォーロードさえ軽視しなければ、ヨーロッパ統一覇者はナポレオンだった。ドブネズミの歴史の授業は面白かった。
――――――――
……「まだ立ち上がるのか?オヌシに勝ちの目は無い」少女がカラテガオカについたとき、そこではイクサがあった。過去系な。白のジュー・ウェアを羽織った山羊頭の、おそらくスガン・カブレラであろう人物が、片膝をつく紅蓮じみたニンジャ装束の男に向かってザンシンしている。
「クソーッ!おまえなんかに、おまえなんかに!敗れてたまるか!イヤーッ!」紅蓮じみたニンジャ装束の男はニンジャサインを振りかざし、何らかのジツを行使しようとした。しかし何も起こらなかった。連戦ゆえに、エテルに不足。そのような状況判断もできぬほど、彼は追い詰められていた。
スガン・カブレラはジュドーの構えを崩さぬままツカツカと歩み寄り、紅蓮じみたニンジャ装束の男を掴んで、直上まで持ち上げ、背から叩きつけた。「グワーッ!」シャウトが無い。加減している。「まだ立ち上がるのか?次の者が来ている。去れ」山羊の目がランニングエントリー少女を見据えていた。
「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。スガン・カブレラです」「……ドーモ、ファイアゾイレです」三者はそれぞれアイサツをかわした。「クソーッ!覚えていろよ!後悔するぞ!」ファイアゾイレは心身のダメージを庇いつつコソコソと去っていった。
スガン・カブレラは黙ってそれを見送った。少女も?少女もだ。「行っちゃった」「悪くは無い。だが良くもなかった」少女の呟きにスガンが応えた。「オヌシは何用か?」「エット、キュドーやってるって聞いて来ました。アタシにもできますか?」「何?」スガンは目を見開いた。
「キュドーは殺意のコントロールだって聞きました。アタシもしたいです」スガンは瞠目し、思わず尋ねた。「では、オヌシもニンジャなのか」「ウン」「……そうか」しばしの沈黙。その胸中に何を思うのか。「私はセンセイではない。私も道半ばだからだ。だがカラテを通して分かることもある」
スガン・カブレラはジュドーを構えた。「私は不器用な男だ。まずはかかってこい」そして静かに上下する。ボックスカラテめいたステップ。スポーツジュドーがスガンのベーシックアーツなのか。「ウン」少女もまたネコカラテを構えた。「荷物はいいのか?」「アッ」
少女はフロシキめいて丸く膨らんだケープを脱ぎ、ドージョーの縁に置いた。ドージョー内は清掃されているが、使われている様子は無い。少女は改めてネコカラテを構える。サマになっている。もはやズブのシロウトとは呼べまい。
謎めいた祠に祭られた像は、これからはじまる二人のタチアイをじっと見ていた。じっと。
◆強者の風格◆
◆カラテが高まりゆく◆
「ニャーッ!」「イヤーッ!」少女がツカツカと歩み寄るスガンに前足迎撃ネコキックを仕掛けると、スガンは腕ガードした。逆の手で突き出た前足を掴まんとする。「ニャーッ!」少女はそのジュドーグラップルをバックステップで回避。スガンはジュドーの構えを崩さぬままツカツカと歩み寄る。
ニンジャらしからぬ。まるでカラテマンだ。ただ歩くだけでカラテ圧力が強い!「ニャーッ!」少女は待ち構えずにインステップ!右ネコフック!「イヤーッ!」スガンは腕ガード。「ニャーッ!」左ネコパンチ!「イヤーッ!」腕ガード!「ウウウニャニャニャニャニャニャニャ!」無呼吸連打!
「イイイイヤヤヤヤッ!」スガンは両腕を器用に使い分け腕ガード!ガード!ガード!何たる鉄壁の守りか!ミニマル木人拳めいたラッシュから一歩も引かず、二本の腕だけで捌くとは!スガンの五指がラッシュの合間に少女の腕を絡み取り、ニンジャ装束を、掴んで、投げる!「ウワーッ!」
スガンは倒した少女を跨いで立ち、ニンジャ装束の裾に素足を引っ掛け、抵抗しづらくした。「イヤーッ!」そしてカワラ割りパンチ!CRASH!少女の頭部右の草原が浅く抉れた。あえて外したのだ。
「カラテに殺気が篭っているな。今日までに何人も殺しただろう」スガンはカラテを通して分かったことを口にする。言葉は正鵠を得ていた。「ウン。でも、誰を殺すかは自分で決めたいの」少女はダブルスタンダードじみた本心を口にする。
「誰も殺したくない、ではなく?」「ウン。だって、おばあさまの仇は殺したい。悪いニンジャは殺したい」ぶつかり合う本音。カラテ価値観の違い……スガンの山羊頭は静かに首を振った。「見解の相違だな」彼は畳二枚距離まで、間合いを取るようにして身を引いた。
スガンは再びジュドーを構えた。「だが誰も殺したくないキュドーを通して、何らかの科学反応が起こる可能性もある」そして静かに上下する。「立て。もう一度だ」「ハイ!センセイ!」少女は立ち上がった。加減した投げであったため、ダメージは僅かである。「私はセンセイではない」
……繰り返されるタチアイ。少女は何度も大地に叩き付けられた。無論、少女は様々に抗った。ネコカラテで、スリケンで、できそこないの暗黒カラテで、あるいは片鱗だけがあるイズミ・ケンで、または、ニンジャらしくアクロバティックにファンタズマゴリアに動き回って、翻弄し――
――見切られ、掴まれ、投げられたのだ。様々に趣向を凝らし、鉄壁の守りを破ろうとする。だがたった二本の腕が、足が、その先にある胴や頭、股間を頑なに堅守。最後には咎められ、掴まれ、投げられる。スガンはただの一度も勝ちを譲らぬ。凄まじい男だ。
あえて外すカワラ割りパンチまでが一セットとなり、仕切りなおし。二人は日が暮れてもタチアイを続けた。そのとき少女は、ようやく一般的なカラテの基本は攻めではなく守りにあると理解した。
だがそのような守りのスタイルは、ニンジャ的ではない。性にも合わぬ。守っていては殺せないからだ。しかし少女の抑えきれぬ攻めっ気が、何らかのアトモスフィアとなって伝わり、スガン・カブレラに見切られているかのよう。
「今日はここまでだ」天高く登る月がうっすらと霞む雲に隠れたとき、スガンはそう言った。「もう一回!」一度も鉄壁の守りを破れなかった少女は再戦を望む。元気!「ダメだ。腹が減った」スガンは少女から離れて四つん這いとなり、そのあたりの草を食べ始めた。
「え?食べられるの?」「私はな」まるで修行僧だ。否、修行僧であろうとそこらの雑草を生で食し、飢えを満たしたりはすまい。少女はザールブリュッケンで買い込んだ黒パンを食べ始めた。硬いが、ニンジャ顎の力で噛み千切る。
「もにゅもにゅ。私のカラテ、見切られてる。ナンデ?」「……殺気がな」言葉少なに、スガンは答えた。「アトモスフィアが体に刺さる。それで分かる」「感覚的」「感覚的だ。フーリンカザンの秘儀のひとつでもある」フーリンカザンとは?
(そういえば、おばあさまがむかし、言ってたような……)しかし少女は、それ以上思い出せない。記憶に施錠の感覚。「フーリンカザンってなあに?」だから尋ねた。スガンはフーリンカザンのこととなると急に早口になった。
「四大元素だ。古代ローマからの伝統。カラテは4つの要素で構成されている、下から順に地水火風。地はすなわち大地。すべてのカラテはまず、大地から力を得る。水、火、風はカラテスタイルを指し、また、カラテの高まる順を示す」
「カラテで大地から力を得る。湧き水めいた力で、まず身を守る。闘争心が燃えて、返し手や攻め手が浮かぶ。攻守の実践。やがて画一的な定石に囚われ、しかし定石から抜け出して自由となり、風となる。古式カラテ四段。古代のカラテは四段が上限だった」
「始まりの地、静謐の水。燃え盛る火。掴みどころの無い風。重点ポイントは流派によって異なる。例えばジュドーは地と水に重点」「それじゃ、アタシは火か風なのかも」「そうだな。個人の適正もある……」そこでスガンは、自分が一方的に喋りすぎたことを恥じ、しばし口を噤んだ。
少女は気にしておらず、小首を傾げて続きを促した。「……結論を言うと、キュドーとはこのフーリンカザンすべてを実践するところから始まる。理論上は可能なのだ。だからやっている。その先になにがあるか、私も手探り。探求のカラテだ」スガンは持論を述べた。
「どうしてキュドーは殺意のコントロールが可能なの?」「教会にはシンギータイという三位一体の教えがある。父と子と精霊の名において、だ。フーリンカザンを整えると、精霊とコネクトする。精霊とは心、子とは己自身、父とは目指すべき理想を指す。子と精霊を合致させれば、父のワザマエに近づく」
「つまり?」「殺意コントロールできる」「スゴイ!」なんたるカラテロジックだ。キュドーは抽象的ながらも、カラテの根本的心構えを示す道標であった。ただ、抽象的であるが故、実践はムツカシイ……
ニンジャ真実に詳しい、あるいは教会真実に詳しい者は、その曲解をなんとも歯がゆく物申したい気分になってくることだろう。私もニュービーの頃、ツッコミどころがまんさいだと思っていた……
しかし、スガンのもつ素寒貧な情報源から導き出せたキュドーとは、こういうことであった……という、フーリンカザン多様性がもたらす意見の一つであることをどうか理解していただきたい。
「なんだそれは?」翌日、早朝からのタチアイの場で、少女はウサギめいてピョンピョンした。常人の身長高さまで繰り返し跳ねているのだ。「風になろうと思って」掴みどころのない風。ずっと掴まれて投げられているのだから、少女は素朴に、掴まれなければ勝てると思ったのだ。
「なるほど。エリアルカラテだな。確かに風のカラテスタイルに属するカラテ。それもまたキュドー。探求せよ。自分が何者なのか、何を目指すのか……まずは己を律し、己を知る事だ。カラテを通して、確かめてみよ!」
【ウェイティング・フォー・サムワン・ストロンガー・ゼン・ミー】#1おわり