プシューッ!グラスジョッキに次々と注がれるビールと泡の美しい黄金比。それらはウェイトレスのハンドトレイを経由し、しゅわしゅわに癒しを求める下層労働者たちがユウジョウとともに囲む丸テーブルへと運ばれる。「ンマーイ!」倦怠感や疲労こそウマミ成分。
パブ「ビールビール」は陽気な喧騒に溢れている。外は生憎の酸性雨模様。信心深いものは家で神に祈りを捧げているであろうが、労働の疲れをパブで癒す下層労働者たちには神の怒りよりも日々の生活に重点。受け継がれてきた信仰心ミームは磨耗して久しい様子。
カウンター席の隅では一組の男女がコソコソと密談している。「……って訳でね、明日は助力を頼みたい」謎めいたフロシキバッグを差し出す男はドブネズミ。「チッ」舌打ちを返したのはポニーテールスチームゴス衣装の美女、バッドアップルである。
どちらのカウンター席の前にもグラスが置かれているが、中身は水である。注文した軽食はマッシュポテトサラダに、ブルスト・ソーセージ。バッドアップルは程よいサイズに切り分けられた厚切りソーセージを噛み千切った。「テメェは胡散臭いンだがなア」「そのへんは諸説あるよね」
両者間に直接的な所以はほとんどない。パイプラインめいて、他者を経由して繋がっている。「ま、ペンス=サンがヤーと言った以上、付き合ってやんよ」「助かる」「エヌエス=サンのアレでもあるんだろ?」「まあね」
バッドアップルは自身の唇の端に零れたマスタードソースを舌でペロリと舐め取った。「つーかよお」ガシャン。オーダーメイドスチーム義手「クワトロン」の四指でジョッキを掴み、生身の右腕で丹念に汚れをふき取るバンダナバーテンダーが口を挟む。
「ここはパブだぜ?なに水だけ飲んでンだドブネズミ。呑んでけボケ」「僕は要らない」ドブネズミはただ首を振った。「アタイは後で」とバッドアップル。「ナアナアナアナア。俺はおかしいことを言っているか?パブでは、酒を呑む。常識だろ?おまえら非常識だ」
プシュッ。ガシャン。プシュッ。ガシャン。繊細に動く「クワトロン」はガラスジョッキを破壊せずに掴み、ジョッキ洗いを捗らせる。懐中時計レベルの精密な職人技の賜物だ。プシューッ!そしてノールックでスチームクラフター圧力で程よく冷えたビールをジョッキのひとつに注ぎ、自分で呑む!
「ッアーッ!こんなにウマイ!」「すまない、またせた」遅れて現れたのは、地味で古臭い中世ディアンドル装束の金髪碧眼コーカソイド美女。マーダーランツェである。彼女なりの変装だ。「ダブルハンドフラワー!ドブネズミ!テメェいつの間に!」バンダナバーテンダーがわざとらしく声を荒げる。
「アー、ディップ店長?僕ら、二階席を移りたいんだが」「ファック?」「違うに決まってるだろ色ボケ。ビジネス」奥ゆかしくカウンター席の隅に寄ってきたウェイトレスが、カウンター上の水グラスと軽食をハンドトレイに乗せて先導。「二階席はこちらへドーゾー」
……「まずは仲介役として、相互に紹介しよう。こちら、パラディン・ニンジャのマーダーランツェ=サン」ドブネズミはこの部屋で最も下座にあたるチェアへと座る前に、バッドアップルへとマーダーランツェを紹介する。「ドーモ、ご紹介に預かりました。マーダーランツェです」礼節。
その逆も然り。「こちら、ボッタクリ・マフィアクランのヨージンボー、バッドアップル=サン」「ドーモ、マーダーランツェ=サン。バッドアップルです」彼は二人が同格の対面となるよう座席を定めた。席順のプロトコルは比較的単純ながら、間取り等の関係でバランス実現が難しい。だが調整済みだ。
先ほどまでの密談は別件であり、本命はこの顔合わせであった。ドブネズミは最も下座にあたるチェアに座った。「ボッタクリ・マフィアクランはベルリン内で自クラン利害影響に関わる範囲に限り、マーダーランツェ=サンに外部協力しても良いと言っている。これがハンコ付きの書類」
彼は封筒から言葉の通りの内容が書かれた羊皮紙を取り出し、マーダーランツェに差し出す。「……それで、彼女は、ニンジャだが、パラニンに属する気は無く、便宜を図れと」「一種の伏せ札。イザという時の札はあっても困らないのでは?」ドブネズミの言葉は甘言じみた。
とはいえ、これはマーダーランツェとしても望む形であった。パラニンに属さぬ自身の手ゴマは欲しいからだ。ボッタクリ・マフィアクランもまた望む形であった。ヨージンボーの引き抜きなど勘弁してほしいのだ。義理、人情、仁義……21世紀にはその多くが廃れたハンコ無きソウル契約めいた暗黙の了解。
妥協点を探れねば、行き着く先は抗争だ。リアルマフィアは舐められたら終わり。とはいえニンジャ存在を舐めたら物理的に終わる。ボッタクリ・マフィアクランとパラディン・ニンジャ。イザ抗争となれば、疑いようも無くボッタクリ・マフィアクランは負けるであろう。
なにせ、ニンジャの数が違う。国家暗部のバックアップアドバンテージ差がそれこそ天と地ほども。であるならば、比較的誠実で話が通じる者へとナシをつけ、穏便にすませようとするのは当然のこと。ペンスはドブネズミが広範に持つ何らかのツテでこの問題の便宜を図るよう求めた。
その仲介で、彼は明日の潜入調査のバディとしてバッドアップルを借り受ける。この話は三者にウィンウィン。束ねられた毛玉めいて、相互の思惑、意図が絡んでいた。マーダーランツェは黙々と書類に目を通す。言葉にされぬ、悪辣な罠がないか、見落とさぬように。
ザク。不意にバッドアップルがマッシュポテトサラダにフォークを突き刺し、口を開いた。「アータ、レズ?」「ウッ」ドブネズミがむせかけた。「ケホッケホッ!」マーダーランツェは盛大にむせた。「シツレイな!いきなり何を!」
バッドアップルはゆっくりとした動作でマッシュポテトサラダを一切れ口に放り込み、良く噛んで味わうと、ハーブキセルを取り出し、一息。紫煙めいた健康成分。「スーッ……フゥー……いや、クランの決定に文句はねぇンだがよ、アータがレズかどうかはアタイに直接関わってくるから、確認な」
態度でアドバンテージ。「違うに決まっているだろう!スゴイ・シツレイ!」「そいつはシツレイ。なら良い」上手い。仲介人の客観的な立場からドブネズミは状況判断した。いまのはバッドアップルにメンタルアドバンテージ。
精神的優位性を獲得し、マーダーランツェからちょっとした苦手意識を持たれることで、必要以上の外部協力可能性を減らそうとしているのだ。これは高度な心理戦ですよ。
ノックノック!その時である。カチャ!「オマチドウー!ビール二人前とピザ・スシでーす!」カンバンムスメが陽気な声とともに注文を運んできた。ドイツ人はみんな大好きなビールジョッキと、チャレンジブルなピザ・スシ。そして個別取り皿。
ピザ・スシを読者諸君がイメージしやすいよう例えると、ミートドリアを天地さかしまにして、器をピザに差し替えたような?文章での説明は難しい。とにかく、優勢性も劣勢性もまだ見出されぬチャレンジ料理だ。後世に残るかどうかはモータルの味覚と注文数が決めることになろう。
テーブル中央にピザ・スシがおかれ、ビールジョッキが二人の女性の前に。「それじゃ、ピザ切り分けるから」ドブネズミは率先し、ピザ・スシへピザカッターを走らせる。場のメンタルアドバンテージ差を考慮し、先に取り皿を差し出すのはバッドアップル。
「……すかし文字もないな、ヨシッ」マーダーランツェは念入りにチェックを終え、署名とハンコ。「同じ内容のものがもう一枚」ドブネズミはピザを差し出す前に羊皮紙を差し出した。「そちらは署名とハンコ後、僕が預かってボッタクリ・マフィアクランのペンスじいさんに渡す」
ディナーのはじまりはまだ先だ。しかし、契約の成立を祝っての乾杯はそう遠い先のことではなさそうであった。少なくとも、ドブネズミは書類上に読み解けるような罠を仕掛けるトーシロではない。
◆相互に利益◆
◆利益率格差な?◆
「モッチャムモッチャム。ニンジャスレイヤー=サンに聞いたんだが、オタクらの組織はエッチなやつが多いとか」「とりわけ目に余る連中はこの間死んだが、フロッシュタンゼン=サンやメッサーハンド=サンをはじめとして、まだ生きている連中もいる。やつらは単独で外回りだからな」
女子会めいておらず、ビジネス延長線上じみた女ニンジャの語らいの場。その下座に当たる席で、ドブネズミはニューロン内を整理。ひとまずこの場での役割はもう終わった。あとは生きて帰るだけ。
いま、ニンジャスレイヤー少女は忍殺メルヘン紀行に旅立っている。ニンジャ山賊団バンディット・エーベトツグをスレイするため。この依頼をもちこんだのはマーダーランツェだ。
パラニンが保持する確度の高い情報を横流しめいて受け取ったドブネズミは整理し、手持ちの情報と融和させ、次の襲撃ポイントを算出したのだ。逃がさないための作戦を立案したが、ちょっと僅かに少女を怒らせてしまったのは失敗だった。要反省。
とはいえ、このままマーダーランツェにニンジャスレイヤー少女を言いように操縦されるのは面白くない。このクエストは、敵討ちには繋がらぬ。であるならば、とにかくどうにか敵討ちルートへバイパス経由して繋げるのはドブネズミが自己に課した役目。
彼は死んだマグロめいた目でマーダーランツェを見つめ、口を開いた。「ここ半年、ベルリン大学のガードが固いのはパラニンに原因?」「……?いや、そのようなクエストは出て居ないが」マーダーランツェは訝しんだ。「フーン、そっか」
ドブネズミは無感動に返事をした。「何かあるのか?」「あえて明かすけど、僕がニンジャスレイヤー=サンと知り合ったのはだいたい半年前でね。その頃の僕はメルヘン伝説にニンジャが潜むとばかり思っていたから、まずヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリムにコンタクトしようとしていたんだ」
ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリムとは、1812年に発刊された「グリムス・メルヒェン」の編纂者ら、いわゆる「グリム兄弟」の兄である。ヤーコプは現在ベルリン大学の教授、弟のヴィルヘイムは教授フンボルト大学で教鞭を取っている。なお、どちらも同じ大学を指す。
しかし、コンタクトが取れない。面会アポイントメントが取れないのだ。厳重にガードされている。それは、やや年の離れた末子であるルートヴィヒが直接アポイントメントを取ろうとしても同じであった。彼は「グリムス・メルヒェン」の銅版画による挿絵を担当している。
話によると、第四版の作成までは相互のやりとりに問題なかったという。しかしこのたび、売れ行き好調につき第五版作成に当たっての打ち合わせをしようにも応答がない。業を煮やしたルートヴィヒは、ついにカッセルからベルリンまで乗り込んできた……という話を本人から聞いた。
「家族が大事。民族が大事。ナショナリズム一体感。いまのネオプロイセンで、家族間でやりとりできないなんて異常だ。僕はてっきり、なんらかの国家的陰謀が潜んでいるからだと推理していた。しかし、こう言っちゃシツレイだが、パラニンが関わっていないとなると、また話が変わってくる」
パラニンは事実上国家の闇そのものといっても過言ではない。あるいはマーダーランツェのニンジャランクでは解禁されぬシークレット情報可能性もある。「そりゃ、穏やかじゃないね」バッドアップルは先ほどの密談で聞いた話を繰り返され、やや興味が薄い。
煮えたチーズとトマトにコメが入り混じるピザ・スシを大口を開けて頬張り、咀嚼。「……モッチャム、モッチャム……欺瞞かよ。こりゃスシじゃねぇ、ミートドリアピザだ」(ピザ・スシはスシじゃないのだなあ)思考と口はマルチタスクに働き、ドブネズミは思わせ振りに言った。
「ロート・シュトルムボック可能性がある」「なんだと」マーダーランツェはドブネズミを一睨みした。死んだマグロめいた目が、深淵の井戸めいて……「モラトリアム時期学生の心に入り込む革命思想。全くありえない話じゃない。このあたりは想像でしかないから、実際に見てみないとなんとも」
ドブネズミは一度水グラスを呷った。「どうするつもりなのだ」「明日、潜入する。という話をバッドアップル=サンにしている。明かしたのは、ベルリン・フンボルト大学で騒ぎが起こったとき『外部協力者の調査によるもの』ということにしてほしいからだ」
マーダーランツェは俯き、マッシュポテトサラダを睨んだ。難しい相談であった。しかし、悪い話ではない。ウィリアム傍仕えリアルニンジャ、ユリコでさえ達成しえなかった、ロート・シュトルムボックに関する情報を先行入手。
情報アドバンテージでイサオシだ。「よかろう。とにかくどうにかする。ことと次第によっては、私のイサオシとさせてもらうが構わんな?」ドブネズミは死んだマグロめいた目でマーダーランツェを見つめ返し、イエスノーも定かではないほど僅かに頭を縦に動かした。
「帰還すれば情報提供する。ただ、そちらはサブ目標であって、僕の本命はグリム兄弟への接触であることに留意していただきたい」「うむ」マーダーランツェはマッシュポテトサラダをフォークで突き刺した。
こうしてドブネズミは、まんまと後顧の憂いを断った。口先三寸舌八丁。なんたるディスカバードアタックめいて策と策をハイレベルにリンクさせる情報コントロールか!彼の出来る範囲で、備えは十分であった。
……しかしそれでも、見立ては甘かった。大学と、革命思想。これほど相性の良い場所はそうそう無いのだから。
(「トリーズナーズ・ウィズ・ディファレント・ポジションス」#1終わり。#2につづく。)