ホッフェンハイム・ストリート裏路地。表通りを未来ある若者の訓練エリアとするなら、裏路地はややアンダーグラウンド。危険な誘惑は思春期少年少女の優勢性と劣悪性を選別する。堕落する者に明るい未来は無い。
亡命ストリートチルドレン向けの盗賊ギルドが潜み、違法薬物メン・タイ売買、エロスセンタービルにない危険な魅力を秘めたローティーンパブの呼び込み人、非合法ナハトファルカーのスカウトマンの粘ついた声が飛び交う混沌であった。
裏路地の闇が表の光を染めぬよう、表通りはけっこう警察が目を光らせている。だが裏路地は、パトロール範囲外。画一的なパトロール巡回範囲規格は、意図的にベルリンに作られたイビツの氷山の一角に過ぎぬ。
ジャックされたスチーム拡声器は扇情的な文言を投げつけ、壁面にはロマン調エロスアートがベリーダンス・オイランが淫靡に絡み合う様を描かれている。ストリートチルドレンに紛れるように、足早に歩みをすすめる子どもがひとり。
ケープ(カワイイなマント)を羽織って赤いビロードの頭巾を被った少女は、影の深いところを選んで進んでいく。「ヂューッ!」よく太ったネズミがゴミ箱の中から飛び出し、少女を睨んで走り去った。
はるか上空ではチェッペリン級のスチーム飛行船が通過していく。無機質に並ぶ3階建てあるいは4階建てビル。切り取られた空は狭く、アドバルーンはここから見えない。「あんた」呼びかけられた声に少女は足を止める。
声は裏路地のさらに奥、うねくり曲がる獣道めいた路地からであった。少女の全身から、それまで押さえ込んでいた殺気が解き放たれた。「あんた、お悩みだね?」路地の闇から老いた声が届く。「騙されたと思って、占わせてみないかい」
少女……ニンジャスレイヤーは、一瞬の躊躇ののち、路地の奥へ決然と歩き出した。「そうカッカしたものじゃない……アタシがきっと、あんたの悩みを取り除く助けになれるはずさ、きっとね、アッヒヒヒ!」「どこだ」マジョの気配。
ニンジャスレイヤー少女はうねくる路地を足早に突き進んだ。首の後ろにチリチリとした感覚がある。あまりにも馴染み深い感覚だ。ニンジャソウルの存在を感じ取っているのだ。「オニ=サンこちら。アンヨがじょうず」闇の中に、三頭身で頭部の肥大化した老婆の姿が浮かび上がった。
「お疲れだろう、あンたときたらあちこちで血の匂いを振り撒いて、グリムリーパーかい?いつものように、ニンジャを無残に殺したのかい?アッヒヒヒ!」老婆は耳障りに笑った。「にゃひひ」その肩には口を裂くように笑うネコ存在……ニンジャスレイヤーはカラテを構えた。
「物騒だよ!」老婆は言った。「アタシはあンたと事を構えたくないンだ、間違えちゃいけないよ……」ニンジャスレイヤーは頭上に眩しく輝く月が現れた事に気づいた。金色で四角い月が……四角い月?
ニンジャスレイヤーは周囲を見回した。何かがおかしい。ここはホッフェンハイム・ストリート裏路地。少女を囲むこの壁は雑居ビルのコンクリートであったはずだ。だがパイプラインは何処に?ニンジャスレイヤーは黒く滑らかな壁に触れた。
すると、見よ!緑色の格子模様が波紋めいてスパークし、壁面を散っていったのだ。「これは!」いつのまにジツにかけられたのか!天を仰げば、黒い空を緑色の流星群が流れ、金色の構造物は厳かにゆっくりと回転する……!
「アッヒヒヒ!案ずる事は無いンだよ!」老婆の声がエコーし、ニューロンに滑り込む。「F式コトダマ領域だ。アンタには、ユメミル空間といったほうがいいかい?」「誰だオマエは」「グワッグワッグワッ」悲鳴とも笑いともつかぬ声が反響した。
「ドーモ、アタシャ、マザーグースっていってね。アンタのグランドマザーにゃあ恩がある。老婆心ながら、ひとつインストラクションを授けてやろうと思ってね」老婆は10フィートを越す巨体である。3メートルの巨人が、敬愛する祖母の関係者?
「ドーモ、マザーグース=サン。ニンジャスレイヤーです」「アンたには才能がある!とびっきりのね!」マザーグースは人差し指をニンジャスレイヤー少女に向けた。指はぐいぐいと非現実的に伸び、彼女の目先に突きつけられる。「目も良い。目は大事だ」
その指先をビル壁面に向け、老婆は「A5」の字を描いた。それはルーンエースージ文字。記号に秘められたコトダマが意味をなし、バックドアを作る。文字関数を用いた圧縮言語マクロ。この領域は、マザーグースの支配下か?ガチャ!
「A5」字型の扉が超自然的に開き、マザーグースは肩にネコを乗せたまま扉を潜った。「ついてきな。学びたいことがあるならね」ニンジャスレイヤー少女は3秒ほど熟考し、その背後につづいた。
彼女らがA5字型の扉を潜るとルーンエースージは描き消え、直後に砂嵐ノイズで全身を覆うかのような人型ノイズが張り付いたが、その場に実在しないハイパーリンク扉が再度現れることは無かった。
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扉をくぐったニンジャスレイヤーが見たのは、サルガッソーめいてガレオン船が重なり合う、荒廃したリアス式の海岸だった。海岸線はあまりにもドット幾何学めいてギザギザであり、不自然さを感じさせた。ここもユメミル空間であろう。「アレはなあに?」
少女はまず、頭上の黄金立方体を指差した。彼女はユメミル空間で屋外を見たことが無かった。「ありゃアカシック・レコード。今は独占されてる」感覚的な問題であるが、少女はこの場と黄金立方体までの空間の間に、目に見えぬガラス板1枚を挟んだかのような、奇妙な異物感があった。
二人を導くように、何もない地面に長靴めいた足跡が生まれ、ギュッ、ギュッと音を立てて、伸びてゆく。「あなたはアタシを知ってる。でもアタシはあなたを知らない」ニンジャスレイヤーは剣呑に言った。目つきが鋭い。老婆はその目に背を向け、足跡に沿って海岸を歩きはじめた。
少女もあとにつづく。「アカチャンのときに一度きりさ。アタシャやりたいことあったから」「やりたいこと?」「ニンジャの警句を広めたくてね。忘れちゃならないだろ?」「ニンジャなのに?」「グワッグワッグワッ!そのためにニンジャになったのさ!」
マザーグースは足を止めた。気付けばそこは、ドージョーであった。「ここはあンたの実時間に対して、斜めに交差している。過去、未来、インガオホー、あンたたちからすれば、歪ンでいる。だから憶えられない」憶えられないなら意味が無いのでは?少女は訝しんだ。
「意味はある。ニューロンが忘れても、ソウルが憶えている」黄金の立方体は常に上空でゆっくりと自転を続ける。その冷たい輝き。無性にソウルがざわめく。何故かチャンネルが合わず、ナラクの声が聞こえない。ターン!
老婆がフスマを開けると、タタミ敷きの四角い部屋であった。それはシュギ・ジキと呼ばれるパターンで、十二枚のタタミから構成されている。四方にはそれぞれ、ベリーダンサー、猫、アヒル、マジョの見事な墨絵が描かれている。
「ハドーって知ってる?」少女は尋ねた。「いんや。知らないね。ありゃあジキデンだよ。コイツと見込んだイチバン弟子にしか教えない」「ハドーって言葉は知ってるのね」「単語はね」シュギ・ジキ部屋中央には、ザレイ姿勢の長靴を履いたネコ。またの名を。
「ドーモ、ニャンニャスレイニャー=ニャン。チェシャ・ニンジャです」「ドーモ、チェシャ・ニンジャ=サン。ニンジャスレイヤーです」「課題はチェシャ・ニンジャ=サンを殺すことだ。できたら帰れる。いつもどおりやっつけようとしても無駄だから、試してみな」
マザーグースはコトダマを繰ることで生成した安楽椅子に座り、緩やかに前後した。ニンジャスレイヤーはネコカラテを構えた。「ニャハハ。アチキにそれ?にゃら、批評しちゃおっか、ニャーッ!」機先を制したのはチェシャ・ニンジャだ!「ニャーッ!」カラテ衝突……!?
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モワーッ!「ウワーッ!」ニンジャスレイヤー少女の迎撃前足ネコキックはケムリと化したチェシャ・ニンジャをすりぬけ、空を切った。カラテ勢いにバランスが崩れる。「ニャハハ。ケムリ・ジツを殴ったり蹴ったりできるかニャー?じょうずにカラテ、できるかニャー?」背後!
「ニャーッ!」180°反転ネコ前足足払い!モワーッ!空振り!「おお、コワイコワイ!」背後!「イヤーッ!」180°反転裏拳なぎ払い!モワーッ!空振り!ケムリめいた半身となったチェシャ・ニンジャは裂けんばかりに口を開いて笑った。「ニャーッハッハッハッハ!マウントがとれて気分が良い!」
あのときと同じだ!邪悪マジョニンジャ、フーイーナとのイクサが少女の脳裏にリフレインする。「見えるけれど触れないもの。インストラクション議題はコレさね」マザーグースが緩やかに前後しながら口を開き、言葉を続けた。「どう対処すれば良いと思う?」
「ケムリをあつめて、かためれば……」「どうやって?」「ムーン」少女はカラテを構えつつ、思考をまわした。具体的にどうすれば良いか、というところまでは考えてこなかった問題だ。イザとなれば、ナラクの炎が……「ああ、それだけどね、セーフティ・ロックをかけさせてもらった」「は?」
ナラクの炎が……出ない!出せない!「ナンデ!?」「アッヒヒヒヒ!ンなもん使えたらインストラクションにならナイだろ!ダイジョブダッテ!また使えるようになる」「にゃひひ。インストラクションが終わればにぇー」ケムリめいて姿定まらぬチェシャ・ニンジャが言葉尻を拾い繋げた。
「『アマダレイシヲウガツ』だ。やってみな」マザーグースは謎めいたコトワザを口にした。言っている意味がわからない。「ウガッテミロー」チェシャ・ニンジャは少女の首筋をこちょこちょした!「ヒャ!ヤメロー!」カラテパンチ!モヤーッ!ケムリ!
ああ、だが、見よ!なんということだ!チェシャ・ニンジャはモヤモヤ状態のまま、どこからかどのようにかしておもむろに卓球ラケットを引っ張り出すと、これ見よがしにブンブンと素振りしはじめたではないか!「にゃひひ。ペンペンするにぇー」コワイ!
あんなものでヒップとかたたかれたらまっかに腫れ上がってしまう!「イヤーッ!」カラテチョップ!モヤーッ!ケムリ!「イヤーッ!」カマめいたフィッチ!モヤーッ!ケムリ!「ニャッ!」「ンアーッ!」ラケットがヒップに!ひらたいのに刺すようなイタミ!
「フーム。良くないね。ジツの初歩の初歩なんだが……」「ニャッ!」「ンアーッ!」「ニャッ!」「ンアーッ!」ああっ!ニンジャスレイヤー少女が卓球ラケットでおしりペンペンされている!「イヤーッ!」カラテ・カウンター!モヤーッ!ケムリ!
アマダレイシヲウガツ。謎めいたコトワザ。ウガッテミロ。ウガ、というのはなんらかの動作?ウガとは?「モォーッ!ウガ!」ニンジャスレイヤー少女はウガシャウトをあげてボトルネックカットチョップ!モヤーッ!ケムリ!「アッ」
だが少女は、そこにひとつの手ごたえを感じた。傍目にはなんら違いはわからない。だが、何かが……「エート、エート」少女はブツブツと呟きながら、繰り返しボトルネックカットチョップを繰り返した。「ニャッ!」おしりペンペン!
だがとてつもなく集中しているニンジャスレイヤー少女にはあんまりきかない!ノー悲鳴シャウト!やがて少女はゲルマンカラテを……少女自身が体験収集したカラテ演舞を行い始めた。「にゃんかコイツはやくにゃい?」「アッヒヒヒ。そりゃあハヤイさ。ヒバナ・ニンジャ=サンとこのこだよ」
「フゥーッ……ハァーッ……」少女は二度、息を吐いた。プシューッ……少女の全身からスチームめいた熱気が溢れる。煙と熱気が混在し、イクサの様相が変わった。「ニャッ、こにょっ!」「フゥーッ……ハァーッ……」プシューッ。
手足を振り回さぬ。静謐のイクサ。あるいは空間支配権を競い争うハッカーめいて……「こうして……こう!」「ンニャーッ!?」kick!ニンジャスレイヤー少女は非人間的な速度でチェシャ・ニンジャを蹴った!捉えている!一体何故!?「それだ」
なにか掴んだのか、ニンジャスレイヤー少女!「分かっちゃったモン!これでも喰らえ!イヤーッ!」Kick!「ンニャーッ!」「イヤーッ!」Kick!「ンニャーッ!」「イヤーッ!」Kick!「ンニャーッ!」「イヤーッ!」Kick!「ンニャーッ!」非人間的な速度で連続キック!
「イイイヤアアーッ!」フィニッシュはボトルネックカットチョップ!「ニャーン!サヨニャラ!」チェシャ・ニンジャはIP切断されしめやかに爆発四散した。「アマダレイシヲウガツ。シンピテキはいつも、自然の中にある。フーリンカザンのアドレスはそこかしこにあるのさ。見逃すでないよ」
マザーグースは鼻歌で「ロンドン橋落ちた」のメロディを刻む。シュギ・ジキ空間が霧に染まっていき、少女は1フィート先も見えなくなった。「ワカル」少女はログアウトした。だが、分かったつもりになっているコトダマムーブメントは、危険だ。
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「ンアーッ!」ニンジャスレイヤーは背中から地面にしたたか叩きつけられた。時刻は夜。空は曇天、そこに黄金の立方体は無い。三機のコケシツェッペリンが横切り、横腹に設置されたスクリーンにはネコネコカワイイライブ映像が流れる……きらびやかで、未来的な……どこだここは?
「そっちじゃないよ」マザーグースはうっかりテキスチャ一枚隔ててそこにあったネオサイタマへと飛び出したニンジャスレイヤー少女を掴み、再度F式コトダマ空間に引きずりこんだ。そして正しい年代の正しい座標に送り出す。次に少女が気がついたのは、どこかのビルの屋上だ。
少女は背後を振り返る。トリイ・ゲートがある。ビルの屋上にトリイ?それは夢か幻めいて、儚く黄金01粒子と化して徐々に消えていく。「……」彼女はトリイ・ゲートに手をかざした。何も起こらない。くぐったが、やはり何も無い。そうこうしているうちにトリイ・ゲートは消滅した。
少女はたった今体験したインストラクションを記憶に留めようと試みた。しかし既に名は思い出せない、長靴を履いたニンジャネコの名、己の名を呼んだ者の名。少女は無力感を覚えたが、ユメミル空間から持ち出せる記憶は僅かだ。「アマダレイシヲウガツ」
少女は謎めいたコトワザを繰り返した。雨垂れ石を穿つ。たかが水滴が石を貫通破壊できるわけが無い。知らぬ者は、誰もがそう思う。違うのだ。位置エネルギーを確保した水滴は、長い年月をかけ、直下の石を貫通破壊する。シンピテキで、有り触れた、超自然的な、奇跡。
リンゴの木からリンゴが落ちる。薔薇の木に薔薇の花が咲く。雌家畜の乳を搾ればミルクが出る。引いては返す浜辺の波。水蒸気は空に登り、雨となり、川を下る。地震。火山噴火。シンピテキで、有り触れた、超自然的な、奇跡。「水の一滴が見えた」ニューロンに一石が投じられ、心に波打つ波紋。
それはハドーの一側面なのか?それとも、フーリンカザンの?フーリンカザン、ハドー、そしてフーリンカザン……「アカチャン!」「あなたスチームブリキ指のモニター募集ですよ」「若い、ヤルヨネー」「これは凄いエキサイトメントだ」
……猥雑な雑踏音声がにわかに少女を包み込む。彼女は目を閉じた。ホッフェンハイム・ストリート裏路地。静謐なき空間で、ニンジャスレイヤー少女は己の顔の半分を右手で覆う……
猥雑な、確かにそこにある、星空にも似た、ネオンめいた数多の生命のきらめき。そして発光差。ニンジャアトモスフィア……「いた」彼女はニンジャを捉えた。ベルリンの闇に潜む、組織に属さぬロンリーウルフ。邪悪ニンジャのひとりを。「イヤーッ!」跳躍!
暗雲たちこめるベルリン上空に翻る赤黒の影は、一筋の流星めいて浮かび、しめやかに着地した。「ドーモ、ニンジャスレイヤーです。悪いニンジャはみんな殺してやる!」
(「グランス・オブ・マザーグース」終わり )
(あさねぼうしたり、予定に無いイベントに参加したりすることもある。人間だもの)
◆忍殺◆ニンジャ名鑑#113【マザーグース】◆少女◆
ニンジャスレイヤー少女にひとつのインストラクションを施した、ヒバナ・ニンジャから独立分派したニンジャ。実質姉弟子な?F式コトダマ適性が高い。チェシャ・ニンジャとは旧知の間柄の様子。