FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
時化た、村だった。
山肌に立てられた、まるで廃屋のような家。
そこで彼は産声を上げた。
周りにあるのは同じような家々。
時代からも人からも忘れ去られたような寒村。
彼は、そこで生まれたのだ。
生きていくのが、それだけで難しかった。
岩山は、夏は空気を焼き、冬は吐息を凍らせた。
風は身を切り裂き、疫病を運んだ。
食うや食わずの毎日。
ひもじさを覚えなかった夜などない。
薄汚れた毛布に包まり、ただ朝だけを待ち続けた。
片手の指で数え切れなかった兄弟は、皆死んだ。
飢えで。
寒さで。
病で。
事故で。
だから、彼は悟った。
人は死ぬのだと。
あっけなく、なんの拘りも持たぬまま。
御伽噺が好きだった。
世界を救う英雄の冒険譚が。
龍を倒す勇者の活躍が。
王を救う忠義の物語が。
胸を焦がすような切ない悲恋劇が。
その全てが、彼を酔わせた。
母が語ってくれた。
父が教えてくれた。
吟遊詩人が詠ってくれた。
その瞬間だけ、彼は幸福だった。
だから、彼は不幸だった。
幸福があることを知ってしまったから。
何も知らなければ、彼は人として生きていられたのだ。
歴史から、世界から忘れられた存在として。
しかし、彼は目指した。
自らも、何者かになりたいと。
誰かの心を沸き立たせる存在になりたいと。
ここは、己のいるべき場所ではないと。
違う世界が、あるはずだと。
だから、彼は不幸になったのだ。
episode8 早朝訓練
道場を目指して、板張りの廊下を素足で歩く。
足の裏から伝わる痺れるような冷たさが、ダイレクトに脳に響く。
冬の早朝、その冷気は暖かな気な木材ですら凍りつかせるようだ。
結局、昨日の慎二のことは誰にも言わなかった。
凛の話によれば、間桐は枯れた魔術師の家系で、もう魔術的な才能を持った子供が生まれることはないという。その例に漏れず、慎二も代羽も魔術的な才能には恵まれていないらしい。
ならば、余計なことを言っても混乱させるだけだろう。俺はそう考えたのだ。ただ、後々慎二から事情を聞く必要はあると思う。
ガラガラと、道場の扉を開ける。
一瞬、濃い汗の香りが鼻を衝く。
「おはよう」
俺が声をかけたのは、一人正座し、黙想をしていたセイバーだ。
昨日、セイバーの寝所について軽い一悶着があったのだが、結局は落ち着くべきところに落ち着いた。まぁ、ようするに俺の平穏は守られたわけだ。
「おはようございます、シロウ。早いのですね」
まだあたりは払暁の時間帯。一般には目を覚まさなければいけないような時間ではない。
「いつもの癖でどうしても目が覚めちゃうんだ。セイバーは何をしてたんだ?」
「精神統一を。この空気と空間は非常に好ましい」
確かに、冬の引き締まった空気と道場の張り詰めた雰囲気は、精神鍛錬にはもってこいだ。
彼女は再び目を瞑った。
さて、どうしようか。
いつもなら一通りの柔軟運動と筋トレで済ませてしまうのだが、精霊に準ずるとまで言われる存在が目の前にいるのに、それはあまりにもったいない。
「セイバー」
壁に立て掛けてあった竹刀を二本掴み、片方を彼女に投げ渡す。
セイバーは、目を開けることすらなく、事も無げにそれを空中で掴み取った。
「いつもなら一人で訓練するんだけど、もしよければ付き合ってくれないか」
俺が隣でガチャガチャしてたら、精神統一なんてできるはずもないし。
彼女はゆっくりと立ち上がる。
その表情には、どこか不吉な笑みが刻まれていた。
「いいでしょう、シロウの実力を知るいい機会だ。あなたもサーヴァントというものの実力を知っておく必要がありますから」
口調に隠しようのない不機嫌さが滲むのは、バーサーカー戦の無茶からか、それとも昨日の寝所決定の顛末からか。
まあ、修行が厳しくなるのは望むところなので、別にかまわないんだけどね。
◇
突然だが、私、遠坂凛は朝が弱い…らしい。
自分としては全く自覚はないのだが、長い付き合いの妹には、『恋人ができても、絶対その顔は見せちゃ駄目ですよ』などと失礼なことを言われたことがある。
まあ、その、なんだ。
つまり、どうやら私は、朝方は人よりほんの少しだけ機嫌が悪くなるみたいなのだ。
でも、いいじゃないか、そんなこと。
きっとそれは欠点に違いないが、ならば寝起きは人に会わなければいいだけのこと、別に嘆くようなことじゃあない。
だからこそ、朝は優雅に。
素早く起きて、牛乳を一杯。
それで万事解決だ。
心地よいまどろみの中で、そんなことをつらつらと思う。
平穏な朝。
どたーん
ん?
何か聞こえたかな。
薄いカーテンを通して、陽光が目に入る。
むー、このカーテンは気に入らないわね、私の家のを持ってこようかな。
ばたーん
なんか、神経に障る音が聞こえる気がする。
まぁ、いいか。
不快な音には耳を塞ごう。
臭い物には蓋、うん、素晴らしきかな先人の知恵。
ちゅんちゅんと、小鳥の鳴く声。
その声は可憐で、心が和む。
ぎにゃあああと、士郎の泣き叫ぶ声。
その声は凄惨で、神経がささくれだつ。
どたーん、ばたーん。
たちなさい、しろう、まだあなたはさーヴぁんとのおそろしさがわかっていない!
ぎぶ、ぎぶ、せいばー!
ばしーん。
ええい、もんどうむよう、これもあいのむち、いずれあなたもかんしゃするひがきます!
まてまて、そのひがくるまえにきょうしんじまうだろ!
ことばはぶすい、そこになおれ!
どこのうしおとこだ、それは。てかしぬ、しんじまうから、せいばー!
――ああもう、あいつら、一体なにやってんだか。
とりあえず、後で士郎はとっちめよう。私の朝の心地よい目覚めを奪った罪は万死に値する。セイバーは……可愛いからよし。
そして私は再び目を瞑った。
ああ、二度寝は気持ちいいなあ。
◇
「あ゛~、まずったわ……」
二度寝なんて、何年ぶりだ。
のそのそと、妹曰く『酔っ払いのティラノサウルス』みたいな足取りで台所に向かう。
牛乳……。
とりあえず、万事はそれからだ。
別に他の飲み物でも構わないが、朝一番の牛乳は私のスイッチみたいなものなのだ。だから、冷たい牛乳があるならばそれに越したことは無い。
やっと勝手の分かり始めた馬鹿みたいに広い屋敷。それを所有しながら、今の今まで管理者たる私に上納金の一つもよこさなかったあの馬鹿に、軽く殺意を覚える。
「なんとかして、これ、わたしのものにならないかしら…」
そうすれば、即座に売っぱらって、現金に換えて、宝石を買い込んで……、ああ、バラ色の人生が。
「そっか…さくらとあいつをひっつければいいのか…あいつのものはさくらのもの、で、さくらのものはわたしのものだし、うふふ、たのしくなってきたぞ」
この場合、私のものになるのはあくまで金銭的な価値を持つものだけであって、断じてそれ以外のものは含まれない。
「…って、なにかんがえてんだ、あさっぱらから」
がらがらと、台所の扉を開ける。
食欲をそそるいい香り。
そういえば今日の当番は桜だった。
あやふやな頭で考えながら、コップ片手に冷蔵庫を漁る。
「うふふ、ぎゅうにゅうぎゅうにゅう……」
掌サイズの可愛らしいコップになみなみと牛乳を注ぐ。牛乳パックを傾け最後の一滴まで注ぎ込む。ちょうど最後の一杯。どうやら私は神様に愛されている。
「これもひごろのおこないがいいからよねぇ……」
さあ、腰に手を当てて、ぐいっと一気に飲――。
「お姉ちゃん、そんなの許さないから――!」
天地を揺るがす虎の雄叫び。
女性の声なのに雄叫びとは、これ如何に。
だが、今の私にとって、そんなことはどうでもいい。
問題は、ガシャン、という音と共に砕け散った可哀想なコップと。
台所にぶちまけられた、白い液体だ。
「あ――」
思考がフリーズする。
「桜ちゃんに遠坂さん、間桐さんに、セイバーちゃん!
いずれ劣らぬ美少女揃いを泊めるなんて、一体何考えてんだ、このエロ士郎――!」
「ちょっと待て、話を聞け、藤ねえ!だから、セイバーは切嗣の知り合いで、桜と凛は家の改装が……」
あー、牛乳がなくなっちゃったなぁ……。確か、買い置きは無かったし……。
「だいたい、何でそんなにぼろぼろなのよ、士郎!?」
「あー、これはセイバーとの訓練で……」
神様のくそったれめ……。
「なにー!?はっ、さては巷を騒がす連続辻斬り事件の下手人はセイバーちゃんと見た!神妙にお縄につけ、虎竹刀の錆にしてくれるー!」
「微妙に鋭いけど、根本的に間違えてるぞ、藤ねえ!」
「シロウ、下がって。あの女性は錯乱している、危険です」
「違います、セイバーさん、あれが藤村先生のデフォルトです」
「桜ちゃんにまで何か凄く失礼なこと言われた気がするぞ、ちくしょー!」
ああ、こいつら――。
どたばた騒ぎまくる居間の住人。
私は無言で歩いていって、静かに扉を開けた。
そして、一言。
「おまえら、すこしだまれ。」
後にセイバーは語る。『マーリンが本気で怒ったときと同じ空気がした』と。
後に遠坂桜は語る。『あの人が敵でなくて本当によかった』と。
後に衛宮士郎は語る。『角と翼と尻尾が見えた』と。
そして、後に藤村大河は語る。『草食動物の気持ちが分かった』と。
多くは語るまい。
ただ、その後、藤村大河が、あたかもどこぞの漫画の女子寮の如くなった弟分の実家について語ることはなくなった。曰く、『遠坂さんがいるから大丈夫』とのこと。
とりあえず、静かになった居間を尻目に見ながら、私は洗面所に向かった。
ああ、なんていうか、最低な朝だ。
◇
「いてて、いてて」
歩くたびに、俺の意思を無視して、口から情けない声が漏れ出す。
セイバーの鍛錬は実戦を想定した、いや、実戦しか想定していない極めて歪なもので、俺の身体にたいへん深い爪あとを残した。というか、あれは訓練じゃなくてイジメだろ。
「大丈夫ですか、先輩?」
ああ、桜、君は優しい。心底楽しそうに俺を見つめるその視線さえなければ最高だ。
「情けないわね、男の子でしょ」
そう言いながらも歩調を緩めてくれるのは凛。
ようやく解ってきた。
本人達に言えば全力で否定するだろうけど、二人とも、本質的なところでお人よしなのは一緒だ。
ただ、口では優しいことを言って、実は人をからかうのが大好きなのが桜。
口や態度は辛辣なところがあるけど、行動自体は思いやりがあるのが凛だ。
姉妹のはずなのに、どうしてこうも性格が違うのか、時間があれば研究をしてみるのもいいかもしれない。
まあ、命がけの作業になるのは間違いないけど。
◇
当面の俺達の課題。
それは言うまでもなく、学校に張られた結界を取り除く、あるいは無効化することだ。
「残念だけど、私にも解呪はできないわ」
神代の魔術師であるキャスターにそう言わしめるくらいなのだから、俺や凛に解呪できるような代物ではないのだろう。
「あれは魔術というよりも、宝具に近いわね。
他者を溶解、吸収する結界型の宝具、そう考えた方が納得できる」
「とりあえず、今の俺達にできることは何なんだ?」
「方法は二つ考えられる」
ピッと、右手の人差し指を突き出した凛が話す。
「一つはマスターを探し出して結界を解呪させる。
もう一つは、結界を張ったサーヴァントを見つけて倒す。
根本的な解決法はこの二つしかないわ」
つまり、自力で結界を無力化するのは無理、ということか。
「いざとなれば校舎の破壊とか、かなり過激なことも考えなければいけないけど、今はサーヴァント、ライダーとそのマスターを探すのが先決ね」
「ライダー?あれはライダーの仕業なのか?」
「はぁ?そんなこともわからないの?」
呆れたような凛の表情。
「先輩、こういうことです」
桜は丁寧に説明してくれた。
キャスターに解呪できないような結界なのだ、人間の魔術師の成した業である可能性は限りなく低い。
ならば、やはりサーヴァントが犯人ということになるが、今回の聖杯戦争ではサーヴァントは基本の七クラスしか召還されていないらしい。
学校の結界がサーヴァントの仕業だと仮定するなら、必ずその七騎の中に犯人がいることになる。
この中で、セイバー、アーチャー、キャスターは除かれる。これは大前提だ。
バーサーカーは違う。理性を無くした狂
ランサーも違う。あの夜、俺がランサーに襲われる前に、凛と桜は短い時間ながらランサーと会話する機会があったらしい。そこから得た感触では、結界を張って大量虐殺を行うような人格には思えなかったとのこと。また、彼の真名、クーフーリンの伝説にもそういった類の記述は見受けられない。
アサシンは違う、とは断言できないが、そもそも闇夜に紛れた暗殺が本分のアサシンにそういった目立つ宝具、あるいは魔術の技能があるとは考えられない。
ならば、消去法で残るのはライダー、ということになる。
これは、そもそもがあの性悪神父の、今回召還されたのが基本クラスのみという情報に基づくものなので、そこから間違っていれば全てがご破算という砂上の楼閣のような仮説なのだが、あの男は嘘だけはつかない、と凛も桜も声を揃えた。
「ということは、やっぱりライダーが犯人なのか」
「ええ、これはかなり蓋然性の高い仮説だと思う。
だから、当面の間は結界に嫌がらせををしながらライダーとそのマスターの出方を伺う。 いよいよっていう時期になったら、その時は学校の封鎖でも考えるわ」
◇
なんだ、これは。
校門をくぐった瞬間、粘ついた空気が俺の肺を満たした。
甘ったるく、液体化したような大気。うっすらと紅く色づいて見えるのは気のせいではないだろう。
「まずいわね、予想よりも完成が早いかもしれない……」
後ろから凛の声が聞こえるが、俺の意識はそれどころではなかった。
最初のイメージが内臓。消化液を分泌し、細かく蠕動運動を繰り返す。
次に浮かんだイメージは食虫植物。甘い香りを撒き散らし、誘われた虫を消化、吸収する。
なるほど、遠坂が俺ごときの力を借りたくなる理由もよくわかる。
これは外道の仕業だ。
目的のために手段を選ばないのが魔術師。とはいえ、それは自身の行動が引き起こすであろう結果に対して想像力を麻痺させるという意味ではない。これを発動させれば、おそらく何百人単位で人が死ぬ。それは隠蔽工作が可能とか不可能とか、そういう域ではない。
ならば、犯人は協会の粛清を恐れていないのか。それとも。
「先輩、大丈夫ですか?」
桜が心配そうに覗きこんでくる。
どうやら相当酷い顔をしていたようだ。
「ああ、ちょっと嫌な想像をしちゃっただけだ。大丈夫、ありがとう」
崩れそうになる膝を叱咤して胸を張る。
もしかしたら外道の魔術師が、せせら笑いながら監視しているかもしれないのだ。そんな奴に弱みなど見せてやるものか。
「ふぅん、少しだけ見直したわ。虚勢でも、それがはれる奴とはることもできない奴じゃあ命の価値からして違ってくるからね」
この世のあらゆる悪意をはじき返すような笑みを浮べた凛が言う。
きっとこいつは、どんなに深く魔道を極めても何度絶望を味わっても、魔術師でもなくもちろん一般人でもなく、あくまで[遠坂凛]として生きていくのだろう。
そんな埒もないことを考えると、ほんの少しだけ肺の中がすっきりした。
◇
既に太陽は中天を通り、少しずつではあるがその姿を地平線に隠す準備を始めていた。
時間は昼休み、場所は屋上。
本来であれば一時的にとはいえ授業から開放された生徒の活気に包まれるはずの空間が、まるで無人の廃校のように静まり返っている。確かに、冬も本番といえるこの時期、屋上が人で溢れかえるということは少ないが、それでも風がなく太陽が顔を出しているなら変わり者が何人か昼食をとっているものなのだ。
間違いなく結界の影響だ。授業中も机に突っ伏して動かない奴がいつもの倍以上いた。
本来それを注意すべき教師も、その気力すらないような、そんな虚ろな表情で淡々と授業を進めていた。
日常が非日常に摺り返られていく。その終着駅は間違いなくあの赤い世界だ。
そんなことは許さない。絶対に俺が阻止してみせる。
『喜べ、少年――』
頭に涌いた悪魔の囁きに蓋をしながら結界の呪刻を探す。もちろん、それを見つけたところで半端魔術使いの俺にできることなどないのだが、どうしても自分の目で見たかったのだ。
確か、凛はここら辺だって言ってたな…。
「何か探しものかい?」
背後からの声に振り返る。
そこにあった顔は、寸分違わず記憶にあるその声の持ち主の顔と一致した。
「慎二…」
相変わらずシニカルな笑みを浮べた慎二は、給水塔の下の壁を指差した。その場所は凛に聞いた場所とぴったり一致していた。
「ほら、結界の呪刻ならそこにあるよ」
慎二の指の先には、まるで心臓のように慌しく拍動する巨大な呪刻があった。さっきまで気付かなかったのが不思議くらい、禍々しい魔力を放っている。
凛が消去したと聞いていたが、既に復活している。
しかし、今問題なのはそんなことではない。
「慎二、何でお前が結界のことを…」
凛や桜から聞いた話では、間桐の家に魔術師はいないということだった。しかし、魔術師でないなら、当然この結界に気付くはずがない。ならば――。
「当然、僕が魔術師だからだよ。
しかし、衛宮も魔術師だったんだ。僕に気付かせないなんて、中々やるじゃん」
まるで昨日の電話が続いているかのように、妙にハイテンションな慎二が話す。
「この結界について詳しいことを知りたければ放課後にでもウチに来いよ。おもしろい話を聞かせてやるからさ」
そう言って慎二は背を向けた。
「慎二、この結界はお前が張ったのか」
慎二は振り返らなかった。