FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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interval16 負われて見たのはいつの日か

 カチカチという音の正体が何なのか。

 それは、最後まで結局、わからなかった。

 私の歯が鳴る音だった気もするし。

 遠くで聞こえる、刃と刃がぶつかり合う音だった気もするし。

 そもそも、私の歯の根が噛み合わなかった理由も、はっきりしない。

 恐怖、だろうか。

 寒さ、だろうか。

 それとも、全く別の理由?

 それすらも、分からなかった。

 ただ、震えていた。

 まるで鼠かチワワみたいに、がたがたと。

 そんな自分を想像して、少し緊張が緩んだけど。

 それでも、震えていたのだ。

 それほどに、目の前の戦いは、凄まじかった。

 別に、人外の凄まじさというならば、私はこの世界の誰よりも凄いものを見てきたのだという確信がある。

 聖杯戦争。

 そこで繰り広げられる、過去の英雄達の饗宴。

 その迫力と凄惨さに比べれば、目の前の戦いは児戯に等しい。

 それでも、私の心の琴線をどちらがより震わしたかといえば、それは今目の前で火花を散らす、刃の競演だった。

 

 

 最初は、互角。

 力で押し続ける少年と、それを受け流す少女。

 永遠に続くかと思われた剣舞。

 しかし、それは一発の銃声によって終わりを告げる。

 後は、酷いものだった。

 拷問、だった。

 少女が何かを口走るたびに、少年の身体に風穴が開く。

 銃口からマズルフラッシュが瞬くたびに、私は死にそうなほどに歯を噛んだ。

 まるで、今にも砕けよと、石を噛み締めるように、歯を噛んだ。

 それでも、耐えた。

 信じた。

 あいつは、士郎は、絶対に負けない。

 だって、あいつが負けたらみんなが不幸になる。

 私も。 

 桜も。

 イリヤも。

 藤村先生も、柳洞君も、綾子も、学校の皆も。

 きっと、彼を知る全ての人が、これからの人生に重い枷を負ったまま生きていかなくてはならなくなる。

 そして、誰よりも代羽が。

 彼の、ただ一人の兄が。

 間違いなく、不幸になるのだ。

 あいつは、確かにへっぽこで。

 唐変木で、朴念仁で、我侭で、ケダモノで、正義の味方だけど。

 それでも、きっと誰よりも優しいから。

 あいつは、負けない。

 自分が負けて皆が不幸になるなら、あいつは最強だ。

 だから、見守った。

 代羽の銃弾があいつの胸を貫いたときも、見守った。

 涙を流し、拳を巨木に叩きつけ、唇を噛み切り、奥歯を噛み折りながら、見守った。

 そして、あいつは、当然のように立ち上がって。

 色々と、あったけど。

 最後には、倒れこむ代羽の体を、優しく抱きしめてあげていた。

 私は、帰ろうと、思った。

 邪魔者だと。

 私はここにいるべきではないと。

 遠坂凜はクールに去るぜ、そう思って踵を返そうとしたとき。

 彼女を、見てしまった。

 彼女、代羽の、顔。

 あいつに抱き締められる、代羽の顔。

 その、なんと幸せそうなこと。

 安心しきって、蕩けそうなほどで、緩みきった、見たことも無いほど甘い、彼女の、顔。

 意図せず、再び体が震える。

 それでも、今度の震えは、明白だ。

 これは、怒り。

 ええ、私は、怒っています。

 決して嫉妬などでは、ありません、ありません、ありませんとも。

 私は、胸の奥に湧き上がる、黒いとげとげしたものを押さえられなくなってしまった。

 

「ああ、もう、はなれんか、おのれらー!」

 

 叫びながら、茂みから飛び出す。

 唖然とした、二人の顔。

 ふん、いい気味だ。

 

「り、凛、お前、いつからそこに…?」

 

 歪に捻じ曲げられた両手で、代羽を抱き締めていた、私の恋人。

 その分厚い胸板に、彼女の小さな頭を埋めていた、私の恋人。

 彼が、大きく見開いた瞳で、くりくりとした錆び色の瞳で、私を見るのだ。

 彼が、裏返った素っ頓狂な声で、冷や汗を掻きながら、私に問うのだ。

 お前、いつからそこにいたのか、と。

 どこから、見ていたのかと。

 うふふ。

 最初から、見ていました。

 ええ、もう、最初から、特等席で。

 貴方が倒れこむ代羽を抱きとめて、熱い抱擁を交わすところも、もちろん見ていました。

 貴方と代羽の額がキスをして、睦言を囁きあうみたいに言葉を交わしたのも、見ていましたとも。

 

「ま、待て、凛、誤解だ、お前は何かを誤解している」

 

 ゴカイ?なにそれ、釣りの餌?

 

「ええ、知ってるわ、士郎。貴方は、私の恋人で、代羽とは双子の兄弟、なんら疚しいところは無い、そうでしょう?」

「うん、そう。ああ、よかったなあ、おれ、はなしのわかるこいびとをもって、しあわせだよ」

「遺言は、それだけかしら?」

 

 ぎにゃー。

 

interval16 負われて見たのはいつの日か

 

「いっ、ぎああっ!」

「男の子が情けない声、あげない!」

 

 ごつん。

 

「ぐっ、つうぅ…」

「はい、次は足ね」

「…足って、お前、少しは休ませ…が、あああああ!」

 

 ごりっ。

 

「ってええぇ…、それ、凄く痛いんですけど…っ!」

「当たり前でしょう、外れた関節、無理矢理ねじ込んでんだから。関節はね、外すときよりも嵌める時の方が痛いの。いい勉強になったでしょう?代羽、そこ、ちゃんと抑えててね」

「だからっ…てえええええ!」

 

 いくら聖剣の鞘が全ての傷を癒すといっても、それは傷に限ったこと。

 例えば、間接が歪な状態で靭帯等の損傷が治癒した場合、その後遺症が残らないとも限らない。おそらくは関節の異常も含めたところで完全に正常な状態に戻してくれるものではあるのだろうけど、用心はするに如かずだ。

 だから、これは仕方なく。

 麻酔の魔術も施さず、力任せに関節をねじ込んでいるのも、仕方なく。

 ええ、仕方なくDEATHとも。

 

「と、遠坂先輩、か、顔が、顔が怖いです…」

「あら、代羽、何か言ったかしら?」

「いえ!何も言ってません!」

「ならよろしい。さ、今度は左手よ。きちんと抑えててね」

「あ、あくまだ…」

 

 冗談とささやかな気晴らしはここらへんまでにして、今度はきちんと麻酔をかけてやる。

 そうして、出来るだけ優しく関節をはめ込んでいく。

 

「…そういうふうにできるなら、最初からお願いしたかったな」

「御免なさいねぇ、忘れてたの。あまり余計なこというと、また忘れちゃうかもしれないけど、それでもいいかしら?」

「なんでもありません、師匠!」

 

 寝転がったまま、震える士郎。

 私の隣で、小さく震える代羽。

 全く、失礼な限りである。

 

「…それにしても、よくここまでばらばらにしたものね。士郎じゃなければ、痛みでショック死しててもおかしくないわよ」

「…ごめんなさい」

「止めてくれ、凛。これは尋常の戦いだったんだ。一方的に兄さんが悪いわけじゃあない」

 

 兄さん、ね。

 思わず隣の少女を、見つめる。

 黒絹のようにしなやかな、しかし光の具合によっては赤紫がかっても見える神秘的な美しい長髪。

 少し太めの眉は、なるほど士郎にそっくりかもしれない。

 大きな、黒真珠みたいな瞳に、小振りで形のいい鼻。

 唇は柔らかそうで、女の私から見ても羨ましい限り。

 雨に濡れて露になった身体のラインは、急激な起伏こそないものの、まるで天使のように整っている。

 これで、元男か。

 神様も罪作りなことをするものである。

 

「ねえ、士郎。今からでも女の子になるつもりとか、ない?」

「り、凛!」

「と、遠坂、やっぱりお前、そっちの気が…!」

「だああ、もう、冗談よ、冗談!」

 

 軽いジョークにここまで乗っかられると、言った本人がうろたえてしまう。

 純情ブラザーズ、恐るべし。

 

 そんなアホな会話をしながら、それでも士郎の関節の治療は終った。

 後は、彼の体に埋め込まれた聖剣の鞘が何とかしてくれるはずである。

 ふう、と、ほぼ同時に三人が溜息を吐いた。

 だから、それを笑ったのも、三人同時だったはず。

 考えてみれば、奇妙なものだろう。

 夜の公園、それも災害の跡地に建設されたいわく付きの公園のど真ん中で、男女の笑い声が響くというのは。

 もしかしたら、数年後に都市伝説の一部に組み入れられている、そんなこともあるかもしれない。

 

「…さて、用件は済みましたから、私は家に帰らせていただきますね…」

 

 一番最初に腰を上げたのは、予想通り、マキリ代羽その人だった。

 

「待ってくれ、兄さん、どこに行くつもりだ?」

「言ったでしょう、家に帰ると。それだけの話です」

 

 家。

 それは、あの寂しい廃屋か。

 それとも、蟲の体液の腐臭漂う、あの屋敷のことか。

 

「もう、貴方達の前に姿を見せる事はないでしょう。これでも敗者の誇りくらいは持っているつもりですから、その点については安心して頂いて結構ですよ。ただ、アサシンが貴方達を狙うことまで掣肘を加えるつもりはありません。今日敗れたのはあくまで私一人であって、彼はまだ誰にも敗れてはいない」

 

 少し長い台詞を誇り高く口にして、彼女は背を向けた。

 やはり、背筋は、一ミリたりとも曲がらず、天を突く巨木のように慄然としていた。

 なのに、何故だろう。

 背中が、煤けて見えたのは。

 

「待ってくれ、兄さん」

「…衛宮士郎。その呼び方は、出来れば止めて欲しい。その呼び方は、私の罪を糾弾するから」

「貴方に、罪なんて、無い」

 

 一拍、天使が囀るような間があって。

 それから、彼女は、振り向いた。

 泣き出す寸前の幼児の様に、歪みきった表情。

 その瞳から涙が零れなかったのは、最後の意地だろうか。

 それでも、声の震えを隠すこと、それは不可能だったらしいが。

 

「わ、わたしは、あのひ、あな、あなたをみすてた!それが、つ、つみでないと、そういうつもりですか!?」

 

 ほとんど金切り声に近かったそれを、士郎は平然と受け止めた。

 まるで、それを予測していたかのようであった。

 

「…兄さんは、勘違いしている。あの日、貴方は俺を見捨ててなんか、いない」

「世迷言を…!」

「本当なんだ。罪があるというなら、それはむしろ俺だ」

「違う!それは…!」

「聞いてくれ!」

 

 士郎は、語った。

 彼が覚えている、あの夜の全てを。

 第四回聖杯戦争、その終結した、夜。

 冬木が、比喩表現ではなく、正に赤く染め上げられた、夜。

 彼らは、その中心部を、当ても無く歩いていた。

 強烈に熱せられた大気は、問答無用に二人の肌を焦がした。

 ゆるゆると崩れ落ちていく町並み。

 じわじわと焼け落ちていく人の肉。

 ちりちりと髪の毛の焦げつく臭い。

 阿鼻叫喚。

 それでも、歩いた。

 いずれ、弟の体に限界が訪れる。

 彼らの身体性能が同一であった仮定すれば、そこにどういった偶然が働いたのか、それは分からないが。

 兄は、弟を背負って、それでも歩き続けた。

 地獄の中で、ただ助かりたいと願って。

 救いを、求めて。

 そして、弟は、夜空に浮かんだ黒い太陽を、見つける。

 まるで、違う世界との通用口のように、ぽっかりと浮かんだ、黒い太陽。

 弟は、願うのだ。

 助けて、欲しいと。

 やがて、黒い泥は、彼らのほうに流れてきた。

 弟は、焼け付いて閉じなくなった片目で、それを見つめる。

 その瞬間、彼の体を衝撃が襲う。

 払い落とされたのだと気付く。

 絶望。

 視界に映る、兄の背中。

 それが、黒い泥の中に突っ込んでいく。

 まるで、己が囮となって、大切な誰かを守ろうとするかのように。

 それを、涙で滲んだ片目で見つめて。

 焼け付いた声帯を震わせて許しを請おうとした、その場面で彼の記憶は途切れるという。

 

「…違う。私は、確かに貴方を見捨てた。ただ、助かりたいと願って、貴方を背から払い落とした。それが、私にとっての真実だ」

「分かったよ。相変わらず、兄さんは頑固だ。じゃあ、俺が、罰を与える。それで、いいんだろう?」

「ちょ、士郎!」

 

 代羽の唖然とした瞳。

 

「凛の麻酔が効きすぎちゃってさ、痺れて動けないんだ。誰かが負ぶって家まで運んでくれると、ありがたいんだけどな」

 

 それは、非常に建設的な意見だった。

 例え、私の魔術行使に一切の失敗がなく、彼の体は万全に動きえるのだとしても。

 例え、私が一言呪文を唱えれば、彼の体はまるで空気のように軽くなるのだとしても。

 私は、一言の抗議も、一節の呪文も、唱えなかった。

 ただ、にんまりと、微笑っていたはずだ。

 にんまりと、気持ちのいい微笑を浮かべていたはずだ。

 

「…なんと、残酷な…」

「だから、罰なんだろ?兄さん、まだ桜とイリヤに謝ってないんだからさ、ついでに済ませたらいい」

 

 代羽はぶちぶちと不平を言いながら、それでも弟の体を抱えて、如何にも器用に背負いあげた。

 今は、背丈の違う、二人。

 大きな少年が、小さな少女に背負われる。

 弟だった少年が、兄だった少女に背負われる。

 その、不可思議な光景が、ここまで神々しいと、誰が想像しうるだろうか。

 少女の頬に刻まれた、誇り高い笑み。

 少年の頬に刻まれた、安堵に満ちた笑み。

 その両方が、例えようも無いほどに羨ましかった。

 

「ねえ、代羽。疲れたら代わるわよ」

「馬鹿を!これは、私だけの権利だ!」

「じゃあ、士郎。体、動くようになったら言ってよ。私もお兄さんにおんぶしてもらいたなぁ」

「駄目だ!これは、俺だけの背中!」

 

 ちえっ、と、唇を尖らせる。

 両手を、頭の後ろでくみ上げる。

 そうして、空を見上げる。

 そこには、相も変わらず、恥知らずな月があった。

 私の後ろで、ゆっくりと、でもしっかりと聞こえる、一人分の足音。

 それを聞きながら、私は思うのだ。

 ああ、きっと明日は満月だ。

 

 

「些か厄介なことになったかも知れん」

「ほう。聞かせろ、コトミネ」

「黒い聖杯が、あの少年の軍門に下った。これで、奴らが抱える戦力は、サーヴァント三騎と、それに準ずる力量を持つ化け物が一人。実質、四対一だ。これでは、歯向かう術も無いな」

 

 神父は、相変わらず底の深い微笑を湛えたまま、事も無げにそう言った。

 その台詞は、例え聞いた者が英雄王その人でなかったとしても、その同意を取り付けるのは困難を極めただろう。

 何故なら、彼は愉しんでいたから。

 それが、本当に彼自身の置かれた苦境を思ってのことなのか、それとも己と敵した哀れな子羊の不幸を思ってのことなのか、そればかりは余人には計りようも無かったが。

 

「くく、コトミネ、貴様、ようやく冗談の一つも憶えたか。なるほど、雑兵は凝り固まってこその雑兵よ。一匹一匹を磨り潰すよりは、手間が省けた。望ましいとすらいえるではないか」

 

 その高慢。

 しかし、それこそが彼の本質であり、故に王。

 神父は、苦笑と共に納得した。

 

「精々、踊り狂えばいいのだ。この世は舞台、人は誰しもが一役演じなければならぬ。であれば、民草悉く必死に踊り狂え。我を愉しませろ。我以外の全ては道化であるが故に」

「ほう、シェイクスピアか。なるほど、その言が正しいとして、ギルガメッシュ。お前は、舞台たるこの世において、一体何を演ずるというのだ?」

 

 神父は、確定した回答を期待して、無価値の質問を口にした。

 英雄王は一度鼻で笑ってから、それでも律儀にこう答えたのだ。

 

「我が演じるのだ。王以外の何があるか」

 

 決戦は、近い。

 それは、予兆ではなく確信であった。

 神父は、明けつつある空を見上げた。

 黒から紫に、そして蒼に染まりつつある、東の空。

 その色を、まるで少女の髪の色のようだと、そう埒も無く、思った。

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