FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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interval19 舞台の上で、愚者は踊り狂う

 きちきちきち。

 堅いものの、軋る音。

 かさかさかさ。

 多いものの、擦れる音。

 ずるずるずる。

 長いものの、這いずる音。

 

 月が、隠れた。星が、隠れた。

 代わりに、羽音があった。

 ぶーん、ぶーん、と、大群だ。

 そこに何がいるのか、確認できない。しかし、何かがいることは確実だった。

 数が、多い。

 そして、大きい。

 周囲の闇を一層深くするほど、大きく、数が多いもの。

 それが、空を覆い隠していた。

 

 べきべきと、森が泣いた。

 それは、木々の枝の、へし折れる音。

 そこに、何かが、張り付いたのだ。

 まるで、蜜に群がるカブトムシのように。

 違ったのは、それらが大き過ぎること。

 大きくて、多くて、無関心過ぎたこと。

 ただ、木々の折れ砕ける音をそのままに、じっと見つめるのだ。

 

 そして、何かが地面を埋め尽くした。

 もぞもぞと身体を捩る、色んなもの。

 堅いもの、柔らかいもの。

 それらの全てが、大きいもの。

 じっと、見つめる。

 暗がりから、じっと見つめる。

 赤い、目が。

 目が、目が、目が。

 じいぃぃいっと、見つめる。

 一声も啼かずに、ただ、じっと。

 

 蟲。 

 蟲だった。

 蟲が、蟲が、蟲が。

 空を、木々を、地面を、ありとあらゆる空間を。

 みっしりと、埋め尽くしていた。

 みっしりと、隙間なく。

 怖気を催すような、異様な数で。

 それは、悪夢の如き光景だった。

 人は、本能的に、数を恐れる。

 戯れに転がした石の裏に、ナメクジの群れを見つけたときのように。

 テトラポットに群がる、フナムシの大群を見つけたときのように。

 腐肉に湧いた、蛆の大群を見つけたときのように。

 猫の死体の肛門から列を作る、黒蟻の大群を見つけたときのように。

 本能に訴える、不快感。

 嘔吐を催すような、不快感。

 その場所には、確かにそれが存在した。

 赤い、赤い瞳の群れ。

 己を捕食対象として見つめる、逃れようの無い数の暴虐。

 常人であれば発狂して笑い転げてもおかしくない、そんな、悪夢の体現。

 その中央にて、黄金の覇者は、ただ胸を逸らしていた。

 

「なるほど、虫には森が似合いか。此間よりは、楽しめそうではないか」

 

 男が、腕を掲げる。

 刹那、空間そのものに、まるで凪の水面に石を放り投げたが如き波紋が、緩やかに沸き起こった。

 

 最初は、秘めやかに一つだけ。

 

 それを追いかけるように、もう一つ、もう一つ。

 

 更に、それを追いかけるように、もう一つ、もう一つ、もう一つ。

 

 徐々に数を増やしていく、波紋。

 際限なく数を増やしていく、波紋。

 幾重にも幾重にも重なった波紋が、最初に起きたその波を、打ち消したように思えたとき。

 最初の波紋、その中央だった場所から、鋼色の切っ先が、姿を見せた。

 

 最初は、秘めやかに一つだけ。

 

 それを追いかけるように、もう一つ、もう一つ。

 

 更に、それを追いかけるように、もう一つ、もう一つ、もう一つ。

 

 徐々に数を増やしていく、切っ先。

 際限なく数を増やしていく、切っ先。

 幾重にも幾重にも重なった切っ先が、あらゆる方向に向けて、その射出の準備を完了したとき。

 その切っ先に胸を晒しながら、黒い呪刻の男は、微笑った。

 

「…咽喉の調子は如何かな、英雄王」

 

 金色の男は、僅かに頬を歪めた。

 その言葉に、答えようとはしなかった。

 答える価値を認めなかったのか、それとも、これから始まる宴にこそ、その興をそそられたか。

 

「…存分に泣き叫べねば、肉を噛み千切られるとな、辛いものだ」

「ならば己の咽喉を心配せよや。楽に死ねぬ身体なのであろう?それに―――」

 

 二人の瞳が、交差する。

 二人の笑みが、交差する。

 二人の、殺意が、交差する―――!

 

「我も、楽に死なせるつもりは、無い―――!」

「気が合うな、英雄王―――!」

 

interval19 舞台の上で、愚者は踊り狂う 

 

 その瞬間、森の一角が消し飛んだ。

 宝具の軍隊と、魔蟲の群体が衝突する。

 ぶつかり合う、刃と外骨格。

 もはや、形容し難い音が、森の静寂を切り裂いた。

 

 ばきばき、ぐちゃり。

 きいきい、ぼきり。

 

 蟲の脚が、千切れ飛ぶ。

 得体の知れない体液が、ぶちまけられる。

 宝石のような刀身が、折れ砕ける。

 宝槍の柄が、へし折れる。

 

 轟音。

 

 異臭。

 

 阿鼻叫喚。

 

 そんな中、ただ動かない、二つの影。

 片方は、胸を逸らして。

 もう片方は、曲がった背筋で。

 にやにやと、見るものの肝を冷やす笑みで、互いのみを見つめる。

 

「なかなか、どうしてどうして…」

「ほう、意外に頑張るではないか…」

 

 それは、奇しくも数日前のマキリと遠坂の激闘と酷似していた。

 海浜公園。

 そこで、遠坂の若き当主と、マキリの老怪の皮を被った蟲人形。

 その一人と一体が、死力を尽くした、戦闘。

 幾重にも重なる、射線と射線。

 ぶつかり合う、魔力と蟲。

 それらが互いを打ち消しあい、弾けあい、貪り喰らう。

 剣と魔弾、その違いはあれど、戦闘の構図そのものはやはり似通っていた。

 だが、それは似ているようで、決定的に違っていた。

 

 まず、威力が違う。

 次に、規模が違う。

 そして、神秘の量が、違いすぎる。

 

 宝具の楽団を指揮するのは、かの神話に詠われた英雄王。

 この世の全てといわれるその財は、強力無比にして千万無量。

 その一振りにて、遠坂の小娘が如き魔弾など、その全てを薙ぎ払おう。

 魔蟲の群体を指揮するのは、穢れた聖杯。

 無限に近い魔力と、それによって生み出される魔蟲はさながら永久機関。

 その一匹において、マキリの使役する貧弱な蟲如き、その全てを喰らい尽くそう。

 それほどの、二体。

 英雄王と、魔蟲の王。

 戦争と戦争が、衝突する。

 空間が軋るような戦いは、それでもまだ序章に過ぎない。

 現代科学の粋を集めても造形しえない一振りの短剣を、醜悪な蟲が喰い散らかし。

 熊を一飲みにするような巨大な蟲を、御伽噺に描かれた騎士の剣が駆逐する。

 弾け飛ぶ、蟲の破片、剣の破片。

 その一部が、彼らに降りかかる。

 しかし、彼らには怯まない。

 さながら榴散弾のようなそれを眼前に、不敵な笑みを収めない。

 然り、下賎な蟲の一部は、まさに王の尊顔に傷をつけようとしたその手前で、蒸発するように消え去った。

 何らかの宝具を、既に展開させているのかもしれなかった。

 魔蟲の王を襲った剣の破片は、全てが彼に突き刺さり、しかし一滴の血を流させることも叶わない。

 突き刺さった傷口が、瞬時に治癒するからだ。

 彼我の距離は、僅かに十メートル程だろうか。

 それでも、舞い上がった異様な量の砂埃が、互いの姿を隠していた。

 見えない。

 そして、耳を劈くような轟音が鳴り続ける。

 聞こえない。

 故に、呟く。

 己を再確認するかのように。

 

「さて、そろそろ頃合か?」

 

 轟然と立つ、英雄王。

 彼の周囲だけ、その威容を恐れたかのように、土煙も及ばない。

 そんな彼の作る笑みが、より猛悪なものとなっていく。

 彼は、再び腕を掲げた。

 ぱちりと、誰の鼓膜を震わすこともなく、乾いた音が鳴る。

 その刹那、まるで湯水の如く溢れる、神剣、魔剣、宝刀、妖刀。

 全てが宝具であるのに、数打ちの駄剣でもかくやというその数。

 あらゆる方向に、目標を定めないかのように打ち出されていく。

 そして、弾け飛んでいく、蟲、蟲、蟲。

 明らかに、砲撃の質が、変わった。

 いうなれば、一斉正射から絨毯爆撃への切り替え。

 圧倒的なまでの火力。

 それこそが、戦争を従える、英雄王の真骨頂。

 いかに神秘の時代を生きた蟲の模造品とはいえ、その火力には歯が立たない。

 切り裂かれ、打ち砕かれ、蹂躙される。

 英雄王の足元に転がる、蟲の頭部。

 かさかさと動く触角を、彼は踏み潰した。

 無限と思われた蟲の群れは、既に空を見渡せるほど。

 地を埋め尽くすのは、生きた蟲ではなくその亡骸。

 勝利の女神の天秤は、確かに傾き始めていた。

 

「よもや、この程度か、贋作者」

「………」

 

 金色の男、その頬に、既に笑みは無い。

 在るのは、侮蔑と嘲弄と、激烈を極めた怒りのみ。

 大見得を切っておきながら、彼の眼前にて失態を演じる道化。

 そんなもの、生かしておく価値を、爪の先程も認めない彼であった。

 それに対して、漆黒の男の瞳は虚ろ。

 その視界に敵の姿を収めながら、しかしその目は何も見ていない。

 それどころか、ぶつぶつと、白痴のように、何事かを呟く。

 その様は、哀れを超えて滑稽であった。

 少なくとも、金色の男には、そう映った。

 

「…つまらぬ。疾く、消え失せろ」

「………et habebant super se regem angelum abyssi cui nomen hebraice Abaddon, graece autem」

 

 男が、天高く掲げた指を、三度打ち鳴らしたとき。

 ぱちりと、澄んだ音が響いたとき。

 今までに、更に倍する数の宝具が、打ち出された、まさにその時。

 同時に、預言者の呪文も、完成していた。

 

「Apollyon」

 

 無垢の空間を、黄金の輝きが切り裂く。

 俯くように佇む預言者、その無防備な裸体を、無数の宝具が食い尽くそうとした、その瞬間。

 彼を貫かんとした全ての宝具が、粉々に砕け散った

 預言者を守るように姿を現した、金色に輝く魔蟲の群れ。

 彼は、最後にこう唱えたのだ。

 アポルリオン、と

 

「アポルリオンと…。ああ、あの黴臭い占書の、つまらぬニクバエか」

「ああ、ただのニクバエよ、ただし、集るのはおのれの死肉だ」

 

 それは、彼の有名な黙示録にて記された、死ぬことの許されない、死より辛い苦痛を齎す蠍の毒を持つ蝗。

 人類を粛清せよ、と神に義務付けられた、絶対的な殺戮者。

 本来、この世に存在しない筈が、膨大な数の信仰によって受肉した幻想種。

 紛い物だらけの彼の内面に宿った、唯一つの幻想種。

 それを現界させることこそ、彼の固有結界。

 名前は、無い。

 名も無き固有結界。

 本来在るべき形から、捻じ曲げられ、捻じ曲げられ、そうして生まれた鬼子。

 その威容を、誰が挫こうか。

 

「さて、第二幕だ。英雄王よ、武器の貯蔵は十分か?」

「なるほど、まだ少しは楽しめるか。許す、せいぜい踊り狂え下郎」

 

 降りかけた幕は、再び上がる。

 傾きかけた女神の天秤は、再び水平を取り戻す。

 同時に、酸鼻を極めていく、戦場。

 ならば、舞台の演目は戦争活劇。

 演者は、只の二人。

 彼らは指揮官だ。

 戦争が始まって以来、只の一歩も動かない。

 そこに根を下ろしたかのように、一歩も動かない。

 動けば負ける、そう誤解しているかのように、一歩も動かない。

 そして、無傷。

 二人とも、髪の毛の先程の掠り傷も負っていない。

 穏やかな春の午後に森林を散歩するときほども、その身体は傷ついていない。

 しかし、彼らの指揮する軍隊は、無惨を極めた戦場にいる。

 女の顔をした滅びの蟲が、喘ぐ。

 ひいひいと、涙を流しながら。

 涙を流し、涎を流し、そうして嗤うのだ。

 嗤いながら、飛びまわる。

 けたけたと嗤いながら、潰れていく。

 狂気を身に宿しながら、死んでいく.

 その姿の何と不吉なこと。

 ならば、その不吉を引き受ける敵兵こそが悲惨。

 打ち出された神話の剣は、悉くが喰い散らかされる。

 その鋭い牙に、噛み砕かれる。

 大蛇に飲み込まれる、生贄のようだ。

 無音の悲鳴。

 無音の断末魔。

 砕かれる神秘。

 その音の、なんと哀れを誘うこと。

 それでも、相見える軍勢は、互角。

 打ち出される魔弾と生み出される魔蟲。

 死にゆくそれと生まれるそれの数は、拮抗している。

 千日手。

 やがて、周囲を圧する轟音にも耳は慣れる。

 辺りの木々はなぎ倒され、すっかり見通しが良くなった。

 そんな、頃合。

 

 二人のうちの一人は、勝利を確信した。

 

 預言者、ヨハネ。

 魔蟲の王、群体の指揮官。

 彼は確信した。

 己の勝ちであると。

 理由は単純。

 英雄王の武器の射出量が、目に見えて減り始めていたからだ。

 始めのうちこそ、まるで無駄打ちを楽しむかのように打ち出されていた宝具。

 だが、時がたつにつれ、狙いが慎重かつ繊細になってきた。

 言葉を変えるなら、臆病になったきた、と言ってもいい。

 当然だ。

 彼は、確かにあらゆる財を持っているのだろう。

 しかし、その中でも武器、更には宝具と呼ばれるものとなるとその数は限られるはずだ。

 それに対して、アンリマユとパスを通したヨハネの魔力は実質無限。

 そして、彼の魔力で編まれたアポルリオンの数も無限といっていい。

 ならば、勝敗の帰趨は明らかだ。

 預言者の、四白眼が、ぐにゃりと歪んだ。

 そうして、思った。

 

 ―――さて、目の前の男は、今、一体どんな気分なのだろう。

 ―――全てを支配し、その物量であらゆる敵を屠ってきた彼が。

 ―――物量において敗北し、私に支配されるのだ。

 ―――彼の胸の内を想像し、来るべき未来を思う。

 ―――ああ、何と、痛ましい。

 

 預言者の股間は、はち切れんばかりに屹立していた。

 

 無限に続くと思われた戦場は、やがて収束へと落ち着いていく。

 果たして、それは誰の望んだ結果だったか。

 十の蟲が放たれる。

 迎え撃つのは五振りの長剣。

 弾き飛ばす。

 二十の蟲が放たれる。

 迎え撃つのは三本の矛。

 蹴散らす。

 五十の蟲が放たれる。

 反撃は無い。

 どうやら財も尽き果てたと見える。

 魔蟲の王、その眷属が、英雄王を包囲する。

 最早、鼠の這い出る隙間も無いくらいに。

 けたけたと、微笑いながら。

 勝利。

 これ以上ないくらいの圧勝。

 そして、彼は思うのだ。

 

 ―――さあ、傷ついた王様を、どんな言葉で慰めてあげようかしらん。

 

 

「さて、と」

 

 刺激に飽いたその声は、預言者のそれ。

 英雄王は、無表情でその声を聞き流す。

 辺りは、とても静か。

 気紛れな突風が、舞い上がった砂塵を吹き飛ばす。

 姿を現した大地は、見るものの悲哀を誘うに十分過ぎるほど。

 周囲は見渡す限り更地になっている。

 いや、更地というのには語弊があるだろう。

 所々に隕石の落下でもあったかのように、巨大なクレーター。

 根元から吹き飛んだ大木。

 砕けた巨石。

 火薬など一片たりとも使用されていないのに、濃厚なそれの臭いを感じてしまうような、そんな光景。

 漆黒の空を、眩いばかりの真円が照らす。

 まるで昼間のように明るい夜の中

 それでも、なお一層輝く魔虫を引き連れた王が、気遣わしげに言い放つ。

 

「大昔から使い古されてきた台詞で申し訳ないのだが」

 

 長身。

 蒼い髪。

 猫背気味の姿勢。

 全身を覆う、黒い呪刻。

 大きな目と、それに比して小さな瞳が狂気を感じさせる。

 そして、吊り上った口の端。

 彼は冷静な、或いは熱情を込めた声で続ける。

 

「降伏と服従か、苦痛と死か。選んで頂きましょうか」

 

 英雄王は無言。

 逆立った髪の毛が、風に弄られている。

 既に、彼の周囲に財は展開されていない。

 在るのは、彼を嘲弄するかのように飛び回る、女の顔をした魔蟲の群れ。

 周囲を包囲する、圧倒的な敵勢。

 それでも彼は、なお傲然と胸を張る。

 

「ご自慢の財も尽き果てた。潔いのも王たる資質だと思うがね」

 

 その言葉に。

 

 黄金の支配者は相好を崩した。

 

「くく、くはははっははははははっ!」

 

 少年のように無邪気な顔で、腹を抱えて凶笑する英雄王。

 その声に、敗者の翳りは無い。

 

「いや、全く貴様の言う通りよな、我が財、既に尽き果てたわ!」 

 

 瞳の端に涙すら浮べ、息も絶え絶えに笑いながら、それでもその身に纏った威厳には些かの衰えもない。

 彼は、確かに幸福だった。

 これほど愉しかったのはいつ以来かと、指折り数えてしまうほどには。

 

「……なにがそんなに可笑しい」

 

 魔蟲の王が尋ねる。

 いぶかしむその声には、勝者の誇りが汚された苦味がありありと浮かんでいる。

 敗者は、這いつくばって許しを請うはずなのに。

 勝者は、優しく敗者を許してあげるはずだったのに。

 彼はそう考えていた。

 そんな敵対者の内心には気づかぬそ振りで、英雄王はなお嗤い続ける。

 

「いやいや、貴様が悪いわけではないぞ。貴様はよくやった。なるほど、これほど楽しめたのは彼の騎士王と矛を交えたとき以来かも知れぬ」

 

 その顔には、やはり濃厚な笑みが。

 ただし、それは無垢の少年のそれではない。

 あるのは、万物の支配者としての、常の彼の笑みだけ。

 

「ただ、かわいくてなぁ」

 

 彼は、そのしなやかな腕を軽く掲げた。

 

「…何が」

 

 黒い聖杯が尋ねる。

 

「何、と。決まっておろうが」

 

 パチン、と四度、指が鳴る。

 

「この程度で我が財を討ち果たしたと考えている下種が、な」

 

 放たれたのは一振りの剣。

 今までと同じように、激烈な勢いで彼の敵対者を襲う。

 それに対するのもいつもと同じ。

 十重二十重に張られた魔蟲の防御陣。

 それが剣の進軍を阻む。

 ここまではいつもと同じ。

 違ったのは。

 

 一匹目の蟲が弾ける。

 いつもと同じ。

 

 二匹目の蟲が弾ける。

 いつもと同じ。

 

 三匹目の蟲が弾ける。

 いつもと違う。いつもなら、ここで剣の勢いは殺されていた。

 

 四匹目の蟲も弾ける。五匹目も、六匹目も七匹目も。

 弾ける弾ける弾ける弾ける弾ける弾ける弾ける弾ける弾ける――――止まらない。

 

 そしてその切っ先は。

 不可侵だった防御陣を紙のように切り裂き。

 そのまま、魔蟲の王の右胸を、貫いた。

 

「えっ?」

 

 あれ、と。

 どうして、と。

 そんな、軽い声。

 聞きようによっては、酷く間の抜けた、声。

 自分に起きたことが信じられない。

 いや、そもそも自分に何が起きたのか解らない、そんな声。

 そんな声を残して、預言者は剣と共に吹っ飛んだ。

 木の枝をへし折りながら、激烈な勢いをそのままに。

 彼の身を串刺しにし、なお勢いを失わぬ神剣は。

 遥か後方の巨木に哀れな獲物の体を縫い付けると、ついにその猛威を収めた。

 

「なん、で…?」

 

 ようやく生まれた疑問をそのまま口にした、そんな声。

 それと共に、口元よりあふれ出る、黒ずんだ血液。

 ごぼりと、粘着質な音をたてて。

 虚ろな視線。

 悠然とした足取りで彼に近づく英雄王。

 彼を包囲した蟲どもですら、その威光を恐れるかのように道をあける。

 そして、彼は言うのだ。

 

「光栄に思うがいい。今、貴様の体を貫いているのはメロダック。かの騎士王の選定の剣、そして太陽剣グラムの原型となった神剣よ」

 

 愉悦に歪んだ声。

 勝者の傲慢に溢れている。

 

「こ、んなもの」

 

 預言者は、己の胸から生えたその剣を、抜き取ろうとする。

 かさかさと、ピンで留められた虫のように。

 そこに存在したのは、誇り高い預言者の姿ではない。

 ただ、現実を受け入れられない、敗残者の哀れだった。

 

「ほう、まだ動けるか」

 

 そんな預言者の奮闘を嘲笑うかのように、いや、事実嘲笑いながら英雄王が再び指を打ち鳴らす。

 虚空から現れたのは、万物を虚空に消す神の兵器。

 それが、たった一人に向けて打ち出される。

 やはり、姑息な虫の壁などではその進軍は止められぬ。

 

「………!」

 

 預言者は、声を上げようとした。

 しかし、それは叶わなかった。

 なぜなら、その声帯は眩い光を放つ槍によって破かれていたから。

 なぜなら、その心臓は血のように赤く染まった切っ先に貫かれていたから。

 なぜなら、その肺は濡れたように妖しく輝く刃に切り裂かれていたから。

 なぜなら、その横隔膜は巨岩のような石弾によって叩き潰されていたから。

 なぜなら、彼は、既に人の形では、無かったから。

 

「その槍は魔槍ブリューナク。その剣は魔剣アンサラー、神剣フラガラッハ。その石弾は魔弾タスラム。それらはかの光神ルーの所有した神器。いずれも貴様のような下種に使うには憚られる宝具よ」

「………」

 

 喉に光り輝く槍が突き刺さり、胸を濡れたような三本の刃が貫き、腹部は禍々しい石弾によって吹き飛ばされている。

 眼球と口腔と鼻腔、耳道、顔面に存在するあらゆる穴から血を垂れ流し、腹から下は千切れ飛んでいる。

 通常の人間ならば、両手で数え切れぬほどの死を迎えているであろう、その姿。

 しかし、それでも預言者は死なぬ。

 無限の魔力と、蟲の再生力が、彼を生かそうとする。

 

「ふむ、なかなか良い眺めよな。やはり虫には標本が似合いか」

 

 加害者は磔になった被害者を見上げて、楽しげに言った

 

「なかなか苦労したのだぞ、あの脆弱な虫と見合うほどに低級な宝具を見繕うのは。あまりに数が少なすぎて、流石の財も尽きてしまったわ」

「………な………ぜ」

 

 ようやく声を出せるようになったのか、それでも弱弱しい声で、その標本は尋ねた。

 

「何故、か。決まっておろう。貴様にその表情を刻み込むためよ。愚者の勘違いを正すのも王たる我の役目ゆえな」

 

 つまらなそうなその声。

 退屈に倦んだ、その声。

 その声は、他の何物よりも、彼の者の誇りを傷つけた。

 身を焼き尽くすような、恥辱と屈辱。

 怒りが、預言者の魔術回路を暴走させる。

 その、刹那。

 現れた蟲は四桁を超え、夜空の星に抗わんとするような無数。

 目を開くのも難しいような、圧倒的な光量。

 

「なめるなぁっ!」

 

 周囲を圧する裂帛の叫び。

 通常ならば勇者の雄叫び。

 万物を蹴散らす、まさしく神の僕の声。

 それが、号令。

 

 しかし、悲しいかな黄金の英雄王の前では。

 

 哀れな被害者の悲鳴以外、それは何物でもなかったのだ。

 

 まるで濁流のように襲い来る呪われた虫。

 人類を滅ぼせよと、神に義務付けられた軍勢。

 それを、まるで羽虫のように一瞥すると、英雄王は呟いた。

 

「鬱陶しい」

 

 その手には奇妙な剣。

 世界を切り裂いた、英雄王の唯一。

 そして、彼は言葉を紡ぐ。

 それが、この戦いの終わりを告げる、鬨の声だった。

 

「天地乖離す開闢の星」

 

 唸りを上げる、乖離剣。

 

 風が、風が、風が、吹き荒れる。

 

 風が、風が、逆巻く。

 

 風が、唸る。

 

 風が。

 

 静かだった。

 

 とても、穏やかな空気が流れていた。

 

 今までの破壊が児戯と思えるほどの大破壊。

 地を揺らし、天を轟かせたそれが収まると、周囲にあらゆる振動は、無かった。

 針の落ちる音も聞こえるような、静寂。

 何者も、何物も、動かない。

 当たり前だ。

 今、この場で命を永らえた生き物など存在しない。

 植物にも、動物にも。

 哺乳類にも、昆虫にも。

 そして、無機物にすら。

 ありとあらゆる生命に、平等な死が与えられた。

 それでも。

 そんな地獄の中でも、かつての魔蟲の王は生きながらえていた。

 無数の肉片に分かたれ、まるで単細胞生物のように細かく蠢くそれらを一つの生命と呼ぶことができるならば。

 しかし、彼が立ち上がることは、もう無い。

 彼は、その内面に無数の世界を従える故に、不死だった。

 その世界の悉くが、死の原典によって切り裂かれた。

 もう、彼に叶うことは、彼以外の誰かを生かすことくらいだった。

 それは、如何にも彼らしい。

 本来の彼であれば、迷うことなくそうしたであろう、選択肢。

 それを誇り高く抱いて、預言者は死んだ。

 そうして、勝者は哂った。

 誇り高く、勝者がそうあるべく、高らかに哂った。

 そして、言った。

 飛び散って、今だ生きようと足掻く敗者に言い聞かせるように。

 あるいは、この場に存在しない彼の生涯の敵に宣言するように。

 

「人類を粛清するために神が使わした虫だと?人を害する絶対権が与えられているだと?ふん、我を馬鹿にするのも大概にするがいい。神如きに我を裁く権利があると思うか」

 

 そう。

 彼は人ではない。

 神と人の要素を持ちながら、その両方であることを拒否した。

 彼は王。そして支配者。

 人も、神も、彼の前には跪く。

 だから、最初からヨハネに勝機など、存在しなかった。

 確かに、彼には人類を罰する絶対権があったのかもしれない。

 しかし、鼠を狩る権利を得た猫如きに、獅子を狩ることなどできるはずもなかったのだ。

 

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