FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode9 夜間対話

 次にその子供を見たのは査問会の席だった。

 査問の対象となっていたのはあの時の子供だった。

 なるほど、あの子は私の輩だったわけだ。

 少し意外だったが、おおむね納得した。

 査問の理由は魔術の隠匿無視。査問の理由としては最もありふれたものと言っていい。

 あれだけ派手に人を殺して、しかもそれを食べていたのだ。ばれないほうがおかしい。

 きっとあの子は有罪になり、どういう過程を辿るのかは知れないが、最終的には抹殺されるだろう。

 私は子供の顔を見た。きっと笑っていると思ったからだ。

 でも、違った。子供は泣いていた。年相応の子供のように。

 その異様に惹かれて、私はその子を引き取った。

 飼ってみよう、と思ったのだ。

 

episode9 夜間対話

 

 嗅覚というものは、視覚や聴覚と同じように、あるいはそれ以上に忘れかけていた記憶を思い出させる。街中でふ、と嗅いだ香りが、失われて戻らない過去を思い出させることなどしばしばだ。

 慎二の家の空気を肺に入れた瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは、初めて見た、輝くような代羽の笑顔と、それ以上に輝く笑顔で差し出されたしょっぱいコーヒーだ。

 顔を顰めながらも無理矢理それを飲み下す俺を、腹を抱えて笑っていた慎二も印象深い。

 ともあれ、あの頃の間桐の屋敷はもっと清々しかった覚えがある。少なくとも陰湿な雰囲気を感じさせるようなことはなかった。

 それが今はどうだろう。

 逢魔ヶ時というのもあるのだろう。しかし、纏わりつくようなこの空気は学校のそれを思い起こさせる。おそらく、その性質こそ多少の差異はあるものの、人を飲み込み排除するというベクトルそのものに違いはない。

 窓の外は夕闇に染まり、広い部屋を照らすのは頼りない燭台の灯りのみ。

 そんな異界の空気を従えるかのように慎二は楽しげだった。目は爛々と光り、動作も芝居がかったように大仰だ。その姿は夏休みを目前に控えて舞い上がった小学生を連想させた。

 

「とりあえず、ようこそマキリへ。歓迎するよ、衛宮」

 

 どっしりとした重厚なソファに腰掛けた慎二が、両手を広げてそう言った。

 ソファの後ろには奇妙な眼帯をつけた長髪の女性が控えている。

 

「ああ、こいつのことは気にしなくていいよ。

 こいつはライダー、僕のサーヴァントだ。なかなか凶暴な奴だけど、僕の命令がなけりゃ人を襲うことはない」

 

 ライダー。凛の推測が正しければ、あの結界を張った張本人。

 そうなのか、慎二。お前があの結界を張るように命じたのか。

 

「前置きはいい。さっさと本題に入ろう」

 

 そう言った俺を、少し機嫌を損ねたような顔で一瞥してから、慎二は言った。

 

「フン、相変わらずせっかちだな衛宮。ハヤすぎる男はもてないぜ。まぁしかし」

 

 ふう、と大きく息を吐き出す慎二。

 

「お前の言うことにも一理ある。今は戦争中だからね、無駄な会話を楽しんでいる暇はないか。

 じゃあ衛宮の言うとおり単刀直入に話そう。衛宮士郎、お前は此度の第五次聖杯戦争において、僕、マキリ慎二と手を組むつもりはないかい?」

 

 頭が痛くなってきた。

 なんだ、この状況は。密かに憧れていた学校一の美人と、家族のように付き合ってきた可愛い後輩と、最近めっきり疎遠になったものの貴重な数少ない友人が古ぼけた杯をめぐって殺しあうだと?全く、出来の良すぎる三流メロドラマだ。

 

「幾つか質問がしたい」

「当然だね。どうぞ、答えられる限りは誠実に答えさせてもらおう」

 

 ああ、くそ。

 俺は何をやってるんだ。

 こんなところで友人を相手に腹の探り合いか。

 なるほど、俺も含めて魔術師というのがろくでもない人種だっていうのが納得できる。

 

「慎二、お前は魔術師なのか。それに代羽は――」

「質問は一つずつで頼むよ。まあいい。まず、一つ目の質問の答えはイエス。僕は魔術師だ。そもそも、そうでなけりゃマスターなんかになれっこないだろう」

 

 上から物を見る、相変わらずの表情で慎二が言う。

 

「二つ目の質問に関してはノー。魔術は一子相伝。せっかくの神秘の結晶をわざわざ薄めて伝える愚かな家系なんて絶対に存在しないよ。衛宮はそんなことも知らないんだ」

 

 くすくす、と笑う慎二。

 なるほど、確かにその通りだ。

 神秘の密度は、それを知る人間の数に反比例するといわれる。ならば、できる限りその濃度を高めようとするのは当然だ。

 しかし、この世には例外というものが必ず存在する。そして、それは俺の身近にあるのではないか。

 遠坂。

 魔術の名門。

 五大元素を操る姉と架空元素を従える妹。

 おそらくは、奇跡のような確率で生まれた一対の至宝。

 慎二はさっき絶対という言葉を使った。おそらくそこには虚偽はなかった。

 ならば、凛はともかく、桜が魔術師だということを知らないのか? 

 

「あの結界、お前、あれについて何か知っている、そう言ってたけど、何を知っているんだ」

「誰があの結界を張ったか、だ。でも、答えは教えてやらない。僕と同盟を結ぶなら話は別だけどね」

 

 結界を張った犯人。

 凛達の推測が正しければ、それはライダー以外にあり得ない。

 

「……慎二、お前の目的は何だ。何故こんないかれたイベントに参加する」

 

 その言葉に慎二ははっきりとした声で答えた。

 

「僕は偶然マスターになってしまった。

 出来ることなら棄権したいところだけど、果たしてそれだけで他のマスターが見逃してくれるかわからない。サーヴァントを捨てたところを他のマスターに襲われる、なんてことになったら目も当てられない」

 

 淡々と語る慎二。その答えは、まるで予め準備しておいた回答のようで、ひどく薄っぺらな印象を受けた。

 

「聖杯なんて得体の知れないもの、僕は欲しくない。だが、こんなくだらないイベントのせいで日常を変えるのも気に食わない。

 衛宮、お前もそうだろう?ならば、僕達は協力できるはずだ」

「つまり、自衛以外に力は使わない。そういうことか?」

「ああ、流石は衛宮だね。その通り、僕のほうから争うつもりはない。まあ、降りかかる火の粉くらいは掃わせてもらうつもりだけどね。

 さあ、衛宮。僕と一緒にこの戦争を生き残ろうじゃないか」

 

 俺はその誘いを――

 

 

「断ったのね」

 

 窓ガラスを挟んだ二つの世界は、文明の利器によって照らし出された光の世界と、非合理な恐怖が支配する闇の世界に分け隔たれていた。

 外は漆黒。木枯らしが吹き荒び、遠くから聞こえる自動車のエンジン音と相まって不可思議な郷愁を感じさせる。

 いつからこの部屋が作戦司令室になったのかは知らないが、昨晩と同じように俺達は居間に集まった。

 目の前には凛と桜とキャスター。隣にはセイバー。柱に身体を預け、どこかしら遠くを見つめるアーチャー。

 既に見慣れたといっていいメンバーだ。

 

「ああ、少なくともみんなの意見を聞くまで勝手なことはできないから」

「賢明ね。もし勝手に慎二と同盟を結んでたら、私はあなたを切り捨ててた」

 

 真剣な顔で凛が言う。

 

「まず聞かせて頂戴。あなたは今日の慎二をどう思ったの」

 

 理屈を抜きにした直感。凛はそれを求めている。

 

「……率直にいうと慎二は舞い上がってた。新しい玩具を買ってもらった子供みたいだったよ。だから、望まない戦いに巻き込まれたっていうのは嘘だと思う」

 俺は嘘は言っていない。だが、これは友人を売ってしまったことになるのではないか。

「……慎二が結界を張った可能性は?」

 

 決定的な問い。しかし、偽るわけにはいかない。

 

「……かなり高いと思う」

 

 静寂。

 視線を横に向けると、そこにいたのは痛ましい顔をした桜。

 無理もない。彼女は凛と違って慎二との面識が深い。弓道部にいるときの慎二は、女性にはとことん優しかった。

 

「……そう。悪かったわね。辛い役回りをさせたわ」

 

 そう言った凛の顔には、苦渋と決意が等量で綯い交ぜになった表情が浮かんでいた。

 

「これで当面の方針は決定ね。明日、学校が終わったら慎二を抹殺する。異論はある?」

「ちょっと待ってくれ。まだ可能性の段階だろう?何の証拠も無いのに、抹殺するなんて無茶だ」

 

 あまりにも極端な凛の意見に驚く。

 

「ええ、そうね。まだ可能性の段階で、何の証拠も無いし、無茶かもしれない。

 でも、私はあいつを殺すわ。例え間違いでも構わない。そのときは全責任を私が背負う」

「殺人の責任なんて、どうやったって背負えるもんか」

「背負える背負えないの問題じゃない。背負うって言ってるの。

 下手をうてば何百という人が死ぬ。おそらく、その中には藤村先生や、柳洞君も含まれるわ。それでも、あなたはいつ掴めるかわからない証拠を探して、彼を野放しにするというの?」

 

 その言葉に、俺の口は蓋をされてしまった。

 正論。これは正論だ。無作為に人を殺し、神秘の暴露すらしかねない外道結界。

 例え未遂とはいえ、それを張った罪は重い。

 それでも、法に照らされるならその罪は極刑には至るまい。なにせ、まだ人を殺してはいないのだ。第一、法は証拠も無いのに人を罰することなど絶対に認めていない。

 しかし、慎二は自らを魔術師と名乗ったうえでこのゲームに参加した。ならば、それは自らが魔術師としての掟に裁かれても文句は言えないということだ。

 そして、魔術師である凛が下した判断は、おそらく正しい。

 

「……最後に、あいつと話したい。それでも駄目なら……」

「シロウ、あなたの優しさは貴重だが、今回は凛が正しい。そのような結界を張った時点でその男は一線を踏み越えている。ならば、それの説得は不可能なだけでなく、自らを危険に曝す愚行だ」

 

 どこまでも冷静なセイバーの声。その静けさが、俺の心を荒立たせる。

 

「わかってる。でも、このままじゃ納得できない」

「っ、あんたねぇ!」

「先輩!姉さん!やめて下さい!」

「やめておけ、凛。この男に何を言っても無駄だ」

 

 腕を組み、視線を彼方へやったまま、アーチャーが言う。

 

「こいつは制御の効かない機関車のような存在だ。自分の欲望のままに加速を続け、いずれは他者を巻き込んで破滅する。

 凛、君がこの戦いに勝ち残りたいならこんな愚か者とは早々に手を切るべきだ」

 

 淡々と語られた俺の評価。

 しかし、それは――。

 

「我がマスターを侮辱するか、アーチャー」

 

 剣呑なセイバーの言葉。

 

「事実を言ったまでだ。君もそろそろ身の振り方を考える時期なのではないのかね?義理か人情かは知らんが、沈み行く泥舟と運命を共にしても望むものは手に入らんぞ」

「よく言った。二度とその口、訊けなくしてやろう」

「やめてくれ、セイバー」

 

 既に武装を完了し、一足にアーチャーに飛び掛ろうとしていたセイバーを制止する。

 

「シロウ」

「ごめん、セイバー。でも、多分アーチャーの言ってることは正しい」

「そんな」

 

 悲しそうな表情のセイバー。

 すまない、君はそんなに気高いのに、俺は、自分に、胸を張ることすらできない。

 

「少し頭を冷やしてくる。ありがとう、アーチャー」

 

 

 家主のいなくなった居間。

 唐突に嵐が訪れ、瞬きもせぬうちに過ぎ去ったかのようなその部屋は、一種の気だるい雰囲気に支配されていた。

 

「アーチャー、彼は私の同盟者よ。それを貶めるような発言は厳に慎みなさい」

 

 私の言葉に彼は皮肉な笑みを以って答えた。

 

「道を間違えようとしている主に苦言を呈するのも忠臣の条件と思っていたのだがね。なるほど、君が欲しているのが主人に追従することしか知らない家畜ならそう言ってくれたまえ。本意ではないが従おう」

 

 いつもと変わらない、人を小馬鹿にしたような言い回し。

 しかし、そこには確かに理がある。

 挑発するような言葉の中に、若輩を導く先達の心がある。

 しかし、さっきの士郎への言葉には、隠し切れない苛立ちがあったように思う。

 おそらく、いや、確実にアーチャーは士郎を憎んでいる。

 

「しかし、奴も存外意気地がない。一言も反論せず逃げ出すとはな」

 

 こいつ――

 

「アーチャー、貴様!」

 

 私より早く激発したのは士郎の忠実な剣。

 鎧を纏い、不可視の剣を抜き放った彼女。

 駄目だ、今度こそ止められない。

 しかし、セイバーは、見てはいけないものを見てしまった、そんな中途半端な表情浮べたまま固まってしまっていた。

 彼女の視線の先にあったもの。

 それは、何かを懐かしむような、いぶかしむような、そんな中途半端な表情を浮べて士郎が出て行った扉を見つめるアーチャーだった。

 

 

 縁側に座って空を見上げる。

 記憶に蘇るあの時の満月。

 あの日のように、月があればいいと思った。

 しかし、視界にあるのは分厚い雨雲。

 しとしとと、細かい霧雨が降っている。

 そういえば、あの日は、真冬なのに不思議と寒くなかった。

 今はその理由が分かる。

 隣に、切嗣がいたからだ。

 彼がいる、彼が笑ってくれる。

 それだけで安心することができた。

 それだけで、暖かかった。

 でも、もう切嗣はいない。

 俺を暖めてくれた暖炉の火は、熱を失い灰となった。

 だから、縁側は、こんなにも寒い。

 俺を導いてくれた灯台の灯火は、闇に飲まれ、今は見えない。

 だから、月は姿を隠した。

 ああ、そう考えてみると、今日の夜は、今の俺に相応しい。

 なあ、切嗣、教えてくれ。

 俺は、ほんの少しでも、あなたに近づいているのかな。

 

「いい夜ですね」

 

 背後から、声がする。

 冷たく突き放すような、優しく容認するような、そんな声。

 

「代羽、目が覚めたのか」

 

 昨日、彼女がなかば意識を失うかのように床に就いてから、ほぼ一日ぶりに聞く声。

 それは、常の代羽からは考えることができないほど優しいものだった。

 

「身体のほうは大丈夫か」

「ええ、だいぶ楽になりました。逆に、あまりに寝すぎて頭がボーっとします」

 

 苦笑しながら彼女は俺の隣に座った。

 

「ああ、本当にいい夜です」

「雨が降っているし、月も出ていない。そんなにいい夜かな」

 

 隣に座った代羽を見る。

 薄手のシャツと、ミニスカート。

 凛から借りたそれらは、外気に直接さらされる縁側ではいかにも寒々しい。

 

「ええ、私はそう思います。

 星の見えない夜空も、優しく濡れた空気も、とても趣がある。

 それに、今日はこんなにも暖かいわ」

 

 そうだろうか。

 今日は、とても寒い。

 体も、心も、震えてしまうくらいだ。

 一人では、とても耐えられない。

 でも。

 隣に代羽が座ってから。

 心の震えは、止まった気がする。

 

「衛宮先輩、何を考えているのですか」

 

 代羽の瞳が、まるで挑みかかるように俺を見つめる。

 ああ、綺麗な目だな。

 何となく、そんなことを思った。

 

「んー、今度提出する進路希望調査に何を書くか、かな」

 

 本音と冗談を織り交ぜた答えを返す。

 

「先輩は、何かなりたいものがあるのですか?」

 

 意外な反応。

 常の彼女なら、『まだはっきりとした将来像も描けていないのですか、この甲斐性なし』

くらいは言い放ちそうなものだが、今日は違った。

 どうやら、優しい夜は、人をも優しくするらしい。

 

「笑わないって約束するか?」

「無責任な約束はしない主義です」

 

 にこやかに微笑みながらも、やはり代羽は代羽だ。

 俺は苦笑して、笑われる覚悟を決めてからこう言った。

 

「正義の味方にね、俺はなりたいんだ」 

 

 さあ、きっと彼女は盛大に笑うぞ。それとも哀れむような、蔑むような視線を向けてくれるのか。

 しかし、彼女は、相変わらず優しい、でも少し寂しそうな微笑を浮べてこう言った。

 

「何でですか?」

 

 たった数文字の、単純な問い。

 しかし、それゆえに俺は逃げることができなかった。

 おそらく、優しい夜が、それを許さなかったんだと思う。

 

「親父とね、約束したんだ」

「親父はね、笑いながら死んだんだ。『ああ、安心した』。そう言って死んでいったよ」

「親父は言ってた。『大人になると正義の味方を名乗るのが難しい』、って」

「あのとき、親父が何を言いたかったのか分からなかった」

「でも、今はよくわかる。本当、嫌になるくらい」

「子供の時は、正義の味方になることなんて難しいことじゃなかった」

「クラスで苛められてる奴を助ければ、公園を独り占めするガキ大将を見知らぬ女の子と一緒にやっつければ、それだけで正義の味方になれた」

「でも、今は駄目だ」

「正義の味方の敵にも、そいつなりの正義が在ることを知ってしまった」

「本当に悪い奴なんて、どこにもいないことを知ってしまった」

「昔読んだ小説の一説が思い出せる。『この世に絶対善と絶対悪があれば、人はなんと単純に生きられるだろう』、こんな言葉だった」

「それでも、俺は正義の味方になりたいんだ」

「泣いてる人がいなくなるのは、みんなが笑っているのは、きっと素晴らしいことだから」

「それに、親父と約束したんだ」

「俺は親父の実の子供じゃない。でも、俺は親父に命を救われた。親父は、俺の理想だった」

「最後に、最後の瞬間に、俺が親父の理想を継ぐって言ったら、親父は言ったよ。『ああ、安心した』って」

「だから、俺は正義の味方にならなきゃいけないんだ」

 

 静寂が空間を満たす。

 いつの間にか、霧雨も止んだらしい。

 いつ以来だろうか、他人にここまで自分の心情を吐露するのは。

 俺は羞恥した。

 もちろん、話した内容についてではない。

 自分の心に圧し掛かった重石を、他人に預けようとしてしまった、自分の弱さを恥じたのだ。

 それでも、代羽はこう言った。

 

「あなたはどうして正義の味方になりたいのですか?」

 

 そんな彼女の言葉に俺は軽い困惑を覚えた。

 

「さっき話した内容がその答えだよ」

「ええ、そんなことは承知しています。

 しかし、さっきの話は『正義の味方を目指したきっかけ』であって、今あなたが正義の味方を目指す動機ではないでしょう」

「同じことだ。きっかけがそのまま目指す動機になっただけだ」

「では質問を変えましょう。

 単純に人助けがしたいなら、何も正義の味方などである必要はありません。医師でも、警察官でも、消防士でも、立派に人助けができる。

 なのに、何故正義の味方でないといけないのですか」

「――」

「こう言い換えることができるかもしれない。

 あなたは人を助けるために正義の味方になりたいのですか?

 それとも、正義の味方になるために人を助けたいのですか?」

 

 何も、言えなかった。

 その質問は、俺を殺す。

 駄目だ、これ以上言うな。

 頼むから、許してくれ。

 

「人を助けるために正義の味方になりたいのなら、その意志はどこまでも尊い。

 しかし、正義の味方になりたいがために人を助けるというのならば、その行為はどこまでも醜悪です」

「……自己満足だからいけないってことか?」

「それは違います。自己満足でも、誰かが救われるなら、その行為自体の価値は変わりようがない。さらに言うなら、自己満足以外の満足など、そもそもこの世に存在し得ないでしょう」

「じゃあ、一体何がいけないんだ」

「単純な話です。

 正義の味方になるために弱者を助けるというのは、詰まるところ、弱者の存在を希求することにほかなりません。それは同時に、他者の平穏を乱す何かの到来を待ちわびることであり、結局は他者の不幸を待ち望むことと同義です」

 

 俺は――。

 

「先ほどのあなたの話には、その中心に[正義の味方]という概念がありました。目指す動機はその概念へ到達するための舗装路のようにしか聞こえなかった。

 果たして、あなたは何を目指しているのですか」

 

『喜べ、少年、君の願いは――』

 

 

「―――輩」

 

 遠くで、何かが聞こえる。

 

「―――先輩」

 

 ああ、もう少し放っておいてくれないか。

 

「しっかり―――」

 

 この空間は心地良い。

 

「仕方な―――」

 

 こんなに穏やかなのは、久しぶりなんだ。

 

 

 ぱあぁん。

 

 

 気持ちの覚めるような破裂音。

 それと同時に頬に微かな痛み。

 目の前にいるのは、憮然とした表情の代羽。

 ああ、なんだ、帰って来てしまったんだ。

 

「はっきりしましたか、衛宮先輩」

 

 優しく微笑む代羽。

 その表情は、いつものそれだ。

 

「あ、ああ。すまない、ぼおっとしてた」

 

 誤魔化しにもなっていない、そんな言い訳。

 

「いえ、謝るのは私のほうです。調子に乗りすぎました。申し訳ありません」

 

 そう言って彼女は頭を下げた。

 それなりに付き合いは長い方だが、こんなに殊勝な代羽は初めてだ。

 俺は少し調子に乗って、彼女に質問してみる。

 

「そういう代羽の夢は何なんだ?」

 

 彼女は呆気にとられたような表情をしたあと、少し俯きながらこう言った。

 

「笑わないって約束してくれますか?」

「無責任な約束はしたくないんだ」

 

 そう言うと、彼女は赤く頬を染めて不機嫌な顔をしたが、それでもこう答えてくれた。

 

「私の夢は、愛しい人と、手を繋いで歩くことです。

 皆に祝福され、高らかになる鐘の音の下、指輪を交換する。互いを慈しみ、支えあい、子を成し、育て、そして緩やかに、共に老いていく。それが私の夢」

 

 意外だった。

 彼女の夢は、もっと想像を絶するようなものではないかと思っていたのだ。

 なんだ、代羽も女の子なんだな、そんなことを思った。

 だから、俺はこんなことを言ってしまった。

 

「ああ、きっと代羽なら、叶えることができるよ」

 

 そういうと、彼女は烟るような笑みを浮べてこう言った。

 

「ええ、お世辞でもありがとうございます。ほんとうに、うれしい」

 

 ――だから。

 ――その笑みを見てしまったから。

 ――俺は一生後悔することになってしまった。

 ――だって、彼女は知っていたんだ。

 ――自分の夢は、絶対に叶うはずがないことを。

 

「そろそろ部屋に戻ったほうがいい。なんだかんだ言っても病み上がりなんだから、無理をするとぶり返すぞ」

 

 俺がそう言うと、代羽はすくっと立ち上がった。

 

「ええ、これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきませんものね。今宵はこれでお暇することにしましょう」

 

 解けきる寸前の氷のような薄い笑みを残して、代羽はそう言った。

 

「ちょっと待て、だから今のお前は――」

「一人で出歩くのは危険だ、そう言いたいのでしょう?」

 

 くるり、と体を一回転させて、楽しそうに彼女は笑う。

 

「なら、あなたが家まで送ってくださいな。これが私にできる最大限の譲歩で、あなたにできる最大限の譲歩です。そうでしょう?」

 

 

 雨によって洗われた、清廉な空気。

 閑静な夜にそれが加わって、大気はたいそう肌に優しい。

 僅かに湿ったアスファルトからは、不思議な郷愁を感じさせる独特の匂いを感じる。

 頼りない街灯の光と、雲間から時折のぞく月明かり。

 まだそれほど遅い時間ではないが、人の気配は途絶えている。

 無人の町は、どこか幻想的だった。

 俺の前を歩いている少女はセイバー。後輩を家まで送っていくくらい俺一人で十分、そう説得したが、彼女は頑としてそれを受け入れなかった。

 俺の隣を歩いている少女は代羽。彼女の服装は、相変わらずの真っ赤なハイネックと黒いミニスカート。凛から借りたそれらの上に、ぶかぶかのダークグリーンのコートを羽織っている。彼女にとって丈が長すぎるそれの裾は、ピンで止めているにもかかわらず地面とすれすれのところまで伸びている。

 

「悪いな、そんなものしかなくて」

 

 親父の遺品――というのも大袈裟な言い方だが――であるそれは長い間箪笥の奥に眠っていたので、防虫剤の匂いが完璧に染み付いてしまっている。その匂いに生前切嗣が好んでいた煙草の香りが混ざって、よくわからない不可思議な匂いを放つ物体と化してしまっているのだ。

 

「外套の本来の役割は冬の寒さを遮断すること。それ以上は望みません」

 

 何事にも簡素さを最重要視する彼女らしい意見だ。

 考えてみれば、代羽がアクセサリの類を身につけているところなんて見たこともないし、それ以外の小物、例えばハンカチや靴下、なんかもほとんど同じものしか持っていないらしい。

 以前、桜がそのことを注意したことがあった。桜自身、普段はアクセサリなんかはあまり好まないようだが、それでも代羽の無頓着ぶりには考えるところがあったのだろう。

 女の子なんだからおしゃれに気を使うのは義務である、そう主張する桜に、代羽はこともなげにこう答えたという。

 

「装飾品を付けたところで私の本質に変化があるわけではない。ならばそんなもの、選ぶのにかける時間が惜しい。ハンカチも同じこと。

 靴下は特に一種類がいい。全て同じものなら、片方なくしたときに替えがきくから」

 

 それを聞いた桜は流石に絶句したというが、俺は爆笑してしまった。

 なんというか、あまりに代羽に相応しい、そう思えたのだ。

 

「しかし、この外套、あなたのものにしてはサイズが大きすぎますね。一体誰のものなのですか?」

 

 代羽の質問に意識を引き戻される。

 ちらり、と彼女のほうを見ると、袖が長すぎるのか、手の先まですっぽりとコートで隠れてしまっている。まるで背伸びしたがる子供が父親の服を着たときみたいで、少し微笑ましい。

 

「ああ、それは親父が着ていたものなんだ。サイズが合わないから箪笥の奥に眠ってたんだけどな。やっぱり代羽には大きすぎるだろ、俺のと交換しよう」

「結構です。だいたい、その話は既に結論が出ているはずだ。もしあなたが父親の品を貸したくないというなら話は別ですが、そうでなければ私は満足です」

 

 彼女は相変わらず視線を前に固定させたまま、嬉しそうに笑った。

 そう、彼女は尖った台詞を吐くときは必ず優しく微笑むのだ。だから本来であれば毒に満ちた言葉も、僅かなりとも中和され、優しく耳に響く。

 彼女は続ける。

 

「そういえば、お父様というと、先ほど先輩が話してくれた……」

「あ、ああ、そうだ。よく憶えてたな」

 

 頭の中で先ほどの会話が再生される。

 考えてみれば、俺はとんでもなく恥ずかしいことをしゃべっていたのではないか。もちろん、俺が目指しているものが間違っているとは思わないし、それが恥ずかしいものだなんて微塵も思わない。しかし、そういったことは本来胸の奥に秘めておくものであって、あのように痛みと共に吐き出すものではないはずだ。

 羞恥に頬が熱くなる。しかし、代羽はそんな俺に気付かぬ素振りでこう言った。

 

「……先輩、先輩はその方に引き取られて幸せでしたか」

 

 ――その、質問は。

 

「代、羽、お前、何を……」

 

 黒い神父。それとの問答が思い出される。

 

「すみません、妙なことを聞きました。忘れてください」

 

 いつの間にか俺達は彼女の家の前まで来ていた。

 

「ありがとうございました、先輩、セイバーさん。

 本当は少し心細かったので、とても嬉しかった。このお返しは近いうちに必ず」

「そんなのいらないよ、じゃあまた明日、学校で」

「ええ、おやすみなさい」

 

 そう言って彼女は門の中に姿を消した。

 彼女の背中が屋敷の中に消えていくのを見届けてから、俺はセイバーに声をかけた。

 

「帰ろうか」

「ええ、そうしましょう」

 

 闇夜の中でなお輝く微笑みを浮かべた彼女が応じる。

 その時、屋敷の明かりがひとつ灯った。

 今までの明かりと合わせて二つ。

 ああ、慎二と代羽はこんなに大きい屋敷でたった二人なんだな。

 そう思うと、自分がいかに恵まれすぎているのかがよく分かる。

 何かを振り払うかのように踵を返す。

 

「行こう」

 

 夜のしじまには、いかなる音も響かなかった。

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