FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
彼にとっての戦いとは、作業に分類される。
それは、例えば闇夜から獲物を仕留めるのと同じこと。
故に、最も尊ばれるべきは、効率。
如何に労力を削り、如何に危険を避け、その上で確実に仕留める事が出来るか否か。
彼にとっての戦いとは、そういうもの。
天秤の上で、金貨と胡椒を量り売るのと変わらない。神経をすり減らすものの、心昂ぶる何かは存在しない。
彼は、そのためなら如何なる手段も辞さない。
彼は、そのためなら如何なる手段も辞さなかった。
人質をとる、脅迫する、罠を仕掛ける、甘言を弄する。
全てが彼にとっての常套手段であり、同時に誇りであった。
狩人が、己の作り上げた罠の精巧さを誇るかのように。
罠に捕らわれた野兎は、狩人を罵るだろう。
俺の足に敵わない奴が、卑怯にも罠を仕掛けて俺を捕まえやがったと。
この、卑劣漢め、と。
しかし、その罵声こそが、狩人たるものの誇りなのだ。
だから、彼は恥じない。
決して背中を丸めない。
であればこそ、彼にとって英雄譚にあるような戦いは、正に唾棄すべきものであった。
豪傑同士、名乗りを上げての真っ向勝負。
鎬を削る戦い、そして決着、己を追いつめた敵への哀悼。
彼は、それを鼻で嗤った。
それは偽善ですら、自己満足ですらないと。
それは、只の喜劇であると。
嗤わねば、ならなかった。
そうしなければ、己が己で無くなる。
理想を思い出せば、今の醜さが浮き彫りとなる。
ならば、思い出さなければ良い。
全てを忘れた振りをすれば良い。
それが彼の選択肢で、それは一切の間違いを持たないものだった。
それでも、彼とて人である。
追いつめられて、正面より戦わなければならない機会も、数少ないとはいえあった。
その時の彼の戦い方も、決まり切っている。
まず、獲物との距離は、常に四間。
敵の刃の届かぬ間合、それを絶対とする。
敵が前に出れば、その分だけ引き。
敵が逃げれば、その分だけ追う。
その間合を維持し、短剣を投げる。
一撃で獲物の運動性を測り。
二撃で獲物の行動法則を測る。
三撃で獲物の焦慮を誘い。
四撃で獲物の体力を削り取る。
獲物の苦痛など、意に介さない。
獲物の誇りなど、埃に塗れればいいでしょう。
そして、無表情に、淡々と。
一切、感情の機微を見せることなく。
最後に、その心臓を。
当然、一切の感情の機微を見せること、なく。
ならば、それは闘争とは言うまい。
勇者はもちろん、彼自身も。
それは、狩りだ。
ならば、彼は狩人だ。
しかし、その事実の何処に卑俗の要素があるか。
戦士に戦士の誇りがあるように、狩人には狩人の誇りがある。
彼は、それを誇ってきた。
それなのに。
今の彼は、その手に短剣を握り締めたまま。
尊敬すべき戦士に、挑むのだ。
まるで、御伽噺の勇者のように、愚かしく。
彼は、何よりもそのことを忌避していたはずの彼は。
何故、心地よいと。
そう、感じたのだろうか。
episode90 午後八時
まず、最初に目を疑った。
暗殺者が、正面から勝負を挑む。
その、明らかに投擲にしか適さない、貧弱な短剣で。
次に、この腕に伝わる衝撃を、疑った。
その速さ、その膂力。
まるで、かの槍兵に匹敵する―――。
「があ!」
骨の髄まで痺れさす、桁違いの腕力。
全身の骨格が、軋みながら悲鳴をあげる。
アサシン。
枯れ枝のような四肢
そのどこから、これほどの剛剣を。
駄目だ。
正面から受け止めては、何撃も保たない。
剣より先に、体が折れ砕ける。
ならば、力を逸らし、受け流す。
しかし―――。
「甘い!」
その、速度。
上から。
横合いから。
巻き込むように、弾き飛ばすように、滑り込むように。
まるで竜巻のような剣戟が、俺の意図を挫く。
策や技術は、人が人を相手取るに培った技術。
ならば、敵が人でなければ?
人智を超越した、英雄であるならば?
その、全てを断ち切る剣線を。
双剣よりも手数で勝る、その連戟を。
捌けというのか?
捌けると?
「ぐっ、ずうぅ!」
「その程度か!」
振りかぶった、大上段からの一撃。
剣を交差させて受ける。
そうでないと、押し切られる。
受けた剣ごと、真っ二つだ。
だから、両手で。
でも。
ずしん、と。
足が、柔い地面に沈み込む。
腕の筋繊維が、ぶちぶちと悲鳴をあげる。
思わず、剣を落とした。
痺れて、掌が言うことを聞かない。
「しいっ!」
突き。
眉間。
真っ直ぐ。
受けることはできない。
後ろに、飛びのく。
それでも、伸びる。
伸びる。
まだか。
まだ、伸びるか。
驚くほどの間合。
俺の両手を継ぎ合わせたほどの間合。
背中を、これでもかと反らせる。
それでも。
それでも、伸び来る、刃。
ちくりと。
切っ先が皮膚を貫き、肉をこそぎ、骨を削ったところで。
ようやく、剣は、その侵略を止めた。
「はあっ、はあっ、はあっ!」
つうと、生暖かい液体が、鼻の横を通って落ちる。
ぽたりと、それが地面に落ちた感触。
それすらも、遠い。
たった数回の打ち合い。
それで、もうこれだけ息が上がってしまっている。
これが、英雄と人の差か。
これほどか。
「…失望だ。この程度か、衛宮士郎」
呪文を、紡ぐ。
この敵と戦うに、長大な剣では瞬殺される。
せめて、亀のように遅い剣速を補うため、手数がなければ。
故に、双剣。
しかし、これで勝てるのか?
本当に?
「君は、マキリ代羽を。彼女を、守るのではなかったか」
「守る。絶対に、守ってみせる」
「ならば、口だけだ」
消えた。
その白い仮面が、ことりと落ちる。
その白さに、心を奪われた。
その瞬間に、仮面の持ち主は姿を消していた。
音が、無い。
無限の闇が、彼の姿を覆い隠す。
どこだ。
どこにいる。
視線を、感じる。
あらゆる闇から、視線を感じる。
動機が、早くなる。
先程の溢れ出す様な殺気は、今は無い。
ただ、巻きつく糸のような。
それこそ細い蜘蛛糸のような、絡みつく殺気。
全方向から監視されているような、重圧。
動悸が。
息が、荒い。
視線が定まらない。
狩場だ。
ここは、領分だ。
闇夜に紛れ、獲物を暗がりに引きずり込む。
人外の存在、ここはその狩場だ。
足が、がくがくと震える。
咽喉が、渇いて張り付くように。
吐息から漏れ出す水分すら、恋しい。
「叫び声を上げないだけでも大したものだが、既に五回は殺している」
あらゆる闇から、一斉に話し掛けられる。
どこにも反響する要素は、ないのに。
それは、幻聴か?
それとも、技術?
後者であろう。
それが、彼の培った技術なのだ。
暗殺者の英霊。
決して、格下ではない。
英雄、豪傑、希代の魔術師。
それらと比べても、何ら遜色ない。
これが、英霊。
一瞬でも勝ちうると思った自分に、腹が立つ。
強い。
アサシンは、強い。
でも。
「諦めろ。君では、私には勝ち得ない」
「…それが、あんたか」
「…どういう、意味だ」
だからこそ。
だからこそ、分かる。
こいつは、誇り高い。
それこそ、セイバーやランサーに劣らずに。
「何で、守らなかった。何であんたは、今、ここにいる?」
「…意味が分からぬ」
だから、悔しい。
こいつは、悔しいんだ。
悔しくて悔しくて、堪らないんだ。
自分の無力さが、悔しくて堪らない。
「代羽を放っておいて、何でここにいるんだ、アサシン」
「…彼女が望んだ。そして、彼女は私よりも強い。ならば、私は不要だろう」
そう。
自分より、強い。
愛する人が、自分より強いから。
守れない。
守りたいのに。
自分の手から、離れてしまう。
きっと、この人は。
そのことが。
この上なく。
「あんたは、守りたいんじゃあないのか、アサシン!」
誰よりも。
この場にいる、誰よりも。
代羽を。
貴方は。
愛しているんじゃあ、ないのか。
どうなんだ、アサシン。
「答えろ、てめえ!」
「…君の、言うとおりだな」
ふわりと。
突然、夜空から舞い降りたように。
黒い、烏のような。
その、顔は。
人ではなくなった、その顔は。
白い仮面を拾い上げ。
誰でもない誰かと、なった。
「全く、今宵はどうかしている。月は人を狂わすというが…。あれは、火酒よりも強烈なのだな」
「…弱くても。たとえ、迷惑でも。邪魔になっても、除け者にされても!守りたいなら!あんたが、守りたいなら!」
体を、熱情が焦がしていく。
溢れ出すのは、涙ではなく意思の奔流。
挫けそうだった背骨に、煮え滾った芯鉄が差し込まれる。
それは、俺の中に宿った誰かのものじゃあない。
俺自身の熱。
俺自身の痛み。
俺自身の、覚悟だ。
これは?
初めて味わう感触。
なんだろう。
なんだろう。
力が溢れる。
あの時。
城で、理解した。
己が何者で、何となるべきなのかを理解した、あの瞬間。
あれよりも、強い。
もっと熱く、迸るような感覚。
何だ、これは。
「私の知らぬ感情だ。だからこそ、君と戦いたかった。そうすれば、分かるかと思ったのだ」
「…行くぞ!」
駆ける。
地面が、爆ぜる。
疾い。
俺は、疾い。
この感覚。
ずれがない。
いや、ずれはあるのか。
しかし、そのずれを理解したところで体が動く。
膨れ上がった感覚だ。
自分が、膨れ上がった。
自分が、自分の中にあった誰かの経験を飲み込んだ感覚。
それが、こんなにも、心地いい。
自分の手綱を、自分が握っている。
その確信。
己が主人は、己のみ。
ならば、闘える。
まだ、強くなれるだろう。
俺は、俺だ。
衛宮士郎だ。
「しいぃ!」
「ぐぅっ!」
ガチンと、金属が金属を砕く音。
動く。
体が、動く。
思い通り、自由自在に。
こんなにも、動く。
それは、こんなにも。
これが、俺か。
なるほど。
まだ、捨てたものじゃあ、ない。
「先程よりは。だが…!」
反撃の一撃。
只の一撃で、剣を落としそうになる。
受けてなお骨ごとへし折れるような。
これが、英雄。
これでこそ、英雄。
強い。
知っていた。
もちろん、これで勝てる筈がない。
やっぱり、腕力は桁違い。
体裁きは、比べるまでもなく。
経験、鋭さ、戦術戦略。
そのいずれもで負けている。
ならば、何で勝つ?
分からない。
それでも。
それでも!
「うおおおぉぉぉ!」
もう、無茶苦茶だ。
ただ、振り回すような攻撃。
ほとんど、駄々っ子のそれと変わらない。
もう、剣術ではない。
体術でもない。
魔術でもなく、技術ですらないもの。
術は、いらない。
その先。
その奥。
そこにあるもの。
それで、切りかかる。
それしか、無いから。
その事を、知っているから。
「…ぐ、ぬう…!」
「はああぁぁ!」
上段、打ち下ろし。
受けられた。
中段、横薙ぎ。
避けるように、一歩後退。
ならば、一歩詰めて。
体重を乗せて、突き。
頭を振って、かわされる。
そして。
来た。
不用意な、一撃。
苦し紛れの、袈裟斬り。
それを、巻き込むように。
これで。
ここで決める。
なのに。
あれ。
なんだ、これ。
長い。
包帯みたいな。
それが、ひらひらと。
あれ。
アサシン、それ、何だ。
その、細長いの。
先が、五つに分かれていて。
ああ、それ。
腕、か。
「妄想心音」
「………………!?」
なんだろう。
「………!…………………て!」
小鳥が、ちゅんちゅん囀っている。
「……!さ…ら………と、水!」
ああ、何て、耳に心地いい。
「……サシン!あんた、……に宝具かますな……、何…えてんの!」
聞き覚えがある。
これは、俺の一番大切な人。
一番大好きな人。
一番可愛らしい人の。
声じゃあ、ないか。
「士郎、大丈夫!?私の声、聞こえる!?」
ああ、聞こえるよ。
だからさ。
そんなに、泣かないでくれ。
「心配は要らぬ。少し、心臓の拍動を止めただけ。すぐに再動させたゆえ、頚動脈を締められて意識を失ったのと何ら変わるところはない」
「だからってねえ、あんた…!」
「…り、ん。やめて、げほ、やめてくれ…」
少し、重たい意識。
少し、重たい身体。
でも、動く。
さっきと一緒だ。
これは、俺の身体だ。
「…俺、負けたのか…」
「決め事ならばな。しかし、卿は私に宝具を使わした」
だからお前の勝ちだ、と。
髑髏は、そう言わなかった。
そうすれば、俺は彼女を助けに行くだろうから。
どこまでも高い誇りを捻じ曲げてまで、その言葉を飲み込んだ。
「…冗談言わないでくれ。あんた、手加減してただろう」
「…それは、戦術のことか?」
「それも含めたところで、全部。あんたが本気出したら、今頃細切れだ」
宝具を使ったのだって、きっと。
俺に対する礼儀と。
もう、時間が無かったから。
「…戦いは、終ったようだ。ならば、行かねばな」
アサシンは、遠くを見遣った。
そこは、北の方角に聳える名も知らぬ山の麓。
もう、そこから一切の魔力は感じない。
ただ、寒気のするような沈黙があるだけだ。
「…アサシン。先程の、恐るべき魔力の爆発。覚えがあります。あれは、おそらく英雄王の宝具。ならば、代羽は…」
敗れたのだ、と。
ならば、共に行こうと。
セイバーは、それ以上言おうとしなかった。
それが彼女の気高さであり優しさなのだと思った。
そう思ったのは、アサシンも一緒だったのだろうか。
白い仮面の下で、彼は微笑った。
「…先程のは、主の我侭。そして、此度は私の我侭だ。愚かな主従と罵ってくれればよい」
彼は、背を向けた。
その眼前に広がるのは、おそらく無限の闇だろう。
それでも、彼は立っていた。
まるで、その闇そのものに挑みかかるが如く。
「…衛宮士郎。先程の勝負、私の勝ちだ」
起き上がる。
流石に、ふらつく。
それでも、構わない。
だって、倒れそうな俺の体は。
彼女に支えられる、それは決まっているから。
「士郎!」
ほらな。
だって、こいつは、誰よりも厳しくて。
でも、他の誰よりも、優しいんだ。
俺の自慢の、彼女なんだから。
「ああ、あんたの勝ちだ」
「…卿は、良き伴侶を得たな」
さらりとした、その一言。
羞恥は、感じなかった。
ただ、胸が誇りと暖かさで一杯になった。
だから、俺も言えたんだ。
愛する人の肩を、抱き寄せながら。
「自慢の人だ。羨ましいだろう?」
「はははっ!いや、全く!」
そして、彼は振り返った。
もう、その仮面の白さですら、溶けるような距離。
ぼんやりと、幽鬼の様な雰囲気で。
音が、鼓膜を震わせる。
俺は、理解した。
これが、彼が残す最後の一言だと。
「…もし。もし、主が敗れれば、私はやつらに挑むこととなる。それが主の意向に背くものだったとしても」
俺は、頷く。
託されたのだと知る。
彼の誇りを、彼の意思を。
その、何と熱く、何と重たいこと。
「万が一、時計の短針が下り始めても私が戻らなかったとき。その時は、彼女を助けてやって欲しい」
血を吐き出すような言葉だった。
それが、代羽の意志を尊重した上での、精一杯の懇願だったのだろう。
もう、自分はこの世にいないのに。
もう、彼女のことは、忘れているはずなのに。
それでも助けて欲しいと願う。
暗殺者の言葉ではない。
暗殺者となる前の、もう誰もその名前を知らない、誰かの言葉だった。
「恥知らずと承知で、託す。衛宮士郎よ。どうか、どうか彼女を頼む」
「任せてほしい。俺の兄さんだ。俺が助ける。…それにしても、あんた」
これは、いつか神父に言った台詞。
でも、同じ感想を抱いたなら、同じ言葉を吐いてもいいだろう。
だから、言うんだ。
「あんたも、笑うんだな」
暗殺者は、苦笑した。
「笑わぬよ。山の翁は笑わぬ。それでも、今宵は月が美しい。月に酔ったのだろう」
彼は、月を見上げた。
そうして、俺も。
ああ、月はいい。
美しいし、飽きさせない
何より、罪を押しつけても文句の一つも言わない。
全く、神様みたいだ。
「では、世話になった。短い時間だったが、楽しかった。彼女の分まで、礼を言わせて欲しい」
そう言って、白い髑髏は闇に消えた。
もう、如何なる余韻も残さない、彼らしい消え方だった。
彼は勝つだろうか。
いや、そんなこと考える必要はない。
考えなければならないのは、彼が負けたときのこと。
その時。
その時は。
あと、四時間。
誰も、何も話さない。
誰しもが、無言の覚悟の中に、いた。