FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
月の光が、格子窓を通して、石の床を照らしている。
やはり、今夜は明るい。一切の照明器具の無いこの土蔵も、それなりに見渡すことができる。
ひんやりとした室温。
産毛が立ち上がるような感触があるが、それでも凍えるほどではない。
馬鹿みたいに逸る心臓には、返って有難いくらいだ。
「おい、本当にやるつもりか」
振り返る必要など、ない。
だって、そこに何があるのか、私は知っているから。
青い髪の毛。
赤い瞳。
悪童みたいな表情と、噛み付くような笑み。
それでも今は、どこか面倒臭そうにしているはず。
ランサー。
私がキャスターを裏切って、無恥にも契約を結んだサーヴァント。
誰よりも勇猛で、誰よりも不器用で、そして暖かい。
本当に、私などには釣り合わない僕であることだ。
「くどいですよ、ランサー。主が決めたことです。従ってください」
がりがりという音は、彼が頭を掻き毟っているから。
分かっている。
私が今からする儀式は、無茶もいいところ。
あの姉さんですら、年単位の時間をかけて行った苦行。
それを、一晩、いや、それに満たない時間でやり遂げようというのだから。
しかも、最後の戦いを目の前にして。
ならば、愚行を通り越して自殺行為だろう。
分かっている。
少なくとも、分かっているつもりだ。
でも、確信がある。
今、私が為すべきこと。
この、降って湧いたような四時間に、私が為すべきこと。
それは、この一事のみであると。
「…俺は、魔術にはそれほど造詣は深くない」
「それは謙遜ですか?影の国でルーンを収めた、かのクー・フーリンの言葉とも思えません」
「茶々を入れるなよ。それでも、俺の本業はこいつだ。だから、ルーン魔術以外の知識は、それほど深くない」
彼の手には、真紅の魔槍。
ゲイ・ボルク。
影の国の女王、スカハサから授かったとされる、彼の愛槍。
御伽噺の騎士と、その武装。
それを見ると、自分がどのような慮外の宴に参加しているのか、少しだけ実感できた。
「俺は、見知らぬ他人が首を吊るのを止めるほど御人好しじゃあない。そいつにはそいつの事情があるだろうしな。死にたい奴は、死なせてやればいいんだ。だが、いい女がそれをするなら別だ。縄をぶった切って、引っ叩いてでも止めてみせる」
それは、あの時のように。
キャスターを失って、錯乱した私を。
殴りつけて、蹴り飛ばして。
そして、抱き支えてくれた。
あの時のように。
知っています。
だから、貴方に頼むのです。
先輩は、優し過ぎるでしょう。
姉さんは、優し過ぎるでしょう。
ですから、貴方なのです。
優しくて厳しい、貴方しか、いないのです。
「ランサー」
胸いっぱいに、空気を吸い込む。
まるで、この場にいない誰かから、力を借りるかのように。
「お願いします」
振り返る。
そこには、目を丸くした、槍の騎士が。
私は笑ってやった。
まるで、ほんの少しの恐れも無い、そういうふうに。
本当は、怖いけど。
今にも投げ出したいくらいに、怖いけど。
でも、それを見せたら、この人が怖がるでしょう。
きっと、誰よりも臆病な人だから。
誰よりも、失うということを理解している人だから。
だから、もし、これでも彼が制止をすれば。
私は。
「…わかったよ。しゃあねえな」
やはり、彼は、照れたように。
頭を、がしがしと掻き毟って。
それでも、悪童みたいに、笑ってくれたのだ。
「本当、俺は女運が無い。今回は、ちったあお淑やかなマスターに出会えたと思ったんだがな」
「ふふ、私のような女は、お気に召しませんでしたか?」
「いいや、大好物だ」
破顔した、ハシバミの少年は。
しかし、一転して真剣な表情で。
「だがな、やるからには失敗は無しだ。お前が死ねば、俺は都合二人のマスターを見殺しにしたことになる。であれば、次のマスターなんて、探すつもりは更々無い」
下手な慰めは、侮辱だろう。
だから、頷いた。
彼の覚悟に応えることができるように。
精一杯の、虚勢を張って。
「お前が死ねば、俺も消え去る。仮初とはいえ、他人の命を、お前は背負うことになる。それでもやるんだな?」
それは、疑問でも制止でもなく、確認。
ただ、私の意志を。
果たして、死地に飛び込んで生還できる器なのかを。
ならば、言葉はいらない。
動作もいらない。
ただ、視線を。
彼の覚悟に負けない、覚悟を。
「…わかった。張子の虎も、そこまでいけば虎に勝るだろうさ。ただな、条件がある」
「…何でしょう?」
彼は、一歩、歩を進めた。
それだけで、空気が変わる。
まるで、獅子の檻に放り込まれたような、威圧感。
全く、薄汚れた蟲なんかとは、格が違う。
「やるからには成功だ。それ以外の結果は、認めない」
「…私も、同意します」
「じゃあ、そのためにあらゆる犠牲を払う覚悟は出来てるんだな」
彼は、更に一歩、歩を進める。
彼我の距離は、ゼロ。
吐息が交わるような間近に、彼の瞳が。
美しい、紅玉を溶かしたような紅。
血に餓えた獣よりも獰猛で。
子を守る母よりも、優しげな。
「桜。俺は、今からお前を抱く」
それは、分かっていた。
知っていた。
きっと、貴方がそう言う事を。
だから、そんなに辛そうにしないで。
私は、大丈夫だから。
「俺の魔力の一部をあんたに回す。だがお前さん、正規のマスターじゃあないからか、パスの通りがいまいち悪い。なら、体液交換の形をとるのが一番手っ取り早いだろう」
「…ええ。むしろ、こちらからお願いしたいくらいです」
「…無理をするな。そんなに震えてるじゃねえか」
手を、握られる。
あっ、と、間の抜けた声が漏れる。
「初めてなんだろう、男に抱かれるのは」
「…処女じゃあ、ありませんけどね」
精一杯の笑顔を作る。
きっと、何処までも引き攣った、見苦しい顔だけど。
それでも、貴方があんまり辛そうだから。
「…謝ったら、殺しますよ」
「はっ、小娘が。俺を誰だと思ってやがる。お前みたいな生娘、腐るほどに食い漁ってきたさ」
生娘と。
私を、生娘と呼びますか。
ああ、そういえば、クランの猛犬は、底なしだった。
そんな、彼にしたら不本意かもしれない逸話を思い出す。
いや、もしかしたら、どんな武勇伝よりも、そのことを誇るかもしれないけど。
くすりと、笑いが漏れた。
それを、彼がどう受け取ったのか。
ふわりと、抱き抱えられる。
まるで、童話のお姫様が、そうされるかのように。
彼の、匂いに包まれる。
それは、先輩とは違うけど。
でも、安心する、心地よい香り。
そして、柔らかい何かの上に下ろされる。
肌触りのいい、毛布。
先輩が、土蔵で寝入るときにいつも使っていた、毛布。
先輩の、匂い。
それに包まれて、私は女になるのだろう。
一瞬遅れて、彼がそのことに気付く。
明らかに、しまったという顔。
その顔が可愛らしくて。
私は、彼の唇を奪ったのだ。
「…すぐに、済ませる。嫌なら目を閉じていてくれ」
「ふふ、じゃあ目を開けていますね」
唇が震えて、上手く言えたか自身が無い。
それでも。
彼は、笑ってくれた。
彼は、謝らなかった。
それだけで、彼には騎士の資格がある。
そんな、偉そうなことを、考えた。
「…目をつぶっていてくれたほうが、楽なんだがなあ」
「あら、クランの猛犬が、挑まれた勝負を逃げ出すのですか?」
再び、唇と唇が触れ合う。
最初は、小鳥が啄ばむような。
徐々に、舌を絡ませ、蛇と蛇が絡み合うような。
「あ―――はぁ…」
とろんと、男の情欲を煽る声。
そんな声が、漏れ出した。
自分が、信じられない。
ぷつり、ぷつりと、ブラウスのボタンが外されていく。
寒気が、直接肌に触れる。
ぴりりと、乳首が立ち上がった。
その、甘い痺れに、思わず身震いする。
「威勢が良いのは口だけかい、小娘」
憎まれ口は、労りの代わり。
そんな、不器用な彼の優しさ。
「ん―――ふぅ…、言ってなさい。絶対に、泣かせてやるんだから…」
そんな、普段でも言ったことのない言葉が、飛び出す。
ああ、私も、あの人の妹なんだなあ。
そんなことを考えながら、天井を見上げる。
いつしか、私も彼も、何も身に纏っていなかった。
生まれたままの姿で、抱き合う。
逞しい、筋肉の隆起。
それが、どこまでも柔らかく、暖かい。
「桜」
「…何ですか」
彼は、私の顔だけを、正面から見つめて。
「綺麗だ」
そう、言ってくれた。
私は、後悔した。
もし、彼に抱かれるのが、今夜でなければ。
何の損得も無く、私を抱いてくれたならば。
私は、彼を好きになれたかもしれない。
初めて、先輩以外の男性を、好きになれたかもしれない。
そう、思ったから。
episode91 午後八時半
「やっぱり、ここにいたのか」
瞼を、持ち上げる。
小さな窓から差し込む、少しきつめの月明かり。
それ以外に、一切の照明はない。
だが、それで十分。
もとより、人工の灯りなどに頼らぬ生活を送ってきた身である。
月がこれほど照らし出せば、戦場とて飛ぶように駆け回れるというもの。
「何してたんだ、セイバー」
隣に、彼が腰掛けた。
それだけで、鼓動が早くなる。
認めよう。
私は、彼を好いている。
それは、理屈ではない。
最早、抑え難い本能だ。
「…精神統一を。この空間は、非常に好ましい」
「ああ、前もそんなこと言ってたな」
そう言って、彼は微笑った。
その、純粋な笑みが、私からは遠過ぎる。
もし。
もし、彼が私のマスターのままで。
もし、彼の心の中に住んだ女性が、私ならば。
私と彼が結ばれる、そういう未来もありえたのだろうか。
「シロウ」
私は、前を見つめる。
板張りの床、そして壁、天井。
その、無機質な空間が。
なぜ、これほどに、心躍るのか。
まるで、乙女のような感覚。
この人が近くにいてくれるだけで、救われる。
他に何もいらないと、そう錯覚する。
「私は、あなたに背を預けると誓った。故に、聞いて欲しい。私が、聖杯に何を求めるか」
彼は、何も言わなかった。
ただ、無言で頷いたのだろう。
その気配だけがあった。
「私は、私が王であったことを、消し去りたい。私以外の、より相応しい王を探したい。そして、故国を救う。それが、私が聖杯に託したい望みです」
彼は、やはり何も言わなかった。
それは、好ましい。
百の言葉を紡いで、一の誠意も伝えることのできない輩より、遥かに好ましい。
それでも、私は、強欲なのだろうか。
彼の言葉が欲しいと、思った。
なぜ、私の言葉に答えてくれないのかと。
それは、手酷い裏切りなのではないかと。
しかし、それが彼の優しさなのではないかと。
彼は、私を慮って、何も言わないのではないかと。
そう、何度も逡巡して。
何度も、何度も、悶々として。
一刻ほども経った頃合だろうか。
彼は、ゆっくりと腰を上げた。
そして、ゆっくりと入り口へと歩いていく。
板の間の軋む、耳障りな音。
その音を背景に。
最後に、振り返り。
「なあ、セイバー」
私は、答えない。
それは、散々私をやきもきさせた、彼への意趣返しである。
全く、これでは焼きもちを焼く乙女ではないか。
そんな自分に、苦笑してしまう。
その音が、静謐な道場に響き渡る。
ああ、何と恨めしい。
「代羽は、兄さんは、見たかったらしい。自分のいない世界を。そして、安心したかったらしいよ」
その、願いは―――。
「自分のせいで、世界がどれだけ歪んだか、自分のいない世界を観察すれば確認できる。だから、聖杯が欲しかった。やり直したいとは、考えなかったらしい」
なんと、救われない―――。
「俺から見れば、セイバー、お前の願いも一緒だよ」
―――無礼な!
一瞬で頭に血が昇る。
なんと、未熟。
そう、冷静に考える自分がいる一方、それを止められない自分も存在する。
「取り消せ、シロウ!私の願いは、そんな自己欺瞞なものではない!」
立ち上がる。
震える。
寒さではない。
怒り。
怒りで、体が震えるのだ。
空間の冷気を、丸ごと炙りつくすような怒り。
振り返った、彼の顔。
その、何かを憐れむような表情が、炎に風を送る。
「私は、私の無能によって国を滅ぼした!ならば、私以外のより良い王を選びなおすことで、国が救われる!皆が救われるのだ!それと代羽の願いの、どこに共通項があるか!」
彼は、真剣な瞳で。
「…きっと、他の誰がやっても、結果は変わらなかったはずだ。いや、他の誰よりも、セイバーが一番うまくやれたんだ。だから、剣だってお前を選んだ」
「違う!私以外の、もっと相応しい者がいたはずだ!私は、あの剣を抜くべきではなかった!」
―――だから、あの剣は、折れ砕けて。
―――今、私の手に、無いのだ。
「…それに、国は滅びるものだろう?千年続いた国だって、いずれは滅びるんだ。なら、何でその罪を、セイバー一人が背負わなくちゃあいけないんだ?」
「…確かに、そうかもしれない。生き物に死があるように、国には必ず滅びがある。それは認めましょう。…しかし!あの時代、あの瞬間に滅びなければならない道理はなかった筈だ!私は、確かに私の知る人々を不幸にした!」
そうだ。
無数の、笑顔があった。
無数の、笑い声があった。
人々の活気でさんざめく大地。
それを血と涙で汚したのは、私の責だ。
ならば、その罪は、どう償われるべきか。
決まっている。
選ぶのだ。
私以外の、より優れた王を。
そうすれば。
そうすれば、あの涙は―――。
「そうだな。確かに、セイバーの後の時代、ブリテンの人達にとっては苦難の時代が続いたそうだし」
彼は、考え込むように、手を顎に当て。
「でもな、セイバー」
優しく微笑みながら。
「その時代にも、お前の存在は、人々の支えだったんだよ」
そんなことを、口にした。
「いつか蘇る王。いつか、自分達を導いてくれる王。彼らはその言い伝えを信じて、苦難の時代を乗り越えた。お前が支えたんだ、セイバー」
違う。
「優れた王が、民衆を愛する王じゃあない。時には、優れた王ほど民衆を苦しめる。って、まあ、こんなの、釈迦に説法だよな」
違う、違う。
「お前はさ、確かにお前の時代の人達を救いきれなかったのかもしれないけど」
違う、違う、違う。
「でも、もっとたくさんの人達を救ったんだ」
それは、私の功績ではない。
「お前が胸を張らないと、皆に嘘を吐くことになるぞ」
それは、私の虚像を讃えるもの。
「今だって、信じられてるんだ。イギリスっていう名前になってるけどな。お前は、みんなに夢を与えている」
私は、何一つ救えなかった。
「そんなの、お前以外の誰にだって出来なかったことだと思うぞ」
「違う!」
認めるわけにはいかない。
そんなの、気の迷いだ。
私は、相応しくなかった。
いや、私が相応しかったとしても、より相応しい者はいたはずだ。
より、民衆を愛し。
より、部下を愛し。
より、妻を愛し。
より、子を愛し。
そして、より良く国を導く。
その者が剣を抜いていれば。
そうすれば。
そうすれば。
「じゃあ、セイバーは、国の皆が幸せになって欲しいから、聖杯が欲しいのか」
「その通りです。選定をやり直し、より良い王を選べば、国は滅びずに涙も流れず―――」
「じゃあ、そう願えばいいのに」
それ、は。
「国の皆が、幸せでありますようにって。王の選定をやり直すなんて胡乱なことしなくても、そうすれば全部解決するんじゃあないか?」
違う。偽りの王の下では、民衆に、幸せなど―――。
「代羽もさ、そうなんだ。自分の罪を観察するなんてことしなくても、俺が、皆が幸せでありますように、そう願えばいいのに、そうしないんだ。一回、聞いてみたよ。何でかって。そしたら、何て言ったと思う?」
それは、一体、何で?
「その手段を選べないのが、私の罪です、だってさ」
―――ああ。
「目的と手段が摩り替わってる。その根底にあったのが、罪悪感だった。あいつは、笑ってたよ。なんと不器用なことでしょう、そう言って笑ってた。なあ、セイバー。代羽のこと、どう思う?」
そう言い残して、彼の姿は闇に消えた。
何と、卑怯な。
言いたいことだけ言って、答えを聞かずに立ち去るとは。
全く、卑劣にも程がある。
「…見損ないました、シロウ」
でも。
それでも。
彼が、今、ここにいるとして。
私は、彼に何と反駁するのか。
そうだ、私は民衆の幸せを求めると。
それを聖杯に願うと。
ならば、王の選定をやり直す必要など、無い。
私が王のままでも、国は滅びなかったかもしれない。
だが、その事実を認めれば、私は己に問いかけることになるだろう。
何故今まで、そのように簡単な真実を見逃していたのか、いや、見ようとしなかったのか。
そうすれば、私は私の根底にある、耐え難い何かと正面から向き合わねばならない。
では、私は王の選定だけをやり直したいと。
その結果など、どうでも良いと。
それでは、罪の重圧から逃げている、臆病者ではないか。
ならば、私は何と答えたのか。
彼の問いに、何と答えることができたのか。
明確な答えは、遥か彼方に。
誰かが歯を軋らせる音が、空虚な空間を満たしていた。