FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
暖かい夜であった。
いや、暖か過ぎた。
風呂上りの涼やかな風が、辛うじて心地いいような。
布団に包れれば、寝汗で綿が重くなるような。
冬、寒さも盛りの季節とも思えない。
一度だけ吹いた生暖かい風が、じとりとした湿気を運んだ。
その大気に含まれた匂いには、捻じ曲げられた季節の苦悶がありありと。
それでも、風が吹けばまだましというもの。
粘い、空気。
半固形化した液体の中を泳ぐかのよう。
ただそこにいるだけで、たらたらと汗が流れ出る。
星が、瞬かない。
凪いでいるのだ。
既に、風が息を潜めている。
風だけではない。
町が、人が、世界が凪いでいる。
ひっそりと、葬列を見送る人垣のように。
果たして、誰を彼岸まで送り届けようというのか。
これより戦場に赴く、あどけなさの残る少年達を、だろうか。
それとも、自分達。
これは、己に向けた弔辞、それゆえの真摯さなのか。
何も分からない。
ただ、月だけが微笑っていた。
門。
風雪と酷暑に耐え、その度に重厚さを積み上げてきた、重々しい門。
若武者達の門出を飾るに、これほど相応しい背景もまたとないだろう。
堅く閉じられた、樫作りの、門。
最初に立っていたのは、家主たる少年、衛宮士郎であった。
無手である。
如何なる武器も用意していない。
身につけた衣服に申し訳程度の強化を付してはいるものの、それが命綱になるなどと戯けたことは考えていない。
何も知らぬ者が見れば、無聊を慰めるために深夜の散歩に赴く若者と、なんら変わるところは無い。
しかし、彼の手が武器を失うことは無い。
いわば、生きた武器庫である。
彼が真の意味で無手となるのは、その心臓が拍動をやめたときだけだろう。
憮然とした立ち姿。
あどけなさの残る顔立ちが、酒精に酔ったかのように紅潮している。
知っているのだ。
これが、最後の戦になることを。
既に、日付は変わっている。
彼の兄は敗れ、その従者も敗れ去った。
待ち受けるのは、最強のサーヴァントと、それを従えるに相応しい神の僕。
共に、彼如きに勝ちうる敵ではない。
それでも、彼は戦うだろう。
そも、敵の強弱など、彼にとっては瑣末ごとである。
勝ちうる、倒しうるなど、意識の埒外。
彼にとって、己の命の重量すらが末梢。
ただ、誰かの涙を止めるために。
ただ、大切な誰かを守るために。
そうして戦ってきたのだ。
そうして戦っていくのだ。
見知らぬ誰かの涙を止めるために、大切な誰かを泣かせて。
名も知らぬ誰かを助けるために、大切な誰かを切り捨てて。
それでも、彼は戦い続けるのだろう。
それでも、彼は歩き続けるのだろう。
それが、衛宮士郎に許された唯一の道なれば。
その生き方を、誰よりも彼自身が望むならば。
自己満足と疎んじられれば、その通りと笑い。
気違いと謗られれば、仰るとおりと首肯して。
誰にも認められず、誰にも愛されず。
一度の勝利も無く、敗北すらも無く。
それでも彼は、赤い世界を目指す。
それでも彼は、剣の墓場を目指す。
けれども彼は、一人ではない。
今宵、今晩、この時限り。
彼は、唯の一人では、無い。
彼の傍らに立つ、人影が一人。
長い髪の毛。
優雅な曲線を描くそれは、墨染めのように黒く。
しかし、月明かりに輝くほど艶やかで。
サファイアのような瞳。
獲物を射抜く、女豹のそれである。
身に纏うのは、朱色に染められた外套。
珠玉の礼装を詰め込んだ、彼女の戦装束。
その腕は前に組まれ。
愛しい人の温もりなど、求めない。
甘さを切り捨てた女武者の気迫が、そこにはあった。
遠坂凛。
既に、彼女は少女ではない。
既に衛宮士郎の手によって、女とされた身である。
だが、今の彼女は衛宮士郎の恋人でもなければ、やがて生まれる生命の母でもない。
戦士。
これより戦場に赴く者である。
そして、これからも戦場に赴く者である。
衛宮士郎という名の、彼女の恋人。
彼が経験するであろう戦場。
苛烈で、凄惨で、一片の救いすらも求めようが無い、そんな戦場。
彼女は、その事実を知っている。
望まなくても、何度も見せられたのだから。
彼女の従者の、夢。
衛宮士郎という存在が、いずれは辿り着く理想形。
その苦悶を、絶望を。
彼女は、嫌というほど味わった。
そして、彼女の恋人は、その苦しみを求めようとしている。
必要の無い苦痛。
本来、彼が辿り着くべきではない世界。
そこに足を踏み入れようとする、彼。
もう、止めることは叶うまい。
だからこそ、彼女は決意した。
誰にも止められないなら、せめて自分は隣にあろうと。
苦しみを取り除けないなら、せめて共にのた打ち回ろうと。
だから、一人一人。
手は、繋がない。
視線も交わさず、ただ互いに前のみを見据えて。
それこそが、この二人の在るべき形だろうと。
その完成された距離感が主張していた。
「お待たせしました」
やがて、門は開く。
そこにいたのは、騎士という存在の至高。
銀色の甲冑。
青い衣。
金砂の髪と、聖緑の瞳。
いつか蘇る王と呼ばれ、騎士王と称された者。
アーサー王。
御伽噺に謳われた、騎士の象徴。
しかし、アルトリアと呼ばれた、か弱い少女。
他者の流す涙を、誰よりも恐れた少女。
凛としたその声に、戦を控える者としての緊張は無い。
清としたその声に、己に迷う者としての戸惑いは無い。
それは、いつもの声。
そして、いつもの表情。
常の彼女の声で、常の彼女の顔
心を常に戦場に置いてきた者だけが持ちうる、静寂。
それが、死地に赴く者にはそぐわぬ淑やかな芳香を醸し出していた。
彼女を見て、先の二人は安心したような表情を浮かべる。
体を縛っていた緊張感が、僅かばかりにではあるが解れていくようであった。
それほどに、彼女の存在は大きかった。
勝利を約束された彼女。
ならば、それと共にある戦場に、何を恐れることがあろうか。
「セイバー、これ、返すよ。ありがとう」
少年は、その手に抱いた鞘を少女に手渡す。
跪きこそしなかったものの、その所作は、王に貢物を献上する忠臣のそれであった。
重々しく両手が添えられた、しかし羽よりも軽い雅やかな鞘は、本来の担い手の元に帰る。
「確かに」
王は、一切の躊躇いも無くそれを受け取った。
彼女は、幾つもの言葉を飲み込んだ。
その大半が少年を慮るものだった。
しかし、千の言葉の代わりに、彼女は少年を見遣った。
その瞳に、千を越える意志を込めて。
それだけで十分であった。
その様子を見守る少女が、少しだけ不機嫌そうであった。
そして、再び静寂が訪れる。
月が明るく、星が堕ちてきそうな夜である。
星が、黒い絨毯に宝石を散らしたようであった。
何故、満月の夜にこれほど。
少年はそれを見上げてから不思議に思い、その後で得心した。
おそらく、街が死んでいるのだ。
地上の明るさと夜空の煌びやかさが反比例するならば、これは街を覆う闇の深さの象徴に他ならない。
少年は、空から目を逸らした。
忌むべきものを見てしまった、そう思ったのかもしれなかった。
「…桜達、まだかしら」
少女が、呟く。
少年がそれに応じようとした、正にその拍子。
がらがらと、門扉が開く。
最後の戦士が、その姿を現した。
「悪い、待たせた」
まず、青の槍兵。
赤い魔槍を、その肩に担いでいる。
印象的だったのは、その真剣な表情だろうか。
戦い、それも生きるか死ぬかという、正しく彼が恋焦がれた戦い。
それを前にして彼の口の端が吊り上がっていなかったのが、如何にも不似合いに思えたのだ。
そして。
その彼を、赤枝の戦士を、まるで露払いのように従えて。
しかし父親に手を引かれる幼子のように。
しずしずと、一人の少女が歩いていた。
「さく…!」
声を詰まらせたのは、果たして鉄の少年だったのか、姉たる少女だったのか。
一人はそれでも声を上げ、もう一人は声を殺して息を呑んだ。
彼らの視線の集まる先。
まるで、そこだけが彼岸のようであった。
少女の立つ場所だけが、幽谷のようであった。
白い、辛うじて薄紅色の色素を残した長髪が、ゆらゆらと揺れる。
月明かりを跳ね返したそれは、舞い散る桜の花弁のように繊細で、それ以上に儚くて。
ぼんやりと、赤黒く濁った瞳。
白い聖杯の瞳とも、彼女の従者たる槍兵の瞳とも、そして英雄王の瞳とも違う色。
例えるならば、静脈血。
体内を巡って、様々な老廃物を取り込み、濁り切った紅色。
その視線は、ぼう、と、宙を彷徨う様に。
何より印象的だったのが、その左頬だろうか。
片方だけ結い上げられたリボン、そのちょうど真下。
まるで血で描かれたように赤々しい、文様のようなものがはっきりと刻まれているのだ。
明らかに数刻前の少女とは異なる、幽鬼のような女が、そこには立っていた。
「桜、こっちだ」
槍兵に手を引かれた少女が、ゆっくりと歩き出す。
足元はふらつき、しかし視線を地面に向けようとはしない。
然り、二、三歩歩いて、大きくバランスを崩した。
表情を変えず、声も上げずに倒れゆく少女。
それを、槍兵の腕が抱きとめる。
「大丈夫か?」
「………」
声をかけられても、その虚ろな視線が移ろうことは無い。
ただぼんやりと、中空を見つめる。
「おい、ランサー、桜は―――」
「黙れ、小僧」
槍兵は、開きかけた少年の口を、一喝をもって塞いだ。
少年の口から、主たる少女を労る言葉を、聞きたくなかったからだ。
何故なら、それは侮辱だから。
これより死地に赴く戦士にとって、その言葉は何よりの侮辱だから。
「せん、パイ…?ああ、そこに…いるのですか…?」
「…桜、お前、目が…?」
少女は、初めて微笑った。
身に纏うのは、姉と揃いの黒い外套ではない。
その瑞々しい肢体を包むのは、夜に溶け出すような黒いドレス。
彼女自身の魔力によって編まれたそれには、鮮血が伝うように赤いラインが引かれ、呪いそのものを形にしたような禍々しさが醸し出されている。
如何にも寒々しいその装束は、しかし夜を従える女王としての気品が溢れていた。
「せんぱい、私、頑張りました…。ほめて、くれますか…?」
少女は、歩み寄る。
ふらふらと、生まれたばかりの子鹿のように、頼りない足取りで。
少年は、動けない。
それは、闇を従えた少女が恐ろしく、何より美しすぎたから。
そして、少女は少年の胸に、倒れ込むように縋りつき。
手を、その首に巻きつけ。
背伸びをするように、唇を交わした。
「………」
「…ん、……ちゅ、……っぷはぁ…。………ふふ、おいし…」
舌と舌が絡み合う、濃厚な接吻。
少女は自らの唾液を少年の口腔に送り込み、少年は為す術も無くそれを飲み下す。
恋人以外との初めての口付けは、濃厚な血の味がした。
その様を見守ってた少女の姉も、言葉も無かった。
ただ呆然と、妹たる少女の暴虐を、眺めていた。
「…今は、これで我慢します…。…続きは、帰ってから…」
ぱこん、と、軽い音が響く。
「…いたいです。何するんですか、姉さん…」
「何するんですか、じゃないわよ。ひとの恋人に何やってくれてんの」
「何って…キス?」
ぱこんと、さっきよりも大きな音が響く。
妹は、少し涙目で、頭の頂を押さえている。
「痛いです、姉さん…!」
「そりゃあ、そうしようとしたんだから当然でしょ。…で、成功したの?」
姉は、全てを承知していてくれた。
その上で、何も言わなかった。
それは、己の半身に対する信頼ゆえに。
だから、妹たる少女は、誇らしく微笑んだ。
妹は、全てを引き受けてくれた。
その上で、何も言わなかった。
千の恨み言を、万の糾弾を飲み込んでくれた。
だから、姉たる少女は、痛々しく見つめた。
そして、抱き締めた。
労りというよりも、怒りを込めて。
「全く、無茶して…」
「だって、私は姉さんの妹ですから…」
姉は、一際強く、それこそ妹の肩の骨が軋むほどの強さで、抱き締めた。
妹は、その僅かな苦痛を、心地いいと思った。
名残惜しそうに離れる姉。
それを追う妹の視線は、やはり虚ろなままだった。
やや呆然とそのやり取りを眺めていた少年は、思い出したかのように赤面し。
しかし、気を取り直すかのようにこう言った。
「みんな、覚悟は、いいか」
剣の騎士は、苦笑しながら応じる。
「愚問」
槍の騎士は、歓喜と共にこう言い切った。
「俺を誰だと思ってやがる」
少年の恋人は、やや不機嫌な表情で。
「私は遠坂の魔術師よ。なら、生まれたときからそんなもの」
恋人の妹は、ぼうとした表情のまま。
「………」
「なら、行こう。最後の戦いだ」
少年が、そう宣言して。
皆が、歩を進めようとした、その瞬間。
「ちょっと待ってください」
その声に、一同は振り返り。
少女の指差す先を、見つめる。
「…姉さん、靴紐が解けてます」
くすくすと微笑いながら、そういう声が聞こえた。
声をかけられた少女は、赤面しながら己の足元を見遣る。
そこで、はたと気付く。
自分が履いている革靴に、靴紐なんて無いということを。
そもそも、その言葉を発した少女に、靴紐なんてもの、見えていないことを。
「桜、あなた、何を…」
姉は、妹の顔を仰ぎ見て。
その、優しい表情に安堵して。
しかし、それ以上は口を開くことが出来なかった。
彼女の周囲を、影の檻が覆っていた。
それは、姉と呼ばれた少女を、深い深い眠りの底へと誘ったのだ。
「サクラ、何を…!」
騎士王の声を無視して、立ち尽くす少女は倒れ伏す少女に近付く。
くたりと崩れ落ちた姉を、妹は抱きかかえる。
大事そうに、壊れ物を扱うように繊細に。
「ランサー、お願いします」
「…ああ、分かった」
主から宝物を受け取った従者は、家の中に消えていった。
それを、妹は見つめるのだ。
「…姉さんのお腹の中には、先輩の子供がいますから…」
それだけ。
それだけで、十分だった。
少女の従者たる騎士王も、それ以上何も言おうとしなかった。
少女に宿った生命、その父親も、何も言わなかった。
やがて戻ってきた槍兵、彼を無言で迎えて。
四人は、無言で歩き始めた。
目的地は、柳洞寺。
そこが、最後の戦いの場所の名前である。
◇
ごうごうと、大気の哭く声が響いていた。
あれほどに凪いでいた風が、その上空だけは荒れ狂っているのである。
柳洞寺。
いや、円蔵山全体が、蠢いている。
蟲、というよりも、内臓。
それも、おそらくは子宮の類だろう。
どくどくと、大気中のマナがどこかに吸い上げられていく。
母胎から、臍帯を通って、どこかにいる胎児へと。
それは宿主を枯らしてその美を咲き誇る宿木のように、貪欲極まる有様であった。
「…上は…違うな。誰もいない」
槍兵の呟きに、騎士王も首肯する。
つまり、小聖杯の降臨する祭壇には、誰もいないということ。
ならば、残る選択肢は一つだけだ。
少年は無言で歩を進める。
目的地は地の底。
円冠回廊、心臓世界テンノサカズキ。
数百年前、寄り集まった魔道の大家が神秘の結晶を求め、そして叶わなかった妄執の地。
その入り口は、白い聖杯の少女が伝えている。
獣道を抜け、清水の湧き出る岩戸へ。
ごつごつと積み上がった大岩は、稀人の姿を覆い隠す天岩戸のように。
だが、岩戸に隠れるのは、太陽の化身ではなく地に宿る悪鬼悪霊。
ここで舞い踊っても、顔を覗かせるのは溢れ出る魔の類だけだろう。
ならば、こちらから赴くのみ。
彼らは身を伏せて、その中へと立ち入る。
禍々しさを越えて、神々しいまでの絶対的な闇。
しかし闇は、やがて柔らかな光に薄れていき。
生々しいまでの大源は、これが胎児の息づく子宮の中心であることを主張する。
途中、幾つかの大きな空洞を通ったが、その数すら彼らの意識には遠過ぎる。
やがて、ほのかな明かりは、強烈な炎に照らされたような赤々しい光へと変化して。
坑道のように狭隘だった空間は、大きな、全体を見渡すことすら不可能なほど大きな空洞に。
中央に、巨大な一枚岩。
それは祭壇であろうか。
そして、その更に上に聳える、黒い肉の頂。
誰もが、確信した。
其処こそが、目的地であり到達点。
この濃密な世界の中心であると。
「遅かった、とは言うまい。適時である」
歩を薦める少年は、大岩の袂に立つ、二つの人影を視認する。
そして響く、重々しい声。
「儀式は、これより始まる。そういう意味では、理想的とすら言える拍子であるな」
男は、法衣に身を包んだまま、そう言った。
巨大な岩盤、その袂。
そこに、二人の男が立っていた。
一人は、黒い法衣を纏った、長身の神父。
一人は、金色の鎧を纏った、やはり金色の覇王。
「…代羽はどこだ」
少年の声に、神父は苦笑して。
くいと、しゃくるように顎で示す。
そこには。
天から伸び来る鎖に、両の腕を絡み取られて。
祭壇に捧げられた供物のように垂れ下がる、少女の姿があった。
一糸纏わず、呪いの炎に炙られた皮膚は青白い。
だらりと、力ない肢体。
意識も無いのかも知れない。
歪に捻じ曲げられた肩の関節は、おそらく脱臼しているのであろう。
「…代…!」
少年は、絶句した。
その、少女の惨状からではない。
いや、ある意味それ以上の惨状を見たからである。
少女の、下腹部。
ぽこりと、膨れている。
臍の下、女性器との間。
そこに如何なる臓器があるか、基礎的な解剖学の知識のあるものなら一目瞭然であろう。
子宮。
少女の子宮が、膨れていた。
彼女は、赤子を身に宿していたのだ。
「はて、受肉したサーヴァントの子種だからか、それともこの地において受胎した忌子だからか、異常なまでに生育が早い。これでは、扉が開かれるのが先か、彼女が産み落とすのが先か、分かったものではないな」
似合わぬ多弁は、神父の暗い喜びを表すものであったのだろう。
ぎしりと、少年の奥歯が軋んだ。
「いずれにせよ、彼女は神の卵であり、魔の母である。それを祝福する意図が無いなら、早々に立ち去りたまえ。ここは、新たな命が産声を上げる、神聖なる分娩台だ。無粋な戦士如きが立ち入っていい場所ではない」
「…御託はいい。全部、分かってるさ。だから…もう、しゃべるな」
何を言っても、神父は少女を解放しないだろう。
何を言っても、少年は少女を助けるだろう。
そこに、交渉の余地は存在しない。
ならば、言葉を用いた会話はここまでだ。
それ以上に、神父と言葉を交わすことが、少年には耐え難い苦痛であった。
鉄の少年は、その手に剣を握り締めた。
騎士王は、鞘から聖剣を抜き放った。
槍兵は、槍を下段に構えた。
影の少女は、その魔力を解放した。
それを見て、神父が笑う。
それを見て、金色の男が笑う。
「これをもって、マキリ代羽との約定は破られた。火の粉は己の首に縄を巻きつけたのだから」
神父は、厳かに宣言する。
それを遮るかのように、少年は駆け出した。
その両腕とその双眸に、絶対的な殺意を漲らせたまま。
「殺す前に、教えておいてやろう、雑種よ」
英雄王は、その腕を高く掲げた。
彼の背後の空間に、無数の波紋が浮き上がる。
その中央から顔を覗かせる切っ先は、その悉くが少年の心臓に標準を合わせていた。
「貴様の姉、いや、兄となるのか?まあ、どうでもいい」
一息遅れて、騎士王が駆け出した。
一息遅れて、槍兵が駆け出した。
「我の腕の中で咽び泣く代羽の喘ぎ声はな、中々に愛らしかったぞ!」
英雄王の哄笑が高らかに響き渡る。
少年は、狂うと思った。
事実、彼は狂った。
叫んだ。
咽喉が張り裂けるようなそれは、殺意と怒りの怒号であった。
そして、それが、この戦いの開戦を告げる銅鑼の音であった。