FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
じゅぷじゅぷと。
粘着質な液体の音で、目を覚ました。
不思議な音だった。
音でありながら、身体の深奥に火を灯すような。
じゅぽじゅぽと、粘着質な音。
速く、遅く。
時折、空気を巻き込んだような音が混じる。
泡立てた洗剤で、ガラスのコップを洗ったときのように。
ぶぼっとか、ごぽっとか、そういう、間の抜けた音。
なんだろう。
この音は、なんだろう。
それだけではない。
人の声も、聞こえる。
くぐもる様な、時折は感極まったような。
その粘着質な音と、同調するように、或いは掻き消すように。
聞き覚えのある、音。
それとも、全く聞き覚えの無い。
両方の感覚が、入り混じった、如何にも不可解な。
なんだろう。
この声は、なんだろう。
瞼は、どこまでも重たかったけど。
意識は、深いところに落ちて行こうとしていたけど。
好奇心は、猫を殺した。
とりあえず、目を開けることにした。
ゆっくりと、目を開ける。
そこには、金色が、在った。
金色が、金色と、交わっていた。
揺れる、金色。
あれは、髪の毛だ。
逆立った金色の髪が、上で。
さらさらとした金色の髪が、下で。
上の金色が、前後に体を揺すり。
下の金色が、それに引きずられるように。
ああ、わかった。
蜘蛛だ。
そして、蝶だ。
蜘蛛と蝶が、交わっている。
蜘蛛の巣にかかった蝶が、獰猛な蜘蛛に犯されている。
身体中を、その舌で舐め尽されて、しゃぶりつくされて。
身体中の体液を貪られ、干乾びてゆくのだ。
からからに。
残るのは、蝶の残骸。
それは、既に、蝶と呼べるものではなくて。
それは、何と、残酷な。
手を、伸ばす。
理由は、分からない。
何をしようとしたのか。
蝶を助けようとしたのか。
蜘蛛が、憎かったのか。
それとも、ああ、それとも。
分からない。
何も、分からない。
酸素の行き渡らない脳味噌は、プリンか何かと変わるところが無くて。
蜜に塗れた思考は、どこまでも曖昧で。
ただ、目の前の光景を、ただ、見つめるのみ。
ゆらゆら。
ぎしぎし。
揺れる、揺れる、二つの身体。
まるで、安楽椅子みたいに。
ゆらゆら、ゆらゆら。
声が、聞こえる。
女の、声だ。
女の子の、声だ。
やめて、と。
ころして、と。
もっと、と。
おくまで、と。
なんだろう。
なんだろう。
やがて、蜘蛛は、その動きを止めて。
その毒液を、蝶の胎内に、注ぎ込んでいた。
それで、最後。
食事を終えた蜘蛛は、満足げに、蝶から離れる。
その美しい金砂の髪を、一撫でして。
どこまでも、愛おしげに。
取り残された、蝶は。
巣に繋がれたままの、蝶の残骸は。
その脚の間から、白い毒液を垂れ流し。
俺の方を、涙で濡れた、聖緑の瞳で見遣りながら。
ぼそりと、こう言った。
見ないで下さい、シロウ、と。
そんな、夢を、見た―――。
◇
セイバーは、震えながら男を見上げる。
ギルガメッシュは、嗜虐を含んだ視線で、少女を見下す。
決着は、ついた。
少女は、敗北した。
その四肢を、長大な剣にて大地に縫い止められた少女。
武器は無く、それどころか一切の衣服すら身につけない、完全なる裸体。
おそらく男の視界には、彼女の秘めやかな女性器すらが露となっているはずだ。
彼女が為せることといえば、その端麗な唇から漏れ出す美声をもって、男の誇りを罵ることくらいのもの。
曰く、卑劣漢。
曰く、騎士の誇りの何たるかを理解しない、野獣。
曰く、力をもってしか女を従わせることの出来ない、不能者。
少女の必死の攻撃を、男は微笑いながら受け流す。
一切の反駁をしない。
全てを、認める。
応よ、我は卑劣漢。
応よ、我は騎士の誇りの何たるかを理解しない、野獣。
応よ、我は力をもってしか女を従わせることの出来ない、不能者。
その通り、その通りと、嘲笑いながら。
そして、言うのだ。
「セイバー、お前は今から、その男に抱かれるのだ」
少女の顔が青くなる。
彼女は、理解した。
どれ程の弁舌を駆使して、どれ程汚い文句を並べたところで、男の確固とした自我は、傷一つ付かないだろうことを。
だから、決着はついた。
いや、それは正確ではないか。
決着ならば、この勝負が始まった49秒後に、ついていたのだ。
今しがた終わりを告げたのは、男の戯れ。
籠の鳥を、ほんの少しの間だけ部屋に解き放ったのと同じ。
鳥は、羽撃いた。
狭い狭い籠の中、それよりは遥かに広い部屋の中。
そこより更に広い大空へと通じる抜け道を探して。
その様子を、飼い主は見つめた。
無様に飛びまわり、透明な窓ガラスに衝突する様を嘲笑いながら。
そして、時間が来た。
鳥は、再び籠の中へ。
もう、二度と外へ出ることは叶わない。
羽は飾りとして以外の機能を失い。
美しい鳴き声は、その番と睦言を交わすことも許されず、飼い主の耳を愉しませるだけ。
今からの少女の人生は、ただ男の所有物として。
彼を愉しませる、美しい小鳥として。
つまり、そういうことだ。
そういうことなのだ。
「我は女と食事に出し惜しみはしない主義でな。気の向くままに奪い、食らう。おっと、貴様には言ったことが無かったか?」
くつくつと、陰に含む声は、隠し切れない喜びを孕んでいる。
最早、セイバーはそれに応える気概も、必要性も見出さなかった。
―――どうせ、私は犯される。
―――もしかしたら、奴の子種で孕まされることもあるのかもしれない。
―――そうなったら―――。
彼女は、如何なる手段を用いても、自決するつもりであった。
令呪の束縛といえど、跳ね除ける自信があった。
だから―――。
「私を抱きたければ、さっさとしろ。それとも、臆したか、英雄王」
その口元に、皮肉な笑みを浮かべる。
顔色の青さは隠しようがなかったが、それは如何にも彼女らしい表情であった。
ギルガメッシュは、それを見て満足気に頷いた。
この程度の窮状をもって手折れる華であれば、如何に美しかろうと彼の妻には相応しくない。
如何なる凌辱にも、如何なる穢れにも汚れず、それを嘲笑って飲み下す。
その程度も出来ぬ女であれば、彼が心奪われることは無かった。
己の罪に悩み、そのことを直視できず、ただもがき苦しみ、それでも王を名乗った少女。
本来、己以外の者が王を僭称するなど間違えても許容しない彼が、その少女には許したのだ。
王を名乗ってよい、と。
騎士王を名乗ってよい、と。
それは彼が、一見脆弱すら見える少女の内に、輝かしいほどの強さを見出したからに他ならない。
もしかすると、彼なりの愛情表現であったのだろうか。
いずれにせよ、余人に彼の思考を追うなど、不可能を越えた絶事であるのだが。
「まあ、そう急くな。我にいち早く抱かれたいという心情、分からないでもないが、犬のように発情したのではその麗しさに傷が付こうというものだぞ、騎士王」
「はつじょ―――、貴様、どこまで私を辱めれば―――!」
セイバーの視界から、金色の鎧の輝きが消え去る。
彼女は、一瞬不審を覚えたが、かといって体を起こすことなど叶わない。
一体、そう思った彼女の耳朶に、男の声がぶつかる。
「極上の美酒である。飲み下す前に、その産地と製法、歴史と略歴を知っておくのは、飲む側の礼儀と思うが、貴様はどうだ?」
仰向けに磔とされた彼女、その足元から男の声は響いてくる。
何を、戯言を―――。
そう問おうとした彼女を、稲妻が如き鋭い感覚が貫く。
「ひゃん、な、なにを―――!」
「ふむ、美酒め、どうやらまだ栓は抜かれていないと見える。これは重畳」
少女の女性器は、男の手によって左右に開かれて、その中身を曝け出していた。
敏感な秘所に男の手が触れた未経験の感覚と、膣道が冷たい空気に晒された感覚は、少女から残り少ない平静を奪い取る。
「や、めろ、やめてくれ―――!」
男は、その懇願に応える必要性を、一切見出さなかった。
全く無遠慮に、品定めをするように、少女の深奥を覗き込む。
真剣な男の視線の先には、少女の純潔を証する、見間違えようの無い証拠が、まざまざと。
少女は、あまりの羞恥に身を跳ね上がれせる。
四肢から血が噴出すのも、今の彼女には意識の埒外だ。
「くそ、貴様、死ね、呪われろ―――!」
「ふん、呪いか。この世全てと謳われた呪いも我を染めるには至らなかったが―――騎士王よ、貴様はどうであろうな?」
ぞくりと。
少女の全身の産毛が、逆立った。
それは、今までとは異なる感情の発露。
今までのが、己の表層に汚泥を塗りたくられる嫌悪であれば。
今のは、己のはらわたを毒液でもって満たされるという恐怖。
単純に、生命の危機に対する恐怖であった。
「このまま貴様を抱いてもいいのだがな。力ずくで処女を花開かせるのは我の好むところなれど、四肢を貫いた貴様をこのまま抱くというのも、些か趣に欠ける。そこで、だ」
ギルガメッシュは、少女の口元に杯を突きつける。
少女は、必死の形相でその中身を覗く。
そこには。
まるで、この世の全ての悪意を固めたような。
くろい、くろい、泥、が―――。
「ギルガメッシュ、これは…?」
隠し切れない脅えに震える、その声。
まるで普通の少女のようなそれを、英雄王は歪んだ笑みをもって迎える。
「理解しているであろう?それは聖杯の中身、貴様が求め続けた聖杯の奇跡、その具現よ」
「これが、こんなものが、聖杯―――?」
彼女は、その卓越した直感によって杯の中身が如何なる性質を持つものかを理解を理解した。
呪い。
それ以外の、何物でもない。
呪いをもって何かをするとか、そういう不純物を一切取り除いた、純粋なる呪い。
なるほど、この世全ての悪とはよく言ったもの。
その羊水ですらこれなのだ。その本体は、如何ばかりの―――。
「思い煩う貴様の表情も美しいがな、今は思考する時ではなく決断するときだ。選べ、騎士王よ。この泥を自ら受け入れるか、それとも我に口移しで飲まされるかを」
セイバーは、思わず目を見開き、その仇敵を見遣った。
正気かと、そう問い質そうとした。
これは、人の手によって手懐けられるものではない。
それはサーヴァントでも同じ、いや、寧ろサーヴァントだからこそ。
その言葉は、発せられる直前において騎士王の咽喉に飲み込まれ、日の目を見ることは無かった。
何故なら、彼女は理解したからだ。
彼女を見下す男、ギルガメッシュが、どこまでも本気であることを。
「もしその呪いを飲み下してそれでも我に歯向かう気力が残っていたならば、もう一度だけ貴様に機会をくれてやる。その刃をもって、我と存分に戯れよ」
「…飲まなければ?」
「無理矢理飲み下させるまで。最も、その時点において貴様は女と成り果てているであろうがな」
ぎしりと、少女の口から歯軋りの音が響いた。
彼女は、自覚した。
自分は、どこまでもこの男の玩具に過ぎないのだと。
そして、今の自分には、憎き敵の用意した選択肢のいずれかを選ぶ以外、一切の自由が残されていないことも理解してしまった。
セイバー自身にとっては無限ともいえる逡巡、それでも実際は大した時間は経っていない。
少女は、己の決意を口にする。
それ以外の道を選びようが無かったとはいえ、騎士が、己の意志をもって選んだのだ。
それを口にするときは、相応以上の気高さが必要なはずであり、少女の声はそれに満ちていた。
「…約定を違えるなよ、英雄王」
「侮るな。我は王ぞ」
これにて契約は成った。
少女は固く目を瞑る。
それは、初めての男性を受け入れようと必死な、未通女のそれであった。
「口移しが必要かな、騎士王よ」
「侮るな、私は王だ」
その時だけ、全く同じ拍子で、二人の表情に笑みが浮かんだ。
英雄王は、全く無遠慮に、騎士王の口腔に泥を注ぎ込んだ。
騎士王は、英雄王の流し込んだそれを、必死に嚥下しようとする。
全く無味無臭のはずのその液体は、如何なる腐汁よりも、また如何なる毒薬よりも、少女の嘔吐中枢を刺激した。
「んうううう!?」
「溢すなよ。機会を二度用意するほど、我は寛容ではない」
突如、少女の唇が硬く結ばれる。
そして、その柔らかな頬が、まるで栗鼠の頬袋のように。
閉じられた口が一層膨れ上がったのは、逆流した胃液の仕業だろう。
重く、地の底から響くような呻き声が、鼻の穴から聞こえる。
少女の体は泥の形をした呪いを、必死に吐き出させようとする。
セイバーは、涙を流し、目を見開きながら、それを溢すまいとする。
「んぐ、うぐうう!」
「そうだ、それでいい」
咽喉が、激しく蠕動する。
腹が、飛び跳ねるように上下する。
衣服に隠されない少女の薄い腹は、胃の腑が蠢く様を、はっきりと男に見せ付けた。
そこには、紛れもない闘いがあった。
嘔吐く本能を、意志の力で押し戻そうとする。
少女の小さな鼻腔から、黒い液体が垂れる。
焦点を失った視線は、まるで誰かの面影に縋りつくように。
崩れきったその美貌を、最上の名画が如く眺める男が一人。
その表情に、笑みはない。
ただ、真剣に。
名画の真贋を見極めるように。
やがて、少女の体内での戦いは終わりを告げる。
全力で暴れまわる防衛本能を、セイバーの意志が押し付けたのだ。
ごくりと、泥が細い喉を通り、胃の腑に収められる。
そして、彼女にとって、本物の地獄が、始まった。
ギルガメッシュは、セイバーが泥を飲み下すのを見届けると、無表情に立ち上がった。
―――一度体内に取り込めば、アレが零れ出す事は無いだろう。
―――身体がそれを是としても、泥のほうが拒否をする。
―――つまり、騎士王は汚染された。
―――受肉するのも時間の問題だろう。
そう考えて、少女を見下す。
彼女の顔は、綺麗なものだった。
少し呆けたようであったが、先程までの、嵐のような苦悶と穢れは消え失せている。
ただ、視線は相変わらず虚ろで、絶えることなく何事かを呟いてはいたのだが。
「喜べ、騎士王。これで貴様は我と一緒になった。第二の生、精々謳歌しようではないか」
再びしゃがみこみ、額に張り付いた少女の前髪を払い除けてやる。
鼻の下にこびり付いた泥を、その指をもって拭い、舐め取った。
「此度の生は、貴様の価値に相応しい、享楽に満ちたものにしようぞ。―――それこそが、何よりも貴様を救うことになるだろうから」
それは、彼なりの優しさで、気遣いであったのかもしれない。
浅く開かれたままの少女の唇に、触れるだけの接吻を交わすと、男は再び立ち上がる。
「婚儀には、祝福が必要だ。祝福をもって、本当の意味で男と女は夫婦となる。我と貴様の婚儀、賓客にも相応の格式が欲しいところだが―――高望みは出来ぬか」
そして、振り返る。
そこには。
疾風が如き、隻腕の男が―――!
「なればこそ、祝福しろ、クランの猛犬!犬畜生とはいえ、貴様の血をもって乾杯の神酒としようではないか!」
「やってみろや、ギルガメッシュ!」
その、万軍を押しのけるような、鬨の声。
その下で、倒れ伏した、少年の指。
それが、僅かに、動いた。