FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
「―――ン!」
声がした。
奈落の底から、天上の雲間から。
声。
五月蝿いと思う。
私は、こんなに気持ちいいのに。
「―――い!―――ン!」
呼ばれる。
私の名前?それとも、私以外の名前?
懐かしい、それともどうでもいい。
もう、眠っていたいんだ。
起こさないで欲しいな。
「―――きなさい、リ―――!」
知っている。
誰かが、今、ここにいないこと。
私がここにいては、いけないこと。
でも、でも、でも―――!
「起きなさいって言ってるでしょ、リン!」
目が、覚めて。
そこには。
蛍光灯に光に照らされる、雪の少女と。
掛けられた、暖かい布団。
ああ、置いていかれたのだと。
守られたのだと、自覚する。
それは、優しくて、残酷で、情けなくて。
私は、お腹を摩りながら。
自分が泣いていることに、しばらく気付かなかった。
◇
夢を見ている。
これは夢だ。それ以外では在り得ない。
だって、何も聞こえない。
建物が崩れていく音も、燃え盛る炎の音も、断末魔の悲鳴も。
きっと、あの時の夢。
死んでゆく街を、あても無く歩いて、やがて彼と出会う。
彼の人生が彼と出会ったことで始まったとするならば、これは多分前世の記憶。
空気は肺を焼き、光は目を焼いた。
動かない体。主人を失った四肢。
ぼんやりと見上げる空、冷たい雨。
ただ、息苦しくて。
見上げた空に、懐かしい顔が。
ああ。
夢を見ている。
これは夢だ。それ以外では在り得ない。
だって、世界が漂白されている。
白いシーツ、白い壁紙。窓の外は白い青空、話しかけてくる白い看護婦。
無彩色の世界の中、ただ一つ色を持った存在が語りかけてくる。
よれよれのダークグリーンのコート。
しわくちゃのスーツ。
ぼさぼさの黒髪。
ところどころ剃り残しのある無精髭面。
誰よりも知っている、見知らぬ男が問いかける。
「こんにちは。君が士郎くんだね」
知っている。
俺は、知っている。
その、ぶっきらぼうで、不器用で、でも、どこまでも温かいその声が。
どれほど、その子に安心を与えてくれるのか。
「率直に訊くけど。孤児院に預けられるのと、初めて会ったおじさんに引き取られるの、君はどっちがいいかな」
彼は、選び取るだろう。
必然の、選択肢を。
「―――そうか、良かった。なら早く身支度をすませよう。新しい家に、一日でも早く馴れなくっちゃいけないからね」
たどたどしい手つきの、旅支度は。
それでも、震える手で、一生懸命に。
そうだ。
今なら分かる。
この頃から、彼は、もう―――。
「おっと、大切なコトを言い忘れた。うちに来る前に、一つだけ教えなくちゃいけないコトがある」
いいかな、と。
何気ない、必死さで。
「――――うん。初めに言っておくとね、僕は魔法使いなのだ」
夢を見ている。
これは夢だ。それ以外では在り得ない。
だって、縁側に、男の子と、切嗣がいる。
切嗣は、なんだか疲れたような顔で、月を見上げている。
彼の視線の先には満月。
やっぱり、疲れたような顔で。
「僕は正義の味方になりたかったんだ」
知ってるよ、爺さん。
「でも、だめだった。正義の味方は期間限定で、大人になると、名乗るのが難しい」
そんなことはない。
あなたは、いつだって、俺の理想だった。
今だって、俺の理想だから。
だから。
あなたの理想は、俺が。
「ああ、安心した」
彼は、静かに、眠るように息をひきとった。
月は、まるで今夜みたいに真ん丸で。
そのぼやけた輪郭が、本当に綺麗だったから。
その子が泣いているのか、分からなかった。
夢を見た。
嵐の、夢だった。
嵐のような、夢だった。
嵐のように激しく、嵐のように儚く、嵐のように穏やかな夢だった。
『―――問おう。貴方が、私のマスターか』
少女は、まるで俺の知っている少女で。
『関係あるわよ! 魔術ってのは金食い虫なんだから、使ってればどんどんどんどんお金は減っていくものなの!そうでなければ許さないんだから、とくにわたしが!』
少女は、まるで俺の知っている少女で。
『はい。おはようございます、先輩』
少女は、まるで俺の知っている少女で。
『ああ、時間を稼ぐのはいいが―――別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?』
『―――聖杯は欲しい。けれど、シロウは殺せない』
『判らぬか、下郎。そのような物より、私はシロウが欲しいと言ったのだ』
『―――やっと気づいた。シロウは、私の鞘だったのですね』
『最後に、一つだけ伝えないと』
『シロウ―――貴方を、愛している』
『お喋りはそれぐらいにして、お昼ご飯の準備をしてくれない? 道具一式、トートバッグの中に全部入ってるから。それと、あんまりモタモタしてると殺すわよ?』
『理想を抱いて溺死しろ』
『……信じられない。男の子に、泣かされた』
『そうだ、誰かを助けたいという願いが綺麗だったから憧れた! 』
『えへへ。キス、しちゃった』
『だ、だから色々は色々なのっ! もう、それぐらい察しろ馬鹿っっっっ!!!!』
『ええっと、し、しろう。士ろう。しろウ。しロう。し郎、城う、ではなく、士郎、士郎』
『ついて来れるか』
『……わたし、馬鹿、でした。ごめんなさい。ごめんなさい。こんなのつらいだけだった。ダメだって、負けるなって姉さんはずっと言ってくれてたのに、わたし、バカだから分からなくて、先輩が信じてくれたのに、裏切って、ばっかりで―――』
『おまえが最後のマスターだ。聖杯を前にし、その責務を果たすがいい』
『―――ううん。言ったよね、兄貴は妹を守るもんなんだって。……ええ。わたしはお姉ちゃんだもん。なら、弟を守らなくっちゃ』
『ええ、ただいま衛宮くん。そっちもいつも通りで嬉しいわ』
夢を見た。
騎士王の誇りを受け継いだ少年は、毅然と前を向いて明日を歩いた。
赤い騎士の背中を見た少年は、己に対する覚悟を抱いて明日を歩いた。
守るべき最愛の人を守りきった少年は、その温もりを抱き締めながら明日を歩いた。
その顔のどれもが、輝かしくて、眩しくて。
だからこそ、正視に堪えないほど、悲しくて。
それらは、選ばれなかった可能性の残骸で。
だからこそ、尊くて、冒し難くて。
そんな、夢を、見た。
きっと、幸せな、夢。
嘘みたいに、奇跡みたいに、きらきらした、夢、
俺以外の、誰かの、夢―――。
◇
様子見は無かった。
余裕など無かった。
出し惜しみなど、ある筈が、無かった。
必死である。
正しく必死である。
血が玉となり、そして雫となって滴る、逆立った髪。
赤く染まった眼球は、見開かれた瞼から、今にも零れ落ちんばかりであり。
いっそ裂けよと開かれた唇、そこから放たれる咆哮は、怒り狂った獅子をも追い払うであろう。
片腕を失い、血に塗れた身体。
身体中が傷だらけなのか、傷をもってその男の体が構成されているのかすら分からない。
しかし、それを見た英雄王は確信した。
目の前の男は、今が、一番危険である、と。
この場所に姿を見せたとき、その万全であったはずの彼よりも。
その手に赤い魔槍を握り、宝具の真名を解放したときの彼よりも。
今の、満身創痍で、そのまま棺おけに収まりそうなこの男が、今までで一番危険な状態であることを、英雄王の嗅覚は嗅ぎ取っていた。
先程まで、いくら精強とはいえ、只の人間を前に手も足も出なかった半死人である。
それでも、やはり、今の彼は危険であった。
例えば、古来の侍が、刀を手にすることによって自らを別の存在に作り変えたように。
彼が槍を手にするということは、彼が別の存在に作り変えられるということ。
人ではない、何か。
英雄ではない、何か。
もっと、おぞましい何か。
獣。
いや、鬼。
戦鬼、であった。
「おきゃあああああ!」
人の声ではない、声。
人の顔ではない、顔。
それは、鬼の声だ。
それは、鬼の顔だ。
血を滴らせる、鬼。
血を貪り喰らう、鬼。
狂ったような笑みは、狂気を飲み込んだ狂喜の笑みで。
驚喜に爆ぜ踊る彼の四肢は、凶器以外の何物でもなく。
狂戦士、クー・フーリン。
心弱いものであれば、そのまま失禁しかねないような、狂相を前にして。
英雄王は、やはり微笑ったのだ。
そして、無言。
無言のまま、手を掲げ。
そのまま、振り下ろした。
放たれる宝具の軍勢。
一切の遠慮なく。
「暖かい血を噴出して死ね、犬ころ」
切っ先の槍衾を。
避けない。
致命的なものは、叩き落す。
掠り傷なら、儲けものでしょう。
突き進む。
突き進む。
十戒など求めない。
海は割り裂けないことを、知っている。
ただ、海底を走り抜ける、求道者のように。
一直線に。
我不知に。
出鱈目に。
愚劣に。
蒙昧に。
只管に。
前に。
前に。
前に。
そして。
宝具の敷いた紡錘陣は、ただ一人、満身創痍の英雄が神速によって、走破された。
「―――おのれ、腐っても…!」
英雄王、その手に、乖離剣。
唸りを上げる。
その、前に。
槍の石突を。
その刀身に、叩きつけ。
がらん、と。
音が、響く前に。
血塗れの男は、呟いた。
頬を、急角度に吊り上げて。
「―――刺し穿つ死棘の槍」
◇
赤い闇の中にいた。
赤い闇の中にいた。
赤い闇の中にいた。
私は、浮かんでいた。
私の中を開きながら、浮かんでいた。
私の内と外を逆転させながら、浮かんでいた。
はらわたが、溢れ出す。
脳みそが、初めての開放感に感涙する。
骨が、主の意志を無視しながら踊り狂う。
そして、眼球は。
内側に裏返った、眼球は。
只管に、私を。
私だけを。
見つめて。
『―――王は、人の心が分からない』
『お間違えめさるな。剣は敵を討つ物ですが、鞘は貴方を守る物』
『困った御方だ。この期に及んでなお、そのような理由で剣を執るのですか』
『王よ。貴方は私を愛してくださらなかった。故に、私は貴方を愛さなかったのです。ならば、何故罰をもって私に報いようとするのですか。それが、貴方の愛ですか』
『聖杯を求めると。陛下、貴方は十二人の奇跡を持ち、それでも重ねて奇跡を欲されるか。なるほど、ふん、まっこと、貴方は王に相応しい』
『王位を!私を息子と認めてくださらないのなら、せめて王位を寄越せ!』
私を見つめる二十四の瞳。
それが、口々に私を罵る。
私のせいで、早過ぎる死を迎えた者。
私のせいで、その名誉に、拭えざる泥を塗りたくられた者。
私が、自ら死を与えた者。
瞳が。
その後ろに、なお、瞳が。
私を愛した妻。
私が愛せなかった妻。
私が愛した民。
私が守れなかった民。
その子供。
その子供の子供。
その子供の子供の子供。
餓えて死んだ人。
戯れに殺された人。
奴隷として、鞭打たれて死んだ人。
愛する人の目の前で犯されて、自ら死を選んだ人。
その死体が。
その死体が。
干乾びた死体が。
蛆の湧いた死体が。
白い骨となった死体が。
もう、姿も形も消え失せた、死体が。
夜空の綺羅星が如き、瞳の群れが。
夜空の漆黒が如き、呪いを。
口々に、口々に。
死ね。
死ね。
死ね。
―――はい、いずれは遠からず。
呪われろ。
呪われろ。
呪われろ。
―――はい、刺青のように、消えてくれない。
貴様のせいで。
貴様のせいで。
貴様のせいで。
―――はい、きっと、理解しています。
―――だから、私は、聖杯を。
―――相応しい王を。
―――そして、貴方達を。
―――なのに。
―――なんで、私を、そんな目で。
貴様が、身の程知らずにも、剣を抜いたせいで。
貴様さえ、あの黄金の剣に手をかけることが無ければ。
後ろを見たことがあるか、小娘。
貴様が剣を抜いた、その瞬間の後ろを、だ。
見よ、どれほど雄々しい勇者がそこにいたか。
見よ、どれほど威厳あふれる覇者がそこにいたか。
見よ、どれほど深い教養を湛えた賢者がそこにいたか。
見よ、どれほど寛容と慈愛に満ちた聖者がそこにいたか。
己を省みろ、小娘。
貴様は、その男よりも雄々しいか。
貴様は、その男よりも威厳を備えていたか。
貴様は、その男よりも完璧な真理を学んだのか。
貴様は、その男よりも神に近しい存在だったのか。
己に問い質せ、小娘。
貴様は、何ゆえに、王となったのだ。
貴様は、何を欲して、王となったのだ。
貴様は、何を目指すが故に、王となったのだ。
貴様は、如何にあらんとして、王などというものを志したのだ。
何故、貴様は王であらねばならなかったのだ。
思い出せ、小娘
思い出せ、小娘。
思い出せ、小娘。
思い出せぬか。
ならば、それが、お前の罪で。
永遠に、苦しめ。
それが、貴様に課せられた、罰である。